当事者でなければ分からない記憶の奥の深さで鳴り響く鎮魂の叫びは、なんだったのだろうか?
「化学兵器」サリンによる無差別大量殺人事件の松本での攻撃は、いったい何を意味していたのだろうか?
この事件の解決の「甘さ」は、世界で起こる様々な抗争事件でも「無差別殺人事件(テロ)」の動向に対しても列島は甘くなる。
当時の新聞をたどれば、こぞって「マスコミ」は、「警察権力」は、彼を「犯人」であるかのような「推定」で動いていたと、今になれば冷静に判る。
奇妙な縫ぐるみを被り選挙の運動。
「学校教育的に優秀」という宣伝文句で、勧誘し、女優顔負けの女性陣をそろえての軟派作戦。
金にあかせての武器購入。土地購入。ビル購入。
事件が明るみになってからの、被害者への居直りと弁護団の怪しげな関係。(この事件をきっかけに専門集団の弁護士と言う司法関係者の地位は、世間での共同幻想としての信頼位置を失った。だからこそ、裁判員制度を導入し、権威を誘導する戦略に到った。亜米利加の草の根民主主義での裁判員制度とは異なるものだ)。
列島内部に、百済から仏教を入れて列島古層の宗教を潰しながらの「政治集団」化していく蘇我氏一族。穏健派の物部一族は皆殺しか、列島から姿を消す。宗教の持つ恐ろしさを消す為に「禊ぎ」をし「お祓い」をし「霊」を静めるために建造物を建てる。伊勢神宮に到っては20年に一度、霊が篭もらぬように、移動する。
だが、蘇我氏も藤原一族と皇室に倒される。
宗教感受と政治の関係のDNAは今もなお列島に生きている。
今なお、伊勢神道、出雲神道、そしてアイヌ神道の深層の中で、鎌倉仏教の流れが彷徨っている。松本には「諏訪神社」がある。古層の流れでは、どんな神を慰めているのだろうか。オウム真理教にとっては、諏訪神社はどういう意味があったのだろうか。
オウム真理教は、チベット仏教を学びながら、政治の密教部分を肥大化させ「攻撃」という辺りを最大化したと、私は思っている。
今や、チベット仏教研究者の若手は、何も宗教では語らなくなっている、何故だろうか?
そしてチベットは中国五輪とともに世界の注目を一身に集めている。
宗教と政治の論理は、厳然として流れているのだ。
東京新聞からの引用。
松本サリン 第一通報者妻 河野澄子さん死去 光奪われ闘病14年
2008年8月5日 夕刊
緊急入院した妻澄子さんの頭をなでながら「まだまだ一緒にいような」と声をかける河野義行さん=2004年2月23日、長野県塩尻市内の病院で
長野県松本市の松本サリン事件被害者の河野義行さん(58)=同市=の妻澄子(すみこ)さんが五日午前三時四分、サリン中毒が原因の低酸素脳症による呼吸不全のため同市内の病院で亡くなった。六十歳だった。澄子さんは事件後、重い後遺症で意識不明の状態が続いていた。自宅は松本市北深志一の一三の二。葬儀・告別式は親族のみで行う。
澄子さんは松本市内の療護施設で療養を続けていたが、二年ほど前から低体温状態が続き、今年六月十一日に容体が悪化して緊急入院していた。
毎日のように施設を訪れ、全身をマッサージするなど献身的な介護を続けてきた義行さんは「何度も医師からダメかもしれないと言われながらも、十四年間以上家族のために生きてくれました」とコメント。五日未明、病院から「危ない状況」との連絡を受けて急行したが、間に合わなかったという。
松本サリン事件で県警の捜査本部は当初、第一通報者の河野さん宅を被疑者不詳の殺人容疑で家宅捜索。マスコミにも容疑者のような扱いを受けた。その後、県警は「河野さんは事件と無関係」とする見解を発表、県警本部長が県議会で謝罪の意を表明している。
澄子さんの死去で同事件の犠牲者は八人になった。

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