2009/1/30

学んだこと、か? 追記  





◇ここにきてやっと、地球の静止する日/キアヌ版リメイクを観た。

なんだか時期も時期、オバマさん、出番です!みたいな思惑があったんちゃうか?って感じたのはおいらだけかしら?
ま、それはともかく、キアヌがある場面で死について一言、ぼそって語るのだけれど、ちょっとばかし、くらっと、きた。
「宇宙では厳密に言うと死はなくて、ひとつの変化だ。」ってな感じでゆうたと思う。

いいでわないか。
実に。
オセロ的で。

魂とか霊とか、そおいうスピリチュアルに具現化(って表現もおかしいけど)したものじゃなくて、もっとこう、宇宙って感じ?
そのあたりで、生とか死とか、あんまり関係ないんじゃないの?っていうざっくり感が、いい。

できればちょっとお茶して、もうちょいとそのへんのこと、聞きたかったんだけど、キアヌも急がしそうでばたばたどっかへ帰っちゃって。あとはオバマ?みたいな。

死は変化。
または、生そのものこそ、ひとつの変化かも知れんがあ、って、ちょっと思った。


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2009/1/27

学んだこと、か? その3  




◇と、まあ、そんな感じでやってきて、3年。

さて、おいらはここんとこ、ちょっと心情に変化がある、と書いた。
結論から言えば、あれほどはっきり意識の中で分断され、忌み嫌っていた自らの死についての心情の変化である。
それはまた、生きるべき思いの変化であるのかも知れぬ。

いずれにせよ、

死は、そんなに悪いものでもない、

という思いが、もこもこしてきた。
そも、そおいう類の書き物なんかは以前から読んでいるし、一般論としても、ひとつの考え方の見本だし、自分の中にまったく芽生えてなかった考えでもないのであるが、なんていいますか、こう、すごくちゃんと、ああ、そうか、って解かったっていうか、しっくりきた感じなのだ。



チップはひとつ。

次元の違う裏と表。
表裏一体の生と死。


例えば、今、おいらは訳あって生の側で生きている。
で、そこは永遠として生の側で、生の側にいる以上、そこに自らの死は、ない。
ま、言い換えれば、死を感じることはない、とでもいいましょうか。あ、死んでる、って感じることは、ないわけだ。
生まれてくる前のことも知らなければ、死んでからのことも知らないわけ。
で、生の側にいるゆえ、自分の死は、ない。

ところが、いくら知らない、死はない、そんなもん、ないないとえばってみても、実際というか、やっぱり、ちゃあんと死ぬわけでして、そこが、実に、不思議というか、おもしろいところなわけ。
はて、なにが面白いかといえば、ここでも、いくら次元が違うとか、裏とか、表とか、死だとか、生きてるとかゆうても、やっぱ、チップはひとつだけなんで、やや、生も死も、それは実は、ひとつだった、っていうのをあらためて認識して、面白い。
面白いなあと思えば、死への思いも変わる。これも言い換えれば、楽になるというか、あんまり気張らなくなる。
やがて、そんなに悪いものでもない死、が、もこもこ完成だ。


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さて、でわ、なにゆえ、そのような変化が生じてきたのか?
簡単に言えば、3年の月日だ。

3年。
くどいようだが、あおりいかの一生の3倍。

3年の間には近しいがんの友人、知人、向こうは知らないけどおいらは知ってる有名人等など、随分な死が、あった。
がんだけでも、これだ。
死、だけを考えれば、それはもう、莫大なものである。
でわ、その死は、すべて、いうところの敗北なのか?
違う。断じて、違う。
死は、敗北なんかじゃ、断じてないのである。

おいら、52歳でがんになった時、今死んだら、残りの人生、どうしてくれる。おお?
って、思った。
とってもじゃないけど、この歳で、死んどれん。って思った。と書いた。

でわ、勝手に残りの人生、って頭の中で割り出したのは、何故だろう?
年寄りがいっぱいな世の中。
人の平均寿命80歳前後。
きんさんぎんさん。
等。

池田晶子のエッセイに、『平均寿命ってあるけれど、平均寿命のとき、人は死ぬのではない。たまたま、死んだ歳がその人の死んだ歳だ。』みたいな話があった。こおいう書き方ではなかったかもしれないけれど、こおいう意味だったと思う。
実に、爽快だ。
目からうろこ、尻から肛門だ。

人は皆、たまたま、死ぬのである。
たまたま100歳で死ぬ。
たまたま50歳で死ぬ。

たまたま、死んだ歳が、死んだ歳であって、人は皆、それぞれなのだ。
決して、平均寿命で死ぬのではない。

なのに、なぜか、平均寿命を余命のように、そして、そこまで生きるのが100点のように、思えてしまう。
おいらだって52歳で死んでしまうのが、他の人に比べ、もひとつ、自分自身としても、なんだか、すごく損をしているような、そんな気分であったわけだし。

思うのだ。
もし、そのとき、おいらがそこらですぐ死んでしまっていたら、ただひたすら生きる願いが、本当はひとつであるはずの分断されてしまった死をひたすら恐怖し、排除し、でも、やがて侵されてしまう現実になんとも、やりきれない思いでいたに違いない。
それは想像しただけでも、とても、悔しいし、哀しいことではないだろうか?



この3年。
いっぱい考えた。
ひまなので、そおいうことかどうか、よくわからんけど、いっぱい考えた。


ひょっとして、おいらは52年間、全然、十分、満足に生きたんじゃなかろうか?
それって、すごく、人生、十分じゃなかろうか?
決して、これって、人生足りないってわけじゃないのじゃなかろうか?
あと、何年生きられるかわからないけど、それって、実は、ここまでのおまけの生ではなかろうか?


って。
考えた。

すると、

自分はいつまで生きられるのか?
自分はいつまで生きたいのか?
自分はなぜ生きたいのか?

が、あんまり重要課題じゃないような気がしてきて随分楽になった。




生も死もチップはひとつ。
死は決して敗北なんかじゃない。
おいらはここまで、十分、生きた。



そのシンプルな思いは近しい人の死をも優しく包んだ。



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おいらは子供の頃から、死がとても怖かった。
小学一年生のとき、自分が死ぬとどうなるのだろう、って多分、初めて真剣に考えて、おんおん泣き出した記憶が鮮明にある。
まあ、おしょうさんになったわけでもないのに、そんな怖がりなおいらが、死について、あれやこれや考えてるってえのも、実に妙な具合である。

とりあえず、今は前ほど死が怖くない。
いつ死んでもよい万全な覚悟ができたんとわちょっと違うし、日々の心の微妙なぶれだってあるのだけれど、それでも、まあ、どのあたりで死のうが、なんでおれがここでええ、と、のたうちまわることはあるまい、と思う。
損した、と思うことも、きっとない。

あおりイカの生き方にはまだまだ程遠いけど、あの世でなんとか(あおりイカに)いじめられずにすむかもしれないような、ちょっと、そんな気がするのである。




      学んだこと、か?    おしまい






2009/1/26

学んだこと、か? その2  




◇筑紫さんの手記には、こうは書きたく無いのだけれど、でもやっぱり、がん患者でしか解かり得ない部分が、ある。と、思った。
日々の心の微妙なぶれ、である。

日々の心のぶれ、は多分、誰にでもあると思うけれど、この「微妙な」という部分が、自分的に如何ともしがたい思いであり、この、微妙こそが、まるで震度計のみが僅かに感ずる地震、そして、その微細なる揺れを描き止めし記録紙に在る線のつながりの如く、それは実に極小ではあるけれど、長くどこまでも常に振幅する特有な「ぶれ」を意味するのだ。
例えば、善意の第三者による「元気そうに見えるけど、どうですか?」「もう、きっと大丈夫ですよ」って声に、ああ、本当にそうです、どうも有難う、って思うことができないのも、この微細な振幅によるのかもしれない。
「元気そうに見えるかも知れないけれど、これで大丈夫なのかどうか、自分がなんにも、わからんから困るのががんなんです。わからんこと。そこがなにより、一番辛いのです。自分はどうですか?とこっちが聞きたいわい。」ってことを実わ、こっそり思ってる『死と生を行き来する極小な振幅』が、常に、在る、から。

そんな小言みたいなことを筑紫さんは一切、書いてはいない。
書いてはいないが、日々続く小さな振幅。死と生の振幅。おれは大丈夫なのか?がん患者ゆえ真摯に伝わるこの振幅は果たして、とても、切ない。


自分はいつまで生きられるのか?
という自問は、また、自分はいつまで生きたいのか?にもつながる。
それは、また、自分はなぜ生きたいのか?にも。


筑紫さんのこころもまた、これと同じフレーズを自問していたように、思えた。
答えを導き出す自分のこころは死と生の振幅に煽られ、やっと搾り出したギリギリの答えにも、疑問符がつく。

そして。
振幅は、止む。


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不安が終わるのはその不安が実際、来た時だ、という。
死と生の関係にもそんなニュアンスが含まれているのかも知れない。


********


おいらは今、55歳。
52歳でがんになった。
そのちょっと前、それまでの仕事にひと段落をつけて、違う何かをしようと決めていた。
自分が好きなことが出来る時間をちゃんと持って、なにかをしようと、考えていた。
そのために、ハードワークもこなしていたんだと。
もうちょっとだ、って思っていた矢先。
そこで、がんになっちゃったんで、え?なんで、ここで?
と、なりますわなあ〜ふつう。


当初、とにもかくにも生きたいと願い、そしてそれを願えば願うほど、相対しての、死、が意識の中に芽生えた。
どんどん芽生えた。どんどん防虫、である。

それはまるで、生と死が、白と黒で対峙するオセロゲームのように、だ。
白優位、そして、黒優位で、ゲームは進む。そんな感じ。

オセロのチップって当たり前だけど白のうらは黒です。
その裏と表の、とても近しいはずの白と黒は、でも、ある意味、存在の次元が違うんじゃないかと、思う。
つまり、白側はずっと白だし、黒側は、永遠に、黒。
あいまみえることは、ない。

とわいえ、チップはひとつ。

イメージの中でゲームは進み、なぜだか、最後は必ず全面が真っ黒になって、終わる。黒の勝ち。


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ゲームの終了は死。

意識として、黒優位を嫌い、負けてなるものかと奮う。
結果、生きたいと願う心は、どんどん芽生えるー死、を負のハイエンド(?)と認識することになり、それは死を出来る限り遠ざけたい、あっちいけ、あんたなんか知らん、無視無視、ぺっぺっぺ、ってな具合に、確固たる死との境界を、意識として持つ。

かくして死と生は、自らの意識の中できっちりと、分断されてしまう。
さらに、その意識は進化して、死は敗北、の意味を持ち、果たして、生きるべき思いは、生に、全力でアタックすることになる。


  とわいえ、チップはひとつ、


             つづく



2009/1/22

学んだこと、か?  其のいち  




◇文芸春秋2月号の筑紫哲也「がん日記・がん残日録ー告知から死まで五百日の闘い」を読んだ。
ほんまわ、「核心取材/秋篠宮が天皇になる日」につられて買っちゃったんだけど。おいら、秋篠宮ファンだでね。(いちきゅっぱの国旗も在るし。)


ま、ともかく、自分ががんになって、がん闘病記とかのそお言う類の本や手記で、書き手が死んじゃったやつは基本的にずっと読まないでいた。ドラマ、映画でもそおいうのはいっぱいあって、なんだか、人気らしいのだが、最後は死んじゃって、とりあえず哀しい。そんなの見てて楽しいのかねえ。ひとそれぞれなのでなんとも言えないけれど、哀しい→見ててつらい、って思わんのかねえ。わざわざドラマなんかで哀しい思いしなくてもきっと絶対、哀しい思いをしなきゃいけない時があるのにねえ。なのに、なんでわざわざ。おまけに、生きる勇気をもらいました。とか、感激しました。とか。そうなのか?とおいらは思うのだけれど。まま、重ねて、ひとそれぞれだけど。

でも、その意味で手記を読まないでいた、ってゆうのとはちょっと違うのだ。
もっと単純に、「がんで死んじゃう」ってゆうのが、なんか、やっぱ、すごくリアル感があってとても嫌だったから。
同じように、単純な理由で、「あんなに厳しかったのにあれから5年、私わ、今、こうして生きています!」ってのわ、漁って読んだけど。

で、今回、筑紫哲也。
まさに、書き手はおいらと同じ肺がんで死んじゃった。
正確には同じ肺がんではなくて、筑紫さんの肺がんはおいらのなんかよりもっと厳しい小細胞がんってやつで性質が悪い。
ステージだって3Bという厳しさ。テレビではそんなことゆうてなかったのになあ。
てな具合、そこらへん、考えながら、亡き筑紫さんのがん残日録なる手記、読んだ。
不思議と今回、苦手だったこの類の手記に何のためらいもなく、ごくごく普通に、読めた。
この手のものは、あんなに敬遠してたのに。
とても嫌だったのに。

なぜだろう?



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おいらはここんとこ、ちょっと心情に変化がある。
漠然と、もやもやと、ぐにょぐにょと、ずくだんずんぶんぐんと、在る。

がんになってもうすぐ3年だし、その心情の変化みたいなのを自分自身の言葉で、漠然とじゃなく、もやもやとでもなく、ぐにょぐにょとでもなく、ずくだんずんさんぷんとでもなく、ちゃあんと、まとめておきたいはずである。
そうしないと、この3年、中学生だって普通、大概、見事に卒業する勢いの3年、石の上にいれば、なんもせんでもなんかものになりそうな3年、アオリいかなんて、ああた、あんなに大っきく育つのに、たった1年しか生きちゃあいられないというじゃないか。なのに、おいらははや、がんで3年、だ。
がんだけで、アオリいかの三生分(一生の3倍)生きているってぇのに。

あれだ、なんか、こう、ちゃあんと、その辺の心情の流れだけでもまとめておかないと、いくらなんでも、学びが、無い。
まさに、あの世でアオリいかに合わす顔がない。(か?)



つづく(て、ここで?)




2009/1/21

ブログアドレス変更のお知らせ  


 ◇近々、ここのアドレスが変わります。


現在ここわ、AOLのブログダイアリーなんですが、ぬわんでも、AOLったら、事情で、こおいうことをやめちゃうらしいんです。

ま、こういっちゃあなんだけど、ぱっとしないからなあ〜AOL。
いろいろあって、プロバイダーなんかもずっとAOLでやってきたんだけど、もう、海外での仕事もしてないし、なんかもう、AOL、全部、やめよおかなあ〜
はちべいだって、どう考えても何の役にもたたないのに黄門さんたちと旅してるし。
今日だってなんだか面倒を起こして最後に団子、ぱくぱく食ってるだけだし。
やっぱ、もう、はちべい、いらんと思うし。


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(↑なんきんはぜ、今がピークですのだ。近所の公園でひろいます。鳥が枝をちぎるのかねえ〜)


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ということですので、今回を持ちましてわたくし、はちべいは、ここを出ます。

次回、違うところで会いましょう。
でわ

(1月中は自然に新しいところに飛びますです。)




2009/1/2

国旗掲揚す  



◇年の初めである。
年の初めといえば、一昔前、どこの玄関にも、日の丸が掲げられていた。
不思議だけど、なんだか、お正月とは今でもそんなイメージがある。
とわいえ、子供の頃は団地住まいであったし、自分ちで国旗を掲げたことはない。
ないけれど、国旗セットなるものはたしかに押入れにしまってあった。
ま、昔は、そんな感じであったのだろう。

戦後、国旗掲揚には様々な問題が浮上、今現在、そうそう皆の玄関に、日の丸は、ない。



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年末、ホームセンターにて、お正月のお飾りや門松のコーナーをひやかしていると、日の丸があった。
三つ折れポール付き。さらにキンタマも付いて、¥1,980円也。まあまあでかい。でかいのわキンタマでわない。旗のサイズだ。
ちょっと見栄えの良い門松なんぞは、簡単に1万円を超えているなかで、キンタマ(普通サイズ)も付いて日の丸は¥1,980!!

かっておいらも日の丸だ、国歌だ、に、対してはいろいろあった。
あったような気がする。
あったかもしれない。

まま、昔のことである。
今は、それよりもなによりも、¥1,980だ。

ここわ、日の丸だろお
まごだって生まれたし
おお
町内会長もやっている(わはは。でも、ほんまにやってる)
日の丸はええぞお
日の丸は日本一のお正月ぐっずやあああ


と、もはやこうなってわおいらの頭は日の丸脳である。
すでに、日の丸問題どうこうわなく、この日本一のお正月ぐっずを、はて、何本買うのか?という葛藤のみに導かれている。
結果、おいらはこのまあまあサイズのをワンセットと、念のため、小旗も一本、買ってみた。何のための念のためなのだろう?


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(2009年1月1日17時15分の月とか金星とか)

******


かくして、我が家の玄関にわ、この年の初め、日の丸が掲揚されることになったのである。
(12月30日の『お飾りの凄さ体験』ブログ参照)


あらためて通りすがりの目で我が日の丸玄関をちらちら伺い考察してみれば、やはり、日の丸は、いかにもの町内会長宅を醸しだし(ほんまかいな)初孫の誕生を祝し、そこにわとても、¥1980の様相はうかばぬ。

その昔、かの斉藤哲夫はおいらも出掛けた中津川フォークジャンボリーで『日の丸』を熱唱し、それわ、日の丸の下、若者が戦場に送られる哀歌であり、日の丸=日本国に対する絶望であった。きゃっほっほお〜


「日の丸を背に君が代は
千代に八千代なれども
我がジジババは
感激の涙にくれ
我が心何の感激もわかず
さて  さて
日の丸とはいったい何者であるのか」
(日の丸・部分  斉藤哲夫・詩)


もう、随分、昔のはなし、である。
ままま、日本国に対する絶望はその頃といっこも変わってわおらぬままでわあるが、果たして、感激の涙こそないけれども、おいらはすっかりジジババ世代だ。
今更なれど、おいらなり、日の丸とはいったい何者であるのかと、は、まあ、こうして、¥1,980で浮かれてるおいらのありさまにて、ご推測願えれば幸いである。



2009年   元旦





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