以前テレビで無駄な公共事業の特集で取り上げられていたが、道路としてみるのでなく、雄大な自然のなかで、日本の四季を感じることができる展望台としてみれば、存在意義のある施設ではないかと感じた。

新緑に 映りし湖水 さんざめき こいのぼり舞う 竜神の谷

伝説の 竜が渡りし 峡谷に 人の挑みし 天空の橋
世界遺産であるエジプトのピラミッドは、失業対策の公共事業だったという話は有名だ。
ネオコン的機械的合理性でみれば、非合理な無駄使いの産物であるピラミッドも、文化的には、未来に引き継ぐべき貴重な世界遺産である。
無駄をなくすことが、究極の正義のように語り、あらゆるものを、機械的合理性で評価する、”デジタル馬鹿”人種が増殖しているようだ。
だが、機械的効率優先でみれば、個の死ひいては地球消滅により、究極には無に帰結するという結論が見えている人生を、わざわざ回り道して生きるという”効率主義者の自己矛盾”をどう単純明快に論理的に説明できるのだろうか?
ある面では無駄とされるものも、別の角度から見ると、こころの豊かさにつながるものだったりする。
明快な答えが存在しないからこそ奥深い人生を、単純明快な偏狭な正解におしこんでしまっては、どんどん場違いの地点に到達してしまう。
それなのに、安易に正解を決め込む、アメリカンな人間が多くなったのは、残念なことだと思う。