最近の作物  仕事
[論文]「内在と内在的因果性――アンリのスピノザ主義に関する覚書―」『論集』34号、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部哲学研究室、2016年、pp. 33-55.
[創作]「[創作]ジル・ドゥルーズとアラン・ロブ=グリエ、デヴィッド・ボウイを語る 翻訳・構成 鈴木泉」『Kawade 夢ムック 文藝別冊 総特集 デヴィッド・ボウイ』河出書房新社、2013年。
[学会報告]「はじめに:ガタリの新たな活用に向けて」『フランス哲学・思想研究』第17号、日仏哲学会、2012年、pp. 31-32.
[エッセイ]「飾りとしてのきれいなものから美しいものへ」『Dream navi』August 2012年、p. 73→野矢茂樹編著『子どもの難問』中央公論新社、2013年、pp. 124-126。
[論文]「大地の動揺可能性と身体の基礎的構造――問いの素描」『哲學』日本哲学会編、2012年、pp. 25-44。
[エッセイ]「哲学史の創出という夢と現実――一つの記録とともに」『本』講談社、2012年1月号、pp. 10-11。
[論考]「序論 再開の哲学」『西洋哲学史II 「知」の変貌・「信」の階梯』神崎繁・熊野純彦・鈴木泉責任編集、講談社、2011年、pp. 8-32。
[コラム]「バロックのサウダージ」『Ulysses emergency edition/Devendra Banhart special』2011年。
[コラム]「Jean Eustache『La maman et la putain』」『Ulysses emergency edition/Simon Finn special』「サイモン・フィンを介してサイモン・フィンを忘却するための空想科学」2011年。
[書評]「中田光雄『正義、法-権利、脱-構築――現代フランス実践思想研究――』(創文社、2008年)及び『現代を哲学する 時代と意味と真理――A・バディウ、ハイデガー、ウィトゲンシュタイン ――』(理想社、2008年)」(松本潤一郎氏との共著)『フランス哲学・思想研究』第15号、2010年、pp. 190-194.
[論文]「哲学史という背後」『叢書 哲学への誘い――新しい形を求めて I巻 哲学の立ち位置』松永澄夫・鈴木泉編、東信堂、2010年、pp.250-281.
[鼎談/コラム/ディスク・ガイド]「スウィンギング・ロンドンからブリティッシュ・サイケデリアへ 新しさへの批判・伝統への批判」(河添剛、福島恵一両氏との鼎談)、「思想としてのサイケデリア、と言ってみる」、「Psychedelic Freak Out. The 102 trippiest British albums of all time」(分担執筆)、『ユリシーズ』No. 4, シンコーミュージック・エンタテイメント、2010年、pp. 37-42, p. 40, p. 63, pp. 64-65, p. 67, p. 76.
[インタヴュー]「今の人たちに欠けているのは、信じる、ということ 関係性の思索者レックとの一夜」、『ユリシーズ』No. 3, シンコーミュージック・エンタテイメント、2010年、pp. 56-62.
[インタヴュー/論考/アンケート/コラム]「インターナショナルな左翼と音楽の自由 パンタ・インタヴュー」、「パーカッションという自由 トシ・インタヴュー」、「頭脳警察とヒューマニズムの諸問題」、「ベスト・アルバム2009」、「音楽活動30周年を迎えたイクエ・モリ」、『ユリシーズ』No. 2,、シンコーミュージック・エンタテイメント、2010年、pp. 44-58, p. 82, p. 151.
[小論]「坂部惠と交叉反転の論理の行方」『KAWADE道の手帖 メルロ=ポンティ』河出書房新社、2010年、pp. 174-178.
[論文]「ドゥルーズと発生の問題」『現代思想 総特集フッサール』十二月臨時増刊号、第37巻第16号、2009年、pp. 364-372.
[アンケート/鼎談]「50人が選ぶこの50年で最も影響力のあったポップ・ミュージックのアーティスト」および「軽率さの地質学 『ユリシーズ』の可能性」(河添剛、森田敏文両氏との鼎談)、『ユリシーズ』No. 1, シンコーミュージック・エンタテイメント、2010年、p. 36, pp. 173-173.
[書評]「小泉義之『デカルトの哲学』(人文書院、2009年)」『週刊読書人』2009年10月9日.
[書評]「哲学的「自己形成小説」の試み――アントニオ・ネグリ『野生のアノマリー』――」『思想』2009年第8号、岩波書店、pp. 71-85.
[辞典項目]「幸福」『VOL lexicon』責任編集 白石嘉治/矢部史郎、以文社、2009年、pp. 62-63.
[論文]「力能と人間――アントニオ・ネグリ『野生のアノマリー』をめぐって」『別冊情況』第三期第一〇巻第七号、情況出版株式会社、2009年、pp. 171-180.
[追悼文]「哀悼 坂部惠先生」『週刊読書人』2009年6月29日。
[ディスク・レヴュー/コラム]『アシッド・フォーク』河添剛監修、シンコーミュージック・エンタテイメント、2009年。
[読書案内]『東大教師が新入生にすすめる本2』文春新書、2009年、pp. 201-204.(『UP』東京大学出版会、2007年4月号、所収稿の再録。但し、一部訂正。)
[書評]「隷属への抵抗を静かに促す」平井玄『千のムジカ』(青土社、2008年)『東京・中日新聞』2009.3.15.
[書評]「久米博・中田光雄・安孫子信編『ベルクソン読本』(法政大学出版局、2006年)」『フランス哲学・思想研究』第13号、2008年、pp. 146-152.
[小論]「合意とパッチワーク」(鶴見俊輔『アメリカ哲学』解題)『KAWADE 道の手帖 鶴見俊輔』河出書房新社、2008年、pp. 150-153.
[論文]「リトルネロ/リフの哲学 ドゥルーズ&ガタリの音楽論に寄せて」『現代思想』「ドゥルーズ」第36巻第15号、青土社、2008年、pp. 194-203.
[論文]「スティルとリトルネロ――メルロ=ポンティとドゥルーズ」『思想』2008年第11号、岩波書店、pp. 256-274.
[鼎談/アンケート]「哲学史研究の現在」(神埼繁・熊野純彦両氏との鼎談)および「非人間主義的な哲学の白眉」(アンケート)『哲学の歴史 別巻 哲学と哲学史』中央公論新社、2008年、pp. 54-84, 408. 
[エッセイ]「赤塚不二夫と動物化の諸問題」『KAWADE 夢ムック 文藝別冊[総特集]赤塚不二夫』河出書房新社、2008年、pp. 160-166.
[論文]「「形而上学」の死と再生――近代形而上学の成立とその遺産――」『岩波講座 哲学 02 形而上学の現在』岩波書店、2008年、pp. 49-73.
[書評]「中原昌也『ニートピア2010』(文藝春秋、2008年)」『論座』2008年6月号、朝日新聞社、pp. 324-325。
[紹介]「ドゥルーズ」『哲学の歴史 第12巻 実存・構造・他者 【20世紀III】』責任編集 鷲田清一、中央公論新社、2008年、pp. 613-662.
[論文]「力能と「事象性の度合い」――スピノザ『デカルトの哲学原理』第一部定理7に関する覚書」『論集』26、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部哲学研究室、2008年、pp. 74-90。
[論文]「非人間主義の哲学――ピエール・モンテベロの仕事をめぐって」『死生学研究』第9号、東京大学大学院人文社会系研究科、2008年、pp. 82-96。
[翻訳]ピエール・モンテベロ「いかに自然を思考するか?――ドゥルーズの自然哲学」『死生学研究』第9号、東京大学大学院人文社会系研究科、2008年、pp. 60-81。
[紹介/後書き]「ドゥルーズ/ガタリ研究・活用の現在」・「後書きに代えて」『ドゥルーズ/ガタリの現在』小泉義之・鈴木泉・檜垣立哉編、平凡社、2008年、pp. 698-717。
[紹介]「マルブランシュ」『哲学の歴史 第5巻 デカルト革命 【17世紀】』責任編集 小林道夫、中央公論新社、2007年、pp. 459-505。
[ライナーノーツ]「リフの美学――『ZONE TRIPPER』に寄せて――」FRICTION『ZONE TRIPPER』(PASS RECORDS/P-VINE)ライナーノーツ、2007年12月5日発売。
[エッセイ]「「お前はお前の踊りを踊れ」という、真っ当で過酷な要求」『ROCKS OFF』Vol.03、シンコーミュージック・エンタテイメント、2007年12月16日発行、p. 155。

 HPのURL:http://www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/profsuzuki.html
(これまで表示していたHPが変更不可能になったので、勤務先のHP内のそれに移行しました。)

 なお、このブログ、Windows での閲覧の場合、レイアウトが崩れてしまうことがあります。Mac OSユーザー=マイノリティへのご理解を。
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2014/10/6

デカルト、スピノザ(/ライプニッツ問題)、マリオン新着図書  哲学
 冬眠中に刊行された新着図書について少し。
 カロー&オリヴォによるデカルト初期思想の校訂版に関しては既にここでも触れたが、ガリマール版のデカルト全集はゆっくりとしたペースで刊行が進められており、2009年に刊行された第三巻『方法叙説と三試論』に続いて、書簡を対象とする二分冊からなる第八巻(René Descartes. Œuvres complètes. sous la direction de Jean-Marie Beyssade et Denis Kambouchner, VIII, Correspondance. Volume 1, éditée et annotée par Jean-Robert Armogathe, Paris, Gallimard, 2013; VIII, Correspondance. Volume 2, éditée et annotée par Jean-Robert Armogathe, Paris, Gallimard, 2013)がジャン=ロベール・アルモガットの手によって刊行された。アルモガットが世界中の図書館などを駆け巡って資料収集をしていて、新書簡も改めて発見されるのではないか、という噂も聞いていたが、そのようなことはなかったようで、2010年に新発見が公表され、既に日本でも紹介されている1641年5月27付けのメルセンヌ宛書簡などが収められているのが、敢えて言えば新資料というところのよう。本書簡集の売りは、AT版のように年代順に書簡を並べたのではなく、メルセンヌ関係、ジェズイット関係、数学関係、ホッブズ関係(以上、第一分冊)、ホイヘンス関係、エリザベト関係、レギウス関係等々のその他の書簡(第二分冊)という仕方で書簡の送り手や主題によって書簡を纏めて提示しているところだろう。そのことによって、書簡の相手との関係によってデカルトがどのように思索を紡いでいったのか、という「書簡という実験室」の内情を読解することが易しくなった。但し、対話相手の書簡が全て収められているわけではなく、また原文がラテン語の場合でもフランス語の翻訳が収められているから、研究者向けの校訂全集として用いることは出来ない。そして、――ここでは複雑すぎて、刊行状況を詳細に示すことは出来ない――、ここ10年ほどの間に進められたイタリアとオランダで進められた書簡集の校訂版刊行状況を踏まえて、研究者は旧全集(=AT版)から最近の複数の校訂版までを参照しないといけなくなったが、第二分冊末尾に添えられている対応表の複雑さを見るとちょっと眩暈がする。今後、デカルトの書簡を引用するとき、研究者はどのような表記法を取ることになるのだろうか。
 さて、デカルト関係では、書簡の相手の中でもとりわけても重要な位置を占めるエリザベトに関するコロックの論文集(Elisabeth de Bohême face à Descartes : deux philosophes ?, sous la direction de Delphine Kolesnik-Antoine et Marie-Frédérique Pellegrin, Paris Vrin, 2014)がちょっと面白そう。Edouard Mehl や Denis Kambouchner といった代表的なデカルト研究者が寄稿しているだけでなく、デカルトの対話相手としてのみ基本的には遇されることの多いエリザベト自身を哲学者として評価しようとする意図もあるようで、正直言って、そんなことあり得るかよとも思うものの、女性哲学者の発掘というフェミニスト的作業の一環なのだろう。
 そして、何よりもこれから読むのが楽しみなのは、上記論文集にも寄稿しているDenis Kambouchner の小著二冊。一つは、Le style de Descartes, Paris, Editions Manucius, 2013。あの息の長いデカルトの文体を巡って、カンブシュネルらしい幅広い教養をもとに議論が展開されているよう。もう一つは、有名なシャニュ宛――所謂、愛の書簡――のテクストと註、解説を収めたもの(René Descartes et Pierre Chanut, Lettres sur l'amour, Avant-propos, édition du texte, notes et postface par Denis Kambouchner, Editions mille et une nuit, 2013)。「千夜一夜書房」という、フランスのスーパマーケットなどのスタンドなどでも売っている廉価な本を出している出版社からのもの。しかし、この著者のものだから、« La distance cartésienne »と題された後書きは充実した内容。そして、この後書きには« A Katsuzo Murakami et aux amis de Hakone » という献辞が付されている。言うまでもなく、まずは東洋大学の村上勝三さんへの献辞である。村上さんは、カンブシュネル氏とは永年の親交があり、その縁もあって、カンブシュネルさんを招いて2007年9月に箱根で研究合宿を行ったのだが、その折に氏が詳しく話されていたのがこの書簡。そして、確か、東京から箱根へのロマンス・カーの中であったように思うが、今後の著作計画についてお尋ねしたところ、当該書簡を巡っての小著を準備中だと漏らしておられたが、それが6年の年月を経て刊行されたということになる。村上さんだけでなく「箱根の友人たちに」という献辞をも付け加えることを忘れないあたりに、この方の温かい人間性がよく現れているように思う。永らくお会いしていないが、このFB上で、最近閉幕したデリダ・コロックのことを報告されていた西山雄二さんの挙げておられる写真の中にその変わらぬお顔――白髪のエリック・クラプトンを探せばすぐに見つかる――を見つけて、懐かしく思った。さて、その村上さんも今年度で東洋大学を退職。10月25日には白山哲学会の枠の中、最終講義・最終講演が行われる。
 スピノザに関しても、重要書が刊行。まずは、『エチカ』の仏訳でまずもって知られるベルナール・ポートラによる『政治論』の新訳(Traité politique, traduit du latin, présenté et annoté par Bernard Pautrat, Paris, Editions Allia, 2013)。私自身は、『政治論』についてはまだ本格的な研究を進めていないので、精確な評価は出来ないが、PUF版全集におけるシャルル・ラモンの翻訳の後で敢えて刊行されたものだから、そうするだけの相応の理由があるということだろう。事実、「何故、『政治論』を再び翻訳するのか」と題された序文において、« imperium »という語の訳を例にとることから始めて、新しい翻訳の必要性を論じており、必須の資料と言わねばならない。そして、今回紹介する文献の中で、個人的にとにかく待ち遠しかったのが、スピノザ/ライプニッツ問題を巡る二つのコロックをもとにした論文集(Spinoza/Leibniz. Rencontres, controverses, réceptions, sous la direction de Raphaël Andrault, Morgen Lærke & Pierre-François Moreau, Paris, Presses de l'Université Paris-Sorbonne, 2014)。全部で12本、それも、この問題に関する、まずは決定的な書を記したレルケだけでなく、Kulstad、Melamedら、これまでこの問題に関して重要な仕事を残してきた研究者、Paul Rateau, Manzini, Martine de Gaudemarらのスピノザやライプニッツ関係の若い研究者、といった面々が揃い踏みであって、同様の問題について仕事を纏めねばならない今の私にとって最重要の文献である。これについては、時間が出来たらより詳しい紹介とコメントをこの場で行いたい。
 そして最後はマリオン関係。ハイデガーのフランス的受容の新しい一頁を描く Jean Vioulac の Apocalypse de la vérité(Paris, Ad Solem, 2014)への序文も興味深いが、最近増えてきたマリオン研究の一環として、ブダベストで開催されたコロックの記録は学ぶところが多そう(Jean-Luc Marion, Cartésianisme, phénoménologie, théologie, sous la direction de Sylvain Camilleri et Adeam Tákeacs, Paris, Archivess Karéline, 2013)。さらに何よりも、マリオンのクールベ論(Courbet ou la peinture à l’œil, Paris, Flammarion, 2014)。かなり前から予告されていたもので、数年前にご本人にお会いしたときに刊行について尋ねたら、いずれね、ってな感じでいなされたが、アカデミー・フランセーズ会員になって、いよいよ闊達に自らの世界を展開というところだろうか。マリオンには、La croisée du visible (1991)を始めとして幾つか興味深い絵画論があるけれども、ここまで本格的なものはないし、昔からクールベには並々ならぬ情熱を抱いていて、それがここに結実したようで、これも必読文献。しかし、メルロ=ポンティとセザンヌ、アンリとカンディンスキー、ドゥルーズとフランシス・ベーコンといった対はすぐに納得出来るが、マリオンとクールベとは...阿部良雄の仕事など思い浮かべながら読むのが楽しみではある。
 それにしても、必読書ばかり。世の中は、人が眠っていても激しく回転している...
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2014/10/4

ドゥルーズとデヴィッド・ボウイ、補足  哲学
 少し前に、「逃走の線に魅せられた欲望の解放者 [創作]ジル・ドゥルーズとアラン・ロブ=グリエ、デヴィッド・ボウイを語る 翻訳・構成 鈴木泉」(『Kawade 夢ムック 文藝別冊 総特集 デヴィッド・ボウイ』河出書房新社、2013年)というのを書いたけれども、以下その補足。
 この捏造対談、ユリシーズ集団の河添剛さんの示唆もあって書いたもので、その一番のきっかけは、ドゥルーズその人が実際にデヴィッド・ボウイを聞いていたという証言をどこかで読んだはずという曖昧な記憶。しかし、その証言そのものをどこで読んだのか思い出せず、執筆の際に少しだけ調べてみたのだけれど見つからないままに放置していた。もしかして、既に始まっている老人ボケの進行の徴候かと危惧していたが、ようやく見つけることが出来た。証言者は Claude Mauriac。1973年1月にドゥルーズ宅での夕食の際――モーリアックの他、リオタールも同席――、アルバン・ベルクの『ルル』や『ヴォツェック』のレコードの後に、ドゥルーズはボウイのレコードをターン・テーブルに載せたという。1973年だから、アルバムだとしたら『アラジン・セイン』か。しかも、その記述の直後に、ジャン・ジュネについてドゥルーズが語っている言葉が記されているから、「ジーン・ジニー(The Jean Genie)」がドゥルーズ家の食卓には流れたように推測されはするが、さすがにそれだと出来すぎた話か。原著が見つからないので、出典の頁数を示すことは出来ないが、この逸話はモーリアックの日記に収められている(Et Comme L Esperance Est Violente. Le Temps Immobile 3, Paris,Grasset, 1976)。この夕べに関しては、丹生谷貴志が該当箇所を抜粋・翻訳しつつ紹介しており(「クロソフスキーの場所」『夜想22 クロソウスキー』ペヨトル工房、1987年、所収)、以上もそれを参考にしたもの。
 というわけで、捏造対談は全くの妄想ではなかった、のでした。(なお、『夜想』クロソウスキー特集のことを思い出させてくれた清水高志さんに感謝します。)
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2014/9/30

デカルト初期思想と哲学者の誕生  哲学
待望の書 Etudes du bon sens, La recherche de la vérité et autres écrits de jeunesse (1616-1631), Edition, traduction, présentation et notes de Vincent Carraud et Gilles Olivo, avec la collaboration de Corinna Vermeulen, Paris, PUF, 2013 がようやく届く。昨年、若い友人にその刊行を教えられてはいたのだが、品切れとかで手に入らなかったのだ。デカルトの法学学士号取得(1616年)の際の「献呈の辞」と遺言に関する「法学論文」――ヴァンサン・カローとアルモガットによって発見された経緯と前者の翻訳が塩川徹也の手によって『発見術としての学問』(岩波書店、2010年)に収められている――から所謂『思索私記』(1619年)、『良識の研究』(1619-1623年)を経て未完の対話篇『真理の探求』(1631年ー!ー)に至る若きデカルトの著述のうち、科学論文や既に校訂版ないしは注釈書の存在する『規則論』を除いた哲学的な遺稿を校訂・翻訳したもの。だが、それらの遺稿を寄せ集めたただの校訂本ではなく、数学者・科学者デカルトがいかにして「哲学者」となったかをクロノロジックに秩序づけられた十分な一貫性と共に示す大胆な冒険の書である。誤解を恐れずに言えば、科学革命の立役者の一人がいつ・いかにして近代哲学の創設者となったか、という問いに答えようとするのであるから、興味は尽きない。
本邦においても、この方面に関して、まずは所雄章の一連の仕事(『デカルトI』勁草書房、校訂新版、1976年; 『知られざるデカルト――デカルト研究拾遺』知泉書館、2008年)があるし、例えば『良識の研究』に関しては、石井忠厚(『哲学者の誕生――デカルト初期思想の研究』東海大学出版会、1992年)や山田弘明(『デカルト哲学の根本問題』知泉書館、2009年)らによる先駆的な仕事があるが――後者には翻訳と註釈が収められている――、カローらのそれは徹底的な再構成を行うことによって先の課題に答えているようであり、それを代表として、本書はデカルトの思索形成史や『方法叙説』の読解などに関して大きな変更を迫る超第一級の資料にして研究である。冬眠から覚めたばかりで慌ただしいため、暫くはとてもゆっくりと検討する時間は取れないけれど、いつか検討結果をこのブログで紹介したい。デカルト研究者の看板を降ろしてしまった私にはその余裕も資格もないから、若い優秀なデカルト研究者が全訳を試みてくれたらいいと思う。
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2014/9/28

大西克智著『意志と自由』合評会のお知らせ  哲学
 大西克智さんの瞠目すべき著書『意志と自由――一つの系譜学――』(知泉書館、2014年)の合評会を、10月31日(金)に東京大学本郷キャンパスで開催致しますので、ご関心のある向きは奮ってご参加下さい。
 本書は、デカルトの意志と自由を巡る思索の意義について、ジルソンを淵源とする研究史を塗り替えつつ、その解釈史的偏向の背景にある哲学史的系譜学を――アウグスティヌスからモリナとスアレスへと辿って――明らかにすることを通して、この上なく深い思索を展開するものです。私の知る限り、今年刊行された哲学書の中で、哲学史的にも哲学的にも最も密度が濃く、また、多くのことを考えさせる書物であると思います。
 スケールの大きな系譜学を描く著書でもありますので、その広がりを共有すべく、スコトゥス、スピノザ、ベルクソンをそれぞれに専門とされる三人の方々をコメンテーターにお招きします。参加者全員による討議にも時間を割くつもりですので、デカルトや近世哲学研究者以外の方々の参加も期待します。


 日時:10月31日(金)17時半から21時まで
 場所:東京大学本郷キャンパス(法文二号館二階教員談話室)
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_01_02_j.html
 司会:鈴木 泉(東京大学)
 コメンテーター:朝倉友海(北海道教育大学釧路校)、小川量子(立正大学)、村山達也(東北大学)
 タイムスケジュール:
  17時半:司会者による紹介、著者による簡単な自著紹介
  18時:コメントと質疑(それぞれ、コメント25分、応答15分)
    18時:朝倉友海
    18時40分:小川量子
    17時20分:村山達也
  20時:休憩
  20時10分:全体討議
 主催:フランス哲学セミナー
 連絡先:鈴木泉(email:izumisz@mac.com)
 (どなたでも参加出来ます。申込み等は必要ありません。また、終了後、ごく簡単な懇親会を予定しています。)

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 なお、続いて、11月1日(土)と2日(日)には、東京大学の哲学会の大会も開催されます。1日には、熊野純彦さんの著書『マルクス 資本論の思考』をめぐるワーク・ショップ(提題者は著者と小泉義之さん)なども企画されていますので、会員以外の方の場合には若干の参加費が必要になりますが、併せてご参加頂けると幸いです。
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/tetsugakukai/
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2013/5/1

マイモンとSylvain Zac  哲学
備忘録代わりに。先日のスピノザ協会での長島さんの講演の一つの主題は、マイモンとスピノザの関係だった。私自身は、スピノザとユダヤ思想とを関係づける方向の議論にはこれまであまり乗ることが出来なかったのだが、スピノザの無限の観念をEnsophと言い換え、さらにそれをカントの超越論的哲学批判へと展開していくマイモンの議論を聞いていると、スピノザとユダヤ思想の近親性はやはり考えねばならないと思うようにはなった。さらに、18世紀後半のドイツにおけるスピノザ・ルネッサンスをスピノザ主義のライプニッツ化と乱暴に特色づけることが仮に許されるとして、マイモンはそれに先立って、そういった傾向とは異なった線を描いたようにも思われてくる。あまり深入りしないようにとは思ってはいるし、というか、実際、深入りしている暇はないのだが、ヤコービ・ヘルダー・ヘーゲル・ラインとは異なるスピノザ受容の線としてマイモンを位置づけたら面白い、と妄想してみよう。その際、参考になるのは、Sylvain Zac の一連の仕事(Salomon Maïmon. Critique de Kant, Paris, Cerf, 1988; Spinoza en allemagne. Mendelssohn, Lessing et Jacobi, Paris, Klincksieck, 1989)だろうか。前者は以前読んだ記憶があるが、後者は見つからない。ドゥルーズ解凍作業の一環ということもあるし、難解な Versuch über die Transcendentale Philosophie、仏訳や栗原隆の手になる邦訳を参考にしながらさすがにそろそろけりをつけたいところではある。
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2013/4/2

Jean-Luc Marion revisited  哲学
 大昔、マリオンに関しても解説論文を書いたことがあるけれど、その後、私自身が大きく方向転換してしまったので、もうそういったものを書くことはないと思うが、それでも今やアカデミー・フランセーズ会員である、現代フランスにおける最後のmaîtres à penserの一人の思索の行方は気になるのも事実。最近お書きになっているものは、Dieu sans l'êtreSur le prisme métaphysique de Descartes、さらには Etant donné などの創造力溢れる著作に比べると、刺激が乏しいように思いはするものの、それでも何を読んでも考えさせられる。
 最近著は、久しぶりのデカルト論 Sur la pensée passive de Descartes(Paris, PUF, 2013)。届いたばかりだから、まだ頁を捲っただけだが、これまで、「エリザベト宛書簡」や『情念論』といったデカルトの著作で提示されたデカルトの人間論・生に関する議論・道徳論については主題的に論じることの比較的少なかった著者による、その方面に関する単著だから否応なしに期待は高まるというものだ。それほど大部のものではないが(インデックスまで入れて272頁)、「第六省察」における物体的事物の実在証明に関する議論(第一章「物質的事物の実在」あるいは「哲学のスキャンダル」」)から固有身体や肉に関する議論(第二章・第三章)を経て、第三の原始的概念(第四章)、合一の問題(第五章)、さらには『情念論』における受動性の問題(第六章「情念・受動と受動性」)へと説き及んでいる。バイエの伝える『オリュンピカ』の中に記されていた1619年の夢の三つ目において、デカルトが詩人アウソニウスの「いかなる生の途にかわれ従わん(Quod vitae sectabor iter?)」という一節に言及して、それを解釈しているのは有名な話しだろう。この一節を引用しながら、マリオンは次のように記す。この問いは「まさに生に関わるのであって、人が最終的には、プラクシスの問いに応答することを要求する。灰色の存在論、白紙の神学、その光を分光・分解する形而上学のプリズムを同定した後で、従って、私たちはこの問いに応答しようと試みなければならなかった、この全てを決定する問いに。このことがデカルトと共に終わることなのである(Ce qui s'appelle finir avec Descartes)。」(p. 13)「私はデカルトによって開始し、今日、デカルトでもって終わろうとする。(J'ai débuté par Descartes et je tente aujourd'hui de finir par lui.)」(p. 12)
 「なるほど、デカルトと縁を切ることが問題なのではない(Il ne s'agit certes pas d'en finir avec lui.)」(ibid.)が、デカルトでもって終わろうとする...何やら遺言めいたものをも感じさせるが、少なくとも、マリオンにとって、この書がデカルト研究の最後の著作になるのは事実のようだ。
 さらに、昨年は、デカルトの無限概念に関する博士論文の刊行が待ち望まれる若きデカルト/レヴィナス学者 Dan Arbib による対談集(La rigueur des choses. Entretiens avec Dan Arbib, Paris, Flammarion, 2012)も刊行された。こちらは、その生の軌跡から教会の未来に至るまで、マリオンの思索の形成とその意義に焦点をあてたもので、とても興味深い。(ラカンの思索のみならず、実際の精神分析との関係まで触れられている――「個人的必要から、少しばかり精神分析医のところに通ったものの、[……]人は私に言うのだが、私の中にある全てが分析を拒否したのでした。絶対的抵抗。」(p. 254))
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2013/3/29

Jean Leclercq教授ならびにNicholas Monseu教授講演会のお知らせ  哲学
Jean Leclercq教授ならびにNicholas Monseu教授講演会のお知らせ

 京都大学において開催されるASPLFの中間大会のために来日されるJean Leclercq教授ならびにNicholas Monseu教授(ともに、ベルギー・ルーヴァンカトリック大学)の講演会を下記の要領で開催します。
 Jean Leclercq教授のご専門は19世紀から現在までのフランス語圏の哲学史、宗教哲学、文献学・哲学・神学のエピステモロジー的関係、モーリス・ブロンデル・アーカイブ所長、リクール文庫(パリ)学術評議員、2006年からはフランス語哲学連合事務局長を務めておられます。Nicholas Monseu教授のご専門は現象学・解釈学を中心とした現代哲学です。今回は、レヴィナスとアンリに関するお二人による(à double voix)講演をお願いすることになりました。
 年度初めのお忙しい時期とは存じますが、皆様のご参加をお待ちしております。

 記
 Jean Leclercq教授ならびにNicholas Monseu教授講演会
 講演題目:« Levinas et Henry : la subjectivité en contrastes »
 日時:4月4日(木)15時〜17時半
 場所:東京大学文学部(本郷キャンパス)法文二号館二階教員談話室
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_01_02_j.html
 使用言語:フランス語(簡単な通訳付き)
 連絡先:鈴木泉(E-mail:IzumiSZ@ mac.com)
 共催:日仏哲学会哲学会(東京大学)
 (どなたでもご参加できます。予約等は必要ありません)
 以上

 京都大学において開催されるASPLFの中間大会のために来日されるJean Leclercq教授ならびにNicholas Monseu教授(ともに、ベルギー・ルーヴァンカトリック大学)の講演会を下記の要領で開催します。
 Jean Leclercq教授のご専門は19世紀から現在までのフランス語圏の哲学史、宗教哲学、文献学・哲学・神学のエピステモロジー的関係、モーリス・ブロンデル・アーカイブ所長、リクール文庫(パリ)学術評議員、2006年からはフランス語哲学連合事務局長を務めておられます。Nicholas Monseu教授のご専門は現象学・解釈学を中心とした現代哲学です。今回は、レヴィナスとアンリに関するお二人による(à double voix)講演をお願いすることになりました。
 年度初めのお忙しい時期とは存じますが、皆様のご参加をお待ちしております。

 記
 Jean Leclercq教授ならびにNicholas Monseu教授講演会
 講演題目:« Levinas et Henry : la subjectivité en contrastes »
 日時:4月4日(木)15時〜17時半
 場所:東京大学文学部(本郷キャンパス)法文二号館二階教員談話室
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_01_02_j.html
 使用言語:フランス語(簡単な通訳付き)
 連絡先:鈴木泉(E-mail:IzumiSZ@ mac.com)
 共催:日仏哲学会、哲学会(東京大学)
 (どなたでもご参加できます。予約等は必要ありません)
 以上
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2012/9/11

Lettres inédites de Deleuze  哲学
 少しだけ新着図書紹介。
 まだ目次を捲っただけだが、Bernard Pautrat, Ethica sexualis. Spinoza et l'amour, Paris, Editions Payot & Rivages, 2011 は、話題の書だろう。20年以上にわたって、エコール・ノルマルで『エチカ』の演習を続けているポートラのスピノザに関する初めての著書。もちろん、『エチカ』と『知性改善論』に関して現在最良の仏訳で知られているポートラだが、これまでスピノザに関して殆ど論文も発表していないし、演習に出席していた知り合いに聞いたところでは、その内容は訳読を中心とした淡々としたものらしいので、いったいどのようなスピノザ像を抱いているのか気になってはいたところだったのだが、題名が示すように思ってもみなかった主題を扱っている。かなり丁寧なテクスト解釈をもとにした研究書だから、読むのが楽しみ。『エチカ』第四部附録、第三部定義48、第五部定理42の奇妙さから議論が説き起こされている。
 ドゥルーズに関しても、続々と論文集や研究書が刊行されているが、一番印象的だったのは、Les styles de Deleuze, suivi de cinq lettres inédites de Gilles Deleuze, sous la direction d'Aden Jdey, Paris, Les impression nouvelles, 2011 に付されている、ドゥルーズの未刊行書簡。ドゥルーズの教え子で研究書(La guêpe et l'orchidée : Essai sur Gilles Deleuze, Paris, Belin, 1999)もある Arnaud Villani への38通の書簡のうち、1981年から1982年にかけての書簡5通が公開された。Villlaniの著作の発行元――どうもその決定がなかなかに難航していたらしい――関するアドヴァイスや心配を示す気配りは、ドゥルーズの繊細な優しさを示しているが、まあどこの世界においてもよき教師とはそういったものだろう。重要なのは次の三点。1. 他のところでも語られていることではあるが、60年代後半の自らの著作に関する厳しい評価。「構造主義に関するテクストには私は重要性を殆ど与えていなし、まだ精神分析の影響下にある『意味の論理学』の全ての部分に対してはさらに重要性を与えていないのです。」2. ガタリとの共同作業の意味について。恐らく、Villani が著作の草稿において『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』に触れる際に、ドゥルーズについてのみ語っているのに対して、そのように語ることも可能だが、と限定を加えた上で、二つの著作は二人のものであることを強調している。3. 最後は、ドゥルーズの謙虚にして優しい人柄と哲学者として何が重要かをよく了解しているその姿を示すアドヴァイス。「私に魅了されたり夢中になったりしたままではいけない。誰かの「弟子」になりたいと望み、実は「師」と同じくらい才能があるのに、枯渇してしまった人々のケースを私は見てきました。それは恐ろしいことです。私について研究することには、貴兄にとって大きな不都合が二つあります。まず、それは貴兄が大学人としての道を進むにあたって助けにならないでしょう。このことは恐らく本質的なことではないかもしれないけれど、それにしてもとても大事なことです。ついで、とりわけ、貴兄は詩や哲学に関するあなた自身の仕事をしなければなりませんし、それは私自身の仕事によって強制されることを許すようなものではあり得ないのです。」以上、いずれも当然のことだとは思うが、美しい言葉ではある。書簡全体を読みたいものだ。
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2012/8/28

Spinoza en Italie et le Moment Philosophique des Années 1960 en France  哲学
 新着図書紹介二つ。
 Spinoza transalpin. Les interprétations actuelles en Italie, sous la direction de Chantal Jaquet et Pierre-François Moreau, Paris, Publications de la Sorbonne, 2012.
 題名通り、イタリアにおけるスピノザ研究の現状を巡る論文集、というか2010年にパリで開催されたコロックの記録。編者二人による序文の後、イタリア側10人の研究者の論文に対して、フランス側がそれぞれコメントするという形式。『エチカ』の新しいイタリア語訳刊行を機縁にした『エチカ』テクストの問題から二本のmultitude論まで扱われる主題は広い。イタリアのスピノザ研究は、イタリアの(近世)哲学史研究一般がそうであるように、文献学への傾斜や、スコラとの関係を一つの軸とした影響作用史研究に特色があるように思われるが、冒頭二つの論文を除けばそれほどの特色は出ていないよう。ざっと読んだ限りでは、近世スコラとスピノザの関係に関する複数の名著があるPiero Di Vonaの影響下でスピノザの存在論における超越の問題を扱ったGiuseppe d'Anna, « La transcendance à l'intérieur de la substance. Apories de l'immanence dans la pensée de Spinoza »が、ドゥルーズ批判を展開していて、最近この手のものが多いとはいえ、考えさせられた。イタリアのスピノザ研究はついつい後回しになってしまう傾向があるので、最近の若手の研究者の動向を知るためにも貴重か。
 重要なのは次。
 Le Moment Philosophique des année 1960 en France, sous la direction de Patrice Maniglier, Paris, PUF, 2011.
 刊行されてから一年以上経ってから知ったので、もはや旧聞に云々ということかも知れないが、考えさせる論文が多数含まれている。私たちにも馴染みの深いFrédéric Wormsが、20世紀のフランス哲学総体を捉え直す研究を集団的に進めているのは色々なところから聞こえてきたが、彼の率いるパリの高等師範学校の「フランス現代哲学研究国際センター」によって2008年度に組織された一連のコロックを中心とした成果。1960年代というフランスの哲学運動が最も華々しかった、私なりの言葉で言えば現代フランスにおける「哲学革命」の内実の意義を、哲学的/哲学史的に現在から捉え直そうとする試み。Wormsによる序文、Maniglierによるイントロダクションと全八部(1/エピステモロジーの契機、2/1962年、レヴィ=ストロース、3/政治の契機、4/1965年、アルチュセール、5/哲学の契機、6/1967年、デリダ、7/美学の契機、8/1971年、リオタール)、全29本の論文が掲載。当然のことながら、ドゥルーズ関係の論文が多い(ある種の文体分析!、ニーチェ論の検討)が、ざっと通読した限りでは、構造主義・構造の概念の(とりわけドゥルーズにおける)扱いを批判的に検討するDavid Rabouin, « Structuralisme et comparatisme en sciences humaines et en mathématiques : un malentendu ? »,、同じくそれとの絡みでドゥルーズによる胎生学の議論の援用を批判的に検討するAlberto Gualandi, « La renaissance des philosophies de la nature et la question de l'humain »,、ドゥルーズとゲルーのスピノザ論の意義/交錯/違いに関するマシュレによる詳細な検討論文(« Spinoza 1968 : Guéroult et/ou Deleuze» )、ドゥルーズの思考のイマージュ論と超越論哲学の帰趨を検討するJean-Christophe Goddard, « Deleuze dans le moment 1960. Une nouvelle image de la pensée ? »,、リオタールのFigure論とドゥルーズの反復論の対比をも試みるJuan Luis Gastaldi, « L'esthétique au sein des mots : Discours, figure, ou le renouvellement du projet critique »が興味深かった。他にも、グランジェ/フーコー/レヴィ=ストロース論、アルチュセール/ゴダール論、ブレーズ/レヴィ=ストロース論、なども面白そうだし、少し前にリオタール論文集が同じくWorms編で出ていたけれども、ジャン=クレ・マルタンのものを含むリオタール論が四本収められているのも貴重だろう。まあ、この時期の「哲学革命」が本格的な検討の対象となる時代になったということなのだが、これは考えねばならないと思っていた事柄に関してかなり水準の高い議論が展開されているので、今後の基本論文集になるかも知れない。なお、Wormsによる冒頭の叢書紹介や末尾の近刊予告を見たら、これは「フランス現代哲学」という叢書の一冊目らしく、また、その叢書はmoments/relations/problèmesという三つの部門からなり、エリー・デューリングのベルクソン/アインシュタイン論の他に、1943年という契機やコジェーヴとコイレを巡る30年代のフランス哲学に関する論文集も刊行されるとのこと。大体考えることはどこも同じだとつくづく思う。
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