無事公開されたので、ラスト10分に関する感想を…。ネタバレしていますのでご注意を。
最後の戦闘が終わって、それがモニターを通してレツとキッカが見ているという素晴らしい構図になる。これはほんとに素晴らしい。絵が。これが映画なんだろうと思う。
で、レツとキッカのこの会話が、最も感動的な場面なのだ。
レツ「もう大きな光は見えなくなったな」
キッカ「そうだよね、なくなったよね」
この「大きな光」が何であるかは、お分かりだと思う。
TV版ラスト、精神に異常を来したカミーユが言う「大きな星がついたり消えたり…」のセリフに象徴される、「精神崩壊」、「バッドエンド」、「ニュータイプの絶望」…、そんな悪しき結果のことである。
つまり、「大きな光」が見えなくなったとレツがわざわざ言ってみせるということは、1度目(TV版)の呪いから解放されたということだ。さらにそれを確認するように「そうだよね、なくなったよね」とキッカが言う。カミーユが救われたことが決まった瞬間だ。
その後、お腹の小さくなった(ように思えたが見間違いか?)フラウ、アムロがセリフを運んでいく。
ミライは連邦基地を探して民間人に道を尋ねるが、その人は米を研いでいてミライには気付かない。これが日常なのだ。宇宙では一つの内戦が終結し、カミーユが呪いから解放され、そして人々は日々の生活を送る。
クワトロ・バジーナの調査をしているカイとセイラが画面に現れ、やがて再びアーガマへとカメラは戻っていく。
アーガマではトーレスやサエグサが、所属MSを探していて、ゼータとメタスをキャッチする。
トーレス「ゼータ、キャッチしました!」
ブライト「ほう!無事でいてくれたか!」
が、無線からはカミーユとファがいちゃついてる様子が聞こえてくる。これをサエグサが実況して茶化す。この実況が素晴らしすぎる。これこそ、富野がやりたかったZのエンディングだろう。戦闘が終わって、MSも散り散り、やっとゼータを発見したらカミーユとファがいちゃいちゃしていて、それをつい茶化すことでアーガマのクルーも凄惨な戦いから徐々に(精神的に)帰還していく。で、次の会話。
サエグサ「もういいわ」←聞き飽きた、やれやれって感じで。
トーレス「聞きますか?」←ブライトに向かって。
ブライト「誰が子供のたわ言を聞けるか」
このブライトの上を向いた表情が、本当に綺麗な絵。この絵は3部作中の新作画の中で最も素晴らしい。「誰が聞くか」って突き放していながら、助かってくれていたことを心底喜んでいる。それが分かる絵。男だよ、ブライト。
私は試写会で最初に見たときには、シャアがそれっきりであることとサエグサの実況が一瞬「サエグサ発狂か!?」と思って落ち着かなかったんだが、いやいや、なんて素晴らしいラストだろうか。やっぱ富野ってすごい人だわ。1度しか観てない方、騙されたと思ってもう一度あのラストを味わっていただきたい。感激です。
余談。
次のようなシーンを想像してみよう…。
・シャアが最後、ハマーンに「素直になれ」とか言って、抱き合う2人。が、その瞬間にシャアの目がキラーンと光ってハマーンの胸を一刺し。「さらばだハマーン、忌まわしい記憶と共に」みたいな。で、半壊した百式を捨てて、キュベレイに乗り込んで去っていく。
・アムロがディジェ改に乗って宇宙戦に参戦している。しかも、最後の戦いが終わったあとにキュベレイに乗ったシャアと出会って、
アムロ「どこへいく、シャア!」
シャア「私のエゥーゴでの役割は終わった!地球圏が整理できた今こそ、シャア・アズナブルの本当の戦いが始まるのだ!」
みたいな展開。で、アムロのディジェ改とシャアのキュベレイが5分ぐらい戦って、ファンネルびゅんびゅん飛ばしたシャアが、アムロのディジェ改を圧倒して去っていくのよ。「情けないMSと戦って勝つ意味があるのか!」って。
こういうのが見れたら狂喜するわけだが、富野がそんなのやるわけがない。シャアは結局ハマーンを倒せもせず、いつの間にか姿を消している。みんながケーキ食べてるところに現れて「私の分は?」とせっつく。ヘタレです。
しかし、劇場版クワトロがなぜ『逆シャア』のシャアにつながるのかと言えば、一つにはあの異様なまでの冷たさだ。レコアが撃たれても無視、エマが被弾してもすぐに再出撃を命じる。ヘンケンやカツが次々戦死しても一切動じずに戦局のことしか考えない。かなり冷たい男だという演出がなされている。これが『逆シャア』にて人類粛清を企てる男になるというわけだ。「どうする、シャア」って自分で言ってるし。3部のクワトロはちゃんとシャア・アズナブルだったんだよな、って思う。そういえばブライトも「シャア」って呼んでるし。
富野演出って、何でこうしないんだよ、と憤りを感じつつも納得したいがために何度も見てると、富野が選んだ演出の意図が段々と分かってきて面白い。だから、上記のようなガンダムオタクが見たいZのラストなんて作ろうものなら、何度も見て別の意味が見えてきたりなんてことがなくなってしまう。だって、そのまんまなんだから。そんなのはただの同人誌だ。
富野自身は「所詮はロボットアニメです」とか「芸能でなんぼ」なんて言い方をするけれど、ものすっごく作家性を押し出して、それを大事にする監督なんだよな。