2006/11/30






◇思うのだけれど、凹みっ放しわ果たしていかがなものかと。
なんか、こお、きょいいいいぃい〜〜って、悔しいでわないか。

考えるまでもなく、凹むってのわ何か力が加わって起こる現象である。
でも、指を鉄筋あたりに、ちょいちょいと押したところで鉄筋わ凹むものでわない。
ならばと、むきになってぎゅうぎゅう押してみてもあれあれ、指こそ凹めど、鉄筋、どってことない。

軟式のテニスボールあたりだと、こりわ見事に凹む。
おいらのぷくぷくのおなかも、然りである。
だが、しかし。
ここが肝心。さあお立会いっ!

凹んだボールやぷくぷくおなかわ指を離せばぴよぴよんっ!と凸るのである。

小学校理科、力の作用・反作用『同じ大きさで向きは反対、一直線上ではたらく』だな。
勿論、鉄筋の場合とて同じように反作用の力は働いている。
ぺこぽこしないけど、ちゃあんと働いている。
そのように二つの力は同じ大きさで向きが反対で一直線上ではたらくけれど、この二つの力の関係わ必ずしもつりあう訳でわない、っちゅうこっちゃね。


*******



お病気のことで、まず、凹まないにこしたことわない。
外からの力なんかにびくともせず、ぽいぽいっと反作用の力で押し返してやれば良い。
だが、残念なことに、おいらは鉄筋みたいな質量の剛健なこころは持ち合わせていないようだ。
まあ、筋肉とて軟筋体質なへにょへにょおいらだ。
全身に気合を入れての筋肉硬直とて、もって一分。
そんなやわらやわら体質で53年。
いやはや、まったく、面目ない限りでござんす。


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そおいうことで、凹みわ、どうしても、やってくる。
鉄筋な心わ、気合を入れまくっての1分が限度!
ああ、ぷすぷすぷすす・・

凹むなあ〜。だ。

さあここで前記した小学校理科!!
軟球ボールとて空気が入っておらねばへにゅへにょへろと凹みっぱなし。
反作用はどうした?どこいった?反作用の出番なしか?ってなもんで、そんでおしまい。
実際にはボールの皮のゴムのその辺りで反作用してるんだろうけど、ぽよよよよよ〜〜んと跳ね返す力関係においてわ、なるほど、惨敗である。

おいらといえば、どうだろお?
果たして、空気は入っておらんのか?
惨敗か?

否。
とんでもない!


空気はしっかり入っているのだ!ばかやろお〜!
何が悲しゅうて凹みっぱなしでおらりょうか!

おいらわここまで誰よりもとわいわないけれど、ひといちばいがんばって仕事をして、生きてきた。そんでがんになって、ばかやろお!こんなところでがんなんかにへこまされっぱなしでわ、たまらない。
おいらにわまだまだ希望がいっぱい、詰まっているのだ。のだあ〜このやろお!

凹むにゃあそれなりワケがある。
そおしてやはり今回の凹みにもワケがある。
ここであれこれ言うことわ出来ないけれど、いくつかのワケがある。
そおいうあちこち外からの力に加え、駄目押しの検査数値の結果わ、見事にぺきょん、と、凹ましてくれた。
一時的に希望が、外圧で、押さえ込まれた形。

だが、おほほほほほほ
おいらの希望わおそらく、うたれ強い。
むかしっからそうだけど、嫌なことや嫌なことや嫌なことがあると(そりゃ嫌だ)ええい!ばかやろお!と、反作用の力がどっかから出てきて、次なる凸を形作る。
そこにわいつも決まって、なんらかの希望が在って、そして、おいらの勘違いでなければそりわ、そこそこ、ちゃあんと、いつも、実現されてきた。


******


がんなんかに凹まされっぱなしでわ断じて、ない。
断じてないぞ!
おいらわ希望を持って、こうして、小学校理科、その反作用の力をも持って、こうして、生きているのだから。


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♪私は今日まで生きてみました
 私は今日まで生きてみました
 私は今日まで生きてみました
 私は今日まで生きてみました

 そして今 私は思っています
 明日からも
 こうして生きていくだろうと♪


          吉田拓郎



2006/11/28

やっぱ、凹むなあ。  がんになっちゃった




◇がん細胞の状態をチェックする腫瘍マーカーなるものがある。
血液の検査でそのマーカーの数値を調べ、ある程度の判断基準を出す。
もちろん、おおまかな判断基準であって、全てが完璧に反応するわけではないし、反応すべき場合でも数値が上がらないこともあるという。
個人個人の反応もかなり個体差があるようだが、おいらの場合、なんとかかんとかというマーカーがとてもよく反応するらしく、定期検査の時はこのチェックが欠かせないらしい。
このチェックに引っ掛かると、次の段階の精密検査にいくわけだ。
今回、これに引っ掛かってしまった。
ちぇ、である。

平常値は3.5以下。
今回の検査値は4.4だ。

がん関連の本を読めば川柳にまでなっている腫瘍マーカー値。
とにかくその数値はがん患者にとって一喜一憂、いや、まさに天国と地獄クラスの表現で
それらの本には記されている。

ううむう。これね、こんな感じね。
いや、まあ、確かに凹むわあ〜。


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先生曰く
「風邪引きさんの時は数値が10くらいまで上がる時があるのでなんともいえませんが、(おいらは一週間前の血液検査のとき、風邪引きさんであった。今もだけど)一応、転移しやすい脳のMRI検査と、PET検査(全身スキャンのがん検査用CTの親分みたいなもん。転移の検査にはなかなか有効)をやっときましょう」
てことになった。

PETは一回もやった事がないので実わ一寸興味はあるのだけれど、通常のがん検診と違って転移があるかないか?ってことに使われるとなると、そりわそりでなかなかエキサイティングである。

で、検査とて当日中に出来るものでもなく、明日MRIで明後日PET。結果は12月8日。
この待ってる間がね、嫌だね、実に。
ぴょぴょぴょって、なんとかならんかって思うんだけど、どうもね、これが、ほんと、嫌だ。

おいら的には風邪引きさんだったし、大丈夫なはずなんだけど、やっぱ、ね。

きっとこれからもこおいうことの繰り返しなんだろうなあ〜

そう思うと久々こころがちょっとばかし揺れ動いたりしたので、希望のあるタラバガニの足をオーダーしてみることにした。

ちょっとだけバターで食ったろ。ぷぷぷ




2006/11/23

ごおおお〜〜〜  


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◇↑昨日の場所。
今日わ、ごおおおおお〜〜〜って。
この辺はこおいうイベントも盛んだ。


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初めてサッカー場の芝生に入った。
ここって入れるんだ。
珍しいから芝生でごろごろしてたらケツが寒かった。


優勝者は副賞としてドコモダケのぬいぐるみをもらっていた。
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んなもん、参加者全員にくれてやれよ、って思った。
ドコモのどけち。






2006/11/21

お葉見  おもうこと





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◇山崎川沿いの桜である。
見事にまっかっかだ。
まっかっかなのは葉っぱであるのだが、ほほお〜っと散歩の足を止めて見入ってしまう。
桜はお花見だけでわなかったのか、と。


   *****


ここはほぼおいらん家の前なんじゃが、ずううっと、11月のほとんどが常に出張中だったわけで、この時期、この辺にいることはここに来て8年、初めての事なのである。

あの桜並木がこんなんに。
ていうか、日々、小刻みに変化していく季節の様が、現実としてちゃあんと認識できている不思議。
だって、ちょっと前まで、自分の季節感なんてもんわ実にちゃらんぽらんで、習慣(例えば、11月なのでセーターを出して、みたいに)としての認識ぐらいでしかなかったのに、だ。

ま、いろいろあるなあと、シャッターを切りながら、はなみずをすするおいらであった。


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2006/11/19

品評会は突然に  




◇いやはや、びっくりした。
見事な、実に見事な野菜たち!

所詮都会育ちのおいらは、まあ、だいたい、実物の野菜っちゃあ、八百屋さんとかスーパーで並んでいるものしか知らないわけで、そおいうところうでの「商品たる野菜」のイメージしか、ない。
それでもやっとこ最近、ままごとのように自分で作ったり、ひとんちの芋畑で芋ほりしたり、生産者のお話をじっくり聞いたり、ま、いわゆる作り手側からの、ほんのちょいと、ほんのちょいとのちょいとのマイナス3乗くらい、の、ほんのちょいと、野菜のなんたるかを垣間見るようにわなったのだが。

そんなこんなで、今日もきょうとて日曜朝市ならぬ、最近お気に入り、近郊の農協でやっている「生産者直売市」に出かける。
あれやこれ、低農薬の野菜がかなり破格なお値段で買えるので毎回どきどきしながらのイベントなのだ。

でも会場は学校の教室程度のインドアスペースしかないので、ぐるぐるって2〜3周まわってもすぐ終わってしまう。
そんなんで、どきどき感もまあ、さほど長続きはしないのであるが、ぬわんと!今日は、なんだか知らんがビッグ・イベントになっていて、もう、これが、実にどきどきしっぱなしだったのである。

  *******


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いつもは駐車場である場所がほぼすべて会場になり、その入り口にはヤギだらうしだらひつじだらうさぎだら、そして、その横でわ農場ミルクの試飲と盛り上げる。


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ちょいと歩けば甘酒の無料配布を求める長蛇の列。
普段のスペースの5倍以上の生産者直売市がまわりの駐車場をテントで埋め尽くし、漬物の試食、なぜか海老、かにまで売られている始末。
さらにわ、ほぼ放心状態のおいらが小躍りしながら辿り着いたその先に紅白幕で仕切られた野菜品評会なる催しが賑々しく開催されていたのである。


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ああ、うれし。
ああ、たのし。

そこにわ、かって一度もお目にかかったことのない立派な野菜たちが鎮座していた。


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なんともでかい!
なんだかまん丸!
ごっつう太い!
やたら長い!
どっちゃり小芋!
つやつや!

といった感じで、普通な野菜との比較対照的立派さ。


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これこそわ作り手側の野菜ワールドだ。

おまけにこれらお野菜にわ信じられないお値段が付いていて特別賞を授与されている物も含めて、激安プライスなのだ!
まさに卸スペシャルプライスのラスベガス・ショーやあ〜〜(か?)
とにもかくにもバイヤーなおいらは、もう、わけもわからず、品物が野菜にもかかわらず、なぜか、きいいい〜〜〜〜ってなるばかりだ。因果なものである。

とわいっても、これらの販売は一般公開、品定め後の決められた時間に一斉に始まるようで、見学者以外の購入目的者は既にかなりの列を成している。

いやはや、なかなかそそる企画だ。
ロフトの6階の企画より、そそる。(ぷ)

ま、品評会の立派な野菜くんたちが購入できなかったことわ正直、若干、悔しい。
が、しかし、こおいう立派な野菜くんたちとの出会い、交流があったことは実に喜ばしい。
勝負に勝って野菜に負けたとわ、まさに、このことであるまいか?(いや、ちげ〜よ。交流もね〜し。)








2006/11/19

テレビなク〜さん  



◇ここのところ仕事で忙しかった。
久々に朝から夜中まで仕事とか。
ロフトの6階とか。(ぷ)

そんな中、ク〜さんといえば、テレビ好きになっていた。
テレビを観るのが仕事のように、かなり真剣だ。

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お気に入りわやはり動物もの。
魚類関係もはずせない。
スポーツ番組もたまにわ。

これこれ、ク〜さん、メガネは買ったらんでね。
ロフトの6階でも買えんよ。(ぷ)


2006/11/12

おいらのおかげまいり  





◇おれいまいりでわない。
「へへへ。このまえわよくも恥をかかせてくれたざますね。今日わおれいまりにやってきたざますよ。やろうども、やっちまいな〜ざます!!」なんてピエールでルーシー・ルーなヤクザ話でわ、断じてない。

「おかげまいり」とわ、なんぞ?
そりわ、ちょっとまえ、コスプレで踊りまくる江戸市民のええじゃないか絵巻を紹介したけど、あのへんと密接に関連しているのじゃぞ、と。


*****


江戸時代、約60年周期で全国の人々が伊勢神宮にどどどっと一斉に群参したことを称して「おかげまいり」という。えっへん。
ま、江戸時代のお伊勢参りというのはなかなかどうしてあれやこれ、大変だったに違いないとの想像はつくのだが、それでもいま以上、当時の人々にして一生に一度、お伊勢参りはしたいんじゃあああ〜ってなものだったらしい。
さらに、昔のお伊勢さん、今と違ってあたりにはあちこち、でっかい遊郭があったり、芝居小屋があったりで、いわゆる、お伊勢さんのまわりいったいが大人のアミューズメントパークじゃったそうな。そりゃ、行きたいわい。

江戸の信仰にわ娯楽がかなりの比重を占めたといわれるが、まさしく、当時のお伊勢参りとわ、日常生活からの開放、信仰と娯楽の一大イベント的集大成であったに違いない。

して、何故に群参が60年周期で行われたのかとか、そのきっかけとなるお札の降札とは?また、届出のない勝手な旅による抜け参り、そおいう人々を救うボランティアな施行(せぎょう)、などなど、果ては「ええじゃないか」の謎に至るこのあたりの一連の大衆文化わ、へたなフィクションよりだんぜんミステリアスで、しっかりエキサイティングで、実にほんまに、興味深く面白いのじゃ!
是非ヒマな折、ご自身でご探求あればと思う次第である。


*****


さて、件のおかげまいり。
おいらも先日、へへ、参宮してきたのじゃ。

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(ぬわんとも立派なご神木があちこちににょきにょきっ!良き場なんじゃろねえ〜)


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     (かおなしか?)


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(赤松?!すわ!ご神まつたけを探せっ!ってなもんで、わざわざ根元を探るおいらたちだった。ばちあたりとわこおいうことをいう。いや、面目ない。)


ま、降札のおかげでも、施行のおかげでもなかったのだが、しいていえば国本武春のおかげか?

国本武春。
知る人ぞ知る「うなるカリスマ!ニューウエーブ浪曲師」である。

去年は名古屋で年末恒例、国本をニューウエーブ浪曲師たらしめた「大忠臣蔵」ライブがあったけど(おいらを含む47人限定のミニライブ!)今年はなし。
ところが今月10日になぜか三重県は多気町での「大忠臣蔵」公演。
おお。
多気町といえば伊勢いもの産地でお伊勢さんの隣町でわないか!
おまけにその後始まる「大忠臣蔵」ツアーに比べ、ぐぐぐっとお値打ちなチケット料金!
こりゃあ、もう、お伊勢参りを絡ませて、いくっきゃないぞの国本ライブ!
おかげまいりかおかげライブか。
いや、まさに、これこそわ現代の信仰と娯楽の集大成やああ〜〜!(か?)

そんなこんなで20年に一度の神宮式年遷宮にわくお伊勢さん。
おいらはというと旧参宮街道のみやげ物通り(おはらい町通り)を俳諧、ひもの塾にて、あじの開きを試食しては豆腐庵山中で豆腐そふとくりいむを頬張り、三宅酒店で伊勢神宮お神酒「白鷹」を立ち飲み、まさにおかげまいり娯楽部門担当部長としての役割を存分に発揮してみたものの、所詮、天照大神の御掌での所業ゆえ、その蛮行、たかが知れている。(なんか、混同しとらんか?)

内緒*だけど(なぜ?)伊勢にわ外宮の近くに「喜心」っていう玄米菜食のレストランもあって、お値打ちでおいしい定食を食べたり、もう、なかなかめいっぱい楽しめたおかげまいりな一日でありましるた。


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(赤福本店横、お土産通りから)


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    (おかげ横丁のねこ)


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(江戸時代のおかげまいりを再現したおかげ座の展示。なかなか良く出来ていておいらは好き。)


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(国本武春氏。ライブ終了後のサイン会。)





(*内緒なわけわ、お店がそれほど大きくないのであんまり忙しくなると大変そうだから。)






2006/11/7

明日の朝はきっと、さぶいので  こんなこと




◇めだかの冬越し準備が完了ざます!

ぬわんと!この発泡スチロール・とろばこ(でかいのわ「めかぶ」表示)が冬越しの決め手!   ほほほほほっほほほほほほほほ
完璧じゃ!

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なんでも昼夜の水の温度差を出来る限り作らないことが水温が下がる事より重要ポイントなのだそうだ。
そのためにわ陶器製の鉢よりも発泡スチロールのほうが良いのだ。(そうだ。)
まあ、熱伝導率の問題やね。

んで、夜わ、こう、ふたをする。↓

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(みかん、っちゅうのがええね。なんか、ええねえ。)


おいらなりに考えたぽいんとはこれ!
この自動雨水対応装置!(か?)


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なんかいけそうなパーツをカーマで探し、細かいネットを仕込んで水位線を決め、ぐりぐりって取り付けた。


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おお〜実験でわ見事、水位を保ち、めだかも流れ出ない。うふふふ
小学生(高学年?)並のアイデアでわあるが、おいらわなかなか気に入っている。いかがであろう?


とりあえず5箇所に分散していたアウト・ドアめだかグループは、華麗に(て)3つの発泡スチロール・とろばこに収まったのである。

明日の朝はずいぶんさぶいっちゅう話しやけど、ほんま、大丈夫なんやろかね?





2006/11/4

ちょっとだけ『てつ』な日  こんなこと





◇『てつ』である。
けつでわない。
てつとわ、いわゆる『鉄道マニア』のこと。
一口に鉄道マニアとゆうても、その構成は幅広い。
鉄道模型や鉄道写真、時刻表(ダイヤ)研究や、グッズ集め、乗り派、運転派、コスプレ(ありか?)などなど、実に様々だ。
ま、男の子であればマニアとまでわいかなくとも、だいたい、生涯に一度くらい、覗いてみたりする世界であったりする。

で、そんな一日。


くりはら田園鉄道。
通称「くりでん」。
おいらは最近、旅の本で知った。
なんと素敵なネ〜ミング。
おいらはどきどきしてしまった。

宮城県の上のほう、単線、延長30キロ弱を一両ワンマンカーが走る。
開業当時(大正7年)から残る木造駅舎や今ではほとんど使われていない硬い切符(硬券)が普通にあるという。
ううう。
どきどきせずにわいられない。
そんな「くりでん」は来春で廃線になるという。
うううう。
行ってみたい。
ううう。
う?

おお〜
仙台に行く用事があ〜でけたああ〜〜〜ああああ

それが先月末、秋晴れの日。



◇仙台駅で待つこと1時間。さらに、がたごとがたごとJR東北本線石越駅まで1時間ちょい。(それぞれ写真をクリックするとおっきくなるぞ)

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JR仙台駅東北本線ホーム。ぬわんだかモダンだ。


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↑この石越までのJRも途中からワンマン電車になったりして、なかなかどうして期待感をあおるのだ。





そおして、夢のようなくりでん旅情がはじまった。


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(石越駅舎内待合室なのだ。すごいっ!)


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(車内をかけまわる園児たち。まあ、なんちゅうか、明らかに時代が変。)


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(こりゃもう、時間よ、止まれっ!ってなもんで。)


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そおして、40年ぶりに鉄道写真を撮るのであった。↓

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良きかな、くりでん。
良きかな、秋の日。


2006/11/1

がんと心と毎日と  さいご  がんになっちゃった



◇「検証・免疫信仰は危ない!」というくだらない本がある。副題は「がんビジネスの実態に迫る」だ。
実にくだらない本なので、そおいうくだらない本マニアにはおすすめだ。
第三章の「活性化リンパ球療法はがん患者に福音をもたらすか!?」に至ってわ、もう、くだらない大賞を差し上げたいほどだ。
だいたい、活性化リンパ球療法が通常医療として認められていないからという理由で、アガリクスやサメの軟骨の世界とひとくくりにひっくるめるんじゃねえよ。
自由診療ったって、ちゃんとした医師が行う医学的根拠のある治療である事には間違いないのだ。このやろお。
ひっくるめての「がんビジネスの実態に迫る」とわ何事だ。
ったく、こいつら、代替医療や自由診療に望むがん患者の本質の部分が、なあんもわかっていない。

この取材チームは例えば、「自由診療の医師が本当の意味でがん患者に真摯さを証明するには、まず、その治療の有効性についてデータを提出することだ」と、このように、ことあるごと、「がん患者が本当に望むものはやれ、データだ、やれ、権威のお墨付きだ」みたく勝手に決め付けている。

それが望むすべてであるわけがない。

さらには、自由診療のお医者の患者への接し方に安心感があるとし、さらに、がんに苦しむ患者に対する真摯な思いも随所で伝わり、とし、ただし、その事がイコール活性化リンパ球療法の優秀性を示す事にはならない。と結ぶ取材チーム。
あたりまえだ。イコール、示す事になるわけがない。
そんなこたあ、子供でもわかるわい。

がしかし、「その治療の有効性についてデータを提出することが、まず、自由診療の医師が本当の意味でがん患者に真摯さを証明すること」でわ、ない。
まさか、治療の有効性についてのデータをきっちり提出できていないことで、媚を売って、優しく接し、がんに苦しむ患者に対し真摯な思いを傾けているとでも思っているんじゃあるまいな、こいつらわ。

もちろん、有効性のデータがいらないという事ではないけれど。
でも、「まず」そこに、そこから、と、全ての焦点を持っていってしまうのであれば、現在の西洋医学が抱える「ダークサイド・オブ・がん治療」の轍を踏むだけである。

つい「自由診療以外の多くのお医者が、果たして、効くかどうかいまいちよく解らない有効性についての素晴らしいデータを得意満面に提出してくれるとし、ただし、その事がイコールがんに苦しむ患者への真摯な思いを示す事にはならない。」って言ってみたくなる。


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とにもかくにも、がん患者のおいらが常に、本当に、望むものは「希望」だ。
不確実な生に日々打ち勝つための、人の尊厳としての希望なのだ。
もちろん、病気が治るにこしたことはない。それが一番の希望だ。
でも、日々、がんに主体をコントロールされまいと、自分がこの病気の何たるかをコントロールするんだぞ、と、玄米を食べる、それもまた、立派な希望なのだ。

「玄米でがんが治ったエビデンスなんかないから無駄だ。」
「玄米を薦める医療者はまず、玄米の有効性のデータを。」と、件の取材チームはヒステリックに叫ぶに違いない。
代替医療や自由診療に望む、がん患者の本質の部分が、なあんもわかっていない。

通常医療として認められた抗がん剤のデータを持ってして、がん患者が本当に望む希望だ、とするのであれば、それこそは、あまりに人の尊厳を無視した稚拙極まりない判断だと、言わざるを得ないのである。

この本のくだらなさは”希望がない”まさしく、そこにある。


******



一大イベントの手術が終わり、果たして、こころはそこから、まじまじとがんと対峙することになる。
がんという病気はここからが本当の始まりなのだ。
そして、振幅する距離感を感じながら、こころは、何度でも、練り混ぜられるがごとく、その姿を不変とはしない。

最近はそおいうものだな、と、思うようになった。
怖いことは怖いけど、かといって、怖くて怖くて一日中震え上がるものでもないし。
腹のそこから笑えることだって、一日に一回や二回ばかりでわないし。
ご飯だって毎食おいしいし、めだかの冬越しが気になって仕方がない。

再度、尊敬してやまぬエッセイスト、岸本葉子さんの言葉とおいらの想いを重ねるならば、『五年後の未来が、私にあるかはわからない。その保障を、医師や代替医療や心のケアに求めない。先がまだ続くことを祈りつつ、生命の導くままに進むのだ。』

そうなのだ。生命の導くままに進むのだ。
そして、どこかで、こころの希望をこぼしてしまわないよう。



    (おしまい)




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