2006/3/11
「MBAの価値」だとか「MBAとは」とかこの1年間で似たようなことを何度も考えてきた。多分「MBA」を特別視することもおかしいし、「MBAならではの価値」ということ自体を定義しようとすることも正しくないと思うけど、それでも私の中でこの2年間の意味を見出すとしたら、、、
「自信を持つこと」
「謙虚になること」
この2つだと思う。
多分多くの人がそれぞれの人生で似たようなことを経験すると思う。「自分はなぜ生きているのか」っていう疑問に始まり、「自分のアイデンティティー」を見出そうとして、色々な人と比較しては「自分はこの点で違う」と思ってみたり「自分は結局何も秀でていない」と寂しくなったり・・・。多かれ少なかれ、みんな人生「自分探し」に時間を充てて過ごしているんじゃないのかな?そして、人生のどこかのステップで自信を持ったり謙虚さを覚えていくのだと思う。多分たまたま私はここに来て、ほぼ初めてそれを経験しただけで。
私自身28年間生きてきて、自分について実は深く考えず過ごしてきた。よく分からないけど、周りと同じにしていれば楽しいと思ったし、頑張ることは「自分らしさ」よりも大切だと思った。どこかで答えが用意されているような気がして、何かを言うときも「正しい答え」に近い解を探すのに必死で、自分がどう考えているかを考えることもなかった。また、謙虚の本当の意味も分からなかったけど、「卑下」とか「謙遜」は美徳だと思った。それでも、時に自信過剰になって人を見下したりしたし、時に自信を喪失した。だけど次の日には自信過剰になったことも自信喪失したことも忘れるくらい、能天気に生きてきた。
アメリカに2年来ただけで、真剣に深刻に人生を生きるようになったわけでもないし、確固たる自分の考えが構築されたわけでもないと思う。だけど前よりずっとずっと自分に自信がついた。何か特別なことが出来ると思えるわけじゃないけど、自分が思っていることを言葉にすること、自分が言葉にしたことが正しければそれを説明しようと懸命になること、それが間違っていれば素直に非を認めることができるようになった。何かのプロと言えることな何もないけれど、頑張れば一通りのことが理解できる脳みそがついているということを確認できたし、だから頑張ってみようと思えるようになった。学校の人間関係なんて利害もないからたいしたことないかもしれないけど、真心込めて人に接すれば信頼されるだけの自分であることも分かったから誠意は忘れないようにと思った。間違いも沢山起こすけれど、自分が思ったとおりにすることの爽快感も感じるし、自分の頭と心を信じていこうと、自分をちょっぴり頼れるようになった。20年以上いつも親の顔色を伺っていた娘だったし、今だってやっぱり自分よりついつい主人のことを信じてしまうけど、それでもどこかで「もっと自分を信じてあげようよ」と思えるようになった。
一方で、自分の非力さも沢山学んだ。授業や友達との会話を通じて「あー、こんな発想もあったな」と自分も同じことを考えたはずだったのに至らなかった解を発見したときには自分の脳みその限界を感じた。一方で「これは私だけの発想だろう」と自信満々だったことが、実はみんな似たようなことを考えていたことに気づいて恥ずかしくなったり。深夜2時に翌日提出の宿題をチームで囲んでいて「どうせ宿題なんだから適当にしようよ」という一言をいつ言おうと思っているかという自分に情けなくなったり。「私は頑張っています」という面をしていながら、もっと頑張っている人が沢山いるんだということを感じて、「もっと頑張らなきゃ」と思う以上に「私は頑張りきれてないな」と自分の傲慢さを反省するようになった。そして「謙虚」というのは、自分を卑下したり謙遜したりという体裁上のものでもなく、自分自身を信じないことでもなく、自分が傲慢にならないことであることを感じた。そして謙虚さというのは、自分が正しく進むための「エンジンブレーキ(っていうのか忘れてしまったけど、車が下り坂で自動的に急加速しないように制御する装置のこと)」みたいなものなんだなーと思うようになれた。
多分、私はたまたまアメリカに来て周りの騒音(誰が結婚した、誰が妊娠した、会社の誰がどこに栄転した等)から離れて生活することで、自分自身にもっと集中することが出来たら、結果として人生28年目にしてこういう機会に恵まれたのだと思う。
でも「たまたま」以外の要因として、この2年間、自分を試すための沢山のハードルが用意されていたのも事実だと思う。自己主張が激しい人との英語での議論、学部の頃とは違う就職活動、授業中教授から突然投げかけられる「あなたの意見は?」という問い、日本人学生の奥様方との会話で突然ふっと沸き起こる「私はなぜ今いわゆる『奥様』として生きていないのか」という疑問、自分の力ではどうしようもなかった出来事。この2年間で遭遇したこれらのハードルを一つ一つ吟味して自分でどうすべきか考えていくことで、少し自信もついたし、前よりも謙虚になれた。
これから社会人として家庭人としてどう生きていくかは分からない。それでも「自信」と「謙虚さ」があれば、もっと堂々ともっと頑張れるのであると思える。そして、それらを分かるために、私が今ここにいるのであるとしたら、それは大いに意味があったと思える。

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