今期限りでその役目を終える広島市民球場の真向かい、そして珍しいT字型の相生橋のたもとに、原爆ドームは立っている。戦前は「産業奨励館」として、様々な広島産の物品を展示し、賑わっていたのだという。
梅雨時で曇ってはいたけれど、周りの樹々は濃い緑の葉っぱを茂らせ、原爆ドームを視野から外せば、大都会の喧騒を忘れさせるオアシスみたいな公園になっている。猫が数匹、舞い降りてくるハトの群れを無関心に見ている。通勤途中のサラリーマンが急ぎ足で、いつも見慣れているであろう原爆ドームを振り返ることなく歩いている。
相生橋から川に降り、川底のコケが生えている無数の小石に目を向ける。「ああ、この川にかつて無数の死体が浮き、流れていったんだ。」ピカがほんとうに落とされたことがウソのように、川は静かに流れ、ときおり小さい漁船が波しぶきを立てて通り過ぎる。山里の川と違い、広島の川の水は生温かい。
原爆の慰霊碑に黙祷し、開館前の資料館に向かう。山形あたりから来られたのか、訛りのある言葉で話している団体客も開館を待っている。入館料は大人ひとり50円。50円で、原爆を追体験しに、様々な国籍の人々が集まってくる。英語ではない言葉が多い。ひとりナニ人だろうか、太った若者がピンクで“Killers”(殺し屋)とプリントされた黒いTシャツを着ている。そう、まさしく原爆は、広島の人々にとって“Killers”だった。
新しく展示し直された資料館を、順番に見ていく。日本語ではない、ひそひそと話す呟きだけが聞こえる。“Killers”の若者も、黙って展示された「資料」を見ている。いや、それらは沈黙した「資料」ではない。あの日を無理やり経験させられた人たちの、「叫び」そのものだ。焼け焦げた国民服、黒焦げの弁当箱、名前の入ったボロボロの刺繍、亡くなった女学生の黒髪、剥ぎ取られた皮膚…。
あれから今年で63年、当時小学生だった方々も、もう70歳を超える。なんとか今まで、「核戦争」は起こっていない。それは政治的な駆け引きや力関係もあるだろうけど、抑止力の根っこには、ヒロシマナガサキで被爆した方々の、筆舌に尽くしがたい経験があるのだろうと思う。しかしピカを知る人々が徐々に老齢化し、戦争を知らない30代の国会議員の中には、声高に日本の防衛のため「核武装」を唱える人もいる。
そう、かつても一部の権益者を除いて、戦争を好んだ者はいなかった。そして戦争を始めるときも、祖国防衛のため、「仕方なく」「やむ終えず」開戦に至ったのだと思う。そのカラクリを見抜けなければ、また新しい“戦争”に加担する、もしくは当事者になる可能性は否定できない。
資料館から外に出る。曇っていた空の切れ間から青空が見えてきた。ありんこがエサを巣に運んでいる。太陽が眩しい。その太陽系のなかに輝く青い星、地球。もう、争いはいらない。いらない。(了)