「X JAPAN THE LAST LIVE VIDEO」を見た。言わずと知れたXの解散ライブである。で、思わず感動してしまった。
日々つまらん映画ばかり見て、それこそ涙が出るような感動なんてもう何年も味わっていないし、世に溢れるそういうのが白々しく底の浅いものと思えてしまうわけだが、なんだ、このXのLAST LIVEは。ちょっとすごいぞ、これ。これはドラマだし、ドキュメンタリーだし、単に記録映像と言ってもいいし、もちろんバンドのLIVEビデオなんだが、まあつまり、映画なのだ。
それはXというバンドの持つ神神しいまでの伝説がそうさせるのかもしれない。解散後の悲痛な出来事も含めて。だって、TOSHIが去って、HIDEが死んで、YOSHIKIはそれこそどん底まで叩き落されるわけだから。この2人との別れが、どれだけ痛ましかったか。YOSHIKIにとって、TOSHIは幼稚園時代から20年以上も付き合ってきた親友だ。それが去るというのは、決定的な失恋のようなもので、どうしようもないやるせなさを感じる。TOSHIにはTOSHIの悩み、苦しみがあって、それがまた悲しいというか。YOSHIKIやHIDEにコンプレックスを感じ続け(それは音楽性もルックスも性格も)、いい人であり続けること、常に壁の破壊とナンバー1を目指す宿命に疲れちゃって、ついに新興宗教みたいな自己啓発セミナーに救いを求めるわけでしょう、この美しいハイトーンボイスの持ち主は。
「ラストライブ」は、そんな2人の間の、相反する感情、それはつまり愛情と憎しみというと安易な表現だが、それが見えるからすごい映像作品、というか記録、映画なのだ。YOSHIKIには、TOSHIをぶん殴ってやりたいという思いと、抱きついて「ずっと俺のそばにいてくれ!」と懇願したい気持ちがぐっちゃぐちゃに混ざってる。けど、どっちもできない。それをすることはYOSHIKIの本心ではない、「それは絶対にしないぞ」というYOSHIKIもいるわけで。つまりYOSHIKIという人間の持つ混沌そのものなんだが、そういう1つの感情で説明できない状況に陥った人間が見せるあの表情は、もうそれこそX的に言えば破壊的な魅力に満ちているわけだ。ピアノを弾きながら泣き崩れてしまうところとか。これだって、お涙頂戴的な自己陶酔感でTOSHIとの別れやXの解散への悲しみに泣いているんじゃなくて、彼の持つカオスが噴出してああいうどうしようもならない姿を見せてしまうということなのだから。
さておき、X、あるいはX JAPANについて語ろうとすると、それは極めて個人的な情念に基づいたものになる。
それは当然、音楽そのものがそうなのだが、大事なのは、Xのようなバンドはある時期の精神的支柱となってその人のアイデンティティそのものになってしまう危険性を持っているということだ。
例えば、中学生の女の子が日々の生活に悩んでいたとする。友人や家族とトラブルを抱えているかもしれないし、勉強にも部活にも行き詰まりを感じているかもしれない。そういう思春期的な苦しみの渦中にある時、音楽はある種のエクソダスを求めるのはごく自然なことだし、音楽はそれぐらいの引力を持ってしまう。歌詞の内容からメロディから、そのアーティストのルックスや生き様まで、全てに惹かれていくのは宗教に近い。
HIDEの死後に後追い自殺をした女の子たちの気持ちは、実はとてもよく分かるのである。衝撃的な音楽、またそのアーティストに出会った時、心を持っていかれ、そして、救われた思いを得る感覚。彼らとその音楽がなければ自分は死んでいたとさえ思えてしまう、そういう感覚を与えられるアーティストたちは確かに存在している。
私は普段クラシック音楽しか聴かないけれど、そういう断りを入れる時点で、すでにもう個人的情念に振り回されている結果なんだろうな。クラシック、といっても「ポップスは聴くけどクラシックは聴かない」という私と全く逆のタイプが思っているクラシック音楽というのは実はクラシック音楽じゃないということも言わなければならないけれど。
クラシックしか聴かないのは、別にクラシックは優れててそれ以外の音楽は優れてないからとかそういうことじゃなくて、単純に好みなんだろうと思う。もちろん、100年残ってきた音楽だから、そりゃすごい音楽なんだが。今のJ-POPだろうと何だろうと、100年後には、残ってれば古典になるわけだし。J-POPの歌のことを「楽曲」と言ったり、歌手だか作曲家のことを「アーティスト」って言ったりするのは、なんだそれとは思っているけど。
で、個人的な情念と初めに書いたのは、私がXに熱中したのはまさに中学生の頃だったからということもある。その頃はちゃんと普通の曲聞いてたようだ。私は78年生まれだから、1991年から93年までを中学生として過ごした。まさに、Xの時代だ。
「Jealousy」から「Art of Life」の時代。そう思うとかなり幸せな3年間だな、これ。新曲が出なくて今か今かと待ちわびながら「Blue Blood」がバイブルだったという。
その後、私は「DAHLIA」の頃にはシングルでいくつか聴いていたぐらいで、それからはもうクラシックの世界にいたから、それこそ最近初めてアルバム「DAHLIA」を聴いたし、HIDEのアルバムも聴いた。ライブのDVDなんかも最近見た。で、「こりゃすごいぞ」と思ったわけである。つまり、中学生の時に惹かれた感覚は間違いないわけで、しかもこうしてクラシックの世界にどっぷりと漬かってそれなりに構造的な部分でも感情的な部分でも考えられるようになった自分が、Xの、というよりYOSHIKIの音楽が分かった。ものすごくクリアーに、すらすらっと。つまり、YOSHIKIが作曲してXが演奏するその音楽はかなりすごいぞ、と。Xの神性の源は、やはり音楽にある。
YOSHIKIはまぎれもないメロディメーカーだが、そのメロディの何だか恥ずかしくなるぐらい分かりやすい展開といったらもう。「紅」なんてすごい世界だ、あれは。そういうクサくて甘ったるい、あるいは戦隊ヒーローものかというぐらいストレートなメロディを、全力で出してくるわけでしょう。カッコつけているようで、音楽はすごく子供っぽい純粋さに満ちている。それをツーバス踏んでドカドカとプレストで突っ走るわけだ。
いわゆるポップスの、歌の形式のようなものはまるで守らなくて、1曲の長さが2、3分のものから30分のものまで様々。多くは7〜10分程度だろうか。その辺のポップスを聴いてみるとほとんど4分程度だから、倍以上の長さを持っている。クラシックしか聴かない人間には、そういうのがものすごく自然に聴こえる。で、間奏が長いのである。というより、YOSHIKIの音楽において、それは歌と歌の間の「間奏」ではない。ある1つの曲の中に、歌が入っている部分もある、という程度のことなのだ。ボーカルもギターやベースと同じ1つの楽器として使っているということだ。だから、演奏している5人は、クインテットと言っていい。Xがクラシックっぽいと単純に言うのではない。他のJ-POPをほとんど聴いたことがないから、よく分からないし。その辺で流れている曲が全然クラシックっぽくないのは分かるけれど。
「Art of Life」のライブDVDなんか見ると、そういう彼らの音楽性というか形態というか、演奏家集団ということがよく分かる。一生懸命演奏してる。まあ、演奏技術がそれほど高くないからあそこまで一生懸命に演奏しているという見方もできるわけだが。
で、そういうクインテットだからこそ、ボーカルのTOSHIの他にもYOSHIKIはもちろんHIDEがカリスマになるんだろうし、PATAに職人気質を感じる。
音楽でも映画でもジャンル論は存在するわけだけど、「Xは何なんだ」、というともう「それはXなのだ」という他はあるまい。ヴィジュアル系の祖でありながらヴィジュアル系ではないし、ハードロックというのでもないし、まあヘヴィーメタルなんだが、メタルファンからはそう認知されていないだろうし、不遇と言えば不遇なんだが、ようはそれがXであり、名付けようとするなら「サイケデリック・ヴァイオレンス・クライム・オブ・ヴィジュアル・ショック」ということなんだろうな。
こういう人たちがその功罪を含めてマスコミも音楽界も賑わせて、思春期の少年少女から小泉純一郎まで虜にした。一気にトップレベルまで駆け上がって、YOSHIKIの強烈なわがままとも言える芸術性に振り回されて、結局アルバム4枚しか出していないのに(オリジナル曲はたったの30数曲だ)、我々は熱狂したわけだ。そんな人たち、今までになかったから。いたかもしれないけど、TVに出てがんがん歌っている人たちはいなかった。
解散劇はショックだった。TOSHIがもう限界で、YOSHIKIのもとを離れた。
解散LIVEはHIDEの提案らしい。HIDEがYOSHIKIを説得し、ファンのためのけじめをつけようとした。YOSHIKIはTOSHIとの確執で、やりたくなかった。リハーサルでも口をきかず、コンサートの途中でTOSHIを殴って「綺麗な解散なんてあるわけない」
と言ってやりたかった。けど、目の前まで来た時に、2人は抱き合ってしまった。これがXの、YOSHIKIの美しさというか、Xという一見凶暴なバンドに見える優しさだと思う。
HIDEの切ないまでに前向きな態度も本当に美しい。LAST LIVEを見ていると、YOSHIKIは沈黙して何をしていいか分からないまま悩んでいるし、TOSHIなんて出てきたときからもう泣いてる。ブランクがあったせいだろうか、歌もかなりダメだ。音程が悪すぎて聞けない。そんな中、HIDEが一生懸命場を盛り上げようとしている。HIDEって本当にいい奴で、可愛い人だ。
そういうのが見えるし、彼らの背負ってきた人生みたいなものを垣間見させる、さらに我々は後にHIDEが死んでしまうことを知っているし、TOSHIが何だか怪しげなセミナーに身を置いてる姿も知っている。深く傷ついたYOSHIKIが音楽の表舞台から姿を去っていくことも知っている。ピアノ協奏曲を発表し、オーケストラの世界でいくつかの活動はあったものの、YOSHIKIは未だに復活していない。X JAPAN、悲しすぎる。皮肉なことに、それが一層にこの解散LIVEを切なくさせる。
Xって、伝説だよな、と思った。