仕事の合間には出来る限り男女工員の話の輪の中に入る様にしていたが、以下は江西省の
九江市近隣から来た女子工員の話で有る。九江市は地図でも判る様に揚子江(中国では
長江と呼ぶ)が流れ河上交通の要になっていて戦争時は日本軍が押さえていた。この日本軍の兵隊は軍律を厳しく守り、民間人に乱暴狼藉をする事も無く秩序が有り街の治安維持に努めたらしい。従って街は経済的に活発で有り大いに賑わったとの事である。これを聞いた近隣の市町村からは、九江市内に次から次に人々が押し寄せ、日本軍の庇護の下に商売を始めるのだが、押し寄せる人々が余りにも多いので日本軍は通行証等発行して、整理と規制に乗り出したそうである。終戦になっても日本軍にこのまま残留し、この街を統治管理して欲しいと嘆願が有ったそうで有る。この話は女子工員の作り話とも思いず、日本に帰った現在事実調査をしているが真相は未だ不明で有る。しかしながら、当時の日本軍の中には同じアジア民族として、中国内で善政を敷いた軍人も多かった事がこの様に語り継がれたに違え無く、なんらかの事実が有ったのだろう。

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