地域活動が学校を変える!信頼関係の大切さ  

 先日、「子どもの学校内暴力が過去最大に」との記事が新聞に載っていた。
この所、学校での子ども達は、少し落ち着きを取り戻しているように見えていたが、そうでもなかった様である。
 この原因は、現代社会の不安定さ・子どもを育てた家庭教育の甘さ・学校の先生の能力の低下などが考えられる。
 しかし、「学校内」で起きた事であるなら、そこは先生達の責任や能力が問われても仕方がないだろう。
 
 私達も、各学校から集まった100人ぐらいの小学生で年間活動をし、何泊かのキャンプやデイ活動をやっている。当然初めの頃は、ちっちゃな小競り合いなども見られる。
 しかし、班担当のリーダーが、2.6.2の向こうの2の理論を実践し、子ども達一人ひとりとしっかり向き合って、常に彼らに対しアンテナを張っているので、あったとしても小さなうちに発覚し、対応が出来ている。
 したがって、2回目以降の活動からは、子ども同士の暴力は皆無と言えるほどやりやすくなってくる。その安心できる環境が子ども達にとって「居場所」的な、かけがえのない活動になっているようである。

 私達の活動のどこが良いのか?
活動に関わるリーダー達に徹底していることは「寄ってくる子より向こうの子」の意識、活動中、必ず全員の子どもと「笑顔で話をする」など本当に基本的な簡単な事。しかし、この簡単な事が、基本的な事が、今の子ども達が関わる様々な活動や学校などであまり出来ていない。
 そして私達の活動の最大の特徴である「お別れの握手」。この時、子ども達の表情が一変する。遊び疲れの顔から、すばらしい笑顔に。
U字形の子ども達ひとり、一人にリーダー達が声を掛けながらの全員握手、これを我々は慣習化している。
 保護者からも「疲れているはずなのに笑顔で帰ってきます。そして子どもの方からたくさん今日の話をしてくれます」こんな声をいくつももらっている。

 当たり前の基本を強い意識をもって実行しているだけで、100名近い参加者の定員がたった半日で埋まってしまう活動になっている。少子化の中で、地域の子ども活動参加者確保が非常に厳しい今、まさに逆行した現象が起きている。

「次の活動は参加者がゼロになってしまうかもしれない、今日の参加者全員に一生懸命向き合おう、次も絶対来たい活動にしよう」こんな思いで活動を続けてきた。果たして学校の先生何人がこんな思いを持っているんだろうか?
 勉強の前に子どもとの強い信頼関係を作ろうと思う先生がどれ位いるのだろうか、朝学校に行けば、子ども達はいて当たり前と思っていないだろうか。

 私はこれから時間の許す限り、地域活動での「参加者ゼロの恐怖」から得たことを学校の先生達にも伝えて行きたいと思っている。
 生徒ひとり・ひとりをしっかり意識し、毎日笑顔で全員と話をし、帰りは入り口に立ち、帰る子どもとしっかり手を握り「今日の○○はこんな事が良かったよ、また明日会おうね!」

これが実践できる先生のクラスは、暴力がなくなり、不登校がなくなり、おまけに学力も絶対も上がると思います。



10

1のリーダー・10のリーダー  

私のやっている子ども活動は、常に新しいリーダーを入れている。
これは、会の方針でもある。組織は川の流れと同じで、人の流れが止まると澱みができ、それが腐ってくる。
今携わっているリーダーが連れてくる人、新聞募集で来る人、そしてこの活動の参加者だった人、様々な形で入ってくる。
そのつど新しい人たちに対して、すべきことの説明をする事で、今いるリーダー各自がやるべきことの確認をすることができ、組織として最も大切な活動理念を共有する事が出来る。当然、新人が入ることで活動も活性化している。
しかし、現実は幾つかの問題も出てきている。先にあげた三つの入り方の中では、新聞などをみて参加してくれる社会人たちは強い個性を持った方が比較的多い。そしてもちろん年令も平均的に高い。大学生年代中心の活動にこのような新人が入ってくると、それが摩擦を起こすケースが出てくる。もちろん私のほうが年令もキャリアも上なのだが、若い人たちに任している活動では、そこに常にいることは出来ず事後的に報告を受ける形になってしまう。
過去にも幾つかの苦い経験をして来た私は、このような問題を防ぐために勉強会の中で、その対策について伝えてきた。組織である以上、たくさんの人がいる、その一人、一人は生い立ちも、生活環境もみんな違う、まずそれを頭に置こう。
「1のリーダー・10のリーダー」と言う言葉を常に意識しよう。キャリア・参加回数
知識・それぞれがみんな違うと言うことを。性格の違いはあって当たり前で、子ども達
にミニ社会体験をしてもらうには、逆に違いがあるほうが良い。絵の具の箱を見ても、いろんな色があってワンセット。ひとつの絵を仕上げる(子ども達を育てる)には1つの色より、たくさんの色を使ったほうが良い。ボランティア活動は自主的なものであり、参加回数や能力は画一に出来ない。10の人が1の人を見て、1しか出来ないと感情的になってはいけない、1やってくれてありがとうと感謝し、仮に年上であっても1のリーダーは年下の10の人から素直に教わる気持ちを持つことが出来れば摩擦など起きようがない。組織の中は1から10までの人がいるんだ、どの位置にいてもお互いを認め合おうと考えられたら、その組織は素晴らしくなる。
0

個別の事情はどうする?  

毎年やっている我々の12月の地域活動の呼びかけの中に、「わんぱくクリスマス会」と言う言葉を入れてきた。しかし三年前、あるリーダーが、「クリスマスと言う文字が入ったら、参加できない子どもがいます。その家庭の宗教の関係だそうです。クリスマスを変えて下さい」との、進言があった。
その当時の執行部は、その言葉に対応して「お楽しみ会」と名前を変え、昨年まで実施してきた。
その執行部から「今年はその子が卒業したので、クリスマスに戻したい」との話があり、OKを出し、その募集チラシを出した所、後からその子の兄弟がいることが分かり、進言をしてくれたリーダーともめてしまう事件が起きた。
12月の子ども活動、街には「クリスマスセール」「サンタさん」「クリスマスプレゼント」などの言葉があふれ、テレビなどのメディアなども国民のイベントのように流している。当然、「クリスマス」の文字が入った呼びかけの方が、「お楽しみ会」よりも子ども達の心を掴める言葉であることは間違いない。
はたして、今の日本で、「クリスマス」は宗教なのか、イベントなのか、私は後者であると思っている。2月の「バレンタインデー」なんかもそうであろう。
我々の活動は十数年続いている。それなりの結果も出してきた。その裏には、対象になる子ども達の様々な事情を取り込みながら進めて来た自負がある。「大半の子どもの」と言う点では間違えていない。
「クリスマス」と言う言葉だけで参加が出来ない宗教とは、どんな宗教なんだろうと思う。大半の子ども達に合わせる部分が基本であり、その他の所が我々の活動の特色、つまり色になる。個別の事情で活動のポリシーがなくなってはいけない。
その活動の色を残す為にも、作り上げて来た「理念」を通す強さも、時には必要ではないだろうか。
 

2




AutoPage最新お知らせ