2006/2/15
MBAで必要とされる資質のひとつに「論理的思考能力」というのがある。私ももちろん教科書上での「論理構造」とかは理解しているし、外面は良いのでチームミーティングなんかでは「論理的に話す」ことなどを心がけている。
でも、実際は主人曰く「屁理屈王」な上、「全く論理的ではない」。自分で自覚しているくらいだから、きっと本当にそうなのだ。さらに言えば、全くもって論理的でも科学的でもないことで結構気分が左右される性質でもある。
例えば、我が家の朝。私の朝は早起きの主人が優しく(?)起こしてくれることから始まるのだが、どうしてもベッドから起きたくない私は「夢の中でよいことが起きなかったからフテ寝する」と、突拍子もない理屈をこねてなんとか二度寝にありつこうとする。また、日本文化を知らないと時に主人に馬鹿にされる私ではあるが、茶柱を発見したらそれだけで嬉しいし、テレビで今日の運勢が悪いと「今日はもういいや」と朝からかなりげんなりする。さらに、「朝から赤い車を3台見たら今日はラッキー」という自分勝手な占いを作り出して「ラッキーデー」を増産している(そもそも駐車場だけで赤い車は3台以上あるし、学校までの道では前後左右全ての道を確認し、赤い車を3台発見するまでは校舎に入らないわけだから、100%の確立で私はラッキーになれる)。
多分、屁理屈とか非科学的なことに対する信仰(?)みたいなのは程度の差こそあれ、人間の性として誰もが兼ね備えていることだと思う。そしてそれは、論理とか科学なんてものどおりに動けない、完璧ではない人間のために絶対に必要な気持ちのような気がする。
実は最近私の周りは妊娠ラッシュ。学生時代の親友も、学校の同級生(の奥さん)もやたらめったら妊娠している。ついこの前までは、周りの人が妊娠すると聞くと、なんだか恨めしい気持ちになったけど(変な例えだけど商店街の福引で前の人が1個しかない金の玉が出ちゃったみたいな)、なぜか今は「あー、私もあやかれますように」ってすごく前向きに捕らえられる。学校で習った論理を使うと「妊娠は福引とは異なるので、周りの人が妊娠することと私が妊娠することの相関関係はない」ってな結論になるのだろうし、それをわざわざ言葉にしなくても頭では十分分かっているけれど、心のどこかでは「それでもやっぱりコウノトリさんが近くまで来てるんじゃないかな?」って思ってしまったりする。
妙な空想や願掛けに頼るつもりはない。人があきれる屁理屈で自分のわがままを押し通すのもよくないとも思う。でも頭では分かっているけれど、どこかでそうじゃない結論を導きたいとき、どんな形でも良いから前向きに生きていたいとき、そんな時に、他人には理解できないかもしれない非論理的・非科学的な考えに浸ることは、きっと私を含め誰もが持っている権利なような気がする。

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