『LOFT』を封切とともに見てきた。横浜ニューテアトルである。
単館系というのは、「系」がつくから実際に単館でなくとも『LOFT』は事実上単館系なんじゃないかと思うのだが、いやしかし、横浜ニューテアトルの雰囲気は素晴らしい。こうしたバスの車内のような映画館って、もうすっかり見かけなくなった。わが町、町田もル・シネマが潰れて久しい。
さておき、この『LOFT』。はっきり言おう。もう付いていけない黒沢清ワールドが炸裂し、悪ノリと芸術の狭間をさまようこの映画は、誰も面白いとは言わないだろう。誰がこんな映画を見たいと思うのか!(…いや、まあ私なんだけど)
例えば、たまにはホラー映画でも見てキャーッと叫んで、よしよしなんて企んでいるカップルがいたとする。『着信アリ』みたいな、デート映画にもなりうる軽めのホラーを期待して。なんだかミイラが出てくるみたいだし。トヨエツと中谷が主役らしいし。加藤晴彦も出てるし。いいじゃないか。
しかし想像してみたまえ。笑うしかない、もしそんなカップルがいたとしたら。映画が進むにつれ、彼らはどんどん居心地が悪くなる。そしてミイラがドーンと立ち上がって動き回った時、どうしていいか分からなくなり、凍りつくだろう。とどめはラストだ。あのラストを見た後で、いったいどんな声をかければいいというのか。黒沢清は、相当に凶悪な映画監督である。この映画が原因で破滅したカップルがいたらどうしてくれるというのだ。
前作『ドッペルゲンガー』にも言えたことだが、もはや黒沢映画はジャンルを超越している。一応はホラーということなのだろうが、まあ、まず怖くはない。ミイラと幽霊が出てくるので、少なくともジャンル映画ではあろうと思えるものの、しかしジャンルを特定できない。普通に考えればコメディ以外の何ものでもないのだが、いわゆるコメディとは違う。これはもう、決めた、私はこうジャンル付けする。「黒沢清もの」と。
以下、ネタバレを含む。
その純然たる黒沢清もの映画として、『LOFT』が一歩踏み出したのはビデオ撮りによる微妙な視点のブレである。
黒沢清と言えば長回し、というのもまあ言い方としては正しいと思う。ずーーっとカットのないままカメラの内外をさまよう人物であったり、俯瞰ショットであったりというのを、消火器が突然転がるとかそういう手法でザックリと切断してくれるわけだが、『LOFT』ではイライラするぐらいカットが短い。いや、カットが短いというか、同じ場面が、ちょっとだけ位置をずらしたカメラからの視点に唐突に切り替わったりする。だから、画面そのものが収めているものは変わらないのだ。ガクッと画面がブレてちょっとだけ違う位置から撮影されたものに切り替わる。これは吐き気さえ感じさせる不安な感じを与える。
それでもゾッとするような美しいショットの連続、というか全編がそういった奇妙な美しさをまとっているから、黒沢清は麻薬のような魅力がある。
道具立ても優れている。ほとんどが現実的でない異様なものばかりなのだが。それは機械であることが多い。例えばあのミドリ沼の船着場のような装置。あれは一体どんな機械なのか。そもそもあれに死体をくくり付けていていたらすぐに見つかってしまうではないか。しかしそんな常識的なツッコミの一切を映画ははねのける。あの焼却炉にしてもそうだ。あんなの危険極まりない。これらの機械のテーマは、繰り返し黒沢が主張する「自動」と「殺人」である。一度スイッチが入ってしまったら、それは人々の意思に関係なく動き出すのだ。そしてそれが死を予感させる不吉な動きを見せる。
こうした異常な機械装置への愛着はフェチズムに近い。黒沢の愛する古典ホラー映画へのオマージュとして始まったものかも知れないが、もはやそれは黒沢清とは切っても切り離せないものになっている。
ミイラ自身、「起き上がりこぼし」ものの系譜に乗っかるのである。入ってしまったスイッチにより自動的にガバッと起き上がってくる装置のひとつ。ミドリ沼の装置が、安達祐実の死体を絡めとるのもそのバリエーションである。
幽霊の登場理論に関してはこれまでと変わらないので、これはもう黒沢の専売特許でもあり、完成された表現のひとつなのだろうと思う。つまり、部屋の隅のほうに、まるで染みのようにぼやっと立っている黒い幽霊である。その動きも含め、古くは『DOORIII』から『廃校奇談』、『木霊』などを経て完成されたものだ。
『LOFT』の安達祐実が幽霊役として相応しいかどうかは分からない。いや、実はミスキャストではないか。彼女には顔がある。顔が認知されていると言い換えてもいい。ある世代にとっては安達はいまだに「具が大きい」し、「レックス〜」だからな。
トヨエツが出てくる場面がほとんど全てコメディに見えるのは、彼の持つ生真面目さゆえなのか。
とりあえず、神妙な顔をして中谷の家のわずかに開いた玄関で、「預かってほしいものがあります…ミイラ」っていうのはすごい。この後、「は?」となって断るのが普通なのだが、ちゃんと部屋の中に入れてミイラを寝かしてる中谷もすごい。この展開、ありえない。普通は。これをやってのけるのが黒沢清なのだ。と言えばこの映画はほとんど語られたと言ってもいいだろう。
それから、嵐の中で死体を掘り返す場面。結局、死体は出てこなくて、2人は安堵の中で抱き合うわけだが、これはもうほんとに「よくやった、黒沢清!」とスタンディングオベーションしたくなるような演出。黒沢は古いアメリカ映画をとにかく愛していて、ついに黒沢自身もそれをやってしまった、という。ほとんど音楽らしい音楽も流れない奇妙な劇伴を伴う黒沢映画に、突然去来する壮大なラブロマンス風の音楽!トヨエツと中谷の恋愛描写はほんとに、ここまでやれば天晴れであろう。「旅に出よう」、「どこまで?」、「世界の果てまで」とか、そういうセリフが臆面もなく出てくるのだから。「あなたのために全てを捨てる」とか「永遠に離さない」とか。恥ずかしいとか白々しいとかいったものを通り超えとる。
別にこれは純愛だの何だのという、感傷めいた近年の流行恋愛映画をバカにしたものでも、批判したものでもない。黒沢清がただこうやりたかったというだけのことだ。そして、これを面白く映画にはめ込んでみせたということだ。
ミイラがいよいよ起き上がって、トヨエツにキスを迫るように襲い掛かってくるんだが、その後にトヨエツがとんでもないことを言う。
「動けるなら最初からそうしろ」と!
トヨエツも中谷も、ミイラに抵抗する際にものすごく正しい説教をたれる。「自分のことは自分で解決しろ」とかそんな内容。その通り過ぎて何も言えない。
いやあ、しかし、あのラスト。最強ですな。ドーンと死体が上がってきて、おお、これはまさに黒沢清だ!と感動した瞬間、「うわ〜」ってトヨエツが…。取り残された中谷の表情も面白いんだが、やはりあの場面は笑っていいんだろうと思う。
物語そのものの進行は、これまでの黒沢清の説明不足映画から比べればシンプルなものだ。
中谷が住む洋館で、かつて安達祐実が殺された。そのくだりが、現実なのか虚構なのかは判断できないものの、トヨエツの回想として描かれているのだ。殺人鬼・西島秀俊が、手篭めにしようとした安達を殺し、その現場を見てしまった変態教授・トヨエツがこっそり後で見に行く。すると突然甦った安達が訳の分からぬことを叫び、トヨエツも勢い余って再び安達を再び殺す。死んでも甦ってきて、また殺す、という図式は『ドッペルゲンガー』にも通ずるが、一体安達祐実は何回殺されたのか。あるいいはトヨエツの妄想か。といったシンプルな作りである。
安達にはミイラがとり憑いているわけだが、それはトヨエツの視点によるものだ。トヨエツはミイラに心惹かれた変態教授であり、その変態的妄想にとり憑かれて安達とミイラがだぶるのである。
だからこそ、いったんは土の中に埋めた安達を掘り返してミドリ沼に沈めてしまう。
しかしながら、この映画には物語のシンプルさと相反する不可解な要素がいくつも散りばめられている。
今月号の「文学界」がなんと黒沢清特集で、こういう文芸誌ではちゃんと取り上げるんだなとちょっと感心したものだが、その中でヒッチコックの名が頻繁に出てくる。黒沢自身が「ヒッチコックをやってしまった」と蓮實重彦との対談で語っているぐらいだ。で、ヒッチコック解禁とばかりに、マクガフィンという言葉が出てくる。黒沢でマクガフィンという言葉を使っていいならこれは論ずるのに便利だ、と妙に納得してしまった。
というわけで、劇中の不可解さはマクガフィンに近いけれど、それは直接ストーリーの方向性を決めるのに影響しないという意味でマクガフィンなのであって、映画には必要不可欠なものなのだ。黒沢的マクガフィンとでも言おうか。
例えば映画の冒頭で中谷が吐く泥。なぜ泥を吐くのか。それが物語のスタートであったはずだ。もちろんそれは幻覚であろうという描写もある。しかし、泥は途中で放棄されてしまって、後半ではまったく出てこないし、解決もしない。
それからミドリ沼から引き上げられたミイラの記録フィルム。加藤晴彦もその後まったく出てこないし。
安達祐実の書いた恋愛小説の内容も分からない。しかしきっとこの小説の筋は重要なのだ。恥ずかしいぐらいのラブロマンス、大衆娯楽を要求された中谷が結局この安達の小説を丸写しするわけだから、少なくとも劇中のあの異様なロマンス描写にも絡んでくる。
黒沢清が難解と言われる所以はこの辺りにあるのだろう。
『LOFT』についてはまだまだ語るべきことが多いのだが、だいぶ文字数も多くなってしまったので、ここら辺にしとこう。
最後に、この映画のタイトル。『黒沢清の映画術』によれば、まあ最初にロフトで寝転がってた中谷が『裏窓』状態でトヨエツを覗くというプロットだったそうで。タイトルだけそのまま残ってしまったようだ。いっそのこと『ミドリ沼のミイラ』にすれば最高だった気がするんだが。

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