久しぶりに書きます。
今回はマイナーな戦国武将ですが、私が最も尊敬する大好きな
堀秀政を取り上げます。
秀政は俗名を久太郎、織田信長の側近として活躍、本能寺の変
の時はたまたま、信長の使者として秀吉の陣にいました。
それ以後は秀吉の家臣として重要な役回りをします。
そして、エピソードにも事欠かないです。
1.泣いてばかりいる家臣を首にするのではなく、法事の担当としてそのまま召抱え た。まさに、適材適所
2.領内で自分を批評する立て札が立てられたが、その犯人を処罰するどころか
その立て札を大事に保管して今後の戒めにした。なんと謙虚ですばらしいことか
3.家臣が自分の元を去り、他家に仕官した時も餞別をやり、快く送り出したようだ。
なんと度量の広さか
4.各陣中に泥棒が横行した、久太郎は家臣に「自分いが泥棒に入る」と告げた。殿様
に泥棒に入られては大変と家臣一同、警備を十二分にして被害にあわなかった。
なんという人身掌握術でしょうか。
5.戦上手は遺憾なく発揮、賤が岳の戦いでも最前線の東野山に陣し、勝利に大貢献
小牧・長久手の戦いでも唯一、家康軍に一矢報いているのは久太郎の軍だけです。
6.何を命じられても、卒なくこなす、別名「名人久太郎」呼ばれていた。
7.以前、同僚だった秀吉に対しても、一度主君と思うと忠義一徹、期待にこたえた。
そんな久太郎だから、秀吉も大いに信頼し、関東征伐の後、関東一円を久太郎に任せようとしたそうです。只、残念なことに関東征伐中、陣中、病死。享年38歳。
久太郎が在命だったら、旧北条家臣団はここぞとばかり久太郎の下に集まり、巨大な堀軍団を築いていたでしょう。そしたら、家康の天下はなかったかも・・・