当初、将軍継承問題は老中首席、阿部正弘が推す、一橋慶喜が
優勢でしたが、阿部正弘が急死、井伊直弼が大老に就任するや
否や、形成は逆転します。紀州の慶福が将軍後継者と決まったのです。
そして、総領事ハリスの脅しに屈した井伊直弼は朝廷の許しもなく
日米友好通商条約を結びました。下田、函館に続き、横浜、神戸
長崎、新潟が新しく開港しました。
しかし、友好とは名ばかりで、
治外法権(日本で罪を犯した外国人を日本で勝手に裁けない)
関税自主権(日本で勝手に関税をかけれない)
この2つの不平等条約のため明治政府が長い間、すごい足枷に
なったのは史実の通りです。