片手の輪郭を描いた図が曖昧なものだということを認識している人は殆どいない。それが掌から見た左手なのか、それとも甲から見た右手なのかを明言するのは不可能だ。このような簡単な図と直面していてさえ、[…]情報の予期せざる欠落にびっくりさせられるのである。こうした曖昧な手は、わたくしたちの経験の埒外にあるもので、しかもいかにも本当らしく思えるのであってみれば、自分の手をよりどころにして、手をイメージと突き合わせ、その曖昧さ加減を確信するまで、左右両方の手をかわるがわる投射してみなければなるまい。こうしてみてはじめて、わたくしたちが最初にとった読み方というものは、およそ偶然の極みであったと認識するに至ると思う。一旦なされた投射を引き離すためには、二者のうち片方へ切替えなければならない。曖昧な表現方法をみる方法はこれしかないのである。
[…]再現はつねに二路開閉器なのであって、ひとつの読み方からもうひとつの読み方への切替えの仕方をわたくしたちに教えることにより、再現は橋渡しをしているのである。[…]曖昧さというものは、これこれしかじかというかたちでは見られない。ひとつの読み方から別の読み方へと切り替えることを学習し、そのいずれの解釈も等しくそのイメージにぴったりと適合すると実感することにより、はじめて曖昧さに気づくわけだ。
[…]興味深い点は、わたくしたちの下す解釈の柔軟性よりもむしろその排他的な性質である。
(E・H・ゴンブリッチ『芸術と幻影』瀬戸慶久訳)