2006/4/19
ようやく引越の日程も大体決まり、インディアナ生活も残すところ1ヶ月ちょっととなった。と言っても忙しいわけでもなく、唯一履修している科目も授業の1時間前に予習するのみで、全然勉強してない・・・(まずいっ)。その代わりに何をしているのかというと、読書(含漫画)。。。
最近読んでよかった本:「国家の品格」、松下幸之助の「若さに贈る」、里中満智子の漫画「天上の虹(持統天皇物語)」。そしてその3冊に共通する言葉が「日本人」。
私は日本人として生まれ、自分の国や文化に誇りを持っている(はず)。一方で、どこかアメリカかぶれだったり、アメリカびいきになってしまっている自分も居る。「自由・平等」がやっぱり一番すばらしいのじゃないかと思うことも多いし、日本的な縦社会よりもアメリカの個人主義のほうが、個人が尊重されている社会なような気がしたりする。
でもこれらの本を読んで、日本には日本なりのすばらしい考え方や文化があることを改めて痛感させられた。そして、ふと周りを見渡して気づいたことは、他の留学生がいつも自分の国の話をしているように、私もちゃんと自分の国のことやその文化を学んで伝えていかないといけないと思った。
日本の考え方としてユニークだと思うこと。ひとつに「分をわきまえる」こと。そして二つに「文化を重んじること」。
「分をわきまえる」飛鳥時代の一夫多妻の世界では、正妻には正妻の、皇族出身には皇族の、豪族には豪族の立ち居振る舞いというのが、江戸時代だって士農工商それぞれの、そして今でも年齢、役職等によって「とるべき態度」というのが暗黙のうちで決められている。勿論、たまたまその家庭に生まれただけで子供の生き方が決まってしまうとしたらそれは問題かもしれないけど、それでも自分が社会の中で果たすべき役割を自覚して、その役割を務めるべく振舞うということは重要だと思う。一方でアメリカの提唱する「自由」や「平等」は人に希望を与えるためにはなくてはならない考え方だ。ただ、「平等」と叫べば叫ぶほど、「平等」の定義が分からなくなる。共産主義だって富の分配という考え方に則れば「平等」だし、アメリカみたいに貧富の差が大きくても機会が均等に与えられることが前提であれば「平等」と言える。「自由」だって「個人が勝手に何かをする自由」なんていうのは認められないわけで、その言葉を過信しすぎたら社会が機能しなくなる。だからこそ、社会の中で自分がどういう役割を担うべきか(担いたいか)をちゃんと自覚して、その役割に適うように振舞うようなことが、意外と大事なのじゃないかな、と思ったりする。
「文化を重んじる」唐が栄華を誇っていた時に、日本人は積極的に唐から色々なことを学んだけれど、それと同時に自国の文化、特に自国のことば、自国の詩を重んじることを忘れなかった。1500年前に「国際化」の最初の波が日本に来た時に日本のことばが確立し、後世に残る詩集が編集され、日本文化が開花したけど、1500年経った今、私たちは「国際化」を「英語教育」と勘違いして、自国の言葉・自国の文化を守ることに大きな注意を払いきれていない。勿論、飛鳥時代のように海外の情報や技術に目を向けて、必要なことはどんどん取り入れるべきだと思う。だけど、それが日本にしかない貴重なことば、文化を軽んじることにつながるのであれば、それと引き換えにすべきではないような気がする。日本人が日本語を忘れたら、日本的な考え方や文化を忘れてしまう可能性がある。そういう意味でも「ことば」の持つ重要性をもっと認識することは大事だと思う。
と立派なことを書いたけど、アメリカに来るまで、恥ずかしながら「日本人」として「日本」のことを考えることは一度もなかった。でも周りの留学生もアメリカ人も誰だって自分の国を誇りに思い、大切にしていることを目の当たりにし、日本人が日本のことを大事に思えなければ、国として恥ずかしいと思うにようになった。日本に帰っても、自分が日本人であること、日本人として日本の文化を伝承すべく役割があること、そして日本人として日本人のためにまた世界のために日本をさらに「すばらしい」と誇れる国にすべきことをもっと自覚しないといけないと思う。
今晩の私の課題図書は「菊と刀」と「天上の虹8巻(天武天皇の時代)」。勿論、もっと読まなきゃいけない英語の本や教科書も沢山あるけど・・・・。

0
コメントは新しいものから表示されます。
コメント本文中とURL欄にURLを記入すると、自動的にリンクされます。