先日、学習塾先生の話を聞く機会があった。その中で印象深い言葉に出会う。
「ノートは外に出た脳である」
小学生の頃は全くといってノートをとった記憶がない。教科書は挿絵への落書き。歴史上の人物肖像画は恰好の餌食。ひげの書き込み、顔のしわ。傑作だったのがベートーベンのサングラス。妙にはまっていた。
教科書がこれだからノートに書き写すことなど皆無。授業中はひたすら落書き、パラパラ漫画はお手の物。
「へのへのもへじ」に「阿弥陀くじ」
同級生との○×ゲーム。伝言紙に変身して飛ぶ切れ端。
「ノートの大切さを教えられた」
という最初の記憶は中学生の時。反抗果敢な時期。決して大人の言うことを聞こうとしない年頃。
ノートに写さなくて破られ、黒板消しでどつかれ。今なら大問題。しかられることは「愛情」などと決して信じない。「こんな先生なんか」と思うだけ。体罰と愛情が妙にちぐはぐな時代。昭和40年代のこと。親父に殴られるよりも腹が立った。すべて自分のことなのに。
高校。ノートをまじめに取り出す。自分がしたいことは漠然としているけど、大学には進みたいという心がそうさせた。決して人から言われたわけではない。この時、今でも忘れない先生に出会う。
授業のたびに渡されるプリント。先生自らのサブノート。教員生活の中で作り上げたノート。初めて感動した。サブノートには教科書では語られないもうひとつの言葉。参考書にもない。一番知りたいこと。そう、「何に使われるか」を書かれたノート。
そのノートは自分が作ったノートではない。けど、ノートの作り方の「いろは」を始めて感じたもの。それ以来、自分のノートは「書き写す」ものから「作り出す」ものへと変わっていった。
大学。受験という門をくぐりぬける。しかし、「大学合格」という目的を果たしてしまったためか、ノートを忘れてしまった。作るノートを。だから講義は面白くない。ぜんぜん面白くない。それ以上大切なものは「代返」。大切なものを忘れて。
「もう一年がんばってね」
と、学務課掲示板の冷たい張り紙。分かってはいたが、張り出された紙は不合格通知よりも冷たかった。
ノートが泣いている。教科書がないのが大学講義。友達のノートを写しても、自分のノートじゃない。この時初めてノートの個性を知る。講義は一緒でも、作られるノートは全く違う。
「しまった」
悔しさよりも、情けなさに一人悶々とした時代。
社会人。ノートは手帳に変貌する。日々の打合せを記録、問題点の抽出用となる。当然、書き込む内容は統一性がない。だからメモをとる。記憶だけに頼った学生時代。社会人ではそうは行かない。仕事時間内に記録する内容は多岐。まとめる時間も惜しい。気がつけば手帳はノートをより成長させたものとなった。ゆっくり調べる時間よりも、その場で取りまとめることを優先。当然、「判らないものは判らない」。外って置くことは出来ない。ただ、「判らない」ということを手帳にしっかり書き込む。
ノートが自分で作られることに気付く人は少ない。中学・高校・大学に進むにしたがい、黒板を書き写してきたノートは自分なりにモディファイされている。齢を重ねるたびに、その書き込みは濃度を増していく。書いた量ではなく、問題提起の数として。
今、私の手元に残っているノートは卒業論文のための「研究雑記」が3冊。
いずれも大学ノートの走り書き。他のノートは残っていない。ただ、高校時代の化学のサブノートを除いては。
人の記憶は絶えず繋がりがないと忘れ去られるもの。でもノートを読み返すとそれは鮮明に蘇る。すでに忘れてしまったと思ってたことも。
「ノートは外にでた脳」
決して忘れてはならない大切な言葉。