私たちの学校を含めて多くのビジネススクールでは卒業時に大学に寄付(クラスギフトと言う)をする慣習がある。日本なら入学時に半ば強制的に「寄付金」が取られていく仕組みだと思うが、我が大学では「あくまでも学生主導の寄付」という位置づけでありながら「目標は卒業生全員から1人平均$1,000の寄付を集めること」という若干矛盾した活動となっている。さらに、その寄付、今週までに全学生に『卒業後3年間で○ドル寄付します」という誓約書を回収する予定になっている。なぜこの活動が半ばむりやり推し進められているかというと、学校が寄付金を活動資金としてあてにしているだけだからではなく、このクラスギフトの参加率(何%の学生が寄付をする誓約書に同意したか)が卒業生の愛校心を計る基準として用いられ、他ビジネススクールとも比較されてその数値が学校のランキングなどに用いられるから。ただ、目的が先行しすぎて、本来の「寄付」という慈善活動が商用的なものと捕らえられてしまう風潮もあり、学生間で大きな議論が起きている。
このクラスギフト、上記に挙げた色々な背景や因果関係は抜きにして、単に「卒業生が学校に寄付をする行為」と解釈した場合、私はその趣旨に大きく賛同する。たとえ数百万円の学費を毎年払っていたとしても、この学校にお世話になったことは確かだし、就職が決まった今、「ありがとう」の気持ちを込めて自分にできるだけのことはしたいと思う。さらに我が大学が州立大学で他の有数の私立校と比べると運営資金が逼迫していることを考えたら、私の寄付で学校が良い教授を引っ張ってきたり、学校内の環境を整えたりして、さらに良いサービスを提供できるようになればよいと思っている。だから今学期から始めた1時間10ドルの教授のアシスタントバイトの収入計10万円をクラスギフトに充てても良いか主人にお伺いととったところ。彼も「趣旨がよく分からないけど、○○がそうしたいなら、○○が稼いだお金だし寄付したら」と言ってくれた。
かくゆう私、寄付に賛同するなんて公言したことは一回もないのだけど、友人が多いことが幸い(不幸?)にして「クラスギフト委員会」の委員になった。委員といっても、突然「おめでとう、あなたはクラスギフト委員に選ばれました」というメールを受け取り「あなたはこの○人を担当して、2月23日までに担当する人から誓約書を回収してください」と突然ノルマみたいなものを課せられるという、極めてわけが分からないもの。クラスギフト委員長が一生懸命やっている手前、協力することにしたが、「学生主導の活動」と言いつつクラスギフト委員長の後ろには学校の影が見え隠れしてしているし、何がどうなっているのか情報もないので、何を根拠に何をしてみんなから誓約書を回収して良いのかも分からない。だけど毎日「あなたの担当者はまだ誓約書を提出していません」というメールが送られてくるので、とりあえず私が「担当してる人」に授業であったら「よろしくお願いします」と頭を下げるのが私の日課。。。とりあえずクラスギフト委員として協力すると言った以上は、やるべきことを一生懸命やろうと思っている。そして、何とか学校のためにと、担当している人たちに「なぜ寄付をすべきか」「クラスギフトはどういうものか」わかっている情報に基づいて寄付をお願いしている。一方で、「担当」をしてる学生からは当然のことながら、沢山の文句が寄せられる。ファイナルウィークで宿題だけでもままならないのに、ここ24時間以内に5スクロールくらいの長いメールを10本以上受信し、クラスギフト関連のメールを20本近く送っているのだから、さすがの私もちょっと閉口気味・・・。
そのメールの内容の主なものは「みんなが喜んで寄付できるようにするのが委員の役割で、半強制的に寄付金を募るのは良くない」という意見や「もっとうまいやり方ああるだろうから新しいプロセスを提案する」といったようなもの。多くの意見、確かにまっとうだったりするけれど、みんな「学生主体の寄付」のはずなのにあたかも傍観者。もし本当にプロセス改善したいのならば、「私が委員なりこのクラスギフトキャンペーンの学校代表者に意見を上げるので、是非プロセス改善の指揮をとってみては?」というと「これはあなたたちの問題で私の問題ではない」と言う。結局は、すばらしい理想像を人に押し付けて自分で責任を取る気はさらさらない模様。
今回の件に限らず、会社や組織の中で似たようなことは多い。現状のやり方やシステムが完璧ではないけれど、なんとかその状況で目標を達成しないといけないこと(企業なら競合より良い製品ではないかもしれないものをなんとか売って経営資金を手に入れなきゃいけなかったり、政府なら現状の法律で物事を決めていったり)は数多くある。また、そのやり方が極めて良くても、すごく良くなくても、文句を言う人、すばらしい論理と理想に固められた意見を言う人は必ずいる(企業なら「それなら競合より良い製品を作れば良いのです」という人がいるかもしれないし、政府に対しては「新しい法律を作れば良い」と言う人もいるだろう。そもそも多くのマスメディアは傍観者として色々なことに口だけ出すのが仕事のようなものだし)。だけど、現実にはそんな理想に塗り固められた方式を採用する前にしなくてはいけないことも多い(企業なら「その製品開発費を捻出するために今はこの製品を売るしかない」のだろうし)。
私は時に立ち止まって、本来のあるべき姿を探求し、自分が納得し多くの人が賛同するものを追及していくことはとても大事だと思う。それが現実の社会でうまく形になるかは別であっても、自分たちが進むべき道を見定めること、理想を形にしようとすることは重要だと思う。また、文句であろうが褒美であろうが、他人の意見に耳を傾け、改善する努力をすることも欠かしてはいけないと思う。しかし、一度その方向性が決まってしまった以上は、決めた方向で最大のことをすることのほうがずっと大事だと思う。もちろん、「軌道修正」できるようにプランBを最初から作っていったり、時に振り返る余裕を持たせておくことも大事だろうけど、決まってしまったら「現状でなんとかしてみせる」という行動力のほうがきっと大事なのだ(ちなみに、先学期の授業で「戦略立案と戦略実行」のクラスでも「どんなすばらしい戦略を立案するよりも、どんなにダメな戦略をすばらしく実行するほうがずっと重要だ」というのがあったけどまさにそのとおりだと思う)。
私は自分が納得して色々なことができるのが理想系だとは思う。また、全ての人にも納得してもらえるように行動できるようにできるならそれに越したことはないと思う。でも、もし企業なり組織の一員として根本的な趣旨に賛同した上で「そのためにはこれをするしかないのだ」という状況であるならば、その現状でベストを尽くせる、なんとか頑張って行動に移せる人でありたい。口は達者じゃないけれど、手と足は人並み異常に仕事ができるほうが、口先だけの人よりも私はすごいと思う。