一瞬に過ぎ去った95分間で、内容を噛み締める暇もなかった。とにかくアップテンポに構成された超エンターテイメント映画だ。TV版とは大分違う印象を受ける。つまり、TV版の良いところでもあり悪いところでもあるのだが、どろどろと猜疑的な人間関係を描写しながら、無意味に長い戦闘シーンが延々と続く構成がばっさりと切り捨てられている。淡々とした暗鬱な『Z』の雰囲気そのものが微塵も残されていない。劇場版でも話自体はほとんど変わっていないのだが、こうなるとまるで違う作品である。ただ、確実に言えるのはかなり面白いということだ。
幸運にも、私のようなガンダム第三世代は『Z』の見直し後にこの作品と出会っている。ここで言う世代とはすなわち、いわゆるファーストを基準として「それを初めて見た」という世代観ではなく、「それに初めて没頭した」という世代観のことである。リアルタイムで観たのか、それとも再放送やビデオで観たのか、ということにも繋がる。
・第一世代=40歳を控えた層(TV版『ガンダム』、劇場版3部作)
・第二世代=30代前半の層(TV版『Z』、『ZZ』)
・第三世代=20代後半の層(『逆襲のシャア』以降)
・第四世代=20代前半〜10代後半(OVA以降)
・新世代=富野氏以外のガンダムを中心に
第一世代は否定的に『Z』を捉えているし、世相がそうであったためにリアルタイム放映時に十分に評価されなかったのも事実だ。ところが第三世代になると、『ZZ』の後半を経て『Z』再評価の風潮が生まれた。シリーズ最高傑作の呼び声さえあがるほどのものだったと記憶している。
第一世代や第二世代は、劇場版『Z』で初めて『Z』を理解したという見地に立つだろう。いわゆるファースト(私はこの呼び名は好きではない。なぜなら、我々にとってガンダムと言えば劇場版3部作のことしか指さないからである)の正統なる続編として見事に物語がまとまっている。
第1部『星を継ぐ者』は主人公不在の物語であった。カミーユは主人公ではない。どちらかと言えばクワトロの方がそれに近い存在である。素直に「星を継ぐ者=カミーユ」と考えたとして、シャアやアムロが新たなニュータイプと出会うというごくシンプルな物語になっている。そうした意味で、いわゆるかなり古い世代からの支持が十分に得られる映画である。
では、『Z』再評価後の世代はどうか。カミーユの熱烈なファン層はどう見るのか。実は、ここが非常に重要な点であるのだが、カミーユの根本的な性格は変わっていない。奇妙な現象に思えるが、この映画は再評価後の世代にも通用する、マルチなエンターテイメントとなっていたのである。
第3部のラストがどうなるのかは、富野監督はまだ明かしていない。TV版通りならばカミーユは発狂して終わる。それは極めてネガティブな終わり方なのだが、富野監督はそれを変えるということだから、カミーユは発狂しないのかもしれない。
『星を継ぐ者』のカミーユ初登場の場面は、MPに取り調べを受けているところである。ジェリドに女と間違えられて殴りかかる場面がカットされ、突然拘留された状態なのだ。しかし、あるのだ、あの場面が。カミーユは釈放が決まった途端にMPに悪態をつき、終いにはMk-2を奪ってバルカンでMPを撃つのだ。おそらく、笑っていい場面に違いないが「くっくっく」と抑えた調子で笑い毒付くカミーユはTV版と同じである。これこそカミーユの基本的な性格なのだ。カミーユは純粋であるが、同時にかなり「嫌な奴」なのだ。いつも必ず一言多い。最後に嫌味を言わないと納得して会話を終了できないのだ。
ただ、性格は変わらずとも劇場版ではそうしたカミーユの感情の発露の方向性が少し違う。これが、劇場版におけるカミーユがまるで印象の違う人物に見える所以である。
新作カットで構成された新しい場面で、両親を殺されたカミーユがレコアにしなだれかかるところがある。人前で泣けるぐらい素直になっているのである。TV版では知っての通り、周りに当り散らして1人で自室で泣く。それから、劇場版のカミーユは無知である。クワトロがシャアであることを知らない。クワトロが信頼できる上官になっていて、シャアは尊敬する伝説の人物、なのである。第1部のラスト付近で、初めてカミーユはクワトロがシャアであることを知るのだ。それを知った第2部で、もしクワトロの曖昧な立場に甘んずる姿勢を知れば、当然「そんな大人、修正してやる!」となるだろう。性格そのものは変わっていないのだから。
見せ方が少し変わったおかげで、カミーユの暗黒面が表層を支配することがない。
一方で、クワトロは大人を見事に演じている。少なくともカミーユの前では。レコアの愛情に応えたくなかったり、ハマーンが出てきたりする辺りで、クワトロの仮面は剥がされていくのだろうが、第1部を見る限りではカミーユを導く優秀な先輩としての人物像がある。

1