2008/9/22

人生はんべそ  




◇ここ1週間くらい、歯が。いてえ。
夜、寝るときとか。いてえ。
時々、すごく痛くなるので、其のときわすぐ、周りに猫がいたり嫁がいたりすれば、俺わ、明日いちばんで歯医者に行くぞって、宣言するのだけれど、これがまた、すうっと痛くなくなったりするので、えへへ、もういいや、ってずるずるへろへろする。

だいたい今痛い歯わ、半年くらい前に治した歯だ。
其の時もあんま、治った感じがしなかったんだけど、でも、歯医者の先生は「大丈夫。時間が経てばだんだん痛くなくなります。」って言ったんだ。
神経を抜いていないから。
今わちょっと痛いけど、って。

先生わ出来るだけ神経を抜かない。多分、それは体に良いことなのだろう。
なので、よほどまあ大丈夫だけれど、神経が残っている以上、大丈夫じゃないこともままあるようなニュアンスも話の途中でさりげなく織り込む。ずるい。
まさに今回はそれに違いない。
だって、その後、治った感はやっぱ、あんまりしなくて、さて、いつ、先生の言う其の時が来てだんだん痛くなくなるのだろう、って日々思いし早半年。ドラマなら数カット。



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****


いちばん不思議なのわ、寝ていて歯が痛くなる時だ。
ああいてえ、と目が覚めると、体の右を下にして寝ている。痛い歯は左奥だ。
そこで体を正面にむけてじっとしているとだんだん痛くなくなる。
実わ、寝る前に右を下にして寝ようとするとずんずんぶきゅぶきゅ痛み出すのでいろいろ体をぐにょぐにょさせていると、正面をむいて寝るようにすれば痛くないことを発見していたのだが、寝てしまうと勝手に右下向きの体制になっていたりするから困る。
なんで、右下向きで左奥の歯がずぎゅずぎゅごきょごきょ痛いのかわ、まったくわからないのだが、これが尋常の痛みでわない。痛いの何のって。
なのに正面を向けば米軍特殊兵器な鎮痛剤の如く、すうっと痛みがひいていくからたまらない。
どんなに痛くてもその回避策を持っているのわ実に愉快でもある。

何度も右下を向いて試す。いてえ。
正面。すううっと。
また、右下。ずぎゅずぎゅ。正面。すうう。
繰り返すうちに正面が効かなくなる事がある。
どんどんずぎゅんずぎゅんして、こりゃあ、正面の角度が微妙に違うのかも知れぬ、いや、首の縦の位置か?と、はんべそであせる。ああ、こんなことなら何度も何度も右下向かねば良かったなあと、まさにおいらの人生そのものを省みるに至る、今日この頃なのですが、そこんとこ、ご理解いただけますでしょうか?




2008/9/16

ここに在る不思議  




◇毎日毎日、メダカが生まれる。
不思議だ。

プランターの雑草わ、抜いても抜いても、何日かすればまた新しい芽が生まれている。
不思議だ。

ずうっと、気にも留めていなかったことが毎日繰り返されている。
そおして、毎日の繰り返されるを知り、不思議を、知る。

繰り返し生まれてくるメダカも、雑草も、ただし、同じものでわ絶対にない。
個としての一回性と種としての繰り返し。
それらが全て今、ここに在る不思議。

宇宙は実わ11次元あるとか、実わ今いる宇宙わ他の宇宙の子供だとか。そおいうことわ、とても面白い話なのだけれど、メダカや雑草が今ここに在る、というシンプルな不思議に、不思議原理で到底かなわない。(なんじゃそれ?)
ま、とわいえ、いかにも高尚な宇宙の不思議だって、ここに在る不思議に、くるくるくるくる、くるくるくると、どっかで繋がっちゃうんだろうけど。たぶん。どうせ不思議な事だからね。


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(↑綿の花。最初は白いけどしぼむと紫になる。不思議だ)


で、
なにがなんだかさっぱりわからないまま、メダカも雑草も、さて、おいらだって今、ここに在る。
そうである。おいらだって、いつの間にかメダカや雑草と同じように、ここに今、奇跡的に生まれているのだ。
となれば、生まれたからにわまあ、遅かれ早かれ、ちゃあんと死ぬようになっていて、日々、おいらに引っこ抜かれる個としての雑草と、そこんとこわあまり大差ない。
あまり大差わない、のだけれど、引っこ抜かれる雑草わ個としての自覚わなく(たぶん)、哀しいかなおいらわなぜだか個としての意識がしっかりとあったりする。
さあて、なんでこんなややこしい「意識するひと」で生まれちゃったのかって、思う。日々、雑草、引っこ抜きながら。


     *****


 生在る全てのものが太古から営んできた、種での(個々)生死の繰り返しで命をつないでいくやり方って、おそらく、「命のありかた」の正しい法則なんだろうなあって、ある日突然メダカにえさをあげながら、思ったりする。
(ま、命のあり方っていうのがなんであるかわ解らないけど。)
んで、そんな風に思っちゃうと、やっぱ、個としての意識ってのわどうよ?と自問を繰り返したくなる。
んなもん、いらんじゃん。って。命のあり方の法則に関係ないじゃん。って。

命のあり方の法則によると(あるんか、んなもん?そこわそれ、まま、あるとして)、命は、ある意味、永遠とつながれていくのだけれども、果たしてそれは個としてでわない。
個はつなぎでしかなく、まさに命と命をつなぐ粉と同じ。そば粉とそば粉をつなぐ小麦粉なのだ。(か?)
なのに、ああでもない、こうでもないと、小麦粉ごときのおいらのくせに「意識するひと」でもあったりする。
意識するくせに何もわからないので結局、不思議であると意識する。
ここに在る不思議を、思うことになる。


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(↑で、綿の実がなって、パカって割れて、綿が入っている。不思議だ。)

     ****


 ただね、
ややこしいと思いつつ、不思議を意識してこうしてわけもわからぬまま命のつなぎの小麦粉として在ることが、決して悪い気ばかりでもないわい、と、思ったりも出来る。
そも、命の法則わどうにかできるものでわないのだけれど、あやしげな自己の意識においてわ、自己によって幾多の意識の法則を作ればよいのであるからね。


不思議を思い、ややこしさを感じ、そこに、精一杯の命を感じて、繰り返す季節を感じて。
すれば、今在る不思議わ取りも直さず今在る嬉しさでもあったりする。


 願わくば、命ある限り、小麦粉命尽きるその刹那まで、在る不思議を意識に取り込んでいけるよう。などと半分寝ててよだれでキーボード汚しながら思う仙台での秋の夜ですが、そこんとこ、果たして、どうですか?







2008/9/11

パコれ〜す  



◇パコと魔法のなんちゃら。
映画である。
最近の『試写会をはがきで応募』マイブームでの賜物である。
基本わハズレ。
ことごとく。ハズレ。

其のハズレ的な哀愁が、実わ、また、ちょっと甘美なのでもあるのだけれども。

ともあれ。
ハズレのはがきわ実に貧相だ。
いかにもハズレております。スカです。来るな。と。
だいたいがこの往復はがきの復のほうの表に書いてある自分ちの住所だって氏名だって自分で、おいらが、書いたものだ。
して、名前にわ様もない。
その自分で書いた自分ちの住所氏名(様なし)がいかにも哀愁漂うハズレ感をかもしだしているのがハズレはがきの特徴であって果たして、これが一転、当選はがきとなると、その自分で書いた住所氏名わなんとも実に気高い。
様があろうがなかろうが。んなもん、どおでもよろし。
呼び捨て上等。
これわ、この住所と氏名わ、おいらが自分で全部書いたものだす!近所中に派手なメガホンで叫びたい。回覧板を学区内に廻したい!そこらじゅうころげまわりたい!ごろごろごろ


と、かように、ハズレ、当たりのどちらに転んでも結構心躍る『試写会をはがきで応募』マイブームなのである。


で。
肝心のパコとなんちゃら。

これがああた、実によろしいのだ。
大人計画の好きな方。新感線の好きな方。Piperの好きな方。嫌われまつこが良かった方。土屋アンナの観たい方。なんだかめるへんも観たい方。とうとう。

それにしてもおいらの横にいた幼児、かなり渋めな役所広司の台詞でしくしく泣き出し、いや、ここわ幼児どころか、ちょっとパーな大人ならさらっと流してしまう確率高し、だろお。と実に試写会の客層の厚みに仰天し、途中から其の幼児のあまりの愛おしさにさらって帰ろうかとの欲望を抑えるに終始したパコ。
残念ながら昨日のことわ覚えていないの、ってことで、そこんとこ、どうですか?(ネタばれ?)



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(↑関係ないけど五右衛門ロック・新感線のオープニング) 




2008/9/7

まだ。あっつう。  

 


まだ。あっつう。

ったく。
っつうよなあ。


そりゃ、雨降れよ。って書いたけど。

降りすぎだったし。

うちなんて2階ベランダの排水がぎゅろおおおお〜〜〜て、間にあわんくて、あわや、2階だけ床上浸水なのか?って。
下の子と、夜中にベランダに溜まった雨水、ぎゅいんぎゅいいいんって掻きだしましたの。
ま、あいも変わらずな日々、全然と、たいした仕事をしているわけでもないおいらですから、それぐらいの事わやるがいい、いやむしろ、やれよ。でありました。のさ。
今更ながらでわありますが、兎にも角にも、本格的な被災地の皆様方にわ心からお見舞い申しあげます。

****

さて、そんな一時の雨季もいつのまにか去り、9月もそろそろ半ばだっちゅうに、ち、残暑。
残暑。ってゆうて良いのですか?この時期。
ゆうても、名古屋。昨日33度近く。今日も同様。
しかして、汗との闘い、再び。代償性発汗なおいら。
わが屋上ファームでわナスやらぴいまん、ししとう、オクラ。いったん終了かと見せかけて、なんの、あれま。穫れること穫れること。

この夏、いつにもまして、育った緑。

ぼてんは7個の花を見事に咲かせ、初とうもろこしわ感激ないくつかの実を結び、稲わ穂をつけ、めだかわ生まれ、死ぬ。


季節わなんともエキサイティングな祭典だ。
そおして、嬉しいことに、今年もまた夏が在り、そおして、ああ、嬉しいことに、ちゃあんと、今をこおして、生きている。



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              夏姿変化妖ぼてん↓ 


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