最近の作物 仕事
[論文]「大地の動揺可能性と身体の基礎的構造――問いの素描」『哲學』日本哲学会編、2012年、pp. 25-44。
[エッセイ]「哲学史の創出という夢と現実――一つの記録とともに」『本』講談社、2012年1月号、pp. 10-11。
[論考]「序論 再開の哲学」『西洋哲学史II 「知」の変貌・「信」の階梯』神崎繁・熊野純彦・鈴木泉責任編集、講談社、2011年、pp. 8-32。
[コラム]「バロックのサウダージ」『Ulysses emergency edition/Devendra Banhart special』2011年。
[コラム]「Jean Eustache『La maman et la putain』」『Ulysses emergency edition/Simon Finn special』「サイモン・フィンを介してサイモン・フィンを忘却するための空想科学」2011年。
[書評]「中田光雄『正義、法-権利、脱-構築――現代フランス実践思想研究――』(創文社、2008年)及び『現代を哲学する 時代と意味と真理――A・バディウ、ハイデガー、ウィトゲンシュタイン ――』(理想社、2008年)」(松本潤一郎氏との共著)『フランス哲学・思想研究』第15号、2010年、pp. 190-194.
[論文]「哲学史という背後」『叢書 哲学への誘い――新しい形を求めて I巻 哲学の立ち位置』松永澄夫・鈴木泉編、東信堂、2010年、pp.250-281.
[鼎談/コラム/ディスク・ガイド]「スウィンギング・ロンドンからブリティッシュ・サイケデリアへ 新しさへの批判・伝統への批判」(河添剛、福島恵一両氏との鼎談)、「思想としてのサイケデリア、と言ってみる」、「Psychedelic Freak Out. The 102 trippiest British albums of all time」(分担執筆)、『ユリシーズ』No. 4, シンコーミュージック・エンタテイメント、2010年、pp. 37-42, p. 40, p. 63, pp. 64-65, p. 67, p. 76.
[インタヴュー]「今の人たちに欠けているのは、信じる、ということ 関係性の思索者レックとの一夜」、『ユリシーズ』No. 3, シンコーミュージック・エンタテイメント、2010年、pp. 56-62.
[インタヴュー/論考/アンケート/コラム]「インターナショナルな左翼と音楽の自由 パンタ・インタヴュー」、「パーカッションという自由 トシ・インタヴュー」、「頭脳警察とヒューマニズムの諸問題」、「ベスト・アルバム2009」、「音楽活動30周年を迎えたイクエ・モリ」、『ユリシーズ』No. 2,、シンコーミュージック・エンタテイメント、2010年、pp. 44-58, p. 82, p. 151.
[小論]「坂部惠と交叉反転の論理の行方」『KAWADE道の手帖 メルロ=ポンティ』河出書房新社、2010年、pp. 174-178.
[論文]「ドゥルーズと発生の問題」『現代思想 総特集フッサール』十二月臨時増刊号、第37巻第16号、2009年、pp. 364-372.
[アンケート/鼎談]「50人が選ぶこの50年で最も影響力のあったポップ・ミュージックのアーティスト」および「軽率さの地質学 『ユリシーズ』の可能性」(河添剛、森田敏文両氏との鼎談)、『ユリシーズ』No. 1, シンコーミュージック・エンタテイメント、2010年、p. 36, pp. 173-173.
[書評]「小泉義之『デカルトの哲学』(人文書院、2009年)」『週刊読書人』2009年10月9日.
[書評]「哲学的「自己形成小説」の試み――アントニオ・ネグリ『野生のアノマリー』――」『思想』2009年第8号、岩波書店、pp. 71-85.
[辞典項目]「幸福」『VOL lexicon』責任編集 白石嘉治/矢部史郎、以文社、2009年、pp. 62-63.
[論文]「力能と人間――アントニオ・ネグリ『野生のアノマリー』をめぐって」『別冊情況』第三期第一〇巻第七号、情況出版株式会社、2009年、pp. 171-180.
[追悼文]「哀悼 坂部惠先生」『週刊読書人』2009年6月29日。
[ディスク・レヴュー/コラム]『アシッド・フォーク』河添剛監修、シンコーミュージック・エンタテイメント、2009年。
[読書案内]『東大教師が新入生にすすめる本2』文春新書、2009年、pp. 201-204.(『UP』東京大学出版会、2007年4月号、所収稿の再録。但し、一部訂正。)
[書評]「隷属への抵抗を静かに促す」平井玄『千のムジカ』(青土社、2008年)『東京・中日新聞』2009.3.15.
[書評]「久米博・中田光雄・安孫子信編『ベルクソン読本』(法政大学出版局、2006年)」『フランス哲学・思想研究』第13号、2008年、pp. 146-152.
[小論]「合意とパッチワーク」(鶴見俊輔『アメリカ哲学』解題)『KAWADE 道の手帖 鶴見俊輔』河出書房新社、2008年、pp. 150-153.
[論文]「リトルネロ/リフの哲学 ドゥルーズ&ガタリの音楽論に寄せて」『現代思想』「ドゥルーズ」第36巻第15号、青土社、2008年、pp. 194-203.
[論文]「スティルとリトルネロ――メルロ=ポンティとドゥルーズ」『思想』2008年第11号、岩波書店、pp. 256-274.
[鼎談/アンケート]「哲学史研究の現在」(神埼繁・熊野純彦両氏との鼎談)および「非人間主義的な哲学の白眉」(アンケート)『哲学の歴史 別巻 哲学と哲学史』中央公論新社、2008年、pp. 54-84, 408.
[エッセイ]「赤塚不二夫と動物化の諸問題」『KAWADE 夢ムック 文藝別冊[総特集]赤塚不二夫』河出書房新社、2008年、pp. 160-166.
[論文]「「形而上学」の死と再生――近代形而上学の成立とその遺産――」『岩波講座 哲学 02 形而上学の現在』岩波書店、2008年、pp. 49-73.
[書評]「中原昌也『ニートピア2010』(文藝春秋、2008年)」『論座』2008年6月号、朝日新聞社、pp. 324-325。
[紹介]「ドゥルーズ」『哲学の歴史 第12巻 実存・構造・他者 【20世紀III】』責任編集 鷲田清一、中央公論新社、2008年、pp. 613-662.
[論文]「力能と「事象性の度合い」――スピノザ『デカルトの哲学原理』第一部定理7に関する覚書」『論集』26、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部哲学研究室、2008年、pp. 74-90。
[論文]「非人間主義の哲学――ピエール・モンテベロの仕事をめぐって」『死生学研究』第9号、東京大学大学院人文社会系研究科、2008年、pp. 82-96。
[翻訳]ピエール・モンテベロ「いかに自然を思考するか?――ドゥルーズの自然哲学」『死生学研究』第9号、東京大学大学院人文社会系研究科、2008年、pp. 60-81。
[紹介/後書き]「ドゥルーズ/ガタリ研究・活用の現在」・「後書きに代えて」『ドゥルーズ/ガタリの現在』小泉義之・鈴木泉・檜垣立哉編、平凡社、2008年、pp. 698-717。
[紹介]「マルブランシュ」『哲学の歴史 第5巻 デカルト革命 【17世紀】』責任編集 小林道夫、中央公論新社、2007年、pp. 459-505。
[ライナーノーツ]「リフの美学――『ZONE TRIPPER』に寄せて――」FRICTION『ZONE TRIPPER』(PASS RECORDS/P-VINE)ライナーノーツ、2007年12月5日発売。
[エッセイ]「「お前はお前の踊りを踊れ」という、真っ当で過酷な要求」『ROCKS OFF』Vol.03、シンコーミュージック・エンタテイメント、2007年12月16日発行、p. 155。
HPのURL:http://www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/profsuzuki.html
(これまで表示していたHPが変更不可能になったので、勤務先のHP内のそれに移行しました。)
なお、このブログ、Windows での閲覧の場合、レイアウトが崩れてしまうことがあります。Mac OSユーザー=マイノリティへのご理解を。
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[エッセイ]「哲学史の創出という夢と現実――一つの記録とともに」『本』講談社、2012年1月号、pp. 10-11。
[論考]「序論 再開の哲学」『西洋哲学史II 「知」の変貌・「信」の階梯』神崎繁・熊野純彦・鈴木泉責任編集、講談社、2011年、pp. 8-32。
[コラム]「バロックのサウダージ」『Ulysses emergency edition/Devendra Banhart special』2011年。
[コラム]「Jean Eustache『La maman et la putain』」『Ulysses emergency edition/Simon Finn special』「サイモン・フィンを介してサイモン・フィンを忘却するための空想科学」2011年。
[書評]「中田光雄『正義、法-権利、脱-構築――現代フランス実践思想研究――』(創文社、2008年)及び『現代を哲学する 時代と意味と真理――A・バディウ、ハイデガー、ウィトゲンシュタイン ――』(理想社、2008年)」(松本潤一郎氏との共著)『フランス哲学・思想研究』第15号、2010年、pp. 190-194.
[論文]「哲学史という背後」『叢書 哲学への誘い――新しい形を求めて I巻 哲学の立ち位置』松永澄夫・鈴木泉編、東信堂、2010年、pp.250-281.
[鼎談/コラム/ディスク・ガイド]「スウィンギング・ロンドンからブリティッシュ・サイケデリアへ 新しさへの批判・伝統への批判」(河添剛、福島恵一両氏との鼎談)、「思想としてのサイケデリア、と言ってみる」、「Psychedelic Freak Out. The 102 trippiest British albums of all time」(分担執筆)、『ユリシーズ』No. 4, シンコーミュージック・エンタテイメント、2010年、pp. 37-42, p. 40, p. 63, pp. 64-65, p. 67, p. 76.
[インタヴュー]「今の人たちに欠けているのは、信じる、ということ 関係性の思索者レックとの一夜」、『ユリシーズ』No. 3, シンコーミュージック・エンタテイメント、2010年、pp. 56-62.
[インタヴュー/論考/アンケート/コラム]「インターナショナルな左翼と音楽の自由 パンタ・インタヴュー」、「パーカッションという自由 トシ・インタヴュー」、「頭脳警察とヒューマニズムの諸問題」、「ベスト・アルバム2009」、「音楽活動30周年を迎えたイクエ・モリ」、『ユリシーズ』No. 2,、シンコーミュージック・エンタテイメント、2010年、pp. 44-58, p. 82, p. 151.
[小論]「坂部惠と交叉反転の論理の行方」『KAWADE道の手帖 メルロ=ポンティ』河出書房新社、2010年、pp. 174-178.
[論文]「ドゥルーズと発生の問題」『現代思想 総特集フッサール』十二月臨時増刊号、第37巻第16号、2009年、pp. 364-372.
[アンケート/鼎談]「50人が選ぶこの50年で最も影響力のあったポップ・ミュージックのアーティスト」および「軽率さの地質学 『ユリシーズ』の可能性」(河添剛、森田敏文両氏との鼎談)、『ユリシーズ』No. 1, シンコーミュージック・エンタテイメント、2010年、p. 36, pp. 173-173.
[書評]「小泉義之『デカルトの哲学』(人文書院、2009年)」『週刊読書人』2009年10月9日.
[書評]「哲学的「自己形成小説」の試み――アントニオ・ネグリ『野生のアノマリー』――」『思想』2009年第8号、岩波書店、pp. 71-85.
[辞典項目]「幸福」『VOL lexicon』責任編集 白石嘉治/矢部史郎、以文社、2009年、pp. 62-63.
[論文]「力能と人間――アントニオ・ネグリ『野生のアノマリー』をめぐって」『別冊情況』第三期第一〇巻第七号、情況出版株式会社、2009年、pp. 171-180.
[追悼文]「哀悼 坂部惠先生」『週刊読書人』2009年6月29日。
[ディスク・レヴュー/コラム]『アシッド・フォーク』河添剛監修、シンコーミュージック・エンタテイメント、2009年。
[読書案内]『東大教師が新入生にすすめる本2』文春新書、2009年、pp. 201-204.(『UP』東京大学出版会、2007年4月号、所収稿の再録。但し、一部訂正。)
[書評]「隷属への抵抗を静かに促す」平井玄『千のムジカ』(青土社、2008年)『東京・中日新聞』2009.3.15.
[書評]「久米博・中田光雄・安孫子信編『ベルクソン読本』(法政大学出版局、2006年)」『フランス哲学・思想研究』第13号、2008年、pp. 146-152.
[小論]「合意とパッチワーク」(鶴見俊輔『アメリカ哲学』解題)『KAWADE 道の手帖 鶴見俊輔』河出書房新社、2008年、pp. 150-153.
[論文]「リトルネロ/リフの哲学 ドゥルーズ&ガタリの音楽論に寄せて」『現代思想』「ドゥルーズ」第36巻第15号、青土社、2008年、pp. 194-203.
[論文]「スティルとリトルネロ――メルロ=ポンティとドゥルーズ」『思想』2008年第11号、岩波書店、pp. 256-274.
[鼎談/アンケート]「哲学史研究の現在」(神埼繁・熊野純彦両氏との鼎談)および「非人間主義的な哲学の白眉」(アンケート)『哲学の歴史 別巻 哲学と哲学史』中央公論新社、2008年、pp. 54-84, 408.
[エッセイ]「赤塚不二夫と動物化の諸問題」『KAWADE 夢ムック 文藝別冊[総特集]赤塚不二夫』河出書房新社、2008年、pp. 160-166.
[論文]「「形而上学」の死と再生――近代形而上学の成立とその遺産――」『岩波講座 哲学 02 形而上学の現在』岩波書店、2008年、pp. 49-73.
[書評]「中原昌也『ニートピア2010』(文藝春秋、2008年)」『論座』2008年6月号、朝日新聞社、pp. 324-325。
[紹介]「ドゥルーズ」『哲学の歴史 第12巻 実存・構造・他者 【20世紀III】』責任編集 鷲田清一、中央公論新社、2008年、pp. 613-662.
[論文]「力能と「事象性の度合い」――スピノザ『デカルトの哲学原理』第一部定理7に関する覚書」『論集』26、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部哲学研究室、2008年、pp. 74-90。
[論文]「非人間主義の哲学――ピエール・モンテベロの仕事をめぐって」『死生学研究』第9号、東京大学大学院人文社会系研究科、2008年、pp. 82-96。
[翻訳]ピエール・モンテベロ「いかに自然を思考するか?――ドゥルーズの自然哲学」『死生学研究』第9号、東京大学大学院人文社会系研究科、2008年、pp. 60-81。
[紹介/後書き]「ドゥルーズ/ガタリ研究・活用の現在」・「後書きに代えて」『ドゥルーズ/ガタリの現在』小泉義之・鈴木泉・檜垣立哉編、平凡社、2008年、pp. 698-717。
[紹介]「マルブランシュ」『哲学の歴史 第5巻 デカルト革命 【17世紀】』責任編集 小林道夫、中央公論新社、2007年、pp. 459-505。
[ライナーノーツ]「リフの美学――『ZONE TRIPPER』に寄せて――」FRICTION『ZONE TRIPPER』(PASS RECORDS/P-VINE)ライナーノーツ、2007年12月5日発売。
[エッセイ]「「お前はお前の踊りを踊れ」という、真っ当で過酷な要求」『ROCKS OFF』Vol.03、シンコーミュージック・エンタテイメント、2007年12月16日発行、p. 155。
HPのURL:http://www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/profsuzuki.html
(これまで表示していたHPが変更不可能になったので、勤務先のHP内のそれに移行しました。)
なお、このブログ、Windows での閲覧の場合、レイアウトが崩れてしまうことがあります。Mac OSユーザー=マイノリティへのご理解を。
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2012/4/5
荒川修作とアウエハント『鯰絵』 哲学
東日本大震災と原発事故に関しては、文明史的に見るなら原発事故の方が重要性は大きい。ただ、哲学的思考に与えるショックという限りにおいては、原発事故からはそれほど大きな影響を受けず――ネオ・ダダ風に言えば、いまやアクションあるのみ!――、地震と津波の方が大きいと思い、また、以前のエントリーで触れた論文が或るところで開催されるシンポジウムの提題原稿でもあるので、その準備も兼ねて、まずは地震について少しずつ考えている。
そちらに割ける時間は少ないのだが、何故か気になるのはまずは故荒川修作。揺れる身体を考えるときに特権的な参照軸になるのではないかという予感があって、『現代思想』の荒川修作総特集号を少しづつ読んでいる。大地震の後に読んでから言うのは後出しジャンケンみたいだが、ヴァルデンフェルス始め、現象学系の議論は――荒川自身の好みは別にして――あまり参考にならないように思う。
もう一つは、オランダの構造人類学者アウエハントの日本文化研究の書『鯰絵』。安政の大地震の際に民衆の間で流布した、地震の原因とされる鯰の版画をめぐる研究だが面白い。私たちが地震とどのように生きていくのか――それも民衆的神話なき世界において――、一つの参考にはなろう。結論部では、ベルクソンの仮構機能(fabulation)の概念が導入されていて、この概念にはそういう使い方もあったか、と思う。(クルティウスがその大著『ヨーロッパ文学とラテン中世』の冒頭の方法論的考察において導入していたのも思い出される。)この書は、アウエハントを山口昌男がそのトリック・スター論で注目していたこともあって、数十年前に購入したもの。まさか、今頃になって真剣に読むことになろうとは......訳者の一人である中沢新一は地震について、今は何を考えているのだろうか。(『日本の大転換』を再読していたら「リムランド文明」の問題として論じられていた。もちろん、鯰も出てくる。)[括弧内、4月9日加筆。]
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そちらに割ける時間は少ないのだが、何故か気になるのはまずは故荒川修作。揺れる身体を考えるときに特権的な参照軸になるのではないかという予感があって、『現代思想』の荒川修作総特集号を少しづつ読んでいる。大地震の後に読んでから言うのは後出しジャンケンみたいだが、ヴァルデンフェルス始め、現象学系の議論は――荒川自身の好みは別にして――あまり参考にならないように思う。
もう一つは、オランダの構造人類学者アウエハントの日本文化研究の書『鯰絵』。安政の大地震の際に民衆の間で流布した、地震の原因とされる鯰の版画をめぐる研究だが面白い。私たちが地震とどのように生きていくのか――それも民衆的神話なき世界において――、一つの参考にはなろう。結論部では、ベルクソンの仮構機能(fabulation)の概念が導入されていて、この概念にはそういう使い方もあったか、と思う。(クルティウスがその大著『ヨーロッパ文学とラテン中世』の冒頭の方法論的考察において導入していたのも思い出される。)この書は、アウエハントを山口昌男がそのトリック・スター論で注目していたこともあって、数十年前に購入したもの。まさか、今頃になって真剣に読むことになろうとは......訳者の一人である中沢新一は地震について、今は何を考えているのだろうか。(『日本の大転換』を再読していたら「リムランド文明」の問題として論じられていた。もちろん、鯰も出てくる。)[括弧内、4月9日加筆。]

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2012/3/30
鋤田正義に関する一つの夢 写真
この夏に鋤田正義の大展覧会が開催されるようだ。詳細は知らないけれど、海外での展覧会を受けてのものらしい。T. Rex、デヴィッド・ボウイ等々の素晴らしい写真で知られる鋤田正義だが、私が氏の写真のかっこよさに魅せられたのは、いつもの如く、我がアイドル、パンタのアルバム・ジャケットによってだった。いつだか、氏とお会いするという幸運に恵まれたときに、その件をミーハーとしてお話ししたところ、ネガは沢山あるけどね、ということだった。誰か、私のために『PANTA by SUKITA』という写真集を企画してくれないものか。
それにしても、パンタや頭脳警察の一連のアルバム・ジャケットを眺めていると、ジャケット・デザインの劣化ということを口にしたくなる。ちょっと見てみよう。



以上5枚が鋤田正義が関わったアルバム・ジャケット。どれも素晴らしい。パンタが若くて一番のっているときのものということもあるだろうが、生意気そうだけれど詩心を湛えた貴公子パンタ(『Pantax's World』、裏ジャケがまた素晴らしい)、グラマラスなパンタ(『走れ熱いなら』、こちらは、写真家が二人クレジットされているけど、多分これは鋤田正義のはず。氏の名前がクレジットされた、同じ服装の写真――確か、当時の雑誌広告などでも使われていた――は、『日本ロック写真史』で見ることが出来る。その服を脱いで全裸になったパンタが縦にもったギターで急所を隠しているまさしく男根的な写真も見たことがある)、さらには「今を切り裂くパンタ」という当時の宣伝コピーがぴったりのライヴのパンタ(『TKO NIGHT LIGHT』)等々と、もちろんアート・ディレクションもいいのだろうけど、対象の本質に感応しながらその魅力的な一面を引き出すような場を作り出した上で、対象の輝く一瞬を逃さない、という鋤田正義の恐らくは天賦の才能がここでも遺憾なく発揮されているわけだ。(『1980X』の「モータードライブ」ではmanual effectでも参加していて、鋤田ファンには堪らない。)
比べては悪いし、鋤田正義に対する褒め言葉にもならないだろうが、最近のものがこれだ。

う〜ん。ジャケットにかけているお金も違うだろうから何とも言えないものの、初めて見たときB'sかと思った。(パンタは気に入っているらしいんで、パンタさん済みませんと一応謝っておきます。)
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それにしても、パンタや頭脳警察の一連のアルバム・ジャケットを眺めていると、ジャケット・デザインの劣化ということを口にしたくなる。ちょっと見てみよう。



以上5枚が鋤田正義が関わったアルバム・ジャケット。どれも素晴らしい。パンタが若くて一番のっているときのものということもあるだろうが、生意気そうだけれど詩心を湛えた貴公子パンタ(『Pantax's World』、裏ジャケがまた素晴らしい)、グラマラスなパンタ(『走れ熱いなら』、こちらは、写真家が二人クレジットされているけど、多分これは鋤田正義のはず。氏の名前がクレジットされた、同じ服装の写真――確か、当時の雑誌広告などでも使われていた――は、『日本ロック写真史』で見ることが出来る。その服を脱いで全裸になったパンタが縦にもったギターで急所を隠しているまさしく男根的な写真も見たことがある)、さらには「今を切り裂くパンタ」という当時の宣伝コピーがぴったりのライヴのパンタ(『TKO NIGHT LIGHT』)等々と、もちろんアート・ディレクションもいいのだろうけど、対象の本質に感応しながらその魅力的な一面を引き出すような場を作り出した上で、対象の輝く一瞬を逃さない、という鋤田正義の恐らくは天賦の才能がここでも遺憾なく発揮されているわけだ。(『1980X』の「モータードライブ」ではmanual effectでも参加していて、鋤田ファンには堪らない。)
比べては悪いし、鋤田正義に対する褒め言葉にもならないだろうが、最近のものがこれだ。

う〜ん。ジャケットにかけているお金も違うだろうから何とも言えないものの、初めて見たときB'sかと思った。(パンタは気に入っているらしいんで、パンタさん済みませんと一応謝っておきます。)
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2012/3/25
「大地は揺れる」・「身体もrollし、shakeする」 哲学
身体をめぐって何か書けという指令を受けて論文を一本書いた。昼寝もする必要はないとは思うものの、当初は震災や原発事故について触れるつもりもなかったのだが、いつの間にか主題が変わってしまい、震災に大きく触れるという、それだけとると時流便乗的な軽薄なものとなった。とは言え、災害や原発について何かオリジナルなことが語れるわけもなく――まずは加藤尚武と中沢新一の著作を読めばいい――、凄く単純なこと、つまり、大地が揺れるというのはとてつもないことで、立ったり横たわったりする人間身体の基本的なあり方を揺り動かすし、そのことを通して、その根本的な事柄を覚醒させる、ということを論じたに過ぎない。あまりに単純でそれでいいのかと思わないでもないものの、「大地は動かない」というフッサールの遺稿を象徴として哲学には(動かない・揺れない)大地の比喩系が機能していたり、また、立つことや横たわることよりも触れる-触れられるという手の主題系が特権的な意味をもっていたりするために、このあたりのことが忘却されるという経緯があるので、少し探りを入れてみたわけだ。敢えて難しく言えば――いや、難しく言う必要はないのだが――、大地の動揺可能性とそれをもとにした人間身体の変容可能性ということが主題。
大体想像がつくように、余震はこれからもあるだろうし、また関東での大地震の可能性も高いようだから、大地の動揺可能性は希有な出来事とは言い難く、とすると、(動かない)大地への原信憑など言っていられないから、それに呼応するように人間身体のありようも変わっていくだろう、しかしどんな風に?と問いは進んで、経験の枠組み自体の変動云々という超越論的経験論の主題が話の落としどころとなった。脱地層化の哲学者ドゥルーズ&ガタリを召喚する、というのは、いつもながらの話で情けない限りだが、他に参照されるべき哲学者も見当たらないから仕方がない。但し、大地の動揺可能性と呼応するような人間身体の変容可能性にまでは彼らもまた説き及ぶことはない。事例としては宇宙飛行士なども考えられるけれど――文脈は違うが、ガガーリン小論を書いているレヴィナスはやはり慧眼だ――、身体を鍛えたりトレーニングするといった話ではないから、さてどうしたものやら、と最近考えていて、一つ思いついたこと。
これまた単純で恥ずかしいし、またかと言われそうだが、揺れる身体が特権的に語られるのはやはり音楽だ。(ダンス・舞踏もあるけれど、基本的にはむしろ立つこと・重力に抗すること、そして動物への生成変化ということの方が大事なのだと思う。アーティストによって異なるだろうから、誰を対象にするかによって話は大きく変わっていくだろう。ピナ・バウシュはどうなのか。)ビートを語るときに縦ノリ・横ノリというのがあるけれど、それに呼応して縦揺れ・横揺れという身体が考えられるし、キース言うところの(rockではない)rollの重要性、さらにはshakeの重要性など、ロックに限ることではないが、ポピュラー・ミュージックの身体はもともと揺れる身体だった。これは当該主題を考える際、特権的になり得る事例ではないかと思う。リフ=リトロネロ論によれば、カオスや宇宙の力から身を守ったり、それに呼応する枠組みを形作るのがリフ=リトロネロの機能だけれども、そのときに呼応する身体性そのものをビートのもたらす揺れにおいて考察したら面白いかも知れない。だからと言って、ヘヴィメタやハードコア・パンクのように、ヘッド・バンキングすることを通して地震に備えようと話ではないが。以上、妄想の種が一つ増えたことのご報告。
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大体想像がつくように、余震はこれからもあるだろうし、また関東での大地震の可能性も高いようだから、大地の動揺可能性は希有な出来事とは言い難く、とすると、(動かない)大地への原信憑など言っていられないから、それに呼応するように人間身体のありようも変わっていくだろう、しかしどんな風に?と問いは進んで、経験の枠組み自体の変動云々という超越論的経験論の主題が話の落としどころとなった。脱地層化の哲学者ドゥルーズ&ガタリを召喚する、というのは、いつもながらの話で情けない限りだが、他に参照されるべき哲学者も見当たらないから仕方がない。但し、大地の動揺可能性と呼応するような人間身体の変容可能性にまでは彼らもまた説き及ぶことはない。事例としては宇宙飛行士なども考えられるけれど――文脈は違うが、ガガーリン小論を書いているレヴィナスはやはり慧眼だ――、身体を鍛えたりトレーニングするといった話ではないから、さてどうしたものやら、と最近考えていて、一つ思いついたこと。
これまた単純で恥ずかしいし、またかと言われそうだが、揺れる身体が特権的に語られるのはやはり音楽だ。(ダンス・舞踏もあるけれど、基本的にはむしろ立つこと・重力に抗すること、そして動物への生成変化ということの方が大事なのだと思う。アーティストによって異なるだろうから、誰を対象にするかによって話は大きく変わっていくだろう。ピナ・バウシュはどうなのか。)ビートを語るときに縦ノリ・横ノリというのがあるけれど、それに呼応して縦揺れ・横揺れという身体が考えられるし、キース言うところの(rockではない)rollの重要性、さらにはshakeの重要性など、ロックに限ることではないが、ポピュラー・ミュージックの身体はもともと揺れる身体だった。これは当該主題を考える際、特権的になり得る事例ではないかと思う。リフ=リトロネロ論によれば、カオスや宇宙の力から身を守ったり、それに呼応する枠組みを形作るのがリフ=リトロネロの機能だけれども、そのときに呼応する身体性そのものをビートのもたらす揺れにおいて考察したら面白いかも知れない。だからと言って、ヘヴィメタやハードコア・パンクのように、ヘッド・バンキングすることを通して地震に備えようと話ではないが。以上、妄想の種が一つ増えたことのご報告。
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2012/3/25
Grégori Jean博士講演会のお知らせ 哲学
講演会のお知らせです。
法政大学において4月から開催される「エラスムス・ムンドゥスマスタープログラム ユーロフィロソフィー法政プログラム」のために来日されるGrégori Jean博士(ベルギー・ルーヴァン大学)の講演会を下記の要領で開催します。ふるってご参加頂ければと思います。
Grégori Jean博士は、ミシェル・アンリの専門家で、最近、若きアンリのテクストの編集を終えたということです。今回は、その成果をも披露して頂きながら、デリダによる「現前の形而上学」批判との関わりにおいて、アンリ現象学の意義を明らかにするといった内容の講演をお願い致しました。とても興味深い議論を聞くことが出来るのではないかと思っております。(因みに、« passéité »は、« passé »から派生し、« présent/présence », « passé/passéité »という仕方で、「現前(présence »)と対になる術語。サルトルが用いているようです。)
記
Grégori Jean博士講演会
講演題目:« Affectivité et métaphysique de la passéité chez Michel Henry »
日時:4月16日(月)15時半〜18時
場所:東京大学文学部(本郷キャンパス)法文二号館二階教員談話室
(http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_01_02_j.html)
使用言語:フランス語(簡単な通訳付き)
連絡先:鈴木泉(E-mail:IzumiSZ@aol.com)
エラスムス・ムンドゥスマスタープログラム ユーロフィロソフィーと哲学会(東京大学)の共催
(どなたでもご参加できます。予約等は必要ありません)
以上
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法政大学において4月から開催される「エラスムス・ムンドゥスマスタープログラム ユーロフィロソフィー法政プログラム」のために来日されるGrégori Jean博士(ベルギー・ルーヴァン大学)の講演会を下記の要領で開催します。ふるってご参加頂ければと思います。
Grégori Jean博士は、ミシェル・アンリの専門家で、最近、若きアンリのテクストの編集を終えたということです。今回は、その成果をも披露して頂きながら、デリダによる「現前の形而上学」批判との関わりにおいて、アンリ現象学の意義を明らかにするといった内容の講演をお願い致しました。とても興味深い議論を聞くことが出来るのではないかと思っております。(因みに、« passéité »は、« passé »から派生し、« présent/présence », « passé/passéité »という仕方で、「現前(présence »)と対になる術語。サルトルが用いているようです。)
記
Grégori Jean博士講演会
講演題目:« Affectivité et métaphysique de la passéité chez Michel Henry »
日時:4月16日(月)15時半〜18時
場所:東京大学文学部(本郷キャンパス)法文二号館二階教員談話室
(http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_01_02_j.html)
使用言語:フランス語(簡単な通訳付き)
連絡先:鈴木泉(E-mail:IzumiSZ@aol.com)
エラスムス・ムンドゥスマスタープログラム ユーロフィロソフィーと哲学会(東京大学)の共催
(どなたでもご参加できます。予約等は必要ありません)
以上
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2011/12/17
METAL BOX IN DUB with FRICTION 音楽
今日は大貫憲章主催(?)の「LONDON NITE X’mas Special 2011」、フリクションが出るので行きたいところだが、断念。あ〜あと思っていたところ、素晴らしいニュースを知った。来年2月に下北沢でMETAL BOX IN DUB feat JAH WOBBLE & KEITH LEVENEのライブがあり、4日はフリクションがゲストとのこと。これは最強。最近のキース・レヴィンがとてもいい仕事をしていることは友人たちから散々聞かされていたが、そのユニットとフリクションのライブとは!!!PILの結成もフリクションの結成も1978年、『Metal Box』のリリースもシングル『Crazy Dream』のリリースも1979年。ノスタルジーなく、今もって新しくも刺激的な音を作り出しているキース・レヴィンとレックが同日に同じステージに立つというのだからとてもワクワクする。これだけは万難排して行かねば。両者に初めて触れた高校生の頃からこちらは何も変わっていないということかも知れないが...
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2011/12/7
講談社『西洋哲学史II 「知」の変貌・「信」の階梯』刊行 哲学
10月に刊行された第一巻「「ある」の衝撃からはじまる」に続いて『西洋哲学史』シリーズ(神崎繁・熊野純彦・鈴木泉責任編集、講談社)第二巻「「知」の変貌・「信」の階梯」の見本刷りが届いた(書店に並ぶのは週末のよう)。第一巻より数頁薄いが、それでもかなりの厚さ。主に中世哲学を扱う第二巻も厚さだけでなく、構成と内容のいずれに関しても、もの凄く充実していると思う。今回は、私も序論「再開の哲学」を執筆し、従来の哲学史像に少しだけ揺さぶりをかけたつもり。中世哲学史研究に対してはアウトローだから、恥知らずとまでは言わないまでも向こう見ずの役回りを引き受けてしまったことになるし、専門研究者にとってはもはや自明なことを書き連ねているということになるかも知れないが、ともあれ、ご覧頂ければ幸いである。主にいわゆる近世哲学を扱う第三巻「「ポスト・モダン」のまえに」は来年刊行予定。こちらには、私もさらに実質的に参加している。乞うご期待。
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2011/12/1
デヴェンドラ・バンハート/映像上映会「私には天使のすかし模様が入っている」のお知らせ 音楽
8月のライヴがとても素晴らしかったらしい――残念ながら行けなかったのだ――デヴェンドラ・バンハートのドキュメンタリー映像の上映会とそれにまつわるミニ・ライヴが、12月9日に恵比寿のトラウマリスにおいて、『ユリシーズ』主催で開催される――次号刊行も視野に入れてしっかりと活動しているのだ!!――ので、お時間のある方はどうか足を運んで頂きたい。『ユリシーズ』アドヴァイザリー・ボードの河添さんや平さんイチオシの京都在住のアシッド・フォーキー林拓さん――ブリジット・セント・ジョンのライヴ盤『ジョリ・マダム』での演奏が忘れられない――らのミニ・ライヴもあるので、そちら方面が好きな方には是非ともお勧めしたい。
詳しくは会場のトラウマリスのHPを参照されたい。
http://traumaris.jp/space/2011/10/129.html
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詳しくは会場のトラウマリスのHPを参照されたい。
http://traumaris.jp/space/2011/10/129.html

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2011/11/28
Lou Reed & Metallica『Lulu』再び、その他 音楽
少し前のエントリーで記した待望のLou Reed & Metallica『Lulu』をずっと聴いている。素晴らしい!確かに(伊藤政則のライナーノーツ言うところの)異種格闘技なのだが、ヴェデキントの戯曲を音にもたらすためには、必然的な合体であったように思う。素晴らしいと言うだけでは愚かなので、時間を見つけて、いつかどう素晴らしいのか書いてみたい。
今年も後一月。今年はそれほど新譜を聴いていないが、他に何があったろう。突然段ボール『ありきたりの進歩』もよかったし、坂本慎太郎の新譜も楽しみだが、洋盤では何があったろう。個人的には、夏に突然目覚めたエレクトリック・マイルスの年であったのは事実だけれども。
そうそう、『Lulu』には、書籍付きのデラックス・ヴァージョンがあるよう。そちらもまた楽しみだ。
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今年も後一月。今年はそれほど新譜を聴いていないが、他に何があったろう。突然段ボール『ありきたりの進歩』もよかったし、坂本慎太郎の新譜も楽しみだが、洋盤では何があったろう。個人的には、夏に突然目覚めたエレクトリック・マイルスの年であったのは事実だけれども。
そうそう、『Lulu』には、書籍付きのデラックス・ヴァージョンがあるよう。そちらもまた楽しみだ。

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2011/10/17
Lou Reed with Metallica『Lulu』 音楽
少しびっくりし、また楽しみなことがわかったので、少しだけ。
ルー・リードの新作が(日本盤は)11月頭に発売される。何とメタリカとのコラボ、そして、主題はヴェデキントの『地霊』(1895年)と『パンドラの箱』(1905年)からなるいわゆる「ルル」二部作とのこと。これが、パプストの無声映画『パンドラの箱』(1929年、ルイーズ・ブルックス!)、そして、アルバン・ベルクのオペラ『ルル』(未完)や『ルル組曲』(1934年)等々の原作となったことはよく知られているわけだが、ベルクの向こうを張り、しかもあのメタリカを伴って、ルー・リードが新たにその詩作と共に音楽化に挑戦した、というのだから、身を乗り出さざるを得ない。ルー・リードのHP(http://www.loureedmetallica.com/)によれば、数年前からこの企画は始まっていて、ロバート・ウイルソンのベルリンでの「ルル」演出へのエスキスの提示を経て、2009年にニュー・ヨークでメタリカと共演したことの延長線上で今回の「ルル・プロジェクト」がこの5月に本格的に始動し、今回の新譜に至るらしい。HPで聴くことの出来る音は――メタリカ・ファンには不評だろうが――なかなかのもの。来月には、その音をフィーチャーしたロバート・ウイルソン演出による『ルル』がパリで上演されるとのこと。ロバート・ウイルソンは少し苦手なのだが、これは行くしかないか?しかし、仕事が溜まっているし...エドガー・アラン・ポーの「大鴉」を主題とした『The Raven』(2003年)以来の文学趣味と言ってしまえばそれまでだが、世紀末の性と死に彩られた「ルル」に、ルー・リードがどのように立ち向かうのか興味は尽きない。
なお、そのHPのトップ頁には、"We encourage all of The 99% to join the March on Wall Street immediately."とあって印象的だった。私たちが、反原発デモに行くのと同じで、ニューヨーカーとしては当然のことなのだろうが。
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ルー・リードの新作が(日本盤は)11月頭に発売される。何とメタリカとのコラボ、そして、主題はヴェデキントの『地霊』(1895年)と『パンドラの箱』(1905年)からなるいわゆる「ルル」二部作とのこと。これが、パプストの無声映画『パンドラの箱』(1929年、ルイーズ・ブルックス!)、そして、アルバン・ベルクのオペラ『ルル』(未完)や『ルル組曲』(1934年)等々の原作となったことはよく知られているわけだが、ベルクの向こうを張り、しかもあのメタリカを伴って、ルー・リードが新たにその詩作と共に音楽化に挑戦した、というのだから、身を乗り出さざるを得ない。ルー・リードのHP(http://www.loureedmetallica.com/)によれば、数年前からこの企画は始まっていて、ロバート・ウイルソンのベルリンでの「ルル」演出へのエスキスの提示を経て、2009年にニュー・ヨークでメタリカと共演したことの延長線上で今回の「ルル・プロジェクト」がこの5月に本格的に始動し、今回の新譜に至るらしい。HPで聴くことの出来る音は――メタリカ・ファンには不評だろうが――なかなかのもの。来月には、その音をフィーチャーしたロバート・ウイルソン演出による『ルル』がパリで上演されるとのこと。ロバート・ウイルソンは少し苦手なのだが、これは行くしかないか?しかし、仕事が溜まっているし...エドガー・アラン・ポーの「大鴉」を主題とした『The Raven』(2003年)以来の文学趣味と言ってしまえばそれまでだが、世紀末の性と死に彩られた「ルル」に、ルー・リードがどのように立ち向かうのか興味は尽きない。
なお、そのHPのトップ頁には、"We encourage all of The 99% to join the March on Wall Street immediately."とあって印象的だった。私たちが、反原発デモに行くのと同じで、ニューヨーカーとしては当然のことなのだろうが。

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