2007/5/27

続・久々にがんの事、帯津先生の事   がんになっちゃった




◇ち、がんになっちまったぜ!
がんなんかに負けたくないぜ!

てな具合に、ほぼ、だいたい皆、がんになっちゃったら思う(はずだ)。
でも、だけど、そう思う誰しもが皆、こころの強い人ばっかなのかといえば、そうでわあるまい。
さらに、誰しもが、強いこころに変貌できるとは、これまた限るまい。
明るく、前向きで、何にも屈せず、ひたすらにがんに立ち向かえる、こころ強きがん患者ばかりでわ、おそらくわ、ないのである。
でわ、そうでわないひと、そうなれないひとは、やっぱ、病気にまけちゃってるのだろうか?
病気と闘っていないのだろうか?

絶対、そんなことは絶対、あるわけがないのである。
明るく、前向きでなくても、突然、マーカーの値でトーンダウンしてしまっても、つい、玄米菜食の枠からはみ出た食事をしてしまっても、がんになる以前の自分を悔い改めれなくても、西洋医学一辺倒でも、ええい、とどのつまり、毎日泣いて暮らしていたとしても、そおいう状況を、病気に、がんにまけているなどと、誰が、何故、決め付けれるのだろう?

仮に、そおいう状況で、でわ、志半ばで、残念だけど、哀しいけれど、死んでしまったとして、それを、ほうら、がんに敗けましたね、と、誰が、何故、決め付けられようか?


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(ろくさんたちと遊んだとこで咲いていたおだまき。↑ かわいいねえ。)


*******

でわ、なにか?フィクションであれ、ノンフィクションであれ、世の中でえっへん!と、まかりとおる、壮絶ながんとの闘病生活の末、お涙頂戴、はかなくも散るシチュエーションをよしとするのか?そこにあるがんイコール死、と、決め付ける、この認識をよしとするのか?と、なれば、いやいや、そこが切り口でわまったく、ない。

がんイコール死、でわないし。
(生きるイコール死、ってのがある意味、正解なんだろうけど、そこわまたあとで)
それはどおいう報道がなされようがどおいう情報でかく乱されようが、一寸考えれば、誰だって判る。
果たして、テレビでそおいうドラマを演るから、ついつい、人は皆、がんイコール死、というイメージを植えつけられるのだという訴えには、ああた、そんな簡単に誰しも植えつけられませんて。
 自分ががんになって、ああ、死刑宣告だ(がんイコール死)ってはじまっても、一寸考えれば、いや、まてよ?がんで必ず死ぬわけでもあるまいぞ(すなわち、最初の「ち、がんになっちまったぜ!がんなんかに負けたくないぜ!」)、だ。
でわ反対に、テレビで全部がんが治ったドラマばかりやったら、皆、誰もが、がんになったとき、ああ、大丈夫、がんなんてすぐ治っちゃうんだ、だって、テレビでやってたもん!って、なるものでもあるまい。
少なくともおいらわ、ならない。

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(いやね、あんまし見事だったんで野菜を買いに行った農協でついぞ買っちゃった「並・いわちどり」↑ あえて、並。290円。何が見事ってああた、晴明のとばす式神みたいでしょ?ぷ。いやほんま、すげえ。)


そこんとこは、ちゃんと自分で考えればよいのである。
考えれば、がんはやっぱり、怖い病気であることに間違いなく、でも、必ずしも死んでしまう病気ではない、と、普通に普通のことが認識できるはずである。そして、大方、がんという病気の認識はそれ以上でも、それ以下でもないのである。

そこが切り口でわない、としたのは、そこを切ったとて「仮に、そおいう状況で、でわ、志半ばで、残念だけど、哀しいけれど、死んでしまったとして、それを、ほうら、がんに敗けましたね、と、誰が、何故、決め付けられようか?」の問いかけの意味は出てこないからなのだ。

******


誰が、なぜ、決め付けられようか?

がんの認識は実際のところ、おそらく、大方、それぐらいしかないのに、だ。

こうすれば、がんは治る、ものでわない。
こうすれば、がんは治らないものでも、ない。
こおいう人でなければ、がんを治せるとは限らない。
そうでない人のがんがなおらないものとは限らない。

おそらく、大方、そんなところでわないか?
それ以上でも、それ以下でも、ないのでわないか?

エビデンスが、いや、ポテンシーが、自己免疫力が、樹状細胞の認識が、こころが、想いが、虚空が、あれが、これが・・・と、と、と、いろいろあって、でも、そこわ、おそらく、「大方」の範疇なのであろう。
そして、その大方に、そこに、希望を見出すことの個々の差に区別こそあれど、不確実な生に日々打ち勝つための、人の尊厳としての希望、日々、がんに主体をコントロールされまいと、自分がこの病気の何たるかをコントロールするんだぞ、という希望に、誰が、何故、何のために、優劣をつける必要が在ろうか?

がんと闘うことに、いや、がんになっちまった全ての人に、勝った、負けた、ましてや、生きる思いに優劣など、あろうはずが、ない。
たとえ、がんで死んじまっても、だ。

あまりにこころ強き素晴らしき生還者たちの屈託のない笑顔とその影で、果たして、耐え忍ばれし最大の意思と努力を感じれば感じるほど、おいらはちょっと、柄にもなく、なあばすになったりするのである。



  (またつづいたりして)




2007/5/25

久々にがんの事、帯津先生の事  がんになっちゃった




◇帯津良一フリークなおいらは今回で5回目になるホリスティック養生合宿にこれまた参加、先々週は長野で何日か過ごした。

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(合宿の帰りにわ、ろくさん(てかてか)と国宝近辺で遊ぶ。ろくさんは去年の合宿で友達になった。おいらよりちょっと年上。ちょうどおいらと同じ頃、結構やばめのがん手術をしたのだが、今じゃおいら同様、ほんまに元気だ。)


帯津先生は最近、五木寛之氏との対談本『健康問答 本当のところはどうなのか?』を出版され、これが、なかなか話題なのだ。
万民、是、右へ習えの健康志向 〜 万民、是また、寝ても覚めてものアンチエイジング的姿勢を、ふんわかした帯津節で、とわいえ、さくさくさくと、見事にこれでもかと、斬りまくる。いやはや、帯津先生、五木氏とぴったりかみ合う歯車で、絶好調ざます。
とにもかくにも新旧の帯津語録山盛りで、アルバムでいうなら「帯津ワールド・BEST盤」みたいな本。
お買い得ですぞ。是非、ご一読を!


*****


さて、一見あやふやであるかのような帯津ワールド、厳しい教えのがん患者会などからはそこそこ批判めいた声も。
帯津先生はそおいうことに対して一切反論をしない。
あくまで、そこは論じあう部分では無いとする。
ほうら、あやふやでわないか!と、さらに声は大きくなる。

そんなこたあ、どうでもいいのである。
そんなこたあ、帯津ワールドの中でわ、お釈迦様の掌の中の事でしかない。
そうなのだ。仮にどんなに立派な患者会が束になって帯津批判をしたところで、帯津先生の帯津先生たるすげえとこは、びくともしない。

おいらは思うのだ。
なによりも帯津先生のすげえとこは、誰もがすぐ出来そうで、実わ、誰もそれが出来ない、すごくあたりまえで、すごく普通な思いのところなのだ。
帯津先生の凄いところわ、どんな患者さんにだってすべて平等に希望を与えてくれる、まさに、それに、そのことに、尽きるのだ。


*****

世にある立派ながんの患者会は素晴らしいと思う。
すべてのがん患者を救おうとして、それは在り、凄い人たちがいっぱいいる。
どんな深刻ながんにだって臆する事なく、見事生還した多くの人たちがその体験を惜しみなく語ってくれる。導いてくれる。あなただって、がんなんかで絶対死にません、がんなんかで死んじゃいけません、と。
がんになってよかった、がんになってそれまでの自分のいけないところを知り、がんになる以前よりもずっと素晴らしい健康と生活を手に入れた。そして、がんさん、有難う! 、と。

おいらは感動する。すげえって思う。
しかしながら、どうにもこうにもなりふり構わず素っ裸でそこへ飛び込んでしまいたいっ!と、いかないのである。

いかないひとつに、おいらは、どうしても、この、がんさん、有難う!ってとこが、自分自身でわだめなのだ。
勿論、そう本気で思える人はいっぱいいるのであって、おいら、決してそれを否定するものではない。
おいらには、そう思うことが、出来ない、ということだ。

おいらにはがんで死んじゃった大事な人がそこそこいる。
がんになったのがそいつのせいであろうがなかろうが、治療方針が違っていたのか、それがどうであろうが、なんであろうが、もうちっと、生きててもよかったのに、がんで死んじゃった。
単純だけど、がんにありがとう、は言えない。
もし、おいらがこの先、がんになった事で改心(笑)し、以前よりずっと健康になって、120歳まで生きたとしても、(ぷぷ。120歳まで生きたかないけど)やっぱ、だからといって、がんさん、有難う!とわ、絶対、思いたくないのである。
そして、極論として書いてしまうけれど、こおいうひねくれた考えをして、がんと闘うことを、立派な患者会では良しとしない。
果たして、良しとしないということはどおいうことかといえば、早い話がそんな考えでわ治らないぞ、ということである。
そして、治らない、死んでしまう、そおいうがん患者は教えを実践できなかった、とし、ある意味、実践できた勝者に対して、残念ながら、と、しながらも、あくまで敗者として位置づけられるのである。

なんだかこう、都合の良いハリウッド映画みたいな感じでわないか。
物語の途中で仲間がばたばた死んじゃって、最後に主人公と何人かが生き残って、ハッピー・エンド、みたいな。それって、ほんとに、ハッピーか?って、思う。


つづく (んかいっ!)


2007/5/20

風の又三郎(意味なし)  



◇ええ〜いっ!風がつおい。
どうでもいいけど、つよすぎんか?お〜?かぜ。
調子にのって昨日も今日も。びゅううびゅうびゅううびゅうと。

だいたいここんとこかぜのつおい日が多いんでわないかと思うのだが、どうだろお?
毎年、こんな時期にしょっちゅうびゅうびゅううと吹かんだろお。チベット山中でもあるまいし。

冒頭、どうでもいいけど、って書いたけど実わ、どうでもいいわけでわない。
知り合いの高橋さんの奥さんはいささか過ぎる強風について、太陽の異常活動が原因で、いずれわもっと恐ろしいことが忍び寄るに違いない、と、ム〜なご発言である。
すわ、地球の危機か?

もっとも、おいらは地球の危機如きでムカついているわけでわないので、この際、地球の危機は高橋さんの奥さんに任せておこうと思う。


おいらの危機やムカつきわ、まさに、それどころでわないのだ。

いやね、屋上のビニール温室がいつすっとばされんかと、もう、ああた、気になって気になって。

そ、そんだけでわないぞっ!
昨日は野菜の苗の植え替えを計画し、わくわくどきどき、準備万端で臨んだすうぱあ土曜日(サタディー)であったのだが、この季節外チベット山岳級異常強風現象(か?)のおかげで、ああた、もう、さっぱり意気消沈な結果であったわけでして。


◇植え替え準備、始まる。

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(まだまだ精神的に余裕のある土いれタイム〜土を入れる際、必要以上に土が舞い上がるものの、いや、まあ、良しとしよう、うんうん、などと落ち着いているおいら)


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(出番まちの苗たち〜もちろん、ビニールハウス外に出すものならば、すわ、ふっとんでいっちまうこと請け合いな状態で、なんかちらちら、違和感が沸き始めているおいら)

◇さて、風の中、植え替え作業に入るや否やどの苗も皆、バカっ風にあおられびゅるるるうううう〜〜〜〜とムンク状態。

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ひょおおおお〜〜〜〜〜〜って、感じ。
苗が。ひょおおおおお〜〜〜〜〜って。

副交感神経優位で始まった植え替え作業、ああた、もう、5分とせずに、全て交感神経にのっとられ、アドレナリン全開!
ちょいとでも気を抜くことなどありえぬ状況である。
気を抜いたが最後、震える苗はスッポン!とばかりに強風にあおられ見事、トルネード状に舞い上がり、風と共にニライカナイへと誘われていくであろう。
おまけに意味もなく良い天気で気温はそこそこあるわけで、勇んだおいらは半そで姿。
寒冷蕁麻疹もちのおいら、みるみる両腕はぼこぼこに。あ〜かいい。
バカっ風は素肌からあっという間に体温を奪うのだねえ。良い子は風のある日、見た目の気温などあてにしてわいけないぞ。

なんとかかんとかへろへろで植え替え終えたものの、ああた、屋上はふきっさらし状態。
風をしのぐ避難場所は?といえば、いつふっとんでもおかしくないちびたビニール温室だけ。
これまた、でっかい鉢など、いくつも入らんわけで、またしても、きいいい〜〜〜〜!!

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(入りきらないごおやたち。じつわ、これ以外にも、カラーぴいまん〔黄色〕、るっこらもあるのであった)


*******


◇現在、おいらわおかげで風邪をひき、屋上でわ、苗さんたちが鉢の上にまた鉢と団子積み状態のまま、きしむ温室で不安の避難民生活2日目の夜を過ごしています。現場から、中継でした。




2007/5/18

こんなん、でました。  


◇サイタ、サイタ、アマドコロガ、サイタ。


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ううむう。
去年5月、ともだちんちでもろたアマドコロの鉢。
いつの間にやら根っこだけになっちっての冬越しだったけど。
んだけど、暖かくなったんで、勢い、ぐおおおお〜〜〜って威勢力。(あるんか?そんなちから?)
うん?芽が出たなあ〜って気がついてからの日々、ちょいと近づいて耳をすまそうものなら、にょき、にょき、にょきん!てな音がするかの如く、たけのこ度全開!
あれよあれよと2週間、見事、チロチロ、花をつけたのだ!

いやはや、かわいい。

おいらはこのタイプのチロリンってした花が大好きなのでこのアマドコロに、実わ、でれでれ、である。
こいつに戦車でも強請られたりすればついつい買ってしまうやも?
ま、幸いにして物言わぬアマドコロで助かっているわけだが。


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そして、あの、三葉虫な小判草!↓


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うふふふふふ。三葉虫してるねえ〜〜


ぬわんと、去年の子が同じ鉢にて育っちゃったのだ。
きゃあ、うれしい!
種がこっそりといたんだねえ〜きっと。
んで、ちょいと離れた鉢にも一株育ってるからきっと飛んだんだ、種。
えらいねえ、小判草。
小判草になりたいくらいだよ。(まるこか?)

ど?この勇姿!↓


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うふふふふふ。やっぱ、うじゃうじゃ、いいねえ。




んで、こいつ。↓

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こいつもすげえぞ。
なんだかよく分からん道端の野草なんだけど、きれえでしょ?
んで、去年、散歩の時みつけて、ぎゅいんっ!って引っこ抜いてきて、てきと〜に屋上のそのへんの鉢に植えておいたら、きっちり根付いて、結構いつまでも咲いていた。

冬の前には、枯れちゃってたんだけど、まあまあ、どうして、この春、ありとあらゆる屋上の鉢からぞくぞくデビューした。
いやはや、すげえ野草力だよ。
んで、こんなふうに ↓ 移植してもすぐ根付くし、なに食ってんだ?ってインタビュ〜したくなる。


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(こいつ、なんて名前か知っている人、教えてください。)


*******


なんてったてこの時期、植物に勢いがあってよいねえ。
とりあえず当分は、この勢いについて行っていりゃあ、間違いなさそうだ。
しめしめ、である。(か?)



2007/5/7

腑抜けでGO!  



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◇いやはや、習慣とわ恐ろしい。
すっかり腑抜けなおいらであるが、はて、体は妙にそわそわして仕方がないのである。
はたして、どんなそわそわぐわいかといえば、ついつい、目の前の横のものを縦にせんとする、そんな類のそわそわぐわいだ。
なるほど、ここ数ヶ月、整理、そして、お片づけに没頭していたわけで。
明けては整理、暮れてはお片づけ、あちらからこちら、こちらからあちらと、てきぱき!ぐるぐる!
いや、てきぱき!は、どうか?
へたれなおいらを周りがどうにか支えてくれていたからなんとか、ってのが、ま、正しい。
ぐるぐる!は、そこそこ、ぐるぐるだ。

ちょっとてきぱき、そこそこぐるぐるな日々。

とにもかくにも、そおいう数ヶ月が、どうやらおいらを、そわそわ人間に変えてしまったようなのである。

じっとしていると、ううう、がるううう〜〜〜、無性にお片づけがしたくなってくるのだ。
あるときはところかまわずお掃除が。またあるときわ、脚立を使って窓拭きが。がるううう〜。
あちこちの引き出しは格好の餌食だ。
整理、整頓、ごみの仕分け。
ああ、もっと。もっと。もっと。


****


腑抜けなおいらに、とりあえず、もうひとつ、貧乏性(じっとして落ち着いていることが出来ない)の称号が、見事、与えられた。
ありがとう。(か?)





2007/5/2

腑抜けで感謝!  



◇おいらはいま、腑抜けている。

時折、意味もなく交感神経優位の突発的状況がしばらく続いたりもするのでわあるが、ふと気付けば、成る程、やっぱり、腑抜けな状態をきいぷしている。

    ごおるでんういいくだからか?
    いや、そおでわない。

中国の国営「偽」ディズニーランドのお偉いおっさん、ここにみっきーまうすはいますか?なるインタビューをうけて「いや、いない。ここにいるのわ耳の長いネズミ(ネコだっけ?)だ。」だからか?
うむ。腑抜けても致し方がないようなまさかのいい訳である。
でも、本当はそれでもない。

******


あんなにやめたかった会社なのに、あんなに「もうたくさんだ」って思ってきた仕事だったのに、すべてすっきり終わったのに、せいせいしたはずなのに、気分最高!のはずなのに、それが、なんだか、こお、ちょっと違っている。

終わってみると、とりあえず、まず、腑抜けた、のだ。
イベント終了時特有の一時的な放心状態なのかなあとか思ったりもしたのだが、どうやらそんなんでもなさそうだ。
つまり、気力がない状態の腑抜けでわなく、こころがしっかりしていない状態の腑抜けだからだ。
セキュリティーホール?バグ?そんな感じ。

気持ちのバグ。
こころのバグ。
脳のバグり?

ま、新しいソフトウエアーは配布されたばかりだ。
いや、まだ開発途中ってことかも?
なるほど、多少のバグは仕方あるまい。

修正プログラム?
ううむう。
とりあえず、腑抜けながらにして、ここからの日々を黙々と、淡々と、そのようにして過ごすことでしかデバッグされないヤツが、いやはや、大いにありそうな新しい始まりなのである。(なんとなくずっと、修正されないような、そんな気もするんだなあ、これが。ま、それはそれで。)


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↑なあんにもなくなった出荷倉庫。

2007年4月30日にて、おいらの会社はすっきりお見事!解散したのだ。
そして、おいらはいま、ぷーなのだ。ぷぷぷ

 関係者の皆様、いままで、ほんとうにほんとうに、いっぱい、有難う。
おいら一人でわきっと何も出来なかったでしょう。
こころから感謝です。
ありがとう。
また、いつか、一緒に、楽しいこと、やりましょう!





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