2006/2/1
先日の記事について誤解を招くような表現があったので訂正させていただきます(記事は削除しました)。
京大生3人が女性2人を強姦した事件について。
この事件に関わらず、似たような事件が頻発することは残念だし、今回の事件もやはり同じ女性としても憤りを感じます。被害者の女性にも少なからず非があったとは思いますが、加害者の男性が全面的に悪いと思います。なので事件を起こした人をかばったり女性を非難するつもりは毛頭ありません。
ただ、疑問点は「警察は加害者の男性が『女性を襲おうと思ったのか』を追及している(特に被害者が出ていない鍋パーティーにおいて「参加者の女性を襲おうと思ったか」を追求している)」と報道されていたことです。この事件については「襲おうと思った」=「計画的な犯行だったか」ということだと解釈すべきなので、誤解を防ぐためにも深追いをすることはしませんが、これをこの事件に直結させずに考えた場合、「〜したいと思う」ということを「計画」とみなしてよいのでしょうか?
私は「計画」とはある目的を達成するために物事を推し進めて最終目的を達成することだと思います。したがって、計画は最終目的を実現するための具体的・現実的なステップと考えられると思います。一方で、心の中で「〜したい」と思うことは単なる欲求・想像に過ぎず、「現実の世界」のものではないことが多いと思います。おそらく「計画」と「想像」の間にあるものが「意図」で、かなり具体的にその気持ちを実現しようと思っている状態と言えるのではないでしょうか。また、欲求はあるけれども実現させてはいけない場合に自分の心を制するものが「理性」だと思います。欲求が発端になって「計画を立てる」場合も多いと思いますが、「欲求」=「計画」ではないのは明らかだとも思います。
私も幼少期にお小遣いが足りなくて、母親のお財布からお金を抜き取ってしまおうかと思ったことは何度かあります。でも実際に盗みを働いたことはありません。
もし私が警察に「盗みを働こうと思ったことはあったか?」と聞かれたら「あります」と答えるかもしれません。実際に「盗もうと計画したこと」も「「盗んだこと」もないので、私は「シロ」のはずですが、「そう思ったこと」=「窃盗の意図があった」=「計画しようとした」と解釈されたら、私は「灰色」に近い色なるような気がします。従って「思うことと」「実現させるために計画すること」を区別することは非常に重要だと思うのです。それがたとえ「言葉の絢」というものだとしても、警察であっても誰であってもその人が「何を思っている/考えているか」ということを根拠にその人がどのような行動を取るかを類推するのは、時に正しくないと思うような気がするのです。
私が事件と私の考えを関連させたことは非常に良くなかったと思うのですが、この事件を全く考慮に入れないとしたら「〜したいと思う」ことは個人の自由なのではないでしょうか?誰が何を思おうと、それを行動に移さなければ(また考えたことを胸の内にしまっておけば)、それは誰にも邪魔されない領域なのではないでしょうか?
事件に関して言えば、強姦は明らかに犯罪で、それをさらに計画したのだとしたら罪は重いと思います。「強姦することを想像するのは自由だ」とは言えないですし、普通の人は普通の生活を送るためにも極端な想像をすべきではないとも思いますし、たとえ「想像の世界のこと」だとしても他人を蔑んだり罪を犯すことを想像する自分に羞恥心を感じる気持ちがあるべきだと思います。一方で誰が何を考えようと(考えるだけなら)自由なのも確かだと思います。
昨日の記事については、以上の点で説明不足だったな、と反省しています。
そして最後に、この事件については「このことを考えるきっかけ」になったので、その点説明をさせていただければと思います。そして同じような事件が再発しないようにと思っています。
問題を提起してくださった「るるさん」、ありがとうございました。
私自身が事件と考えとをいっしょくたにしてブログに書いたことは誤解を招いても致し方なかったと思いますし、そうでなかったとしても議論が分かれることなのかもしれませんが、まずは昨日きちんと説明できていなかった点について訂正・補足させていただきました。

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投稿者:あーそ
性犯罪で男女が分かり合えないのは当然。やる側とやられる側の違い。ただ被害者に非がある云々が論じられて、じゃあ犯罪にあうのは仕方ないね被害者だって悪いんだもん、なんて言われるのは性犯罪だけだね。男は元来レイプ願望があるらしい。じゃあ男がレイプするのは仕方ないし、防げなかった女が悪いよね。男ってその程度のもの。年中発情してるから。猿以外。
投稿者:住人
ららさん、Tさん、ありがとうございます。
返信が遅れてすみません。
ららさんのおっしゃるとおり、誰も人を傷つけていい権利もないし、強引に傷つけられて良い人もいないと思います。
一方でTさんもおっしゃっているとおり、誰もが「自分が傷つけられないように自分を守る」責務もあると思います。そしてもし私がそれを怠って自分が傷つけられたとしたら、自身の不注意を責める必要があると思います。
本事件については、詳細が分からないのでこれ以上被害者・加害者については述べるのを控えますが、その点ではららさん、Tさんともに同意権なのではとは思います。
私のそもそもの書き方が悪くてすみません・・・。
投稿者:T
別に被害者を責めてるわけじゃなくて、世の中には変な人いるから自分でしっかりきをつけないと知らないよってこと。レイプされた後に吠えたって取り返しつかないでしょ?訴えて相手刑務所送ったからっていって心の傷が癒されるわけじゃないでしょ?
ほんとに頭のおかしい奴はいるんだから。
投稿者:らら
住人さん、記事をありがとうございます。
今回私が少し「?」を思ったのは、被害者の非を認めるということ=その分加害者の犯罪を正当化する
(被害にあって当然だ、しょうがない)事になりますよね。この過失相殺はどうなんだろうと思ったんです。
殺人、強盗、色々な事件がありますが、基本的に、誰も殺されていい人、強引に傷つけてられていい人はいないと思うし、また誰も誰かを傷つけていい権利を持っていないと思うんです。
逃げられたのでは、行かないこともできたのでは、というのは後からいくらでも言えます。
今回に限らず、「たられば」はどんな事にも付き物です。恐らく、様々な事件の多くの被害者が誰よりも一番「たられば」を考え、一生後悔して、心に傷を負って、時計の針を戻せるなら、どんなに戻したいことでしょう。
今回の事件では、詳細はよくわかりませんが、男女複数で密室にいるという状況はよくある事で(お酒の席でいえば、飲み会の貸切の個室、カラオケボックス、友人宅等、また普通の席でもしかり)、そこに行った人に、そこで酔ってしまう人に非があると言われればそれまでですが、誰にでもこういう状況、一度や二度はあるのではないでしょうか。
3人のうち1人は帰れた訳だから、残りの2人も帰れたはずとは言っても、事件が起きてみればそうですが、普通の状況で、パーティの途中いきなり女子全員が帰ることが出来るでしょうか。
もしかしたら、犯人は計画的で、3人では多いから2人になるのを待っていたのかもしれません。
泥酔させるのも計画の一部だったかもしれません。
ゲームのノリがよくなってきた所で、止められるでしょうか。白けるかもしれないし勇気がいると思います。
私が思うのは、被害者の非を周りがとやかく言って、被害者を更に傷つけるのは止めたいと思うのと、被害者の非によって加害者の正当性を認めることになるのは悔しいです。
キレイゴトなのかもしれませんね。
纏まりがなくなってしまいましたが、被害者をこれ以上傷つけるのは可哀相でならなかったので。
ただ、勿論自分の身は自分で守らないといけないので、あらゆる事態を想定して、できる限り自分を守っていかないといけないと思います。世の中自分の理解を越える人が沢山いますから。
そして、危険を感じたら勇気を持って行動を起こすことが大事ですよね。
投稿者:住人
Tさん、私も法律的には「全面的」だと思います。それは法律は弱者を保護する要素が強いからで、もし私が被害者の立場で「自分の責任」を問うとしたら(状況が分からないのでなんとも言えないですが)20%くらいは自分に非があることを認めざるを得ないような気がします・・・。
3人中被害に遭わなかった1名が先に帰っていることを鑑みれば、女性の意思次第でこの事件は回避できたわけですし、そもそも泥酔するような状況を作り出した責任の一部も、女性側にあるかもしれないからです。
どういう状況で事件がおきたのか分かりませんが、同じ女性としては、服装や態度で男性をその気にさせるようなきっかけを作らない、泥酔するなど隙を見せないなどというのが大事なのだろうと思います。
一方で男性も一時的な欲求解消やお酒の勢いに任せてこういう行為にいたることが犯罪で、それが人生をフイにすることにも繋がるということをしっかりと認識すれば、こういう事件を減らすことが出来るのだと思います。
投稿者:T
ほんとに加害者が全面的に悪いんでしょうかね?法律的にみればもちろん加害者が100%悪いとなってしまいますが、実際には被害者にも非はあるかもしれません。男の家にいってぐてんぐてんになるまで普通の女性は飲みませんよ。よっぽど信頼のおける仲じゃないかぎり。襲われたくなきゃ夜中にセクシーな服で外に出るなっていうのと同じ。世の中変な男はいっぱいいるんだからそれくらい注意しなきゃいけないと思う。もちろん変な男は排除されなきゃいけないんですが。