ブログではローカル的な「戦国戦記」は余り読まれない様です。要するに全国的では無いのから人気が無いのだろう。私が現在住んでいるのは茨城県南西部地域と言われますが、この地域と千葉県北部地域の戦国時代戦記物には、有名な「東国戦記」と言われるものが有ります。大雑把な地域を示すなら、
千余年の昔に「平将門」が出て活躍し、時の朝廷を震撼させた地方と思いば良いだろう。
この東国戦記の原著者は「皆川老甫」だと言われる。この皆川氏と言うのは下野国(栃木県)皆川城主の「皆川山城守広照」だと言う。天正18年の小田原合戦に於いて北条方で有ったが徳川家康の説得で寝返り、家康の次男で秀吉の養子となり「結城家」を継いだ結城秀康の付家老になった人だと言う。秀康が越前に移封になると、信州飯田七万五千石を貰ったらしい。後に秀康が失脚すると監督責任が問われ浪人した後には、三代目の徳川家光に召し出され茨城県の石岡一万石を貰ったと言う。
この話は、後に出された「東国闘戦見聞私記」の凡例及び校訂者に出ている話で有ってり、多少の疑問が残る様です。現在は静嘉堂文庫に一本残っていて(他にも有ると言う)拝見した事が有ります。東国戦記は茨城県つくば未来市(旧伊奈町)の小菅与四郎が「
東国戦記実録」と呼ばれる物を出版しています。こちらの地元では、一般的に良く読まれている戦記の様です。
但し、この中には狐の子と言われる「栗林下総守義長」が出て来て大活躍するのですが、この人物は架空の者で有ると友人は断言するのです。その様には言っても近隣の各市町村史等には、
これ以外の頼るべき史料が有りませんから「注釈付き」ですが多く採用されているのです。先ほどの東国闘戦見聞私記とは好一対にも思われて、多くの姓名が書いて有りますが、この姓名に地方戦記のヒントが有るようです。内容的に見て「東国戦記実録」と「東国闘戦見聞私記」は殆ど同じ様です。
江戸時代中期の元禄時代(1688年〜1703)を過ぎて、
経済が行き詰まった頃になると泰平の世の中では有るが、人々はナントは無く重苦しい空気に包まれたと言われる。これはやがて来る経済不安に対して、多くの人々は不安を感じ始めたのかも知れません。
平成の現在でも、多くの者の雇用不安をよそにして政争が止む事は有りませんし、地方のタレント知事が総理になりたいとて、シャシャリ出て来る乱世です。将来に不安を感じないわけが有りません。現在の自公民連合政権では、最大の悪弊で有る「官僚主導」の政治には「NO」を突き付けているのですが、霞が関ではトンと理解出来ない様です。問題の根源はそこに有るのですが非常に残念です。
この様な時代になると現実逃避等が生じ、史実に基づいた史話よりも、空想を存分に働かせた物が好まれる様です。
過去と現実が錯綜して、庶民は将来に対して夢と希望を描いたのです。時代小説等が流行る所以です。
注
東国戦記実録の表紙は、河童の絵で有名な「
小川芋銭」が書いた様です。

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