ようやく川崎で公開されたので初日に見てきた。
いや、リンチだった。まさに。

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ウサギ。やっぱこれだよね。
『イレイザーヘッド』の手触りに近いというか、『ロストハイウェイ』というか…。
リンチを味わいたいものには、至福の3時間14分だ。しかしこれは怖い。非常に怖い映画だった。基本的には「救いの物語」で、最後にはちゃんと救いが待っているんだが、あまりに怪奇。その怪奇は神秘的。
TV画面を見つめて涙を流す少女が、全ての答えを持つ人物だ。ウサギと電話の部屋は、「赤いカーテンの部屋」や「レバーを倒す男」に共通する世界の構造そのものを支配できる、あるいはそれを知る存在に違いないが、さらにその奥に存在する少女こそ、天使であり悪魔、もうひとりのローラ・ダーンであり、その実、彼女を操作する人物なのだ。
「まったく意味が分からない」という意見に対して、私には細かに解説したいという欲求が生まれてくる。ダテにこれまでリンチ映画を愛してきたわけじゃないし、少なからずリンチ映画は単に「訳の分からない映画」でなく、ちゃんと「答え」を持っている映画なのだから。ただ、その「答え」というか、この映画そのものを言葉で語ることに何の価値があるのか、というのが分からない。
例えば、優れた芸術は、それ以外の手段で表現できない。他の手段で表現できないからこそ、唯一無二の芸術なのだ。
音楽は、いかに言葉を尽くしたとしても、文字では説明できない。音そのものがなければ。つまり、リンチ映画は、映画そのものでしか説明できない。というか、「これはこういうシーンだ」と解説することは可能であっても、そうしてしまった時点ですでに映画ではなくなるということだ。
パンフレットは、人物の相関関係図とか、5つのストーリー(役者の話、撮影されている映画の話、『47』の話、ウサギ、TVを見る少女)の同時進行であることを明かし、映画を解釈しようとしている。
確かにそうなのだ。非常に分かりやすく、その入り口を教えてくれるパンフレットに仕上がっているのである。しかしそのヒントを与えられたことで、私は少なからず幻滅したのである。
『インランド・エンパイア』は、リンチの「リンチらしい」と言われる部分だけで作られた完璧な純度の映画であるゆえに。