内田樹『女は何を欲望するか?』(角川oneテーマ21)を買いました。
この手のタイトルがついた新書って、たいていは生物学とか心理学を引き合いに出して、非常に俗っぽい「男/女」の図式で社会のあれこれを解説してみせるものが多い気がする。いやな感じですね。
だから手に取ることはあまりないのだけど、
(じゃあ何で知ってるかって言うと、前にそんな本を書いてたどっかの大学教授が逮捕されたときに、書店で立読みしてみたからです)
『寝ながら学べる構造主義』の内田樹なんでそんなことはないだろうと思ったら、案の定そんな俗っぽい本ではなくて、フェミニズム言語学と、フェミニズム文学・映画批評に対する批評を2本収めた本でした。
それも、フェミニズム、およびそれに立脚する批評の妥当性を証明しつつ、その主張、および思考が性差を越えて普遍的である、と言う観点から、「通俗化したフェミニズム」を批判すると言う構成。
まだ半分しか読んでいないけれども、非常に面白い本です。
「他者を経由してしか自分について語ることが出来ない」というフェルマンの考えは卓見である。しかしそれは性差を超えて、人間に普遍的な事例であるから、それが男性にはおこらない、というのはおかしい、と第一章で指摘しているのはそのとおりであろう。
言語や言説の主体はあらかじめ現前しているものではない、というのはソシュール以降にことばを論じる全員にとっての、前提である、と言うのはまさにそのとおり。
フェミニストたちの思考の成果は性差を超えて普遍的なものである。だからこそ、そのアイデア自体が性がことなることにこだわらざるをえないフェミニズムの限界を示す、というところにうなづいたのでした。
第二章は「エイリアン」シリーズ論のようです。
エイリアンはファルスである、と言うのは以前どこかで読んだな。
それ自体はよく聞く話なんだけど、そこからどのように「フェミニズムの理論的瑕疵」の話につながるのかな。
SFってよくセクシュアリティやジェンダーについての問いを内包してますね。この間取り上げた十二国記シリーズも、もろにそうなんだけど。
なにせ生殖が生物学的な性差から切り離されている世界が舞台だもん。
十代の女の子向けのシリーズとして書かれたという商業的理由も多少はあるのだろうけど、それでもああまで人工的な世界を作るくらいだから、絶対ジェンダーの問題はふくんでいると思うな、あのシリーズ。

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