2009/4/27

ブログ、再び  





◇ブログって
どおでしょお?


そのてん、
居つきものたちわ
いいね

今日のようなさぶい日だって
どんなに風がふきあれたって
居つきものたちわ、
じっと
居ついている
のだから


******



タコに擬態か?さかなペア↓


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つるりんとした木目
ぴょほるんとしたお口
ああ
たまらない





たわしわかめも↓


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宇宙飛行士は
こうでなきゃあ居つけません
こうである宇宙飛行士が
つくる
こんな空間
ああ
たまらない






銭湯でTVをみる↓


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こおいうものわ
それだけの魅力でわ
ありません
このブリキ貯金箱から
醸しだされる
すべてが
在るわけで





ロッキードF104なのか↓


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ジェット戦闘機わ
わたくし
F104の名前しか
知らないので
かっこいいものは
すべて
F104

まとめることに





さかなわよいですね↓


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この子はおおきいです
ベランダの壁に
へばりついて
はや
数年
さかなとして
充実したライフな日々と
願わば
願え



以下、次号




2009/4/23

ブログわどうよ?  




◇さて、久々にブログ

季節わ移ろい、サクラも移ろう
わたくしわ、果たしてどうだろう?

まま、季節わきせつとして、人わひととして
其の想い、暁を覚えずとも忘れたこと、無し


******

てなわけで、もうすこし、ブログ、続きます


でわ、居つきモノタチのその後なぞ





真珠のくねりわ磯あそびだ↓


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伊勢志摩国立公園の昭和30年代ごろのお土産、其の名も『磯あそび』
ちゃあんと意匠登録のお品
おしゃれ、おモダン、摩訶不思議

かなりな居つきし・オブ・上位ランク







貧乏神VSまねき猫↓

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でわないのだけれど
でわないのだけれど、そうみえんか?
VSというよりか、なんか、2人で、ども、って一緒に来ちゃった、って感じ?

まねき猫、2センチくらいでかわゆいの







らいおんのあたま↓

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子供の顔サイズ
床から1メーター60センチくらいのところにいるのだけれど
猫のクーさんはバカだから、時折、ケンカしているようだ

おもちゃだからね
本物とか、飾るなよ、鹿とかさ






ちびた猫とか犬とか象とかいっぱい↓

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綺麗に並んでいたためしわない
クーとか、ばかねこ達がぐちゃぐちゃにしておしまい
それでも割れずに結構残っているから

それでも結構、割られたけれども







踊るキューバじゃ↓


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最後はやっぱ、踊ってね
有機栽培家庭菜園、キューバは変わった
それでも最後は踊ってね

スラムドッグもマハラジャも




(以下、次回)





2009/2/16

居つきモノタチ〜さらに  




◇ぐ〜たら生活極める
さらに、極めて

これも進歩なのか?
そうなのか?


******




割れるサボテンは陶器製↓

なんでもかんでもソルトアンドペパーな時代が昔ありました。
火星人だって悪魔だってなんだってソルトアンドペパー
さぼてんくらいおちゃのこさいさいです

いいね、さぼてん


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再びお稲荷さんの昔お土産↓

このあたりの構図はわたくしをターゲットにしたのでわないかと思いたくなるほどのお品ですな

ああかわい


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オッスっ!おら、なにもん↓

多分、温泉地の手作りお土産人形なんでしょうけど、ねえ。
土産品店にこんなのがズラズラ並んでたら狂喜乱舞
喜びの舞を

大好きな居つきモノです


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なんか、名刺大の古い木の札みたいなモノ↓

きっとどっかで拾ったんだと思うんだけど
いつとなく、手でぎゅしょぎゅしょしてたんで良い艶が

うう、すげえかっこいくない?



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みつだから買ったみつだみたいな河童↓

こんないじわるそうな人形、どこ探したって見つからないけど
ちゃあんと、みつだんちにわ、あったんだねえ
でも、河童はいじわるそうでなんぼだでね

いい河童です。



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イカ、きっと次回



2009/2/15

居つきモノタチ〜もっと  








*****



鉄人25号とあやしい怪人↓

古いものじゃあありません。
友人の古いもん屋さんがオリジナルで商品化したのを以前、お見舞いで頂いたモノ。
わたくしのツボを良くご存知です。


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これが商品化された時点でひとつの歴史の頂点が↓

って感じです。
なんでも1970年の万博関連グッズと記憶してるんだけど、ちがうっけ?
これなら家に100個あってもいいのだけれど。


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かえるシンメトリーな様式美↓

ルネッサンス以前のイメージがふつふつと湧きだすこのバランス感覚はまた、昭和の懐かしさでもありまする。
瀬戸って不思議。


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へんなもん代表評議会会員↓

30年〜40年くらい前の多分シリアルかなんかのオマケらしい。
変態のあめりかじんから随分前に買いました。
そいつわこんなものをいっぱい集めていて、いつもうひょうひょ言っていました。
・・考えればわたくしと寸分違わんがあ


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HASEくんにもらった尻尾猫5匹↓

尻尾が角にひっかかってこんな具合になるわけで、だで、どう?ってなモノ
すぐ壊れそうだし、なんとなく邪険に扱っているんだけど、どおいうわけか壊れない。
相性ってもんがあるのだろうか?



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イカ、たぶん次回






2009/2/14

居つしきモノタチ〜あれこれ  






◇今日も今日とてぐ〜たら日和。

気分わもう、へとへとっす。


****



わけのわからん赤ら顔なもの↓

赤ら顔のイカ?
ぺんぐいん?
いずれにせよ、たまらない存在感であります。こおいうモノを探すためにわたくしは在るのかも知れません。


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なんとか族がこさえたチビ神様↓

2センチくらい。
ほんまもんのなんとか族(インディアン)の民芸品。
古いものじゃありません。
知り合いの見た目なんとか族みたな大阪弁の日本のごっついおっちゃんが、なんとか族のとこで買い付けてきてるのを買いました。
でっかい神様も扱っているけど、これはすげえちっこいからいいのです。


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耳なしだけどほういちでわないぶるぶるブリキねこ↓

いかにも2足歩行かと思わせブリですが、ぶるぶるするだけです。
ぶるぶるするとすずがぎゅりょぎゅりょと鳴ります。
すげえ古いからそんな音です。
全体がころんとしてて、ちっこいので、いいです。


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ぶたをパートナーに仕立てるもしょせん無理がある踊り子↓

イベリコでしょうか?この金のぶた。
踊りはなしくずしにへにょへにょしているようで、もはや踊る、という目的が、パートナーに逃げられない、というそれに変わっているようです。
なんでこんなものが世の中にわ在るのでしょうね。


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いかにも芸術好きなクロネコですが、なにか?↓

あちこちの曲線がもう、あ〜と、あ〜と、しております。
よくわからないのですが、なんか、こう、文豪、って感じも漂っていませんか?


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イカ、まだ、次回



2009/2/13

居ついたモノタチ〜いろいろ  居つきしモノタチ




◇今日も今日とて、あいもかわらぬぐ〜たら生活。春わまだかしら?



****



スキーなこけし人形ペア↓
半世紀前のカップルにして、なんとも、優雅、優美、でわございませんか。
この類を見つけたときの喜びはちょいと、格別なものがございます。


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おフェルトな恐竜↓
ちゃっかりめいどいんウエストじゃあまにいなブランドもん。
そこそこ年代もあり、怪しげながらの手のひらサイズ。
にょろんとしていい感じ。
いろいろな種類がシリーズで存在しそうですが、我が家に居ついているのわ、この水玉ディノだけ。


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キツネ面少女わ、実にいぶかしげな表情にて↓
ちっさいちっさいお人形。
いやはや、次元の違う妖しさで、ドラえもんすら、おてあげだそうです。


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ねずみ〜マウスのミニライター↓
オイルライターは今や老いるライターって、ああた。
この手の時代ものは間違いなく、日本製。
パテント無視でおおらかグッズ。よきかなであります。


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おいおまえ、はいあんたQP↓
ビスクなこれらわ、日本製。
もちろん、同様のドイツなモノはさらによい出来ですが、この庶民的な廉価版がわたくし好み。
ああ、ひたすら半世紀余抱き合いしカップルの行く末やいかに


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イカ、さらに、次回



2009/2/12

ぐ〜たらと居つくモノタチ  居つきしモノタチ



◇まさにぐ〜たらな日々が続く。もう、10日にも15日にもなるやも知れぬが、なんせ、ぐ〜たらゆえ、そこらへんすら、よおわからん。

怪しげな微熱やらも続く。
元来、精神が弱いので、なにやらあると、つい、ぐ〜たらする。
ぐ〜たらしとけ、ぐ〜たら。と、ぐ〜たらのささやきがぐ〜たら界え、誘う。誘われる。

家の中でぐびぐびとぐ〜たらしていると、やたら目に付くモノタチが在る。
なんだか、我が家に居つくモノタチだ。

こいつは↓イカ大王だっけ?
がちゃだな。がちゃだ。
イカは一番がハナイカ。2番があおりイカ。
イカ大王は特にあれだけど、こうして居ついている。

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なんだっけ?↓体がバネでびよんぼよんする、インディアン?
随分昔から居ついている。
びよんぼよんするバネのところに、なんかはさんでやると本来の願いが達せられるのだろうけど、はさんだことわない。
持ち上げて下を掃除する時、びよんぼよんするのだが、ち、邪魔な動き、とか、思ったりする。ので。ちょっと申し訳なく思うこともある。

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ひょうたんを抱えた子↓
ちいさいちいさいふるい土人形。なかなかどうして、ひょうたん的な存在感は捨てがたく、周囲の狐とか、モノノケの類に睨みを効かせている。


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その辺でにらみを効かされている狐↓
昔のお稲荷さんのお土産だけど、気が利いて、かつ、いかしている。
こんな気が利いたお土産を今や、どこに行っても見かけることわない。
ぐ〜たらもしたくなる訳である。


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しりみたいな頭のロボット↓
80年代くらいの食玩のおまけっぽい。
同じものをいっぱい並べたくなる、典型的な居つきモノ例。


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イカ、次回






2009/1/30

学んだこと、か? 追記  





◇ここにきてやっと、地球の静止する日/キアヌ版リメイクを観た。

なんだか時期も時期、オバマさん、出番です!みたいな思惑があったんちゃうか?って感じたのはおいらだけかしら?
ま、それはともかく、キアヌがある場面で死について一言、ぼそって語るのだけれど、ちょっとばかし、くらっと、きた。
「宇宙では厳密に言うと死はなくて、ひとつの変化だ。」ってな感じでゆうたと思う。

いいでわないか。
実に。
オセロ的で。

魂とか霊とか、そおいうスピリチュアルに具現化(って表現もおかしいけど)したものじゃなくて、もっとこう、宇宙って感じ?
そのあたりで、生とか死とか、あんまり関係ないんじゃないの?っていうざっくり感が、いい。

できればちょっとお茶して、もうちょいとそのへんのこと、聞きたかったんだけど、キアヌも急がしそうでばたばたどっかへ帰っちゃって。あとはオバマ?みたいな。

死は変化。
または、生そのものこそ、ひとつの変化かも知れんがあ、って、ちょっと思った。


********



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2009/1/27

学んだこと、か? その3  




◇と、まあ、そんな感じでやってきて、3年。

さて、おいらはここんとこ、ちょっと心情に変化がある、と書いた。
結論から言えば、あれほどはっきり意識の中で分断され、忌み嫌っていた自らの死についての心情の変化である。
それはまた、生きるべき思いの変化であるのかも知れぬ。

いずれにせよ、

死は、そんなに悪いものでもない、

という思いが、もこもこしてきた。
そも、そおいう類の書き物なんかは以前から読んでいるし、一般論としても、ひとつの考え方の見本だし、自分の中にまったく芽生えてなかった考えでもないのであるが、なんていいますか、こう、すごくちゃんと、ああ、そうか、って解かったっていうか、しっくりきた感じなのだ。



チップはひとつ。

次元の違う裏と表。
表裏一体の生と死。


例えば、今、おいらは訳あって生の側で生きている。
で、そこは永遠として生の側で、生の側にいる以上、そこに自らの死は、ない。
ま、言い換えれば、死を感じることはない、とでもいいましょうか。あ、死んでる、って感じることは、ないわけだ。
生まれてくる前のことも知らなければ、死んでからのことも知らないわけ。
で、生の側にいるゆえ、自分の死は、ない。

ところが、いくら知らない、死はない、そんなもん、ないないとえばってみても、実際というか、やっぱり、ちゃあんと死ぬわけでして、そこが、実に、不思議というか、おもしろいところなわけ。
はて、なにが面白いかといえば、ここでも、いくら次元が違うとか、裏とか、表とか、死だとか、生きてるとかゆうても、やっぱ、チップはひとつだけなんで、やや、生も死も、それは実は、ひとつだった、っていうのをあらためて認識して、面白い。
面白いなあと思えば、死への思いも変わる。これも言い換えれば、楽になるというか、あんまり気張らなくなる。
やがて、そんなに悪いものでもない死、が、もこもこ完成だ。


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****


さて、でわ、なにゆえ、そのような変化が生じてきたのか?
簡単に言えば、3年の月日だ。

3年。
くどいようだが、あおりいかの一生の3倍。

3年の間には近しいがんの友人、知人、向こうは知らないけどおいらは知ってる有名人等など、随分な死が、あった。
がんだけでも、これだ。
死、だけを考えれば、それはもう、莫大なものである。
でわ、その死は、すべて、いうところの敗北なのか?
違う。断じて、違う。
死は、敗北なんかじゃ、断じてないのである。

おいら、52歳でがんになった時、今死んだら、残りの人生、どうしてくれる。おお?
って、思った。
とってもじゃないけど、この歳で、死んどれん。って思った。と書いた。

でわ、勝手に残りの人生、って頭の中で割り出したのは、何故だろう?
年寄りがいっぱいな世の中。
人の平均寿命80歳前後。
きんさんぎんさん。
等。

池田晶子のエッセイに、『平均寿命ってあるけれど、平均寿命のとき、人は死ぬのではない。たまたま、死んだ歳がその人の死んだ歳だ。』みたいな話があった。こおいう書き方ではなかったかもしれないけれど、こおいう意味だったと思う。
実に、爽快だ。
目からうろこ、尻から肛門だ。

人は皆、たまたま、死ぬのである。
たまたま100歳で死ぬ。
たまたま50歳で死ぬ。

たまたま、死んだ歳が、死んだ歳であって、人は皆、それぞれなのだ。
決して、平均寿命で死ぬのではない。

なのに、なぜか、平均寿命を余命のように、そして、そこまで生きるのが100点のように、思えてしまう。
おいらだって52歳で死んでしまうのが、他の人に比べ、もひとつ、自分自身としても、なんだか、すごく損をしているような、そんな気分であったわけだし。

思うのだ。
もし、そのとき、おいらがそこらですぐ死んでしまっていたら、ただひたすら生きる願いが、本当はひとつであるはずの分断されてしまった死をひたすら恐怖し、排除し、でも、やがて侵されてしまう現実になんとも、やりきれない思いでいたに違いない。
それは想像しただけでも、とても、悔しいし、哀しいことではないだろうか?



この3年。
いっぱい考えた。
ひまなので、そおいうことかどうか、よくわからんけど、いっぱい考えた。


ひょっとして、おいらは52年間、全然、十分、満足に生きたんじゃなかろうか?
それって、すごく、人生、十分じゃなかろうか?
決して、これって、人生足りないってわけじゃないのじゃなかろうか?
あと、何年生きられるかわからないけど、それって、実は、ここまでのおまけの生ではなかろうか?


って。
考えた。

すると、

自分はいつまで生きられるのか?
自分はいつまで生きたいのか?
自分はなぜ生きたいのか?

が、あんまり重要課題じゃないような気がしてきて随分楽になった。




生も死もチップはひとつ。
死は決して敗北なんかじゃない。
おいらはここまで、十分、生きた。



そのシンプルな思いは近しい人の死をも優しく包んだ。



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******


おいらは子供の頃から、死がとても怖かった。
小学一年生のとき、自分が死ぬとどうなるのだろう、って多分、初めて真剣に考えて、おんおん泣き出した記憶が鮮明にある。
まあ、おしょうさんになったわけでもないのに、そんな怖がりなおいらが、死について、あれやこれや考えてるってえのも、実に妙な具合である。

とりあえず、今は前ほど死が怖くない。
いつ死んでもよい万全な覚悟ができたんとわちょっと違うし、日々の心の微妙なぶれだってあるのだけれど、それでも、まあ、どのあたりで死のうが、なんでおれがここでええ、と、のたうちまわることはあるまい、と思う。
損した、と思うことも、きっとない。

あおりイカの生き方にはまだまだ程遠いけど、あの世でなんとか(あおりイカに)いじめられずにすむかもしれないような、ちょっと、そんな気がするのである。




      学んだこと、か?    おしまい






2009/1/26

学んだこと、か? その2  




◇筑紫さんの手記には、こうは書きたく無いのだけれど、でもやっぱり、がん患者でしか解かり得ない部分が、ある。と、思った。
日々の心の微妙なぶれ、である。

日々の心のぶれ、は多分、誰にでもあると思うけれど、この「微妙な」という部分が、自分的に如何ともしがたい思いであり、この、微妙こそが、まるで震度計のみが僅かに感ずる地震、そして、その微細なる揺れを描き止めし記録紙に在る線のつながりの如く、それは実に極小ではあるけれど、長くどこまでも常に振幅する特有な「ぶれ」を意味するのだ。
例えば、善意の第三者による「元気そうに見えるけど、どうですか?」「もう、きっと大丈夫ですよ」って声に、ああ、本当にそうです、どうも有難う、って思うことができないのも、この微細な振幅によるのかもしれない。
「元気そうに見えるかも知れないけれど、これで大丈夫なのかどうか、自分がなんにも、わからんから困るのががんなんです。わからんこと。そこがなにより、一番辛いのです。自分はどうですか?とこっちが聞きたいわい。」ってことを実わ、こっそり思ってる『死と生を行き来する極小な振幅』が、常に、在る、から。

そんな小言みたいなことを筑紫さんは一切、書いてはいない。
書いてはいないが、日々続く小さな振幅。死と生の振幅。おれは大丈夫なのか?がん患者ゆえ真摯に伝わるこの振幅は果たして、とても、切ない。


自分はいつまで生きられるのか?
という自問は、また、自分はいつまで生きたいのか?にもつながる。
それは、また、自分はなぜ生きたいのか?にも。


筑紫さんのこころもまた、これと同じフレーズを自問していたように、思えた。
答えを導き出す自分のこころは死と生の振幅に煽られ、やっと搾り出したギリギリの答えにも、疑問符がつく。

そして。
振幅は、止む。


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********


不安が終わるのはその不安が実際、来た時だ、という。
死と生の関係にもそんなニュアンスが含まれているのかも知れない。


********


おいらは今、55歳。
52歳でがんになった。
そのちょっと前、それまでの仕事にひと段落をつけて、違う何かをしようと決めていた。
自分が好きなことが出来る時間をちゃんと持って、なにかをしようと、考えていた。
そのために、ハードワークもこなしていたんだと。
もうちょっとだ、って思っていた矢先。
そこで、がんになっちゃったんで、え?なんで、ここで?
と、なりますわなあ〜ふつう。


当初、とにもかくにも生きたいと願い、そしてそれを願えば願うほど、相対しての、死、が意識の中に芽生えた。
どんどん芽生えた。どんどん防虫、である。

それはまるで、生と死が、白と黒で対峙するオセロゲームのように、だ。
白優位、そして、黒優位で、ゲームは進む。そんな感じ。

オセロのチップって当たり前だけど白のうらは黒です。
その裏と表の、とても近しいはずの白と黒は、でも、ある意味、存在の次元が違うんじゃないかと、思う。
つまり、白側はずっと白だし、黒側は、永遠に、黒。
あいまみえることは、ない。

とわいえ、チップはひとつ。

イメージの中でゲームは進み、なぜだか、最後は必ず全面が真っ黒になって、終わる。黒の勝ち。


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********



ゲームの終了は死。

意識として、黒優位を嫌い、負けてなるものかと奮う。
結果、生きたいと願う心は、どんどん芽生えるー死、を負のハイエンド(?)と認識することになり、それは死を出来る限り遠ざけたい、あっちいけ、あんたなんか知らん、無視無視、ぺっぺっぺ、ってな具合に、確固たる死との境界を、意識として持つ。

かくして死と生は、自らの意識の中できっちりと、分断されてしまう。
さらに、その意識は進化して、死は敗北、の意味を持ち、果たして、生きるべき思いは、生に、全力でアタックすることになる。


  とわいえ、チップはひとつ、


             つづく





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