日刊ゲンダイ記事を見たら「そう言えばこんな人が居たんだな」と思い出していた。話し言葉の切れとテンポの良さでTVお茶の間を楽しませてくれた。
聞いていると「買いたくなる」不思議な魅力を感じた。本当に「説明品物」が輝いて見えるから凄い。
TV実演での決り文句は「寄ってらっしゃい! 見てらっしゃい! 見て見て見て! 」で始まる。現場での迫力が伝わってくる。
◆まーふぃー・おかだ 1944年東京生まれ。日大芸術学部在学中にアルバイトで始めた実演販売一筋に四十数年。本来の仕事の他、テレビのバラエティー番組やドラマ出演、著書出版など幅広く活躍。現在も実演販売の第一人者として全国を飛び歩いている。
経歴では苦労した様子が垣間見える。
引用< 実は、僕が当時目指していたのは芝居の世界。大学も日大芸術学部演劇学科に通っていたんです。その3年の頃。実家がやっていた養鶏場の鶏が伝染病で全滅。家業が傾き、学資を自分で稼がなきゃならなくなったんですよ。
で、友人に紹介されたのが、この実演販売のアルバイトだった。完全歩合制で、売れなきゃゼロという商売だけど、なぜか僕は最初から売れちゃった。
浅草・上野に近い下町育ちで、子供の頃、テキ屋さんが口上ひとつでいろんなモノを売っているのを眺めて楽しんでいたせいか、性に合ってたのかなあ。
普通は半年は先輩の助手につくんだけど、助手の実入りは当時、1日700円程度。生意気にも僕は1週間で「ひとりでやらせろ」って。それで5000〜6000円は稼げるから、1週間に2日やればオマンマが食え、芝居の稽古の時間もとれる。
ところがそのつもりで始めたのに、27〜28歳頃、肝心の芝居を断念しちゃうんです。実は僕は結婚が早く、子供もできた。そうなると、家族を食わせなきゃいけない。芝居どころではない、と。……それは言い訳で、本当は才能に限界を感じたのが正解(笑い)。
それにしても当時、なぜ芝居にのめり込んだのか、これがうまく説明できない。今思うと、なぜ落語家にならなかったのかと思うくらい、むしろ落語が好きだったのに。志ん生、円生、文楽という名人を寄席でナマで見ていましたよ。特に志ん生はよかった。いつも完璧な円生や文楽に比べて、できの悪い時もあったけど、何回かに1回、腰が抜けるほど面白いのがある。それが凄かった。
ま、そんなことで芝居に挫折し、本格的な実演販売人生が始まるわけです。デパートだけでなく、僕の場合は商店街の軒先を借りて商売し、山谷でも売ったことがある。大卒初任給が3万円の時代に月40万円くらい稼いだ時もあったかな。もっとも、それは高度成長期という時代のせい。今は様相が違って、若いサラリーマンの年収さえなかなか稼げません。>引用終わり。
最後まで読んでいたら落語家「志ん生」が好きだった、という辺りは彼の実演販売の流れだと知り、さもありなんと納得した。
世の中が「理知的」になり「頭がよいのが」という変化に合わせてどうやら「話芸」の凄さが消えていくらしい。
最近の「商品説明」では全国的に展開している社長自らと若手での長崎発信が凄いなと思う程度だ。

0