「私は新しい洋服が大好き・・・・・・だけど古い洋服は、ほんとうに嫌なものだ・・・・・・私たちはいつも古い洋服は捨てる。つくろうより捨てる方がましだ・・・つくろうより捨てる方がましだ・・・」オルダス・ハックスレーの「すばらしい新世界」で眠っている子どもたちに柔らかな声で暗示を与える睡眠時教育の専門家。
[...]ハックスレー氏が、六世紀後に想定した恐ろしいエピソードでは、赤ん坊が瓶のなかで製造され、ゾーンビー(西アフリカ土人や南部アメリカンインデアンが崇拝するへび神)のような市民が、麻酔薬をかけられて、天国のような気持ちで歩きまわっている。工場の機械が休みなく運転するように、市民の一人一人は「一年間にきまった分量の消費をすることが強制」されている。そのためには、新しさという徳性がたいせつにされる。そうして、「将来の供給に、将来の需要を適応させる」という責任を負わされている睡眠時教育の専門家が、新しさへの愛情ということを強調する。ユートピアの独裁者、ムスタファ・モンドは、あるところで次のように説明している。「われわれは、人々が古いものにひかれることを欲しない。彼らが新しいものを好むように望んでいる。」
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機能の廃物化―よりよい機能をもった、新しい製品が導入されて、現在の製品が流行おくれになる場合。
品質の廃物化―比較的短い時期に、ある時点で、製品がこわれるか、あるいは消耗してしまうように計画する。
欲望の廃物化―品質、あるいは機能の点で、まだ健全な製品が、スタイルその他の変化のために、心理的にそれ以上望まれないものとして「古くなる」。
[...]数年後にだめになってしまうか、あるいはみっともなくなるようにデザインすることによって製品を廃物にしてしまうテクニックは、製品の効用をも制限してしまった。計画的な品質の廃物化の効用にこのような限界があることは、製品を廃物化するための別な方法をマーケターたちに考えさせるようになった。数多くのマーケターたちは、やがて、もっと応用範囲が広く、しかも安全なやり方は、製品について、その持ち主自身の気持ちがそれを廃物化にもっていくということであった。製品がまだちゃんと役に立っているにもかかわらず、それを持っていたいという欲望をなくしてしまえ、それを流行遅れの、見るからに「モダン」でないものにしてしまえ、ポール・マジュールが指摘したように、「品物の効用が損なわれていなくても、そのスタイルがその価値をまったく破壊することができる」のである。理想的には、このような廃物化を所有者の心のなかにつくり出すのに、実際より役にたつ製品を提供することがもっとも望ましいことはいうまでもない。しかし現代の急テンポなマーケティングでは、基本的に、ほんのちょっと新しいものでさえ提供できるのは非常に稀れなことなのだ。メーカーは、なにかほんとうに改良された品物を作り出すまでに、ゆっくりと時間のかかる機能の廃物化を待ってるわけにいかない。あるいは待てないと思っている。そこで、彼はとにかく、なにか新しいものを提供しようと心がけ、公衆が新しさを改良と取り違えることを望むということになる。
[...]色彩研究所のマーケティング研究者、ルイス・チェスキンは、アメリカの製品にきわだった改善がおこなわれないことについて、遠慮なく発言している。知的な観察者の一人である彼は、「大部分のデザインの変化は、製品を美的に、あるいは機能的に改善するためにされるのではなくて、それを廃物化するためにされるのである」といっている。またチェスキン氏は、道徳的な良心に関する限り、品質の計画的な廃物化と、欲望の計画的な廃物化を区別することが重要であると考えた。彼は、品質を計画的に廃物化することは、反社会的であり、危険であるとしてこう非難する。「われわれは、二年から三年たつとこわれてしまうような家庭用品を、実際製造している会社を知っている。ところがそれは一年たたないうちにこわれてしまったのだ。これは社会にとっても悪いことである。」
しかし、その一方、彼は欲望の計画的な廃物化、あるいは「心理的な廃物化」は、「それが富を再配分するという理由で、社会的に許される」と結論してもいるのだ。
(ヴァンス・パッカード『浪費をつくり出す人々』訳:南博、石川弘義、1961年)