2009/10/12
とんでもないニュースが入ってきましたね。2020年の夏季五輪を、広島が長崎と共同で誘致する方向で検討委員会を設置する、というものです。
…アホでしょ? もう、言葉も出ません。
94年のアジア大会に起因する財政難をもう忘れたのでしょうか? 広島のまちづくりを考えてきた私からすると、「そんな金があるなら…」と、言いたいことが山ほどあります。
他のライバル都市(札幌・仙台・福岡)と比較すると、問題が山積している広島の街。今更挙げるまでもないかもしれませんが、一応、計上してみますね。
・都心部への軌道系交通網アクセスの遅れ(要は地下鉄がない問題)
・大学の郊外流出による「街中に大学生がいない」状態への対応(広大跡地への対応等)
・他都市と比較して元気のない中心市街地活性化の問題(市民球場跡地問題等)
・サンフレッチェや広島交響楽団といった、地元に密着したプロへのハード面での支援(専用スタジアム、ホールの未整備。また野球場の屋根かけ問題)
・駅前再開発の遅れ
・その他、財政難による諸問題(被服支廠の保存など(これは県ですが))
五輪が終わったら使うこともない(むしろその維持管理に困る)、巨大スタジアム等を整備するのと、こういう市民が日常的に使用するもの、本当に整備するべきなのはどちらでしょうか? そんなの、答えは決まっていますよね。
それにしても、最近の秋葉市長、本当にどうしたのでしょうか? 完全に独裁政治を始めたように見えます。異常なまでに「折り鶴展示」にこだわる市民球場跡地問題、そして今回のオリンピック誘致…。オリンピック誘致なんて、市議会無視で進める話ではないでしょうに。
これが、多選の弊害なのかもしれませんね。あまりにも秋葉市長の存在が大きくなりすぎて、周辺に、きちんと意見できる人が誰もいなくなるという…。
特に、広島ブログとかに登録されているいくつかのブログを見れば良く分かるのですが、秋葉市長をまるで神であるかのように扱い、秋葉市政が行なっていることをすべて両手を挙げて賛同しているブログもあったりします。聞くところによると某新聞社のOBが中心となって作成しているブログという話ですが、市長の周辺の人が、こんな連中ばかりになると、市政は怪しくなりますね。
秋葉市長は善。反対する人はすべて悪。議論の余地なし。という具合に秋葉市長周辺の人が固まってしまうと、まともに議論できなくなります。
そうなると、秋葉市長が思いつく範囲の中でしか物事が動かなくなる。それでも「都市計画的なことに精通している人ならまだいいか…」とも思うのですが、残念ながら秋葉市長はそういう人ではない。「平和」がメインの人。そういう人が自分の仲良しグループだけでまちづくりを行なっても、そりゃいいものが出来るはずがない。その典型的な例が市民球場跡地利用問題ですね。仲良しグループだけで話を進めるから、あんな陳腐な案で話が進んじゃうんですよ。
これがまだ、市民球場跡地問題のように、小さな広島の街だけで議論されていることなら、マスコミによる情報操作、反論無視なども可能だと思いますが、オリンピック誘致となるとどうか。全国的・世界的な注目を浴び、中途半端な理屈では通用しません。むしろ恥をかくことになるでしょう。
さて、その時、秋葉市長&支援者グループはどうするか。要注目です。
ちなみに、オリンピック誘致について、既に次のような批判が聞かれます。秋葉市長&そのコバンザメ、もとい支援者グループは、どう反論するのでしょうか?
玉木正之氏(スポーツライター)
平和の理念自体は悪くないかもしれないが、スポーツの祭典を利用するのはいかがか。スポーツが最大の目的なのに『一番の目的は核廃絶だ』となると『五輪は(国際軍事問題を扱う)国連安保理ではない』という批判も出る。
これまで五輪は、一国の国力誇示のために政治利用されることが多かったが、今回の動きも政治利用という点では同じだ。
後藤正治氏(神戸夙川学院大学教授)
平和への願いを込めても良いが、それによって国際政治が動く訳ではない。
吹浦忠正氏(ユーラシア21研究所理事長、こちらより引用)
オバマ大統領にはぜひ、広島と長崎を訪れ、原爆の悲惨さを学んでほしいが、広島でオリンピックを開催すれば、それで平和が来る、日本の安全が保障されると信じるほど単純に考えることは難しい。
広島でオリンピックをというのは、輻輳する国際政治を情緒的に解決しようという「ムード的平和主義」であり、私はさしていい意見だとは思わない。
ちなみに、この吹浦氏は、千羽鶴についてこう述べられている。(こちらより引用)
米国各地でともに千羽鶴を折る人が出てくることは世界の平和にとって決して少なくない効果をもたらすと思うが、同時に、現実の世界が折鶴だけで平和になり、その平和が維持されると思い込むのはあまりに危険である。
千羽鶴に託す日本人のこの「ナイーブ理想主義」は、学校における平和教育にとって格好の手段かもしれないが、現実の世界が、好むと好まざるとに拘らず、核の抑止力で平和が維持されている面が大きい
ということも大いに指導すべきであるし、地雷や小型武器の撤廃や削減といった問題やその被害者への支援といった、より身近な軍縮のテ−マにも感心を持つべきだと、私は思う。
ま、市長コバンザメグループ、もとい支援者グループはこういう反論は無視するのでしょうがねw
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