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魔法少女♪奈里佳

第3話 猫の手だって看護婦さん
作:ジャージレッド


第01章 ビジョン 約12KB
第09章 猫の手ナース 約23KB
第02章 目覚めそして変身 約14KB
第10章 健康に敏感♪ その1 約38KB
第03章 トラウマ 約17KB
第11章 健康に敏感♪ その2 約43KB
第04章 着替え 約27KB
第12章 家族な人々 約36KB
第05章 もうひとりの朝 約22KB
第13章 中津木総合病院 約27KB
第06章 絶体絶命 約26KB
第14章 増殖ッ! 猫耳ッ娘 約31KB
第07章 エスカレーション 約24KB
第15章 猫の手は招く…… 約39KB
第08章 健康診断前夜 約26KB
エピローグ 約06KB

※あらかじめお断りしておきますが、この作品中ではこだわりとして【看護婦】という言葉を使っています。もちろん今では看護婦という言葉よりも、男性の【看護士】と女性の【看護婦】の双方を意味を持つ【看護師】という言葉を使ったほうが良いということは重々承知していますが、ここはあえて【看護婦】という言葉が持つ【幻想】や【ロマンス】を大事にしたいと思います。


※ 前回までのあらすじ
 無数に存在するというパラレルワールドのうち、その一つの世界の未来にある魔法の国、ネビル。そこからやってきた猫のぬいぐるみのような不思議な生き物、クルルによって、魔力が蓄積されると自動的に魔法少女に変身してしまう身体にされてしまった克哉クン。こうして彼は、魔法少女♪奈里佳として、世界を救うという崇高な目的の為にがんばるのだった。
 しかし時間流が分岐した別な未来、ディルムンから来た(?)自称正義のナノテク少女フューチャー美夏が登場して……。
 詳しくは、第2話『みんなでウェディング』までの各話をお読み下さい。m(_ _)m


  
第1章 ビジョン
 


 空一面、赤黒くてどんよりした雲に覆われている。そんな空の下、矢島克哉(やじま・かつなり)はなぜか空中に浮かんでいた。頭がぼんやりとしてうまく働かないので、自分の今の状況がつかめない。しばらくそのまま浮かんでいた克哉だったが、やがて風にでも流されるようにゆるゆると前に進んでいった。
 眼下にはこれまた暗く沈んだ町並みが見える。しかも上空から見ているにも関わらず、克哉の視界には町の遠景とともに、同時に町中で生活している人々の姿が明確に見えていた。普通ではあり得ない視界である。たとえて言えば、多画面に分割されたマルチモニターを見ているような感じであろうか。
「なんだか雰囲気が変だ……」
 克哉は町中の人々に奇妙な点を見つけて、誰に聞かせる訳でも無いのだが、独白した。克哉が今見ている人々。彼らの姿は確かに人間であるのだが、よく見ると表情が無く、まるでマネキン人形が人間のマネをしているかのようだったのだ。
 いや、むしろマネキン人形のほうが人形としての存在がハッキリしているだけかわいげがあるとも言える。今、町中で動き回っている存在、それはやけに人間的な動きをするにも関わらず、あきらかに人間とは違った存在に見えた。何か背筋が寒くなるような醜悪な存在とでも言おうか? どことなく命の無いゾンビにでも似た人間であって人間ならざる存在……。見たいわけでは無いが、克哉は延々とそれを見続けていた。
 そしてこのまま何も変化が無いかと思われたとき、克哉の視界の片隅に異変が映った。
ビキビキビキビキッ
 町のはずれの方角だろうか。赤黒かった景色の一部が、凍りつくような音をたてながら氷の青さにも似た色に変化した。
 そして息をのむ間もなく、急速に青く変化した領域が広がってきたのだった。
「!? これは……」
 克哉が言葉を失っている間に、青い領域はみるみると視界全域に広がり、気づいた時には克哉以外の全てが、青く輝く氷のような結晶に変化してしまった。
「もしかして……、これがクルルの言っていた結晶化現象?」
 奈里佳に変身していた時はともかく、変身前の自分自身としては初めて結晶化現象を目の当たりにした克哉だったが、克哉は正しくその現象が何であるかを洞察した。と、同時にもやが晴れたかのように頭の中がクリアーになったかと思うと、克哉の身体はゆっくりと町中に降下し始めた。
 眼下からずんずんと迫ってくる結晶化した町と人々……。しかしそのような状態になっているのにも関わらず、人々は普段と同じように歩き回って、お互いに喋りあっていた。
「みんな……、みんな、自分がどうなっているのか気づかないのかな……。それに、あんなになっちゃってるのに、どうして動けるんだろう?」
 やがて克哉は地面に降り立った。きょろきょろとあたりを見渡してまわりの反応を見てみるが、誰も空から降ってきた克哉のことを気にした様子は無い。見事なまでに無視されているのが分かる。
「ねえ、ちょっと……」
 結晶化した町の中で、結晶化してクリスタルの人形にしか見えない人々にこのまま囲まれている状態になんとなく不気味なものを感じ出した克哉は、とりあえず道行く人の1人の背中に声をかけてみることにした。
「……」
 しかし声をかけられた人は、完全に無反応だった。しかたがないので、克哉はその人のクリスタルな肩をポンッと手で叩いたのだったが……。
ガラガラガラガラ……
 克哉がその人の肩を叩いた途端、青く結晶化していたその人は、叩かれた肩の部分にひびが入ったかと思う間もなく、そのひびが全身に広がり、一気に崩れてしまった。
「ヒッ!?」
 声にならない小さな悲鳴をあげた克哉は、目の前の様子をただ見守ることしかできなかった。そして結晶化していたその人は見る影もなく完全に崩壊したのだった。
「まさか……、そんな……」
 驚きのあまり言葉を無くした克哉は、その様子をただ見ていることだけしか出来なかった。そして、人ひとりが完全に崩壊したかと思うと、そのまわりの人々もまた、連鎖的に結晶の崩壊に巻き込まれて次々と崩壊していった。
 人だけではなく結晶化した建物や道路までありとあらゆるものが崩壊し、そして結晶が崩壊したあとからは何もない虚無の空間が口を開け克哉を飲み込もうと……。




「わあぁぁーーーッ!!」
 大声を出してガバッと布団から飛び起きた克哉。どうやらさっきまでの光景は夢だったらしい。まだ春だというのに、びっしょりと寝汗をかいている。心臓もドキドキと早鐘のように鼓動を打ち、息も荒い。
「うにゅ? どうしたんですか? 克哉君」
 克哉が寝ている布団の上で身体を丸めて寝ていたクルルが、克哉の大声で目を覚ました。そのまま眠そうな顔をして、うにゅっと質問してきたのだが、猫のぬいぐるみのような顔をしているくせに表情はむやみに豊かであるのがおかしい。
「あっ……、クルル……」
 克哉は言いたいことがいっぱいあるのだが、どこから話をすれば良いのか分からないまま言葉を飲み込んでしまった。その様子を見てクルルは急にまじめな顔つきになると、一言だけ質問したのだった。
「見たんですね」
 余分なことは何も言わない質問だったが、それだけで克哉には十分だった。
「見た……」
 対して克哉の答えも余分な贅肉がひとつもなかった。しかしその一言の裏には、言葉では語り尽くせない想いが凝縮されていたのだった。
「ねえ、クルルッ! あれはいったい何ッ!? 町ごと、人も建物も全部、青い色をした結晶に変わってしまって、そして……」
 そこまで話したところで克哉は気分が悪くなり、身体が震えだしてきた。両手を交差させて自分の二の腕を掴んで自分で自分を抱きしめる体勢をとって何とか身体の震えを押さえようとするのだが、身体は克哉の意志を無視してブルブルと震え続けた。
「崩壊のビジョンを見たんですね?」
 ぬいぐるみな外見に関わらず、極めて真剣な雰囲気で確認をするクルル。
「ねえ、クルル……。あれが世界の結晶化とその崩壊なの?」
 口までもブルブルと震えてくるので、それだけを言うのにも渾身の力が必要になってくる。しかし一度、言葉が形になると、克哉の口からは次々と言葉が溢れてきた。
「世界が、世界が消えてなくなっちゃうなんて。そんなことがあるのかと思っていたけど、あれは、あれは……。それに、どうして僕があんな夢を見なくちゃいけないんだよッ! 僕はただの中学生なんだよ。僕には世界を救うなんて無理だよ。どうして僕がッ!」
 既に涙を流しながらクルルに訴える克哉だった。なすべきことの重要性が今になって初めて理解出来た克哉は、本気で怯えだしたのだった。
「克哉君。今、世界を救えるのは君だけなんですよ」
 落ち着いた声で、ゆっくりと諭すように話すクルル。その顔はなぜか威厳すら感じられた。
「でも、僕には無理だよ……」
 力無く応える克哉、その顔はもう涙でぐしゃぐしゃである。
「克哉君にはすごい力があるんですよ」
 クルルはそう言うとじっと克哉の目を見た。
「奈里佳のことを言ってるの? あれはクルルが僕を変身させたからで……」
 克哉はさらに言葉を重ねた。その言葉ももう今にも消え入りそうに小さい。
「それは違いますよ。確かに奈里佳ちゃんに変身させたのは僕ですけど、奈里佳ちゃんの力そのものは克哉君の力なんですよ」
 なぐさめるような口調で克哉に話すクルル。その言葉を聞いているとちょっと気分が落ち着いてきた克哉だった。そしてそのまま克哉は、まるで女の子がぬいぐるみを抱きしめるように、クルルを両手で持ち上げるとそっと抱きしめたのだった。
「でも……、僕ひとりじゃ世界を救うなんて出来ないよ。奈里佳に変身しなけりゃ何にも出来ないのに……、それに昨日はフューチャー美夏なんていう敵も出てきたし……」
 弱音を吐く克哉だったが、クルルはそんな克哉を叱ろうとはせず、ゆっくりと諭しだした。
「克哉君。奈里佳ちゃんに変身もしていないのに、どうして克哉君は世界が崩壊するビジョンを見ることが出来たと思いますか? 克哉君にも魔法を使う能力があるんです。それも僕が見たところ、かなりの潜在能力なんですよ。この時代に僕がやってきてから出会った人間の中で、克哉君が一番魔法適性があるんです」
 そこまで言うと、クルルは克哉を優しい目で見つめた。
「そんなこと言っても……、僕……」
 クルルに励まされても、克哉の心は晴れなかった。けっして世界の結晶化とそれに続く世界の崩壊から目をそらして日常に逃げ込みたいと思っているわけでは無い。むしろ何とかしなくちゃという想いのほうが、既に今は強くなっている。
 それもそのはず、魔法少女♪奈里佳に変身していた最中の記憶はほぼ完全な形で克哉にも残っているし、つい今しがた世界崩壊のビジョンを見たばかりでもある。克哉、つまり魔法少女♪奈里佳の働き次第で、この世界も含めた全てのパラレルワールド全体で構成されているという時空球が崩壊して消滅するかどうかがかかっているのだ。その使命感は並大抵ではない。
 しかし、それだからこそ、もしも自分が失敗してしまったらというプレッシャーは重い。そのプレッシャーが今、克哉を苦しめているものの正体だった。
「僕なんかに、出来るのかな……。世界を結晶化と崩壊の危機から救うなんてことが……」
 答えの出ない問いかけを自分自身にする克哉。そのまま鬱々とした状態が続くかと思われた瞬間、克哉の頭に元気いっぱい、はじけるぐらいに明るい声が響いてきた。
(だあぁぁ、我ながらこの克哉クンっていう男の子の心が、私の心の一面っていうのが信じられないわねッ! ちょっと克哉クンッ! あなたも私なら、もっと元気を出しなさい。世界の危機を救うのが失敗したらどうしようかなんて考えてもしょうがないことは考えなくてもいいじゃないッ!!)
 なんと、その声は克哉の心が“変心”したときに現れる克哉のもう一つの人格、魔法少女♪奈里佳だった。
(心配なんてものは、心配すべき状況が起きてから心配すればいいのよ。まだ失敗してないんでしょ? だったらそれでいいじゃない。それに世界の崩壊を救うことに失敗しても、世界が崩壊してるんだから、誰も克哉クンのことを非難したくても出来ないわよ。おわかり? じゃあそういうことでッ!)
 ちょっとぶっ飛んだ理屈で、克哉を励ますだけ励ますと、奈里佳の心はそのまま消えてしまった。
「!? クルル……、今のはいったい何だったの」
 思わずクルルに質問する克哉。しかし、クルルには奈里佳の声が届いていなかったらしく、きょとんとするクルルだった。
「えっ、何のことです?」
 クルルの返事を聞いて、克哉は今、奈里佳の声が聞こえてきたことをクルルに説明した。

「……というわけなんだけど、今の声、本当に奈里佳のだったのかな?」
 自信なさそうにそう言うと、克哉はクルルの顔を見つめた。
「奈里佳ちゃんの心は、克哉君の心の無意識領域に、今現在も存在しています。きっと克哉君の魔力が活性化してきたことによって、奈里佳ちゃんの心も活性化してきたんだと思いますよ」
 考えた末、クルルは一応の結論を口にした。
「それじゃあ、これから僕はどうなるの。僕が奈里佳に変身しなくても、奈里佳の心が出てきちゃうの?」
 克哉は、まさかそんなことは……、と思いながらクルルに質問した。
「あり得ますね。克哉君の潜在魔力と奈里佳ちゃんの魔力を考えると、変身しない通常の状態でも、やがて奈里佳ちゃんの心が現れるようになるんじゃないでしょうか」
 クルルは腕を組みながらそう言った。
「じゃあ、もしかして、僕は二重人格みたいになっちゃうのッ!? 僕の心と奈里佳の心の2つに……」
 克哉は情けない声でそう言うと、自分の頭を抱えるのだった。
「二重人格と言うよりも、精神同居ですね。でもそんなに心配する事はないと思いますよ。奈里佳ちゃんの影響で、克哉君の魔法力も徐々に開発されてくるはずです。充分に克哉君の魔法力が開発された暁には、奈里佳ちゃんの心と克哉君の心は融合するんじゃないでしょうか……?」
 とんでも無い結論を言うクルル。
「そんな! そんなことがあるなんてッ!?」
 全力で否定したい気持ちになった克哉。自分の心が奈里佳の心と融合するというのは、とても異常な事態に思えたのだった。
「そんなに驚かなくても元々奈里佳ちゃんの心は、克哉君の心がこうなっていたかも知れない可能性の1パターンですからね。最終的には融合するのが当たり前です」
 ビシッと、指の無い手で克哉の顔を指さしながら、クルルはそう断言した。
「そんな、嘘でしょ?」
 ますます情けない声になる克哉。その時、またしても奈里佳の声が克哉の頭に響いたのだった。
(嘘じゃないわよ。これからも時々おしゃべりしてあげるから、よろしくね♪ あっ、そうそう、夜更かしはお肌に悪いから、もう寝てくれる? あっ、興奮して寝られないのね。じゃあ魔法で眠らせてあげる♪ 3・2・1……、はいッ!)
 奈里佳の心がかけた魔法(?)により、克哉は急激に眠くなってくるのだった。
「あっ、待って……。ZZZZ……」
 こうして奈里佳の心が出現したことにより、いつの間にか世界を結晶化と崩壊の危機から救うというプレッシャーから解放されていた克哉は、深い眠りについたのだった。
「しかし、これはおもしろいことになってきましたね。変身しなくても奈里佳ちゃんの心が表面化してきたとは。やはり克哉君の魔法力は並はずれていましたか。克哉君なら、本当にやってくれるかもしれませんね」
 クルルはそう言うと、克哉に邪魔された睡眠を再開したのだった。
 それにしても奈里佳の心が表面化してくるとは……。明日はいったいどのような日になるのであろうか。世界を救う使命を持った正義の魔法少女♪奈里佳。その心を持つ矢島克哉。こうして役者は揃ったのだった。

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第2章 目覚め、そして変身


「アサダゾ! オキロ! アサダゾ! オキロ! ……」
 目覚まし時計が、電子音声で朝の起床時間が来たことを告げる。情け容赦ない大音量で喚き続ける目覚まし時計に負けて、布団の中で克哉は目を覚ました。
「うっ、うーーん。もう、朝か……」
 まだ完全には目覚めていない頭で『目覚ましを止めなければ……』と思った克哉は、布団をかぶったまま右手だけを出すと、手探りで目覚まし時計のアラームを止めた。
「オハヨウ! キョウモガンバルゾ!」
 スイッチを押された目覚まし時計は、最後の一言を言って沈黙した。一方、克哉はというと、そのまま右手を目覚まし時計の上に乗せたまま動きが止まってしまっていた。それというのも昨夜の夢のことが思い出されてきたからだった。
(……昨日見た夢……。世界の結晶化と崩壊のビジョン……。アレって本当のことだったのかな? それともやっぱり単なる夢だったのかな……?)
 しばらく考えていた克哉だったが、記憶が混乱しているため昨日のことが夢だったのか、それとも現実のことだったのかが判然としない。それというのも克哉の別人格である奈里佳の魔法によって強制的に眠らされたことが影響しているのだが、まだ克哉はそのことを思い出していない。
(まあいいか、とにかく起きよう)
 考えがまとまった克哉はベットから起きあがった。そのベットの上ではクルルが丸くなってまだ寝ている。まるで猫のような格好をしているが、これでも未来にある魔法の国ネビルからやってきた魔法生物(?)であるのだった。
「おはよう。クルル。ねえ、昨日のことなんだけど……」
 クルルの姿を目にした克哉は、昨晩の出来事が夢だったのか現実のことだったのかを聞こうとして、クルルに呼びかけた。ついでにクルルの背中に手を当ててゆすってみる。
「ZZZzzz……」
 しかしクルルは目を覚ます気配がない。
「クルルってばッ! ねえ、起きてよッ!」
 クルルを起こそうと、克哉は大声で呼んでみた。手でゆするだけではなく、ちょっと頭を叩いてもみたが、クルルはいっこうに起きる気配がない。
「もうっ、しょうがないなあ、昨日のあれ、世界の結晶化と崩壊のビジョンのことをもっと詳しく聞きたかったのに」
 どうやっても起きそうにないことを確認すると、クルルを起こすことをあきらめた克哉は、パジャマ姿のままトイレに行くことにした。もよおしてきていたということもあるのだが、それ以外にも元気な男の子なら誰でも朝起きたときに経験するアレ、あの状態を元に戻す為ということもあった。うん、元気なことは良いことだ。
 ちなみに今、克哉が来ているパジャマは、黄色や赤を主体としたデザインだ。母親の弓子いわく、こういう暖色系の色を使ったパジャマのほうが、ぐっすりと眠れるし健康にも良いらしいということだ。本当かどうかはしらないが、母親がそう思っている限り、克哉が着るパジャマは男の子が着るにはちょっと可愛らしすぎるデザインのものが多くなるのは、いたしかたないと言える。
 クルルのことはとりあえず放っておいて、克哉は自分の部屋の外に出た。一人っ子である克哉は、小さな頃から今に至るまで、個室を与えられているのだ。

「とうさん、おはよう」
 部屋から出た克哉は、既に出勤しようとしている父親、範彦(のりひこ)に挨拶をした。
「おはよう。ようやく起きてきたな。昨日も大変だったらしいな。町中の人がお嫁さんになったとテレビで言ってたけれど、やっぱり克哉もお嫁さんになっちゃったのか?」
 玄関のドアに伸ばしかけていた手を止めると、範彦はこれまた興味津々の顔つきで克哉に質問をした。
「えっ、う、うん。やっぱり……、みんなと同じで、お嫁さんに……、なっちゃった」
 実は、克哉はお嫁さんには変身していない。確かに昨日は、城南中学教師、花井恵里32歳・独身が変身したウェディング“快人”ヘイアーンのライスシャワー攻撃によって、町中の人々はことごとくお嫁さんに変身させられたのだが、克哉自身は魔法少女♪奈里佳に変身しただけなのだ。というわけで、克哉は一瞬、返答に詰まって言いよどんでしまったのだ。
「ほほう、そんなに恥ずかしがらなくても良いじゃないか。今回もみんなで変身したんだろ?」
 克哉が言いよどんだのは、恥ずかしさの為だと誤解した範彦は、うりうりと克哉のことを肘でつつきだした。まったく明るい父親である。
「違うよ、そんなんじゃないってば……」
 言葉とは裏腹に、とても恥ずかしそうな雰囲気の克哉である。父親にからかわれること自体が恥ずかしいのだった。
「しかし、なんだな。今回も例によって写真の一枚もないんだろ。まったくもったいない。そうだッ! 克哉にデジカメを買ってきてやるから、今度変身したらしっかりとそれで写真を撮っておきなさい。よしよし、そうしよう♪」
 ひとり納得して、とても楽しそうな範彦。もしかするとここ中津木町とその周辺の各家庭で同じような光景が展開されているかも知れないと想像して、克哉はくらりとめまいがしてくるような気がしたのだった。
「あなた、早くしないと遅刻しますよ」
 玄関での会話を聞いて、台所から母親の弓子が出てきた。
「おっ、しまった。電車に間に合わなくなる。じゃあ克哉、デジカメ買ってくるからよろしくな。いってきます」
 弓子の一言で、腕時計の時間を確認した範彦は、慌てて出勤していった。
「いってらっしゃい……」
 複雑な表情を浮かべたまま、克哉は手を振りつつ、お気楽な父親を見送った。このぶんでは本当に写真を撮らないといけないようだ。しかし克哉は今後も奈里佳には変身するだろうが、みんなと同じ姿に変身する事はないはずなので、写真を撮ることは出来ないのではないかと思っていた。微妙に思考が律儀である。
「克哉、早く顔を洗って来なさい。もう登校の時間まで余裕は無いわよ」
 ちょっと考え込んでボーッとしていた克哉に、母親の弓子は声をかけた。弓子もまた働いているので、朝は時間が無いのだった。
「わかった。トイレに行ってから洗うよ」
 そう返事をしつつ、そそくさとトイレに入ろうとする克哉。そう言えばまだ男の子の部分は元気なままだったので、その部分を弓子に見られたくない克哉であった。
「早くしなさいね。もう時間、あまりないわよ」
 そう一言だけ言い残すと、弓子は台所に戻っていった。残された克哉は玄関のすぐ脇にあるトイレに入ると、出すべきものを引っ張り出し、そのまますべきことをし始めたのだったが……。
(へええ? 朝、起きたばかりの時って、ここはこうなってるんだ♪)
 克哉の頭の中で声がする。それも女の子の声だ。
「わわッ! 誰だッ!? あッ! あぁッ!?」
 大声で慌てふためく克哉。慌てすぎて狙いがはずれてしまい、ジョロロロロ……と、便器の外に黄色い液体が飛んでいく。
(あッ! きったないわねぇッ! これだから男の子って嫌なのよッ!)
 克哉の頭の中の声は、可愛らしい声ながらも口汚く克哉を罵った。そして克哉はというと、慌てふためきながらもこれ以上被害が拡大しないようにと、ピタッと“止めた”のだった。
 女の子は尿道が短いこともあり、かなり括約筋が強くないと途中で止めるのは難しいのだが、男の子の場合は尿道が長いことや、その尿道が“いろいろなもの”にとりまかれていて丈夫な作りになっているので、誰でも比較的簡単に途中で止めたり出したりが自由自在に出来るのだッ! ……って、誰でも知ってるか。
「ああ、びっくりした。もしかして奈里佳?」
 そう言いながら克哉はトイレットペーパーをくるくると丸めると、トイレの床に飛び散った液体を拭き取りはじめた。すると、また頭の中に声が聞こえてきたのだった。
(他に誰がいるっていうのよ。とうぜん奈里佳ちゃんに決まってるじゃない♪)
 間違いなく頭の中に響く声(?)は、克哉が変身してさらに変心した時に出てくる魔法少女な人格の奈里佳の声そのものだった。
「やっぱり奈里佳だったんだ……。夢じゃ無かったんだ。そうだッ! 昨日の晩は突然だったし、最後は魔法で眠らされちゃったから聞けなかったんだけど……、その……」
 床の汚れをほぼ拭き取った克哉は、頭の中の奈里佳を相手に話し出した。もっとも頭の中の人格を相手に話をするということに慣れていないので、どうにも勝手が違って話しづらい。
(う〜、ごちゃごちゃと前置きが長いわよッ! 聞きたいことがあるならさっさと聞きなさいッ!!)
 克哉のもたくさしたしゃべり方にイライラしたのか、奈里佳は怒り出してしまった。さすがにわがままでタカビーな性格の奈里佳である。
「もう、怒らないでよ。よけいに話しづらくなるじゃないか。……ええと、まず聞きたいことは、僕と奈里佳は結局どういう関係なの? 僕が変心したのが奈里佳だと思ってたけど、こうして話ができるということは、僕とは別に奈里佳がいるってことなの?」
 克哉は床を拭いて汚れたトイレットペーパーを便器に放り込んで、水を流しながら質問した。
ゴポゴポゴポ……
 克哉の質問に対して、奈里佳は無言で答える。静かなトイレの中、水の音だけが響いていた。やがて沈黙に耐えられなくなったのか、克哉が沈黙を破った。
「ねえ、僕と奈里佳は同一人物なの? それとも別人格なの? 僕には分からなくなっちゃったんだけど、知ってたら答えてよ」
 水洗タンクに流れ落ちる水で手を洗いながら、克哉は再度質問を繰り返した。
(まったく……。克哉クンったら、まるで分かってないのね。これで私と同一人物っていうんだから嫌になっちゃうわよ。ホント)
 呆れた口調(?)の奈里佳。
「しょうがないだろ。僕には魔法のことなんか分からないんだから。で、結局僕と奈里佳は同一人物なわけ? でも人格は違うじゃないか。どういうこと? おかしいよ。同一人物なのに別人格って、もしかして僕って二重人格になっちゃったの?」
 克哉はわけがわからず、困惑いっぱいの表情を浮かべた。
(そもそも、二重人格って言っても、人格Aと人格Bは同一人物であるってことは理解できてるわよね?)
 克哉相手にいつまでも呆れてはいられないと思ったのか、奈里佳は説明を始め出した。
「うん。それは分かる。だから、今の僕と奈里佳の関係って二重人格なの? でも僕と奈里佳の人格が同時に出てきてるんだけど、こんな二重人格ってあるのかな? こんなの聞いたこと無いんだけど……」
 克哉は、自信なさそうに言葉をにごした。
(二重人格って言うと、なんとなく否定的なイメージがあるじゃない? そういう意味から言ったら、私と克哉クンの関係って、二重人格じゃあ無いわね。二重人格の場合における第2の人格って、抑圧された心、抑圧された人格が表面に出てきたって感じよね)
 明るく説明する奈里佳。
「うーん。奈里佳って、僕の抑圧された心なの?」
 奈里佳の話を聞いて、部分的にしか理解出来なかった克哉は、そう言った。
(だぁぁーーッ、いったい何を聞いていたのよ。私が、あんたなんかに抑圧されるような心だと思ってんの?)
 奈里佳の声に棘が混じってきた。
「ごめん……」
 強気に出てくる相手には、とても弱い克哉だった。
(まあいいわ。説明してあげる。私、奈里佳は克哉クンの心がこうなっていたかもしれない1つの可能性そのものなのよ。抑圧されていた心じゃないの。可能性なのよ。分かる?)
 胸を張って(?)話す奈里佳。姿は見えなくても、威張っているのがハッキリと感じられる。
「可能性か……。言ってみれば肯定的な二重人格ってところなの?」
 あくまでも二重人格のイメージから逃れられない克哉であった。
(……まあ、その理解で、まったくの間違いって、訳でもないから、まっいっか♪)
 軽いノリの奈里佳。確かにこの軽さは、二重人格のイメージからはちょっと遠いかもしれない。
(それでね、どうして普通の二重人格と違って、私と克哉クンの2つの人格が同時に出ることが出来るかって言うと、パソコンを想像してみてよ。同時に2つや3つのウィンドウを開いて同時並行で処理が出来るでしょ。コンピューターの能力が低ければ、いくつも同時に作業をさせれば処理が遅くなるけど、それなりに能力が高ければ大丈夫でしょ?)
 奈里佳はごく簡単にそう説明した。
「つまり、それってどういうこと……」
 克哉はあまり分かってないようだ。
(もう、ニブイわねッ! 私、つまり奈里佳に変身することによって克哉ちゃんの魔力がアップしてきてるのよ。というわけで、ふたりの人格が同時に出てこれるってわけ♪ おわかり?)
 どう? 分かったでしょ? という雰囲気で説明をうち切った奈里佳。
「うーん、分かったような分からないような」
 ハッキリしない克哉であった。まあ、奈里佳の説明を聞いて分かるほうがおかしいのかもしれないが。
(もう、いつまで経ってもハッキリしないわね! それよりも克哉クン。おしっこの途中じゃなかったの?)
 いきなり話題を切り替えた奈里佳。そしてそう言われたほうの克哉も、途中で止めていた尿意が強烈にぶり返してきたのだった。
「うっ、そう言えば、途中だったッ!」
 慌てて、もう一度、放水の体勢をとろうとする克哉だったが、奈里佳がそれを押しとどめた。
(ちょっとストップッ! また変な所に飛ばされるの嫌だから、座ってして頂戴♪)
 なぜか嬉しそうに話す奈里佳。
「えっ、なんでッ!? もう漏れそうなんだけど」
 焦る克哉、既に漏れそうどころか、ちょっと漏れてるかもしれない。
(いいから黙ってパンツを降ろして座りなさいッ!)
 奈里佳の迫力ある声(?)にびびった克哉は、そのまま素直にパンツを降ろすと、洋式の便座に座ったのだった。ちょっと情けないかも……。
「もう、うるさいなあ。これでいいんだろ」
 奈里佳という自分の中の別人格が相手だけに、そんなに恥ずかしいという感覚もなく、下半身をむき出しにした克哉であった。意外と思い切りがいいのか? 
それとも単にもう我慢の限界で、恥ずかしがる余裕もなかったのだろうか?
(よしよし、それでいいのよ。じゃっ、早速いきましょうか? ふふ、部分変身〜♪)
 克哉が便座に座ったのを確認した奈里佳は、何かの魔法を発動させた。その瞬間、克哉は奈里佳に変身するときに感じるような感覚をその股間に感じたのだった。まずパーツが2つあるもののほうの大きさがみるみると小さくなってきたかと思うと、そのまま身体に吸収されて無くなってしまった。そして飛び出た棒状のもののほうも小さく豆粒大に縮んでいったのだった。そして仕上げに今までそれがあった場所よりもややずれたところの皮膚が身体の内側に織り込まれていくとともに、しっとりと濡れて柔らかい肉壁に囲まれたスロットを形成していったのだった。こうして克哉が持っていた男の子だった部分は、奈里佳の魔法で完全に女の子の部分へと変化した。
「あわわッ! わッ、わ〜ッ!!」
シャーーーーーッ!
 そしてそれまでなんとか我慢していたおしっこは、男の子と比較するとはるかに弱い括約筋へと変化した女の子のそれではせき止めることが出来なかったので、一気に勢いよく放出されたのだった。
(どう? アソコだけ女の子にしといたげたのよ。これならもう便器の外に飛び散る心配もないってわけ。感謝してよね♪)
 自慢そうな口調の奈里佳。ふふふんっという鼻息が聞こえてきそうである。
「ちょっと、駄目だよ〜、元に戻してよう〜」
 すっかり出し切って力が抜けた克哉は、涙声で奈里佳に訴える。
(いいじゃない、そのままで。どうせ数日後に私に変身してから魔力を使い切ったら、ちゃんと元に戻るわよ。それに変化したのはアソコだけで、それ以外のところは克哉クンの身体のままなんだから裸にならない限りばれないわよ♪)
 元に戻すつもりはまったくない奈里佳であった。楽しんでいるね。奈里佳ちゃん。
「え〜ん。こんなんばっかりーーーッ!」
 下半身をむき出しにしたまま、克哉君。……いや克哉ちゃんは途方に暮れたのだった。あっ、そうそう、トイレから出てくる前にちゃんと拭いてくるんだよ。忘れずにね♪
 こうして、大波乱の数日間は幕を開けたのだった。

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第3章 トラウマ


「え〜ん。こんなんばっかりーーーッ!」
 克哉のアソコが、奈里佳の魔法で男の子のアレから女の子のソレへと、変化させられてしまったッ! というわけで克哉君改め克哉ちゃんは洋式の便器に座って用を足していたのだったが、出るのは黄色い液体だけではなく、ため息や叫び声、そして愚痴もいっぱい出てくるのであった。
(む〜、せっかく便器の外に飛び散らかさなくても済むように女の子にしてあげたのに、怒ることはないでしょ? それに変身させたのはアソコだけで、その他の外見は元のままで変わってないんだから、それでい〜じゃない♪)
 気持ちが沈み込んでダウン寸前の克哉に対して、あっけらかんと明るい奈里佳。もう既に勝負はついている。
「そんなこと言ったって、どうするんだよッ! これじゃ学校でトイレにもいけないじゃないかぁ〜……」
 既に半分涙声で訴える克哉ちゃん♪
(何言ってるのよ。男子用のトイレの大のほうに行けば良いだけじゃない。立ってするよりも個室でゆっくりと落ち着いて出来るんだから、もっとうれしがりなさいよね)
 奈里佳の勝手な理屈は続く……。しかし克哉の脳裏には小学生時代の暗い思い出が、走馬燈のように次々と浮かんできたのだった。
 小学生時代の暗い思い出。それはトイレ絡みの事件だった。いつもは学校に行く前に家でしっかりと大きなほうのトイレも済ませてくるのだが、ある日、どうがんばっても出ない日があった。時間もなくなり、しょうがないのでその日は大きなトイレはパスして学校に行ったのだった。
 まあそれだけだったらなんの問題もなかったのだが、そうは問屋がおろさなかった。昼になって給食を食べた後、克哉はトイレの個室から強烈なお誘いを受けたのだ。早い話が……、我慢出来なくなったのである。
 というわけで昼休みにトイレの個室に駆け込んだ克哉だったが、クラスメートの男子にそれを目撃されてしまったのだ。小学生の男子にとって学校で『う○ こ』をするのはとても恥ずかしいことで、それをした者は極端な話、イジメの対象にすらなってしまうのだ。
 事実、克哉はそれからしばらくの間、『う○こ野郎』と嬉しくないニックネームで呼ばれることを受け入れなくてはならなくなった。さすがに人の噂も75日で、やがて全ては事件前の状態に戻っていったのだが、克哉の心に大きな傷を残したのは間違いがなかった。
 ちなみに現在、克哉が一番の友人だと思っている佐藤雄高(さとう・ゆたか)は、そういう状況の中でも克哉といつも通りに接してくれた唯一のクラスメートだったのだ。もっとも単にクラスのみんなが克哉をいじめていることにすら気がつかなかったという単なるおばかさんだったということなのだが、知らなきゃ知らないで幸せなので、まあここはひとつ黙っておこう。
 さて、話を戻して……。
(ほらほら、ちゃんと拭いて拭いて。女の子の部分はデリケートなのよ)
 頭の中で奈里佳の声がする。それを聞きながら克哉はとんでもなく情けない気持ちになりつつも、ティッシュペーパーを適度なサイズにちぎりだした。克哉だって『女の子はし終わった後には拭くものだ』ということをちゃんと理解している。まあ、実践するのは初めてだけど……。
「ううっ、何で僕が」
 自分の不幸を呪いつつ、ちぎったティッシュを今できたばかりの慣れない部分に押し当てて、しずくをきれいに拭き取ろうとした克哉だったが、ふと目にしたそこから視線を逸らすことが出来なくなってしまった。
「本当にアソコだけ女の子になっているんだ」
 いつもなら、身体から伸びているはずの突起物が無いすっきりとした股間は、自分の身体なのにも関わらずやけに綺麗に見えた。上から見おろした股間には、まだうっすらとしか毛が生えていない“ぷにっ”と盛り上がった丘が見えるだけで、さらにその先には男の子にとっては未知の形があるはずなのだろうが、それは隠されていて見えなかった。構造上、鏡でも無い限り直接見ることは出来そうにない。
 いったん意識してしまうと、克哉はその部分が気になってしょうがなくなってきた。克哉も過去に2回奈里佳に変身したことがあるのだが、いつも着衣のままだったので、こうして直接アソコを見る機会は初めてなのだ。
(そんなにもアソコが気になるなら、固まってないで、さっさと触っちゃえば? 誰も文句なんか言わないわよ)
 軽い口調の奈里佳。なんとなく楽しんでいるのが感じられる。
「さっ、触っちゃえばってッ!? そんなッ!!」
 克哉は完全にうろたえた。声も裏返って、妙に高い声が出てしまう。奈里佳に自分の心の中を完全に見透かされているような気がして、恥ずかしさがどんどんと高まってくるのだ。
(そんなに恥ずかしがらなくても、アソコが女の子になっちゃった以上、克哉ちゃんは今はもう女の子なのよ。女の子が自分のアソコを触っても全然平気。おかしくなんかないじゃない♪)
 くすくすと笑い声が聞こえるような錯覚を覚えつつ、克哉は奈里佳の言葉を呆然と聞いた。
「そうか、今の僕って女の子なんだ」
 遅まきながらも今さらのように自覚する克哉。もしかして“おまぬけさん”かも……。
(当たり前でしょ。アソコ以外は今まで通り男の子の身体だけど、アソコが女の子なんだもん。これを男の子だって言える?)
 反論出来るなら言ったんさい。という雰囲気で克哉に問いかける奈里佳。しかし克哉が何も言ってこないとみると、奈里佳は言葉を続けた。
(ほらほら、おしっこをした後はちゃんと拭かないと駄目でしょ。いつまでしずくをたらしてるつもりなの? 早くすませて朝ご飯にするわよ。お腹が空いて死にそうなんだから。……というわけで、さっさと拭くッ!)
 奈里佳の強い口調に押されて、克哉もいよいよ覚悟を決めた。
「じゃあ、拭くよ……」
 そう宣言すると、克哉はティッシュを持った手をそっと伸ばしたのだった。そして無事に拭くべき場所に接触し、しずくを拭き取ることに成功したかと思えた瞬間、その手は克哉が認識していた身体の表面よりもほんの少しだけ中に入ってしまったのだったッ!!
 イメージ的には『にゅるんっ♪』という感じだろうか。初めてそこに触ったので、感覚がうまくつかめなかったのであろう。
「えッ!? な、中に入ったッ! うわ、わわッ!!」
 やはり本来は健康いっぱいの男子中学2年生。女の子の部分の不思議な感覚に焦ってしまい、しばらくまともな反応が出来ないのであった。やれやれ。これから先、大丈夫か?
 
 それから数分後、なんとかパニックも収まりトイレの中でするべきことは全てし終わった克哉は、立ち上がってパンツ、正確にはオレンジ色のトランクスをいつものように上に引き上げて、きちんとはいたのだったが……。
(どうしたの? 動きが止まっちゃってるわよ?)
 不審に思った奈里佳が訊ねてくる。
「パンツが食い込んで痛い……」
 これ以上情けない声は出せないぐらいの声で、克哉は奈里佳に訴えた。
(ははあ、なるほど。確かにこのトランクスの生地じゃあ、食い込んで痛いわね)
 奈里佳も納得の声をあげる。
「うーん。そうか、女の子のアソコってこんなにも敏感なんだ。どうしようかな。前にはいていたブリーフでも出してはこうかな? トランクスよりは痛くないだろうし」
 股間の微妙な痛さに悩んだ克哉は、それなりに考えた末にそう言ったのだが、奈里佳の意見は違っていた。
(ちょっと克哉ちゃんッ! 何バカなこと言ってるのよッ! 男物のブリーフなんて駄目に決まってるでしょ。女の子は女の子らしい下着を着けるの。これ常識よッ!)
 強く主張する奈里佳。
「駄目ッ! 却下ッ! それだけは駄目ッ!」
 こればかりは克哉も反対の意思を、強く、強く、主張した。やはりアソコが女の子になってはいても、心は完全に男の子。しかもアソコ以外の身体は完全に男の子の外見のままなのだから、克哉の意見も分からないではない。しかしその意見は、奈里佳に対しての説得力は皆無だったらしい。
(克哉ちゃん♪ 遠慮するのは良くないわ。じゃあ、私の魔法でトランクスをかわいいショーツに変えてあげるから感謝するのよ♪)
 やはり克哉の意見は聞き入られなかった。そして奈里佳が克哉のトランクスを今にも魔法でショーツに変化させようとしたとき、克哉が最後の抵抗を試みた。
「そんなことさせないからね。もしも僕が、その……、ショ、ショーツなんかをはいてることが誰かにばれたら、みんなから変態扱いされていじめられちゃうじゃないか。もしも僕にショーツをはかせようなんてしたら、いくら奈里佳だって許さないからねッ!」
 克哉は一気にそう言うと、奈里佳の反応を待った。
(あっ、そう。そういうことを言うわけね。ふ〜ん、そう……)
 奈里佳の口調は急速に氷点下にまで低下した。
「なっ、なんだよぉ〜……」
 さっきまでの勢いはどこへやら、アッという間に克哉の強気はしぼんでしまった。まるで蛇ににらまれたカエルである。どうやら克哉は、気持ちの上で完全に奈里佳に負けているらしい。
(あくまでもショーツをはかないって言うのなら、私にも考えがあるわよ〜)
 奈里佳は、まるで地獄の底から響いてくるような声(?)で、克哉を脅した。
「ふっ、ふんッ! 何をされても、はかないものは、はかないからね」
 克哉最後の抵抗……。しかしその声は震えていた。
(克哉ちゃん♪ ショーツをはいてくれなきゃ……)
 地獄の底の悪魔の声から、一転して天使の声に切り替えた奈里佳は、ゆっくりと話し出した。可愛らしい声(?)だけに、よけいに迫力が感じられるのは気のせいだろうか?
「はいてくれなきゃ……、何だっていうんだよ……」
 完全に怯えた声を出す克哉。情けなさ200%である。
(はかないのなら……、魔法で今すぐ生理にしちゃうわよッ!!)
 とうとう奈里佳は、最後の切り札を口にした。克哉の頭の中にフルボリュームの声(?)が克哉の頭の中でエコーを伴って響いている。
「えッ!? 生理って、あの生理? 女の子の……」
 さすがに中学2年生ともなると、女の子の生理とはなんたるものかということについては完全に理解している。克哉は顔を真っ赤にしながらそう言ったのだが、その後急速に顔は青ざめていったのだった。
(そうよ。その生理よ。知ってるでしょうけど生理になったら女の子は色々と処置をしないといけないから、トランクスのままではいられないわよ。生理用のショーツなんてものもあるんですからね。それをはきながらさらにナプ○ンや、タン○ンを使わなくちゃいけないのよ〜)
 壁際に追いつめられた克哉を、言葉でいたぶる奈里佳だった。
「ナ○キンにタ○ポンって、なんで僕がそんなものをッ!?」
 衝撃のあまり、大声を出してしまった克哉は、そこまで言うと両手で口を押さえるのだった。
(さあ、おとなしく普通のショーツをはくか、それとも生理になって生理用ショーツを仕方なくはくか? どっちか選びなさいッ! 10秒だけ待ってあげるわ)
 問答無用、聞く耳持たぬの態度もあらわに奈里佳はそう言いきると、カウントダウンをし始めた。しかもどっちに転んでもショーツをはかされるのだから、凶悪な質問である。
(い〜ち、に〜い、さ〜ん、し〜い、ご〜お……)
 奈里佳は数を静かにゆっくりと数えているのだが、その声は克哉の神経を逆なでし、精神を奈落の底に突き落とすだけの力を秘めていた。
「待って、待ってよ奈里佳ッ!」
 克哉は往生際も見苦しく、最後の最後の抵抗を試みたが、奈里佳はやっぱり聞く耳を持たなかった。
(ろ〜く、し〜ち、は〜ち……)
 容赦なくカウントダウンは進む。
「分かった、はくよ。ショーツはきます。だから生理にしないでッ!!」
 勝負(?)に負けた克哉は、ガックリと首をうなだれた。哀れ、克哉。
(素直に言うことを聞いてくれてうれしいわ♪ それじゃあ魔法で、え〜いッ♪)
 それまでのいきさつを完全に無視して奈里佳が嬉しそうにそう言ったかと思う間もなく、克哉の下半身を包んでいたオレンジ色のトランクスが、微光を発しながら変形し、オレンジと白のストライプ模様の可愛らしいショーツへと変化した。
(どう? はき心地はトランクスとはくらべものにならないでしょ?)
 自信満々の口調の奈里佳。
「……確かに、ピッタリとフィットして、はき心地は良いんだけど……。こんなのを誰かに見られたら……」
 克哉ちゃん、もう完全に声が涙声である。しかしそれが可愛らしいのだから、世の中うまく出来ている?
(あ〜、もうッ! 何をうじうじしてるのよッ! 見られたら見られたで良いじゃないッ! それよりも、もうお腹ペコペコ。早く朝ご飯にしてよね)
 既にこの件は終わったと言わんばかりの奈里佳の態度である。いや、実際、奈里佳にしてみたら終わっているのかもしれない。しかし克哉にしてみたら、アソコが女の子のままでこれから先の数日間を過ごさなくてはいけないのかと思うと、全ての災厄がまさに今始まったという感覚である。
「うう、こんなんばっかりーーーっ」
 克哉は、おきまりのセリフを言うとパジャマのズボンを上に上げ、トイレを出たのだった。……しかしトイレの中のシーンだけでここまで引っ張りますか。この作者は。

「あら、克哉ったら、まだトイレに入ってたの? 早く着替えてきなさい。ホントにもう時間がないわよ」
 トイレを出てから自分の部屋に戻るまでに台所の前を通るのだが、そこで母親の弓子に注意をされたのだった。見るとテーブルの上には既に朝食が用意されている。
「う、うん。わかった。急いで着替えてくるから……」
 股間のふくらみが消えてしまったことを母親に気づかれるのではないかと、そんな心配をしつつ、克哉はそそくさと自分の部屋に消えた。ちなみに恥ずかしさで、顔が真っ赤になっていたのは言うまでもない。
 
 自分の部屋に戻った克哉は、まだ布団の上で眠りこけているクルルを叩き起こした。
「クルルッ! 起きてよッ! 起きろ〜ッ!」
 そのままクルルの肩をガタガタと揺らして、なんとか目を覚ましてもらうのに成功する。
「うにゃぁ〜。……ああ、おはようございます。どうしたんですか? 克哉君」
 まだ半分寝ぼけて、返事をするクルル。
(うぷぷぷっ……。クルルちゃん。実はもう克哉クンじゃ無くて、克哉ちゃんになっちゃってるのよね)
 クルルの返事に対して克哉の頭の中の奈里佳が、テレパシー(?)で答えた。
「そうなんだよ。奈里佳が、僕のアソコを女の子のアソコにしちゃったんだッ! なんとか元に戻してよッ!」
 その後、克哉は、ついさっきトイレの中で起きた“大事件”について一生懸命に説明した。時々、奈里佳が茶々を入れるので、何度も話の腰を折られたが、なんとか今の状況に至ったいきさつを伝えることが出来たのだった。
「なるほど。事情は分かりました。奈里佳ちゃん、これはちょっとまずいですねえ」
 猫のぬいぐるみのような外見であるが、クルルは出来る限りの渋面を作ると克哉の顔、つまりは克哉の内面にいる奈里佳を見ながら苦言を呈した。
(何がまずいって言うのよ。身体全体を女の子にしたら、すぐにばれちゃうかもしれないけど、アソコだけなら裸にでもならない限りばれないんだから大丈夫♪  心配無い無い♪)
 奈里佳はお気楽に答えるのだったが、クルルの考えは別なところにあった。
「いや、別に克哉君のアソコが女の子になっていようが、それがまわりにばれようが、別にどうでも良いんですよ。問題は別な点にあります」
 深刻そうにそこまで言うと、クルルは考え込むように腕を組んだ。
「そんな、どうでもいいだなんて……」
 頼みの綱のクルルにも見捨てられて、克哉の精神は崩壊しそうだった。しかし、クルルはそんな克哉に構わず、言葉を続けた。
「克哉君のアソコを女の子にしちゃったということは、その部分変身のために魔力を常時使っているということです。何も魔法を使わなければ、克哉君はだいたい5日ぐらいで、魔力の完全充填が出来るのですが、この変身をしたおかげで、魔力の充填に時間がかかるわけですよ。これはちょっとまずいですよね」
 克哉はクルルのその言葉を聞いて、希望がよみがえるのを感じた。もしかすると元に戻してくれるように、クルルが奈里佳を説得してくれるかもしれない。そう思ったのだ。
「携帯電話の電源を切って充電するのと、電源をつけたまま充電するのじゃ、充電時間に差がでてくるってことと同じなのかな?」
 克哉は、自分の理解が正しいかどうかをクルルに確認した。
「まあ、ちょっと違うような気もしますが、大雑把に言えば、そういうことですね」
 クルルは克哉の理解が正しいことを認めた。
(ちょっと待ちなさいよッ! それじゃあ何? 早く魔力を充填したいから魔法を使うなってことなのッ!?)
 さっきまでの克哉と立場を変えて、今度は奈里佳が抗議の声をあげた。
「簡単に言えばそういうことです。分かったら、克哉君にかけた魔法を解除してくださいますか?」
 丁寧にお願いするクルル。
「ねえ、奈里佳。クルルもこう言っていることだしさ、魔法を解いてアソコを元に戻してよ」
 話の流れが自分に有利になってきたことを感じた克哉は、余裕の雰囲気でそう言った。
(嫌よッ! 確かに魔法を常時使っているから魔力の充填には時間がかかるかもしれないけれど、こうして魔法を使い続けていれば魔力を充填できる容量も大きくなるんだから、その点も考慮して欲しいわね)
 ああ言えばこう言う奈里佳であった。
「なるほど、そう言われればそうですね……」
 クルルもまたさっきまでの意見はどこへやら、ポンッと手を打ち鳴らせて納得する。
(でしょ? 例のフューチャー美夏っていう敵もいることだし、魔力容量を大きくしておかないと、まともに戦えなくなっちゃうわよ)
 ここぞとばかり奈里佳は主張した。
(というわけで、克哉ちゃんのアソコは、女の子のままが良いと思う人は手をあげて♪)
 奈里佳がそう言った途端、克哉の両手が、克哉の意思とは別に、急に上に持ち上がり、ピンと手があげられたのだった。
「手が……、手が、勝手に上がるッ! ああっ、もしかして奈里佳だな!? こら、何してるんだよ。ずるいぞッ!!」
 自分が手をあげてない以上、克哉の手をあげているのは奈里佳しかいないと正しく洞察した克哉だったが、だからといってどうにもならないのであった。
 結局、上がった手は、クルルの右手に、克哉の両手の計3本であった。
(全員一致っとッ! それじゃあみんなが賛成してくれたということで、克哉ちゃんのアソコはしばらく女の子のままということで決まりね♪)
 奈里佳は、この場を強引に納めようとしている。そう感じた克哉は、最後の気力を振り絞り、抗議の声をあげた。
「今のは無効だッ! 僕の手は奈里佳に操られていたんだッ!」
 往生際が悪い克哉だった。
「あのう、克哉君。たとえ克哉君の片手が上がらなくても、僕と奈里佳ちゃんの手は上がっていたわけですから、どっちにしろ2対1で、克哉君のアソコは女の子のままなんですけど……」
 申し訳なさそうにクルルが指摘する。
「ガーン。そう言えばそうだ……」
 ショックを隠せない克哉。しかし、これで納得するあたり克哉も素直というか何というか。
(もう、さっきからごちゃごちゃとうるさいわねえ。あんまりうるさいと、もう二度と元に戻してあげないわよッ!! いい? 分かった!?)
 その言葉を聞いて、克哉は、自分がとんでもない罠の中心部に入り込んでしまったことを自覚した。
(さてと。じゃあ話もすんだし、そろそろ着替えてご飯にしましょッ! あっそうそう、克哉ちゃん。学生服をセーラー服に変えてあげようか? アソコが女の子なんだから、スカートのほうが、トイレの時なんかは何かと便利よ)
 あっけらかんと奈里佳はそう言ったのだが、それを聞いた克哉はとうとう切れてしまった。
「あああ、こんなんばっかりーーーっ、もういやッ! こんな生活!」
 こうして克哉の苦悩は果てしなく続くのだった。がんばれ、克哉。がんばれ、奈里佳。世界の運命は君たちの手にかかっているのだッ! 全然そうは見えないけど……。

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第4章 着替え


「あれ? いつの間にもうこんな時間に!?」
 自分のアソコだけが男の子のソレから女の子のアレに変えられてしまったことを深く大きく嘆いていたのだが、いつまでもそうしてばかりもいられない。ふと見た時計の針が指し示す数字に、克哉は驚きの声を上げてしまった。
(まだ遅刻をするような時間じゃないじゃない。何を慌てているのよ。それよりも本当に学生服をセーラー服に変えなくてもいいの?)
 捕獲した獲物をもてあそぶ猫にも似た雰囲気を漂わせつつ、奈里佳はのんびりと口をはさむ。
「遅刻ぎりぎりに行くつもりはないから奈里佳は黙っててよ。お願いだから」
 勇気を振り絞ったのか、それともやけになったのか? 克哉はちょっと震える声でそう言いながらパジャマを脱ぎだした。上着のボタンを外すとまずは左手、そして右手とパジャマから腕を抜くと、パジャマの上着をきれいにたたみだした。
(あらぁ〜!? 克哉ちゃんてば律儀ねッ!! そんじょそこらの女の子よりも女の子らしいわよ)
 克哉の頭の中では、奈里佳が『ヒュー、ヒュー』と、はやしたてる。
「そうなんですよね。僕も克哉君が男の子だというのは、常々惜しいと思っていたんですよ」
 クルルも、勝手なことを言いだしたが、克哉はそれを無視して黙々と着替えのプロセスを進行させたのだった。つまり……、パジャマの下も脱いだのである。まずは右足、そして左足と、すね毛などまだ1本も生えてないすべすべの肌もまぶしい2本の脚をあらわにしたのだった。
「あれ、克哉君、その下着はいったいどうしたんですか?」
 クルルは克哉がはいているオレンジと白のストライプ模様のショーツを指さした。
(ああ、これは私が魔法で変えといたのよ。ほら、やっぱりアソコだけとはいえ女の子が男もののトランクスをはいてちゃまずいでしょ? 克哉ちゃんも快く『ショーツをはきます』って承諾してくれたし♪)
 いたずらを自慢する子供のような口調で奈里佳が答える。今の奈里佳は克哉の頭の中にいる精神だけの存在のはずなのだが、鼻を高くして胸を反らせ、自慢のバストをこれでもかと強調しているポーズが目に見えるようだ。
「……無理やり言わせたくせに」
 聞き取れないぐらい小さな声で、ぼそりとつぶやく克哉。しかし克哉と精神同居状態の奈里佳に対しては、いくら小さな声でつぶやこうと丸聞こえなのであった。
(う〜ん、やっぱりアソコだけが女の子だなんてバランスが悪いわね。いっそのこと胸のほうも魔法で膨らませちゃうというのはどうかしら? ねえ、克哉ちゃんもそう思うでしょ?)
 もしも舌なめずりする猫が喋ったとしたらこんな感じだろうという、どこか背中がうすら寒くなるような口調で、しかしあくまでも表面的には優しく克哉を脅迫する奈里佳。
「ごめんなさい。自分からショーツをはくって言いました。だから胸は膨らませないで……」
 アソコが女の子のアレに変化させられただけでも大変なのに、胸まで女の子にされてはたまらないと、克哉は目には見えない尻尾をくるりと股の間に入れ、同じく目には見えない犬耳を折り曲げて、奈里佳に敗北の白旗を上げるのだった。
(分かればよろしい。じゃあ魔法で胸を膨らませるのは無しにしてあげる。だって無理に魔法で胸を膨らさなくてもそのうちに……♪)
 克哉が素直に折れたのに満足したのか、奈里佳もやけにあっさりと引き下がった。しかし何かそれでもどこか楽しそうな口調が妙に怪しいと言えば怪しい。もっとも克哉は、あえてそれを無視することにした。奈里佳の言う事をいちいち気にしていてはやっていけないことに、克哉も遅まきながら気がついたらしい。
「……ねえ、奈里佳。ショーツははくけど、その上にトランクスを重ね着するのは良いでしょ? それぐらいは認めてよ。だって今日は体育の時間があるんだもん。このままじゃ絶対にまずいよ」
 今日の時間割を思い出した克哉は壁に貼ってある時間割表を指差しながら、現実的な妥協点としての提案を奈里佳に申し出た。
(どうしてまずいのよ? 世の中、女の子用のショーツを喜んではいている男の子だっていっぱい居るわよ。大丈夫、ノープロブレムよ♪)
 すっとぼける奈里佳。分かって言ってるだけに説得は難しそうだ。
「僕は変態じゃないッ!」
 顔を真っ赤にして思わず声を荒げる克哉。どうやらそろそろ持ち前の忍耐力も枯渇してきたらしい。
「奈里佳ちゃん、それぐらいは認めてあげたらどうです? ほら、ディルムンのタイムパトロールだと思われるフューチャー美夏っていう敵も現れたことだし、どんなことであれ、あまり目立つようなことはしないほうが良いと思うんですよね」
 クルルは『そろそろ助け舟でも出すか』とでも思ったのか、奈里佳と克哉の言い争い(?)に口をはさむ。しかし猫のぬいぐるみのようなその身体で言われても、あまり説得力は感じられない。
(駄〜目♪ それじゃあ意味ないでしょ? 女の子のパンツはね……、見せてなんぼなのよッ!!)
 ザッパーーンと、大きな波しぶきをあげる冬の日本海を精神的な背景として、またしても勝手な理屈を主張しだす奈里佳。すぐには言う事を聞いてはもらえないだろうと思っていたクルルも、奈里佳のあまりな理屈に短い腕、というか前足で頭を抱えたくなってきた。
「僕、女の子じゃないもん……」
 クルルが頭を抱えて黙っていると、もはや奈里佳に理屈は通じないと覚悟した克哉が、すねてつぶやく。
(ほぉ〜お、克哉ちゃんは女の子じゃないってか? ふふん♪ まあ確かにさっきまではそうだったわよね。でも、ほら、ここはもうちゃんと女の子になってるのよ。触って確かめてみたらどうなの?)
 奈里佳がそう言うと同時に克哉の右手が勝手に動き出し、するすると股間へと伸びて行くのだった。克哉ちゃんの貞操……、危うしかもッ!?
「そんなことは分かってるよ! ……さっきトイレで触ったもん」
 恥ずかしさからか、最後はごにょごにょと尻すぼみになる克哉。耳まで赤くしちゃってるのが可愛い。
 それはそうと、ここまで来たら行くとこまで行かないと奈里佳はおとなしくならないだろうと悟ったクルルは、ベットの上で丸くなってしまった。そして恥ずかしがっている克哉の顔を見て、密やかに目の保養をすることにしたのだった。克哉は、そんじょそこらの女の子よりもよっぽど可愛かったりするのだ。
(触ったって言っても、トイレットペーパーで拭いただけじゃない。触るって言うのはね、こうするのよ♪)
 奈里佳のコントロールにより、克哉の意思とは無関係に動いていく右手が、とうとうショーツ越しに股間の縦に入った切れ目の上に置かれてしまった。右手のコントロールは奈里佳に奪われているものの、その触感だけは完全なまま残されているので、妙にやわらかいその感触が克哉の脳髄を刺激する。
「ひゃうあッ!」
 可愛らしくも驚きに満ちた声が部屋の中に小さく響く……。その驚きは触られた感触によるものだったのか? それとも触った感触によるものだったのか? それは声を上げた克哉にもよく分からないのだった。
(いい声で鳴く小鳥だこと。ご褒美に撫で撫でしてあげなくちゃね♪)
 そのまま、奈里佳が動かす克哉の右手の中指が、妖しげな動きを始めだす。まずは縦筋の奥に置かれた指先が、微妙な接触を伴ったまま徐々に前方向に移動したかと思うと、身体の中で一番敏感な部分の上で静止する。そしてゆっくりと、しかし確実に圧迫を加える。
 2〜3秒ほどの間、その部分に単純な圧迫を加え続けた指先はふっと力を抜き、薄い布越しの接触を一旦絶ったのだった。しかしこれで終わりかと思う短くも長い時のあと、再び接触してきたその指先は、ごくわずかな動きながらも緩やかな振動を伴っていた。
 指先という物理的なポイントが動き回る範囲は、わずか数ミリのことに過ぎないのだが、ここまでの一連の動きが何度も繰り返されるに及ぶと、触れられている部分が脳に発する信号の強さと量は、そのような経験がまったくあるはずもなかった克哉にとってしてみたら、異常なまでに強すぎた。
「あんッ!」
 とうとう耐え切れずに、自分の意思によって出そうとしたわけではない声が、克哉の喉の奥から漏れてしまった。自分のどこからこんな声が出てくるんだろうと不思議に思えてくるほど、その声は妙に色っぽかった。
(そんなに喜んでもらえるんだったら、もっとサービスしなくちゃね♪)
 克哉のその声を聞いて調子に乗った奈里佳は、更に高度なテクニックを駆使し始めた。それはもうここでは描写が出来ないくらいに……。既に上の口からのあえぎ声だけではなく、下の口からも『くちゅくちゅ』といったなんだか良い子には分からない声(?)も漏れてくる。
 克哉ちゃん、初めてにしては感度良すぎです。
「だめだよ、奈里佳ッ! それ以上やったら、声が、声が出ちゃう〜。ん〜、んん〜ッ!!」
 押さえようとしても身体の奥から沸きあがってくる初めての感覚の大波にシンクロして、色っぽいとしか言いようのない声が漏れ始める。それまではなんとか自由になる左手で奈里佳が動かす右手を引き離そうと無駄な抵抗をしていた克哉だったが、とうとう自分の口を……、もちろん上の口をだが、とにかく口を押さえる為にその左手を使わざるを得なくなってしまった。
(あら、ようやく抵抗をやめてくれたのね。うれしいわ♪)
 無理やりにでも、すべての物事を自分の都合の良いように解釈しようとする奈里佳。ある意味とっても立派である。
「んん〜ッ! ん、ん、ん、んんーーーッ!」
 色々と言いたいことはあるだろうが、今の克哉には声にならない声で唸ることしかできなかった。そうしている間にも奈里佳の攻めは続く。
(どう? こんなにも感じちゃうのに、まだ自分は女の子じゃないって言い張るつもりなの?)
 はたから見ていると、単に克哉が1人で自分のアソコを触ってもだえているだけなのだが、精神的には大いに楽しんで攻める奈里佳と、激しく抵抗しながらも守る克哉であった。……あ、この場合は守るではなくて、【受ける】と、表現しなくてはいけなかったか。
「んぁ、ああああーーーッ!」
 とうとう耐え切れず、左手で口を押さえたくらいではせき止められない声の本流が克哉の口から溢れ出してしまった。今まで力いっぱい抵抗してきただけに、いざ声を出すことへの抵抗がなくなると、それはもうびっくりするような声が出てしまったのだった。
(いや〜、克哉ちゃん。そんなにも喜んでくれると、私も触り甲斐があったというものよ。うん、私ってばテクニシャン♪)
 克哉が果てたことで、ようやく攻めの手を休める奈里佳。その口調には達成感が満ちている。世界を結晶化とそれによる崩壊の危機から救うという使命を考えたら、そんなことに達成感を感じていても良いものかとクルルは思ったりするのだが、そんなことを言うと奈里佳がどんな反撃をクルルに対してもするのか分からない。というわけで賢明にも何も言わずに黙っている日和見主義のクルルであった。
「喜んでなんかないもん……」
 うっすらと涙を浮かべ、顔を紅潮させて抗議する克哉。その手の属性がある人なら一撃で虜にされてしまうほどの破壊力を持っている。もっともそんな評価をもらっても本人はちっとも嬉しいとは思わないだろうことは間違いない。

「克哉ーーーッ! さっきから何を騒いでるの〜? 早く着替えてご飯を食べないと遅刻するわよーーーッ!」

 部屋の外から、母、弓子の声が聞こえる。どうやら全てが聞こえたわけではないにしろ、ある程度の部分までは克哉の例の声を聞かれてしまったらしい。それに気づいた克哉は、ますます顔を赤らめるのだった。
「はーーい、いま着替えてるところだから、もうちょっとだけ待ってーーッ!」
 とりあえず何を騒いでいるのかということには答えずにあやふやにしたまま、母親に対して返事をする。そして克哉は部屋の中に置いてある小さなタンスから新しいトランクスを取り出すと、両手でそれをつまんで上に上げ、自分の顔の前に持ってきた。
「奈里佳ッ! ショーツの上からこのトランクスをはくからね。もう決めたからッ!!」
 恥ずかしいことをされまくって切れちゃったのか、克哉ちゃん、いつになく強気です。
(ま、しょうがないわね。でも条件がひとつあるわ。どうせはくなら可愛い柄のトランクスにしてちょうだい。それならば反対はしないわ。それぐらいは良いでしょ?)
 条件付きながらも、あっさりと克哉の言い分を認める奈里佳。さっきまでのあれはいったい何だったんだろう?
「いくら反対しても無駄だからね。だってもう決めたんだもん。だから、いくら可愛いトランクスならはいても良いって言っても、僕は絶対に……。え!? トランクスをはいても良いの?」
 奈里佳には何を言っても絶対に反対されるだろうと身構えていた克哉は、あまりにもあっさりと奈里佳それまでの意見を変えたのが信じられなかった。あまりにも意表を突かれたので、直前の高ぶった口調が急にトーンダウンする。
(もちろん良いわよ。克哉ちゃんが本気でそうしたいなら、私にはそれを止めることは出来ないわ)
 異常なまでの、もの分かりの良さを見せる奈里佳。心なしかどことなく寂しそうな口調にも聞こえる。
「どうしたの? なんだか奈里佳らしくないんだけど?」
 奈里佳に対しては、タカビーでワガママで、他人の話なんか聞いちゃいないというイメージしか持っていなかった克哉は素直に驚いた。既にもう口調が奈里佳を心配する口調になっているのだが……、この素直さが可愛い♪
「克哉君、今、克哉君の頭の中に存在して喋っている奈里佳ちゃんは、克哉君と別人格というわけではなくて、完全な同一人格なんですよ」
 それまで布団の上で丸くなって日和見を決め込んでいたクルルが、ようやく話が一段落したのを確認してむくりと二本足で立ち上がると、克哉と奈里佳が行う1人芝居のような会話に参加してきた。
「奈里佳も自分のことを、『僕の心がそうなっていたかもしれない可能性のひとつ』だって言っていたけど、何かそれが関係あるの?」
 話の方向性が見えない克哉は、きょとんとしている。しかし話は逸れるが、オレンジと白のストライプのショーツをはいた女の子(?)が、男物のシャツを着てトランクスを握りしめている姿というのは、ちょっと異常な装いであるという自覚が本人に無いだけに、なかなかに趣があるものと思えなくもない。 
「克哉君と奈里佳ちゃんは、表面的にはまったく別個の2つの人格に見えるけど、本当のところは完全に同一な存在なんです。立体的なものを角度を変えた方向から平面的に見ると色々と違った形に見えるけど、実際には単に立体という存在が別の面を見せているだけですよね。それと同じで、克哉君の別な側面が奈里佳ちゃんという可能性なんです」
 短い前足を背中の後ろにまわし、布団の上をうろうろと立って歩きながら、クルルは克哉に説明した。
(そうなのよね。私と克哉ちゃんは同一の存在なんだけど、今の私は克哉ちゃんがそうなっていたかもしれない心の可能性として存在しているわけで……)
 クルルの説明を受けて、珍しく言葉を濁す奈里佳。なぜか克哉には、奈里佳がその言葉の先を言いたくないというように考えているのだなと感じられた。
「つまり、どういうこと?」
 すかさず、クルルと奈里佳の2人に同時に問いかける克哉。でも、もう少し自分の頭で考える習慣を身に付けたほうが良いと思う。
「つまりですね、克哉君は現実に今ここに存在していますが、奈里佳ちゃんは可能性として存在しているわけですよ。だからもしも2人の意見が対立した場合には、最終的な主導権はあくまでも克哉君が持っているということなんです」
 後ろにまわしていた前足を元に戻し、クルルは、右前足でビシッと克哉の顔を指す。しかし、克哉はその言葉を理解することができず、ただ唸っている。
「ほら、さっき、克哉君が『ショーツの上からトランクスをはく』ということを決めて、奈里佳ちゃんに向かって宣言しましたよね。それも本気かつ真剣な気持ちで」
 克哉はクルルの言葉を聞いて、思い当たることがあった。確かにあの時は今までの人生の中で一番本気かつ真剣だたかもしれない。それにしてもトランクスをはくということを宣言することが、今までの人生で一番本気かつ真剣だっただなんて、克哉の人生っていったい……。
「最終的な主導権はあくまでも僕が持っているといっても、さっきは奈里佳に嫌だって言ったのに無理やり僕のアソコが女の子にされちゃったし、トランクスをショーツに変えられちゃったりもしたんだけど、これはどういうことなの?」
 う〜んと唸ってからちょっと考えると克哉はクルルに質問したが、それに答えたのは克哉の頭の中から響く奈里佳の声だった。
(そうよ。最終的な主導権は、残念ながら克哉ちゃんが持っているわよ。だからトランクスをショーツに変えるときには、ちゃんと承諾を取ったでしょ?)
 克哉は、頭の中で奈里佳のイメージが腕を組み、目をつむってうんうんと何度もうなずいているのが目に見えるような気がした。
「承諾したって……ッ! あれはショーツをはかないと生理にするって脅かすから仕方なくショーツをはくって言っただけだよ。無理やり奈里佳が言わせたんじゃないかッ!!」
 顔を軽く紅潮させて怒る克哉。白い肌がほんのりと赤くなってとても可愛い。
「でも、克哉君。奈里佳ちゃんに無理やり言わせられたにしろなんにしろ、とにかくショーツをはくって承諾したんですよね? だったら、やっぱり最終的には克哉君が主導権を取ったという形になるんですよ。無理やり脅かされても、克哉君にはあくまでも断固としてそれを断る選択肢を選ぶことが出来たわけですからね」
 なんだか分ったような分らないような理屈だったが、取りあえずまあ納得出来ないこともない。確かに形だけにしろ、ショーツをはくということを承諾したのは間違いがないからだ。しかし、克哉にはどうしても納得出来ないことが残っている。
「じゃあさ、僕のアソコを女の子のアレに変えちゃったのはどういうことなの? 僕はそれについては何の承諾もしてないはずだけど……」
 不満もあらわにすねる克哉。そういえば確かに克哉は『僕のアソコを女の子のアレに変えても良いよ』……なんてことは一言も言っていない。克哉はクルルや奈里佳の説明に大いなる疑問点を抱いたのだった。
(その疑問には、私から答えてあげるわ。克哉ちゃん、あなたは本気かつ真剣に自分のアソコが女の子のアレにならないで欲しいと思ってはいなかったということね。もっと単純に言えば、克哉ちゃんは心のどこかでは女の子になりたいと思っているっていう事なのよ。お分かり?)
 ドーーンッという効果音を伴いながら、断言をする奈里佳。克哉はとっさに今、何を言われたのかが理解出来ず、目を見開くばかりだった。
「ま、克哉君には、女の子になりたいという潜在的な女性化願望があったと、そういうことですね」
 奈里佳の説明にふむふむと軽くうなずくと、クルルもまた、そう断言するのだった。
「そんなこと、あるわけないよッ! 僕は女の子なんかになりたくはないんだからね……」
 反論しつつも、なぜか声が段々と小さくなっていく。
(隠してもだめよ。克哉ちゃんが考えたことは、私には丸わかりなんだから。そもそも克哉ちゃんは、自分のアソコが女の子のアレに部分変身させられたとき、単純に嫌悪感だけを感じたわけじゃないでしょ? 女の子のアレの感じってどんなのかな〜とか、触ったときの感触にドキドキしちゃったりとか、逆に触られたときの気持ちよさに口では嫌だ嫌だと言いながらも、心の底では『もっと〜』とか思ったりしたんじゃないの? どう、図星でしょ♪)
 奈里佳の指摘に反論したい気持ちはあったものの、すべて思い当たることばかりなので何も言い返せない。というわけで克哉は、とりあえず手にしたトランクスをのろのろとショーツの上からはくのだった。現実逃避、かもしれない。
「僕、女の子になりたいだなんて思ってないもん……。男の子が女の子に興味を持つなんて当たり前だもん……」
 克哉は、くいっとトランクスを引き上げて、いつもよりもトランクスをきつくはいた。
(ふ〜ん♪ 『余分なものがついていないだけ、トランクスのはき方にも違いが出てくるのかな?』って、思ってるわけね。克哉ちゃんにとって、アレは余分なものだったんだ♪ なるほど、なるほど)
 精神同居状態の奈里佳にとり、克哉の考えを読むことなんて、魔法以前の問題でしかないのは、言うまでもない。
「勝手に他人の心の中を読まないでよッ!」
 恥ずかしさと怒りが入り混じったちょっとだけ複雑な感情に顔を赤らめつつ、克哉は奈里佳に抗議した。しかし事情を知っているクルルならともかく、奈里佳の存在を知るはずもない一般人が独り言大爆発状態の今の克哉を見たら、誰もが克哉のことを哀れみの眼で見ること間違いなしの状況かもしれない。克哉ちゃん、危ない人、1歩手前です。
(他人じゃないも〜ん。同一人物だも〜ん♪)
 奈里佳は克哉の抗議などまったく意に介さず、陽気で元気で能天気な返事を返してくる。まったくもってうらやましくなる程の気楽な性格だ。
「克哉君、そろそろ急がないと学校に遅れちゃう時間になってきているんじゃないですか?」
 トランクスをはいたまま動きが止まっている克哉に、クルルが時計を指差しながら話しかけた。
「わッ! いつの間に!? 急がなくっちゃ……」
 克哉は慌ててハンガーに架けてあるワイシャツに手を伸ばそうとした。
(ちょっと待って、そのままじゃ可愛くないでしょ。ちゃんとトランクスを可愛いのに変えなくちゃ。というわけで、こんな柄にしてみました〜。にゃんにゃん ♪)
 奈里佳の一言がきっかけとなり、トランクスの表面でチリチリと魔法が発動する感触が克哉にも感じられた。そしてそれまでゆったりとしていたトランクスがお尻にぴったりとくっつく程度に小さくなり、同時に表面にプリントされた何の変哲も特徴もない柄が可愛い系のイラストに変化する。
「……これは猫!?」
 机の上に置いてあった鏡を手に取ると、それを自分のお尻のほうに持っていった克哉は、奈里佳によって変化させられたトランクスの柄を確かめる。トランクスの地の色は濃い紺色ままだが、お尻全体には、これでもかとディフォルメされた白い猫の顔が大きくプリントされている。
(猫? ちちち、駄目ねえ。これは猫じゃなくて、【にゃんこ】なの。見て分らないの?)
 なんだか分からないこだわりを見せて、克哉の言葉をちょっと見下したような口調で訂正する奈里佳。
「猫もにゃんこも同じだと思うんだけど……」
 トランクスの柄を変えられること自体に抵抗する気はもはや克哉には無いらしい。まあ、可愛い柄と言ってもこの程度のものをはいてくる男子なら、クラスメートの中にもいなくはないし、許容範囲と言えるのだろう。
(ブーーッ! そんなことじゃ女の子失格よ。克哉ちゃん。猫は猫。にゃんこはにゃんこでしょ。あたりまえじゃない)
 それはそうかもしれないけど、何かちょっと違うんじゃないかと色々言いたいことはあったが、これ以上奈里佳と話していて時間が無くなるのもいやなので、克哉は奈里佳のことを無視して黙々と学生服を着ることに専念することにした。
「もうどうでもいいよ。とにかく早く着替えないと遅刻しちゃうから、奈里佳は黙っててよ」
 そのまま、まずは手にしかけたワイシャツに腕を通すと、上から順番にボタンをはめていき、その後も黙々と一般的な学生服のデザインをしたズボンをはき、細いウェストに合わせてベルトを比較的きつめに締める。
 しかしズボンをはき終わった克哉は、ふと気がついて自分の股間をまじまじと見つめるのだった。
「……大丈夫かな?」
 学生服のズボンに包まれた自分の股間を、観察するように念入りに見ていた克哉は、ぼそっと
つぶやいた。
「何がです?」
 半分あくび声で、語尾が上がるようなおかしな声で聞き返すクルル。片目に微量の涙を浮かべているのがやる気の無さを表していて、そのぬいぐるみのような外見にマッチしている。
「何がって……、ほら、ズボンの上から見て分かっちゃったりしないかな?」
 克哉は自分の股間を指差しながら、クルルによく見えるように1歩近づいた。
(大丈夫よ。元から小さかったから、ほとんど前と変わらないし。誰も気がつかないんじゃない?
 男の子に対して言ってはいけないセリフを使って口をはさむ奈里佳。
「まあ、奈里佳ちゃんが言うほど小さかったとは思いませんけど、その点に関しては大丈夫だと思いますよ」
 ジロジロと克哉の股間を見ながら、クルルも微妙な論評をする。
「クルルも僕のアソコが元々小さかったって思ってるんだ……」
 顔に数本の縦線を浮かべる克哉。もう少しでひざを抱えてあっちの世界に行っちゃいそうなまでの落ち込みようである。
(クルルちゃん、あんたも何気にキツイわね♪ でも、真実だからしょうがないかな?)
 克哉の落ち込み具合とは対象的に、奈里佳は明るい。ホントに2人は同一人物なのか?
「そういう意味じゃありません。克哉君も奈里佳ちゃんも誤解しないでください。僕は、男の子の股間をジロジロと観察するような人は普通はいないってことを言いたかったんですッ!」
 克哉と奈里佳の反応に、慌てて右手を顔の前で横に振って否定するクルル。
(分からないわよ〜。克哉ちゃんってば、元から男の子にしておくのが惜しいぐらいに可愛かったし、今はアソコだけとはいえ女の子になっていて可愛さも3割アップ(当社比)だし、その手の高尚なご趣味を持たれた方なら、ジロジロと見るかもね♪ 克哉ちゃんのアソコを)
 一応は仮にも自分自身のことなのに、とにかく楽しそうなばかりの奈里佳。声が笑ってます。
「まあ、見られても触られたりしなければ大丈夫かと思います。克哉君にはお互いにアソコを触りあって挨拶するような習慣のある友達や知り合いはいますか?」
 問いかけてくるクルルの顔は真面目そのものだ。
「マンガじゃ無いんだから、そんなことするわけないってばッ! 何考えてるの、クルルはッ!?」
 あきれつつも顔を赤くして、大声で反論する克哉。耳まで赤くなっているのはどういうわけだろう? もしかして過去にやったことがあるのか?

「克哉〜ッ! さっきから何を騒いでるの? このままだとホントに遅刻しちゃうわよ。何を騒いでるのか知らないけど早くしなさいッ!!」

 再度、部屋の外から弓子の声が聞こえる。その声にビクッと身体をこわばらせた克哉は、会話を打ち切ると学生服の上着を手に取り、慌てて袖に腕を通すのだった。
「ごめ〜ん、今行く〜」
 克哉は部屋の外に向かって返事をしながら、今日の時間割と学生鞄の中身を確認する。
(またっく、難儀な性格ねえ〜。昨日のうちにちゃんと用意はしているんでしょ。何でまた確認しなくちゃいけないのよ?)
 鞄を持って部屋を出て台所に向かう克哉の頭の中で、奈里佳は嘆息しつつ苦笑いした。
「ほっといてよ。性格なんだからしょうがないでしょ」
 はたから見たら独り言を言っているようにしか見えない状況で、克哉は奈里佳に対して文句を言うのだった。
「何が、『ほっといてよ』なの?」
 台所へと向かう廊下の途中で、克哉は正面からやってきた弓子とはち合わせた。
「あ、お母さん……」
 どう答えて良いのかとっさには何も思いつかずに、克哉は口篭ってしまう。こんなときは奈里佳に助けて欲しいと思うのだが、この状況を面白がっているのか、奈里佳は何も言わないどころか気配も感じさせない。まあ、役に立つということをしないのが奈里佳らしいと言えば奈里佳らしいのかもしれないが……。
「さっきから呼んでるのに、ちっとも部屋から出てこないからやって来たのに、『ほっといてよ』はないでしょ?」
 ちょっと怒ってみせる弓子だったが、どちらかといえば半分ポーズのようなものだ。女兄弟ばかりで育った弓子にとり年頃の男の子というものはそれなりに扱いづらい存在なので、その怒り方もどこか少し遠慮したようなところがある。
「ごめんなさい。さっきのはちょっとした独り言だから」
 克哉はそのまま弓子とすれ違い、台所へと歩き出した。
(まあ、私と克哉ちゃんの会話を独り言と言っても間違いは無いわよね。同一人物なんだから)
 克哉の言葉を受けて奈里佳がコメントをする。音のない声の調子はあくまでも楽しそうだ。克哉としては奈里佳に対して突っ込みを入れたいところだが、声を出さずに喋る方法を克哉はまだ知らない。
「そうなの? 克哉って今まで独り言を言うようなことってあまりなかったような気がするんだけど?」
 ちょっと首をかしげる弓子。年齢の割に可愛いしぐさなのだが、本人はそれを自覚していないようだ。
「え、そうかな? 最近多いんだよね、独り言。あはははは、ストレス溜まってるのかな?」
 笑ってごまかしながら克哉は台所におかれたテーブルの席に着く。既に茶碗にはご飯がよそわれ、皿にはウィンナーとキャベツの炒めものが盛られ、みそ汁も湯気を上げていた。
「ストレスッ! 本当かしら? 克哉の顔を見ているとストレスなんて全然感じて無いように見えるわよ。顔色なんかピンク色でつやつやしてるし……」
 克哉に遅れて台所に入ってきた弓子は、急須に入れたお茶を湯飲みに注いでテーブルの上に置くと、自分も克哉の正面の席に腰掛けた。
「きっと顔には出ないストレスなんだよ。というか、独り言に出ちゃうから顔には出ないんじゃないかな。……じゃ、いただきます」
 苦しい言い訳をすると、この話はもう終わりとばかりに、さっさと朝ご飯を食べ出す克哉。
「はい、召し上がれ。……でも、本当に顔色が良いわね。ほっぺたもピンク色でぷにぷにで、まるで女の子みたい。やっぱりあの奈里佳っていう女の子やお嫁さんに変身したりした影響なのかしら?」
 克哉の顔をじっと見ながら、弓子は全く他意の無い口調で克哉の顔色に関する感想を嬉しそうに漏らしたのだった。
「ごほっ、ごほっ!? お、女の子みたいって、そんなことないてばッ!! 変身したけどもう今は元に戻ってるんだから……」
 危うく口の中のご飯が気管支の方に行きそうになり、克哉は思わずせき込んでしまった。
「何を慌ててるのよ。でも、なんだか今日の克哉は本当に女の子みたいな肌をしてるわね。やっぱりそれって変身の影響なのよ。きっとそうに違いないわ」
 しげしげと、改めて克哉の顔を眺める弓子。
「そうかなあ、お母さんの気のせいだと思うんだけど。昨日はよく寝たからそれで肌の調子が良いんじゃないの?」
 そうは言うものの、克哉は自分のアソコが女の子のアレに部分変身してしまったことが原因なのでは無いかと、疑いだしていた。
(克哉ちゃんの想像は正しいわね。克哉ちゃんのアソコだけを女の子に変身させてあると言ったけど、免疫とか色々と面倒だから実は遺伝子レベルでは全身の細胞を女性化させてあるのよね)
「ええ〜〜ッ! それ、本当なの!?」
 突然親子の会話に乱入してきた奈里佳の告白に驚いて大声を上げてしまった克哉は、そのまま弓子の目の前であることも忘れて、大声を出しながら立ち上がってしまった。
「克哉、いったいどうしちゃったの?」
 弓子は何が起こったのか訳が分からず、おろおろするばかりだ。いよいよ矢島家にも家庭内暴力(?)がやってきたのかと心配している。
(遺伝子レベルで女の子になってるとは言っても、アソコ以外の外見は男の子のままなんだから良いじゃない。肌がきめ細かくなったのまでは計算外だったけど、これくらいなら問題無い無い、大丈夫♪)
 奈里佳の解説が続いたが、克哉はもうその言葉を聞いてはいなかった。
「あああ、こんなんばっかりーーーっ、誰かどうにかしてッ!」
 克哉の叫びが台所に響く。
「やっぱり男の子って分からない。お母さん、どうしたら良いの!? 助けて、範彦さ〜ん」
 視線をさまよわせながらおろおろと動転して夫の名前を呼ぶ弓子。
(ま、平和ってことね♪)
 それでものんきな奈里佳。
「無理矢理、まとめないでよ〜」
 こうして矢島家の朝は過ぎていったのだった。

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第5章 もうひとりの朝


「おはよう。ユニ君。で、何か変わったニュースは見つかった?」
 いつもの時間に自然と起きた夏美は、自分の脳神経組織と融合して存在している西暦91世紀に相当する未来世界ディルムンの自動機械、『ユニット 20479』に話しかけた。自宅の無線LAN環境に苦も無くアクセスしている『ユニット20479』、通称【ユニ君】は、夏美が寝ている間も休まず活動し、【魔法少女♪奈里佳】を名乗る時間犯罪者とおぼしき人物が引き起こした集団変身事件についての情報を収集していたのだ。
(城南中学を中心とした中津木町の住人が集団で【お嫁さん】に変身した事件についてのニュースは、一般放送にもネットにもそれこそ星の数ほど溢れているのだが、時間犯罪者奈里佳の正体や目的に繋がりそうな有効な情報は皆無だった)
 機械的に、いや、ユニ君は文字通り機械そのものなのだが、とにかく機械的に返事をした。同時に夏美の視界の片隅に、夏美にしか見えないバーチャルな画像が浮かび上がる。
「これは?」
 ベッドから身を起こしながら短く聞き返す夏美。
(公共のニュース及び個人が運営するネット掲示板やサイトの中に有力情報が存在しないのなら、自分で情報を探すしかないということだよ)
 なぜかユニ君は機械であるはずなのに、どこかユーモアを感じさせる物言いをした。続けてユニ君は夏美の視界を妨げないように画面を半透過にすると、画面を見やすいように視界中央の領域の半分弱のスペースを占めるほどまでに拡大させた。
「なるほどね。地道だけど、何も有力情報が無い状況ではこの方法しか無いのかもしれないわね」
 ユニ君が精神に同居しているとはいっても相手は機械。夏美は、躊躇なくパジャマを脱ぎ捨てベッドの上にほうり投げると、ショーツ1枚のみの格好になった。どうやら寝るときはノーブラ派らしい。
(幸いにもこの時代のこの地域には、至る所に監視用のカメラが存在する。なにもそれを利用しないという手はない。もちろんこの時代の法律には違反するが、私たちが追っているのはこの時代の法律どころか、自分が本来所属する未来世界の法律すら破っている時間犯罪者だ。遠慮する必要はない。私達こそ正義なのだから)
 ユニ君は夏美の脳の言語を司る領域に信号を送り自らの意思を言葉として伝えつつ、脳の判断を司る前頭葉にも微弱な信号を送りこんだ。夏美の意思がある方向へと誘導されるように……。
「そうよね。私たちこそが正義なのよねッ! 正義の前には街中のあらゆる監視カメラに不正アクセスするぐらい許されるはずだわ。絶対にそうよッ!!」
 夏美はクローゼットの引き出しから装飾の少ないおとなしめのブラジャーを取りだして身につけると、下着姿のままで高らかに己が正義であり、正義であるからには何をしても許されるのだと宣言するのだった。
「ところでこの計画書によると重点監視地点として城南中学校が上げられてるけど、奈里佳の正体はうちの中学の生徒か先生だって考えてるの?」
 正義のナノテク少女のはずなのにひとしきり高笑いをしたあと、ようやく夏美は、自分の目の前にバーチャルに存在している画面に写し出された【計画書】の疑問点に対しての質問をしてきた。
「いや、そうは考えていない。奈里佳がこの時代に現れたと推測される時点からあとに、城南中学に新たに転校してきた生徒も、赴任してきた先生もいないからな。ただ犯罪捜査の基本ルールとして、『犯人は必ず一度は犯行現場に戻ってくる』というのは未来世界でも有効なんだよ。城南中学は、奈里佳による先の集団お嫁さん化事件の現場の中心地だから監視地点として重要であることはまちがいないだろ?」
 夏美が既に【計画書】を一読したことを確認したユニ君は、大きく広げていた画面を夏美の視界の片隅へと縮小した。
「まあ、犯人が現場に戻ってくるということに対しては賛成するけど、奈里佳の正体がうちの学校の生徒や先生じゃないってことを完全に否定しないほうが良いんじゃないかしら。私はユニ君のことだから、てっきりその可能性を考えて城南中学を重点監視地点にしたのかと思っていたんだけど、どうやらユニ君ってば奈里佳の正体を限定して考えすぎているのね。ちょっと思考が硬直化しているんじゃないかしら?」
 薄いウグイス色をしたキャミソールを手早く着ると、続けて夏美は、ハンガーにかけられている制服のスカートに手を伸ばした。
(どういうことだ、夏美。私の推測はどこか間違っているというのかね?)
 意外という声色を機械が出せるとしたら、今のユニ君の声がまさにそれだった。機械と言うにはあまりにも人間的な反応かもしれない。
「奈里佳は魔法少女を名乗っているのよ。嘘か本当かは知らないけどね。でも名乗っているからには、魔法少女としてのあるべきパターンに当てはまっている可能性を無視しちゃいけないと思うのよ」
 白く輝く左右の足をスカートにくぐらせると、多すぎず少なすぎずというのがふさわしい適度な量の脂肪に包まれたウェストの上でホックをとめる。
(魔法少女としてのあるべきパターン? それはフィクションの上での話であって、奈里佳の正体とは何の関係もないと判断すべきだと思うのだが?)
 驚異的な能力を秘めたナノマシンの集合体であるユニ君であるが、まだ夏美が何を言いたいのかを理解できない。この点がいかに7000年後に作られた未来技術の産物とはいえ、しょせんは機械としての限界かもしれなかった。プログラムされていないこと、知識にないことに関しては分析が追いつかないのだ。
「魔法少女アニメというキーワードをネットで検索して、出てくる作品のあらすじとかを見てみたらすぐに分かるわよ。何だったらいくつかの作品の第1話でもダウンロードして鑑賞してみるのもいいかもね。ユニ君の能力なら、数分もあれば簡単にできちゃうでしょ?」
 基本的にユニ君の能力に驚かされっぱなしな夏美にとって、ユニ君の知らないことがあり、自分がそれを教えることができるという立場に立つのは快感らしい。夏美は自分の考えを教えることなく制服を着終わると、部屋を出て洗面所に向かって行った。
(分かった。夏美の言う通りにしてみよう)
 実は夏美の脳の記憶領域に自由にアクセスできるユニ君にとって、夏美の考えていることは寝ている時の夢の中のことまで完全に知ることができる。しかし単純に答えを知るよりも、自分独自の判断が夏美の判断と同じになるかどうかを知りたかったので、ユニ君は素直に夏美の言うことを聞くことにした。
「ま、中には例外もあるけど、何作品かを見てみれば共通点と思えるものが見えてくるはずよ。魔法少女アニメの中において、魔法少女がいかに魔法少女になったかということのパターンってものがね」
 洗面所に着いた夏美はまずは歯磨きと洗顔を済ますと、鏡に向かって丁寧に髪をブラッシングし始めた。どんな場合でも立場でも、髪は女の命なのである。
 そしてブラッシングも終わり髪の毛に天使のリングが現れた頃、ユニ君はため息ともつかない声で夏美に話しかけてきた。どうやら夏美に言われたことをすべて実行し終わったらしい。
(参ったな。夏美。もしかして夏美は、奈里佳は未来から来た時間犯罪者本人ではなくて、この時代に元からいた普通の人間かもしれない可能性を指摘しているということなんだね?)
 一本取られたという口調を隠さないユニ君。それを感じて、夏美はしてやったりとばかりにニコリと微笑んだ。
「まさにその可能性を言いたいのよ。もちろん奈里佳本人が未来からやって来た時間犯罪者そのものだっていう可能性もあるわよ。でも、もしかすると奈里佳の正体はこの時代の普通の人間で、未来世界から送りこまれてきた何らかの存在により、本人が魔法と認識してしまうような力を授けられたのかもしれない。ユニ君によって私がナノテク少女としての力を授かったようにね」
 最後の仕上げに、髪の毛をいつものように活動的なポニーテールにまとめると、夏美は鏡に向かって笑いかけた。どうやら笑顔の練習ということらしい。
(確かに奈里佳の正体が分からない現状では、あらゆる可能性を考えなくてはいけない。それにしても魔法少女か……。もしも奈里佳に力を与えた存在が私と同じように未来世界で作られた何かだと仮定すると、奈里佳がなぜ自分のことを魔法少女と名乗っているのかということも気になってくるな)
 夏美に話しかけるでもなく、独り言をつぶやくように話すユニ君の言葉を聞きながら、夏美は台所へと向かった。そしてそこに用意してあったエプロンを制服の上から身につけると、冷蔵庫の扉を開けたのだった。
「あ〜あ、やっぱり何にもない。お母さんも使ったらちゃんと補充しておいてくれなくちゃ。……それにこの食器ッ! いつでも出しっぱなしなんだもん。娘に家事を押しつけるのはなんとかして欲しいわね」
 夏美の母親は出版業界に勤めているので時期によっては夜遅くに帰宅したり、場合によっては家に帰って来ないことも珍しくない。流しに無造作に積み上げられている使用済みの食器を見る限りでは、どうやら昨晩は夜遅くに帰ってきて真夜中に食事をとったらしい。夏美はとりあえずそこにある汚れた食器を洗い始めることにした。
「ユニ君、そう言えばその点についてなんだけど、奈里佳の正体が魔法少女アニメに出てくる魔法少女と同じパターンだとすると、正体は小学生くらいの女の子って線もあると思うんだけどどうかな?」
 洗剤をつけたタワシで食器を洗う手を休めることなく、夏美はユニ君に自分の考えを話してみる。
(小学生の女の子か。確かに奈里佳は外見年齢の割には発育が良すぎるほど発育しているが、どことなくその言動は感情にストレートで子供っぽくて幼稚だから、その可能性も無くはないな)
 同意を示すユニ君の言葉を聞きながら、夏美は微妙に顔をしかめた。
「そうなのよね。身体だけは発育良いのよね。まったくあの胸ッ! マジで脳味噌に行くべき栄養を全部吸い取っているとしか思えないわ。きゃッ! お皿、割っちゃった。そんなに力を入れたつもりは無いのに……」
 食器を洗う手に自分でも予期しなかった力が入り、つい食器を割ってしまった夏美は、しばし呆然と自分の手と割れたお皿を見比べるのだった。
(力加減には気をつけた方がいいな。前にも話したが、今の夏美の脳神経は私を構成するナノマシン群と融合し、お互いに機能を補いあって強化されている。夏美の筋力そのものには変化は無いが、脳から発せられる信号の強さがアップしているので、力が出過ぎることもあるわけだ)
 皿が割れた状況を冷静に解説するユニ君。
「それって、いわゆる火事場の馬鹿力ってやつ?」
 改めて自分の手を見つめる夏美。
(まさにそれだな。精神状態が極限になった時、人間は普段では考えられないような力を発揮する。それが火事場の馬鹿力だ。しかし脳神経系を強化された夏美は精神が高ぶったり、または少し精神を集中させればいつでも火事場の馬鹿力が出せるはずだ。奈里佳との戦いには必要な能力だと思うのだが、夏美の意見はどうだね?)
 ユニ君、いや、未来世界ディルムンのタイムパトロールに所属するナノマシンの集合体である自動機械『ユニット20479』は、不安を感じかけていた夏美の脳に信号を送りその感情を麻痺させつつ、何でもない口調で説明をするのだった。
「ん〜、そうねえ。慣れないうちは力加減がうまくいかなくて困ることもあるかもしれないけど、戦いとなったら、力はあったほうが良いわよね。ええ、問題ないわ。奈里佳と戦う為なら、何でもする覚悟だったしね」
 そう言うと既に何の不安も感じなくなっていた夏美は、手早く割れた皿を片付け始めた。
(それはそうと話を戻して、私としては、奈里佳が魔法少女を名乗っていることが不思議に思えるのだが、夏美はどう思う?)
 夏美の様子をしばらく観察していたユニ君だったが、夏美が割れたお皿を片づけ終わったのを見計らって、質問をしてきた。
「不思議って、どこが?」
 質問の意図がうまく飲み込めない夏美は、そのままユニ君に聞き返す。その間もてきぱきと動き、まずは鍋を火にかけて湯を沸かし出す。カツオだしを入れているところからして、どうやらみそ汁を作ろうとしているらしい。
(つまり21世紀を迎えたこの時代、人々は既に大昔の迷信から目覚めて科学的な思考をするようになっていたと私の中のデータベースにはそのような情報がインプットされている。その情報から判断してこの時代の科学的な思考をする人間が未来科学の産物によって超絶的な力を得たとして、精神異常者でもないのに自分のことを『魔法少女』なんて名乗るものだろうか? ……子供じゃあるまいし)
 不思議でしょうがないという感じで夏美の質問に答えるユニ君。
「ユニ君ったら、時々、融通が利かないのね。まあ、機械だからしょうがないのかもしれないけど……。自分で答えを言っているってことにも気がついていないのかしら?」
 冷蔵庫を物色して使いかけのキャベツとニンジンを手に取りながら、夏美はおかしそうに笑った。
(ん? やはり奈里佳は精神異常者という訳か。そうすると奈里佳に論理的な行動を期待するのは無理ということになるから、今後の対応が難しくなるな……)
 考え込むユニ君。夏美は思わず吹き出してしまった。
「違う、違う。だからさっきから言っているように、私は奈里佳の正体は子供だと思ってるのよ。未来の超科学がなんたるかを魔法としか理解出来ない子供ということね。もしかすると近所の小学生の女の子かもしれないし、私たち城南中学の生徒かもしれないわ」
 先ほど火にかけた鍋の湯が沸騰してきたのを見計らって乏しい食材ではあるが、適度な大きさに切ったキャベツとニンジンを鍋に入れながら夏美はユニ君の考えを訂正した。
(しかし夏美は、私のことをすぐに正しく認識したではないか。少なくとも夏美と同年代の者なら、未来からやってきた何かに力を与えられたとして、その力を魔法だと思ったり、自分のことを魔法少女だなんて自称したりはしないのではないかと私は判断するのだが?)
 出来る限り不思議そうな声色を出すユニ君。
「どっちかと言えば、私のほうが標準から外れてるかもね。今時の女子小学生や女子中学生、それにたぶん女子高生も、占いやおまじないなんていう何の役にも立たないものに夢中になってるのよ。そんな娘達にしてみたら、ユニ君のような存在は魔法の国からやってきた妖精、その未来技術は魔法そのもの、そしてその力を授かった自分は魔法少女と。まあそう思っちゃうんじゃないかしら?」
 やれやれと、ため息をつきながら夏美は説明をする。このあたり夏美は極端な現実主義者ということらしい。もっとも、大人ならば未来の技術を正しく理解するはずだと判断しているあたりは、逆の意味で夢見る少女なのかもしれないが……。
(ふ〜む、なるほど。未来の科学技術を魔法としか認識出来ない子供が奈里佳の正体というわけか。夏美の言うことも一理あるかもしれないな。確かに子供には魔法を信じる心があるものだ。よし、それでは夏美のその意見にもとづき、監視対象を広げることにしよう)
 ユニ君の言葉が終わらないうちに、またしても夏美の視界に重なるようにバーチャルな画面が浮き上がる。そこに映し出されているのは中津木町の広域地図であり、その地図上には4個の光点が、チカチカと点滅していた。
「ひとつは私たちの城南中学、その周りにある2つの光点は天翔(てんしょう)小学校と千音(ちおん)小学校。そして地図のはずれにあるのは中津木警察署……、かしら?」
 ひと目で何が映しだされているのかを理解した夏美は、子供が集まる小中学校が監視対象になるのは良いとして、なぜ警察署が関係してくるのかと疑問に思いながらも、鍋の中で味噌を溶かしだした。使っている味噌は大豆100%で作られた赤味噌である。
(奈里佳が、中津木町以外の住人であるという可能性も捨てきれなくはないが、過去2回も同じ地域に現れていることからして、中津木町と無関係ではないと考えるのが合理的だ。中津木町の子供が集まる施設と言えば小学校と中学校だから、監視対象としてこれは外せない。そして中津木警察署には、この3校に設置された監視カメラの映像がリアルタイムで送信されている。つまりここを押さえるのがもっとも効率的なのだよ)
 そして画面の中の城南中学校と天翔小学校、そして千音小学校を表す3つの光点から点線が伸びて中津木警察署を表す光点へと伸びていった。
「効率的ねえ〜、だったらどうして最初は重点監視地点を城南中学校に限定していたの? 初めから中津木警察署を押さえたほうが楽なんでしょ?」
 味噌を溶かし終わった夏美は最後の仕上げに適度にきざんだ油揚げを鍋の中に落とす。もう少し具が欲しいところであるが、材料がないのではしょうがない。
(夏美は前提条件の変化を考慮していない。奈里佳の正体がこの時代の小中学生かもしれないという前提に立てば、3校を同時に監視する必要が有るから、監視カメラの映像データを集中管理している中津木警察を押さえなければならない。しかし未来世界からやってきた時間犯罪者本人が奈里佳の正体だという当初の前提ならば、昨日の事件が発生した城南中学校のみを監視していれば良いということになる)
 そう言い張ったユニ君だったが、夏美にはユニ君がどことなく焦っているように感じられた。
「はいはい、そういうことにしておきましょうか。ユニ君のことだから、ちっとも気がつかなかったなんてことは無いもんね」
 ホントは気がつかなかったんでしょ? と、言わんばかりの夏美の口調に、ユニ君は何も言い返せない。実は図星だったのだろう。
「ん、もう少し濃いほうが良いかな?」
 夏美は、できあがった味噌汁をおたまですくい、味見をしながら小さくつぶやく。自分が食べるだけではなくて、まだ寝ている両親の分も作るわけなので、自分ひとりの好みで仕上げる訳にはいかないのがちょっと面倒と言えば面倒だ。
 ちなみに夏美の父親は、読者の年齢を法律によって限定されている小説を書くことを専門にしている作家である。一言で言えば『官能小説家』というやつであろうか? 夏美の母とは、雑誌の編集者とそれに載せる小説の作者という関係だったらしいのだが、ある時、書いている小説の中身を2人で実践したら見事に当たってしまい、今に至るというものらしい。やるな……、父。
「ところでユニ君、中津木警察署に集まる監視カメラの映像をどうやって手に入れるの? まあ、ユニ君の能力なら家のパソコンから警察のコンピューターに侵入して乗っ取っちゃうなんて簡単なんだろうけど」
 味を濃くする為に少量の味噌を追加してそれを溶かし終わると、夏美はコンロの火を止めた。
(もちろん、夏美のパソコンから中津木警察署はもちろん、全世界のあらゆるコンピューターに侵入し、遠隔支配することも原理的には可能だが、残念ながら今回はそういうわけにはいかない。どうしても私自身が中津木警察のパソコンに物理的に接触する必要がある)
 残念と言いながらも、どこか自分の能力をアピールするような口調のユニ君。はたして人工知能にも自己顕示欲というものはあるものなんだろうか?
「何か問題でもあるの?」
 テーブルの上をふきんで拭きながら夏美は質問した。そして手早く家族3人分の食器を出す。おそらく夏美の両親はふたりともまだこの時間には起きては来ないだろうが、家族そろって食事をとる雰囲気だけでも味わいたいと夏美は思っているらしい。もっとも本人にそういった意識の自覚はあまりない。既に習慣として両親の分の食器も用意しているというのが正解かもしれない。
(なに、単純に回線の接続速度の問題だよ。ADSL回線では、対象となる監視カメラが撮影する全ての動画データをリアルタイムでとりこむには、能力的に無理がありすぎるというだけの話だ)
 ユニ君はそこで一旦言葉を区切ると、またしてもバーチャルな画面を夏美の視界に重ね合わせた。
(というわけで、まずは夏美と融合していない部分の私が、中津木警察署のシステムに取り付き、そこを支配する。と、同時にそこにある材料を使って大容量データを送信可能な通信機を作ってしまおうというわけだ)
 ユニ君の説明に合わせて夏美の視界に重なる画面上では、ユニ君が説明した内容が画像で表されていた。PHS形態をとっている現在のユニ君がその姿を鳩に類似した鳥型のロボットに変化させると、家の窓から飛び立ち中津木警察署まで飛んで行き、そこで画面上のユニ君は細かく分裂し、それぞれが小さな虫の形態をとるのだった。あるものはハエ、またあるものはゴキブリ、そしてクモ等々、建物の中にいてもおかしくはないものに変化すると、それらは時間差をおいて少しずつコントロールルームへと集合し、そこの機械の中に入り込んでいった。
「ちょっと、ユニ君、食事前に変なものを見せないでよッ! 早く消して、ほら、早くッ!!」
 ごていねいに色まで本物に似せた擬態をしているハエやゴキブリ形態をとっているユニ君たちの映像を見せられて、思わず叫んでしまった夏美だった。ユニ君が夏美に見せるバーチャルな画像は夏美の脳に直接信号として送られてくるものなので、目をつぶったとしても見えてしまうのだ。
(ふむ、単なる映像なのに……。まあ、ともかくこのようにして中津木警察署のシステムに物理的に接触する。そして、その内部の材料をちょっと拝借して私と常時双方向リンクしている通信装置を作りあげるわけだ)
 夏美の抗議を軽く無視して、ユニ君が見せる画像は中津木警察署のコンピューターの内部で活動をするユニ君達のCGグラフィックスが映し出していた。
「分かった。分かったから、映像を止めてよ。私、こういった虫がうじゃうじゃいるのを見ると鳥肌が立っちゃうのよ」
 思わず両手で腕を抱える夏美。確かに首筋には鳥肌が立っているのが見える。
(虫じゃないのに……)
 なんだか落ち込んでいるようなすねているような雰囲気でつぶやくユニ君。どうやら人工知能に対して【虫=バグ】と言うのは禁句らしい。
「分かった、分かった。ユニ君は虫なんかじゃなくて、立派な機械よね。OK、だから映像を止めて」
 まだ視界に重なるようにして映しだされている虫のようにうじゃうじゃと動いているユニ君達のCG映像から極力意識をそらしながら、夏美はユニ君をなだめ、そしてお願いをした。
(そう、私は虫じゃない。機械だ……。ああ……、夏美……。すまない。ちょっと混乱してしまったようだ。私レベルの人工知能には二次的ながらも心がある。その心の根幹となるプログラムは何十世紀にも渡ってコピーされてきたものなのだが、どうも自分のことを【虫】とか、【バグ】と言われることに対して【トラウマ=精神的外傷】があるらしいのだ)
 機械らしい素早さで落ち込み状態から立ち直ったユニ君は夏美に謝ると、映像を消したのだった。
「いえ、誰にでも苦手なものはあるわけだし、謝ることはないわ。単に私もユニ君も虫が苦手だっただけのことじゃない。それにしても虫が苦手な割に、何で自分から虫の形になろうだなんてするの?」
 夏美から見ると全能にも見えるユニ君にもそれなりの弱点があることが分かって、夏美はユニ君に対する親近感が深まるのを感じていた。お互いの弱点を共有するというのは、精神的な距離感を一気に無くすものらしい。
(いや、私が嫌なのは虫そのものではなくて、私のことを虫扱いされることなんだよ)
 微妙な訂正をするユニ君。
「う〜ん、だったらなおのこと虫の姿を取らなくてもいいのに。……まあ、いいわ。警察署の中で人目に付かずに移動しようと思ったら、どうしてもあの姿になっちゃうのかもね」
 さて、いよいよご飯をよそって食事にしようと思っていた夏美であったが、先ほどの映像で食欲を無くしてしまっていた。そこで食事をするのはもう少し気持ちが落ち着くのを待ってからにすることに決め、食卓の椅子に腰をおろしたものの、箸は取らない夏美だった。
「それよりもユニ君、今の話からするとユニ君は材料さえあれば自分だけで通信機とかも作れちゃうんだよね。だったらどうして自分自身の複製を作らないの? 確かユニ君は未来世界からこっちにやってくるときに爆発しちゃって、今残っているのは元の自分の一部分だけだったはずよね?」
 ユニ君との出会いを思い出しながら夏美は質問した。実は夏美はその爆発に巻き込まれて一度死にかけたのだが、ユニ君というナノマシンの集合体と部分的に融合し、大怪我をした身体を修復してもらったことにより命を助けられているのだ。まあ、命を危うくしたのもユニ君なのだが。
(私も自分自身の複製を作って機能を完全に回復したいのはやまやまなのだが、そうもいかないのだよ。残念なことにね。私はナノマシンの集合体だ。今、夏美の脳神経系と融合している部分も、PHS形態をとっている部分も私なのだが、ナノマシン単体では大した処理能力もなければ、データ記憶容量もそれなりのものでしかない。全体が集まってこそ全ての機能が発揮できるように設計されているのだ)
 説明と共に、ナノマシン達が協力してひとつの仕事をこなすアニメーション映像が映し出される。
「確かテレビで見たことあるわ。単機能なロボットが複数集まって高度な動きを実現するっていうやつと同じね」
 ユニ君の説明を聞いて、以前に見たニュースを思い出した夏美は、そこで口をはさんだ。
(まあ、そうだ。……話を戻して、ナノマシンそれぞれが全てのデータを記憶しているのではなくて分散してデータを記憶していたのだが、爆発の際に私を複製するデータが収まっていたナノマシンが失われてしまったと、つまりそういう訳なんだよ。夏美)
 ちょっと残念そうな感じのユニ君。
「ユニ君が完全だったら、奈里佳なんか簡単に捕まえることが出来たかもしれないのにね。……何とかならないの?」
 ちらりと時計を見て、『そろそろ食べないと遅れちゃうかな?』と思いながら夏美はようやく箸を手に取った。
(まあ、使える能力でがんばってみるだけさ。一応、残されたデータから完全なデータを修復しようとはしてるんだが、こういう状況は想定されていなかったからちょっと苦労している。まあ、現状では気休め以外の何ものでもないというレベルで作業は進行中というところかな)
 ため息をつくかのように喋るユニ君。自分自身を複製するのは本当に難しいらしい。
「なるほど。戦力が少ないなら、ますます情報収集に努めなくちゃね。私もがんばってみるけど、ユニ君もがんばってね♪」
 こうして夏美とユニ君の早朝会議(?)は終わった。しかし2人は気がついていなかった。奈里佳の正体は、年齢はどうであれ女性だと思いこんでいて、男性がその正体かもしれないという可能性を排除していることをッ! もっとも奈里佳の正体である矢島克哉は、あそこだけとはいえ今は男ではなく女になっているのであるが……。はてさて、次なる両者の激突はどのような形になるのであろうか? それはまだ誰にも、そう作者にすら分かっていなかった。
 ……ホントにいったいどうなるんだろうね。

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第6章 絶体絶命?


「トイレ、遅かったな。もしかして大か? 早く着替えないと体育の時間に遅れるぞ」
 緑色の体操ジャージに着替えている最中の佐藤雄高(さとう・ゆたか)が克哉に話しかけてくる。もちろん冷やかしの口調はいっさいない。彼にはクラスメートが学校のトイレで大をしようが何をしようが何も気にしないおおらかな性格の持ち主なのだった。もしかするとただの単純馬鹿ともいうやつかもしれないが。
「えっ、いや、その、大じゃ、ないんだけど」
 どう答えてよいのか混乱し、口ごもってしまう克哉。トイレに行ったのは確かで個室に入ってきたのも確かなのだが、個室に入った理由がアソコが女の子のソレになっているということだけであり、実際には小しかしてこなかったのだ。だからどう返事をすれば良いのかわか分からなくなっている。……というわけだったりする。
「ふ〜ん、ま、いいか。でも克哉は確か個室に入って行ったような気がするんだけど、見間違いだったのかな」
 一瞬、不審に思った雄高だったが、すぐに今自分が感じた疑問を深く掘り下げて考えるのをやめた。何度も言うが、彼はおおらかな性格の持ち主なのである。作者が言うんだから間違いない。
「いや、ちょっと鼻水が出ちゃったんだけど、ティッシュを忘れちゃって」
 頭をフル回転させて言い訳をする克哉。こんなことの為に頭をフル回転させなくてもいいのにと思わなくもないが、小学生時代にトイレで大をしたことで、からかいやいじめの対象になったことがある克哉にとって、それは死活問題だった。
 もちろん雄高は克哉をからかったりいじめたりするような人間ではないことを克哉は知っている。小学生の頃にその事件があった時、克哉の周りの男子生徒がことごとく克哉をからかったりいじめたりしていたのに、ただひとり克哉と普通に接してくれたのが雄高なのだ。
 まあ、克哉がクラス内の男子達にいじめられていることに、雄高は気づきもしなかっただけということなのであるが、既に真実は克哉の中で極端に美化されていたのである。
「なんだ、そうだったのか。ティッシュぐらい言ってくれれば貸したのに。トイレットペーパーで鼻をかむのはあんまりよく無いらしいぞ。確かうちの婆ちゃんがそう言ってたような気がする。理由は何だったか忘れたけど。う〜ん、なんだったかな?」
 ジャージを着終わった雄高は、腕を組んで祖母の教え(?)を思い出そうとしている。ちなみに彼がそのことを思い出しても思い出さなくても、別に今後のストーリーには全く関係が無いのは言うまでもない。
「うん、ありがとう。でも急いでいたから」
 一番の親友と思っている雄高の不審を刺激することは、どうやら回避出来たらしいことに安堵する克哉。
「じゃ、先に行ってるから急いで来いよ」
 無意味な笑顔を残して去って行く雄高。しかも歯を光らせてどうする? この小説を別ジャンルに変えるつもりなのか!?
「分かった。すぐに行くよ」
 克哉もまた笑顔で返事をしながら右手で小さく手を振った。背後に花が飛んでるような気がするが、それはいったいどんな種類の花なんだろうか? 花には詳しくない作者には分からないが、何となくバラの花の変種のような気も……。
(はぁ〜、克哉ちゃんったら、まるで恋する乙女ね)
 今までのやりとりを黙って聞いていた奈里佳だったが、教室の中から克哉以外のみんながいなくなった途端に盛大なため息とともに克哉に話しかけてきた。
「恋する乙女って誰が?」
 まったく予期しなかった言葉を聞いて、心が反応しきれない克哉。目を大きく見開いてきょとんとしながら、オウムのように奈里佳に聞き返す。
(克哉ちゃんが)
 一瞬のよどみもなく答える奈里佳。返事の素早さ選手権で優勝を狙えるぐらいの早さである。
「誰に?」
 未だに何を言われたのか状況が飲み込めていない克哉は、2〜3秒考えた後にまた奈里佳に質問する。まあ、そのような自覚症状なんかないのだからしょうがないかもしれない。
(雄高君に)
 短く、しかしハッキリと断言する奈里佳。克哉の頭の中のイメージ上の奈里佳は、満足そうにうんうんと何度もうなずいている。
「ええーーーッ! どうしてそうなるのッ!?」
 ようやく奈里佳に何を言われたのかを理解した克哉は、顔を真っ赤にして抗議する。しかし赤らめたこの顔は、的外れなことを言われた怒りによるものか? それとも図星を指された恥ずかしさによるものか? 外野としては気になるところではある。
(まあ、私が見るところ、克哉ちゃんの雄高君に対する気持ちは恋心そのものよ。自分では気がついていないかもしれないけど断言出来るわ。間違いないわね)
 奈里佳は絶対の自信をもってそう言いきった。その口調にはまったく戸惑うところがない。
「雄高は僕の一番の親友だけど、僕が雄高に恋をしてるだなんてそんなことあるわけないよ。だいいち僕達は男同士だし……。だから、その……」
 勢いよく反論し始めた克哉だったが、なぜか言葉の最後が尻すぼみになっていく。
(そうよ。今の克哉ちゃんは女の子なの。そんな克哉ちゃんと雄高くんの間に存在する友情が恋に変わるだなんてことは、あまりにもワンパターンな展開過ぎて、まわりから文句がきちゃうぐらいあたりまえのことなのよッ! ね♪)
 完全に克哉をおもちゃにして遊んでいる奈里佳。それにしても楽しそうである。
「奈里佳の魔法で変えられちゃっただけで、本当の僕は男の子だよ」
 反論したいことは山ほど有ったが、しても無駄なこともよく知っていたので、克哉はそれだけを言って反論するのをやめた。女の子なトイレで時間をとりすぎたので、早くジャージに着替えないと次の体育の時間に間に合いそうになくなってきたのだ。ともかく克哉はボタンを順番にはずすと、学生服を脱ぎだしたのだった。
(私は私だけど、同時に克哉ちゃんでもあるのよ。克哉ちゃんの気持ちを間違えて理解するはず無いでしょ? 克哉ちゃんの気持ちは恋そのものなの。まあ少なくとも肉体関係を前提としない恋愛感情ってところよね。まったく今時プラトニックだなんて、ホント、恋する乙女以外のなにものでもないわね)
 再度断言する奈里佳。どうしても奈里佳は、克哉と雄高の関係をその手の関係に持って行きたいらしい。しかし大丈夫か? 作者は、ラブコメは苦手だぞ。恋愛経験少ないし。
「だからそんなんじゃないってばッ!」
 上下の学生服を脱ぎ終わり、下着にワイシャツという姿になっていた克哉は困ったように叫ぶ。しかしその姿、元々小柄で細身な体つきのところに大きめサイズのワイシャツを着ているせいでその白い生地がゆったりと余っているのだが、これはこれで何かちょっとあちら側の色気を感じさせなくもない。
(ま、そのうち自覚すると思うわよ。私は応援してるからがんばってね、克哉ちゃん♪)
 あまり追いつめてしまうと反発からふたりの恋が終わってしまうかもしれないと思ったのかどうなのか知らないが、奈里佳はあっさりと引き下がった。まあ、別に克哉のことを思ってというよりも、単に『おもちゃは大事に扱わねばッ!』と考えていたりするだけというのが正解だろう。
「応援しなくていいって。それよりも、やっぱり問題はトイレだよ。今回は大丈夫だったけど、毎回、個室のほうを使っていたら絶対に怪しまれちゃうッ! だからお願い。元に戻して」
 ワイシャツと下に着ていたランニングシャツも脱いで上半身裸になりながら、克哉は心の中で奈里佳に対して手を合わせてお願いをする。
(だ〜め♪ そんなことより早くしないと時間がないわよ。克哉ちゃんってば、おしっこするのに時間がかかり過ぎなんだもん。個室の中でしゃがむでもなしに立ちっぱなしで、いったい何を考えてたのかしらね〜?)
 克哉の質問には答えず、奈里佳は微妙に話をはぐらかした。
「そんなこと言ったって、トイレにまだ人が残っていたから音を聞かれちゃうかもしれなかったし……。女の子のおしっこって、その……、音、大きいし……」
 自分の言ってることに恥ずかしくなり口の動きが鈍ってしまう克哉だったが、それとは逆に、ジャージのズボンを引き上げる手の動きは素早かった。
(バカねえ。そういう時は水を流しながらすればいいのよ)
 克哉が問題にしている点なんて、まったく問題点となることなんかないッ! そんな意思を込めた奈里佳の口調を聞いて、克哉はあきらめの境地へとまた1歩近づいた。
「だから問題はそんなことじゃないんだってば。もういいよ。どうせばれてみんなに変態扱いされるのが落ちなんだ。はぁ〜。もう、こんなんばっかし。はぁ〜〜〜ぁ」
 盛大なため息と共に半袖の白い体操服を着た克哉は、更にジャージの上着を羽織り、そこでいったん手を止めた。克哉の視線の先には、ジャージに包まれた自分の股間がある。そこを見ると、克哉の口からは更に大なため息が出てくるのだった。
「やっぱりよく見たら股の間に何もないことが分かっちゃうよ。体育、見学しようかな?」
 半ば本気、半ば愚痴といった感じでそう言うと、克哉はジャージのジッパーを上に引き上げながら教室をあとにした。
(大丈夫だって♪ 誰も克哉ちゃんの股間をジロジロと見たり触ったりなんかしないんでしょ? だったら克哉ちゃんのアソコが女の子になってるだなんて誰も気づきゃしないわよ)
 根拠のない自信に裏打ちされた奈里佳の言動は、とても明るく、そしてポジティブだった。こんな奈里佳を見ていると、プラス思考って大丈夫なの? と、思わなくもない。
「気づく人もいるかもしれないよ」
 廊下を早足で歩きながら、克哉は奈里佳に対して無駄な抵抗を行った。無駄な抵抗でしかないのだが、何もしないよりはマシということらしい。克哉君、結構マメです。
(克哉ちゃんのアソコが女の子になっていることを気づかれちゃうかどうかなんて心配してもしょうがないじゃない。気づかれたらそれはその時の話だし、もしかしたらまったく気づかれないかもしれないし。それよりもほら、もうみんなグラウンドに整列してるわよ。ほら、急いだ、急いだ)
 奈里佳の言うように、校舎を出た克哉の視線の先にはグラウンドに整列しているクラスメイト達が見えた。ちなみに体育の時間は2クラスの男子と女子が合同して行うことになっている。女子の姿が見えないのは、きっと今日は男子がグラウンドを使い、女子は体育館を使うことになっているからだろう。
「ホントだ。急がなくちゃ。でも変だな。なんだかやけに見学者が多いような気がするんだけど」
 既に先生も来ているのを見つけた克哉は、駆け足をするスピードを気持ち早めると、みんなが整列している場所へと急ぐのだった。
(んん〜、どれどれ? ははぁ〜、なるほど、なるほど♪)
 当然に克哉が目にしているものは奈里佳にも見えているわけで、奈里佳は見学者の群れを確認すると、ひとり満足げに納得をした。
「奈里佳は何か知ってるの?」
 みんなが整列している場所のすぐそばにまで来ているので、克哉は小声でそっと奈里佳に質問した。
(ま、そのうち分かるわよ。ひとつ言えるのは、この世界を結晶化から救うっていう使命は着々と進行中ってことかしらね)
 それだけを話すと、奈里佳はもう何も喋らなくなった。克哉は自分の頭の中に奈里佳の気配を感じることは出来るのだが、ただそれだけでしかなかった。
「遅いぞ、矢島ッ!」
 体育教師の叱責(しっせき)が飛ぶ。克哉は慌てて意識を目の前に戻すと、自分の所定の位置に整列した。
「遅れてすみません」
 厳しいことで生徒達に恐れられている先生なので、克哉としても背筋を伸ばして返事をするのだった。ちなみにこの体育教師は完全無欠の脇役なので名前はない。でも名無しのままではかわいそうだから、とりあえず体育教師Aとしておこう。
「よしッ! 気をつけッ! 礼ッ! 今日は紅白に分かれてソフトボールをする。いいかッ!?」
 体育教師Aの号令に合わせて、克哉達は身体をきびきびと動かし礼をする。それに対して見学者達は妙にそわそわとして気もそぞろという感じだ。克哉から見ても、どこかおかしな雰囲気であることは否定出来ない。
「それではまずチーム分けとポジションを決めるわけだが……」
 体育教師Aの話はまだ続いていたが、先ほどの奈里佳の思わせぶりな言葉を聞いたせいで、克哉としてもついつい体育教師Aよりも見学者達のほうに注意が行ってしまう。
「こらッ! 矢島ッ! 遅れてきたくせにきょろきょろしてるんじゃないッ! よし、今日はお前が紅組のピッチャーをやれ。気合いをたたき直してやるッ!!」
 名指しされた克哉は身体を硬直させると、ぎぎぎッと、音が出ないのが不思議という感じで右手を顔の前まで上げると、自分の顔を指さした。
「ピッチャー、僕がですか?」
 まるで悪い夢でも見たかのような顔をして克哉は体育教師Aに質問した。
「なんども言わせるんじゃないッ! 俺が決めたことに文句があるのか?」
 ややヒステリックな妙に甲高い声を出しながら、克哉に迫る体育教師A。
「……ありません」
 ここで文句があるなんて言おうものなら、すかさず、『たるんだ精神を叩き直してやるッ! グラウンド10周ッ!!』と言われるのが落ちなので、克哉としても従うしかない。しかもこの体育教師A、厳しいというか激しいというか、ちょっと無茶な指導方法を信望しているにもかかわらず体罰だけはしたことがないので、周りの者もなかなか彼をいさめようがなかったりする。ようは野放しなのだ。
「声が小さいッ!」
 克哉の言葉の最後に被るかのような素早さで、体育教師Aが吠える。
「ありませんッ!!」
 まだ声変わりも完全には終わってない男の子(?)の可愛らしい声を精一杯張り上げて、克哉は返事をする。目をギュッとつむり、ちょっと苦悶に満ちたような表情をしている克哉の顔を見て、体育教師Aは至福の表情を浮かべながら満足そうにうなずいた。やや【S】の気があるのかもしれない。……体育教師A、あぶないやつ。
「プレイボールは5分後だ。各クラスの体育委員はその間に倉庫から用具を持ってくること。では奇数列は紅組、偶数列は白組に分かれて解散ッ!」
 体育教師Aの号令のもと、整列していた克哉らは列を崩すと、新たにそれぞれのチームごとに集合しなおし、ポジションや打順を決め始めた。
「ちょっと集合に遅れてきたぐらいでひどいよな。マッチョの奴も克哉のことを怒るんじゃなくて、見学者達のことを怒ればいいのに。あいつらのあの元気そうな顔を見てみろよ。あれは絶対に仮病に決まってるって」
 ふと気づくと、克哉の横に雄高が立っている。それにしても体育教師Aのあだ名は【マッチョ】というのか。作者も今知りました。教えてくれてありがとう。佐藤雄高君。
「遅れて来たのは事実なんだししょうがないよ。でも本当に見学者が多いよね。どうしたんだろう?」
 恋する乙女と奈里佳にからかわれたばかりなので、つい意識してしまう克哉だった。声がうわずり、顔もほんのりと赤くなっている。
「心配しなくても仮病患者だらけだよ。知ってるか? 見学理由のなかに『生理』だなんていうのがあるらしいぜ。いやあ、男の生理って見たいような見たくないような、ちょっと退いちゃうよな」
 克哉に対して笑顔で同意を求める雄高。ちょっとにやけた笑いを浮かべているところが、いまいち二枚目にはなれない原因のひとつではある。幸いというか不幸というか、本人はそれに気がついていないのであるが。
「そうなんだ。見学理由が生理だなんて、なんかすごいね」
 今朝のトイレの中での奈里佳との攻防を思い出して、ちょっとブルーになってしまった克哉は、小さくため息をついた。
「ん? 元気ないな。克哉。もしかして『あの日』か?」
 目には見えない猫耳をピンッと立て、同じく目には見えない尻尾をくねらす雄高。もちろん鼻はおもしろそうな話題を嗅ぎつけてひくひくと動いている。
「あの日って?」
 わけが分からずそう答えた克哉だったが、言い終わって数秒もしないうちに克哉は、雄高が何を指して『あの日』と言ったのかに思い至ってしまった。
「ば、バカッ! そんなことあるわけないじゃないか。もう、雄高のバカッ!」
 普通の男の子なら笑って受け流すところなのであろうが、あいにくと今の克哉には無理だった。どうしても必要以上に動揺してしまう。何せアソコが女の子になっているので洒落にならないのだ。
「……その反応、やけに可愛いな」
 自分の欲望に正直な言動をする雄高であった。しかし本当に奈里佳が言うように、克哉は雄高に対して恋する乙女状態なのだろうか? こんな男のどこが良いのやら。
「もう、いつまでもバカ言ってないで。ほら、道具が来たよ」
 なんだか自分の隠された気持ちを見透かされたような気がした克哉は、無理をしてつっけんどんな態度を取る。しかし顔がちょっと赤くなっているのは気のせいではないだろう。
 その間にも、ふたりの体育委員とその手伝いをする数名の生徒達が運んできたソフトボールの道具が、ホームベースの後ろあたりに置かれる。それを見て克哉は雄高の手を引いて歩き出した。不本意にもピッチャーをやることになってしまったが、やるからには全力でやらねばならないと思っているあたり、克哉もなかなか見上げた漢(おとこ)である。今は女の子だけど。
「はいはい、どこまでもついていきますよ」
 克哉に腕を引かれながら、たらたらと歩く雄高。なんだか恋人の買い物につきあわされて、デパートを引っ張り回される男に見えたりする。もちろん彼氏を引っ張っている役回りを演じている女性役が克哉であるのは言うまでもない。
「あ、佐藤、ちょうどいい。お前、矢島と仲良かったよな。……ま、見れば分かるけど」
 話しかけてきたのはソフトボールの道具を運んできたばかりの体育委員である。
「ん、まあ仲が悪いとは言わないけど、どうしたんだ?」
 雄高は熱血とは程遠い気のない返事をする。雄高の腕を引いていた克哉も、どうやら自分に関係する話題らしいことなので、その場に立ち止まりふたりの会話に耳をすました。
「仲が良いことを見こんで、佐藤、お前、キャッチャーをやってくれないか? ほら、なんだか知らないけど今日はやたらに見学者が多いだろ。いつものメンバーがいないんだよ」
 体育委員の男子生徒が指差す先には、クラスの野球部のメンバー達が見学者の群れの中にいるのが見てとれた。
「あ、僕からもお願い。雄高がキャッチャーやってくれるなら、僕も安心してピッチャーが出来そうだし」
 へらへらしているところはあるにしろ、見た目と違って雄高はスポーツ万能とは言わないが、そこそこ運動神経は良いほうであったりする。というわけで体育委員の発言を捕らえて、克哉も慌てて雄高にお願いする。無意識なのだろうが、ちょっと上目使いなのが子猫風で可愛い。
「う〜ん、しょうがないなあ。でも、キャッチャーって意外と難しいポジションなんだよな。目立たない割に疲れるし」
 自分の肩を交互にもみながら、何か訳ありの目線で克哉を見つめる雄高。
「これ、授業だよ」
 既に何かを察した克哉が言葉の牽制球を投げる。さっきまでの子猫のような表情が、一転して警戒心をあらわにした大人の猫に変わっている。
「それは分かっているけど、キャッチャーをやってくれと頼むからには何かしてもらわないとなあ。克哉はいったいなにをしてくれるのかなぁ〜?」
 期待感もあらわに、克哉にすり寄る雄高。
「分かったよ。じゃあ、カツサンドひとつということで」
 なんで、こうなっちゃうんだろうと思わなくも無かったが、克哉は雄高の言いなりに要求を飲むのだった。どうにも雄高には逆らえないというか、ついつい何でもしてあげちゃう克哉だった。
「へへッ! やったね。じゃ、がんばろうな♪」
 カツサンドひとつぐらいでガッツポーズなんかしなくても良いのにと思う克哉の気持ちに気づくことなく、おおはしゃぎの雄高。克哉は、ちょっと困ったような笑顔を浮かべるのだった。
(何というか、無邪気で毒のない可愛い馬鹿ね。克哉ちゃんが惚れるのも分かるわ。やっぱり私と克哉ちゃんって同一人物だから男の好みも共通するのかしらね)
 はしゃぐ雄高を見る克哉の頭の中で、しみじみとした感想を述べる奈里佳。
「!? だから、そんなんじゃないってばッ!!」
 思わず声をあげてしまう克哉。慌てて自分の口を押さえるのだが、逆にそれは怪しさを倍増させるだけの効果しかもたらさなかった。
(私、し〜らない♪)
 さっさと無関係宣言をする奈里佳。一言文句を言ってやりたい克哉だったが、まわりに雄高や体育委員をはじめとするクラスメイト達がいる現状では、それをやると更に墓穴を掘ることになる。
「克哉、『だからそんなんじゃない』って、何のことだ?」
 当然の疑問を発する雄高。あたりまえである。
「いや、だから、『そんなんじゃない』っていうのはつまり、試合はカツサンドが有るからがんばるとか、無いからがんばらないとかそういうことじゃなくて、どういう時でもがんばらないといけないというか……。そう、全力投球。全力投球が大事なんだよッ!!」
 よく聞いてみると理屈になってないような気もするが、克哉の全力投球な言い訳はそれなりの説得力が感じられたかもしれない。声が大きいから発言力が有るという類のレベルだが。
「克哉……、お前ってホントに、可愛いよな」
 何か一般人が理解してはいけないような感情に支配された雄高は、自分より頭半分ほど背が低い克哉の頭に右手を軽く置くと、その柔らかく生えた髪の毛をクシャクシャにした。もちろん愛情をこめて。
「おーい、いつまでじゃれあってるんだよ。早く整列しろよ。もう始まるぞ」
 体育委員の声がする。見ると既に紅白の両チームともに整列していて、そこにいないのは克哉と雄高の2人だけだったりする。
(まったく、いつまでも2人だけの世界に浸ってるんだから)
 克哉の頭の中に響く奈里佳の声も、楽しげに呆れている。克哉は反論したかったが、すぐ横に雄高がいることもあり声を出すわけにはいかない。しょうがなく克哉は自分の頭を右手の拳(こぶし)で軽くコンと叩くのだったが、その仕草までも妙に可愛いらしいのは才能である。

 さて、そして試合は始まり、克哉はピンチを迎えていた。6対5と、わずか1点のリードで迎えた最終回5回の裏、ツーアウト満塁。ツーストライク、スリーボール。ご都合主義なまでの、絵に描いたようなピンチであった。

「次の一球で決まる。こうなったらど真ん中に思いっきり投げて来い。それしかない」
 マウンドにやってきた雄高の言う通り、克哉もそのつもりだった。というかストライクゾーンの隅をつくような投球なんかしたくても出来ないのは自分が一番よく知っている。
「うん、大丈夫。もうこれで最後だし、思い切っていくよ」
 肩を上下させながら息をしなくてはいけないほど疲れが出てきている克哉だったが、闘志だけはまだまだ燃えているようだ。
「良し、じゃあ最後の一球、頑張っていこうッ!」
 その言葉を残すと、雄高は最後に克哉の肩を軽く叩いてから自分のポジションへと戻って行った。そして試合再開。克哉は全力をもって最後の一球を投げたのだが……。

カキーーン

 小気味良い音とともに克哉入魂の一球はものの見事に打ち返されてしまった。そして打ち返された球は強烈なピッチャーライナーとなって克哉を襲い、見事に股間を直撃したのだったッ!!
「うわッ! 痛〜ぁ」
 思わず声を上げる克哉だったが、その声はやけにのんびりしていた。ソフトボールとはいえ、打球が股間を直撃したのである。普通の男性なら声が出ないほどの激痛に襲われてもおかしくないどころか、場合によってはそのまま気絶してしまうことだってありえるはずだ。それなのに克哉の口調からは、そのような激痛を感じさせるようなものは何もなかった。
「おい、大丈夫かッ!?」
 克哉の股間を直撃したあと、キャッチャー方向にコロコロと転がってきたボールには目もくれず、雄高はマウンド上の克哉の元に走り出す。もちろんそれをとがめる者は誰もいない。男なら誰でも分かるその痛みを想像し、自分の股間を押さえる者や、雄高にならって克哉の元に走り出す者、歩き出す者が続出する状況なのである。何よりも打席に立っているバッターからして克哉のもとに駆け寄る始末だ。試合が中断することに抗議する者などいようはずがない。
「え、大丈夫って何が?」
 周りの反応のものものしさに、きょとんとする克哉。
「何がって、痛くないのか?」
 打球が克哉の股間を直撃したという状況と克哉の反応の差に戸惑う雄高。クラスメイト達も克哉を囲むように集まって来ているが、激痛を感じさせる反応をしていない克哉を、どうみればよいのか戸惑っているようだ。
(ばかねぇ、気づかないの? 普通の男の子なら股間にボールをぶつけられたら、いったいどうなるのかしら? ま、今の克哉ちゃんのアソコは女の子になっているから、『ちょっと痛かったな』ってぐらいかもしれないけどね♪)
 いまいち状況が飲み込めていない克哉に対して、奈里佳があきれつつも楽しげな様子で話しかけた。どうやら騒動の予感にわくわくしているらしい。
「え、そうッ! 痛い。ものすごく痛いッ!!」
 奈里佳に言われてようやく気がついた克哉は、慌てて痛がって見せる。トントンと小さくジャンプしたり、身体を折り曲げて唸ってみたりし始めたりするのだが、どうもセリフが棒読みにしか聞こえないのが、ご愛嬌(?)である。
「すまん、矢島ッ! 悪気は無かったんだ。許してくれ」
 責任を感じたバッターも、自分の股間に打球があたった訳でもないのに顔を蒼白にしている。
「大丈夫だよ。痛いことは痛いけど、痛いと言ってもそんなに痛くないから。当たり方が良かったのかな? あはははは……」 
 気が動転しかけているので、痛いのか痛くないのかハッキリしない言い方になってしまう克哉。それを聞いて、雄高は何か違和感を覚えるのだった。
「ん、まあ、それだけ普通にしゃべれるなら大丈夫なのかもしれないけど……。気をつけろよ。下手するとつぶれちゃったりする事もあるそうだからな」
 何がつぶれるのかということはあえて説明しないが、その場にいる誰もがそれを分かっていた。思わず自分の股間に手が伸びるクラスメイト達がそれを証明している。
「つぶれたりなんかしてないから大丈夫。ほらね、もう痛くないし」
 元気だということをアピールするために、折り曲げていた身体をまっすぐにして立ち上がる克哉。
「そうかぁ、まあそれならいいんだけど……」
 克哉とは逆に、しゃがみ込み克哉の股間をしげしげと見る雄高。
「うん、大丈夫、元気、元気♪」
 雄高の目の前で少々おどけたポーズを取ってみる。そんな克哉を見ながら、雄高は気がついてしまった。
「おい、克哉ッ! ちょっとアソコをよく見せてみろッ!! おまえ、もしかしてめり込んでいないかッ!?」
 ざわっと空気が揺らめく。雄高の言葉は、その場の雰囲気を一瞬で変えてしまったのだった。危うし、克哉。
「めり込んでるって、何が?」
 いったい何を言われたのかまったく分からない克哉は、血相を変えている雄高の顔を不思議そうに眺める。
「だって、おまえ、ほら……」
 要領を得ない雄高の言葉に戸惑いつつも、雄高が指し示す自分の股間に目をやってみる。するとそこには、男としてのふくらみがまったく感じられない股間があった。アソコが女の子になっているのをごまかす為に体育ジャージのズボンを浅めにはいていたのだが、どうやら激しい運動でずり落ちかけたのを無意識のうちに目いっぱい引き上げてしまったらしい。
「めり込んでない、めり込んでないってば。これが普通だから。あはは、僕ってアソコ小さいから♪」
 激しく手を振り、そして首を振り、80%程度のやけくそと残り20%の悲哀を込めて克哉は言い訳をする。どうにも情けなくてしょうがないが、ここは真実がバレるわけにはいかないので必死である。
「嘘を言うなよ。もしも取り返しがつかないことになったら大変じゃないか。いいから見せてみろ」
 悪気や克哉をいじめてやろうだなんて気持ちはまったくない雄高は、完全なる善意から克哉の体育ジャージのズボンに手を伸ばす。
「だから、大丈夫だから。ホント、大丈夫だからやめてよ」
 抵抗する克哉。その頭の中では、奈里佳が面白そうに笑う声が聞こえてくるが、克哉にしてみたらとても現在の状況を楽しむことなんかできやしない。克哉のジャージズボンに手を伸ばそうとする雄高と、その雄高から逃げようとする克哉は、不自然な動きをするうちにいつしかお互いに身体のバランスを崩していた。
「うわッ!」
「きゃッ!」
 そしてお約束。とうとう、ふたりは重なり合うように地面に倒れてしまったのである。かわいらしい声をあげた克哉の身体の上に重なる雄高の身体。そしてこれ以上は無い至近距離で見つめ合うふたつの目と目。熱い吐息も乱れている。まあ、激しく動き回ったあとだしね。
「!? おい、もしかしなくてもやっぱり、克哉、おまえ……」
 克哉の上に身体を重ねたまま、雄高は驚きの声を漏らした。偶然という別名を持つ御都合主義がなさしめた必然により、雄高の右手はちょうど克哉の股間をすっぽりと覆うように置かれていたのだった。
「てへ♪」
 もはや絶体絶命。笑うしかない克哉だった。
「先生ッ! 矢島君の股間にボールがぶつかって大変なことになってます。すぐに保健室に連れていきますッ!!」
 雄高はいつもの軽い雰囲気を微塵も感じさせず、マッチョこと体育教師Aに向かって鋭く叫ぶ。
「お、おうッ! 分かった。誰か、手伝ってやれ」
 自分の管理責任を問われてはたまらないと、ほとんど脊椎反射にしか為し得ない反応速度で返事をするマッチョこと体育教師A。
「はいッ!」
 体育委員が声をあげ、そのまま克哉の身体を雄高とともに左右から支える。ちなみに保健委員は見学者の中にいるので、今回は出番がない。
「大丈夫です。大丈夫ですったら〜ッ!!」
 売られていく家畜のように、行きたくもない保健室に引きずられて行きながら克哉は叫ぶのだった。う〜ん、これはもうバレちゃうしかないのか? どうなる、どうする、矢島克哉ッ! そして何もしないつもりなのか、魔法少女♪奈里佳ッ! もしかして放置プレイ? ……ッて、違うか。


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第7章 エスカレーション


「ねえ、ちょっと男子ッ! まだ着替えは終わらないの〜?」
 体育の授業は2クラス合同で行い、1つの教室を男子更衣室として、もう1つの教室を女子更衣室として使うことになっている。いつもは女子のほうが着替えの時間が長くかかるのだが、今日はなぜか逆に男子のほうの着替え時間が長くかかっていたのだ。
「女子はもうみんなとっくに着替え終わってるんだけど、どうしちゃったの〜!?」
 いつも男子に、『女子の着替えは長すぎる』と文句を言われることのはらいせか、ここぞとばかりに教室の中の男子生徒達に文句を言う女子生徒。
(どうしちゃったのかしらね? こんなことは初めてだけど、なにか事件でもあったのかな。昨日の今日で、また奈里佳が現れたなんてことは無いと思うけど)
 男子が着替えている教室の前で騒いでいる女子生徒達からやや離れたところに立ち、夏美は声を出さずにユニ君に話しかけた。
 ちなみに克哉と奈里佳も、本当は声を出さずに会話することは出来る。しかし奈里佳が面白がって、克哉が実際に声に出した話しかけにしか反応しないので、克哉は声に出さないと奈里佳に話しかけられないものと思い込んでいたりするのだった。ところで、『たった今、その設定を考えたんでしょ?』というような突っ込みをすると作者が泣くので、そこんとこよろしく♪
(ふむ。いつものように教室の中に私がいれば音声を拾えるのだが、あいにくと今は中津木警察署で作業中だからな)
 ユニ君が何を指して言っているかというと、夏美の鞄の中にいつも入っているPHSのことである。見た目はPHSだが、その本体はユニ君を構成するナノマシンの集合体なのだ。ちなみに夏美の脳神経系と融合している部分のユニ君とは常にデータリンクが成立しているのは言うまでもない。
(そうよね、朝食のあとすぐに鳥の形になって飛んで行っちゃたものね。念のために聞くけど、作業はまだ終わってないの? もしも終わっていたら教室に設置してある防犯用のカメラで映像が拾えるんでしょ?)
 夏美はちらりと教室のほうを見ながらユニ君に問いかける。その瞬間、教室の中からどよめきが聞こえてきた。なんだか、ひどく興奮しているような、それでいて安堵もしているような、なんとも微妙な雰囲気が感じられる。
(残念ながら、現在の作業の進行度合いは約7%というところだ。今晩のうちに作業が終われば、とりあえず順調という状況だと理解してくれ。但し、教室の中に量子反応が検出されてはいないから、奈里佳の仕業によって何か事件が起きているとは考えがたい。その点は安心しても良いと判断する)
 淡々とした口調のユニ君。奈里佳が出現した時には大量の量子反応が検出された前例を踏まえて、冷静な態度を崩さない。
(つまり男子の着替えが遅いのは、奈里佳以外の原因ってことね。まあ、いいけど。ホントにいったい何をやってるのかしら? 男どもったら)
 新聞部副部長としての性なのか、自分の知らないことがあるとどうしても知りたくなってしまう夏美だった。しかし場所が男子が着替えている最中の教室では、突撃取材をするわけにもいかない。夏美はため息をつくしか無かった。
 しかしその時、教室の中では大変な騒ぎというか、『おおさわぎ♪』になっていたのだった。話は克哉が保健室に連れて行かれた時に遡る。

「矢島君、ジャージのズボンとパンツを脱いでッ! さあ早く、急いでッ!!」
 いやがる克哉を強引に保健室に連れてきた佐藤雄高と体育委員のふたりの話を半信半疑の状態で聞いていた養護教諭、つまりは保健室の先生である高谷真美(たかや・まみ)であったが、克哉の股間をまじまじと見た瞬間に、その態度は一変した。
「大丈夫? 痛みはどう? 吐き気は? とにかくちゃんと先生に診せてッ!」
 克哉の返事を待たずにジャージのズボンに手を伸ばし、引きずり降ろそうとする。
「大丈夫です。なんともありませんから。だからごめんなさい」
 当然に克哉は高谷先生の手を押さえて必死で抵抗する。保健室の先生とはいえ、まだ20歳代後半になったかどうかというばかりの女性にズボンとパンツを引きずり降ろされかけたら、それはもう必死に抵抗するのが普通というものである。まあ、喜んで引きずり降ろされる人もかなりの割合でいることはいることも確かだが。
「大丈夫なわけ無いでしょッ! 服の上からでも完全にめり込んじゃっているのが分かるじゃない。これで大丈夫なはずがないわ。ちょっとふたりとも、矢島君を押さえておとなしくさせてッ!!」
 真美先生に命じられた雄高と体育委員の男子生徒は、その剣幕に押されて素直に克哉を左右から取り押さえるのだった。自分よりも、ゆうに頭半分からひとつ以上は背が高くて体格も良いふたりに両腕を取り押さえられて、克哉の動きは大きく鈍った。しかしまだ自由が利く足をばたつかせ、下半身をくねらせ更なる抵抗をするのだった。……無駄な抵抗なのに。
「離してよ、雄高」
 半分涙声で、なおかつ潤んだ目をして上目使いで雄高に哀願する克哉。その抱きしめてやりたい表情全開の克哉の顔を見て、一瞬ぐらりときかけた雄高だったが、ここは心を鬼にしてしっかりと克哉の腕を押さえている。まあなんというか今回は大丈夫だったけど、彼が道を踏み外すのはもうすぐかもしれない。ちょっと楽しみ♪
「ごめん、克哉」
 顔を背ける雄高。そして克哉と雄高がやおいな展開に行きかけて踏みとどまっていたとき、克哉の下半身を覆っていたジャージのズボンとトランクスは、その定位置から移動することを余儀なくされていた。真美先生の手によって。
「えッ!? 矢島君、トランクスの下に何でショーツなんかはいてるの? それにこの股間。矢島君、あなた……、本当は女の子だったのッ!?」
 克哉には真美先生のその声が、死刑宣告のように聞こえたのは言うまでもないことだった。
(あ〜らら、意外と簡単にばれちゃったわね。でも、これで堂々と女の子宣言が出来るわね。おめでと♪)
 克哉の神経を逆なでする奈里佳。
「僕は女の子じゃないッ!」
 はたしてそれは真美先生への返事だったのか、それとも奈里佳に対する怒りだったのか? ともかく克哉は大声でそう叫ぶと、とうとう本格的に泣き出してしまったのだった。
「え〜ん、女の子じゃないのに〜。ひっく、ひっく、え〜ん」
 真美先生は泣きじゃくる克哉を見て、克哉を取り押さえていた雄高と体育委員のふたりに目で合図した。とりあえず自分のことを『女の子じゃない』と言っている克哉だったが、どう見てもその股間は女の子そのものでしかない。それに自分からショーツをはいていることからして、本当のところは自分は女の子なんだという自覚を、克哉が持っているのだろうと真美先生は誤解していたのだ。
「分かったわ。矢島君。でも、ソフトボールがぶつかったんだから怪我をしていたら大変よ。だから、ね。ちょっと先生にもっとよく見せてくれる?」
 ふたりの男子生徒が保健室の外に出て行ったのを確認した真美先生は、優しく克哉に問いかけた。
「ね、いいでしょ? じゃあ、脱がすからね」
 養護教諭の顔を前面に出し、他意をまったく感じさせない口調の真美先生は、克哉がはいているショーツを静かに、そしてゆっくりと降ろすのだった。
「……み、見ないでください」
 両手で自分の顔を押さえながら、消え入りそうな声でお願いをする克哉。その様子は年下趣味がまったくない真美先生ですら、危うく撃沈されそうなほどの破壊力を秘めていた。
「安心して、これは単なる診察よ」
 克哉を思いっきり抱きしめてなでなでしてあげたいという、心の奥底から沸きだしてくる感情と戦いながら、真美先生は努めて冷静な声を出す。しかし顔がほんのりと赤くなってくるのだけはおさえられなかった。それにしても男女問わず発揮される克哉の魅力って、もはや心理兵器レベルかも。
「……はい」
 顔を覆ったまま、小さく返事をする克哉。その素直さが真美先生の心を更にくすぐる。
「ちょっと、触るけど、これは触診といって大事な診察方法なの。だから身体の力を抜いていてね」
 そして克哉の返事を待たずに真美先生は、克哉の大事なところにそっと指を這わすのだった。
「あっ、ううん」
 自然と声が出てしまった克哉は、顔を覆っていた手を移動させて口を押さえたが、それでも艶やかな声が漏れてしまうのだった。
「ふつうに感じるようね。いったいいつからこういう状況なの? 矢島君、教えてくれる?」
 克哉のアソコが本物の女の子であることを確認した真美先生は、男の子の身体についている女の子の部分をもっと触っていたいという倒錯的な欲求に抵抗しつつ、養護教諭としての義務を優先させた。
「あの……」
 どう答えればいいのか? どこまで答えればいいのか迷ってしまった克哉は、言葉を濁すことしかできなかった。
「恥ずかしがらないで。これはとっても大事なことなのよ。先生を信じて。矢島君の悪いようには絶対にしないから。ね、お願い」
 小さな子供をあやすようにやや腰をかがめた姿勢を保ち、克哉の顔の高さに自分の顔をもって来る。ちなみに克哉のショーツは降ろされたままだ。風邪をひかなければよいのだが。
「今朝からです」
 嘘をつこうにも頭が白くなっているので、本当のことしか話せない克哉だった。
「分かったわ。もしかすると昨日の事件の後遺症なのかしら? ともかくしばらく落ち着くまで保健室で休んでいるといいわ。ちょうどベッドも空いてるし」
 勝手に納得すると、なごり惜しそうに克哉のショーツを上に上げる真美先生。ちなみに昨日の事件とは、魔法少女♪奈里佳と快人ヘイアーンによる集団お嫁さん変身事件のことである。詳しくは第2話を参考にして欲しい(宣伝)。
「はい」
 そのまま克哉は残されたトランクスとジャージを上に上げると、真美先生が指さしたベッドにおとなしく横たわるのだった。
(後遺症じゃないのにね)
 奈里佳が短く感想を入れる。そしてその間に、真美先生は保健室の外に出て行った。
「ちょっとお願い。矢島君の学生服を教室から持ってきてくれるかしら?」
 廊下で待っていた雄高と体育委員のふたりに指示をする真美先生だったが、その顔は怒っていた。雄高と体育委員のふたりは、保健室の入り口の扉に耳を押しつけて、中の会話を盗み聞きしていたからだ。
「あの、矢島君のアソコが女の子に変わっているっていうのは、やっぱり昨日の……」
「魔法少女♪奈里佳がまた現れたんでしょうか?」
 盗み聞きしていたことについてはきれいに開き直り、口々に真美先生に質問をする雄高と体育委員のふたりだった。既に集団変身現象を2回も経験しているとなると、克哉のアソコだけが女の子に変身していても、それはありえないことと否定する気持ちはまったくない様子だ。
「まあ、おそらくその関係しかないでしょうね。こんなこと普通じゃありえないから、魔法少女♪奈里佳に関わりがあるのは間違いないと思うわ」
 ちらりと保健室の中を振り返り、克哉がちゃんとベッドに寝ているのを確認すると、真美先生はそっと扉を閉めた。
「奈里佳に変身させられても時間が経てば元の姿に戻っているわけだから、矢島君もそのうち元に戻ると信じるしかないわね。というか、魔法の後遺症なんてものに対しては様子を見ることしか出来ないわよ。ともかく、矢島君の精神状態が不安定になっているから、今はそっとしておくしかないということね」
 真美先生そう言うと、ちょっと考え込む様子を見せた。
「矢島君の精神状態が不安定になっているのは、先生のせいもちょっとはあるんじゃないですか? だってほら、触っちゃったりしたんでしょ?」
 知ってるもんね。という言葉が雄高の顔に書いてあるのを見つけて、真美先生はとたんに顔を赤くする。
「あ、あれは、ちゃんとした診療よ。外見だけ変化しているのか、それとも神経も含めて完全に変化しているのかを確かめないといけないでしょ」
 しどろもどろな言い訳が、既に自白そのものである。
「あやしいなあ〜」
 面白いおもちゃを手に入れたという表情で、真美先生を追求する雄高。
「もう、さっさと矢島君の学生服を持ってきなさいッ!」
 逆切れした真美先生が両手を振り上げて怒鳴ると、雄高達はあわててその場から逃げていった。
「は〜い」
「分かりました〜」
 もっとも、怒られたふたりはちっともこたえてなんかいなかった。早くこの大ニュースをみんなのところに知らせなくては♪ と、思っていたのだ。
 というわけで教室から克哉の学生服を持ってきて保健室に届けたふたりは、グラウンドに戻ると早速そのことを心配して待っていたクラスメート達に話したのだった。そして舞台は教室へと移り、男子の長い着替えシーンへと戻る。

「というわけでさ、克哉のアソコにボールがぶつかってめり込んじゃったのかと心配したけど、例の魔法少女♪奈里佳が原因の集団変身事件の後遺症で、アソコが部分的に女の子に変身していただけだったんだよ」
 グラウンドでも簡単に話したのと同じ内容の話を、もう一度詳しくみんなの前で話す雄高。なぜか得意そうな話しぶりだ。
「へえ〜、後遺症か。そんなこともあるんだな。でもさ、ということは今の矢島は、女の子ってことだろ。なんか、いいよな」
 気楽な様子のクラスメート達の会話が続くかと思われた時、本日の体育を見学していた生徒達の間から何やらちょっときている笑いが漏れてきた。
「ふふふふふ、あーはははッ! そうか、そうだったのか。後遺症だったのかッ!!」
「はッ、なるほどね。後遺症か。そのうち元に戻るのか。なるほど」
「あ〜、心配して損した」
 口々に安堵の声をあげる見学者達。そして、その中の1人がおもむろに学生服の上着を脱ぎだした。次にワイシャツを脱ぐとその下に現れたのは、さらしをきつく巻いた胸だった。
「!?」
 驚く面々。とは言っても驚いているのは、体育の授業をちゃんと受けていたものだけだったりする。
「……もしかして、その胸」
 服を脱いだ男子生徒の胸を指さしながら、答えの分かり切った質問をする別の男子生徒。
「そうだよ、昨日からここだけ、このまんまなんだよッ!」
 その言葉とともに、勢いよくさらしをほどく男子生徒の胸には、グラビアアイドルの胸についているべきような大きさの見事な乳房がこれでもかと自己主張していた。
「うわッ! すっげえーーッ!! なあ、触ってもいいか?」
 たちまち起こるおおさわぎ♪
「いいけど、あんまり強く触るなよ。強く揉むと痛いから」
 胸は膨らんでいるものの、お互いに男である。男同士であるのに妙に雰囲気を出しているのはいかがなものか?
「くう〜ッ! いいなあ、もしかして昨日から揉み放題ってか?」
 羨望(?)の眼差しを大きく膨らんだ胸に向け、そしてじわじわと手を近づける。
「いや、意外とこれが自分で揉んでも感じないんだよ」
 自分の胸を下から持ち上げるようにして触りながら、ゆっくりと揉んで見せる男子生徒。その指先は大きく膨らんだ胸の肉に埋もれるように食い込んでいき、その柔らかさを強調していた。
「よぉ〜し、だったら俺が揉んじゃるッ! どうだ、おい。気持ちいいか?」
 我慢が限界に来てしまったのか、飛びつくようにしてその胸をわしづかみにすると、男同士ということもかまわずに揉みしだく男子生徒。
「あん、や、やめろよ」
 たちまち漏れる喘ぎ声。既に声変わりしているのがちょっと残念である。
「いいなあ、両乳がちゃんとあって。俺なんかほら、見てみろよ。右乳だけなんだぜ。もう、バランスが悪くて、歩いてるだけで転びそうだよ」
 男同士のいちゃつきあいの横では、右乳だけがまるでメロンのような大きさにまで膨らんでいる男子生徒がその胸をさらしていた。確かにこれはバランスが悪そうだ。
「ちょっと待ったッ! バランスが悪いと言ったら、俺ぐらいバランスが悪い奴もいないぞ。なんたって、声だけ女になっちゃてるからな」
 風邪をひいて見学しているということになっていた男子生徒が、マスクを外すとロリロリなアニメ声で話し出した。どうでもいいが、既に病気自慢のノリである。
「ブワハハハハッ! 何だその声!? 似合わねーーッ! あはははは、は、腹が、腹が痛い」
 まだ中学2年生だというのに、ごついと言ってもどこからも文句が来ないだろうという顔をした男子生徒の口から出てくる女の子の声。これも確かにアンバランスだ。
「何だよ、笑うなよ。ぶん殴るぞ」
 笑われて恥ずかしかったのか、顔を赤くするロリ声の男子生徒。
「そんな、アニメ声で言われてもちっとも怖くなんかないもんねえーー♪」
 確かにそうだ。
「おーい、他の見学者も部分的に女の子に変身したままなのか?」
 もう教室の中は、俺は俺はと自分の女の子な部分を自慢する男子生徒と、それを面白がったりうらやましがったりするどこも変身していない男子生徒達のいちゃつき(?)の場となり果てていた。
「ふ、俺は足だけが女の子だ。靴が大きくてぶかぶかだぜ」
 上履きと靴下を脱いで裸足を見せる男子生徒。身体に比べて妙に小さな足が、確かに女の子の足だということを教えてくれる。
「なんだ、足だけか。つまらん」
 それを見て、くるぶしより上は普通にすね毛の生えかけている男の足であることを確認した男子生徒がそう言い放つ。するとすかさず別の男子生徒がその男子生徒を押しのけた。
「こらッ! 貴様ッ! つまらんとは何事だ。お、女の子の足……。さ、触らせてくれ。いや、触らせてください。しゃぶらせてください。お願いします」
 そう言うなりその男子生徒の女の子の足の部分を優しく手に取ると、ハァハァと息を荒くしながら頬をすり寄せるやつも出てくる始末。
「うわッ! こいつ足フェチだよ。エンガチョッ!」
 さすがにまだ中学生では、一般的な趣味ではなかったらしい。せめて女の子なふとももなら良かったのにね。
「それはそうと、矢島みたいにアソコが女の子になっているやつはいないのか?」
 ふと気がついたように雄高が、まだ自分のどの部分が女の子になっているのかということを告白していない体育を見学していた男子生徒達に質問する。
「は〜い。今の俺がそう。アソコだけ女の子になってるんだな。これが」
 右手を半分だけ上にあげているのは堀田修司(ほった・しゅうじ)である。しかしその顔は妙に青白くて元気が無い感じだ。
「え、そうなの? 堀田はホントに具合が悪くて見学していたと思っていたけど」
 ちょっと不思議そうな顔になる雄高。
「まあ、具合が悪いのは確かだよ。腹は痛いし、気分も重いし」
 確かにつらそうな表情をしている修司であった。
「ああーーぁッ! もしかして体育を休んだ理由って、あれ、マジだったのか!?」
 修司の言葉が意味するものに気がついて、雄高は大声をあげた。
「おお、マジもマジ、大マジ。アソコが昨日から女の子のままなのはいいとして、いきなり生理になっちゃってるから、もう大変なんだよ」
 ため息をつく修司。あれだけ魔法少女やお嫁さんになりたいと言っていたにも関わらず、やはり生理となると遠慮したい気持ちのほうが大きいのだろう。なんというか勝手ではある。
「そ、そうか。まあ、がんばってくれ」
 そう言うしかない雄高だった。
「おう、ありがとう。……あ、ちょっと血がたれてきたかもしれない。やっぱりティッシュを重ねてあててるだけじゃ駄目だね。保健室に行ってもらって来ようかな」
 どこからどんなふうに血がたれてきているのかということは聞かないでおこう。そう思う雄高だった。
「もらって来るって、やっぱり……。あれをか?」
 答えは聞かなくても分かっていたが、健全なる中学生男子としては、なかなかに人前で言いづらい単語ではあるので、雄高としてもどうしても言葉をにごしてしまう。
「もちろん。やっぱり初めてだからタンポンよりもナプキンのほうがいいんだろうな。う〜ん、夏美に相談してみようかな?」
 幼なじみの島村夏美の名前を出す修司。しかしその夏美が、正義のナノテク少女フューチャー美夏の正体だということを知ったら、いったい彼はどんな顔をするのだろうか?
「そ、そうか……。ま、それはそれとして、保健室に行くなら俺も行くよ。克哉にこのことを知らせてやれば、変身の影響が残っているのは自分だけじゃないってことが分かって安心するだろうし」
 ポンと手を打ち、教室を出ようとしている修司を追いかける雄高。ちょうどそのとき、修司の手は扉にかかっているところだった。
「ん、分かった。じゃあ一緒に行こう」
 そのまま修司と雄高は教室を出た。すると廊下には、男子の着替えが終わるのを待っていた女子達がたむろしていたのだった。
「あ、出てきた。佐藤君、もう男子の着替えは終わったの? まったくもう遅いんだから」
 待ちくたびれて、いらついた声の女子生徒が、教室から最初に出てきた雄高を非難する。
「いや、まだみんなは着替え中なんだけど、修司の奴の具合が悪いものだから、ちょっと保健室に行くんだよ」
 どこまでの事情を説明して良いものかと雄高は一瞬だけ迷ったが、とりあえずあたりさわりのないことだけを言ってみる。そして言われたほうの女子生徒は雄高のすぐ後ろで元気なさそうにしている修司を見て、雄高の言葉が嘘ではないことを知った。
「ホントだ。堀田君、顔色が悪いわよ。大丈夫?」
 途端に声が優しくなる女子生徒。まわりのその他の女子生徒も口々に『大丈夫?』と聞きながら修司のまわりに集まってくる。なんだか好かれているね。修司君。
「やあ、心配ありがとう。でも大丈夫。具合が悪いのは確かだけど、病気というわけじゃないから」
 まあ確かに病気ではない。しかしそう言う修司の顔色は悪くて、誰が見てもつらそうな感じだ。
「具合が悪いけど病気じゃないって……。修ちゃん、なに訳わかんないこと言ってるのよ。全然大丈夫そうじゃないじゃない」
 心配そうな様子で近づいて来たのは夏美である。フリーカメラマン志望(だった?)修司と、新聞記者志望の夏美は幼なじみでもあり、そしてほのかに夏美は修司に恋心を抱いていたのだった。まあ、ほのかというよりも露骨な恋心というのが正解ですけど。
「ああ、夏美、いいところに来た。ちょっと夏美に聞きたいんだけどいいかな?」
 軽くおなかを手で押さえながら、青い顔をして夏美に話しかける修司。その弱った顔を見て夏美はきゅんと、心が音をたてるのを感じていた。どうも母性本能を刺激されたらしい。
「なに? 何でも言って!」
 心配そうに修司の目を正面から見つめる夏美。すでに夏美の周囲にはラブラブの恋人しか進入することが許されないフィールドが形成されつつあったが、まあどうでもよいことである。
「いや、俺、生理になっちゃったんだけどさ、初めての生理の時って、やっぱりタンポンよりもナプキンのほうが良いよね? 夏美はどう思う?」
 まるで聞いたことがない外国語で話された言葉のように、夏美はその言葉の意味がまったく理解できなかった。単語それぞれの意味は分かるものの、それが修司の口から流れてくるという状況に頭が追いついて行かなかったのだ。
「はぁ?」
 間抜けな返事をする夏美。思考が完全に停止している。まあ、当然であろう。
「だから、タンポンとナプキンのどっちが良いかな? 生理になるの初めてだからわかんなくてさ」
 夏美の思考が停止していることなど少しも気にかけることなく、修司は質問を繰り返す。ちなみにまわりにいる他の女子生徒達も固まっているのは言うまでもない。
「あの、島村さん……」
 雄高が固まってしまっている夏美の顔の前で手を振り、呼びかける。
「はッ! ええと、修ちゃん。今、『生理になっちゃった』って聞こえたけど、それってどういうことなの!?」
 さすがにジャーナリスト志望の夏美である。思わぬ事態に直面しても、すぐさま態勢を立て直している……、のかな?
「だから昨日、お嫁さんに変身しちゃったろ? あのあと変身が解けたと思ったんだけど、アソコだけ女の子のままなんだよ。で、今朝から生理になっちゃったと。それにしても、痛たたた……。生理っていうのは、こんなにも痛いんだな。知らなかったよ」
 顔をしかめて痛がる修司。しかしその姿を既に夏美は見ていなかった。
「魔法少女♪奈里佳ッ! またあのバカ女のしわざなのねッ!!」
 視線をあらぬ方に向け、大声を出す夏美。既に頭は沸騰状態かもしれない。
(夏美、いい機会だ。彼が部分的に変身しているという状態を観察してみたいのだがどうだろう。もしかして魔法少女♪奈里佳を名乗る時間犯罪者が持っている技術レベルが分かるかもしれない)
 いきり立つ夏美に対して、冷静に話しかけるユニ君。もちろんその声は夏美にしか聞こえない。そしてユニ君はいつものように夏美に話しかけると同時に、気持ちを落ち着かせる微弱な電気信号を夏美の脳に送るのだった。
(……分かったわ。ユニ君)
 声に出さずに夏美はユニ君に答えると、次に修司の手を取り歩きだした。
「修ちゃん、ちょっとこっちに来て……」
 そのまま夏美はとまどう修司を連れてその場を離れて行った。おそらく修司をトイレにでも連れていくのだろうが、いったい男女どちらのトイレに連れて行くつもりなんだろうか?
「お〜い、あらら、修司の奴、行っちゃった。じゃ、俺は1人で保健室に行くか。克哉と真美先生にこのことを伝えなくちゃいけないし」
 思いっきり夏美に無視された形の雄高だったが、雄高はそれをさほど気にせず保健室へと歩いて行くのだった。

「と、いうわけでさ、部分的に女の子に変身したままなのは克哉だけじゃないんだよ。だから安心して良いっていうわけなんだけど……。どうした? ぼうっとした顔をして。もしかして俺の言うことが信じられない?」
 保健室で寝ていた克哉に教室での出来事を話して聞かせる雄高。しかし克哉は黙ったままだ。実はこのとき克哉は、奈里佳との会話に没頭していたりしたのだ。
(なるほど、やっぱりね。さっき体育の授業を見学していた生徒達を見て、なんとなくそうじゃないかなとは思っていたのよ。まあ、まさかそんなにも大勢に後遺症があらわれていたのはちょっと意外だったけど、考えてみればまったくありえない話じゃないわよね。あっ、克哉ちゃん。何か聞きたいなら遠慮しなくても良いわよ。頭の中で考えてくれれば、それだけでちゃんと会話出来るから♪)
 雄高の話を聞いた奈里佳は、ひとり納得している。
(頭の中で考えるだけで良いだなんて、そんなこと聞いてないよッ!)
 抗議をする克哉。
(だって聞かれなかったんだもん。だいたい聞きもしないで、言葉を声に出さないと私に伝わらないと勝手に思い込んでいた克哉ちゃんが悪いッ!)
 決めつける奈里佳。克哉の抗議は一言のもとに斬って捨てられた。
(じゃあ、その話はおいといて、今の雄高の話って本当なの?)
 奈里佳に言葉で勝とうだなんて無理だということを、たった1日ながらも繰り返し学習させられた克哉は、話題をクラスメイト達が部分変身していることに移す。
(みんなをこの前みたいに私に変身させたり昨日みたいにお嫁さんに変身させたりさせたきっかけは、私やヘイアーンの魔力だったかもしれないけど、変身した状態を維持させていた魔法の力は全部本人達の魔法力だもの。部分的にまだ変身が解けないことだってあるわよ。ま、個人差の範囲内よね)
 あっさりと言う奈里佳。
「おい、ホントにどうしたんだよ。克哉ッ!」
 奈里佳との会話に集中する克哉だったが、外から見ていると、単にぼうっとしているようにしか見えない。それを心配した雄高は克哉の肩をつかんで軽く揺さぶりながら短く呼びかけた。
「あ、ごめん。ちょっとびっくりしちゃって頭が止まっていたみたい」
 雄高に向かって顔をわずかに赤らめながら右手でこぶしを作り、自分の頭を軽く叩く克哉。
「ま、まあ、びっくりするのは分かるよ」
 克哉の場違いなまでの可愛さにクラッとしかけた雄高は、照れ隠しの為にやけに大きくうんうんとうなずく。もっとも克哉自身は今の自分の仕草が可愛いということは気がついていないようだ。
(ねえ、奈里佳。個人差って言うけど、具体的にはどういうことなの?)
 雄高に返事をすると同時に、克哉は奈里佳に質問する。
(魔法なんてホントは誰にでも使えるんだけど、やっぱり上手い下手っていう個人差があるわけ。今回のは魔力のコントロールが上手く行かずに完全に元の姿に戻れていないというパターンと、魔力がやや暴走気味で部分的に女の子に変身する魔法を無意識に使っている。……ということかしら)
 至極まともな返事を返してくる奈里佳。
「ねえ、佐藤君。今の話からすると、佐藤君達のクラスだけでもそれなりの数の生徒達の身体の一部が女の子のままなのよね?」
 雄高の話を興味深そうに聞いていた真美先生。その顔には養護教諭という職業に忠誠を誓う顔だった。先ほどまで克哉の変身したアソコをいじくり回していた人物と同一人物だとはとても思えないッ!!
「ともかく昨日の変身現象の後遺症は思ったよりも広範囲に広がっていたという訳ね。一度これは全校調査をしてみる必要があるわね」
 脇で聞いていた真美先生は雄高の話を聞いてそう決意すると、ひとりで納得するようにつぶやいた。
(なかなかおもしろくなってきたわね♪)
 楽しそうな奈里佳の言葉を聞いて、克哉は逆に気持ちが沈んで来るのだった。果たしてこれからどうなるのだろうか? 心配することしか出来ない克哉だった。

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第8章 健康診断前夜


「というわけで、昨日の職員会議で決まったことを伝えます。突然ですが明日、全校いっせいの緊急健康診断を行うことが決まりました。明日はちゃんと新しい下着を着てくるとか、健康診断に備えた準備をして登校してきてください」
 翌日、朝のホームルームの時間。克哉たちのクラスの担任である花井恵里32歳・独身♪が、開口一番に言ったのは、昨日発覚した集団変身現象の後遺症(?)への学校としての対策だった。
 ちなみに第2話の登場では【花井恵里32歳・独身】という表記だったのが、今回からは【花井恵里32歳・独身♪】というように変わっている。この【♪】は、奈里佳により結晶化現象が解除されたことで生み出された彼女の心の余裕を表しているのであった。う〜ん、微妙微妙♪
(健康診断か。この時代の技術でいくら調べたところで何かが分かるとも思えないが、データ収集の観点からは興味深いな。問診結果による心理データ等も手に入れたいところだ)
 花井恵里32歳・独身♪の話を聞いて、ユニ君が夏美に話しかける。
(ふん、私たちがあれだけ調べても何も分からなかったのよ。健康診断なんて無意味よ)
 ちょっとムカムカとした言い方で答える夏美。
(外見は元のままなのに、局部だけが女性化していた堀田修司の件だな。確かに昨日は直接見たり触れたりしても何も分からなかったが、それでも継続して観察していれば何か分かるかもしれない。こういう場合、短気は禁物だ)
 ユニ君のその言葉を聞いて、夏美は黙ってしまった。感情は煮えくり返っているが、理性ではユニ君の言う通りだということが分かっているからだ。夏美は大きくため息をつくしかなかった。
「ああ、それからこの健康診断をする対象者は、変身現象を体験した人すべてということですから、女子も含めて後遺症が残っていない人も忘れずに健康診断の準備をしてきてください。それではこれで朝のホームルームを終わります」
 ホームルームの注意事項は進み、最後にそう言い残すと、花井恵里32歳・独身♪は教壇を降りたのだった。
「先生ッ!」
 教室から出て行こうとしかけた花井恵里32歳・独身♪を鋭く呼びとめたのは、堀田修司だった。まだ生理痛がひどいのか、左手でおなかを押さえながらふらふらと立ち上がっている。
「なにか質問なの。堀田君?」
 ゆっくりと身体を回しながら教室の内側のほうに向き直る花井恵里32歳・独身♪
「ええと、先生も知ってるように、俺のアソコはまだ女の子のままなんですけど、トイレはどうしましょう?」
 その質問を聞くと、花井恵里32歳・独身♪は考え込んだ。
「……そうよねえ。その問題があったわよね。そうだ。矢島君?」
 そしておもむろに克哉の名前を呼ぶ。
「えッ? は、はい、なんですか。先生?」
 主人公であるにも関わらずやっぱり集団のなかでは目立たないのをいいことに、ぼうっとしていた克哉は、名前を呼ばれて慌てて返事をするのだった。
「確かこのクラスでは、ええと、その、アソコが女の子になっちゃったままの男子は矢島君と堀田君のふたりだけだったわよね。なんだったら職員用の女子トイレを使っても良いけど、どうする?」
 花井恵里32歳・独身♪は、一見、唐突な提案をしたかに見えるが、これには裏がある。昨日、ふたりの他にも他のクラスを含めると、学校全体で10名程度の男子生徒のアソコが女の子のままになっていたことが判明したのだが、彼ら(彼女ら?)がいつものように男子トイレで用を足そうとしたら、まあ、色々とセクハラまがいの事件が何件か発生したのだ。当然、花井恵里32歳・独身♪もそのことを知っていたからこそ、そのような提案をしたというわけである。
「お願いします。まだ生理中ですから、男子トイレで『見せてくれ』とか『音を聞かせてくれ』と騒がれるのはちょっとうるさくて……。かといって女子トイレに行ってもよけいに騒がれるだけですし……」
 すぐに返事をしたのは、修司であった。そしてなぜか、じとっとした目で夏美のほうを見る。どうやら昨日、夏美はホントに徹底的に修司のアソコを触りまくって観察したらしい。
「矢島君はどう?」
 立ったままで返事をしない克哉に対して、返事を促す花井恵里32歳・独身♪
「じゃ、じゃあ、そうさせてもらいます」
 克哉も、修司がそうするならと、日和見な返事をする。
「そう、分かったわ。じゃあ、他の先生にも伝えておくから」
 そして今度こそ、花井恵里32歳・独身♪は教室の外へと出ていった。
(健康診断なんかしても意味無いけど、それはそれで面白そうだし、ま、いいか) 
 克哉の頭の中で、イメージ上の奈里佳がうんうんとうなずきながらコメントする。
(面白くなんかないよ。昨日の真美先生ってば、『診断』って言いながら僕の女の子なアソコを触りまくるし、もうかんべんして欲しいよ)
 机の上につっぷしながら、うんざりという感じで奈里佳に答える克哉。
(おー、おー♪ 面白くないって言いながら、触られまくってあんなにも感じちゃったのはどこの誰だったかな? それとも克哉ちゃんが可愛い声をあげていたのは私の聞き間違いだったのかしらね?)
 奈里佳のその言葉のあとに、昨日の保健室で克哉が思わず漏らしてしまった【アノ声】が、克哉の頭の中で再生される。脳を共有している同一人格の別バージョン同士なので、克哉と奈里佳にとって一方が思い浮かべたイメージを他方に伝えることなんて簡単なことなのである。
「やめてよッ!」
 恥ずかしさのあまり、慌てて奈里佳に抗議する克哉だったが、思わず口から声を出してしまうあたり、まだまだ修行が足りない。
「ん? 何が『やめてよ』なんだ?」
 案の定、克哉の一言を聞いた雄高が、克哉の席からさほど離れていないところにある自分の席を立って、克哉のところまでやってきた。
「僕、声に出してた?」
 嘘でしょ? という文字を顔に書きつつ、雄高に問い返す克哉。自然と顔に縦線が入ってしまう。
「うん、思いっきり声に出ていた」
 妙に真剣な顔で克哉の机の横に立っている雄高。普段のおちゃらけた態度の時はともかく、こういう時の雄高には冗談がきかない。
(ほらほら、彼氏が心配してるわよ。どう言い訳するの?)
 雄高の真剣な態度とはうらはらに、お楽しみモード全開の奈里佳。
(彼氏じゃないってば。もう、奈里佳は黙っててよ)
 いつもの気弱な態度はどこに行ったのやら、奈里佳に対して何だか強気の克哉。
(はい、はい。恋人の前だと強気なのね。お姉さん悲しいッ♪)
 ぜんぜん悲しく聞こえない声で奈里佳が答える。
「だから、違うって言ってるでしょッ!」
 またしても声に出してしまう克哉。しかし今度は自分でも声を出したことに気がついたのか、慌てて自分の口を両手で押さえる。一瞬で真っ赤になった顔が可愛い。
(私、し〜らない)
 奈里佳はさっさと無関係宣言をする。どうやら高みの見物としゃれこむらしい。
「おい、克哉。本当に大丈夫か?」
 そして雄高は腰を曲げると、座っている克哉の顔と同じ高さに自分の顔を持ってきた。
「だ、大丈夫。だから心配しないで。あははは、やっぱりアソコが女の子になっちゃてるから、感情が不安定になっているのかな?」
 汗までたらしながら、必死で言い訳をする克哉。
「感情が不安定って、全然大丈夫じゃないじゃないか。それにそんなにも顔を赤くして……。熱まであるんじゃないのか? どれ……」
 そして雄高は、あくまでも自然かつスムーズな動きで、ふたりの顔を隔てるわずかな距離を乗り越えた。つまり、おでこ同士をくっつけたのだった。
「ゆ、雄高ッ!?」
 油断していたところにいきなり、【おでこ同士で熱はかり♪】なんていう技を食らった克哉は、裏返った声を出してしまう。おまけに大きく目をみはり、何かを言いたいのだが何を言えば良いのか言葉が思い浮かばなくて口をパクパクさせているなんて……、ホント、修行が足りない。
「熱はないようだな。て、何、その反応?」
 克哉の過剰な反応に不審がる雄高。
「だって、いきなりなんだもん。びっくりするってば。それに恥ずかしいし。とにかくびっくりしたのッ!」
 当然のようにそう答える克哉だったが、なぜいきなりだからびっくりするのかが、いまいちよく分からない。でも、かわいいから許す。
「びっくりしたのは分かったけど、恥ずかしがることはないだろ? 別に男同士なんだから。……とと、違った。そう言えば今の克哉って、女の子だったよな。とりあえずアソコだけは。じゃあ、ついでだからもう1回やっとこうか」
 そしてもう1度、おでこ同士をくっつける雄高と克哉。
「ひゃあ!」
 アソコだけは女の子とはいえ、いちおう外見的には男の子の時と変化がない克哉におでこをくっつける雄高も雄高だが、恥ずかしがりつつも本気で逃げようとしない克哉も克哉だと思う。
「毎度毎度、飽きないわね。あんた達って」
 そこにやってきたのは夏美である。
「うらやましい?」
 おでこを離して、やってきた夏美をちらりと見ると、今度は自分の左のほっぺたと克哉の右のほっぺたをくっつけながら夏美を挑発(?)する雄高。
(おお、雄高君大胆♪ 克哉ちゃんも負けずに抱きついちゃえ)
 ひゅ〜、ひゅ〜とはやす奈里佳。
「雄高、離れて欲しいんだけど」
 奈里佳の声を無視して雄高に抗議する克哉。目をつぶり下を向き、出せる範囲で一番低い声を出している。
(お〜、お〜、無理しちゃって♪)
 更に茶々を入れる奈里佳。まあ、現在の奈里佳としては克哉をからかうことぐらいしか楽しみがないのも確かなので、無理のないことかもしれない。
「つれないねえ。それよりも克哉。なんだか肌がきめ細かくなってすべすべしているような気がするけど、やっぱりアソコが女の子になっているせいかな?」
 克哉の抗議をさらりとかわして、ほっぺた同士をすりあわせる雄高。とりあえず学生服を着ている男同士(?)がほっぺたとほっぺたをすりあわせている絵というのは本来は美しくはないはずなのだが、克哉は学生服を着て男装した女の子と見えなくもないのでそのへんはクリアである。というわけで、文章を読んで絵を想像する時はその点に注意して想像するように。
「もう〜、やめてよ」
 克哉としては本気で怒っているつもりなのだが、夏美にはその声が怒りの声にはとても聞こえなかった。
「いちゃつくなら学校以外でやって欲しいんだけど」
 半分頭を抱えつつ、夏美は気力をかき集めて雄高と克哉に文句を言う。
「いちゃついてないってば。それより何か用なの。島村さん」
 まだほっぺたをすり寄せてくる雄高の顔を両手で押し返しつつ、夏美に質問をする克哉。
「俺ならいつでも克哉といちゃついても良いんだけどなぁ〜。今の克哉って、単に胸がない女の子っていう状態なわけだし」
 軽い調子の雄高。それを見て、『まったく最近の男どもときたら』と、夏美は頭が熱くなりかけた。
「佐藤君、私、矢島君にまじめな話があるんだけど、邪魔しないでもらえる?」
 夏美は雄高に冷たくそう言い放った。短いスカートからのぞくすらりとのびた白い足が、夏美の言葉をよりきつく感じさせる。
「おおこわ。じゃあ、黙ってるよ。ささ、どうぞ」
 大げさなリアクションを取ってふざけているが、雄高は夏美から目を離していない。夏美が所属する新聞部が発行する新聞は、面白みはなくても、とにかく事実を的確に報道をすることで生徒達に信頼を受けている。それは良いのだが、だからこそ誤報なんかされた時にはよけいに大変なことになってしまうのだ。
 今回の集団変身事件の後遺症問題については、既にあることないことの噂が飛び交い出しているので、雄高が身構えてしまうのも無理はない。もちろん克哉も緊張でこわばっているのは言うまでもない。
「どこかの新聞みたいに記事をねつ造したり偏向報道をしたりするわけないでしょ。常に事実のみにひざまずくのが私のポリシーなんだから」
 本気で自分には間違いがないと信じている時点で、ジャーナリストの態度としては既にもう駄目駄目なのだが、残念なことに夏美はまだそのことに気づいていない。夏美は自分こそが正義だという態度もあらわに、強気な姿勢のまま克哉を見すえた。
「矢島君。新聞部として今回の件について取材しているんだけど、インタビューに協力してもらってもいいかしら? 変身現象の後遺症が残っている人達から話を聞いて、何かこの事件の真相が解明できればと思っているんだけど。どう?」
 手にはメモ帳とボールペンを持ち、克哉がインタビューを拒否することなどこれっぽっちも考えていないのが見てとれる。
(奈里佳、どうしよう? インタビューって言ってるけど、なんて答えればいいの?)
 夏美に返事を返す前に、とりあえず奈里佳に助けを求める克哉。臨機応変な対応というのは、ちょっとばかり苦手だったりする。
(別に適当に答えておけばいいんじゃない? 克哉ちゃんが魔法少女の正体だなんてこと、分かるわけないんだし。どうしても答えに詰まるようだったら、私が身体を動かして答えてあげても良いけど。なんだったら、そうする?)
 まるで鼻の穴に人差し指を突っ込んで、老廃物と粘液が混ざりあって出来た粘度のある固形物をほじくり出しながら話しているような、なんともいいかげんな雰囲気で克哉の質問に答える奈里佳。
(……僕が答えます)
 一呼吸する間をおいて、克哉は奈里佳の申し出を断った。身体の主導権を一度でも渡したら、もうずっとそのままになっちゃうんじゃないだろうかという心配を否定しきれなかったのだ。
「いつまでも黙ってないで早く答えて欲しいんだけど。インタビューに協力してくれるの? それとも協力してくれないの?」
 顔には営業スマイルを浮かべているものの、その笑顔は夏美という名前に似合わず冷たい。
「あ、ごめんなさい。ちょっとぼうっとしちゃった。ええと、インタビューだよね。別に答えても良いよ」
 下手に拒否するのも怪しいかなと思った克哉は、夏美のインタビューに答えることにした。
「克哉、誘導尋問なんかに引っかかるなよ」
 茶々を入れる雄高。克哉に話しかけている体裁を取ってはいるが、その実、本当のところは夏美に向けての話しかけであるのは明白だ。視線が夏美のほうを向いてるし。
「するわけないでしょ。そんなこと。私はいつだって公正よ」
 雄高の懸念を一蹴(いっしゅう)のもとに葬り去ると、夏美は自分の正義を誇って胸を張った。
「はいはい、いつだって新聞は正しいですよ」
 全然そうは思っていないということが丸分かりの口調である。雄高……、もしかして昔何かあったのか?
「それで島村さん。僕に何を聞きたいの?」
 黙っていたらどんどんと忘れ去られてしまうということに気がついたのか、克哉は夏美に対して問いかけた。さすがに腐っても主人公であるということか。
「大したことじゃないんだけど、奈里佳が現れて集団変身事件が起きた2日前のあの日、確か矢島君はその直前に気分が悪くなって教室を出て行ったわよね?」
 まずは事実確認をする夏美。しかしその目は獲物を狙う肉食獣の目だった。
「え、う、うん、確かに気分が悪くなって教室から外に出たけど、それがどうかしたの?」
 夏美の質問が何を意図して行われているのか予想がつかなかったが、これは【やばい】ということだけは克哉にも理解出来た。というわけでとりあえず事実を認めたが、夏美が知っていること以上の情報を与える気はさらさらない。
「奈里佳の正体なんだけどね……」
 わざとゆっくりとした言い方をする夏美。その言葉を聞いている克哉にしてみたら、まるでもう針のむしろに座らされているかのようである。
「奈里佳の正体?」
 ともかく克哉はあの日、教室を出てすぐに奈里佳に変身しているのだ。自分で考えると、克哉以上に怪しい人物はいないだろうと思えてくる。そんなこんなで克哉は平静を装っていたが、その表情の下では冷や汗をだらだらと流すことになった。まあ、精神的にだけど。
「矢島君がこの教室を出てから、すぐに奈里佳が入って来たのよ。分かるでしょ、矢島君」
 思わせぶりな言葉である。朝のホームルームが終わり、1時限目の授業が始まるまでの間の騒がしい教室が、なぜか克哉にはシーンと静まりかえったかのように感じられるのだった。
「どういう……、ことかな?」
 克哉はそれだけを言うのが精一杯だった。
(どうしようッ!? ばれちゃってるよ〜ッ!!)
 表面は平静を装いつつ、克哉は心の中で奈里佳に助けを求めた。
(何をおたおたしてるのよ。はったりに決まってるでしょ。とにかく落ち着きなさい)
 奈里佳はまったく動じていない。なぜかその声を聞くだけで、克哉は奈里佳の落ち着きが自分にも伝わってくるかのような感覚を味わった。さすがに二心同体。
「つまりね、矢島君が教室を出てからすぐに、入れ替わるようなタイミングで奈里佳が教室に入ってきたわけよ。なにかこう、タイミングが良すぎると感じるんだけど、これって偶然なのかしら?」
 ジッと克哉の目を見つめる夏美。緊張した空気がふたりの間を流れる。
「偶然……、だと思うんだけど。それよりも島村さん、僕に何を言わせたいの?」
 あくまでもしらを切る克哉だったが、この言い方、聞きようによっては『自分は何かを知ってますよ』と受け止められなくもない。
「別に何もないわよ。ただ、私は事実を知りたいだけ。それだけのことよ」
 さらりとそう答えると、夏美は口を閉じた。
(どう、ユニ君、何か反応は出た?)
 克哉に対して口を閉じた夏美だったが、頭の中ではユニ君に話しかけていたのだった。
(今のところ微弱な量子反応は出ているが、変身現象の後遺症が出ている他の生徒達に比べて際立った反応というものはない。精神の動揺による発汗と体温上昇も正常範囲内だ。出来るなら、もう少し揺さぶってみてくれないか?)
 落ち着いた声で答えるユニ君。昨日は自分を構成するナノマシン群の大半、つまり夏美の脳神経系と融合していないナノマシンの全てが中津木警察署に出かけていたので、センサー類の大半が使用不可能だったのだが、今日は万全の態勢らしい。
(分かったわ。じゃあ予定通りに行きましょう)
 短く答えると、夏美はまた目の前の克哉に注意を戻したのだった。
「事実って?」
 下手なことが言えない以上、克哉としては自分から具体的な何かを言う訳にはいかない。綱渡りな感覚を味わいながら、夏美に対して克哉は質問で答えた。
「それを言ったら、そこの恋人さんが心配するような誘導尋問になっちゃうから言えるわけないじゃない。それともして欲しいの? 誘導尋問を」
 夏美は表面上、余裕のある表情を浮かべている。
「いやあ、恋人だなんて照れるなあ〜」
 ついさっきまで、克哉に取材(?)する夏美を恐い顔をしてにらんでいた雄高が、頭を掻きながらにやけた顔をする。
「雄高ッ!」
 鋭く親友の名を叫ぶ克哉。夏美が言った『恋人』という言葉の意味は完全に皮肉だと分っていたから聞き流せたが、雄高が言う『恋人』という言葉の意味は、辞書をひくと一番最初に載っている意味だということが分ったから、つい叫ばずにはいられなかったのだ。しかしなぜそこで顔を赤らめるかなあ、克哉ちゃんは……。
「だから、痴話喧嘩はよそでやってって言ってるでしょ。まあ、あまり質問を限定すると答えを誘導しちゃいそうだったから控えていたけど、矢島君にはもう少し具体的に訊いたほうが良さそうね」
 雄高の反応を瞬殺すると、夏美は克哉の顔から目をそらさないまま、独り言を言うように克哉に話しかけるのだった。
「答えられることなら答えるけど、僕は何も知らないよ。島村さん」
 予防線を張る克哉。しかしその予防線はあまりにもか弱い。
「じゃあ、お願いするわ。まず事実確認なんだけど、今の矢島君は部分的に女の子になっている。そしてそれは一昨日、お嫁さんに変身した後遺症であると、ここまでは良いわね?」
 念を押す夏美。その目は克哉を捕らえて離さない。克哉のどんな些細な反応も見逃さないという目だ。
「うん、その通りだけど……、それが何か?」
 克哉はそう答えたが、事実はまったく違う。克哉はお嫁さんなんかに変身していないし、アソコだけが部部的に女の子になっているのは後遺症でも何でもなく、今朝、奈里佳に部分変身魔法をかけられたからなのだが、それを認めることは出来ない。フューチャー美夏こと、ディルムンのタイムパトロールという敵がいる以上、自分が魔法少女♪奈里佳だということをおおぴらに認めるわけにはいかないからだ。
「いえ、何でもないわ。それで矢島君、矢島君はいったい何時、どこで変身させられたの? 奈里佳によって花井先生がウェディング快人ヘイアーンに変身させられて、そのヘイアーンによってみんなはお嫁さんに変身させられたんだけど、矢島君もヘイアーンに変身させられたんでしょ? それは何時、どこでのことだったのかしら?」
 その夏美の質問を聞いたとき、克哉は『来たッ!』と思った。夏美の質問は、実にいいところを突いていたからだ。克哉は微妙に顔の筋肉がけいれんするのを感じた。
「そういえば、克哉は気分が悪くなっていたんだよな。保健室で休んでいる時に変身したのか?」
 何の気なしに雄高が克哉に話しかけた。克哉は思わず『そうだよ』と言いかけたが、その言葉を聞いた奈里佳の反応はまた違っていた。
(ストップ、克哉ちゃん。何も言わないで。この娘の質問、やばいわッ!)
 奈里佳の緊張した声なき声。
(何がやばいって言うの?)
 克哉は短く聞き返す。
(保健室で休んでいる時に変身したなんて言ったら、すぐに嘘がばれちゃうでしょ。だって保健室にはいつも養護教諭の真美先生がいるんだもの。真美先生にも取材されたら、一発じゃない。ホント、この娘、いい質問してくるわね。というわけで克哉ちゃん、気をつけて答えるのよ。いいわね)
 克哉と奈里佳の会話は、言葉に直すと数十秒の時間を必要とする内容だったが、意識同士が直接情報を交換して会話(?)しているので、その会話に要した実際の時間は数秒程度だった。
「いや、それが保健室には行かなかったんだよ」
 にらみつけるような夏美の視線を避けつつ、雄高のほうを見ながら答える克哉。
「それは興味ある事実ね。もう少し詳しく教えてくれる?」
 克哉の視線を追いかけるようにして立ち位置をずらした夏美が、雄高の質問を引き継ぐ形で質問した。
「え、だから、保健室に行く途中で吐きそうなぐらい気持ちが悪くなったから、いったんトイレに入ってその……、吐いていたんだよ。それで、ちょっとすっきりしてトイレを出たところで、ばったりと奈里佳と花井先生、というか花井先生が変身したヘイアーンに出くわして変身させられちゃたと、そういうわけなんだけど」
 奈里佳のアドバイスのもと、とっさに嘘をつく克哉。すらすらとよく出てくるものだが、目が泳いでいるのがいただけない。ついでに両手をのこぶしを軽く握り、左右それぞれの肩よりやや下の位置に置き、人差し指だけをピンと立てているのが、ワザとらしくも怪しい。
「つまり保健室には行かなかったと。なるほど、じゃあそれはいいとして、矢島君がお嫁さんに変身したその姿を誰か他の人で見た人はいるのかしら? 少なくとも教室の中では大騒ぎでみんながお互いに変身後の姿を確認しあっていたんだけど、矢島君はお嫁さんの姿でいったい何をしていたのかしらね?」
 だんだんと小さく、そしてつぶやくようになっていく夏美の声は、まるで克哉を静かに脅迫しているようにも聞こえた。
「だから、変身させられたら、また急に気持ち悪くなってトイレに逆戻りしたんだよ」
 一瞬、言葉を飲み込んでしまった克哉だったが、ポンと手を打つと明るい顔をして言うのだった。状況証拠的には怪しすぎる態度であるが、決定打ではない。
「なるほど。では、変身している間は誰にも会わなかったと。で、最後の質問なんだけど、部分的に女の子に変身している状態のままだってことに気がついたのは、いったい何時のことなの?」
 ふと、表情をゆるめると、ついでのように軽く質問を続ける夏美。手にしていたメモや筆記用具をしまいかけている。
「え、他の人は知らないけど、昨日、朝起きたらこうなっていたんだよ。お嫁さんへの変身が解けた時は、ちゃんと完全に元に戻っていたんだけどね」
 あまりにも嘘で固めるのも何だかまずいような気がしたので、この部分だけは本当のことを言う克哉だった。
「へえ、そうなんだ。堀田の奴は、変身が解けた時からずっとああなっていたって言うけど、色々あるみたいなんだな。克哉みたいに一昨日は大丈夫でも昨日の朝起きたら部分変身していたっていう奴もいるみたいだし」
 感心したように口を挟む雄高。
「分かったわ。色々と参考になったし、取材に協力してくれてありがとう。また何かこの件で気がついたことがあれば教えてくれるとうれしいんだけど、いいかしら?」
 その言葉を残すと、夏美は克哉の返事も聞かずに自分の席に戻って行った。見ると第一時限目の数学の教師が教室に入ってくるところだった。
(あの娘、要注意人物ね)
 数学の授業が開始されてまもなく、奈里佳が深刻な声を出した。
(島村さん、色々と調べてるようだしね。何か質問されても下手な答えをしないように注意するよ)
 克哉は、つい先ほどのことを思いだしながら奈里佳に答える。ちなみに数学教師は先日の集団変身事件で自分がいかに可愛いお嫁さんに変身したかを話している最中で、授業はまだ脱線したままだ。
(そんなことなんか問題にしてないわよ。克哉ちゃんは気がつかなかったの? あの娘、微弱だけど魔法を妨害する力を持ってるわ)
 普段とは、まるで別人のように真剣な雰囲気の奈里佳である。
(どういうこと? まさか島村さんが……)
 克哉も、真剣な返事を返す。魔法を妨害するということで、フューチャー美夏のことが思い出されたからだ。そしてそのイメージは奈里佳にも伝わることとなった。
(う〜ん、さすがにそれは無いと思うけど、魔法を妨害してキャンセルする原理は、フューチャー美夏もあの娘も同じね。目に見えるものしか信じない頑固な心と融通の利かなさを兼ね備えたとても強い意思が共通しているわ)
 冷静に分析する奈里佳。ちょっと、らしくない雰囲気である。
(じゃあ、島村さんがフューチャー美夏の正体ってことは無いってことでいいの?)
 外見上は授業を聞くでもなく、ぼうっとしているが、頭の中では真剣な様子で奈里佳に問いかける克哉。
(まあ、力の質は同じものを感じるけど、パワーが段違いと言うか比較にもならないレベルだから、まず違うんじゃないかしら。それよりも、問題なのは結晶化よ。人は自分の未来の可能性を閉ざすことによって結晶化しちゃうんだけど、もうひとつ魔法を妨害する力を持つ人間も、場合によっては更に巨大な規模で自分も、そして世界をも飲み込むほどの結晶化現象を起こすことがあるのよ)
 精神だけの存在であるにも関わらず、奈里佳はごくりとつばを飲み込むのだった。
(それにしても奈里佳って色々なことを知ってるね。僕も自分が奈里佳に変身したときの記憶は残ってるんだけど、今、奈里佳が話してくれたようなことなんか知らないのに、すごいね)
 素直に感心する克哉だったが、しかしそれにしてもなぜ奈里佳はここまで事情に詳しいのであろうか? 奈里佳の精神は基本的に克哉の精神の一側面であるはずだから、知識量に差があるはずはないのに……?
(それはですね、克哉君。僕がふたりの会話をモニターして、奈里佳ちゃんに必要な知識をリアルタイムで送っているからなんですよ)
 奈里佳の知識量に驚いていた克哉だったが、今度は突然頭の中に響いてきたクルルの声に驚くことになった。
「ひゃッ!」
 つい、声を出しかけた克哉は、自分の口を慌てて手で押さえるのだった。
(そんなに驚かないでください。それにしても奈里佳ちゃん、克哉君に僕と奈里佳ちゃんが常にリンクしているってことを今まで話してなかったんですか?)
 ちょっと非難するようなクルルの声。
(だって、聞かれなかったし♪)
 あっけらかんと答える奈里佳の声に、克哉と、そしてクルルまで脱力したのだった。
(ホントに奈里佳ってば、僕の心の可能性が現実化したものなの? 何だか信じられないよ)
 現実にも頭を振りながら、心の中でため息をつく克哉。
(信じられなくても事実です)
 断言するクルルの声が聞こえる。
(はあ〜、何だか疲れちゃったよ)
 数学の授業が子守歌に聞こえてくる克哉だった。

そしてその頃、夏美はと言うと……。
(やっぱり何か隠してるわね。矢島君は)
 数学の授業を聞いてるふりをしながら、ユニ君と会話をしていたのだった。
(確かに心拍数と体温の上昇、発汗の増大からみて、何かを隠しながら会話をしている様子だと判断出来る。何を隠しているのかは現状では判断出来ないが)
 先ほどの会話の状況を分析した結果、夏美とユニ君のふたりは、克哉が何らかの事実を隠しているという結論に達していたのだ。
(教室に入ってくる直前の奈里佳の姿を見ているとしたら、矢島君しかいないと思ったんだけど、どうやらその線で間違い無いようね。そして奈里佳の正体を知っていて隠していることからみて……)
 言葉を濁す夏美。
(彼の知り合いが奈里佳の正体だということかね?)
 夏美の言葉を引き継ぐユニ君。
(ええ、きっとそうに違いないわ。いったい誰をかばっているのかしれないけど、矢島君は奈里佳の正体を知っていることは確かだと思う。というわけで矢島君のことを監視対象に加えたいんだけど、どうかしら?)
 克哉に口を割らせるには、何か証拠でもないと難しいということを理解した夏美は、ユニ君に対して相談する。
(そうだな。当然にあの少年、いや、今は局部だけが少女になっている元少年か。とにかくその少年を監視していれば、いつか奈里佳と接触する瞬間を押さえることができるかもしれない。しかし私の一部を切り離して、彼を常時監視するのは難しいな。奈里佳ならばナノマシンのことをすぐに気づいてしまうだろうから、出来るならその方法は採りたくはない)
 考え込むように話すユニ君の言葉を聞いて、夏美も考え込んだ。
(ということはやっぱり街中の監視カメラの制御を乗っ取って、それで矢島君を監視するしかないということね)
 こうして、監視と言えば聞こえはいいが、結局のところ克哉をいかにしてストーカーするのかという相談をする夏美とユニ君が、克哉のことを怪しいとにらんでいる時、実はとある場所で密かに結晶化現象が進んでいたのであった。

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第9章 猫の手ナース


ガチャーンッ! カラカラカラカラ……
 盛大な音が廊下に響く。ここは中津木総合病院のナースステーション前である。
「先輩、どうしてこんな何もないところで転ぶことが出来るんですか?」
 毎度のことながらとは思うのだが、あきれはててしまったのは、ちょっとくたびれかかった生地ながらもまぶしいくらいに輝いている白衣を着たまだ若い看護婦である。
「看護婦さん、また転んでるのかい? 足の悪い俺でも転ばないのに、大変だね。もしかして上についているおもりが重すぎるんじゃないのかい?」
 たまたま通りかかった入院患者が声をかける。そう、今転んだ看護婦のバストは、病院のナース服ではなく、キャバレーのナース服のほうが絶対に似あうと誰もが思うほど立派な大きさだったのだ。
「すみません。すみません」
 誰に対して謝っているのか、それとも口癖になっているのか、胸の大きな看護婦は『すみません』を連発しながら、運んでいた器具を拾い集める。
「ま、がんばれよ」
 ははは、と笑いながらその入院患者は軽く足を引きながらトイレへと歩いていった。
「先輩って色々ありますけど、とにかく患者さんからは好かれていますよね。いいなあ、そういうの。それに大きいし、胸も……」
 器具を拾うのを手伝いながら、ちょっとうらやましそうにつぶやく若い看護婦。
「こんな先輩が教育担当でごめんね。遠子ちゃん」
 若い看護婦、犬飼遠子(いぬかい・とおこ)に謝りながらも、視線はまだ廊下に散らばっている器具がないかを探っている。彼女の名前は津谷美根子(つや・みねこ)。看護婦らしからぬプロポーション(?)に恵まれた彼女は、なんというかとにかくこう……、ドジであった。
「いいえ、そんなことないですよ。先輩って失敗も多くて、つまりその、ええと」
 言葉を選ぼうとしているが、思っていることをうまく言いかえることが出来ないらしい。その様子を見ていた美根子は助け船をだした。
「失敗も多くてドジ、と言いたいのよね。ハッキリ言ってくれて良いわよ。だって自分でもそう思うんですもの。私、どうしてこんなにドジなのかしら」
 ため息をつく美根子。やぼったい黒縁めがねのレンズがなぜか曇っている。蒸発した涙であろうか?
「違います、違いますッ! 私が言いたいのは先輩がドジだとかということなんかじゃなくて……、ええい、もうッ! 確かに先輩はドジです。それは認めます。でも、違うんです。私、知ってるんですよ。ドジだけど患者さんの中で一番人気があるのは美根子先輩だってッ!! みんな言ってますよ。美根子先輩を見ていると元気が湧いてくるって……」
 若い看護婦、遠子は先輩に対して失礼なことを言っていることに気がついているのか気がついていないのか、ドジ、ドジと連発しながら美根子を誉め、慰めるのだった。
「いくら患者さんに人気が有っても、ドジばっかりでみんなにも患者さんにも迷惑かけてるし、私、このまま看護婦を続けていてもいいのかな。なんて思うのよ、最近」
 美根子はどこか寂しそうな笑顔を浮かべて、後輩にそう言うのだった。
「先輩、ダメですよ。やめちゃダメです。先輩はこの病院に必要な人なんですから。もしも私が患者さんだったとしても、やっぱり先輩に看護してもらいたいと思いますもの。だってほら、例えば婦長さんみたいにいくら技術がよくても無愛想じゃ、患者さんの気持ちも暗くなっちゃいますよね。お願いごとだってしづらいです。でも先輩みたいな看護婦さんに看護してもらえたなら気持ちも明るくなれますし、何かとお願いごともしやすいと思うんです。これって大事なことなんじゃないでしょうか?」
 落ち込んでいる美根子を精一杯はげます先輩思いの遠子。熱がこもってきているのか、しだいに声が普通の大きさから段々と廊下に響くほどの大きさになってきている。意外と言うかやっぱりというか、この娘もドジっ娘ナースの美根子と組まされるだけあって、それなりのドジなのかもしれない。
「そうかしら?」
 その言葉を信じたいけど本音では信じられないという懐疑的な表情を浮かべつつ、小さな子供がお母さんに質問するような、どこか甘えた感じがする問いかけをする美根子。やや上目づかいの表情とダイナマイトなバストがアンバランスだ。
「そうですよ。絶対です♪ だからがんばりましょうッ!」
 身体のやや横側で左右の腕を曲げて、小さくファイトポーズを取る遠子。
「うん、もう少しがんばってみようかな……」
 そして遠子を見ながら小さくうなず美根子。どうやら丸く収まったようである。ふたりの間に、ほんわかとした空気が流れる。しかし次の瞬間、その空気は乾いた冷たい『パチパチパチ』という拍手の音によって壊されてしまった。
「「婦長ッ!」」
 音のする方向に振り向いたふたりは、その視線の先に婦長の姿を見つけて驚きの声をあげた。そこに立っていた婦長は普段は見せないニコリとした笑顔を見せていたのだ。しかしその笑顔は氷の微笑みだった。
「いやあ、ためになるお話を聞かせて頂きました。仕事を辞めたくなった同僚をはげまし、元気づけ、仕事に対する前向きな活力を引き出す。まことに立派です。しかしこれは立場が逆なのではないかと思いますが……。そうは思いませんか、美根子さん?」
 さらに笑顔を凍りつかせながら、美根子に話しかける婦長。対する美根子は、冷たい汗をたらりと垂らしているが、口からは『あうあう……』という意味不明の言葉しか出てこない。
「それから、遠子さん。私達の仕事はなんですか? 患者さんの命を預かる仕事ですよ。ドジでも明るくて患者さんに好かれていれば良いだなんて心得違いもいいところじゃないのですか?」
 ほこ先を美根子から遠子に移すと、言葉で作られた刃を放つ婦長。静かなもの言いだけに逆に迫力が感じられる。
「でも、婦長ッ! 患者さんの立場に立てば、明るく気持ちよく入院生活を送ってもらうことは大事だと思いますッ!!」
 若さ故の理想論からくる情熱に突き動かされるままに、婦長に反論する遠子だった。
「お黙りなさいッ! 患者さんの命を守る。第一に考えるべきはそれしかありません。まったく、教育担当が教育担当なら、教育されるほうも教育されるほうね。やっぱり猫は猫でしかないことがよく分かりました。やる気が無いならさっさと辞めてくれてもいいのよ。猫さん」
 氷の冷たさを持つものであっても、まがりなりにも笑顔だったその表情は今は無い。婦長の顔にあるのは紛れもなく憤怒の表情だ。
「先輩は猫なんかじゃありませんッ!」
 黙っていなさいというジェスチャーをする美根子の制止をあえて無視して、遠子は更に婦長に抗議する。
「ものの役に立たない人手なんか、猫の手と一緒です。猫の手しか持ってない猫の手ナースですッ!」
 そこまで言うと、これ以上の反論を許さないつもりなのか、くるりと身体の向きを変えて去っていこうとする婦長だったが、数歩歩いたところで足を止め、身体と首をちょっとだけねじって美根子と遠子を振り返る。
「あ、そうそう。あなたがた2人に院長先生からの伝言です。緊急の用事が無いのだったら、すぐに院長室に来て欲しいそうですよ。いったいどんな御用事かしらね?」
 去って行く婦長を見送る2人の胸には暗い気持ちが広がってきて、どちらからともなく美根子と遠子はお互いを見つめ合うのだった。
「先輩……」
 情けなさそうな声を出す遠子。その顔は、『ちょっと泣きそうかも?』という感じである。
「遠子ちゃん……」
 呼ばれた美根子は、さらに情けない声で応える。院長室に呼ばれるということがいったい何を表しているのか、今までの経験で十分過ぎるほど学習していたのだ。しかしまあ、なんとも嫌な経験ばかり積んだものである。
「私たち、何かしちゃったんでしょうか? 院長室に呼びだされるほどの失敗をした記憶は何もないんですけど」
 まだ経験値が低い遠子は、思い当たることがないと美根子に同意を求める。遠子にしてみれば自分の頑張りを評価されこそすれ、非難されるべき点は何も無いと思い込みたいらしい。まあ、幸せな娘である。
「そうねえ、昨日のあのことかしら? それとも……。う〜ん、全然分からない」
 一方の美根子は、思い当たることがいっぱいありすぎてわけがわからなくなって来ているらしい。
「と、とにかく院長室に行ってみましょう。先輩ッ! 話はそれからですよッ!!」
 遠子は不安な気持ちを打ち消そうとするかのように、大きな声を出している。しかし声がちょっと裏返っているという事実そのものが、その試みが成功していないことを物語っていた。
「そ、そうね。まだ怒られるって決まったわけじゃないし♪」
 その可能性は極めて小さいだろうなあという予想を、あえて無視する美根子。
「そうそう、患者さんの誰かが誉めてくれたっていう話かもしれないし♪」
 応じる遠子。まあ、夢を見るのは自由である。
 こうして2人は沸き上がる不安を無理矢理押さえつつ、いったいなんだろね〜? と、話し合いながら院長室へと続く廊下を歩くのだった。

コンコンコンッ

 院長室と廊下を隔てる1枚のドアを、軽く叩く美根子。ノックをするその手は震えている。
「……入りたまえ」
 中から院長の声が聞こえる。感情がこもっていない平板な声だけに、何を考えてここに呼ばれたのかという判断が出来ない美根子と遠子だった。緊張したまま美根子はドアのノブに手をかけると、ゆっくりとそれを右に回した。
「失礼します。津谷美根子、犬飼遠子の両名入ります」
 部屋の奥に座る院長の姿を認めると、美根子はうわずった声で入室の挨拶をする。もう看護婦になって何年も経っているのだが、いまだに院長の前に出ると緊張してしまう。むしろまだ働きだして1年にも満たない遠子のほうがリラックスしているぐらいだ。これが若さ故のなんとやらというやつなのだろうか。
「急な話で悪いのだが、2人には城南中学の健康診断の手伝いをしてもらいたい」
 院長が座る机の前に並んだ2人に対して発せられた言葉は、美根子のドジを叱責するいつもの言葉ではなく、意外な仕事の依頼だった。
「健康診断……、ですか?」
 てっきり叱られるものだと思いこんでいた美根子は拍子の抜けたような返事しか出来なかった。
「確か城南中学校の健康診断は先月終わったばかりじゃないですか。それなのにまたやるんですか?」
 城南中学校の健康診断で胸部レントゲン撮影をする為に、レントゲン車が出動したことを覚えていた遠子が院長に質問する。それにしても質問の仕方がなっていない。やはり若さ故の……。
「もちろん普通なら終わったばかりの健康診断をまたやるわけがない。しかし知ってるだろ? 君たちも。例のほら、集団変身事件のことを……」
 ちょっとだけむっとしたのも事実だが、遠子の遠慮のない質問に答える院長。今はなぜか遠子の口の聞き方に文句をつけるつもりは無いらしい。なにか考えがあるのだろうか?
「それは知っています。私も変身させられましたから」
 院長に対して、自分も集団変身事件の当事者だということを告白する美根子。
「ああ、そのことなら知っているよ。確か遠子君も変身したと聞いているが……」
 舌なめずりするような表情をしながら、露骨に興味津々の感情をあらわにする院長。
「えッ、遠子ちゃんも変身してたの?」
 軽い驚きを込めて遠子に質問する美根子。院長の目の前だという状況を忘れているかのようだ。
「はい。今回のお嫁さんにも変身しましたけど、前回の危ない女王様風の魔法少女にも変身しました。あの、でもそれが何か?」
 院長と美根子の質問に対して簡単に答える遠子。
「ああ、それも知っている。この中津木総合病院は、今までに2回あった集団変身事件が起こった地域の外縁に立地しているからなのか、関係者の中で変身現象を体験したことがある者は意外と少数派なのだよ。その中でも、2回とも変身した経験を持っているのは、少なくとも私が知っている限りでは、君たち2人だけだったというわけだ」
 面白いことを話しているつもりなのか、『くっくっく』と軽く笑いながら話す院長。
「先輩も、2回とも変身していたんですか?」
 今までそのことを知らなかったのか、遠子は美根子に問いかける。
「ええ、まさか私と遠子ちゃんの2人だけが病院の中で2回とも変身していただなんて知らなかったけど」
 驚く、美根子。同じ境遇だったのかと、改めて美根子と遠子はお互いに見つめ合った。
「さて、というわけでだ。じつは今度行われる健康診断は身体の調子を診るものじゃない。重要なのは心のケアのほうだ……。と、市のお偉いさんが言ってきたわけだ」
 院長はそこで言葉を区切ると、机の上に置かれた葉巻入れから葉巻を一本取り出し、それに火をつけた。普段は患者に禁煙を勧める医者が禁煙出来ないのだから、医者の不養生とはよく言ったものである。
「市のお偉いさん。……ですか」
 話がどこに向かっているのか分からず、美根子は生返事を返す。となりの遠子も同様にとまどっている様子だ。
「ああ、市のお偉いさんだ。我が病院に取っては大事なお方だ」
 そして葉巻の煙をぷかりと吐き出す。
「そのお偉いさんが困っているんだよ。『早く集団変身現象を何とかしてくれ。市民から苦情がきて困ってる』ってね」
 吐き出すようにそう言うと、そのままの勢いでまだ吸い始めたばかりの葉巻を灰皿に押しつける。まったくもったいないことをするおじさんである。
「苦情と言っても、変身の原因は魔法少女♪奈里佳っていう娘ですよ。市は関係ないじゃないですか」
 呆れたように言う遠子。
「変身した人の中には何故だかは知らないが、それまでの性格とはまったく違った行動を取る人が一定割合でいるらしい。本人達に言わせれば『本当の自分を取り戻した』ということなんだが、まわりの人間にしてみたら人が変わってしまったようで不安ということだ。市が苦情を言われる筋合いは何も無いのだが、じゃあそれ以外のどこに苦情を言えばいいのか分からないということで、市に苦情が殺到しているんだよ。『早く何とかしろ』ってね」
 話を区切り、こめかみを指で揉む院長。
「あの、それで、それが今回の話にどう繋がるんでしょう?」
 ますますわけが分からなくなる美根子と遠子だった。美根子が発言する横では、遠子がうんうんとうなずいている。
「市民からの苦情がある限り、市としては何らかの対策をしないといけない。しかし集団変身事件なんていう現代の科学を越えた状況に対処出来るわけが無かろう。出来るとしたらちゃんと対策をしているというポーズと、心理面のフォローぐらいだ。というわけでポーズとしての健康診断ということなんだよ。この城南中学校における健康診断は。ま、市のほうもそのへんの所は分かっているようだがね」
 暗い笑みを浮かべる院長。
「しかし身体に対する健康診断がポーズであるからこそ、メンタルケアの面では専門家を出してくれという依頼があったという訳なんだが……。こんなことに専門家がいるわけがない。というわけで津谷君に犬飼君、私が何を言いたいか分かるだろう」
 2人を見つめる院長。空気が重い。美根子と遠子は黙っている。
「我が中津木総合病院において2度の変身現象を経験した君たち2人ほど、この仕事の適任者はいないのだよ。特に津谷くんは患者さんから最も好かれているそうじゃないか。メンタルケアの面でそれは重要な能力だ。得難い力だ。期待しているんだよ。だから私を助けると思ってこの仕事をやってくれないかね?」
 普段、叱られることには慣れていた美根子と遠子だったが、そうであるからこそ誉められることには慣れていない。2人は院長の言葉に踊らされ、院長室を出る頃にはすっかり舞い上がっていた。
「いつも何を考えているのか分からないと思ってましたけど、院長先生もちゃんと見てくださっていたんですね。先輩が患者さんたちに一番好かれているっていうこともご存知でしたし」
 普段は院長のことをあまりよく思っていなかった遠子であったが、さっきのことで、評価が180度変わってしまったらしい。
「そうね。せっかく信頼して頂いたんですもの。頑張らなくっちゃッ!」
 美根子も大張り切りだ。
「そうですよね。頑張りましょう。先輩ッ!」
 遠子も既にのりのりで応えるのだった。はてさて、明日の健康診断はどうなることやら。

 そしてその頃、院長室では婦長に内線電話をかける院長がいた。
「ああ、もしもし、私だ。今、ふたりをそちらに帰した。後はうち合わせ通り、彼女らを通常の勤務から外して、全面的に市からの依頼に応えるように言ってやってくれ」
 先ほどまで浮かべていた笑顔を跡形もなく消して、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「……そうだ。あんなドジで失敗ばかりしているような看護婦を病院に残しておいたら、いつ医療事故を起こされるか分かったもんじゃないからな。いいようにおだてて適当な仕事を割り振って病院からは遠ざけておくに限る。君もそう思うだろ?」
 院長は電話の向こうにいる婦長に同意を求めた。
「……まったくだ。患者の命を預かる仕事をしているという自覚が足らないんだよ。彼女達には。……ああ、そうだ。ではよろしくな」
 電話の向こうの雰囲気から、婦長がいるナースステーションに美根子と遠子が着いたらしいことを察した院長は、受話器をおろすのだった。
「集団変身現象だなんてオカルトな事件が現実に起こるのはいいとして、それを医学的に解明するなんて出来るわけがないじゃないか。まったく、市のお偉いさんも無理なことを言ってくれる。まあ、どうせ無理な仕事ならあの猫の手以下のドジ看護婦にやらせて、何か失敗でもしてくれれば問題なく彼女を辞めさせることが出来るのだが……」
 院長は暗い希望を口にした。その瞬間、院長は人の命を預かる医者であるがゆえに、だからこそ平気で従業員を解雇する経営者の顔になっていたのだが、その心の内を知る者は誰もいなかった。。

 翌日、美根子と遠子の2人は中津木総合病院にて合流すると、そのまま克哉達が通う城南中学へと向かった。そしてまずは校長に挨拶を済ませて、そのまま保健室へと足を運ぶのだった。
「おはようございます。真美ちゃん、いる?」
 やけに馴れ馴れしい態度で保健室のドアをくぐる美根子。
「おはよう。美根子ちゃん。お久しぶりね」
 対する保健室の主、真美先生もくだけた返事を返す。
「おはようございます。中津木総合病院から来ました犬飼遠子です。……て、先輩達ってお知り合いだったんですか?」
 とりあえずまともな挨拶をした遠子だったが、美根子と真美ちゃんと呼ばれた養護教諭の様子を見て、好奇心が抑えられなくなってきたらしい。
「ああ、ごめんね。こちら、高谷真美さん。ご覧の通り城南中学校の養護教諭をしているんだけど、私とは幼稚園から高校までいっしょに通った仲なのよ」
 美根子に紹介されたのを受けて、遠子に対して軽く頭を下げる真美先生。
「よろしくね。犬飼さん。それとも遠子ちゃんって呼んだほうがいいかしら?」
 笑顔を浮かべながら、真美先生は遠子に右手を差し出す。
「犬飼でも良いですけど、この3人だけのときは遠子と呼んでください。そのほうが嬉しいです」
 差し出された真美先生の手を、両手で軽く握り返す遠子。そこはかとなく百合の花の香りが漂いかけたような気もするが、それは気のせいである。
「分かったわ。遠子ちゃん。それにしても、あなたの教育担当は美根子ちゃんなんですって?」
 真美先生は、微妙な興味をにじませつつ質問した。
「ええ、もちろんそうですけど、それがどうかしましたか?」
 もしかするとまた『ドジな先輩が教育担当で大変ね』とか言われるのだろうかと想像して、遠子は軽く身構える。しかし遠子の予想は良い意味で裏切られた。
「美根子ちゃんって教えるの上手でしょ」
 真美先生は遠子に同意を求める。
「確かに手取り足取りって感じで、先輩の教えかたはものすごく上手いです」
 我が意を得たりとばかりに身を乗り出す遠子。
「美根子ちゃんって昔からそうなのよ。1から10までをとことん解説しながら教えてくれるのよね。でも逆に言えば、そこまで詳しく解説しながらじゃないと他人に教えることが出来ないの」
 真美先生は、『わかる?』という問いかけを表情に込めて、遠子を見る。
「そうなのよねえ。私って頭悪いから何でも基本的な所まで分解してみないと理解出来ないの。だから他人に教える時に1から10まで解説しちゃうのは、自分がそこまでしないと訳が分からなくなっちゃうからなのよ」
 小さくため息をつきながら、美根子は真美先生が言ったことを肯定する。
「先輩は頭良いですよ。だってあんなにもわかりやすく教えてくれるんですから」
 話されている内容がよく分からなかった遠子は、そのまま反射的に返事をする。
「美根子ちゃんは、時間をかけてゆっくりと手順を踏んで何かをすることは良いんだけど、制限時間内にこれをしなさいって言われると、途端にパニックを起こしてしまってドジを連発しちゃうのよ。小さな時からそうだったけど、やっぱり今でもそうなのよね」
 嫌みな感じではなく、素直に友人のことを話しているという口調だったので、真美先生のその言葉を遠子は素直に聞くことが出来た。
「ああ、それであんなにも教えるのが上手い先輩が、いつもああいった結果になっちゃうのは、そういうことだったんですか!?」
 今更ながらに美根子のドジの原因に気がついたという様子の遠子。真美先生と美根子の両者をかわるがわるに見ながらしきりに納得している。
「落ち着いて仕事をしている時は大丈夫なの。でも、病院の仕事って婦長さんが言うように患者さんの命を預かる仕事でしょ? 1分1秒を争う時だってあるじゃない。そう考えるとどうしても慌てちゃって……」
 下を向き、背中を丸めて小さくなる美根子。どうやら自分で言ってて落ち込んできたらしい。
「ま、医療に携わるものとしては何とかしたい弱点よね。でも、今回のことはちょうどいい機会じゃない。健康診断なら1分1秒を争うだなんてことはないし、この仕事をきっちりこなして自信がつけば、少しずつかもしれないけど慌てることも少なくなってくるんじゃないの?」
 美根子のことを良く知っている真美先生は、遠慮の無い言葉で美根子を励ます。
「そうだッ! きっと院長先生もそう思ってこの仕事を私たちに割り振ってくださったんですよ♪」
 前向きな考えの遠子はパンッと手を打ち、にこやかに叫ぶ。
「私たちって……。もしかして遠子ちゃんもドジッ娘なの?」
 わざとらしく右手を口にあて目を大きく開いて、遠子に尋ねる真美先生。目がマジだ。
「違いますよ〜。ただ私の場合は、物覚えが悪いだけです」
 胸を張って答える遠子。しかしその胸は巨乳な美根子の胸に比べると、あまりにも奥ゆかしく慎ましやかであった。
「な、なるほど……」
 それはそれで問題があるようなと思った真美先生だったが、なんだか何を言っても遠子には無駄なような気がして口を開くのをやめた。
「それはそうと、真美ちゃん。集団変身現象って、いったい何なのかしらね?」
 このまま話を続けていても、いかに自分がドジなのかという話にしか発展しかねないと思った美根子は、会話が瞬間的にストップした機を逃さず本来の仕事の話へと話題を誘導した。
「さあ、私には分からないけど……」
 答えようのない質問を受けて文字通り答える言葉を無くした真美先生は、ただ首をかしげるばかリだったが、ふと、何かを思い出したかのように言葉を続けた。
「でも、集団変身現象が何かっていうことなら、美根子ちゃん達のほうがよく知っているんじゃないの? 確か美根子ちゃんと遠子ちゃんの2人は、この件の専門家なんでしょ? 中津木総合病院の院長さんからの電話では、そういうことを言われたんだけど」
 真美先生は、昨日かかってきたその電話の内容を説明するのだった。
「院長先生ったら、そんなことを言ってただなんてッ!? 専門家だなんて全然違うのよ。正確には私たちは専門家というよりも体験者っていう感じかしら。魔法少女♪奈里佳とお嫁さん。その2回の集団変身現象を両方とも体験しているのは、病院内では私たち2人だけだけらしいから」
 誤解を解こうと、慌てて否定する美根子。美根子は右手を顔の前で小さく左右に振っている。
「でも先輩。確か院長先生は2回の変身現象を体験した私達だからこそ、集団変身現象の後遺症が出ている人達のメンタルケアをするには最適だとかなんとか言ってましたから、その意味では専門家ということでいいんじゃないですか?」
 気楽に答える遠子。
「ええ、それは分かっているし、そのことについては頑張るつもりよ。でも、『集団変身現象って何?』っていう質問には答えようがないじゃない。それとも遠子ちゃんには分かるの?」
 美根子は、質問の矛先を遠子に変えた。それを見て真美先生も、遠子がどう答えるのか興味津々という顔をしている。
「それはですね先輩、案外と世の中には本当に本物の魔法少女がいたってことなんじゃないでしょうか?」
 真剣な顔をして言い切る遠子と、それを聞いている真美先生と美根子の周りには白くて何も無い空間が広がり、壁にかかった時計の音だけがコチコチと響くのだった。
「……ハッ! いけない。何か催眠術にかかってしまったような」
 先に気を取りなおした真美先生が、両手で左右それぞれのほっぺたを軽くぴしゃりと叩いて気合を入れ直した。
「遠子ちゃん、私たちもう大人なんだから、魔法少女を信じるのはやめたほうがいいんじゃないかしら。もちろん趣味に文句は言わないけど……」
 教育担当者としての自覚からか、美根子は遠子にやんわりとクギを刺す。現実はどうであれ医療関係者が神頼みをしたり、まじないや魔法を信じているなんてことは、特に患者の前では見せないようにするのが基本なのだ。理由はもちろん、そういったことを信じている医者を患者は信じられないからということに尽きる。……らしい。
「でも、私たちが変身したのは事実ですよ。それに証拠のビデオや写真もたくさん撮られているし、これが幻覚なんかじゃないことはハッキリしてます。現代科学や医学でも分からないんですから、これはもう魔法ですよ。きっと魔法少女♪奈里佳は、魔法の国からやってきたプリンセスじゃないかと思うんですよね」
 ここぞとばかリに自説を主張する遠子。どうやら魔法少女マニアだったようだ。
「ま、それはそれとして、健康診断の打ち合わせでもしましょうか?」
 どうフォローすれば良いのか困った真美先生が、職業意識を復活させた。
「え、ええそうね。これがうちの病院で作った検査項目とマニュアルなんだけど、とりあえず目を通してくれる? ……ああ、ごめんなさいッ!」
 美根子はバッグに入れていた書類を取り出そうとしたが、慌てて中身をこぼしてしまった。
「だから美根子ちゃんは慌てちゃダメなのよ。落ち着いて動かなくっちゃ」
 真美先生は、ころころと笑いながら美根子をたしなめる。そしてその横では、『魔法少女はいるのに〜』と、恨めしそうにつぶやく遠子がいたが、誰も相手をする者はいない。何となくこれでいいのかという気がしなくもないが、健康診断の準備は着々と進ん行くのだった。
 まあ、いくら綿密に健康診断をしたところで魔法のことは何も分からないだろうけど……。

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第10章 健康に敏感♪


「というわけで今日の健康診断は、まず学年順、クラス順に行ないます。最初に男子、次に女子の順番で行ないますけど、集団変身現象の後遺症の状態がひどいと判定された人は、中津木総合病院でもう一度詳しく再検査をすることになっています」
 朝のホームルームの時間、花井恵里・32歳独身♪が、配布したプリントを読み上げながら説明をしている。
「ひどいというのは、日常生活に影響が出るレベルということらしいのですが、本人が気にする気にしないという精神的な面も強いですから、気になるようだったら遠慮無く自己申告してください。費用の点は、学術調査の観点から全て公費だそうですから安心してくださいということです。何か質問はありますか?」
 読み上げていたプリントから目を離し、クラスの中を見渡す花井恵里・32歳独身♪
「はいッ!」
 すかさず手を上げる夏美。まっすぐピンと右手を上げているだけではなく、背筋もまっすぐに伸びており、これを優等生の態度と言わずして何を優等生と言えばいいのかというぐらいの姿勢である。
「はい、夏美さん。何でしょう?」
 先日、ウェディング快人ヘイアーンに変身して結晶化現象を解除されたことにより、気持ちに余裕が出ているのだろう。花井恵里・32歳独身♪は、夏美の気迫に押されることなく、むしろおっとりとした応答をする。
「新聞部の部員として聞きたいんですが、この健康診断の模様を取材してはいけませんか? というか集団変身現象のことならみんなすごく関心があると思うんです。ぜひ取材したいんです」
 要約すると知りたいから取材させろということしか言っていない夏美である。とにかくそこまで一気に言うと、にらみつけるように花井恵里・32歳独身♪ をジッと見て視線をそらさない。
「そのことなら校長先生のほうにも、新聞部から取材の申し込みがあったと聞いています。確かその件に関しては許可を出すことは出来ないという返事を新聞部にしたはずですが、夏美さんは聞いていないのですか?」
 今朝の職員会議で教えられたことを思い出しながら、花井恵里・32歳独身♪はハッキリと断言する。
「ええ、聞いてますけど、そこを何とか先生の力で校長先生にお願いして許可をいただくというわけにはいきませんか?」
 食い下がる夏美。最初からダメもとという気持ちなのだろう。簡単には引き下がらない。
「やはり生徒のプライバシーの問題もありますから、いくらみんなの関心があることだとは言っても健康診断そのものを取材するということは許可できません。個人個人に直接許可をもらって、その人個人に直接取材するというなら別に構いませんけど」
 やはり花井恵里・32歳独身♪の答えは変わらない。しかし夏美の意見もまた変わらなかった。
「でもやはり、知る権利と報道の自由というものが……」
 両者の言い分が平行線になってきた頃、そのやり取り聞きながら克哉は奈里佳と頭の中で話をしていた。
(島村さんはどうしてあんなにも健康診断の取材にこだわるのかな?)
 声を出さずに頭の中だけで奈里佳と会話することにも慣れてきた克哉はのんびりとした口調だ。
(まあ普通の人が魔法少女やお嫁さんに変身したり、男の子が女の子に変身したりすれば、だれでも興味をしめすんじゃない? 特にあの娘は、世の中に自分が理解出来ないことが存在するってことが嫌みたいだし。まあ、気にすることでも無いわよ)
 どうでもいいという感じで奈里佳は答える。
(でも、島村さんに気を付けろって言ったのは奈里佳だよ。島村さんってフューチャー美夏と同じで、魔法を妨害する力があるんでしょ?)
 克哉は奈里佳に指摘をする。
(そうだけど、問題が起きる前からピリピリする必要は無いわよ。あの娘は人の迷惑を考えずに健康診断の取材をしたいと言っているわけなんだけど、そのこと自体は私たちの目的に照らし合わせればむしろプラスになるわけだし、放置しておいて問題ないってことよ)
 ゆっくりとやや間延びした返答をする奈里佳。その奈里佳の喋り方を聞いて、克哉はピンときた。
(奈里佳、今、裏でクルルと話してるんでしょ?)
 克哉の心の可能性である奈里佳自身の知識量は克哉とまったく同じであるので、奈里佳が克哉の知らないことや判断を言っている時、その知識や判断はクルルからもたらされているのだ。
(あははは、バレちゃった? まあ、クルルが言うにはこの世界の結晶化を防ぐには未来の可能性を広げることが大事で、その為には『世の中には今までの固定観念では計り知れないことがあるんだなあ』ということが常識になったほうがいいんだって)
 悪びれずにあっけらかんとした態度の奈里佳。
(つまり島村さんが健康診断を取材して記事にしてその内容が広まれば広まるほど、世界の結晶化を防ぐことが出来ると……)
 既に何度も説明されたことであるので、克哉の飲み込みは早い。
(そうそう、そのとお〜り♪ 全然心配することなんてないのよ)
 精神的にVサインをする奈里佳。見えないけど笑顔がまぶしい。
(なんだか僕たちのやっていることって、世界を結晶化と崩壊の危機から救うってことだけど、表面的にはただ騒ぎを起こしてるだけのような気がする)
 克哉は先日、奈里佳に変身と変心した記憶をふまえて克哉の心で判断した結論を口にする。
(ま、ぶっちゃけその通りなんだけど、それがちゃんと世界を救うことになるんだから、それでい〜じゃない♪)
 あくまでも能天気な奈里佳である。そうこうする間にも、花井恵里・32歳独身♪と夏美の交渉は最終局面を迎えていた。
「ではすべてを匿名にして記事にしますから、取材を認めてくださいッ!」
 夏美は、健康診断の直接取材を求めて花井恵里・32歳独身♪に詰め寄っている。
「ダメです。取材は認められません。匿名にしても誰のことなのかすぐに分かっちゃうじゃないですか。報道の自由は大事だと思いますが、個人のプライバシーを守ることのほうがもっと大事です。それに単なる健康診断じゃないんですよ。集団変身現象の後遺症検査なんですから色々と問題があるんです。というわけで健康診断そのものへの取材はあきらめてください。良いですね。島村さん」
 花井恵里・32歳独身♪も、頑として譲らない。
「分かりました。では、個人的にOKしてくれた人だけから取材することにします」
 夏美もおとなしく引き下がったが、渋々とした表情からすると、とても納得したようには見えなかった。
(あの娘も、もう少し融通を利かせればいいのにね。許可なんか事前に求めたりしないでとにかく取材しちゃってから事後承諾ッ! それで万事解決するのに)
 いいかげんなことを言う奈里佳。
(ホントにそれで良いの? なんだか違うような気が……)
 今ひとつ奈里佳ほど吹っ切れた考え方が出来ない克哉。
(いいのよ。ルールを守ることも大事かもしれないけど、ルールを疑ってみることはもっと大事なのよ)
 奈里佳は、花井恵里・32歳独身が先ほど言ったセリフをまねてうそぶくのだった。

「なあ、克哉。まだアソコは女の子のままなんだろ?」
 夏美と花井恵里・32歳独身♪の押し問答に終始したホームルームが終わると、1時間目の授業が始まるまでに存在するわずかな空き時間を利用して、例によって佐藤雄高が克哉の元にやってきた。
「うん、そうだけど。どうかしの?」
 部分的に女の子に変身しているのが自分だけというわけではないと分かってから、けっこう気が楽になっている克哉は気軽に返事を返す。
「いや、だからさ。この機会に女の子なひとりエッチでも体験したのかな〜と、ちょっと聞いてみたかったりしてさ」
 食欲や睡眠欲よりも、もしかすると性欲のほうが強かったりするかもしれないまだ若い中学生男子。その代表のような雄高は、ストレートに克哉に質問する。
「ふぇ?」
 あまりにもあっけらかんとした雰囲気で質問されたものだから、克哉は一瞬何を言われたのか理解出来ず、間抜けな返事をしてしまう。
「だから今、克哉のアソコは女の子のままなんだろ? こんな良い機会はないんだから、ひとりエッチのひとつやふたつやみっつやいつつぐらい、やっちゃってもおかしくないんじゃないかと、そしてその気持ち良さはどうだったんだ? と、聞いてるんだけど。……ぶっちゃけ、どうだった?」
 まるで、『宿題やってきたか?』という朝の教室の中でごくあたりまえのようにかわされる会話のような口調で質問する雄高に、克哉は目を丸くする。
「そんなことするわけないでしょッ!」
 慌てて否定する克哉。顔は酒でも飲んだかのように真っ赤になっている。
「なんだ。おもしろくない。こういう機会は滅多に無いんだし、とりあえず触って確かめてみるっていうのが男として正しい態度だと思うぞ」
 今の克哉はどちらかと言えば女の子と言ったほうが正しいのだが、雄高はそんなことを気にせずに自己主張をしている。
(雄高君の言うように、ひとりエッチをしちゃえば良かったのに。行動や思考に禁止規定を設けるのは結晶化への第一歩になっちゃったりもするんだから、遠慮せずにしちゃえばいいのよ。ホント、気持ちいいわよ〜♪)
 克哉の頭の中で響く奈里佳の声が、克哉を誘惑する。
(奈里佳が頭の中にいる状態で、そんなこと出来るわけないって言ってるでしょッ!)
 反論する克哉。しかし奈里佳はイメージの中でにやりと笑った。
(へぇ〜♪ 私がいなければやっちゃっていたんだ♪)
 奈里佳の言葉によって図星を突かれたのか、克哉は独り百面相状態である。
「どしたの? どこか具合でも悪いの? ……あッ! もしかして生理!?」
 克哉の独り百面相を見た雄高は、最初は不審に思い、そしてしばらく考え込んだ末に、驚いたッ! という感情もあらわに大きく叫んだのだった。
「ちっが〜うッ! もう、雄高のバカッ!」
 なんだかバカと言うその口調も可愛いなあと、言われたほうの雄高はそう思っていたりする。幸せな人生を送ることが出来る性格のようだ。まあ、克哉の口調はホントに可愛かったりするのも事実だったのだが。
「う〜ん、もったいない。でも、まあ今日の健康診断でそういう検査もやるんだろ?」
 一転してまじめになる雄高。つられて克哉の口調もトーンダウンする。
「まさか学校の健康診断でそんなことまではしないでしょ。もう、雄高ったら脅かすんだら……」
 アハハと乾いた笑いで応じる克哉。
「ま、そんなこともあるかもしれないってことさ。でもいいよなあ。女の子の快感ってすごいらしいから、今晩にでもやってみるといいんじゃないか?」
 雄高君、思春期の青少年を通り越して一気に親父に突入状態かもしれません。
「うん、分かったよ。でも、ホントに今日の健康診断ってどんなことをやるのかな……」
 雄高にある程度譲歩しないとこの場はおさまりそうになかったのでそう言った克哉だったが、何故かその脳裏には、昨日、診断だと言いながら克哉の女の子なアソコを触診(?)しまくっていた真美先生の顔が浮かぶのだった。
(まさかね……。だって今日は病院から看護婦さんも来ているっていうし、大丈夫だよね)
 克哉は大丈夫だと思い込もうとしたのだが、逆に不安はふくらむのだった。はてさて……。

「はい、じゃあまずはこれで尿検査をしてきてください」
 克哉のクラスに健康診断の順番がやってきた。まずは男子生徒の全員が保健室の前に並ぶ。そしてそこで待っていたのは、中津木総合病院から派遣されてきた看護婦、遠子のこの言葉だった。
「細長い紙の半分に薬品が塗ってありますから、その部分に尿をかけてください」
 尿検査用紙を手に持ち、説明する遠子。
「すいませ〜ん。失敗するといけないので、余分に2〜3枚もらってもいいですか?」
 手を上げて質問したのは、堀田修司である。
「ええと、それは良いですけど、この部分に尿をかければ良いだけですから、失敗することなんかありませんよ」
 いままでこのような質問を受けたことは無かったのであろう。遠子は修司の質問の意味をはかりかねている。
「いえ、ですからアソコが女の子の状態で尿検査をするのは初めてだから、うまくかけられないこともあるんじゃないかと思うんですよ。つまり狙いが外れてうまくかからなかったらいけないので、やり直し用に2〜3枚予備が欲しいんですけど」
 当然でしょ? という態度で、いたってまじめに答える修司。とても前回と前々回の変身に伴い、『魔法少女やお嫁さんになりたかったんだよ〜』と、叫んでいた人間と同一人物とは思えない。
「う〜ん、おちんちんなんかなくても尿検査は問題なく出来ますから安心してください。でもまあ、どうしても心配なら余分に検査用紙をあげますけど、あんまり意味はないですよ」
 元々から女である遠子には、変身現象によりアソコだけ女の子になった男の子の気持ちを想像するのは難しい。多分難しい。もしかしなくてもきっと難しいんじゃないかな?
「あのさ、堀田君。実際に失敗するかしないかはおいといて、もしも失敗しちゃったとしてもすぐにやり直すことは出来ないと思うんだけど」
 修司と遠子のやりとりを、やはりアソコが女の子になっているという同じ立場ゆえに興味深く聞いていた克哉は、やんわりと修司に話しかけた。
「どうして?」
 分かっていない修司。まあ、分かっていたのなら今のような質問は出ないはずなので当然と言えば当然な反応である。
「だって、失敗するってことはおしこを出し切っちゃうってことだよね。やり直そうとしても、そんな状態じゃもうおしっこなんか出てこないよ」
 克哉としては、なるべく修司を傷つけないように事実のみを話す。
(バカよね)
 克哉にしか聞こえない声で、奈里佳がぼそりとつぶやく。まあ、克哉としても異論は無い。
(アソコが女の子になって、気が動転しているんだよ。きっと……)
 自分でもまったく信じていないことを理由にして、奈里佳に対して修司の弁護をする克哉。口調が棒読みであるのが御愛嬌(?)である。
「あぁッ! そうかッ!!」
 あからさまにショックを受ける修司。ホントにバカだったらしい。まったく気がついていなかったのは明白である。修司は一言叫んだまま口を大きく開けて手をだらんと垂らし、そのままの姿勢で固まっている。
「何を騒いでいるのかと思えば、そんなくだらないことでうるさくしないで欲しいわね」
 カーテンで仕切られた保健室の一角から顔を出して話しかけてきたのは、保健室の主、真美先生である。
「そんなくだらないことって、僕にとっては大問題ですよ」
 恥ずかしいところを見られてしまったので、自己正当化の為に強気な姿勢をとる修司。顔を赤くしているのとはうらはらに、胸をそらせて大いばりである。
「世の中の女性はおちんちんなんかなくてもちゃんとおしっこをしているし、尿検査も問題なくしているんだから、あなたに出来ないはずはないでしょ?」
 いちいち相手にしていられませんと、ちょっと強気な真美先生。その真美先生に対して言い返そうと修司が大きく息を吸い込んだ時、またしてもカーテンの向こうからのぞく顔が現われた。
「あの、もしかするとこのタイプの尿検査は、和式よりも洋式トイレのほうがやりやすいかもしれませんよ。どうしても不安だったら、洋式のトイレを使ってみたらどうですか?」
 何故か焦っているような雰囲気を漂わせ、両手をせわしなく動かしながらそう提案したのは美根子だった。
「まあ、そのほうが確かにしやすいかもしれないわね。職員用のトイレには1つだけ洋式のトイレがあるから、そこでしたらいいわ」
 すぐさま美根子の提案に賛成したのは、真美先生である。そのまま修司に向き直ると笑顔で促した。
「じゃあ、そうします。矢島も行こうか?」
 素直に返事をすると、修司は克哉を誘いながら保健室を出て行こうとする。
「え、ああ、そうだね。行こうか……」
 克哉も、どうせなら和式よりも洋式の方が良いかなと思っていたので異存はない。
「あ、ちょっと待って」
 真美先生は2人を呼び止める。ドアに手をかける直前だった修司はその場に立ち止まったが、すぐに止まれなかった克哉は、先を歩いていた修司の背中にぶつかって鼻を打ってしまった。両手で鼻を押さえる仕草が可愛いかもしれない。
(克哉ちゃんったら、どんくさ〜♪)
 ちゃかす奈里佳。克哉自身も、今の自分をどんくさいと思ってしまったので、言い返すにも言い返せない。
「何かまだあるんですか?」
 小さくゴメンと克哉に謝りつつ、修司は真美先生に質問する。
「ねえ、美根子。悪いんだけど、この2人に付いていってくれない?」
 修司の質問には答えず、美根子に対して手を合わせてお願いする真美先生。右目で軽くウィンクをしているその顔はちょっと笑っているようにも見える。
「付いてって……」
 とっさにどう答えるべきか分からなくなった美根子。頭の中が白くなったらしい。
「だから、こういう時の為に病院から派遣されて来たんでしょ? 美根子はさ」
 笑顔の真美先生。それを聞いていた克哉と修司はわけが分からなくて顔を見合わせるだけだったが、美根子はハッとしたような顔つきになると、美根子なりに真剣な顔をして身体を緊張に包んだのだった。
「そ、そうね。がんばらなくっちゃ!」
 何をどうがんばるつもりなのか知らないが、美根子はその決意を口にした。その拍子に美根子の自己主張の激しい胸がブルンと揺れたのだが、それを見た真美先生はちょっと顔を引きつらせ、克哉と修司は顔を緩めたのだった。
(は〜、大きな胸よねえ。うらやましい? 克哉ちゃん)
 奈里佳が見ている視界は、当然に克哉が見ている視界そのものなので、誰の胸がどう大きいということを説明する必要はない。
(うらやましいなんて思ってないよ。もう、奈里佳は何を言ってるのさッ!)
 見ていたことを知られている恥ずかしさを隠す為に、克哉はちょっと怒ったような言い方をした。
(ま、私たちの胸は成長期なんだから、あんなおばさんには負けないから安心しなさいってことね)
 何故か得意そうにそう言うと、奈里佳は克哉の頭の中に、奈里佳の胸が大きく成長した未来予想図のイメージを投影する。そのイメージ映像の信憑性はどうなっているのかは分からないが。
(おばさんっていうのは失礼だよ。せいぜいお姉さんって言ったほうが……)
 なんだか本質とは完全にずれたところで奈里佳に反論する克哉。
「じゃあ、私、行ってきます。あ、遠子ちゃん、あとよろしくね。私、この2人の面倒を見る為に、ちょっとトイレまで行ってくるから。さ、あなた達、行きましょうッ!」
 そして遠子は真美先生と遠子にそう言い残すと、半ばあっけにとられている克哉と修司の手を引きながら保健室の外へと歩いて行った。残された他の男子生徒達はその様子を見ているだけだったが、そこに遠子から声がかけられる。
「さ、じゃあ、皆さんもこの検査用紙を持ってトイレに行って来てくださいね」
 改めて尿検査の案内をする遠子に促されて、部分的に女の子になっている男子生徒達がぞろぞろと保健室に最も近いトイレへと移動し始めた。

「あの〜、看護婦さん?」
 その頃、美根子に手を引かれて校舎の中を移動していた克哉は、遠慮がちに空いているほうの手を小さく上げると、美根子に話しかけていた。
「なに? ええと……」
 美根子は歩き続けたまま後ろを振り返らずに克哉に返事をしようとしたが、自分が手を引いている2人の男子(?)生徒の名前を知らないことに気づいたのだった。
「矢島です。矢島克哉(やじま・かつなり)です」
 一応、自己紹介をする克哉。律儀である。
「ああ、ごめんなさい。私は津谷美根子(つや・みねこ)よ。よろしくね。それで何だったのかしら? 矢島君」
 軽く一度後ろを振り返り、克哉の顔を見てそう言った美根子だったが、そのまま前に向き直る。ずんずんと歩くそのスピードは弱まることがない。
「職員用のトイレ、通りすぎちゃいましたけど」
 後ろの方を振り返り、美根子に正面玄関入り口近くにあるトイレを指し示す克哉。
「え、そうなの?」
 それを聞いて急に立ち止まる美根子。何だか予測出来ない動きをするのが得意なようだ。
「わッ!」
 そして案の定、美根子にぶつかりそうになる克哉。何とかあやういところで衝突を回避したのだが、もつれた足が怪しげなステップを踏むことになった。もちろんその事情は修司も同じである。
「とととッ!」
「きゃっ、危ない」
 修司は、克哉に比べるとやや落ち着いた動きの小さなステップを踏んだだけだったが、両手に克哉と修司をつないだままの美根子は、バランスを崩しかけた2人に左右から両手を引っ張られて転びそうになってしまった。やはり身体の重心が高いのであろうか?
「ああ、びっくりした」
 ようやく2人の手を離した美根子は、どきどきとする胸を押さえながら、克哉のほうを向いた。
「びっくりしたのはこっちですよ。職員用のトイレはあそこです。あ、ちなみに僕は堀田修司(ほった・しゅうじ)です。看護婦さん」
 克哉に続いて修司も正面玄関に近いトイレを指さす。
「え、でも、あれって『来客用』って書いてありますよ」
 トイレの入り口の上に飛び出しているプレートの文字を読む美根子。確かにそのトイレには来客用と書いてある。
「それがうちの学校では職員用トイレってことなんです」
 したり顔で説明する修司。そしてその横では克哉も修司の言葉を肯定するかのようにうなずいている。
「あら、そうだったの。私は職員用のトイレはてっきり職員室の横にあるものだとばっかり思っていたわ」
 舌を小さく出し、右手で自分の頭を軽く叩いて照れて見せる美根子。顔が赤い。
「けっこう間違える人って多いんですよ」
 気にすることないですよと、慰める克哉。その言葉を聞いて、美根子は気を取り直した。
「なるほど、この学校じゃそうなっているのね。なるほど、なるほど。……じゃあ、それはそれとして行きましょうか。ええと、矢島君に堀田君、ついて来て下さい」
 この仕事をやり遂げるという使命感に燃えた美根子は、2人の返事を聞かずにさっさと歩いてトイレの中に入ってしまった。……来客用の女子トイレに。
「ちょっ、ちょっと看護婦さん! そこは女子用ですよ!! 良いんですか?」
 美根子が何のためらいもなく2人を女子用トイレに誘うのを見て、修司が慌てて声をあげた。しかしなぜかその声は嬉しそうだ。
「え? 何かまずいことでもあるの?」
 修司が何を問題としているのか良く理解出来ていない美根子であった。
「いや、別に……。ただ僕のアソコは女の子になっていますけど、外見は男のまんまの僕たちが女子トイレに素直に入って行っても良いんですか? まあ、看護婦さんが良いと言うのなら文句は無いんですけどね」
 自分が着ている詰め襟の黒い学生服をしめしながら、遠子に説明する修司。顔がにやけているのがなにかおかしい。
「ええ、高谷先生からは、『アソコが女性化している男子生徒には職員用の女子トイレの使用許可を出しているから』って聞いていますし、何も問題があるとは思えませんが?」
 女子トイレの入り口に立ったまま、美根子はわずかに首をかしげる。
「堀田君、もしかして昨日も今日も職員用の女子トイレを使って無かったの?」
 真美先生に言われるまま素直に職員用の女子トイレを使っていた克哉は、逆の意味で驚いた。
「いや、俺もここの女子トイレを使いたかったんだけど、入ろうとしたら何だか周りの女の先生達に白い目で見られてさ、それでも入ろうとしたら、『真美先生から聞いているけど、あなたの場合は男子用に行ってちょうだい』って言われたから、結局職員用でも男子用のトイレを使ってたんだよ」
 そう不満を漏らすと、修司は制服のポケットから小さなデジタルカメラを取り出した。
「せっかくだから女子トイレの様子をしっかりとこのカメラに収めたかっただけなのにさ」
 そして修司はカメラを構えてそのレンズを克哉に向け、パシャリとシャッターを切ったのだった。
(ホント、バカだわ。こいつ。でも、これぐらい自分の想いを素直に実行する行動力があるなら、この子が結晶化するなんてことはありえなさそうね)
 奈里佳は、あきれつつ感心した。
「もしかしてカメラを手に持ったまま、女子トイレに入ろうとしたの?」
 克哉は、聞かなくても分かる答えを聞く為に質問した。お疲れさまなことである。
「もちろんッ! 未知な場所に行く時にカメラは手放せないでしょう?」
 当然のように答える修司。
「そんなの持ってちゃ、いくら職員用でも女子トイレには入れてくれないと思うよ」
(私もそう思う)
 克哉が修司にそう言うと同時に、奈里佳もそれに同意する。まったくその通りである。
「真実を撮影しているだけなのに理不尽だ」
 何がいけないのか分かっていない修司であった。
「あの〜、そろそろ検尿……」
 女子トイレの入り口に立ったままの美根子が、困ったような声を出す。
「あ、はいはい、今行きます!」
 美根子に呼ばれて、克哉はあわてて職員用の女子トイレに駆け込んだ。それを追いかけるようにして、修司も女子トイレの中に入っていく。
「おおッ! これが女子トイレかッ!!」
 ピンク色のタイルがふんだんに使われた男子禁制の部屋に立った修司は、感激の声を上げてまわりを見渡すと、遠慮なくデジカメのシャッターを切り始めた。
「やめなよ。誰も入ってないけど、女子トイレで写真はまずいよ」
 克哉は修司の学生服の袖を引っ張る。
「そんなこと言ってもだな、珍しいんだからしょうがないだろ? それとも矢島は珍しくないのか?」
 カメラを覗きこんだまま、克哉に反論する修司。さすがと言えばさすがであるが、……誰も入っていない女子トイレって、そんなにも珍しいか?
「珍しくは……、ないよ。だって昨日からここに入ってるし」
 ちょっと恥ずかしそうに答える克哉。
「えッ!? 追い出されなかったのか?」
 ようやくカメラから目を離して克哉に向かって振り向いた修司の顔は、本当に驚いていた。
「追い出されたよ……。男子トイレから。やっぱり職員用とは言っても女子トイレに入るのは恥ずかしいから、昨日は職員用の男子トイレで用を足したんだよ。そうしたら外にいた男の先生に、『音がちょっとまずいから、君は女子トイレでしなさい』って、言われたんだもん」
 克哉はほほを軽く朱に染めて修司に事情を説明した。
(あはははは、大きかったものね。克哉ちゃんの音♪)
 すかさず茶々を入れる奈里佳。やはり大きな音とは、あの音のことなんだろうか?
「ずるいなあ、音がするのは俺も同じなのに。やっぱり矢島は元々女の子みたいに可愛いからだろうな」
 修司の言葉に、更にほほを赤くする克哉だった。
「あの〜、だから検尿を早く始めたいんですけど……」
 克哉と修司のやりとりのどこに口を挟んで良いのか分からなかったのか、美根子はおずおずと、何故か手を上げながら発言した。
「はい、分かりましたッ! いよいよ女子トイレ初体験っスねッ!!」
 グッと、こぶしを握りしめ、不必要なまでに力を入れる修司。女子トイレにかけるそのような情熱こそが、アソコが女の子になっているにも関わらず女子トイレから追いだされる原因となっていることに気がついていないらしい。
「あ、ハイッ! すみませんッ!!」
 一方の克哉はというと、電気に打たれたかのように軽く飛び上がってからペコリと頭を下げている。
「ああ、良かった。やっと検尿が出来る……。で、どちらから先にしますか?」
 美根子は、ほっとため息をつくと、1つしかない洋式のトイレを前にして、克哉と修司の2人に問いかけた。
「ハイ、看護婦さん、僕から行きます」
 克哉が返事をするよりも早く、修司は『ハイハイハイ』と、手をあげる。
「ええ、私としてはどちらが先でもいいですから、早くしましょう」
 安堵と緊張が混じった様子の美根子は洋式トイレのドアを開け、手で支えてドアが閉まらないように押さえている。
「それじゃ早速……。ととっ、忘れるところだった」
 個室の中に入りかけた修司だったが、途中でくるりと身体の向きを変えて、出てきてしまった。
「じゃ、矢島。これお願いな♪」
 明るい声と共に、修司は克哉にデジカメを手渡した。
「え? 何これ?」
 いきなりなんの説明もなくデジカメを手渡されて戸惑う克哉。デジカメと修司の顔を交互に見ている。
「何って、デジカメだけど。電源を入れてシャッターを押せば、デジタル写真が撮れるという……」
 至極真面目な顔をして、デジカメとは何ぞやということを説明し始める修司。その顔は真剣だ。
「いや、だからそうじゃなくて、なんで僕が堀田君のデジカメを受け取らなくちゃいけないのかということなんだけど……」
 渡されたデジカメを修司に返そうとするかのように前に差し出す克哉。その顔と態度からは修司の意図を的確に見ぬいていることが見てとれる。
(やっぱ写して欲しいんじゃないの? まあ変態な発想だけど、特に誰にも迷惑をかけてるわけじゃないし、いいんじゃない。写してあげれば)
 奈里佳は奈里佳で、面白そうな展開になるのだったらなんでもありという考えらしい。
(写してあげればいいって、いったいどこを写すことになると思っているの?)
 まあ、確かに本来は男子生徒であるにも関わらず、アソコだけ女の子になっている修司の検尿しているところを写真に撮るだなんてしたら、変態さんの仲間入り間違いなしである。克哉がちゅうちょするのも無理はない。
(まっ♪ 分かってるくせに。克哉ちゃんったらエッチなんだからぁ〜)
 答えになっていないような、なっているような返事をする奈里佳。それに対して克哉は何かを言いたかったが、口では勝てそうになかったのでとりあえず奈里佳のその発言を無視することにした。ちなみに克哉が奈里佳に勝てないのは口だけではないことは言うまでもない。
「もちろん、このデジカメで俺が女の子なアソコで検尿しているシーンを撮って欲しいに決まってるじゃないか。それとも矢島、おまえのを撮らせてくれるのか?」
 修司は、『本当のところはそのほうが良いんだけど』と考えながら克哉が返そうとするデジカメを右手で押し返した。
「撮るのも撮られるのも遠慮したいんだけど……」
 洋式トイレの個室前での静かな攻防であった。
「あの、さすがにそういうシーンを写真に撮るのはまずいと思うんですけど……。やめましょうよ。そういうのは」
 看護婦というか、生まれながらの女性として、女性のたしなみというか常識というか、とにかく美根子は2人の男子生徒(?)がおかしな方向に足を踏み出しかけているのを見て、慌ててそう言うのだった。がんばれ、美根子ッ! がんばりきれないのは目に見えているけど。
「でも看護婦さん。例えば今の僕が手鏡でアソコを映しながら検尿しても別にまずくはないでしょ? デジカメで撮るのも同じことですよ。デジカメですから別に現像する為に誰かに見せなくちゃならないわけでもないですし、問題ないんじゃないですか?」
 女子トイレの中でいったい何を大真面目に会話しているんだと、美根子は修司の主張を聞いて頭が痛くなるような気がしてきたが、それをなんとか職業意識で押さえこむことにした。
「鏡とデジカメは違うんじゃないでしょうか?」
 援軍を求めるように、克哉のほうを向いて同意を求める美根子。顔は困りきっている。
「そうですよね。鏡はその場限りですけど、デジカメは後に記録が残っちゃいますもんね。やっぱりまずいですよ」
 美根子に同調する返事をする克哉は、ここで修司のそのシーンをデジカメで撮るようなことになれば、次は自分の番だと警戒しているのだった。まあ、結果はともかく流れとしてはそうなることは間違いないところだろう。
「じゃあ、いいです。デジカメで撮るのはあきらめますから、看護婦さん、検尿のほうを手伝ってください」
 もっと反発するかと思われたのに、修司の返事はやけに素直だった。思わず顔を見合わせる克哉と美根子。この2人、もしかすると似ているのかもしれない。
(何かたくらんでいそう。この子、なかなか良いわね。気に入ったわ)
 奈里佳は奈里佳で、修司のことを誉めている。
「手伝うって、検尿をですか?」
 話の流れに必死で付いて行こうとする美根子だったが、修司が何を考えているのかもうわけが分からなくなってきていた。そして克哉はというと……、既に傍観者モードに入りつつあった。
「そうですよ。そのためにここに来たんでしょ?」
 当然と言わんばかりの修司の口調。鼻息が吹き出している。
「ええ、そう言えばそうでしたね。分かりました。でも手伝うって何をして欲しいんですか?」
 デジカメで検尿シーンの瞬間の写真を撮ってくれという要求に応える訳にはいかないが、検尿そのものを手伝ってくれということなら、看護婦としての自分の仕事の範疇(はんちゅう)ということであるから、美根子としても断るこはできない。 いぶかしむ気持ちも無いでは無かったが、美根子は修司の要求を受け入れる決意をした。
「だから検尿の検査用紙を看護婦さんが持っててください。僕がおしっこをしますからそれに合わせて検査用紙の位置を調整してくれれば良いんですよ」
 排尿するところを他人に見られることについては、なんの羞恥心も感じていないらしい。さすがというべきか、それともやっぱりというべきか。
「やっぱり自分だけでは出来ませんか?」
 念のために聞いてみる美根子。
「初めてですからね。やっぱり手伝ってください」
 そう言うと修司は美根子の返事も待たずにズボンのベルトを外し、まずはズボンのみを下に降ろしたのだった。
「えッ!?」
 ズボンの下から現われた下着を見て、美根子は小さく声をあげた。その声を聞いてそれまで視線をそらせていた克哉も、つい反射的にそれを見てしまった。
「それ、女の子用のショーツなんじゃ……」
 修司と克哉のアソコが女の子に変身しているということを知ってはいた美根子だったが、実際に詰め襟の学生服を着ている修司が女性用のショーツをはいているのを見ると、美根子は激しく違和感を覚えるのだった。
「ええ、そうですよ。だってしょうがないじゃないじゃないですか。実際に僕たちのアソコは女の子になっちゃってるんだし」
 現状を素直に受け入れている(?)修司は、ズボンを降ろしたショーツむき出しの下半身を美根子と克哉にさらしている。確かになにもない股間にはショーツがよく似合うのかもしれないが、よくよく注意をして見てみると、お尻の肉付きが貧弱でちょっとバランスが悪いと感じなくもない。簡単に言えば確かに股間には何もないのだが、全体の形は男の子のお尻という感じであろうか。
 まあ、そういうお尻に愛を感じる人もいるのは確かだけど……。
「そうか。そうでしたよね。聞いてはいましたけど、聞くと見るとじゃ大違いですよね。……ん? あの、これってもしかすると生理用のショーツなんじゃないですか?」
 修司がはいているショーツの種類に気がついた美根子は、修司の股間を指で指しながら固まってしまった。体中がギギギと音を立てているようだ。
「そうなんですよ。昨日に比べたらちょっとは楽になってきたんですけど、やっぱり大変ですよね。女の子が体育を見学するわけが分かっちゃいましたよ。あ、そうそう、ついでに取り替えなくちゃね」
 固まっている美根子の視線を気にするどころかむしろわざと見せているのではないかという感じの勢いで、修司は生理用のショーツを下に降ろした。そして更に固まる美根子。
「あ、ははは……、そ、そうなんですか。じゃ、ま、まずはそちらのほうから片づけ……、片づけましょうね。あ、ははは」
 そして動き出したと思ったら、やはりちょっと壊れてしまっているようだ。しかしまがりなりにも一応はさすがにプロの看護婦さんッ! 美根子は修司をトイレに座らせると、潮のにおいがする液体を吸って塗れているナプキンを手際よくショーツからはがして汚物入れに放り込むのだった。なんというか、別にそこまでしてあげなくても良いのだが、何となく成り行きに流されている美根子だった。
 さて、そんな2人から距離を置いている……。とは言ってもせいぜい1メートル半程度しか離れていない場所に立っている克哉は、修司が入っている洋式トイレに背を向けていた。なぜって、背を向けていないと見えちゃうからだ♪
(克哉ちゃんもこのままアソコが女の子のままだったら、あと2週間もすれば修司君みたいに生理になっちゃうわね。良い機会だからじっくりと見学すれば良いのに)
 くすくすと笑いながら奈里佳が克哉に話しかける。
(冗談ッ! そうなる前に僕は男に戻るから関係ないのッ!)
 声には出さないが、顔を真っ赤にして反論する。
(戻れるならね♪)
 奈里佳の答えは明るくそして短かかったが、克哉の背中に冷や汗を流させるには十分な何かを持っていた。
(え〜ッ! でも、今度僕が奈里佳に変身して魔法力を使い切っちゃったら、変身が完全に解けてアソコも女の子から男の子に戻れるんでしょ!?)
 前に聞いた話を思い出しながら、克哉は念を押すように確認をする。声を出さないで会話することに意識的な努力が必要な程度には興奮し、そしてさすが怒っているかもしれない克哉だった。
(変身して変心したら、きっと元に戻りたくなくなるわよ。そうなれば克哉ちゃんは自分の意思で普段の自分が女の子でいられるように魔法を使うかもしれないでしょ?)
 克哉には、奈里佳が笑みを浮かべている様子がありありと想像できた。そして背中に流れる冷や汗が更にその量を増していくのも分かってしまった。
(絶対、そんなことしないもん)
 自分でも自信がない口調だとは思う。しかし奈里佳に変身すると心までも奈里佳に変心してしまうということを2度も体験している克哉としては、『そうしない』と自信を持って断言することができないのだった。
(わかった、わかった。じゃあそういうことにしておいてあげましょうか♪ 現実はどうであれ、人間には夢を見る権利があるんだものね♪)
 今、克哉と会話している奈里佳という人格は、克哉という人格がそうなっていたかもしれない可能性であり、現在克哉として存在している人格とは別物に見えていながら本当は同一人格であるのだ。というわけで奈里佳はまったく根拠のないことを言っているわけではない。無論、克哉に対して強制しようだなんてことも考えてない。奈里佳は、克哉が奈里佳になったときには自分の考えと同じ行動をするだろうということを知っているだけなのだ。……なんかややこしいけど、そういうことだと思ってほしい。
(そう言えば話は変わるけど、今度僕が変身して僕自身が奈里佳になったら、今こうして僕と話をしている奈里佳はどうなっちゃうのかな?)
 ふと思った疑問だったが、考えてみるとどうなるのかとても興味が沸いてきた克哉だった。
(さあ、どうなるのかしらね? ……クルルちゃん、分かる?)
 どうやら奈里佳にも分からないらしい。奈里佳は常時自分たちの精神とリンクしているはずのクルルに質問した。
(……僕もこっちの世界に来るときに持っていた知識の大部分を失っていますからね。ちょっと分からないっていうのが本音ですね。まあ、変身してみれば分かるんじゃないですか?)
 何だかもう他人事のような感じでのんきに応えるクルル。まあ、他人事には違いないんだけど。
(ちょっと、クルルちゃんッ! 無責任なんじゃないの? その言い方って)
 更に抗議を続けようとする奈里佳だったが、その時、美根子の叫び声が響いたのだったッ!
「な、なんですか!? これは〜〜〜ッ!!!」
 その美根子の声に驚いた克哉は、あわてて身体をトイレのほうに向けると、美根子の後ろから個室の中をのぞき込んだ。
「えッ? え〜と、それは……」
 ここ数日ご無沙汰しているが、以前の自分のものとまったく同じ種類のモノがそこにあった。しかも礼儀正しく起立して。
「ふ〜む。どうやらこれはあれだな」
 落ち着いてはいるが、ちょっと残念そうな表情を見せながら、修司は正しく現状を認識したらしい。しかし女子トイレの個室に座り、アソコを起立させている男子学生というのは、何とも異常な光景である。警察に通報されても文句が言えないかもしれない。
「もうッ! いきなり変なことしないで下さい。慌てて検査用紙を落としちゃったじゃないですか。いったいなんのいたずらなんですか?」
 今ひとつ状況が分かっていない美根子は、修司の股間のそれをおもちゃかなにかだと思っているのか、そのまま修司の股間のそれをむんずと掴んでしまった。
「あれ? 取れない……」
 更に混乱しているのか、掴んだ手を離すことも忘れている美根子。
「まあ、普通は取れませんよね」
 行儀良くちゃんと立っているそれを、美根子に握られたままの修司。
「あの〜、看護婦さん。堀田君の変身が完全に解けて、ちゃんとした男の子に戻ったんだと思うんですけど?」
 ポンポンと、美根子の肩を軽く叩きながら克哉は美根子に話しかける。
「……え〜と、つまりこれは、おもちゃなんかじゃなくて本物?」
 それを握る手を開こうとするが、何故か意志に反して指が動かない。
「そうですね。触られている感覚ありますから」
 冷静な修司。しかしその冷静さが美根子の羞恥心を刺激する。看護婦という仕事柄、見慣れていないというわけではないのだが、さっきまで修司の股間は女の子だったのだ。心の準備が出来ていなかったものだから恥ずかしくなるのも無理はないと言える。
「ご、ごめんなさい。すみません、い、今、手を離しますからッ!」
 驚きが一段落したところで、美根子はようやく手を離すことに成功した。
「ねえ、堀田君。完全に元に戻ったの? どこか変なところは無い?」
 早くそれをしまって欲しいと思いつつ、克哉は修司に問いかける。
「う〜ん、完全に元に戻ったんじゃないかな。生理痛も消えているみたいだし……」
 下腹部を確かめるようになでながら答える修司の様子は、生理通から開放された安堵感とは別に、やはりどことなく残念だという気持ちがうかがえる。まったくもって変態さんとしか言いようがない。
(魔力の暴走をコントロールできるようになったのか、それとも残っていた魔力がなくなったのか、どっちにしてもそろそろ変身が解ける頃だったのね)
 奈里佳は、『私はすべてを分かっていたわよ』とでも言わんばかりの調子でコメントする。
(でもさ、そうすると部分変身している他のみんなも、そろそろ変身が解けだすってことでしょ? 僕だけがまだ変身しているってのは、ちょっとまずくない?)
 対する克哉は、おろおろと問いかける。その割には頭の回転は良いみたいだけど。
(おそらく個人差があるはずだと思いますから、まだ変身が解けていない人も大勢いるんじゃないしょうか? だから克哉君、そんなに心配することはありませんよ)
 そう答えたのはクルルである。たしかに克哉、つまり奈里佳は自分自身の魔力を完全にコントロールしているので、変身したり変身を解いたり、また今回のように部分的に変身をしたりするのは思いのままなのであるが、みんなの場合はそうではない。
(……だといいけど)
 クルルや奈里佳には振り回されっぱなしの克哉としては、いまいち素直に納得することはできない。もしかするとまだ部分変身をしているのは自分だけなのではないかという疑いの気持ちを捨てきれないでいた。
「え〜と、とりあえず良かったですね。元に戻って」
 それはともかく、気を取り直した美根子が修司のソレから微妙に顔を逸らしつつ、それでいてチラリチラリと視線を向けて、元の男の子に戻ったアソコを確認する。
「う〜ん、もう少し多くの写真を撮りたかったのに残念だな。結局はこれだけしか撮れなかった」
 修司はポケットからまたデジカメを取り出すと、すでに写してある画像を液晶に表示させた。……しかしそんなことをする前に、早く下半身を隠してほしいものである。
「見てみるか? 矢島」
 修司は、美根子の肩越しにのぞいていた克哉にデジカメを渡すと、そのまま立ち上がりパンツとズボンを引き上げた。その様子を見て、美根子も微妙に緊張を解く。やはりいくら看護婦とは言っても、男性のむき出しの股間を見てもなにも思わないということは無いようだ。美根子も年頃な女性には違いがないということか。
「……!?」
 一方、デジカメを渡された克哉は、その液晶画面に表示された画像を見て固まってしまった。なんとそこには、アップで撮影されたアレが写っていたのだった。それはもう色気をはるかに通り越してグロさだけが前面に出てしまうほどの大写しのアップ画像だった。
「堀田君、これ、ちょっとまずいんじゃない?」
 今の克哉はアソコが女の子になっているが、本来なら若き血潮がドクドクと身体の一部に集中して流れる中学2年生男子である。たとえエロスよりもグロが勝っているような画像にだって、興味が無いと言えば嘘になる。
(まったく純情ねえ、興味があるならじっくり見てみればいいじゃない。ま、あの修司君のだと思うと私としては見たくなくなるけどね)
 克哉の屈折した気持ちはお見通しの奈里佳がつっこむ。
「中学生がこんなもの見ちゃダメですよッ! ちょっと、貸して下さいッ!!」
 一方、液晶画面に何が写っているのかに気がついた美根子は、克哉の手からデジカメを奪おうと手を伸ばす。
「ダメですよ。これは僕のですッ!」
 奪われまいと修司もその手を伸ばし、美根子と修司の手は克哉が持つデジカメの上で格闘した。そして……。
「ちょっと、2人ともやめてよ……」
 もつれ合った手と手、そして克哉の手から離れたデジカメは美根子の大きな胸に当たりはじかれると、その落下軌道を変えて洋式便器の中心部へと入って行ってしまった。
 そしてポチャンという情けない水音が響くと同時に、あたりに散らばる水しぶき……。哀れ、修司のデジカメはその短い生涯を終えたのだった。


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第11章 健康に敏感♪ その2


(どうやら例の堀田修司だが、もとに戻ったらしいな)
 ユニ君の音のない声が夏美の頭の中に響く。
「えッ! ホントッ!!」
 思わず声を上げてしまう夏美。慌てて口を押さえてごまかそうとしたが、回りの様子を見る限り、その必要は無いようだった。
 一応健康診断を待っている間は自習ということになっているのだが、誰も自習なんかしていない。そして生徒がまじめに自習をしていない自習時間は、昔からうるさいものと相場が決まっている。というわけで、夏美の叫びを聞いた者はごく一部だけであったし、一瞬けげんそうに夏美の顔を見た女子生徒もいるにはいたが、ただそれだけだった。
 夏美もクラスメート達から、【いわゆるちょっとあぶないやつ】という評価を得ているらしく、ちょっと程度の奇行では不審を招かないようだ。
(修ちゃんがもとに戻ったって、それ、本当なの?)
 こんどは声を出さずにユニ君に問いかける夏美。なぜか意味もなくひそひそ話モードになっている。
(自分で確かめると良いだろう。校内各所に設置してある監視カメラからの映像と、校内放送用のスピーカーをマイク代わりにして拾った音声だ)
 ひとことそう言うと、ユニ君は例によって夏美の視界の一部にバーチャルな画像を浮かびあがらせた。しかもユニ君が言うように、そこには音声までもがついていた。マイクもスピーカーも機械の構造としては同じものだから、スピーカーをマイク代わりにして音を拾えるようにシステムをいじってあるということのようだ。

「ごめんなさい。ごめんなさい。本当にごめんなさい」
 修司に対して、看護婦(?)が謝っている様子が、夏美の視界の一部に映し出されている。職員用のトイレから保健室へと続く廊下のようだ。
「……高かったのに。これ」
 右手に持ったデジカメを胸の高さに掲げると、それを見ながら肩を落としている修司。

(どうやら水に浸かって壊れているようだな。あのデジタルカメラは)
 そうコメントすると、画像のデジカメ部分を拡大してみせるユニ君。細かな分析結果が重なって表示されるが、わけの分からない夏美にしてみたら、かえって邪魔なだけだ。

「でも、堀田君も悪いんだよ。あんな写真を撮っていたんだもん」
 看護婦と修司の後をついて歩いていた克哉の言葉が聞こえてきた。

(あんな写真って……。どんな写真なのかしら?)
 夏美は『ユニ君なら分かるでしょ?』と、暗にその写真を見たいと要求する。
(画像、そのものは残ってないが、会話をモニターしていたところによると、彼の局部が女性器に部分変身した際の、そのものの写真らしい。というわけなんだが、見たいかね?)
 あくまでもまじめに夏美に質問するユニ君。このあたりは機械知性特有の融通の効かなさだ。
(せっかくだけど、遠慮しておくわ)
 夏美は丁重にお断りをした。先日の経験からして、見ていて決して楽しいものでは無かったからだ。少なくともノーマルな性的趣味を持っている夏美にとっては。

「しょうがないか。後で、データだけでも引き上げることが出来たらいいんだけどな」
 修司は、まだうらめしそうに、トイレの便器の中の水に落ちてしまったデジカメを見る。
「それにしても、堀田君のアソコは元に戻って男の子になったのに、矢島君のアソコは女の子のままなんですね」
 どう修司に声をかけて良いか分からなくなった美根子は、笑顔を無理矢理浮かべながら、ぎこちない口調で質問した。
「個人差……、かな?」
 あはははは、と、笑ってごまかしながら、頭をかきつつ克哉は美根子に答えるが、説得力は無い。

(ホントだッ! 修ちゃん、元に戻ったんだッ!!)
 看護婦さんの発言を聞いて、夏美は顔がほころんで来るのを感じた。やはり恋人(?)のアソコが女の子のままでは、今すぐソレを使って何かをするわけでもないのに、なにか嫌ということなのだろう。
(画像では確認出来ていないから、完全ではないがな)
 夏美の喜びに水をさすつもりはまったくないのだが、ユニ君は結果的にそういうことをしてしまった。
(単にそう言っているだけってこと?)
 夏美がやや冷静さを取り戻す。
(可能性は否定出来ない。もう少し観察を続けてみるとしよう。本当のところが分かるかもしれない)
 ユニ君は夏美の視界に存在するバーチャルな画像をやや縮小させた。
(看護婦さんが、修ちゃんのアソコが元に戻って男の子になったと言うんなら間違い無いんじゃないの?)
 無意識のうちに机の上を指でトントンと叩く夏美。恋人(?)の修司の変身が完全に解けて元に戻ったことを喜ぶ気持ちと、それなのにユニ君が慎重な姿勢を崩さないことにちょっとイラついている気持ちが混ざっているようだ。
(彼が元に戻ったことを疑っているというわけではない。むしろ可能性としては、元に戻っている可能性のほうが高いと私も判断している。この場合、彼らが嘘をいう動機が無いからな)
 夏美のイラつきに気がついているのかいないのか、冷静な口調を崩さないユニ君。まあ、機械知性なんだからそれもしょうがないかもしれない。
(じゃあ、疑っているようなことなんか言わずに、最初からそう言えばいいのに)
 不満気な夏美。外から見ると、うれしそうな顔をしたかと思えば今度はむすっとした顔をする様子は、本当にちょっとあぶない人そのものである。
(そう言った不満は、私をプログラムした技術者に言ってくれ。それよりも、私が、『本当のところが分かるかもしれない』と言った真意は、前回の変身後、なぜ身体の一部のみ変身が解けなかったのか。それなのになぜ今になって変身が解けたのか。そしてあそこにいるもう1人の生徒、矢島克哉の部分変身はまだ解除されていないようだが、それはなぜなのか? そういったことが、もう少し観察を続けていれば分かるかもしれない。ひいては魔法少女♪奈里佳と戦うためのヒントが得られるかもしれないということなのだ)
 まったくもって冷静に自分の意見を述べるユニ君。この意見には夏美にも反論の余地は無い。
(なるほど、そういうことね。だったら、さっさと観察を続けましょう。ふふふふふ、情報収集が戦いの第一歩ッ! 見てらっしゃい奈里佳ッ! 今度は絶対に私が勝つッ!!)
 かろうじて口から言葉が出るのを飲み込んだ夏美だったが、右手を握りしめ、『ふふふふふ』と怪しげな笑いを漏らす夏美の回りには、なんとも近寄りがたい雰囲気が漂っている。夏美はこうしてまた一歩、変人への階段を上がったのだった。

「そういえば、部分的に女の子に変身していた他の人たちはどうなっているのかしらね? 堀田君のようにもう元にもどったのかしら? それとも矢島君のようにまだ変身したまま?」
 夏美に観察されているなんてことには当然ながらまったく気がついていないまま、克哉、修司、美根子の3人は廊下を歩いている。ちなみに克哉と修司は、色が変わった尿検査用紙を持っている。
「早い遅いはあっても、そろそろ順番に元に戻りだしているかもしれませんね」
 修司は、根拠もないまま適当なことを言う。
「矢島君は、どう? 元に戻るような感じはあるのかしら?」
 ま、その意見はそれとしてという感じで修司の意見をスルーすると、後ろを振り返りながら美根子は克哉に質問した。
「ええと……。無いみたいです」
 一応、考えたふりをした後で、克哉は小さな声で返事をした。
「うーん、やっぱり他の人の様子を見てみないと、矢島君の状態が普通なのかどうなのか分からないわね」
 至極まじめな顔つきをして考え込み出す美根子。集中しているのか、眉間にしわが寄ってきている。そしてそのとき……。
「あッ!」
「看護婦さんッ!」
 修司と克哉が警告しようとしたその時には既に遅く、美根子は何故か何もない廊下でつまずき、転んでしまった。つくづく転ぶのが好きな看護婦である。
「痛〜い」
 あまり痛そうには感じられないような口調の美根子。
「大丈夫ですか?」
 克哉は転んでいる美根子に手を伸ばす。
「ええ、大丈夫。いつものことだから。なんでか分からないんだけど、私って転びやすいの。いつもこれで失敗しちゃうし、ホント、自分でも自分が嫌になってくるわ」
 転んで尻餅をついたまま、美根子は自嘲気味にそう話す。
「転ぶくらいで、失敗しちゃうだとか、自分が嫌になるだなんて、おおげさじゃないですか?」
 修司が不思議そうに尋ねる。
「転ぶ時に、足下がおぼつかない患者さんを支えていたりしていなければね。……それで危うく患者さんを骨折させちゃうところだったし。あ、ありがとう」
 美根子は修司に対してそう答えると、今度は手を差し伸べてくれている克哉に礼を言った。
「いえ、どういたしまして」
 それに対して克哉は、さらに手を前に伸ばして美根子の手を取る。ふんわりとした手の感触に思わず克哉は顔を赤らめるが、それは一瞬のことだった。
(奈里佳ッ! これはッ!?)
 声を出さずにいることに努力が必要だった。柔らかな手の感触とは裏腹に、克哉が掴んだ美根子の手からは冷たい凍るような何とも言えない感覚がはい上がって来たのだ。
(直接身体に触れなければ分からない程度のまだ小さな芽のような状態だけど、この看護婦さん、結晶化しかけてるわね)
 奈里佳のいつになくまじめな声が、克哉の頭の中で響いた。
「よっこらしょっと。……あらやだ。まるでおばさんみたいなこと言っちゃった。」
 克哉の手を借りて立ちあがった美根子は、恥ずかしそうに笑う。
「いえ、そんなことないですよ」
 美根子は自分よりも10才は年上の大人である。克哉のような中学生の子供からすると、十分におばさんの範疇に入ると言えなくも無いのだが、そこはそれ、社交辞令を言うことが出来る程度には克哉も大人だった。
(やっぱりこの看護婦さん、結晶化しかけてるんだね。どうしよう奈里佳?)
 そして克哉は、苦笑い混じりの社交辞令で美根子に応えつつ、心の中の会話で奈里佳に質問する。
(どうって……。この状態ではまだ何も出来ないわよ。そうでしょ、クルルちゃん?)
 奈里佳は、自分達の状態をモニターしているはずのクルルに助けを求める。ただ、自分で説明をするのが面倒くさいだけであろうが。
(そうですね。克哉君が変身して身体のほうも奈里佳ちゃんになったとしたら何とか出来なくも無いですが、現状ではとりあえず要注意人物として見守るしか出来ませんね。遠隔地からでもモニター出来るように、その看護婦さんの精神とリンクしておくというのが今とれる最善の方法でしょう)
 良く言えば常に会話をモニターして手助けが必要なら助言を加える。悪く言えば常に盗み聞きをしていて自分の得意な話題になればしゃしゃり出る。というわけで完全なる状況把握のもと、克哉と奈里佳の会話に割って入ってきたクルルだった。
(見てるだけって、それだけで大丈夫なの? もしも急に結晶化が始まったら……)
 言葉を濁す克哉。その脳裏には数日前に夢で見た崩壊のビジョンが再生されていた。
「ちょっと、矢島君ッ! 急にどうしちゃったのッ!?」
 美根子は、転んだ自分に手をさしのべて起こしてくれたた克哉が、目の前で急に黙りこんでしまったのをしばらく不審そうに見ていた。しかし克哉が、突然小刻みに震えだしたかと思うと顔は青ざめ、冷や汗まで流しだしたのを目にして、あたりをはばからずに大声を出したのだった。
「え……」
 再生された崩壊のビジョンに精神の平衡を奪われた克哉は、気の抜けた返事をするばかりである。
「とりあえず、早く保健室に戻りましょうッ!」
 自分よりやや低い位置にある克哉の両肩を正面から掴んで、美根子は克哉の焦点が定まっていないその目を見ながらそう言い聞かせると、今度は修司の方に叫ぶのだった。
「手伝って下さいッ!」
 その美根子の剣幕に押された修司は何も言わずに克哉を脇から支えた。
「行きますッ!」
 その姿は、ドジな看護婦さんの姿には見えなかった。修司は軽くうなずくと、美根子と2人で克哉を保健室へと運び、その扉をくぐった。するとそこに待っていたのは、検尿の結果をカルテに記入している遠子だった。
「先輩ッ! どうしたんですかッ!?」
 美根子と修司が誰がどう見ても具合の悪そうな克哉を両脇から抱えながら保健室に入ってきたのを見てとると、遠子は驚きの声をあげた。
「この子の具合が急に悪くなっちゃったの」
 美根子は検査を受ける男子生徒をかき分けつつ遠子に答えると、克哉を保健室に置かれている3台のベットに連れて行くのだった。
「美根子、とりあえずここに寝せて」
 真美先生がベットの周りに張られたカーテンを開ける。
「おい、矢島、大丈夫か?」
 生徒の群れのなかから心配そうな声が口々に発せられるが、克哉はそれに応えない。美根子と修司、そして真美先生に抱えられながら、克哉はベットに横たえられた。
「熱は無いようね。というか逆に体温が低下しているみたいだけど……。ねえ、いったい何があったの?」
 克哉のおでこに右手をのせてアバウトに熱を計ると、真美先生は事情を知っているだろう美根子に質問する。
「それが分からないの。私が廊下で転んで、この子に手を引かれて立ち上がったと思ったら、こうなっていたのよ」
 まったくもって分からないと、ベットに寝かされた克哉とその周りに集まってきた男子生徒達の顔を順番に見ながら首をかしげる美根子。
「それだけですか……。何かそうなる直前に変わったことはなかったんですか? 先輩」
 そう言いながら、遠子は克哉の身体に毛布を1枚、2枚とかけていく。
「いえ、とくに変わったことは……」
 看護婦にあるまじきことだが克哉の容態を心配するあまり、美根子は気が動転して何も思い出せないようだ。
「そう言えばそのちょっと前に、女の子になっていた僕のアソコが一瞬のうちに元にもどったんですけど……、直接は関係無いですよね?」
 自信無さそうに中途半端に手を上げて真美先生に答える修司。その瞬間、真美先生の顔つきが保健室の養護教諭とは思えないほど厳しく変わったッ!
「なんですってッ!? ちょっと見せてみなさいッ!!」 
 そのまま真美先生は本人の返事も聞かずに修司のズボンのウェスト部分を左手でつかんでぐいッと引っ張っると、今度はそこに出来た隙間からパンツの中に右手を突っ込む。
「うわッ! 先生、何するんですかッ!?」
 当然と言えば当然だが、抵抗しようとする修司。しかしさっきまでの美根子に対する態度と全然違うのはどうしてだろう。やはり、いきなり突然にという点がポイントなのだろうか?
「元に戻ったという話が本当かどうか確かめないと、話にならないでしょッ! ……なるほど。ちゃんと付いてるようね」
 ひとしきりムニュムニュと復活した修司のアソコを触り、その確かな存在を確認した真美先生は、ようやく修司のパンツの中から手を引きだした。
「真美ちゃん……」
 それを見ていた美根子は、そこまでやっても良いのか? という戸惑いを隠せない。病院勤務で患者さんの意志を尊重しなければいけない職場環境と、保健室の養護教諭という、ある意味自分の方が立場が強い教育の現場という職場環境の差であろうか。真美先生は美根子の心配をよそに堂々とした態度で消毒薬を使って手を洗っている。
「堀田君は、ちゃんと元の状態に戻ってるようね。変身が完全に解けたと見て間違いないわ」
 美根子の消極的な非難を完全に無視して、真美先生は独り言のようにつぶやきながら、克哉の上にかけられた毛布の中に手を入れる。続けてズボンの上から克哉の股間を触ってそこがまだ女の子のままであることを確認する。
「でも、同じようにアソコが女の子になっていた矢島君は元に戻る様子は無くて、なおかつ体調を崩している。どうしてなのかしら?」
 そのまましばらく動きが止まる真美先生。美根子、遠子、修司の3人も黙ってその様子を見ている。しかしその時間もわずか数秒のことだった。
「……美根子ちゃん、遠子ちゃん。変身現象の後遺症が残っている男子生徒達を徹底的に検査するわよ。みんなの現状を把握しなくっちゃッ!」
 真美先生のその剣幕に、ようやく自分が本来ここで何をしなければならないかを思い出した美根子は、それまでのおろおろとしていた気持ちを引き締めた。
「遠子ちゃん、行くわよ」
「はい、先輩」
 美根子と遠子はお互いに顔を合わせてうなづいた。
「じゃあ、矢島君はしばらくここで寝ていてもらうとして……。さあ、あなたももう一度詳しく検査よ」
 そして真美先生に引っ張っぱられるようにして修司もその場を去り、カーテンで仕切られた区画のベットの上には、克哉だけが取り残された。

(……ようやく静かになったわね。どう、克哉ちゃん、まだ気分は悪い?)
 ベッドに横たわる克哉の頭の中に、奈里佳の声が響く。克哉の体調を心配しているのか、その音の無い声はいつもに比べてかなり小さい。
(あ、奈里佳。大丈夫……、と言いたいけど、ちょっとまだダメ。まだ崩壊のビジョンが消えなくて……)
 克哉の弱々しい返事が奈里佳に返る。
(克哉君の潜在的な魔法力が強いのは良いんですが、正比例して感受性も強いというか、強すぎるのが問題ですね。完全に変身して身も心も奈里佳ちゃんになってしまえば問題無くなるんですけど)
 クルルも離れた場所から会話に参加してくる。
(あッ! それって、私のことを感受性が無いってバカにしてない?)
 奈里佳がすかさず抗議する。その反応性の良さは、ある意味十分に感受性が高いかもしれない。
(奈里佳ちゃんの感受性が無いだなんて言ってませんよ。奈里佳ちゃんに変身した後の克哉君は、自分の魔力を完全にコントロールすることが出来るってことです)
 その場に居ないにも関わらず、『チッチッチッ』と顔の前で指を振っているような気がして、克哉はちょっとおかしくなった。
(クルル、僕が奈里佳に変身出来るにはあとどれくらい魔力がたまらないとダメなの?)
 まだ気分的には落ち着いていない克哉だったが、その声だけは落ち着いていた。
(魔力のたまり具合からすると、明日にでも変身出来なくは無いですが、変身しただけで魔力の大半を消費しちゃいますよ。出来たらもう少し魔力がたまってから変身したほうがいいですね)
 とりあえずクルルは克哉の質問に答えると、いったんここで言葉を切った。
(まだ変身できないのか……)
 克哉はため息をつくような言い方をする。
(あららッ! もしかして克哉ちゃん、今すぐにでも変身したいの?)
 克哉と奈里佳は一心同体の関係なので、別にそんなことは聞かなくても分かっちゃうのだが、あえて質問する奈里佳。おそらく克哉の口から直接聞きたいのだろう。
(うん、だってあの看護婦さん、結晶化しかけてるんだもん。このまま放っておいたら……)
 そしてまた身体を小刻みに震わせる克哉。寒くない寒気に、克哉はベットの上で小さくひざを抱え込むように丸くなっていく。
(勝手に崩壊のビジョンを見るのは良いけど、いいかげん慣れなさいよね。ビジョンはビジョン。それ以上でもそれ以下でもないんだから)
 突き放すような言い方だが、どこか優しげな奈里佳。珍しいこともあるものだ。
(克哉君が使命に燃えてくれるのは嬉しいんですが、魔力がたまらないことには変身ができないんですよ。あと数日のことですから、魔力が十分にたまるのを待ちましょうよ)
 クルルも柔らかな口調で克哉を諭す。
(でもッ! だってッ!! このままじゃあの看護婦さん結晶化して……。死んじゃうかもしれないのにッ!!)
 かろうじて声に出すことはせず、心の叫びを爆発させる克哉。その閉じた目からは涙がこぼれていた。
(ああ、もうッ! 泣くことないでしょッ!! まったく、それでも男の子なの?)
 克哉が涙を流していることを感じた奈里佳は、それに対して文句をつける。
(奈里佳ちゃん。今の克哉君は『女の子』なんですけど♪)
 場を明るくしようという意図なのか、必要以上に弾んだ言い方で奈里佳の言葉を訂正するクルル。
(分かってるわよ。ちょっとしたボケじゃない。ほら、克哉ちゃんも笑って、笑って)
 本当はそのツッコミを克哉に言ってほしかった奈里佳だったのだが、克哉本人にその気が無いのではしょうがない。
(結晶化しかけているあの看護婦さんをそのままにしておくのはかわいそうだよ……)
 やはりこのまま自然に魔力がたまっていくのを待ってから変身するしかないのかなと、克哉は自分でもそう思いながらも、どこかあきらめきれないでいた。変身するのを嫌がっていたはずなのだが、やはり結晶化による世界崩壊のビジョンを見てしまったことが克哉の心の奥底を大きく動かしていたらしい。
(……本来なら十分な魔力をためる為にはあと数日は必要なんだけど、克哉ちゃんがその気なら、あと1日でなんとかできなくもないわよ)
 珍しくまじめな口調の奈里佳。
(えッ!?)
 驚く克哉。まじめな口調の奈里佳に驚いているのか、それとも奈里佳の言葉の内容に驚いているのか? まあ、両方かもしれない。
(だから、やり方しだいで、1日もあれば十分な魔力をためることができるって言ったのよ。クルルちゃんなら分かるでしょ? なんてったてここには魔力が残存している人達がいっぱいいるんだもん。これを利用しないって手はないわね)
 奈里佳はクルルに話を振った。自分で全部説明するのが面倒になってきたのかもしれない。
(う〜ん、まあ、不可能ではないですね。他人が持っている魔力を吸収すれば確かにすばやく魔力を充填することができます。でも、自分自身の波長とは違う波長の魔力を吸収することになるわけですから、変身後に魔力のコントロールが乱れちゃうかもしれませんよ)
 奈里佳の言いたいことにすぐに気がついたクルルだったが、同時に問題点も指摘する。
(ねえ、いったいどういうことなのか教えてよ。僕にも分かるように)
 奈里佳に変身し、その記憶も共有したことがある克哉だが、変身したその状況で知ったことしか記憶に残らないので、克哉には魔法全般に対する深い知識は無いに等しい。というわけで、克哉には自分の頭の中で展開される奈里佳とクルルの会話にはまったくついていけていなかった。
(つまりですね、克哉君。たとえばこの学校の中だけでも、先日のお嫁さんへの変身が完全に解けなくて、まだ部分的に変身したままの生徒がいますよね? そういった生徒達には、部分変身を維持しつづける為に必要な魔力が残存しているわけです。その魔力を克哉君が吸収すれば、自然に魔力がたまるのを待つよりもずっと早くに魔力を満たすことができるというわけです) 
 説明的なセリフをよどみなく口にするクルル。それを聞いた克哉はしばらくその言葉をゆっくりと噛みしめるのだった。
(他の人の魔力を吸い取っちゃえばいいってことはなんとなく分かるけど、それって簡単に出来ることなの?)
 しばらく考え込んでいた克哉だったが、考えても分かりそうになかったので素直に聞いてみた。
(あら、気づいてなかったの?)
 奈里佳が本当に驚いたという声をあげる。実際には声は出ていないけど。
(気づいてないって何が?)
 不思議そうに問い返す克哉。きょとんとしている。
(さっきまで一緒にいた堀田修司君の変身がなぜ急に解けたのか? それは克哉君が彼の魔力を吸収したからなんですよ。無意識にやったみたいですけど、やったことには変わりありませんから、簡単かどうかはともかくまた出来ると思いますよ)
 奈里佳の代わりに克哉の質問に答えるクルル。
(知らなかった……)
 克哉は言葉がない。
(やっぱり気づいてなかったのね。克哉ちゃんってば、さっきのトイレの中の出来事に対してあんまりいい感情を持たなかったでしょ? 『早く終わってくれないかなぁ〜』なんて考えていなかった?)
 奈里佳は克哉に問いかける。
(そういえば、そんなことを考えたような気もするけど、ホントにそんなことぐらいで堀田君の魔力を吸収出来ちゃったりするの? まるで嘘みたいな話のような……)
 クルルや奈里佳の話を聞いても、克哉としては自覚がまったく無いので信じるに信じられない。
(嘘みたいだけど事実だからしょうがないでしょ。そもそも克哉ちゃんは自分が持ってる力に自覚を持たなくちゃ。いい、克哉ちゃんは私、つまり『魔法少女♪ 奈里佳』でもあるのよ)
 なぜか胸を張って威張っているようなイメージ映像が克哉の脳裏に浮かんでくる。
(奈里佳ちゃんの言う通り、克哉君には他人の魔力を吸い取る力があります。というか魔力をためようとしている普段の状況が既に自然界や他人の魔力を少しずつ吸収している状態なんです。今回の堀田君のケースは、その吸収能力が選択的に働いた結果ということですね)
 クルルも奈里佳の意見を補強する。
(ま、無意識にやっちゃったということだけが、ちょっとアレだけどね。本当なら意識的に魔力を吸収して欲しいところよね。というわけで克哉ちゃん、あの看護婦さんの結晶化を救う為に変身までの時間を短縮することは可能よ。克哉ちゃんにその気があればね♪)
 奈里佳は挑発するように克哉に問いかける。イメージ上の奈里佳の手が克哉の首に絡みついてくるかのような雰囲気だ。
(その気はもちろんあるけど、出来るかな、僕に……。奈里佳が代わりに魔力を吸収してくれるってわけにはいかないの?)
 いざとなるとやや気弱になってきた克哉。もしかしてちょっと情けないかもしれない。
(だから、あんまり言いたく無いけど私たちの本体は克哉ちゃんなのよ。私じゃないの。克哉ちゃんがやらなきゃ話は始まらないのよ。分かる? サポートはしてあげられるけど、やるのは克哉ちゃん本人がやらなくちゃダメなのよ)
 ちょっと突き放したような印象で克哉の頼みを断る奈里佳。
(……分かった。出来るかどうか分からないけどやってみるよ)
 ようやく腹を据えたのか、克哉の返事にも気迫が込められてきた。
(それでこそ、世界の結晶化と崩壊の危機を救おうという正義の魔法少女です! がんばって下さい)
 克哉の頭の中には、素直に克哉の決心を喜んでいるクルルの声が聞こえてきたが、その時克哉の家にいるクルル本体は、緊張を伴ったまじめな顔をしていた。ぬいぐるみのようなクルルのまじめな顔というのはなかなか想像出来ないかもしれないが、とにかくまじめな顔であった。 
(うん、ありがとう)
 クルルの励ましに対して礼を言う克哉。その雰囲気からは強い決意がうかがえたが、無理をして緊張を押し殺している様子も感じられなくもない。
(でも、さっきも言いましたけど、他人の魔力を吸収するということは、自分とは違う波長の魔力を吸収することになりますから、変身後の魔力のコントロールに乱れが生じる危険性を覚悟しておいてください。おそらく奈里佳ちゃんに変身した後の克哉くんなら大丈夫だとは思いますけど、慣れるまでの間は注意が必要です。魔力が暴走なんかしちゃったら大変ですからね。とにかく注意してがんばってくださいよ)
 念の為の注意をするクルル。しかし克哉の決意を変えようという気は無いようだ。克哉の決意の強さを理解しているのだろう。
(分かった。注意するよ。それで、他の人の魔力を吸収するにはどうしたらいいの? 堀田君から魔力を吸収したって言われても、何も覚えていないんだよね)
 知ったかぶりとはほど遠い態度の克哉。謙虚というか素直である。
(相手に意識を集中して、魔力を吸い取るイメージをするのが基本かしらね。でしょ? クルルちゃん)
 魔法関係の知識に関してある程度の知識はあるものの、完全な知識があるわけではない奈里佳としては、クルルに確認するのを忘れない。普段のタカビーな態度とは裏腹に、押さえるべきところでは慎重なのかもしれない。やはり元々の元は克哉と同じ精神をしているということなのだろう。
(まあ、そうですね。問題なのは誰から魔力を吸い取るか、その相手を特定することですが……)
 奈里佳の言葉を肯定しつつ、問題点を指摘するクルル。確かに保健室のベットに寝ていて、その上そのベットがカーテンで外部と仕切られている状態では、相手を見ながら確認することはできない。クルルとしてはその点を問題としたのであろう。
(その点は問題ないわ。私が遠隔視して、その映像を克哉ちゃんに中継すればいいだけのことじゃない。ふふん、やっぱり私が居て正解だったわね)
 何をすべきかがハッキリとしており、自分がそれを出来る能力を持っていることを自覚して威張る奈里佳。
(なるほど……。では、後は克哉君が誰から魔力を吸収するかを決めて、実行するだけですね)
 納得するクルル。
(実行するだけですねと言われても、具体的にはどうすればいいの?)
 何だか奈里佳とクルルにおいてきぼりにされたような感覚を味わいながら、克哉は質問する。
(そうね、他人の魔力を吸収するというと、良く知られたやり方としては血を吸うっていうやり方があるわね。ほら、吸血鬼みたいに血を吸うことで他人の魔力を吸収するわけよ。まあ、実際に血を吸わなくてもイメージの上で血を吸えば魔力を吸収できるはずなんだけどね)
 具体的にという克哉の質問に対して、やはり具体的に答える奈里佳。
(吸血鬼……。う〜ん、出来るかな。僕に……)
 吸血鬼のように相手の血を吸うことをイメージしろと言われても、なかなか具体的にイメージ出来るものでは無い。克哉の戸惑いももっともだ。
(じゃあ、代わりにキスをするっていうイメージでもいいわよ。それでも相手の魔力を吸い取ることは出来るはずだから。そうよねえ。血を吸うだなんてことよりも、キスをするイメージのほうが健全よね♪ そうでしょ、克哉ちゃん?)
 次善の策を克哉に提案する奈里佳。しかしその雰囲気から本当はこちらのやり方を克哉にさせたがっているのがみえみえだ。
(えーーーッ!? 吸血鬼のまねか、そうじゃなけりゃ、キ、キスをするしかないのッ!!)
 声を出さないように、ベットの上で毛布を引き上げてそれで口をおおう克哉。
(克哉君、もしかしてちょっと誤解していませんか? 別に本当に血を吸ったり、キスをしたりしなくてもいいんですよ。単にイメージするだけなんですよ)
 動揺している克哉の誤解を解こうとするクルル。
(そうそう、単にイメージするだけよ。もっとも、とことんリアルにイメージしなくちゃいけないんだけど、まっ、それぐらい何でも無いわよね?)
 対して、微妙に克哉の不安を煽ろうとする奈里佳。楽しそうである。
(う〜ん、イメージするだけでいいのか。じゃあ、とりあえずやってみるよ)
 色々と不安はあったものの、やるしかないということで克哉は自分を納得させた。
(じゃあ、まずは保健室の中にいる子の中から1人選んでみることにしましょうか。克哉ちゃん、誰がいい?)
 奈里佳の声とともに、目の前の景色が二重映しになってしまった。克哉がベットに横たわりそこから実際に見ている視界と、奈里佳が遠隔視して克哉に見せている視界が重なってしまったのだ。
(奈里佳、視界が二重映しになってるんだけど……。このままじゃ何が見えているのかごちゃごちゃしていてよく分からないよ)
 当惑する克哉。
(バカねえ〜。だったら目をつむれば良いだけでしょ? ちょっとは頭を使って考えたらどうなの?)
 鼻で笑う奈里佳。しかし本来は克哉も奈里佳も同一人物である。というわけで奈里佳が克哉を馬鹿にしていても、奈里佳の口調に克哉に対する愛情が微妙に感じられるのはそのせいであろうか。
(バカ、バカって言わないでよ)
 奈里佳に反論しつつ、それでいながら克哉は素直に言われた通りに目をつむる。すると克哉の頭の中には健康診断を受けているクラスメイト達の鮮明な画像が映し出された。
 ちなみに夏美と『ユニット20479』、通称【ユニ君】が行っている視界の分割によるバーチャルな子画面の表示という技を使うには、克哉が身も心も奈里佳に変身して魔法を完全に扱えるようになる必要がある。つまり現状では視界の切り替えが精一杯なのだ。
(どう? この子は胸だけが女の子になっているわけなんだけど、とりあえずこの子からいってみる?)
 奈里佳が克哉に見せた視界の中では、男子生徒が大きく膨らんだ胸もあらわに上半身をさらしていた。
(うん、分かった。じゃあ、とりあえず血を吸うイメージをしてみるね。やっぱり首筋から吸うイメージでいいの?)
 男子生徒相手にキスをするイメージを頭に浮かべるよりは、まだしも首筋から血を吸うイメージを浮かべる方がマシと判断したのだろう。
(まあ、そうなんだけど、別に首筋にこだわらなくていいわよ。血(ち)は乳(ちち)につながるから、あの子のおっぱいを吸っても魔力を吸収できるし、イメージするならそっちのほうが簡単かもね)
 奈里佳はそう言うと、克哉に見せている視界を望遠モード(?)にして、男の身体についているということを除けば文句のつけようがないほど立派で形の良いおっぱいをアップで映しだした。
(そ、そうなんだ……)
 アップになってしまえば、男の身体についているという欠点も気にならない。そんなおっぱいを目の前にして、克哉はごくりと唾を飲み込んだ。アソコが女の子になっている今の克哉であったが、やはり精神は健全な男の子ということなのだろう。
(そうそう、だから早く吸っちゃえ。ほら、さっさとしないと胸が隠されちゃうわよ)
 急かす奈里佳。しかし克哉がわずかに躊躇(ちゅうちょ)している間に、その生徒の胸囲検査は終わり、見事なその胸はシャツの下に隠されてしまった。
(あ、もう遅いかな。あははは……)
 寂しいような、ほっとしたような、微妙に乾いた笑いでごまかす克哉。
(もう、さっさとしないから。やるべき時はさっさとやるッ! で、どうするの?)
 威勢良くはっぱをかけると、何かを問いかける奈里佳。
(どうするって何が?)
 何を言われたのか分からない克哉は、そのまま奈里佳に質問を返す。
(だから次におっぱいをむき出しにしてくれる子の順番まで待つか、それともこの子の首筋から血を吸うイメージをしてみるか。あるいは単純にイメージできれば良いんだから、さっき見た記憶を元にしておっぱいを吸うイメージをしてみるか。どうするかって聞いてるのよ)
 奈里佳は克哉に決断を迫る。
(首筋から血をすうイメージにしてみるよ)
 しばらく考えた末に、克哉はそう答えた。
(もう、克哉ちゃんってば純情なんだから。ホントはおっぱいを吸いたい癖に♪)
 克哉をからかう奈里佳。まいどのことながら楽しそうである。
(違うってば。いくらおっぱいでも男のおっぱいなんか吸いたくないだけだよ)
 言い訳をする克哉だったが、実は心が揺れなかったと言えば嘘になるという状況だったりする。
(ま♪ 女の子のおっぱいなら吸いたいってか? 克哉ちゃんったらエッチなんだから、もう〜)
 自分の都合の良いように克哉の意見を曲解する奈里佳だったが、曲解したその意見のほうが克哉の本心を言い当てているのは真実である。その証拠に克哉からの反論は無い。
(奈里佳ちゃん、克哉君をからかうのもそれぐらいにしてあげたらどうです)
 放っておいたらいつまで経っても話が進みそうにないとみたクルルが奈里佳と克哉の会話に介入してきた。
(ハイハイ、分かったわよ。クルルちゃんってば冗談も通じないんだから。そんなんじゃ恋人もできないわよ。で、克哉ちゃん。話を戻すけど、男のおっぱいなんか吸いたくないから、首筋から血をすうイメージをとってみたいと、つまりはそういうわけね?)
 もう十分に楽しんだのか、奈里佳はクルルの言葉に対して比較的素直に応じたのだった。
(つまりも何も、最初っからそう言っているのに奈里佳が話をそらしたんじゃないか)
 やや不満そうな克哉。しかし可愛い子がすねると更に可愛さが増すのはなぜだろう?
(あら、そうだったかしら? ま、それはともかく、ハイどうぞッ!)
 自分に都合の悪いことはすべて水に流すその態度はある意味立派なような気がしなくもない。そんな自我自賛をしつつ、奈里佳は克哉に見せている視界を切り替えた。
(この首筋から血を吸うイメージをすれば良いんだね? そうしたらその人が持っている魔力を吸収することができるんだよね?)
 分かっているならさっさとすれば良いのにと思わなくもないが、克哉としてはとことん納得しないと行動に移せられないらしい。
(そうですよ。克哉君。なるべくリアルにイメージするのがコツです)
 克哉の背中を押すかのようにクルルがアドバイスをする。
(分かったら、さっさとやるッ! ほれほれ、ちゅーちゅーと吸ったんさい♪)
 けしかける奈里佳。本来は世界の結晶化と崩壊を阻止する為の行動であるはずなのに、既に楽しいイベントと化しているようだ。
(分かったよ。ええと、なるべくリアルに血を吸うイメージをすればいいんでしょ)
 そして克哉はベットの上に横たわったまま、奈里佳の遠隔視能力の助けを受けて視界に捕らえている男子生徒の首筋に意識を集中した。そして想像上の自分の唇をその首筋に這わせると、思いっきり血を吸うイメージをしたのだった。

「うわわッ! な、何だ何だッ!? くすぐったいだろ。やめろよッ!!」
 イメージ上とはいえ、克哉に首筋を吸われた男子生徒は、それはもう見事なまでの反応を示したのだった。そして彼は首筋の何かを手で払いのけようとしたのだが、その手はただ空を切るだけだった。
「どうしたんだよ、急に。何かあったのか?」
 不審そうに問いかける周りの生徒達。
「何かおかしなことでもあったの? ちょっとでも変なことがあったらすぐに教えて欲しいんだけど、どうしたの?」
 他の場所で生徒達の体重を計っていた真美先生が異常を察して質問する。同じく美根子や遠子も、声を上げた男子生徒に視線を向けている。
「なんだか今、首筋を誰かに触られたというか、吸われたというか、何か変な感触があったんです」
 そう言いながら首筋を手で触る男子生徒。
「あら? ちょっと見せてもらっていいかしら?」
 美根子は男子生徒の首筋に何かを見つけると、ぱたぱたとスリッパの音を立てながら男子生徒のところまで歩いてきた。そしてそのままじっくりとその首筋を見て首をかしげるのだった。
「なんでキスマークが……」
 確かにその男子生徒の首筋にはくっきりとしたキスマークがあった。
「え〜ッ! お前、彼女がいたんだッ!! いったい誰にキスマークをつけられたんだよ」
「いやいや、ちょっと待て。今のこいつの胸は女の子のように膨らんで立派なおっぱいができているんだぞ。もしかしたらキスマークをつけたのは男かもしれんッ!」
「はッ! そういえばそうかッ!? 気持ち悪いやつ」
「しかし、まあ、おっぱいだけ見たり触ったりするのなら、それはそれで楽しそうじゃないか?」
 キスマークと聞いて勝手なことを口々に言いだす外野達。女の子だけじゃなく、男の子だってこういう話になると盛り上がっちゃうものなのだ。
「違うッ! さっきまでこんなキスマークなんかついて無かったんだッ! 先生も見てましたよね?」
 キスマークを首筋につけた男子生徒は、真美先生に自分の無実(?)を主張する。
「確かにさっき胸囲を測った時には、こんなキスマークなんか無かったわ」
 男子生徒の首筋を確認する真美先生。疑問のみが浮かんでくる。
「ええ、私もそう思います。確かにこんな目立つような所にキスマークがあれば、もっと早くに気がつくはずです」
 真美先生の意見に同意する遠子。その横では一番最初にキスマークを見つけた美根子が無言のままうなずいている。
「先生、もしかするとこれも変身現象の後遺症じゃないんですか?」
 ふと思いついた雄高が、彼にしてはまじめな顔で意見を述べた。
「なるほど。ま、そんなところでしょうね」
 ため息をつく真美先生。
「やっぱり他の生徒達にもキスマークがついているのかどうかもう一度確認しなくちゃいけないのかしら?」
 少々疲れた気持ちで真美先生に確認する美根子。しかし既に答えは聞かなくても理解しているようだ。
「この健康診断は、集団変身現象の後遺症について調べるのが本来の目的ですからね。やっぱりもう一度調べてみないといけないんじゃないでしょうか?」
 美根子に対して自分の意見を述べる遠子。
「ま、議論の余地なしってところかしらね。ハイッ! じゃあみんなッ! 検査が終わって服を着た人も、もう一度服を脱いでちょうだい。知らないうちにキスマークがついていたりしてないか検査するわよ」
 真美先生はてきぱきと指示を出していった。その指示にあわせて美根子と遠子が動き、生徒達も服を脱いでいった。
 それにしても本質的にはどちらも同じ男子生徒とはいえ、部分的に変身したままで女の子な胸をしている生徒と、どこも変身していない生徒が同じ場所で服を脱ぎ、肌をあらわにしているというのは妙に不思議な光景である。中には下半身にテントを張っている生徒もいたりするのだが、これでいいのだろうか?

(まったく克哉ちゃんってば何やってるのよ。キスマークをつけてどうするのよ。血よ、血を吸わなくちゃいけないのに、唇だけをつけてちゅーちゅーやっててもダメでしょ。牙を立ててガブッといかなくちゃ血は出てこないのよ)
 保健室の様子をうかがっていた奈里佳は状況を把握すると克哉に文句を言い始めた。
(そんなこと言ったって、牙なんか無いんだもん。分かんないよ)
 ちょっとすねてみせる克哉。まあ、その通りではある。
(文句を言わないッ! あの看護婦さんを結晶化から助けたいんでしょ? だったらつべこべ言わずにさっさとやるッ!)
 奈里佳としても、美根子が結晶化しかけている状態を放置しておいて良いとは思っていない。克哉にキツイ言い方をしてはいるが、そういう言い方をして克哉の尻を叩くことが、むしろ克哉の希望に沿うことだと理解しているのだろう。というわけで、克哉を叱ることを楽しんでいるように思えるのはきっと気のせいだということにしておこう。
(そうだね、あの看護婦さんを結晶化から助けて世界を崩壊の危機から救う為には、ガブッと噛んで血を吸わないといけないんだよね。魔力を集めて早く奈里佳に変身しないと、看護婦さんの結晶化がいつ始まっちゃうか分かんないものね)
 自分に言い聞かせるようにして、決意を固める克哉。『正義の為なら吸血行為だって許されちゃうのだッ! どうせイメージ上のことだしね』と、まるで夏美が言いそうなことを思っていたりする克哉だった。もちろん奈里佳もだ。しかしクルルの意見はちょっと違っていた。 
(ちょっと待ってください。血を吸うイメージを使って魔力を吸収するのはやめたほうが良いんじゃないですか?)
 誤解しようがない表現で克哉の行動を制止するクルル。こころなしか慌てているようにも見える。
(クルルちゃん。それってどういう事なの? 納得いく説明をして欲しいんだけど?)
 奈里佳は、『せっかく克哉ちゃんがその気になったのに水を差さないでよ』という文句を忍ばせつつクルルに質問をする。ちょっと言葉のはしばしに棘が見え隠れするのは気のせいではない。
(ちゃんと説明しますから、とにかく待っててください。いいですね、克哉君?)
 クルルは更に念を押す。克哉がクラスメート達から血を吸うイメージを使って魔力を吸収することが、そんなにもまずいことなのだろうか?
(うん、分かった。でもどうしてなの?)
 克哉としてもクルルの意図が分からない。そもそもクルルは、『なるべくリアルにイメージするのがコツです』などと言って積極的に血を吸うイメージを克哉にさせようとしていたのだ。それなのに今はそれを止めようとしているのだから、克哉が疑問に思うのは当然である。
(あの男子生徒の首筋に克哉君のキスマークがついちゃったことを見て気がつきませんか?)
 克哉の質問に対して質問で答えるクルル。
(それがどうしたってのよって……。あッ! もしかして!?)
 声をあげたのは奈里佳である。どうやらクルルが何を言いたいのか分かったらしい。
(やれやれ、奈里佳ちゃんともあろうものがもしかして今まで分かってなかったんですか?)
 あきれるクルル。その口調は嫌みと紙一重である。
(気がつかなかったんだからしょうがないでしょッ! 誰にだってそういうことはあるってことよ。よく言うでしょ? 『弘法も筆の誤り』って)
 自己正当化をはかる奈里佳。
(いや、それを言うならむしろ『河童の川流れ』とか『猿も木から落ちる』とかのほうが……)
 何故に挑発するようなことを言うのか? クルル、勇気がある奴……。無言で歯がみする奈里佳の気配が怖いかも。
(ねえ、どういうこと? 全然分からないんだけど)
 またしても話からおいてきぼりになりかけている克哉が2人に事情説明を求める。
(キスマークがつくということは、克哉君の魔法力が相手に対して物理的な作用を及ぼしているということですよね。ということはつまり牙を立てて首筋から血を吸うイメージを使って魔力を吸収しようとすれば……、分かるでしょ?)
 結論まで説明したわけではないが、そこまで説明されて克哉にもクルルが何を言いたいのかが理解出来た。
(つまり、僕が血を吸うイメージをして魔力を吸収しようとすれば、首筋に牙の跡がついちゃうと……)
 理解した克哉の顔から血の気が退いてしまう。意外と男の子の精神は、流血沙汰になるような状況には弱いのだ。
(ま、跡がついちゃうだけならまだしも、ヘタすると頸動脈を傷つけて出血多量で死んじゃうかもね。まあ、ここは保健室で真美先生がいるし、ついでに看護婦さんも2名いるから手当のほうも期待できるってことで、よっぽどじゃないと死なないでしょうけどね)
 さも、自分は最初から分かっていたという態度を取る奈里佳。図々しいというか立派というか。
(そんなッ! 血を吸うイメージをしただけで、相手を殺しちゃ洒落にならないよッ!!)
 驚く克哉。まあ、驚かないほうがどうかしているのだが。
(克哉君の魔法力が強すぎるせいですね。本来、こうしたイメージをしただけではキスマークがついたりなんかしないんですけど、さすが克哉君♪ 僕が見込んだだけのことはことはありますね)
(そうねえ、克哉ちゃんの魔法力はものすごく強いのは間違いないわ。さすが私と同一人物でもあるだけのことはあるわね)
 自画自賛するクルルと奈里佳。なんだかもう勝手にしてと言いたくなる克哉であった。
(じゃあ、結局みんなから魔力を吸収するためにはどうしたらいいの?)
 話を元に戻そうと、克哉は具体的な質問をした。
(やっぱり、キスして魔力を吸い取るしかないんじゃない? それならキスマークがつくことも、牙の跡をつけちゃうこともないんじゃないかしら?)
 軽い調子で結論を口にする奈里佳だった。
(そうですね。僕もそれがいいと思いますよ)
 クルルも奈里佳に同意見のようだ。というか、正確にはクルルの意見に奈里佳も同意したというのが正しいのだが、まあそんなことはどうでもよい。特に克哉にとってはそうだった。
(それしか……、方法はないんだよね)
 結局のところ、クラスメート達の中に残存する魔力を吸収する為には、イメージ上とはいえ相手の唇にキスをするしかない。その言葉を聞いて克哉は一瞬だが躊躇(ちゅうちょ)した。しかしいまだ奈里佳が遠隔視能力で克哉に見せている保健室内部の映像に看護婦の美根子が映ったとき、克哉は迷いを振り払ったのだった。
(そうね、普通にしていても魔力はたまっていくけど、あの看護婦さんが結晶化しかけている以上、完全に結晶化する前に何とかしてあげなくちゃね。クルルちゃんもそう思うわよね?)
 さすがに克哉と同一人物であるだけあって、奈里佳は克哉の気持ちを100%理解している。ふざけたり遊んだりしていなければ、ホントに息の良いコンビなのである。まあ、めったにそういう状況にはお目にかかれないのであるが。
(結晶化は最初は徐々に進みますが、最後は爆発的な勢いで一気に進みますからね。それを考えたら、他人の魔力を吸収して魔法のコントロールが多少不安定になるかもしれないというリスクを抱えるのは、十分に許容範囲内です。克哉君ッ! そして奈里佳ちゃんッ! できる限りがんばりましょうッ!!)
 クルルも含めて、既に止める者はいない状況である。外から克哉を見たら単に保健室のベットに寝ているだけなのであるが、その頭の中では大いに盛り上がりをみせていたのだった。
(よし、僕、がんばるからッ!)
 数日前までの克哉だったら、魔力を吸収して1日でも早く奈里佳に変身できるようにしようとは考えもしなかったに違いない。しかし今の克哉は、結晶化とそれがもたらす世界崩壊のビジョンを見てしまったこともあり、『それに比べたら男とキスをするぐらいなんだッ!』と、思っているのかもしれない。すくなくとも傍目(はため)にはそう見える。
(じゃ、いきましょうか。でも、みんなから魔力を吸いとって部分変身状態を元に戻しちゃったら、克哉ちゃんだけが目立っちゃうわね……。どうしようかしら?)
 ふと、奈里佳が思ったことを口にする。
(そうですねえ。どこで例のフューチャー美夏が監視をしているかもしれませんからね。用心の為に克哉君のアソコを元に戻してあげたらどうです? 奈里佳ちゃんも元々は克哉君のアソコが女の子になっていることは、誰にもばれない予定だったんですよね)
 克哉の変身が近づいてきたとなれば、またしても前回と同じくフューチャー美香を名乗るディルムンのタイムパトロール(?)と戦わなくてはならない。とすればなるべく正体を隠しておいたほうが有利に戦えるということが言えるのだ。
(そうだよ奈里佳。ついでに僕のアソコも元に戻してよ。そうしようよ。ね♪)
 結晶化と世界の崩壊の話は脇に置いて、克哉は期待に胸をふくらませて奈里佳にお願いする。
(だ〜めぴょん♪ 克哉ちゃんのアソコを元に戻さなくても、結果的に目立たなくすれば良いんでしょ? だったら全員から魔力を吸収するんじゃなくて、適当に選んで魔力を吸収するとか……、そうねえ。もう変身が完全に解けて元にもどった人を今から部分的に女の子にしちゃうという手もあるわね。克哉ちゃんが魔力を吸収して、その魔力の一部を使って私が部分変身魔法を使ってそれなりの数の生徒の身体の一部を女の子に変えちゃうの。どう? これなら克哉ちゃんが目立つこともないし、第一おもしろそうでしょ?)
 世界を崩壊の危機から救うという使命を忘れて、楽しみだした奈里佳。そんなに長いつきあいではないが、こうなった奈里佳に何を言っても無駄だということを、既に克哉は理解していた。
(もう、分かったよ。じゃあ、さっさといくよ。まずは誰からにする?)
 こうして保健室のベットに寝たままであるにも関わらず、奈里佳の遠隔視能力の力を借りた克哉は、保健室にいる生徒達は言うに及ばず、城南中学校のみならず周辺地域のまだ変身状態を部分的に維持している人たちから魔力を吸収しまくったのだった。あいての唇にキスをするイメージをすることによって……。

(クルル〜、奈里佳〜、唇の感触が気持ち悪いよぉ〜ッ! ああ、この人、舌を入れてきた〜ッ!!)

 1時間後、克哉の心の叫びがこだました。ちなみに男性からだけではなく、女性からも残存魔力を吸収出来ることに3人が気がついたのは、もう十分過ぎるほどの魔力を吸収し終わった後だった。けっこう3人ともおまぬけさんである。


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第12章 家族な人々


「晩ご飯の時間まで寝てなくちゃダメよ。微熱があるんだから。それにほら、新しいパジャマも買ってきたからこれに着替えたらいいわ」
 克哉から受け取った電子体温計の数字を確かめると、弓子は心配そうな、それでいてどこか嬉しそうな顔を克哉に向けた。ちなみに微熱があるのは、ついさっきまで学校内はおろか街中の人からランダムに魔力を吸収したせいである。それこそめいっぱいに。
「うん、そのパジャマに着替えるかどうかは置いといて、ちょっとぼうっとしてるから、僕も晩ご飯までは寝ているつもりだったから……。でもお母さんこそ仕事のほうは良かったの?」
 本来であればまだ弓子は働いていて家にはいないはずの時間である。克哉が疑問に思うのも無理はない。前にも具合が悪くなって早退してきたことがあるが、その時の弓子はいつもどおりに仕事をを済ませて帰ってきたことがあるからなおさらだ。
「いいのよ。可愛い息子、いえ、娘の為だもの」
 その言葉を聞いて、克哉は顔をしかめる。母親が暴走しかけていることが分かってしまったからだ。だとすれば目の前に広がる光景も理解できる。
「お母さん、確かに今の僕のアソコは女の子になっているけど、これは一時的なことでしばらくしたら元に戻るんだよ。だからちょっとこの女物のパジャマは遠慮したいなあ。それに服も」
 具合が悪くなったから克哉が早退するという連絡を学校から受けた弓子は、早めに仕事を切り上げると、数々の女物の服やパジャマを買い込んで帰ってきたのだ。もちろんその女物の服は自分のものではないのは言うまでもない。
「元に戻るかもしれないけど、そうでないかもしれないじゃない。だったら女の子になっている間だけでもこの服を着て欲しいの。ね、いいでしょ?」
 目をうるうるとさせながら部屋中に広げた女物の服をバックに、ピンク色をしたパジャマを手に取り克哉に差し出す弓子。そのパジャマにはややおとなしめながらも随所にフリルが装飾として縫いつけられており、とっても女の子女の子した感じである。
「いらないよ。今までのパジャマを着るから」
 つきあってられませんと、部屋のすみに置かれたクローゼットの引き出しを開ける克哉。
「あれ? 中身がない……」
 何が起こっているのか理解ができず、克哉の目が点になる。
「ああ、今まで着ていた服や下着は全部洗濯してるから♪ とりあえず今日のところは女物の服しかないの。がまんしてね」
 してやったりという感じの弓子。満面の笑みとはこういう表情を指すのだろう。
(克哉ちゃん、あきらめて着てあげたら? 実際、今の克哉ちゃんは胸も膨らんでないしお尻も丸くないけど、まあ女の子であることには間違いないんだし。それにきっと似合うわよ)
 まだ放心気味の克哉に対して、奈里佳が話しかける。イメージとしては克哉の背中を軽く叩きながらという感じであろうか。
(かってなこと言わないでよ。いくら今の僕のアソコが女の子になっていても、僕は男であることに間違いはないんだからね)
 まずは奈里佳に文句を言う克哉だったが、現実問題として男物のパジャマや服が無いのはいかんともしがたい。
「お母さん、洗濯してるって言っても、全部を一度に洗濯するのは無理だと思うんだけど……。で、どこに隠しているの?」
 魔力を吸収しきっているからだろうか? ちょっとだけいつもよりも強気かもしれない。
「クリーニング屋さんに出しちゃった。だって、しょうがないじゃない。うちの洗濯機じゃ一度に洗えないんだもの」
 納得出来るような納得出来ないような、妙な理屈を持ち出す母、弓子であった。やはり奈里佳でもある克哉の親ということなのだろう。
「もぉ〜っ、しょうがないなあッ! じゃあ、着替えるからお母さんは出ていってよ」
 言いたいことは山ほどあったが、早めに横になって休みたい気持ちのほうが強かったので、克哉はその女物のパジャマを受け取ることにした。
「いいじゃないの。今は女同士なんだから。あ、そうそうッ! お母さん、下着も買ってきたのよ。ほら、可愛いでしょ? やっぱり熱があるときはこまめに下着も取り替えないとね♪」
 いそいそと紙袋から取り出したのは、数々のショーツ達であった。
「女同士かもしれないけど、お母さんに着替えを見られるのは僕が嫌なの」
 やはりいつになく強気の克哉であった。変身も、そして変心も近いのかもしれないが、色々な人達から魔力を吸収した副作用かもしれないという可能性もある。
「お母さん、さびしい……。せっかく克哉のことを思って買ってきたのに」
 ショーツをハンカチのように握りしめ、軽く口にくわえる弓子。年齢を考えたら異常なまでに可愛らしい態度かもしれない。
「ちゃんと着替えるから出てってよ」
 いくら可愛らしくても、しょせんは母親である。弓子のうるうる攻撃は、克哉に対しては何も効果が無かった。少なくとも克哉にはマザコンの気は無いらしい。
「じゃあ、このショーツもはいてくれる? はいてくれるって約束してくれたら、お母さん出てくから」
 条件闘争に入る弓子。
「まあ、それならいいよ」
 克哉はあっさりと弓子の要求を飲んだが、これにはわけがある。克哉は既に、トランクスを奈里佳の魔法によりショーツに変化させられたものを着用している。トランクスをはいてもすぐにまた魔法によりショーツに変化させられてしまうので、女物の下着を身につけることは仕方が無いこととあきらめている。問題は着替えを見られると、その事実を知られてしまうということなのだ。
「じゃあ、お母さんはまた後で様子を見にくるから、ちゃんと寝てるのよ」
 一気に押してもダメだと悟った弓子は、ここはいったん退いたほうが良いと判断したようだ。買ってきた女物の服の数々を手早くクローゼットの中にしまうと、克哉の部屋を出ていこうとしたが、ふと思いついたように後ろを振り返る。そしてベットの上に置かれたものに目をとめた。
「ぬいぐるみ……。克哉が買ったの?」
 ベットの上で微動だにせずにいるクルルを見つけて、ちょっと不思議そうにする弓子。
「え、あ、ああ。あれね、あのぬいぐるみは、買ったというか、拾ったというか……」
 とたんにしどろもどろする克哉。とっさに言い訳が出てこない。
「拾ったの? 珍しいわね。克哉ってそういうの好きだったかしら? まあいいけどね。ぬいぐるみが好きだなんて女の子らしいし。あ、そうだ。今度もっと可愛いぬいぐるみを買ってきてあげようかしら。ねえ、どんなぬいぐるみがいい?」
 また嬉しそうにはしゃぎかける弓子。
「このぬいぐるみはちょっとわけありなの。他のぬいぐるみは別に欲しくないから。じゃあそういうことで」
 らちがあかないと、克哉はまだ名残惜しそうにしている母親の背中を押して部屋の外に押し出すとドアを閉め、更に念の為に鍵をかけた。
「はあぁ〜、疲れる。お母さんもどうしてこうなのかなあ」
 アソコが女の子になってしまっても、それが原因で不審に思われたりしない今の状況はそれなりにありがたくはあったが、どうにもため息をつくしかない克哉であった。
「ぬいぐるみのふりも疲れますね。やっぱり動けないのはつらいですよ」
 弓子が完全に部屋の外に出ていったのを確認したクルルは、大きくのびをしながら克哉に話しかけてきた。まるで猫のぬいぐるみそのものといった姿だが、2本足でベットの上を歩いてくるのを見ると何だか妙なものを見ている気持ちになってくる。
(クルルちゃんの場合は、まだ良いわよ。誰も見ていない時はちゃんと自分の身体で動けるんだもの。私なんか、克哉ちゃんの身体を借りないといけないのよ)
 愚痴をこぼす奈里佳だったが、口調そのものはその状況を楽しんでいるかのように聞こえる。まあ、本当に楽しんでいるんだろうけど。
「言っときますけど、身体を貸すつもりは無いからね」
 クギを刺す克哉。口調は厳しいが、おびえたような雰囲気が伝わってくる。可愛いかもしれない。
(まあ、そんな小さなことはおいといて、せっかく買ってきてもらったんだから早く着替えたら? お母さんも後で見に来るって言ってたし、それまでに着替えたほうが良いんじゃない?)
 克哉のことを心配してそう言っているわけではないことは、奈里佳の楽しげな雰囲気から明らかである。間違いなく、女物のパジャマを着た克哉の姿を早く見たいということなのだろう。
(奈里佳に言われなくても着替えるよ。これしかないんだし)
 弓子に対する愚痴をぶつぶつと言いながら、克哉は詰め襟(えり)もりりしい黒の学生服を脱いでハンガーに掛ける。次はズボンのベルトを外すとそれを脱いで、下着の上にワイシャツを1枚着ただけの姿になった。……ちょっと萌える?
「はあぁ〜、今、この部屋にある男物の服はもしかするとこの学生服とワイシャツだけか。でもお母さん、スカートなんか買ってきて僕にどうしろっていうんだろ?」
 クローゼットの扉を開き、中を確認しながらため息をつく克哉。見ると中に入っているのは4分6分でスカートよりもパンツの方が多いのだが、それが弓子なりの配慮というか妥協点ということなのだろう。逆の見方をすれば、いずれはスカートをはかなければ、『お母さん許しませんよ』ということかもしれない。いや、『お母さん泣いちゃうから』だろうか?
(もちろん、『スカートをはいてね♪ by母より』ってことなんじゃないの?)
 既に克哉としても十分に理解している事実を、改めて突きつける奈里佳。
「そんなことは分かってるけどさあ、アソコは確かに女の子になってるけど、体型そのものは男なわけだし、女物の服なんか似合うわけないじゃないか。まったくお母さんは何を考えてるんだろうって言いたかったんだよ」
 奈里佳に返事をしながらクローゼットの扉を閉め、今度は引き出しを開けてみる。
(似合えば着るってことなのね。じゃあ、さっそくアソコ以外の部分も完全な女の子の体型に変身させてあげようか? ていうかサービスでやってあげるわ♪)
 物騒なことを言い出す奈里佳。というか本当なのか? 似合えば女物の服を着るっていうのは?
「ストップ! 明日は中津木総合病院で再検査をしなければならないんだから、面倒になるようなことはしないでよ。お願いだから」
 慌てる克哉。そうなのだ。あれから克哉が残存魔力を吸収した為に部分変身が元に戻った生徒もいれば、克哉が吸収した魔力を利用して奈里佳に部分変身魔法をかけられて、新たに一部だけ女の子になった生徒もいる。しかし克哉のように具合が悪くなった生徒はいないということで、克哉だけが中津木総合病院で再検査を受けることになっているのだ。
「そうですね。せっかく明日にでも奈里佳ちゃんに変身出来るだけの魔力がたまったのに今ここで克哉君の身体全体を中途半端に女の子の体型に変身させたら、奈里佳ちゃんに変身出来るのが先になっちゃいますしね」
 のんびりした口調でやんわりと奈里佳に反対するクルル。
(まあ、それもそうね。どうせ急がなくても結果的にはいずれそうなるんだから)
 なにやら思わせぶりはことを言う奈里佳。それに対して思いっきり不安な気持ちがむくむくと沸いて出て来る克哉。しかし魔力を限界まで吸収したことにより微熱とだるさが出ている克哉は、どうせはぐらかされるだけだろうと思ったこともあるが、奈里佳の言葉を深く追求することはしなかった。
「……とにかく、もう着替えて寝るよ」
 ワイシャツを脱いで下着姿になった克哉は、その他の選択枝が無いこともあり、弓子から手渡されたシャツとショーツを手に取った。
「女の子のシャツって、ホントに花柄とかついてるんだね」
 もちろん大きくて目立つような花柄ではないが、薄く小さく、しかし全面に花柄の模様がついている。今更どうこう言ってもしょうがないと覚悟している克哉は、短くそうコメントするとそのまま下着を着替えると、更にパジャマを着てベットの中に潜り込んだのだった。
(もう少し恥ずかしがってくれるとかしないと、おもしろくないじゃない。克哉ちゃんってばサービス精神が無いわね)
 あまりにもあっさりと女物のパジャマに着替えた克哉に対して、どう答えれば良いのか分からない文句を言う奈里佳。
「誰にサービスするって? 訳分かんないことを言わないでよね。じゃあ、本当に寝るから。おやすみなさい」
 よほどだるかったのか、そのまま寝息を立てる克哉。素早すぎるかも。
「おやすみなさい。克哉君。明日には魔法少女♪奈里佳ちゃんに変身出来ると思いますよ。でも奈里佳ちゃんに変身するということは、またフューチャー美夏と戦うことになると気がついていますか?」
 猫のぬいぐるみには決して出来ない真剣な顔をして、ベットの中の克哉を見つめるクルル。
「本来なら克哉君には穏やか青春があったはずなのに……。すいません。そして、よろしくお願いします」
 深々とおじぎをするクルル。その独り言には世界を救うという失敗が許されない戦いに克哉を巻き込んでしまったという自責の念と、世界の未来を託す希望がないまぜになった複雑なものだった。

 どれぐらい寝ていたのだろう? 窓の外が夕焼け色に染まる頃、克哉はドアを叩く音で目が覚めた。
「克哉、起きてる? 佐藤君が来てくれたわよ」
 部屋の外から声がする。弓子の声だ。
「あ、雄高が来てくれたの? 入ってもらって。もう大丈夫だから」
 そうは言うものの、まだ全身に軽いだるさを感じている。しかし克哉はベットから上半身を起こして雄高を迎えるのだった。
(おお、恋人が心配してやってきてくれたのね)
 克哉と同時に目が覚めた奈里佳が、すかさず茶々を入れる。まったくもって素早い。
(恋人なんかじゃないってば。もう、奈里佳はうるさいなあ)
 当然のごとく怒る克哉であったが、なぜに照れたような雰囲気を漂わせるのか?
(ふふ、そうね。確かに今の状態なら恋人というより親友かな。まあ、こういった恋人関係も成り立たなくはないけどね)
 奈里佳が何を言いたいのかわけが分からなかったので、とりあえず克哉は無視をすることにした。その一瞬のやり取りが終わったとき、ちょうど部屋のドアが開き、弓子と雄高が入ってきた。
「具合はどう? まだちょっと顔が赤いけど、さっきよりは調子は良さそうね」
 そのままベットの横まで来ると、弓子は克哉のおでこに右手を当てて熱を測る。安心したような顔をしたところをみると、どうやら熱は下がったようだ。
「もう大丈夫だってば」
 雄高が見ている前だからだろうか、母親に熱を測られているという今のシチュエーションが妙に恥ずかしい。
「じゃあ、佐藤君。ゆっくりしていってね。今、何か飲み物を持ってくるから」
 弓子はそう言い残すと、何がおかしいのか軽く笑いながら、さっさと部屋から出ていった。
「来てくれたんだ。ありがとう。雄高」
 恥ずかしいような嬉しいような、自分でもよく分からない感情をもてあましつつ、克哉は雄高に椅子に座るように身振りで示した。
「ん、まあ、心配だったからな。はい、克哉が早退してからの授業で出たプリント。来週までの宿題だってさ」
 1枚しかないプリントを克哉に手渡す雄高。
(おおッ! たったこれだけの為にお見舞いに来てくれるとはッ! 喜びなさい、克哉ちゃん。どうやら相思相愛みたいよ♪)
 本気か冗談か判断がつかないが、奈里佳は大はしゃぎではやしたてる。奈里佳の頭の中では、克哉と雄高はすっかり恋人になっているようだ。
「あんな騒ぎがあった後なのに、やっぱり宿題って普通に出るんだ」
 手渡された数学のプリントを見て、ため息をつきながら感想を口にする。
(奈里佳は黙っててよ)
 それと同時に、奈里佳に対しても注文をつける克哉。そのままベットから降りると、机の上にそのプリントを置いた。
「ふ〜ん、パジャマだとアソコが女の子になっているのがハッキリと分かっちゃうんだな」
 机に近づくということは、机とセットになっている椅子に座っている雄高にも接近遭遇するというわけで、当然に克哉パジャマ姿は間近で雄高の目にさらされることになった。
「もうッ! どこ見てるのッ!?」
 聞かなくてもどこを見ているのかは明白なので、これは非難の言葉である。克哉は慌ててまたベットに戻ると下半身を布団の中に隠したのだった。
「目の前に来るんだもん、自然と見えちゃったんだからしょうがないよ」
 まったく悪びれず、ひょうひょうとした態度の雄高。笑いを押さえているような感じだ。
「恥ずかしいんだからね」
 ちょっとすねたような克哉。そんなに可愛くてどうする? とりあえず本来は男の子なのに……。
「そうやって恥ずかしがってると思ったから、俺が来てやったというわけなんだな。これが♪」
 得意そうに胸を張る雄高。あまりふんぞり返ると椅子が倒れちゃうぞ。
「どういうこと?」
 不思議そうに聞き返す克哉。その頭の中に、奈里佳のくすくす笑いが小さく響く。
(あッ! もしかして奈里佳、雄高に何かしたんでしょ? 何をしたのッ!?)
 頭の中での会話にも完全に慣れた克哉は、雄高が返事をする前に瞬時に奈里佳に対して質問した。というわけなので時間経過がおかしいと文句を言ってはいけない。
(黙ってろって言われたも〜ん♪ 雄高君から直接聞けばいいんじゃない?)
 楽しげな奈里佳の様子から、克哉は聞くまでもなく事情を察することができた。保健室にいる間に克哉が他の生徒や学校周辺の人達から残存魔力を吸収すると同時に、奈里佳が適当に部分変身魔法を周囲に対して使うことになっていた。おそらく奈里佳は、雄高に対しても部分変身魔法を使ったに違いがない。
 ちなみにこれは、事態の推移をどこかで観察しているであろうフューチャー美夏に対して、克哉の存在を目立たせないようにするためのカモフラージュ作戦である。
「つまりさ、なんだか知らないけど、俺も変身しちゃったんだよ。アソコがさ♪」
 立ち上がり、股間を克哉の目の前に持ってくる雄高。言われてみると確かにズボンの前の部分に膨らみが感じられない。
「……雄高。何だか嬉しそうに見えるんだけど」
 親友のアソコが女の子に変身していることについては間違いが無いとして、楽しそうに話す雄高の気持ちが分からない。それとも自分以外の男の子の平均的な反応なのだろうかと悩む克哉であった。
「まあ、このままずっと元に戻らないっていうなら困るかもしれないけど、そういうわけでもないみたいだし、どうせなら楽しんだほうが良いだろ? いや〜、ほんと楽しみだね♪」
 はははと、妙に明るく笑いながら答える雄高。これで歯も光れば完璧だ。
「楽しみって……?」
 聞かなくても何となく分かる気がする克哉だったが、雄高の雰囲気がそれを許さなかった。さっきから早く質問して欲しいというオーラが出まくっているのだ。
「アソコだけとはいえ女の子になったんだから、やっぱり女の子なひとりエッチをするに決まっているだろ。女の子の快感って、かなりすごいって噂だからな」
 話すだけ話すと、雄高はまた椅子に腰かけた。
(どうやら喜んでいるみたいだし、私も魔法をかけた甲斐があったってもんだわ。でも、せっかくの恋人同士になれるチャンスを潰してしまってごめんなさいね。克哉ちゃん♪)
 奈里佳は絶対に遊んでいる。克哉はそう確信をした。
(お願いだから奈里佳。もっとまじめにやろうよ)
 脱力気味に奈里佳に抗議する克哉。
(あら? 私はいつだってまじめよ。ふまじめに遊んだっておもしろくないじゃない)
 奈里佳の開き直りというか屁理屈というか、その主張に対して、克哉はとりあえず奈里佳を無視することにした。まあ賢明であるかもしれない。
「……実際のところはどうなんだろうね」
 奈里佳と会話しながら、同時に雄高に対して当たり障りのない返事をする克哉。
「試してみれば分かるって。なんなら2人で触りあってみるか? ……しかしこれってホモなのかレズなのかどっちなんだろうな」
 何気なくきわどい発言である。
「さ、さあ、どうなんだろうね」
 もう、どう答えて良いのかわけが分からない克哉。
(な、奈里佳〜。どう答えたら良いの?)
 奈里佳にすら助言を求める克哉。もう少し軽くいなせば良いのにそれが出来ないのは性格なのだろうか。
(さあね、薔薇でも百合でもどっちでもいいんじゃない? 適当に答えれば良いのよ)
 自分でひっかき回さなくても話がおもしろくなりそうな予感に、奈里佳は高見の見物モードである。
「ま、いいか。それにしても克哉って可愛いよな。そのパジャマも似合ってるし♪」
 にやりと笑う雄高。
「え?」
 ふと我に返り、克哉は自分が着ているパジャマをあらためて見た。寝起きだったので忘れていたが、克哉はかわいらしい女物のパジャマを着ていたのだった。
「可愛いね。克哉ってそういったのが趣味だったんだ。やっぱりアソコだけじゃなくて身体全部女の子になりたいってか?」
 雄高のその言葉に、何故か反射的に枕を投げてしまう克哉。
「わ、冗談だよ。冗談」
 おどけながらも克哉が投げた枕をしっかりと受け止める雄高。
「もう、雄高のバカッ!」
 恥ずかしさをごまかすために、必要以上に怒ってみせる克哉。そういうところが可愛いところなのだという自覚はないらしい。
「おおこわ。じゃ、俺もう帰るわ。色々と楽しみたいからね。あ、そうそう。明日は病院に行くんだって? がんばってこいよ」
 何をがんばれと言っているのか知らないが、雄高はそのまま扉を開けて部屋を出ていこうとした。しかしちょうど扉を開けると、そこには弓子が2人分のジュースをお盆に載せて立っていたのだった。
「あら、佐藤君。もう帰っちゃうの? せっかく飲み物を持ってきたのに」
 帰って行こうとする雄高を引き留める弓子。
「ああ、すみません。どうやら克哉の機嫌をそこねちゃったみたいだから、もう帰ります。じゃ、失礼しました〜♪」
 なおも声をかけようとする弓子を制し、雄高はそのまま元気良く帰って行った。よほど楽しいことがしたいとみえる。
「また来て下さいね」
 克哉の部屋に入りかけていた弓子はまた廊下に戻り玄関まで行くと、外に出ていこうとする雄高に声をかけた。
「ねえ、克哉。佐藤君帰っちゃったけど、何かあったの?」
 部屋に戻ってきた弓子は、克哉に問いかけた。克哉と雄高の間でどのようなやりとりが有ったのかを知らない弓子は怪訝な表情を浮かべている。
「だって、女物のパジャマを着てるって……」
 何があったのかを説明するにしても客観的に先ほどの状況を見てみると、ほとんど痴話喧嘩のたぐいである。そのことに気がついた克哉は、言葉を濁して口を閉じた。
「からかわれたの?」
 やや心配そうにする弓子。心配するくらいなら最初から自分の息子(?)に女物のパジャマを着せたりしなければ良いのにと思わなくもない。
「可愛いって……、言われた」
 親友である雄高の名誉の為にも、ここで嘘を言うわけにはいかないとでも思ったのだろうか。克哉は言いにくそうにしながらも、本当のことを口にした。まあ、馬鹿正直というか律儀というか、克哉らしいと言えばらしい態度である。
「ならいいじゃない。本当に可愛いんだから。女の子が可愛いって言われたら喜ばなくっちゃね」
 とたんに安心の表情を浮かべて、軽くはしゃぐ弓子。自分の娘(?)が誉められて嬉しい……、のか?
「でも、僕、ホントは男だし、可愛いって言われても……」
 掛け布団の端をいじりながら反論する克哉。しかしその声は徐々に小さくなっていく。今の自分の状況を考えれば、完全に男であると主張するには無理があるからだ。
「お母さんとしては、子供は男の子と女の子の2人欲しかったから、克哉が一時的とはいえ女の子になってくれてちょっと嬉しいかな。話を聞いてる限りじゃ、変身してもちゃんと元に戻るんでしょ? だったら今の状況を楽しむぐらいのほうが良いじゃないの」
 お母さんったら、雄高と同じようなことを言うんだなと感じながら、克哉は弓子の言葉を聞いていた。しかし考えてみれば現状を嘆き今を否定するという態度は、人間が自分の可能性を閉ざして結晶化する第一歩である。世界を結晶化と崩壊の危機から救おうとしている自分としては、確かに現状を楽しむぐらいの気持ちを持ったほうが良いのではないかと思えてきた。
(アソコが女の子になっちゃって、『困った、嫌だ』って言ってるより、楽しんじゃったほうが良いのかな? 結晶化を防ぐ為にも……)
 頭の中で奈里佳に話しかける克哉。しかし表面的には黙りこんでいるように見えるので、弓子は克哉が自分の意見を聞いてそれについて考え込んでいるのだと思っている。
(分かってきたじゃない。未来を信じて今を楽しみ、そして夢に向かって努力する。苦労すら楽しめるようになってきたら本物よ♪)
 なんだかものすごくまともなことを言う奈里佳に対して微妙な違和感を覚えながらも、克哉は心の中でうなずいた。
(そうだね。女の子になっている自分を楽しんじゃったほうが良いのかもしれないね。ねえ、クルルもそう思う?)
 ベットの上で寝ているというか、じっと動かずにぬいぐるみのふりをしているクルルに、克哉は視線だけを向けてみた。
(この場合は楽しんじゃったほうが良いと思いますよ。他人に迷惑をかけないというただひとつのルールを守っている限り、人間は自分のしたいことをしたいようにするべきですからね)
 現実には身体を微動だにさせていないが、克哉の頭の中には笑みを浮かべるクルルの顔のイメージが伝わってきた。
(そうそう、克哉ちゃんも本当は女の子の可愛い服を着てみたいって気持ちが少しはあるでしょ? 自分に正直にならないと未来の可能性を殺して結晶化しちゃうんだから、楽しんじゃいなさいな)
 奈里佳も克哉の背中を後押しする。クルルと奈里佳に言われて、だんだんと克哉もその気になってきた。う〜む。素直なのか? それとも流されやすいのか?
「……そうだね。普通だったら男なのに女の子の身体や感覚も体験できるだなんてことはないんだから、楽しまなくっちゃ損かもしれないよね」
 脳内会議終了後、克哉は弓子に対して静かに、しかし力強く そう言った。
「でしょ!? じゃあ、お父さんが帰ってくるまでに可愛く着飾ってびっくりさせちゃおうか。ね♪」
 まるでいたずらを相談するかのような口調の弓子。いい年をしてという気がしなくもないが、まあこれもひとつの夫婦愛、そして親子愛の形なのだろう。
「うん、びっくりさせちゃおう」
 克哉はベットから起きあがるとクローゼットの前に行き、その扉を開いて中に入っている女物の服を確認する。そしてまだ少し恥ずかしそうにしながらも、弓子の提案するいたずらに協力することを宣言した。
 なんだかちょっと騙されているような気がしなくもなかったが、開き直ってみれば女の子の可愛い服を着てみるのも悪くない。いや、むしろ楽しいかもと思えてくる克哉だった。
「さあ、そうと決まったら試着タイムよね? どんどん行くわよ〜♪」
 克哉よりも更に楽しそうにしている弓子に先導され、母娘(?)2人のファッションショーが華麗に始まった。
(ひゅーひゅー、似合ってるわよ。可愛い♪ 可愛い♪)
(ほお、なかなか……)
 ギャラリーは、奈里佳とクルルだけだったけど……。

「ただいま。今帰ったぞ」
 夜もふけてきた頃になってようやく帰ってきた範彦は、疲れた身体で玄関のドアを開けた。するとおいしそうなシチューのにおいが鼻孔をくすぐる。
「お、今日はシチューか?」
 お腹が空いていたことを急に思い出した範彦は、シチューのことで頭がいっぱいになってしまった。ちなみに範彦の好みは、ビーフシチューよりもクリームシチューだったりするが、そのことはこの小説の内容と何の関係も無いのは言うまでもない。
「おかえりなさい。もう帰ってくる頃だと思って、ちょうどご飯の用意をしていたところなの。すぐに着替えて来てくれる?」
「おかえりなさい。お父さん。早くしてね。僕達もまだ食べていないんだ」
 台所から聞こえる弓子と克哉の声。そしてカチャカチャと聞こえる食器の音。
「わかった。急いで着替えてくるよ。だからついでにビールも出しておいて欲しいなあ」
 1日の仕事を終えた後に飲むビールのうまさは格別である。しかもおいしい料理と、それを一緒に食べることができる家族とともにということならなおさらだ。範彦は台所に視線を向けることなくいそいそと寝室に行くと、スーツを脱ぎ部屋着に着替えた。
 そして範彦は台所から流れてくるにおいの元を確認し、それを腹におさめるべく寝室を後にした。数歩の歩みで寝室から台所へと移動を完了すると、範彦の目に飛び込んできたのは驚くべき光景だった。
「おかえりなさい。お父さん」
 そこにはややおとなしめなデザインの紺色のワンピースに身を包んだ克哉がいた。しかしおとなしめなのはワンピースだけで、料理を作る手伝いでもしていたのかフリルが大量に縫いつけてある実用性よりも装飾性に重点を置いてあるとしか思えない可愛らしいエプロンをつけているその姿は、どこからどうみても女の子そのものだった。
 ……まあ、胸とお尻がないだけで、今の克哉は女の子には違いがないのだが。
「どう、克哉のあまりの可愛らしさに驚いた?」
 なぜか威張る弓子。まあ子供を自慢するのは母親の本能のようなものなのだろうから、それは良しとしよう。
「どうしたんだ? 昨日は、『絶対に女物の服は着ない』って言ってたのに」
 昨日、克哉のアソコが女の子になっているということが明らかになって、半ば冗談、そして半ば本気で、『女物の服を着てみてくれ。そしてそれを写真に撮ろう』と、範彦は克哉に話を持ちかけたのだが、完璧に断られていたのだ。
「ええと、どうせなら状況を楽しまなくちゃ損かな〜と、思っただけなんだけど……」
 とりあえず簡単に説明する克哉。
「おお、そうか。そうだよな。うん、可愛いぞ。克哉ッ! ところでエプロンをしているっていうことは、料理の手伝いもしたのか?」
 テーブルの上にある料理は、おいしそうに湯気を立てているクリームシチュー。そしてコロッケと茹でたブロッコリー。コロッケは出来合のものを買ってきたのだろうが、シチューと茹でブロッコリーは手製のものだ。しかもそんなに難しい料理ではない。というかむしろ簡単な料理と言える。というわけでもしかすると愛娘(?)の手料理を食べられるのかと期待しつつ椅子に座る範彦だった。
「残念ね。克哉のエプロンは雰囲気作りの為だけなの。料理は全部私が作ったのよ」
 夫が何を考えているのかを瞬時に察した弓子は、男親の夢をうち砕く発言をしたのだった。息子が娘になった以上、女同士の争いもあり得るということなのだろうか? う〜ん。微妙だ。
「なんだ、弓子が作ったのか」
 家庭内で言ってはいけないことを言ってしまったような範彦。それに気づいた克哉がおろおろとし始めた。
「私が作った料理は食べられないって言ってるように聞こえたんだけど、気のせいかしら?」
 能面のような無表情な顔をして、極力冷静な口調で質問をする弓子。無表情かつ冷静な口調だけにかえって怖い。
「い、いや、そんなことは無いぞ。弓子の料理は最高ッ! いや〜、おいしいなあ。あは、あは、あはははは」
 父親のその様子を見て克哉は、『男って悲しいかも?』と、思わずにはいられなかった。
「分かれば良いのよ。じゃいただきます」
 本気で喧嘩をするつもりではないので、範彦が折れた瞬間に表情を笑顔に戻す弓子。しかしその満面の笑みを浮かべたその顔こそが、最も迫力がある顔なのかもしれない。
「……いただきます」
 両親が見せた言葉と表情のみで戦われた空中戦の様子にちょっとおびえながらも、克哉も弓子に続いて手を合わせた。
「まあ、なんだな。今日は格好だけのエプロンかもしれないけど、もしかして克哉がずっと女の子のままだったとしたら、料理のひとつでもおぼえておいたほうがいいんじゃないかな。どう思う? 弓子」
 とりあえず範彦はシチューに手を伸ばしつつ、娘の手料理が食べたいという男親の夢を、教育問題(花嫁修業)にすり替えた。まだ諦めていなかったのか、父……。
「そう言われてみればそうねえ。明日の朝から早起きしてもらって食事の準備を手伝ってもらおうかしら?」
 今度は克哉に向かって笑顔を向ける弓子。先ほどよりは弱いが、やはり圧力を感じる笑顔だった。
「でも、僕が女の子なのは今だけで、すぐに元に戻るはずなんだけど」
 朝食の準備をするとなると今よりもずっと早起きをしなくてはいけなくなるので、朝寝坊気味な克哉としては、それだけは避けたかった。
「だけど今のままってこともあるんでしょ?」
 どこか期待を込めたきらきらとした光を目に浮かべ、克哉に尋ねる弓子。母親というよりも主婦の立場としての期待かもしれない。
「女の子のままってことはないと思うけど……。たぶん明日にはまた元に戻るんじゃないかな」
 今日はめいっぱい魔力を吸収したので、明日には魔法少女♪奈里佳に変身することができる。そうなれば今度はため込んだ魔力を消費しきって元に、つまり克哉が本来そうであるべき男の子に戻るはず。というわけでそうなることを知っている克哉は申し訳なさそうにそう答えた。
「あら、そんなことは分からないじゃない。一度元に戻っても、また部分的に変身しちゃうパターンもけっこうあるんでしょ?」
 夕方に克哉の見舞いに来ていた佐藤雄高について、克哉から聞いた話を思い浮かべる弓子。
「まあ、それはそうなんだけど」
 真実を詳しく説明しだすと、魔法少女♪奈里佳の正体が自分であることを明かさねばならなくなる。克哉としてはそれだけは本当に避けたかったので、ご飯を箸で口に運び、うやむやな返事でごまかした。
「だったら、女の子のままってこともあるわけなんだ。なかなか……、楽しみだな♪」
 娘の父親というシチュエーションを想像して、ちょっと妄想が入っている範彦。食事をする手も休みがちだ。
「ともかく女の子だったら、お料理くらいできなくちゃ」
 範彦の様子を意識的に無視すると、弓子は克哉に断言する。
「もう、だからずっと女の子のままでいることはないんだってば。それに女の子だから料理ができないといけないだなんて差別だよ」
 無理に聞こうと思えば、甘えたような、そしてすねたような声で反論する克哉。しかしこの時、既に克哉は弓子の術中にはまっていたのだった。
「なるほど、女の子だけが料理をしなくちゃならないなんていうのは確かに差別よね。今の時代は料理をするのに、男だとか女だとかなんてことは関係ないってことかしら?」
 にこやかな笑顔を浮かべて弓子は克哉に念を押す。
「そうそう、料理をするのに男も女も関係ないよ」
 断言する克哉。網は今、この瞬間に閉じられた。
「じゃあ、克哉が女の子になっていようと男の子に戻ろうと関係なく料理の手伝いをしてくれるってわけね。だって女の子だけ差別するのっていけないことだもの♪ ああ、娘に料理を手伝ってもらうのって夢だったのよ。あ、もちろん男の子に戻ったからと言って逆差別なんかしないから安心してね」
 克哉自身が先ほど言ったことを根拠に、結局は料理を手伝わせようという弓子。手を胸の前で組み、夢見るように目を閉じている。
「なるほど。それはいいな。克哉が弓子の料理を手伝えば、2人が作った料理を同時に食べることが出来るってわけだ。……ところで、ビールは冷えてないのかな?」
 今、ここで弓子の意見を通しておけば、いずれは娘(?)の手料理を食べることが出来ると見た範彦も、けっこう上機嫌な様子だ。
「克哉、冷蔵庫の中にあるビールをお父さんに出してあげて。お願いね」
 早速、手伝いをさせる弓子。それに対して一瞬、拒否をしようかと思った克哉だったが、ここは大事の前の小事ということで、黙って冷蔵庫の中から缶ビールを取り出すと範彦の目の前にそれを置くのだった。
「はい、お父さん。ちゃんと冷えてるよ」
「おう、ありがとう。しかし、しまったな。こんなことなら缶ビールじゃなくて瓶ビールを買っておくべきだったな。そうすれば、お酌をしてもらえたのになあ」
 娘に晩酌のお酒を注いでもらうのがそんなにうれしいものかと、父親の考えがよく分からない克哉。まだお子さまである。
「もう、お父さんもお母さんもそういうことばっかり言うんだから。いくら今の僕のアソコが女の子になっているって言っても、態度変わりすぎだよ。だいたい、僕が早起きするの苦手だって知ってるでしょ。お母さん」
 やっぱり不思議なことに、女の子になっている克哉のほうが男の子のままの克哉よりも強気みたいである。
「分かったわ。じゃあ、それは克哉がしたくなった時にすることにしましょうか? でもその代わりに夕食の買い物について来てくれる? もちろん女の子の格好で♪」
 もしかして更に要求がエスカレートしている? 克哉は頭が痛くなってきた。
(奈里佳〜、クルル〜。助けてよ。もうお母さん、暴走しすぎッ!)
 克哉は頭の中で叫ぶのだった。ちなみに、顔はひくひくと引きつりだしている。
(別に良いじゃない。女の子の格好で買い物に行くことの何が問題なの? だって克哉ちゃん、今、女の子でしょ? それに似合ってて可愛いし)
 奈里佳に相談したのが間違いだった。そう判断するしかない奈里佳らしい返事であった。
(克哉君自体はどうなんです。けっこう女の子の服も楽しんで着ているみたいですけど?)
 それに対してクルルのほうは、すぐに結論を出すのではなく克哉に質問を投げ返す。
(女の子の服を着るのも、家の中で着るならいいけど、外に出るときも着ていくのは抵抗があるよ。だって学校の誰かに見られたら恥ずかしいもん)
 内弁慶(?)な克哉である。
(ふっきれてないわねえ。恥ずかしいっていうのが何よ。そんなものすぐに慣れるわよ。本当のところはまんざらでもないくせに)
 克哉としては、言い返す言葉がない。テレビで男の芸能人が女装姿を見せることがあるが、たいていの場合それは似合ってなくて気持ち悪い。しかし自分の女装姿を見たとき、これが自分かと思うぐらい良く似合っていた。下手すると背が低く華奢で女顔の自分ならば、男物の服を着るよりも女物の服を着たほうがはるかに似合っているかもしれないと思ったほどだ。
 というわけで女の子の服を着たまま外にでて、回りの反応を見てみたいという気持ちが無いと言えば嘘になる。ただそれ以上に恥ずかしいという気持ちが強いだけの話だ。
「お母さん、さすがにスカートをはいて外に出るのは遠慮したい」
 奈里佳とクルルとの会話を終えた克哉は、感情を高ぶらせるでもなく、ごく普通の調子でそれだけを言った。そしてそのまま聞く耳を持たずということを表現しているつもりなのか、黙々と料理に手をつけるのだった。
「そう、残念ね。でもスカート以外の女物ならいいってことよね?」
 身体全体が華奢で足も細い克哉なら、パンツルックも似合うはず。そんな思惑を胸に、克哉に妥協を迫る弓子。
「まあ、それぐらいなら……」
 スカートさえはかなければ女装という感覚とは無縁でいられる。そんな考えの克哉は、弓子の提案に小さくうなずいた。
「そうだな。克哉が外で可愛い格好をすると、変な虫がつくといけないからな。スカートをはくのは家の中だけにするのもいいかもな。しかしもしもこのまま女の子のままだったら、制服もセーラー服にしなくちゃいけないんじゃないか?」
 ぷはーッと、缶ビールを飲みほす範彦。2缶めを飲もうかどうか迷っていたが、どうやら飲まないことに決めたらしい。
「だから、多分明日中には元に戻ってるって言ってるでしょ」
 ちょっとだけ怒ってみせる克哉。まるでお酒でも飲んだかのように赤く染まる顔が妙になまめかしい。
「だから、もしもこのままだったらってことだよ。な、弓子?」
 息子の怒りならばともかく、娘の怒りをどう扱えば良いのかについて経験の浅い範彦は、弓子に下駄を預けようと話をふった。
「そうね克哉のアソコが女の子になったとは言っても、まだお尻は男の子そのままに小さいし、胸は出てないんだから、一気にセーラー服というんのもね……。セーラー服はもっと女の子らしい体形になってからでも良いんじゃないかしら?」
 既に弓子の中では、克哉が元の完全な男の子に戻るという可能性は闇に葬られている。ほぼ確実に……。
「そうだな。やっぱりまだ体形は男のままだからなあ」
 ちょっと酔っているのか、遠慮の無い視線を克哉に這わせる範彦。これが年頃の女の子に対しての場合だと、『お父さんってば、そんな目で見ていやらいしいッ! もう、だいっきらいッ!!』などと言われて、『そんなつもりで見てたんじゃないんだよ〜』と、悲哀を感じることになるのだが、あいにくというか、幸いにもというか、克哉はそういう反応を示さなかった。
「だって、女の子になっているのはアソコだけなんだもん」
 なんともあっけらかんとしたものである。むしろ母親に見られるほうが恥ずかしいと感じるのかもしれない。……分からないけど。
「ま、なにはともあれ、こういうチャンスはめったに無いんだから、さっさとご飯を食べたら写真を撮ろう。せっかく最新式のデジカメを買ってきてあるんだからな。よし、ごちそうさま」
 なるほど、食後に克哉の女装(?)姿を写真に撮ろうと企んでいたから缶ビールを飲むのを1缶だけで止めたのか。考えているな、父。というわけで範彦はのっそりと席を立つと、デジカメを取りに行くのだった。
「じゃあ、せっかくだから、克哉用に買ってきた女物の服を全部着てもらおうかしら♪」
 弓子もそそくさと食事を終えると、空いた食器を片付け出した。いつもとは大違いの早さである。
「あの……、それ、今日やらないとダメ? 僕は今日具合が悪くて学校を早退して来たってこと忘れてない?」
 何やらひとりおいてけぼりになった感のある克哉は、『おーい』と両親の背中に向かってつぶやくのだった。ちなみにこの日、矢島家の部屋から灯りが消えたのは、そろそろ夜も明けようかという時間だったという。まったく何をやっているのやら?


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第13章 中津木総合病院


「まったく、男のくせにそんな胸をして恥ずかしいとは思わないの? 修ちゃんも心のどこかに隙があるから、そんなことになっちゃうのよ」
 朝の教室の中、夏美は修司を前にして文句を言っていた。立ち話であるので夏美の目の高さにあるのは修司の胸なのだが、学生服の上からもその胸が高く大きく盛り上がっているのが確認できる。
「心に隙があるかどうかなんていうのは関係無いと思うんだけどなぁ。あ、もしかして夏美よりも俺の胸のほうが大きいことを気にしているのか? 大丈夫。俺は夏美の小ぶりな胸も嫌いじゃないから」
 修司は、さわやかな笑顔をして夏美の神経を逆なでた。
「誰の胸が小ぶりですってッ!!」
 本気で気にしていることをズバリと指摘されて夏美は切れた。
「よ、おはよう。なんだなんだ。痴話喧嘩か? 朝も早くからお盛んですねえ♪」
 修司に向かって夏美が叫んだ瞬間に教室に入ってきた雄高は、事情が分からないながらもとりあえず夏美をからかってみた。最近、夏美には克哉との仲をからかわれているので、そのお返しのつもりなのだろう。右手を口にあてて、小さく笑いながら自分の席に向かってゆく。
「修ちゃんがそんなだから、あんなことを言われちゃったじゃないのッ!!」
 普段の自分を棚に上げて修司に文句を言う夏美。ついでに目の前にある修司の大きな胸を、学生服の上からむんずとつかんだ。
「わッ!? こらッ! いきなり何をするんだよ」
 痛さ半分、そして気持ち良さ半分といった不思議な感覚を味わいながら、修司は左手で胸をガードしようとうするが、夏美の手は修司の胸をつかんで離さない。
「せっかく修ちゃんのアソコが元に戻ったと思ったら、今度は胸が膨らんじゃうだなんてッ! もう、いったいどうなってるのッ!」
 むしゃくしゃする腹いせに、そのまま強く数回ほど修司の胸を揉みしだく夏美。役得……というわけでもないようだ。その顔は怒りには燃えているものの、萌えにより癒されている顔にはとても見えない。
「しょうがないだろ。きっとこれも変身現象の後遺症だよ」
 あっけらかんとしている修司。まあ、アソコが女の子になってしまうよりかは、胸が女の子のように膨らむことのほうがショックは少ないかもしれない。
「なにがしょうがないよ。そんなことだから胸が膨らんじゃったんでしょッ!!」
 何だか理屈になっていない理屈で修司を非難すると、夏美もまた自分の席へと座るのだった。それを見た修司も、これ以上何かを言って夏美を怒らせても損だと思ったのか、黙ったままその場を後にした。ブラジャーをしていない大きな胸をブルンと揺らせながら。
 そして夏美は自分の席に座ってまだ何やらぶつぶつと言っていたが、やがて静かになった。しかし喋るのをやめたわけではなかった。
(昨日、変身現象の後遺症が解けて元に戻った人もいれば新たに身体の一部が変身した人もいたわけだけど、何か分かったことはあるの?)
 夏美は自分の脳に融合して存在しているナノマシンの集合体、『ユニット20479』、通称【ユニ君】に話しかけた。
(いや、確定的なことは言えないが、事件の中心に城南中学校が存在している可能性が高いかもしれない)
 断定的な言い方を避けるユニ君。おそらく推測の域を出ないのだろう。
(なにか裏付けになるようなものでもあったの?)
 魔法少女♪奈里佳の正体につながる手がかりでもあったのかと、興味を示す夏美。
(市内各所に設置してある監視カメラからの映像を分析した限りでは、変身現象の後遺症が解けた者。また新たに後遺症が出たと思われる者は、監視対象地域のすべてで確認することが出来た。しかしあえて言えば現象の人口に対する発生件数の割合は、この城南中学校の中において誤差の範囲を越えて多いと言える)
 淡々と説明するユニ君。同時に夏美の視界の片隅には、グラフ化されたデータがバーチャルな画像として表示される。
(じゃあ、やっぱり奈里佳はこの学校の関係者……。いえ、仮にも時間犯罪者とあろうものが、こんなにもあっさりと手がかりを残すものかしら? 第一、監視カメラの死角に入っていて私達が把握していない変身現象の後遺症が出ている人達がいるかもしれないもの。まだ、結論を出すには早すぎるわね)
 一旦は、単純な結論に飛びつきかけた夏美だったが、ジャーナリストを志望する者としての自制心がその行動にストップをかけた。まったくどこかの国のマスコミ人とはえらい違いである。
(私も夏美に同意見だ。結論を出すにはデータが少なすぎる。しかし何も関係が無いと断言も出来ないのも確かだ)
 夏美の視界にあるバーチャルな画像の内容が切り替わり、矢島克哉の静止画像が映し出された。
(城南中学校があやしいとして、更に注目すべき対象として矢島克哉がいる。我々は前回の変身現象の際の彼の行動から、矢島克哉は奈里佳の正体を知っているのではないかと推測しているわけだ)
 前回の集団変身事件の際、克哉が体調を悪くして廊下に出てしばらくしてから入れ替わるように奈里佳が教室に入って来たことを理由に、夏美とユニ君は克哉のことを疑っていたのだ。克哉は奈里佳の正体を知っているのではないかと。
(ええ、証拠は何もないけど、どこか怪しいのよね。で、矢島君は昨日から体調を崩していて今日は学校を休んでいる訳だけど、監視のほうはちゃんとやってるの?)
 夏美はユニ君に質問した。すると今度は夏美の視界に置かれたバーチャルな画面に、どこかの病院のロビーの風景が映し出された。
(これは……、中津木総合病院?)
 ここ数年、病気らしい病気には縁が無い夏美にとってはあまり馴染みのない風景だったが、知らないわけでは無い。夏美は思いついた名前を言ってみる。
(そうだ。つい先ほど、矢島克哉がこの病院の中に入って行くのを確認した。見えるか? 待合室のベンチに座っているだろう? 学生服を着た姿が見えるはずだが)
 画面がズームされ、克哉らしき人影が拡大される。もっともデジタル的に処理した望遠であるので画質が落ちてしまい、かえって顔は分からなくなってしまっている。
(う〜ん、言われなきゃ、あれが矢島君だなんて分からないわね。ところでもっとクリアに音声は拾えないの? 会話が聞こえないんだけど)
 大きな総合病院に特有の静かそうでいながら微妙にざわついている待合室が映っている画像を見ながら、夏美はユニ君に注文した。
(ハードウェア的にこれが限界だ。これでもずいぶんと処理をして聞きやすくしているんだがな。何か気になることでもあるのか?)
 いかに未来世界で作られたナノマシンの集合体で、超絶的な性能を誇るユニ君でも、目や耳として既存の監視カメラやマイク代わりのスピーカーを利用しているとなれば、出来ることにも限界がある。
(いえ、特に気になるわけでもないんだけど、矢島君が持っているカバンの中からぬいぐるみが顔を出しているでしょ? 彼、さっきからそのぬいぐるみに話しかけているような気がするのよね。矢島君って、ぬいぐるみに話しかけるような人だったのかしら?)
 なるほど、確かに良く見てみると、夏美の言うとおりである。
(……可能な限り努力してみよう)
 監視対象としている克哉の通常とは違う行動に、ユニ君もまた疑念を持ったようだ。ユニ君の記憶領域に記録された小さな疑念。いずれそれは大きな疑惑から確信へと育っていくのだが、それはまだ先のことであった。

 そして遠隔地から監視されているとは想像だにしていない克哉は、カバンの中に押し込んで連れてきたクルルに向かってなにやら熱心に話し込んでいた。
「クルル。これってもしかして……」
 ひそひそ声ながらも真剣な表情の克哉。
「克哉君も気づいてましたか。どうやらあの看護婦さんの結晶化が昨日よりも急激に進んでるようですよ」
 今日は克哉が身も心も魔法少女♪奈里佳に変身する予定の日なので、例によって克哉についてきたクルルだった。手下げカバンの中に入っているのだが、そこから顔だけをのぞかせている。
「やっぱりクルルも気がついていたんだ。なんだかついさっきから特に様子がおかしくなってきてるよね」
 人が完全に結晶化するということがひいては世界の崩壊につながるということを、ここ数日の間で完全に理解していた克哉の口調は重い。
「さて、これからどうしましょうか。とりあえず看護婦さんのところまで行ってから変身するか、それとも変身してから看護婦さんのところまで行くか。克哉君はどっちが良いと思います?」
 よくは見えないが、カバンの中で腕組みをしているらしい。クルル自身も悩んでいるようだ。
「そうだねえ。むしろ変身しちゃったほうがどこに行くにしろ動き回りやすいかもしれないね。奈里佳の遠隔視能力で看護婦さんのだいたいの位置は分かるし、強行突入するなら奈里佳に変身したほうがいいかも……」
 魔法少女に変身することに慣れたわけではないのだが、使命の重さを理解した克哉に戸惑いはなかった。けっこう根がまじめなのだ。それに魔法少女♪奈里佳に変身しなくても既にアソコは女の子なので、いまさら魔法少女に変身したところでどうということもない。毒を喰らわば皿までという心境なのかもしれない。
(ねえ、2人とも声に出してしゃべってるってこと気がついてる? まあ、ちょっと変な人だと思われるだけでしょうから、どうでも良いんだけどね)
 なんだかまともなことを言う奈里佳だったが、3人のなかで唯一、声を出してしゃべることができないのをひがんでの発言だけだったりするのかもしれない。
(あ、そうだった。クルル、ぬいぐるみのふりをしなくちゃダメだよ)
 奈里佳の指摘を受けて、今更のように声を出さずに会話する克哉。
(で、僕がぬいぐるみのふりをすると、克哉君はそのぬいぐるみに話しかけてる変な子ということになるわけですね)
 失敗をごまかす為なのか、軽口を叩くクルル。
(ほっといてよ。そんなことより、どこで変身しようか?)
 やる気満々、開き直り度120%の克哉。人はこれをやけくそと言う。
(克哉ちゃんがやる気になってくれたのは良いんだけど、人前でいきなり変身っていうのはまずいかもね。どこで例のフューチャー美夏っていうおじゃま虫が見てるか分からないし。とりあえず人気のないところを探しがてら、看護婦さんの近くまで行ってみるのもいいんじゃない?)
 至極まともなことを言う奈里佳。雨でも降るんではなかろうか? それよりも何故か克哉のほうが変身を望んで、奈里佳のほうが克哉の変身を遅らせようとしているようにも思える。
(そうですね。ここまで来たからには万全を期しましょう)
 クルルも奈里佳の意見に賛成のようだ。
(じゃあ、そうしようか。ええと、感覚からすると昨日の看護婦さんはこっちにいるような気がするけど……)
 長椅子から立ち上がり、病院の奥のほうに歩き出す克哉。
(ええ、そうよ。そっちでいいわ。……でも、なんでわざわざ学生服なんていう色気の無い服を着てきたの。せっかくお母さんが可愛い服をいっぱい買ってきてくれたのに)
 克哉が歩いて行く方向を確認した奈里佳は、今日の朝からもう何度もかわされた話題を蒸し返した。
(だって、今日変身して魔力を使い切ったら、僕の変身も完全にとけてアソコも男の子に戻るんでしょ? だったら女物の服なんて着ちゃいられないよ)
 答えるまでもないと、克哉もまた本日何度目かの同じ返事を繰り返す。
(外見だけ見れば、まったく変身していない克哉ちゃんも女の子そのものなんだから、スカートはいてたって分かりゃしないわよ。それに昨日はけっこう喜んで可愛い服を着ていたくせに♪)
 思春期の繊細な心を持つ少年に対して、ダメージを与える奈里佳。ひゅーひゅーと口笛までが聞こえてくるようだ。
(もうッ! 家の中と外じゃ違うのッ!)
 何が違うのか分からないが、妙なこだわりを見せる克哉。しかし家の中で喜んで女装しているのなら、いずれ外でも女装しそうな気がする。
(まあまあ、そういうことはまた後にして下さいよ。そろそろ目的地のようですよ)
 カバンから上半身を乗り出したクルルが、前方に伸びる廊下の先を指さす。そこには院長室と書かれた部屋があった。
(部屋の中では何か言い争っているみたいだけど、ちょっとこのままじゃ聞き取れないわね)
 奈里佳はそう言うと、ごく小規模な魔法を使い、部屋の中の会話がハッキリと聞き取れるようにした。ついでに遠隔視能力で部屋の中の光景も浮かび上がらせる。
 それにしても奈里佳といいフューチャー美夏といい、正義の少女を自称する2人が盗み見ばかりしていて良いものなのだろうか?

「ですから院長先生。どうして私が通常の勤務から外されないといけないんですか?」
 美根子は押さえた声でややうつむき加減になりながら院長に質問した。
「だからさっきから言っているだろう。君には変身現象の後遺症に悩む人達のケアを中心に行って欲しいと。それに市のほうからも、病院内で専属してこの件に対処できる人間を選出しておいて欲しいと言われているんでね。津谷君、私は君に期待しているんだよ」
 院長室に置かれた大きな机の向こうから、院長は美根子を説得する。貼りついたような笑顔を浮かべている院長の顔が、その場の雰囲気をどこか非現実的なものにさせている。
「それは分かります。でも私が言いたいのは、変身現象の後遺症対策にあたるのが私だとしても、だからといってなぜそれ以外の仕事をしてはいけないんですか? 今だってぎりぎりの勤務体制なんですよ。夜勤ならなおさらです。1人でも人手が欲しいのが現状なのに、なぜ私は変身現象の後遺症対策だけをしていなくてはならないのですか?」
 爆発したい気持ちをかろうじて押さえているのか、美根子の声は微妙に震えていた。その顔はさらにうつむきがひどくなっている。
「だから言っているだろう。市のほうからも専属であたれる人員を選出して欲しいと言われているんだ。さあ、分かっただろう。話はこれで終わりだ。君も勤務に戻りたまえ」
 話を打ち切ると、美根子を無視するかのように机の上に広げた書類に目を落とす院長。わざとらしく音を立てて書類をめくっている。
「馬鹿なことを言わないでくださいッ! 変身現象の後遺症専属と言っても、緊急度の高い仕事なんて何も無いじゃありませんかッ!! もしかして院長、これって私を通常勤務から外す為に、変身現象の後遺症専属だと言っているだけじゃないんですか?」
 うつむいていた顔を上げ、それまでの押さえた感じから雰囲気を一変させる美根子。そして美根子の言葉を聞いた院長は書類を見ていた顔をゆっくりと上げると、むしろ晴れやかな顔を美根子に向けるのだった。
「なんだ、分かってるんじゃないか。そう、つまりはそういうことなんだよ。だからもう出てってくれたまえ」
 笑顔なのにその言葉は冷たい。しかし逆に美根子の心は熱く燃え始めた。
「なぜです? なんでそうなるんですかッ!?」
 美根子は院長の机に両手を置き、身体を腰のところから曲げてその顔を院長の顔に近づけた。
「そんなに私の口から言わせたいのかね? じゃあ教えてやろう。津谷君、君の仕事に対する熱意は認めるが、それだけではダメなんだよ。みんなは君のことを何と言ってるか知ってるのかね? 失敗やドジばかりしている猫の手よりも使えない看護婦。猫の手ナースと呼んでいるんだよ」
 開き直ったのか、院長の口調には毒が混じりだした。そして美根子には、まるでその毒が実体を持っているかのように、悪臭として感じられるのだった。…… 単に院長の口臭かもしれないが。
「私は一生懸命やってますッ!」
 今にも泣きそうな顔になってきている美根子。声も震えている。
「一生懸命なら何をしても許されると思っているのかね? 医療事故を起こされてからでは遅いんだよッ! もういい、猫の手は猫の手らしく、人命には関わりのない仕事に戻りたまえ。その為の変身現象の後遺症専属なのだからな。さあ、出ていきなさいッ!!」
 患者の前では絶対に見せないような高圧的かつ横暴な態度で、院長は美根子に言い放つと、もはや聞く耳は持たないとばかりに美根子に対してくるりと背を向けたのだった。
「……失礼します」
 美根子は、怒りに任せて何か反論をしようとした。しかし自分がやってきた数々の過去の失敗を思いだすと、言葉を飲みこむしかなかったのだった。確かに幸いなことに、今までは自分の失敗やドジが深刻な医療事故に結びついたことはないが、今後はどうなるか分からない。たわいもない失敗をしたりドジなところが患者に愛されているとは言っても、それだから許されるというものでもない。
 優しさや情のかけらもない院長の態度に対して気持ちの上では納得出来ないのは確かだが、だからといって何故そういった態度をとられているのかということを頭で理解できないほどでおろかではない美根子だった。
「うむ、ご苦労。では仕事に戻ってくれたまえ」
 後ろを向いたまま、こちらに顔を向けることもなく答える院長。その口調は悪い意味での事務的という表現が、もっとも似合うものであった。
 見られていないのだからどのような態度をとっても院長には分からないのであるが、美根子は院長の事務的な態度に対して、これ以上はないというほどの見事な礼をしながら院長室を後にするのだった。

(出て来るわよ)
 別に言わなくてもみんな分かっているので言う必要はないのだが、奈里佳は克哉に注意を促す為にあえてその一言を言った。
(分かってる。もしかしてあの看護婦さん、ほぼ完全に結晶化してない? 昨日の様子では完全な結晶化までにまだずいぶんとあると思ったのに……)
 魔法少女♪奈里佳に変身する直前まで魔力が高まっている克哉にしてみたら、結晶化の度合いを見るぐらいのことは、変身前でも簡単にできてしまうのだ。
(結晶化は、時として急激に進みますからね。今回の場合は、あの院長とのやりとりで色々とあったんじゃないでしょうか。でも良かったですよ。まだあの看護婦さんの結晶化を解除する余裕はありますからね。それもこれも克哉君の努力のたまものですよ)
 変身現象の後遺症が出ている人達から残存魔力を吸収する為に克哉が努力したことを、クルルは誉めるのだった。確かにそれがなければ今回の件には克哉の変身が間に合わなかったかもしれない。
「よし、とにかくまだ間に合うんだったら急ぐよッ!」
 もうここまで来たら声を出してもかまわないと思ったのか、克哉は気合を入れるかのように声を出してそう言った。そして何やらぶつぶつとつぶやきながら幽霊のようにふらふらとした足取りで正面から近づいてくる美根子に向かって歩き出した。
「猫の手が何だって言うのよ。私だって失敗したくて失敗しているわけじゃないのよ。ドジをしたくてドジをしているわけでも、もちろんないわ。一生懸命やろうとすればするほど、なぜかそうなっちゃうのよ。なのに院長先生ったら、私のことを使えない猫の手だなんてッ! 確かに私は失敗ばかりするドジよ。でも、私のおかげで暗い病室が明るくなったって言ってくれる患者さんもいるんだから。そうよ、猫の手だって役に立っているのよ。でも、院長先生の言うように、もしも大変な医療事故でも起こしちゃったら。ううん、そんなことないわ。だって今までだって大丈夫だったんだもの。でも、もしかして今度はそんな大きな失敗をしちゃうかも。そしたら、私、どうしよう。辞めるしか、ないのかな? ええ、そうよ。私なんて看護婦を辞めるべきなんだわ。そうしたほうがみんな幸せになれるのよ。ああ、もう、嫌ッ! 私、私、私、辞めちゃう、辞めちゃう、辞めちゃう。ぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ…………。」
 美根子に近づいた克哉の耳に聞こえて来たのは、暗く果てしなく落ち込んでいく美根子の声だった。顔を見てみると、目の焦点は合っておらず、どうやら周りが何も見えていないのか、あっちへふらふら、こっちへふらふらとしている。
(うっわ〜っ!! 完全結晶化まで、あと一息って感じね)
 美根子の状態を見た奈里佳が感想を口にした。
「そうですね、あの看護婦さんは今、自分の未来の可能性を自分で閉ざして彼女自身が単一の未来しか持たない結晶化した存在になろうとしています。彼女の未来の可能性のひとつひとつが新たな世界を作るはずだったのにその可能性を閉ざしてしまえば、やがては世界そのものを結晶化させる原因になってしまうんです」
 クルルも声を出して話しはじめた。普通なら美根子に聞かれてしまう距離なので声を出さずに会話するところだ。しかし今の美根子は、耳に入って来た言葉が意味のあるものとして理解できないほどの状態になっていることは明らかだった。
「とにかく急いで変身しなくちゃ……。でも、この場所だと人に見られちゃうかなあ」
 こういう場合でも、どこか落ち着いているというか、現実感を忘れないというところが克哉らしい。
「確かにこの位置からだと、待合室にいる人から丸見えですね。それなりに距離はありますからハッキリとは見えないでしょうが、あそこにある監視カメラに撮られるのは避けたいですね。奈里佳の正体が実は克哉君だったという証拠がビデオとかの記録に残るのも困りますし」
 クルルも克哉の意見と同じらしい。
(じゃあ、トイレの中で変身したら? いくらなんでもトイレの中にまで監視カメラがあるだなんてことはないでしょ)
 奈里佳としては、別に正体がばれようとどうしようと問題無いと思わなくも無かったが、とりあえずそう提案してみた。
「分かった。じゃあ、すぐにトイレに行こう。早くしないと看護婦さんの結晶化が完全になっちゃう」
 そう口にしながら、克哉は廊下を走りだした。目指すはトイレである。克哉が病院に来ると言えば、小さな子供のころから中津木総合病院であるので、どこにトイレがあるのかは良く知っている。
(ちょっと待ったッ! 克哉ちゃん、そっちじゃないでしょ?)
 トイレに入ろうとした瞬間、奈里佳が克哉を止める。
「もう、早くしないといけないのに。奈里佳ってば、何を言ってるの?」
 一応、律儀にトイレの入り口の前で止まる克哉だった。その場で足を上下させて移動せずに走っている。
(だから、そっちは男子用でしょ? 今の克哉ちゃんのアソコは女の子だし、私に変身すれば当然女の子になるんだから、女子用に入るっていうのが筋でしょう)
 まあ、奈里佳の言うことももっともである。……のか?
「もう〜、トイレするわけじゃないんだから、どっちだっていいじゃないか〜」
 文句を言いながらも、ここで奈里佳と言い争いをしている時間は無いと思った克哉は、くるりと身体の向きを変えて女子トイレの中へと入っていく。しかしいくら身体が女性化しており、なおかつそこいらの女の子よりも可愛らしいとはいっても、学生服を着たままで女子トイレに入るのはちょっと恥ずかしい克哉だった。
「克哉君ッ! 変身、出来ますか?」
 自分の意志で変身が出来るかどうかという意味の質問をするクルル。それに対して克哉は小さく答えた。
「大丈夫だと思う。じゃあ、行くよ……」
 克哉は目を閉じ、自分の身体の中で解放されるのを今か今かと待っているパワーに方向性を与えた。

ドクンッ!

 克哉の心臓が大きく脈打つ。すると今までの変身と同じく、克哉の身体が微光を発したかと思うと、周りの空間がやや薄いピンク色に変化した。狭いトイレの中のはずなのに、亜空間と化したそこには克哉以外のものは何も存在しない。ただピンク色の空間が存在するだけである。そして克哉の身体がすうっと空中に浮き上がり、自然と手が曲がり、胸の前で小さくファイティングポーズを取る。同時にしゃがみ込んだ時のように足も曲がり、例によって胎児のような体勢になると、至福に満ちた表情で目をとじた。
 ピンク色の空間の中で、胎児の体勢のまま空中に浮かび上がっている克哉は、ゆっくりと回転しだした。2〜3回瞬きするぐらいの間、そのままの状態が続いたが、やがて空間の下の方が徐々に赤い色に変わってくる。そしてその赤い色がゆっくりと上の方にせり上がってくるとともに、大小様々な泡(?)が浮かんできた。そして白く光る泡の中にやがて特大の泡が浮かび上がってると、その大きな泡は克哉を包み込み、今までと同じように克哉は奈里佳へと変身を始めたのだった。
 まずは、短く刈り揃えられた髪の毛がざわざわと音をたてて伸び始め、同時に黒々とした髪はその色を失い、キラキラと輝くさらさらの金髪へと変化した。
 次に身体がきしむような音をたてながら縮みだすと、それにあわせるかのように胸の肉が盛り上がり、その肉はじょじょに柔らかく弾力を持ち出すと、最後にはぷるんっと大きく震えた。
 さらに変化は続き、腰がきゅうっとくびれてくると同時に、おしりがふっくらと大きくなってきた。続いて体中の皮膚が透き通るように薄く敏感になってきた。唯一、前回までの変身と違うのは、既に最初から股間の変身は終わっていたということであろうか。ともかくこうして身体の変身が終了すると、最後に身体を包む黒の学生服もまた変化し始めた。
 詰め襟の学生服はさらにピタッと皮膚に張り付きながら、光沢のあるレザーのハイレグスーツへと変化する。はいていた黒の革靴は、素材を活かしたままレザーのハイヒールブーツへと変化して、白い足を包み込む。最後に腰のあたりのレザーがぞわぞわと動き出したかと思うと、ぐいっと勢いよく伸びて、タイトなミニスカートが出現した。
 こうして変身過程が終了すると、虹色の星が縦横無尽に飛びかって、奈里佳の姿を完全に隠すのだった。やがて星が消えたその場所に、後ろ手で髪を掻き上げ、右足のかかとを軽く浮かせてポーズを取っている奈里佳がいた。
「世界の破滅を防ぐため、(自称)正義の魔法少女♪奈里佳、妖しく降臨! あなたの未来を見つけて ア・ゲ・ル♪」
 例によって誰に向かって言っているのか分からないが、まあこれもお約束とばかりに決めゼリフを言うと、またまたこれもお約束の投げキッスをひとつ投げると同時にウィンクをする。その瞬間、お約束モードから解放された克哉、いや魔法少女♪奈里佳は、ハッと我に返った。
「こらッ! 奈里佳2号ッ! あんた、よくも私をおもちゃにして遊んでくれたわねッ!!」
 突然大声で怒鳴り始める奈里佳。何だか知らないけど熱く燃えている。
(なによ、誰が2号ですって? 私のほうが先に出ていたんだから、私のほうが1号で、あんたのほうが2号じゃないの。言葉は正確に使ってよね)
 対して冷静に奈里佳に反論する奈里佳。……なんだかややこしい。
「さっきまで克哉ちゃんだった私のほうが本体なんだから、私が1号で、あんたが2号に決まってるでしょ! まったくここ数日は何? あんた、克哉ちゃんだった私がおとなしくしているのを良いことに、好き放題してたでしょ」
 はたから見ていると、奈里佳が1人で怒っているように見えるが、実際に身体を動かしてしゃべっているのが、ついさっきまで克哉だった奈里佳で、声を出さずにしゃべっているのが数日前から克哉の頭の中にいた奈里佳である。克哉が変身する前の精神だけで存在していた奈里佳と、克哉が変身したことにより身体と心がワンセットでそろった奈里佳の、2人の奈里佳が同時存在しているのだ。
(あんただって私の立場だったら、克哉ちゃんで遊んでいたはずよ。私には分かっているんですからね)
 自己正当化をはじめる精神だけの存在のほうの奈里佳。
「それはそれ、これはこれよ」
 その一言で問題のすべてをかたづける心も身体もそろっている奈里佳。……いいかげん区別して書くのが面倒になってきたかもしれない。
「ほほう、これはなかなか興味深いですね。克哉君が完全に奈里佳ちゃんに変身したら、克哉君の精神のサブシステムとして存在していた奈里佳ちゃん2号の精神は、奈里佳ちゃん1号の精神と融合して1つになってしまうと思っていましたが……、こうなっちゃいましたか」
 トイレの床に置かれた克哉のカバンの中から出てくると、ぴょこんと2本足で立ちあがるクルル。そのまま奈里佳の周りをぐるぐると歩きながらその顔を見つめ、クルルはしきりに関心するのだった。
(もう、クルルちゃんまで、私のことを2号って呼ぶ〜)
 不満たらたらの精神だけの奈里佳。
「やっぱり、クルルちゃんは分かってるわね。じゃ、これからは私が、『奈里佳』で、あんたが奈里佳2号ってことでよろしく♪」
 というわけで奈里佳は、にこやかに微笑むのだった。
「まあ、それはそれとしてもうひとつ興味深いことは、克哉君が奈里佳ちゃんに変身すると同時に心のほうまで変心しているということですよね。前回は変身と変心の間には時間差があったのに、これはどうしたことなんでしょう?」
 クルルは今でこそ猫のぬいぐるみのような姿をしているが、本来は魔法世界“ネビル”における力ある魔導師なのだ。こういう場面では好奇心のほうが優先される性格をしていたとしても不思議ではない。
(どうだっていいじゃない。そんなこと)
 すねる奈里佳2号。
「やっぱり魔力の蓄積度の差かしらね。でもそんなことは奈里佳2号が言うようにどうでもいいことだわ。今はとにかくあの看護婦さんが完全に結晶化するのを阻止するのが先決よッ!」
 クルルに向かってそう言うと、奈里佳はトイレを飛び出して行った。何だかまじめと言えばまじめになってしまった奈里佳だが、奈里佳の性格が克哉に影響を与えるのと同じで、克哉の性格が奈里佳にも影響し始めているのかもしれない。
「そうでした。今はそちらのほうを優先すべきですね」
 いかんなあとつぶやきながら、奈里佳の後を追うクルル。念のためにトイレから出たところで4つ足になり猫のふりをする。そのクルルの目の前では、まだぶつぶつと自分だけの世界で独り言を言っている美根子に対して、奈里佳がビシッと指を指しているシーンが展開しているところだった。
「ちょっとあなたッ! 自分じゃ気がついていないかも知れないけれど、結晶化しちゃってるわよ。このままじゃ世界を道連れに崩壊しちゃうわね。というわけで、あなたを救ってあげる♪」
 奈里佳は美根子にむかってウィンクをするのだった。そして奈里佳は魔法の言葉を口にした。
「自分自身の本当の希望と未来を見つけるために、変身なさいッ! 看護“快人”おにゃんこナース!」
 奈里佳の言葉を受けて、看護婦、津谷美根子の身体はみるみると変化し始めた。まずはその身を包む白いナース服が光りを放ちつつ消えていき、代わりに白くてふわふわの猫毛が生えてきた。しかもその猫毛は全身に生えているわけではなく、セクシーな部分にしか生えていないので、まるで毛皮で出来たセパレートの水着を着ているかのようだ。
 それと同時に頭の横、耳と頭頂の間あたりから白くて大きな耳、それもいわゆる猫耳が生えてきた。そして変身は続き、お尻から白い毛に包まれた長い尻尾が生えてきてくねくねと動いたかと思うと、両手両足は大きな肉球がついた猫手猫足に変化する。さらに頭には猫耳に合うような形をしたナースキャップが被さると、次に左手首の上に小型のミサイルランチャーのようなものが現れた。最後に肩から斜めがけの状態で小さな白いポーチが現れて変身は完了した。ちなみにその白いポーチには赤十字のマークが輝いている。きっと何か色々と入っているのだろう。
 変身したのと同時に、暗く、そして果てしなく落ち込んでいた美根子、いや、おにゃんこナースの表情は、ため込んでいた怒りを解放したような妙にすっきりとしたものに変わっていた。
「おにゃんこナース! 猫の手、猫の手、使えない奴ってバカにするにゃ〜ッ! 猫の手だって生きてるんにゃ。一生懸命なんにゃ。そうにゃッ! みんなも一度、猫の手になってみるといいにゃッ!!」
 変身し終わった看護“快人”おにゃんこナースは、自分の名前を大きく叫ぶと、ビシッとポーズを決めた。そして自分なりの理屈で燃え上がるのだった。もちろん語尾に『にゃ』をつける言い方はお約束である。
「さあ、おにゃんこナース! やっておしまいッ!!」
 いっぺん言ってみたかったとばかりに左手を腰にして、廊下の先にあるロビーにいる人達の方向に、指の先までピンと伸ばした右手を向ける奈里佳。
「分かったにゃ。行くにゃッ!」
 そのまま後ろを振り返らずに走り去って行くおにゃんこナース。そして軽く手を振って見送る奈里佳。
「行ってらっしゃ〜い♪」
 なんとなくのんびりしているような気がする奈里佳の声。まあ、フューチャー美夏さえ出てこなければ、おにゃんこナースに対抗出来る存在などいないと確信しているだけなのかもしれないが。
「……さて、じゃあ私たちは写真を撮りますか」
 ロビーのほうで看護“快人”おにゃんこナースが暴れ出し始めたのを確認すると、奈里佳はクルルに向かってにこりと笑った。
「写真って? そういえばカバンの中にデジカメが入っていたみたいでしたけど」
 クルルはなんのことを言われたのか理解出来ていないようだ。
(もしかして本気で撮る気なの? 『忘れてました』って言えばいいじゃない)
 呆れている奈里佳2号。
「だって、お父さんと約束しちゃったんだからしょうがないでしょ。変身したらデジカメでその姿を写真に撮るって」
 話しながら奈里佳はさっき変身したトイレの中に戻ると、カバンの中から三脚とデジカメを取り出した。まずは折りたたまれた三脚の足を伸ばすとそれを固定し、デジカメを取り付けた。
(奈里佳に変身したくせに、そういったところが妙に律儀ね。克哉ちゃんの精神に影響を受けているのかしら? やっぱり私のほうが『奈里佳1号を名乗ったほうが……)
 まだあきらめていなかったのか、奈里佳2号。
「はい、セット完了。じゃ、後はちゃっちゃと写真を撮って、おにゃんこナースに合流しましょう」
 奈里佳2号の発言を完全にスルーしながら、奈里佳は今セットしたばかりのデジカメの前に立つ。しかしそこは女子トイレの中なのだが、いいのか? 撮影場所がそこで。
(ちょっと、無視しないでよ。ああ、でもやっぱりあんたは克哉ちゃんだわ。だって抜けてるんだもん。バカよね〜♪)
 勝ち誇ったような口調の奈里佳2号。『おーほっほっほっほッ!』という笑い声が聞こえてこないのが不思議なほどだ。
「何よ、2号のくせに私のやることに文句を言う気? 私のどこが抜けてるっていうのよッ!?」
 デジカメのリモコンを片手にカメラの前でポーズをとろうとしていた奈里佳は、奈里佳2号に文句を言う。
(だって、このまま写真を撮ったら、奈里佳の姿で写真に写ることになるのよ。それでいいの?)
 確かに奈里佳2号の指摘する通りである。このまま写真を撮ったら、それは克哉が奈里佳の正体であるという証拠写真を撮ることになってしまう。
「ちょっと、それはまずいですね」
 奈里佳に続いてまた女子トイレに入ってきたクルルも奈里佳2号の意見と同じ意見のようだ。というか普通そうだろう。
「ほーほっほっほっほっ! 私がそんなことも分からないでいたとでも思ってるの? もちろん分かっていたわよ。これはあんた達をちょっと試しただけなの。奈里佳2号、それにクルルちゃん。あなた達2人は合格よッ! おめでとう♪」
 何故か頬に一筋の冷や汗をたらしながら、奈里佳はうそぶく。
(……ごまかしたわね)
 ただその一言だけを言う奈里佳2号。
「ええ、ごまかしましたね」
 同じくクルル。
「や、や〜ね〜。ごまかしただなんて人聞きの悪い。じゃ、さっさと変身しちゃうわよ」
 早口でそう言っていること自体が、ごまかしている証拠じゃないのかと奈里佳2号とクルルは思ったが、とりあえずそれは言わないことにした。クルルにしてみたら言っても無駄だという思いがあったし、奈里佳2号にしてみたら言わなくてもその気持ちは奈里佳に伝わるはずだと思っていたからだ。ともかく奈里佳はその精神を集中させ、今の魔法少女の姿から更に変身をするのだった。
「ほう、そうきましたか。おにゃんこナースにそっくりですね。違うのは色だけですか」
 クルルの目の前にいる2段階変身後の奈里佳の姿は、おにゃんこナースの姿にそっくりだった。左手につけた小型のミサイルランチャーのようなものから、肩から斜めがけにしたポーチまでそっくり同じだ。違いといえば髪の毛の色がおにゃんこナースの場合は黒色なのに対して、奈里佳の場合は例によって金髪であることと、猫毛の部分がおにゃんこナースの場合は白色で、奈里佳のほうは黒色ということだけである。
「そうよ。さしずめ『おにゃんこナース・ブラック』ってところかしらね」
 なにやらわけが分からないポーズをとる奈里佳。
(じゃ、あっちのほうがホワイト? ま、確かにあんたのほうががさつだからお似合いかもね)
 これまた、なにやらわけが分からない納得の仕方をする奈里佳2号。
「誰ががさつですって?」
 右手を握りしめ、抗議をする奈里佳。相手を殴りたくてもその身体は自分自身なので殴るわけにもいかない。
「まあ、まあ、何だかよく分かりませんけど、とにかくさっさと写真を撮りましょう。早くおにゃんこナースと合流しないと、フューチャー美夏がまた出てきちゃいますよ」
 奈里佳と奈里佳2号をせかすクルル。
「そうね。じゃ、とにかくちゃっちゃと済ませちゃいましょう」
 後で写真を撮った場所が女子トイレの中なのはどうしてなのかということを説明するのに苦労するのだが、今の奈里佳はそんなことはまったく気にすることなく、ポーズを色々と変えながらデジカメのシャッターをリモコンを使って押すのだった。

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第14章 増殖ッ! 猫耳ッ娘


「おちゅ〜しゃしま〜すッ! ちゅっちゅ〜うッ!!」
 おにゃんこナースの声と共に左手に付けられたランチャーから注射器が、『残弾って何? それっておいしいの?』とでも言わんばかりの勢いで次から次へと、バシュシュシュシュシュシュッ! と、まるでミサイルのように飛び出して行く。
「キャーッ 助けてーッ!」
「やめて、やめて〜ッ!」
「痛いッ! あ、あぁ〜ッ!」
 おにゃんこナースが発射した注射器はまるで自動追尾装置でもついているかのように、逃げまどう人々を的確に捉えていく。ある者にはお尻に。またある者には腕に。そしてある者には足にと、注射器は容赦なく突き刺さっていく。
「か、身体が、身体が……」
「ああ、うまくしゃべれにゃいにゃ」
「うううう、お世話したいにゃ。注射を打ちたいにゃ」
 そして注射器が刺さった人々は老若男女を問わず、みんな猫耳の看護婦さんへと変身していった。その姿は毛の色や長さ、そして耳の形など細部には違いがあるものの、大きく見ておにゃんこナースの姿そっくりになってしまった。つまり2段変身後の奈里佳とも同じ姿ということである。
「にゃにゃーッ! お注射するにゃッ! お注射するにゃッ!」
 猫耳ナースっ娘に変身した人々は口々にそう叫ぶと、まだ変身していない人に向けて注射器ランチャーを向けて大量に注射器を発射したり、あるいは肩からかけたポーチから取り出した注射器、それもなぜか野球のバットほどの長さのある大きな注射器を抱えてあたりをさまよったりといった光景が展開されるのだった。

(ユニ君ッ!)
 猫耳ナースっ娘が増殖して中津木総合病院を埋め尽くし、そして街へと溢れ出す様子を半ば唖然としながらモニターしていた夏美は、ハッと我に返った。
(うむ、フューチャー美夏の出番だな)
 相槌を打つユニ君。しょせんは機械でしかない存在にも関わらず、今度は負けられないという気迫さえ感じられる。
(ええ、今度こそ奈里佳を逮捕しましょうッ! で、奈里佳の位置は把握しているの?)
 どうやって授業中の教室から抜け出そうかと考えながら、夏美は状況を把握しようと努めた。
(残念ながら奈里佳は病院内のモニターの死角に隠れてしまったようだ。しかも連鎖的に変身現象が起きてる現状では、量子反応を頼りに奈里佳を探すこともできない)
 夏美の視界に映る画像をくるくると切り替えながら、奈里佳を探すユニ君。しかしそこに映るのは猫耳っ娘なナースだけだ。
(じゃ、やることはひとつね。最初に変身したあの看護婦さんを叩く。そうすれば奈里佳のほうから出てくるはずよ。できるわね、ユニ君?)
 声に出さない会話をしている夏美は、不敵な笑いをその顔に浮かべた。
(大丈夫だ。あの看護婦は派手に動いているが、常に病院内の監視カメラの範囲内にいる)
 ユニ君は夏美の視界に映し出している画像を、おにゃんこナースが写っている画像に切り替えた。監視カメラに撮影されていることなど気にすることもなく暴れ回っているおにゃんこナースは、次々と注射器を発射して患者さん達を猫耳ナースッ娘に変えていく。そしてそれを阻止しようとする医者や看護婦達をなぎ倒し、さらに注射をするのだった。
(ぐずぐずしてはいられないわ。行くわよ、ユニ君ッ!)
 声のない声で力強く宣言すると、夏美は右手を高くあげ、教壇に立つ花井恵里・32歳独身♪に向かって言うのだった。
「気分が悪いので早退しますッ!」
 花井恵里・32歳独身♪の返事を聞くこともなく、ものすごく元気な勢いで教室を飛び出して行く夏美。残された花井恵里・32歳独身♪は去っていく夏美の背中に手を伸ばし、口をパクパクとさせているだけだった。

「よし、ここなら大丈夫」
 授業時間中なので、廊下には当然のごとく誰もいない。『廊下を走るな』と書かれた廊下を全速力で出口のほうに駆け抜けると、下駄箱から靴を出して急いではきかえる。そして下駄箱が影を作っているその場所に立ち、夏美は戦いへ臨む決意をする。
「ナノマシン展開、チェンジ! フューチャー美夏(みか)ッ!」
 スカートのポケットからユニ君を構成するナノマシン群の一部、つまり見た目はPHSにしか見えないそれを取り出すと、夏美は小さく、しかししっかりとした声でそう言った。
 すると前と同じようにPHSがその姿を変えて夏美の体表面を覆いだした。PHSに擬態していたナノマシン同士の結合が解け、ゆるゆると手から腕へと液体金属が流れるようにナノマシンが展開していく。
 そしてものの30秒もかからず、夏美の身体は銀色に光り輝くナノマシンに覆い尽くされた。顔の上半分を覆う半透明のバイザーがついたヘルメットの後ろからは、ナノマシンによってコーティングされた銀色の髪をなびかせている。さらにセーラー服もナノマシンによって覆われて、前回と同じように銀色のレオタードに全身を包まれているような姿の夏美、いや、フューチャー美夏が現れた。
「ようし、バトルモードに展開完了! ユニ君、飛ぶわよ」
 既に第2戦ということもあり、慣れたものである。バトルモードに変身し終わったフューチャー美夏は校舎から出ると空を見上げた。
「了解。重力制御装置作動、目標、中津木総合病院」
 ユニ君の声とともに重力制御装置が作動すると、フューチャー美夏の身体がふわりと持ちあがり、そのまま勢いを増して中津木総合病院の方向へと飛んでいくのだった。

「あら〜、猫耳っ娘だらけ♪ おにゃんこナースもけっこうがんばるわね」
 写真撮影を終えて女子トイレから外に出てきた奈里佳は、回りの様子を見て嬉しそうにうなずいた。
(そうかしら? ただみんなを猫耳ナースっ娘に変身させているだけで、芸も何もあったもんじゃないと思うんだけど)
 甘口の奈里佳に対して、辛口の奈里佳2号。
「私が変身させたおにゃんこナースの仕事っぷりに文句をつけようっての。だいたい芸ってなによ」
 おにゃんこナースに合流すべく廊下を歩きだす奈里佳。口の端がひくついているのは気のせいではない。
「目的はあの看護婦さんの結晶化を解除することですから、現状のままでも十分目的は果たせると思いますけど? にゃー」
 奈里佳の後をついてきているクルルが、四足で歩きながら奈里佳2号に質問する。しかしいくら猫のふりをしているからと言って、最後の『にゃー』は余分な気がする。どうせなら『思いますけどにゃー?』と言うべきだろう。まあ、どうでも良いけど。
(もう、クルルちゃんまでそんなこと言ってどうするのッ! 私達の本当の目的は世界を結晶化による崩壊から救うことなんでしょ? 個人の結晶化を強制解除するのは、その目的を達成する為の手段でしかないはずよ)
 呆れたように話す奈里佳2号。
「……個人の未来の可能性、それの集合である世界の未来の可能性の幅を広げて、結晶化が起きないようにすることが一番大事なのよね。もちろん私は最初っから分かっていたわよ」
 嘘か本当か、胸を貼って威張る奈里佳。黒い猫毛に覆われたその胸がぶるんっと揺れる。
(今、思い出したくせに……)
 疑いの気持ちを隠さない奈里佳2号。
「ま、それはそれとして、奈里佳ちゃん2号の言うことももっともですね。とりあえずおにゃんこナースに合流しましょう」
 クルルは方向を見定めるとそのまま走り出した。
「レッツゴーだにゃん♪」
 なんとなくわざとらしい猫にゃん言葉を言いながら、奈里佳はクルルを追いかける。そして奈里佳達が、息を切らしながらも気合いを出しているおにゃんこナースを見つけたのは、その直後のことだった。
「はあ、はあ、はあ、はあ、にゃにゃにゃにゃーーーーんッ!!」
 廊下にうずくまっているおにゃんこナースは、ひどくエネルギーを消耗している様子だった。息も荒く、舌を出し、身体をぴくぴくとさせながら時々、大きな声で叫んでいる。
「あちゃ〜」
 おにゃんこナースの様子をひとめ見た奈里佳は、右手で顔をおおうと大げさに天を仰ぎ、ついでにちょっとだけため息をついてみせた。まあ早い話が呆れているのである。
(ほーほっほっほっ♪ 奈里佳1号だと威張っていても、やることは抜けてるわね)
 奈里佳の落ち度は自分の得点とばかりに勝ち誇る奈里佳2号。
「下手を打ったのはおにゃんこナースのほうで、私じゃないわよ」
 やや苦しそうに言い訳をしながら、奈里佳は廊下にうずくまっているおにゃんこナース手をかけた。
「ほら、しっかりしなさい。もうこれ以上みんなを変身させる必要はないわ。猫耳っ娘ナース達にそう伝えなさい」
 表面上は優しい口調ながらも、それとは若干異なる想いでおにゃんこナースに命令する奈里佳。
「おにゃんこナースが変身させた猫耳っ娘ナース達が、新たに誰かを変身させる際の魔力を供給しているのは、ここにいるおにゃんこナースですからね。あんなペースで加速度的に変身の連鎖を続けていたら、下手すると命に関わるところでした」
 猫のふりも忘れて、真剣な面持ちで解説するクルル。分かっていたなら最初から止めろよと思わなくもないが、元の記憶のすべてを保持しているわけではないので、これがクルルの精一杯なのかもしれない。
(で、奈里佳1号としては、これからどうするつもりなのかしらね?)
 皮肉っぽいというか皮肉そのものというか、どこか傍観者のような感じの奈里佳2号。奈里佳が克哉だった時とはえらい違いである。どうやら2号も含めて奈里佳という人格は、本質的に自分が1番でないと納得できないというところがあるらしい。ようするに、『ほーっほっほっほっ、女王様とお呼びッ!』というのが基本というわけだ。
「とりあえずおにゃんこナースを回復させるわよ」
 奈里佳2号に対しそっけない返事をしながら、奈里佳は身をかがめておにゃんこナースの顔に自分の顔を近づけると、ためらいのそぶりを見せずにマウスツーマウスのキスをした。
「んん、んーーッ ぷはッ!」
 息が苦しくなるまでキスをするなんて、ちょっとやりすぎだと思う。しかしキスという刺激により、おにゃんこナースは正気を取り戻したようだ。その表情にやわらかさが加わっているのが分かる。
(本来なら、おにゃんこナースの魔力の源は、結晶化した自分自身の存在を強制解凍することによって得ているのよ。魔力を使えば使うほど結晶化は解除されるのに、逆に魔力を使っているのにストレスためてどうするのよ。やっぱり奈里佳にふさわしいのは私のほうね)
 ことあるごとに自分こそ本来の奈里佳だと主張している奈里佳2号だが、すでにその主張はむなしい。
「おにゃんこナース、みんなを猫の手な看護婦さんに変身させるのはいいんだけど、あなたがしたかったことは、みんなを変身させることだけじゃなかったはずよ。思いだしてみて」
 奈里佳2号の言葉を完全に無視する奈里佳。やはり似たもの同士ということで、一旦反発しだすととことんまでなのかもしれない。
「私の、したかったこと……」
 さっきまで覚えていたのに忘れてしまった大事なことを思いだそうとするおにゃんこナース。
「そう、おにゃんこナースがしたかったこと。みんなを猫耳な看護婦さんに変身させて、それでみんなに何をさせたかったの?」
 こんな優しい言い方もできるのかと驚いてしまうくらいの優しさを見せる奈里佳。……見せかけだけかもしれないが。
「私は、猫の手かもしれにゃいけど……」
 変身している為か、抽象的な思考が苦手になっているのだろう。言葉が続かない。何とかして言葉を探そうとしている態度はけなげだが、真っ白な猫耳は下を向いてしまっている。このあたりで限界かもしれない。
「不器用なドジで、猫の手のように使えないと思われても、一生懸命にやってる自分の気持ちを理解して欲しかったのよね?」
 おにゃんこナースがきちんと自分の気持ちをまとめるまで待っていたら埒(らち)があかないとでも思ったのか、奈里佳はおにゃんこナースの気持ちを代弁した。
「そう、だから私は、一度でいいから、みんな私になって欲しかったのにゃ」
 自分の本当の気持ちを思いだしたのか、その目に光が戻ってきたおにゃんこナース。奈里佳はそれを見て、叫ぶのだった。
「さあ、おにゃんこナース、 変身させたみんなに伝えなさいッ! あなたの本当の望みをッ!!」
 大きくビシッっとポーズを決める奈里佳。そして奈里佳はおにゃんこナースの言葉を待つのだった。
「看護するにゃ! みんながんばって猫の手で困っている人達を介護するにゃ! 病人や怪我人、み〜んな、み〜んな、看護してあげるにゃ!!」
 中津木総合病院の廊下で、おにゃんこナースがそう叫ぶと同時に、街中にあふれて道行く人々を片っ端から自分達の仲間に変身させていた猫耳ナースっ娘達は、一瞬でその動きを止めた。そして口々に、『看護するにゃん♪ 誰か病人はいないかにゃん? 怪我人でもいいんにゃけど』などと言うと、看護すべき相手を探すのだった。

(美夏、変身した人々の動きに変化が現れた。さっきまで変身させられた者が新たに別の者を変身させるという加速度的な変身の連鎖が見られたが、ようやくその連鎖が終了したようだ)
 空を飛び、あと一息で中津木総合病院に着くという時、街中の監視カメラを使って状況を把握していたユニ君がフューチャー美夏に報告をした。
「ねずみ算じゃなくて、猫耳だから猫算か……。ともかく変身の連鎖は止まったのね。で、結局のところ、中津木総合病院を中心として、どこまでの地域で変身現象がみられるのかしら?」
 既に中津木総合病院への着地体制を取ろうとしていた夏美は、特に深い考えもなくユニ君にそう応えた。その姿はナノマシンの作動によって発生する熱を強制排出する為の冷却レーザーシステムにより緑色に輝き、腰の回りにはその副産物である実体の無い光のフレアスカートが出現していた。まるでバレリーナのように。
(そうだな。変身現象の外縁は、ちょうど城南中学を飲み込んだところだな)
 淡々とした口調のユニ君は、城南中学校の内部の様子をとらえた監視カメラの映像をフューチャー美夏の視界に映し出した。
「秀ちゃんッ! 何やってるのッ!?」
 その映像をひとめ見た時、フューチャー美夏は自分の目を疑った。自分の恋人(?)である堀田修司が、猫耳ナースッ娘に変身している生徒の左腕についている注射器ミサイルランチャーから、無理矢理奪うようにして注射器を抜き取ると、自らの腕にその針を突き刺したのだった。
(どうやら、あの修司という人間は猫耳な少女に変身したかったようだな)
 過去の修司の言動をメモリーから読みとると、ユニ君は即座にそう断言した。そうこうする間に、注射器の中身の液体は修司の身体の中に注入されていく。既におにゃんこナースからの魔力供給は絶たれているはずなのに、修司の執念のたまものか、修司はその姿を猫耳ナースッ娘へと変えていった。
「まったく修ちゃんのバカッ! もう、戻るわよ。ユニ君。あのバカ、一回殴ってやらないと気が済まないッ!」
 空中でくるりと向きを変えて戻ろうとするフューチャー美夏。
(今の状態で彼を殴ったら、複雑骨折くらいでは済まないと思うが、それが望みというならそうしよう)
 冗談か本気か、ユニ君はフューチャー美夏を止めるでもなく、重力制御システムが作り出す重力の向きを反転させた。中津木総合病院の玄関前に着地寸前だったフューチャー美夏は軽く地面を蹴るとそのまま城南中学へと戻っていった。……まったく何しに来たのやら。

「今、もしかしてフューチャー美夏が来なかった?」
 中津木総合病院の院長室の中、おにゃんこナースをはじめとする猫耳ナースッ娘軍団が院長の手足に包帯を巻いたり、爪が出た猫の手で身体を拭いたり、おむつをさせたりしているのをにやにやとしながら見ていた奈里佳は、不審そうな顔をするとクルルに質問した。
 それにしても、院長先生。下手に変身しなかったものだからかえって悲惨な状態になっているかもしれない。
「なにかこう、魔法が妨害される嫌な感じがしましたね。この感覚は……」
 四足のままのクルルは奈里佳を見上げながら言葉を濁したが、後にどのような固有名詞が続くのかは聞かなくても明白だった。
(間違いなくフューチャー美夏ね)
 奈里佳2号も断言する。
「やっぱりこの感覚はフューチャー美夏よね。でも、私がこの中津木総合病院の中にいると知ってたらそのまま入ってくるはず。なのにそうしないなんて、ここに来たのは単なる偶然だったのかしら?」
 フューチャー美夏の行動の真意がどこにあるのか読めない奈里佳は、右手親指の爪を軽く噛んだ。
「なにかの罠という可能性もあるんじゃないでしょうか?」
 とりあえず言いました。という根拠の無いクルルの意見だったが、奈里佳はそれをまじめに受け止めた。
「そうね、一瞬だけ姿をあらわして、私達をおびき寄せているのかもしれないわね。自分が戦うのに有利な状況をどこかに設定しているんじゃないかしら?」
 奈里佳はそう判断したが、大はずれである。まさかフューチャー美夏が痴話喧嘩の延長線上の理由でUターンしたのだとは、想像の範囲をはるかに越えていたのだ。
(あら、怖いの? まったく奈里佳ともあろうものがあんな奴に怖じ気づいちゃうだなんて、ははっ、笑っちゃうわね)
 しなくても良い挑発をしてしまうのが奈里佳2号である。
「誰が、怖じ気づいているってッ!? 怖いわけ無いでしょ? さあ、おにゃんこナース! フューチャー美夏を追って飛ぶわよッ!!」
 挑発には喧嘩腰で応えるのが流儀という奈里佳と奈里佳2号である。奈里佳は深い考えもなしにそう答えると、おにゃんこナースの背中に手をかけ、そこから大きな白い羽をずるずると引き出したのだった。そして奈里佳自身も自らの背中から黒い羽を出すと、そのまま部屋を横断して院長室の窓を開けた。
「待って下さいにゃ。奈里佳さん」
 窓から身を乗り出して今まさに飛ぼうとしている奈里佳を追いかけてくるおにゃんこナースは、何故か何もない場所で転んでしまった。そしてその左手のランチャーから1本の注射器ミサイルが誤って発射されてしまって院長を襲うが、狙ったわけではないので、それは院長の左頬をかすっただけだった。
「急いで、おにゃんこナース」
 背中の黒い翼を羽ばたかせ、空中に乗り出す奈里佳。そして奈里佳に続いておにゃんこナースも窓から宙に舞った。中途半端に手だけが猫の手に変身した院長を残して……。

「どっちを向いても、猫耳少女ばかりじゃない。修ちゃんはどこなのよ」
 城南中学校に戻って来たフューチャー美夏は、堀田修司を探して歩き回る。ユニ君が校内の監視カメラをすべてモニターしているとは言っても、死角が多すぎて修司が変身した猫耳少女を見失ってしまっていたのだ。
(あれじゃないのか?)
 フューチャー美夏の視界に光る矢印が現れた。その矢印が指し示す方向を見ると、そこには不器用な猫の手で、必死になってカメラを操作しようとしている猫耳ナースッ娘がいたのだった。
「なかなかうまくシャッターボタンが押せにゃいにゃ。ええと、こうかな? ……そうかッ! 爪を出してそれで押せばいいにょかッ!!」
 試行錯誤の末に、なんとかうまい方法を見つけてカメラのシャッターを押しつづける猫耳ナースッ娘。まずは手始めに回りにいる猫耳少女を写し終わると、今度は三脚を取り出しそこにカメラをセットし始める。どうやら次の被写体は自分自身らしい。
「写真にこだわることからして、あの猫耳の女の子が修ちゃんということで間違いないみたいね。まったく情けない」
 フューチャー美夏はしばらくその様子を見ていたが、疑念が確信に変わった段階で大きくため息をつくのだった。しかし脱力しているわけではなく、怒りを押さえて爆発寸前だということは、小刻みに震える握りしめた右手を見れば分かることだった。
(あの猫耳少女だけが、他の猫耳少女と行動パターンが違うからな。彼女が彼ということで間違いないだろう)
 ユニ君が指摘するとおり、他の猫耳少女達はまだ変身していない生徒達に対してかいがいしく看護をしている。
「どこか具合の悪いところはありませんかにゃ? でも頭が悪いっていうにょは無しだにゃ」
「う〜ん、胸の発育が悪いですね。お注射しましょう♪ はい、これで良し。サービスでおっぱいの数も2つから6つに増やしておいたから感謝するにゃ」
「どこにも悪いところがにゃい? おかしいにゃ。どこか悪いところがあるはずだにゃ。これじゃ、看護できないにゃ。そうだッ! 悪いところがなければ作れば良いのにゃッ!! ……待つにゃ、逃げるんじゃないにゃ」
 看護するためには、まず怪我をさせるということさえいとわない猫耳ナースッ娘達。あっぱれである。ともかく他の猫耳ナースッ娘はそのような様子で、看護(?)に一生懸命なのだ。
 というわけで一般の猫耳ナースッ娘とは別パターンの行動を取る彼(女)を堀田修司その人であると特定したフューチャー美夏は、色々なポーズを取りながら自分を被写体にして次々と写真を取っている猫耳ナースッ娘な修司にツカツカと近づくと、おもむろに遠慮無く、そのほっぺたを思いっきりはたくのだった。
「にゃ、にゃーーーーーーッ!」
 手加減して平手打ちをしたものの、フューチャー美夏がまとっているナノマシンスーツには倍力化の機能まで付いている。早い話がパワードスーツである。さらに言うならば脳神経系がユニ君と同化している【夏美】は、脳から発せられる信号の強さがアップしている為に、生身でもその筋力を火事場の馬鹿力と同じレベルで発揮出来る。というわけで修司な猫耳ナースッ娘は、派手にふっ飛ぶと、教室の壁にめり込むのだった。
「にゃ、にゃにするにゃッ! 痛いにゃ、痛いにゃッ!」
 しかし、さすがに魔法で変身している状態であるからして、怪我をするとかそういう状況にはならないらしい。自分が空けた壁の穴から這い出しながら、修司な猫耳ナースッ娘は文句を言う。
「何って、分かるでしょッ! まったくもう……」
 そこまで言ってから、急に言葉を濁すフューチャー美夏。本当は、『修ちゃんのバカーーーッ!』と叫びたいところなのだが、それを言ってしまうと自分の正体がバレてしまう。まわり中にうじゃうじゃといる猫耳ナースッ娘達は、敵対する奈里佳の力により変身していると判断される限り、フューチャー美夏としては正体を明かすわけにはいかなかったのだ。
「とにかくバカーーーーッ!」
 というわけで言葉では感情を表現出来なかったフューチャー美夏は、猫耳ナースッ娘で彼女な彼を、もう一度、遠慮することなく思いっきりはたくのだった。
「にゃーッ! 骨が折れたにゃッ! 痛いにゃッ! 猫耳少女にはもっと優しくするもんだにゃ〜」
 嘘か本当か猫耳ナースッ娘な修司は、思いっきり痛がってみせるが、なおも容赦なくパンチや蹴りを入れるフューチャー美夏。とても正義のナノテク少女とは思えない所行である。
「嘘おっしゃいッ!」
 一言のもとに猫耳ナースッ娘な修司の言葉を否定するフューチャー美夏。ユニ君が持つセンサー類により、骨折などしていないことが分かっていることによる強気な発言である。
(骨折はしていないが、このまま【彼女】をいたぶり続けることに何かメリットはあるのかね?)
 本来は自分の恋人である【彼女】を、げしげしといたぶり続けるフューチャー美夏に対して、ユニ君は冷静に疑問を投げかけた。
(そんなもの決まってるでしょッ! こうしていれば仲間の危機を助ける為に、奈里佳がやってくるという寸法よ。別にこっちから奈里佳を探しに行く必要なんてないわ)
 表面上は無言のまま、なおも暴行を続けるフューチャー美夏。しかし裏ではユニ君に対して、己の行動を正当化してみせるのだった。
(それはあまり期待しないほうが良いのではないかな。今、フューチャー美夏がいたぶっている【彼女】が、奈里佳にとって特別な存在だとしたなら話は別だが、しょせんは大勢の中の1人に過ぎないわけだろうし。……いや、待ってくれ。前言を撤回する。およそ高度50メートル前後を飛行しながら接近してくる比較的大きな2つの量子反応をキャッチ。反応の大きさから考えて奈里佳クラスのパワーを持っている可能性が大きい。今、映像を出す)
 最初はフューチャー美夏の希望的な観測に対して懐疑的な反応を示したユニ君だったが、そのセンサーが奈里佳らしき反応を捉えると、機械らしくまったく恥ずかしがることもなく、その態度を変えたのだった。そして例によってフューチャー美夏の視界には、遠くから撮影されたからだろうが、ピントが合ってないものの空を飛ぶ2体の人影が映しだされた。
「さあ、とりあえず今はもうあなたに用事は無いわ。そこでしばらく反省していなさいッ!」
 奈里佳出現ッ! かも? というユニ君の報告を聞き、そして映像を見たフューチャー美夏は、修司な猫耳ッ娘を片手でむんずとつかむと、そのまま教室の黒板に向かって投げ飛ばした。ほとんど本気で……。
「にゃーーーーッ!!」
 大きな声を上げながら宙を飛び、黒板にぶつかるとそれを破壊する修司な猫耳ッ娘。砕けた黒板と壁が、もうもうたる粉塵をつくり上げる。それを見届けると、フューチャー美夏は教室の窓から外を見上げるのだった。ちなみに放り投げられた猫耳ッ娘な修司は、怪我を心配するお仲間たちに取り囲まれてあっという間に包帯でぐるぐる巻きにされていた。お互いに本望であろう。

「なんか猫耳ナースッ娘が1人、変な女にボコボコにされたみたいですにゃ」
 不安定な様子で空を飛びながら、おにゃんこナースは奈里佳に報告した。
「ええ、分かってるわ。その変な女っていうのがフューチャー美夏っていう私達の敵なの。人々の可能性を否定し、結果的に世界の可能性をも否定して、本来なら無数の世界から成り立っている時空球そのものを崩壊に導いてしまっている未来世界ディルムンのタイムパトロールなの」
 クルルからの受け売りの知識をそのまま披露する奈里佳。ちなみに奈里佳の飛行は完全に安定している。どこかふらふらとした飛び方をする白い羽と毛皮のおにゃんこナースに対して、一直線に飛ぶ黒い羽と毛皮の奈里佳。
「にゃるほど。あれが私達の敵にゃんですね」
 おにゃんこナースは、街中に散らばる猫耳ナースッ娘達の目を通してある程度までならその視界を共有することができるのだ。
(それにしてもおかしいわね。フューチャー美夏は何であの猫耳ナースッ娘にこだわるのかしら?)
 話に加わる奈里佳2号。奈里佳達もまた、遠隔視能力により、ほぼすべての状況を正確に把握しているのだが、まさかフューチャー美夏が痴話喧嘩の延長線上の理由により、特定の猫耳ナースッ娘を攻撃しているのだということは、まったく理解できていなかった。
「ま、何にしても売られた喧嘩は買わなくちゃね♪」
 楽しそうな奈里佳。虚勢ではなく本当に楽しそうなところがアレである。
(当たり前じゃない。さあ、どうしてくれようかしら?)
 同じくわくわくした声で応じる奈里佳2号。結局のところ、1号も2号も奈里佳は奈里佳であった。
「じゃあ、あいつをやっつけちゃえばいいんですかにゃ?」
 猫耳ナースッ娘の1人をボコボコに攻撃しているその人物が、自分達の敵だと聞いたおにゃんこナースは、素直にそう聞いた。
(あー、それはちょっと違います。僕達の目的は、あくまでも人々と世界の結晶化をくい止めることであって、フューチャー美夏をやっつけることじゃありません。ただ、フューチャー美夏が僕達の行動の邪魔をするので、その妨害を排除する為に闘っているだけだということを忘れないでください)
 直接的な闘いの役には立たないということで中津木総合病院に残留したクルルが、奈里佳達の会話に割り込んで来た。
「そうね。フューチャー美夏でさえ、結晶化の危険から守らなくちゃいけない対象の1人だし」
 城南中学の上空まであと少しという状況にも関わらず、奈里佳はどこかのんびりとしている。『負けさえしなければ自分達の勝ち』という勝利条件を理解してのことだろうか?
(ま、適当にからかって遊んであげればいいのよ。考えようによってはフューチャー美夏の存在でさえこの世界の未来の可能性を広げる因子であるとも言えるんだから。それよりも、向こうもこちらに気づいてるわよ)
 鋭い警告をする奈里佳2号。確かに前方には城南中学から急上昇してこちらに飛行してくる人影が見える。淡く輝くナノマシンスーツをまとったその姿は、フューチャー美夏以外にはありえない。
「分かっているわよ。どうやら空中で私達を迎え撃つつもりらしいけど、空中なら猫耳ナースッ娘たちとは闘わなくてもいいだなんてこと考えてるのかしら。だとしたら考えが甘いわね。……おにゃんこナースッ! 猫耳ナースッ娘達を一点に集めて。早くッ! それから私達はフューチャー美夏をその上空に誘導するわよ。いいわねッ!?」
 奈里佳は、フューチャー美夏が空中戦をしかけて来たのは、単純に猫耳ナースッ娘達の戦力をカウントしなくても良いからだと判断していた。しかし前回のバトルの際には役に立たなかった『お嫁さん』だが、今回の『猫耳ナースッ娘』にはそこそこの戦闘力はあるのだ。奈里佳は不敵な笑いを浮かべながらおにゃんこナースに命令をした。
「了解ですにゃッ! みんにゃ〜ッ! 集合するにゃッ!!」
 奈里佳の意図を理解したおにゃんこナースは、元気良く返事をすると眼下の猫耳ナースッ娘達に指示をする。しかしちょうどその時、フューチャー美夏が放った数条のビームが奈里佳達を襲ったのだった。
 瞬間、熱せられた空気が周りを包んだが、ビームそのものは奈里佳が展開した結界により、流れるようにその表面をなめると、ビームが発射された方向とは反対の方向へと飛んでいった。
(なかなかやるじゃない。でも、まだまだ結界の展開が遅いわね。私ならあなたの半分の時間で倍の強度の結界を展開できるわよ)
 奈里佳を誉めながらも、さらに自分のほうがもっとうまく出来ると自慢する奈里佳2号。
「あたりまえじゃない。私は自分の身体を持ち上げてる飛行魔法も同時に使っているのよ。結界を展開するだけに全力を集中することが出来る奈里佳2号に比べたら、私が作る結界のパワーが落ちるのはしょうがないでしょ」
 奈里佳2号の自慢を一撃で撃退する奈里佳。そうこうする間にも奈里佳とおにゃんこナースめがけてビームが飛来する。
「奈里佳さん、フューチャー美夏の現在位置は、集合しつつある猫耳ナースッ娘達の中心域からまだ外れているにゃ。効果は最大にはにゃらないですけど、もうやっちゃいますかにゃ?」
 ビームの嵐を受けている際中であるが、いや、だからこそおにゃんこナースはこちら側から攻撃をするかどうかについての判断を奈里佳に求めた。
「悔しいけど、フューチャー美夏相手に何度も同じ手が通用するとは考えないほうがいいわ。ここは攻撃効果が最大になるまでがまんよ。でもこのままじっと結界の中で耐えているというのも性にあわないわね」
 思案する奈里佳。その間にも奈里佳とおにゃんこナースは、地上を全速力で走り、跳び、一点に終結しつつある猫耳ナースッ娘軍団の中心域上空に、フューチャー美夏を誘導すべく努力していた。ビームを回避するふりをしつつ、じわじわと攻撃効果が最大限になるポイントへと移動していたのだ。いったいその攻撃方法とは何なのだろうか?
(ねえ、どっちにしても防御するばかりじゃ怪しまれるんじゃない? とりあえず目くらまし程度でも攻撃しないというのは私達らしくないわよ)
 防御一転張りのバトルにイライラした様子がありありとしている奈里佳2号である。しかしその言い分ももっともだ。奈里佳の本来の闘い方は防御よりも攻撃である。このままでは怪しんでくださいというようなものだ。
「ま、それもそうね。じゃあ無駄とは分かっていても攻撃しますか。おにゃんこナース、みんなに伝えて。注射器ミサイルをフューチャー美夏に向けて一斉発射ってね♪ あ、ちなみに爆発モードよろしく」
 にやりと笑う奈里佳であった。
「わかったにゃッ! みんな、注射器ミサイルを爆発モードで全弾発射にゃッ! 目標はフューチャー美夏だにゃッ!」
 おにゃんこナースは緊張にその猫耳をぴくつかせながら、地上を駆けている猫耳ナースッ娘軍団に指令を発した。その瞬間、猫耳ナースッ娘達は一斉に左手のランチャーから注射器ミサイルを連射したのだった。

 ちょうどその少し前、奈里佳達に向けて連続のビーム攻撃を続けていたフューチャー美夏は、微妙な違和感を覚えていた。
「姿からすると奈里佳とは違うようだけど……。それよりも、ねえ、おかしいと思わない? なんであの黒と白の2人は仕掛けてこないのかしら?」
 視界の片隅に浮き上がるバーチャルな画面に映しだされた背中の翼で空を飛んでいる2人の猫耳ナースッ娘を見ながら、フューチャー美夏はユニ君に問いかけた。しかしその間もビーム攻撃の手を休めることはしない。
(そのことなんだが地上に不審な動きがある。中津木総合病院を中心として広がっていた量子反応が検出される領域が、その範囲を狭めつつ中心を移動させている)
 ユニ君はフューチャー美夏の視界に、さらに平面地図が映しだされた別画面を浮かび上がらせた。地図には量子反応が検出された領域が赤く表示されており、確かにそれはじわじわと収束しつつ移動していた。
「もしかしてこれって、今の私達のいるポイントの真下に移動しようとしているんじゃないかしら?」
 そう言いながらフューチャー美夏は試しに大きく右方向に横移動してみた。すると4〜500メートルも移動した段階で、地図上の反応にも若干の変化がみられた。フューチャー美夏を追いかけるように地図上の赤い領域も、その全体が動いたのだ。
(間違いないようだな。明らかに猫耳少女に変身した人々は、ひとつの意思の元に統一されて動いている)
 フューチャー美夏に言わせれば、猫耳ナースッ娘軍団が自分達を狙うのは当たり前のこととも思えたが、ユニ君は機械らしい融通の効かなさというか律儀さというかで、改めてそう断言するのだった。
「じゃ、もうすぐ下からの攻撃が来るって訳ね」
 黒と白の空飛ぶ猫耳ナースッ娘達は、地上からの対空攻撃から目をそらす為のおとりの役割をしていると判断したフューチャー美夏は、だからこそ攻撃の手を休めなかった。
(来たぞッ! 小型ミサイルがこちらに向かって上昇してくる。その数は、162,720発を計測。それで、どうするかね? フューチャー美夏?)
 白い煙(?)を吐きながら上昇してくる注射器ミサイルを目にしながらも、あくまでも冷静な様子を崩さないユニ君。危険は何も無いとでもいうのだろうか?
「ふんッ! この前のバトルでの経験が正しければ、遠距離攻撃で気をつけなくちゃいけないのは、大量の小石を高速でぶつけられることだけよ。きっとこのミサイルは私達には何のダメージも与えられないはずよ」
 フューチャー美夏は、ミサイルの発射を確認した瞬間に奈里佳達へのビーム攻撃を中止すると、ミサイルからの回避運動を始めた。まずはミサイルよりもやや遅いスピードでそのまま上昇すると、ミサイル達を引きつけながらカーブを描き、ミサイルの進路が奈里佳とおにゃんこナースへと向かうように誘導すると、今度は全速力で奈里佳達に向かって空中を突進したのだった。
「思った通り、誘導ミサイルだったみたいね」
 後ろからついてくる大量の小型ミサイルをちらりと見ると、フューチャー美夏は前方の奈里佳とおにゃんこナースを見てにやりと笑った。

「あらあら、けっこう冷静ね。でもまあ、遠距離魔法攻撃はフューチャー美夏にダメージを与えられないってことは前回のバトルで分かっちゃったから、しょうがないわね」
 注射器ミサイルの群を引き連れてこちらに向かって突進してくるフューチャー美夏を見て、奈里佳も闘志を沸き上がらせる。なんのかんのと言っても、バトルそのものを楽しんでいるようだ。
「にゃにゃーッ! 撃ったミサイルがこっちにッ!! あわわわわ、どうしますかにゃ? ミサイルの誘導を切ったほうが良いかにゃ?」
 一方、おにゃんこナースはおろおろと慌てて、半分パニックになりかけていた。胸と下半身をおおう白い猫毛が全て逆立っているのがその証拠だ。
「いいえ、そのままでいいわ。フューチャー美夏ったら、こっちが撃ったミサイルをちゃっかりと利用したつもりなんでしょうけど、まだ甘いわね。おにゃんこナース、付いて来てッ!!」
 奈里佳は左手でおにゃんこナースの右手をつかむと、迫りくるフューチャー美夏とミサイル達から逃げ出し始めた。その動きは上下左右と、ランダムに進路を変更しているかのように見えたが、奈里佳の表情には余裕が感じられた。
「速い、速すぎるですにゃ〜ッ!」
 一方のおにゃんこナースは、162,720発ものミサイルをコントロールすることに魔力を裂かれている為に、既に限界に近い様子である。
「がんばりなさい、おにゃんこナースッ! 目標ポイントまであともう少しよ。それから奈里佳2号、私は飛行制御で手いっぱいだから、なるべく範囲を絞り込んだ結界のほう最大パワーでお願い。よろしくね♪」
 ランダムに飛行してきたように見えて、実は地上の猫耳ナースッ娘軍団が終結する中心地上空へと、フューチャー美夏を誘導し続けていたのだ。奈里佳は遅れがちになるおにゃんこナースを抱き抱えてそのまま飛翔を続ける。
(しょうがないわね。できる限り絞り込んで、身体の表面にだけ結界を張ってみるけど、この貸しは後で『克哉ちゃん』に請求しておくから、そっちこそよろしくね♪)
 奈里佳2号は、事実上の『後で克哉ちゃんをかわいがってあげる宣言』をする。それに対して何も言わない奈里佳だったが、ちょっと困ったような顔を見せるのだった。

(黒白の猫耳少女と我々、そしてミサイルの相対距離が徐々に狭まっているが、このままでいくとミサイルが我々に追いつくほうが先になるな)
 ユニ君は短くそう言うと、あとの情報は画像で表示する。
「このままでいけばね。でもそうはならないわ。ユニ君、重力制御ユニットの余力はあとどのくらい?」
 視界に重なるモニターに映る情報をちらりと見ると、フューチャー美夏はユニ君に問いかけながら前方の奈里佳とおにゃんこナースを鋭く見つめる。
(ここ数日の間に重力制御ユニットを構成するナノマシンを複製して数を増やしてあるから、まだ現在は最大能力値の30%しか使ってない。一瞬のうちにあの2人に追いつけることは保証しよう)
 驚くべきことに、フューチャー美夏達は飛行制御をしている重力制御能力に、70%もの余力を残していたのである。
「ようし、一気に行くわよッ! Go!!」
 フューチャー美夏の気合とともに、ユニ君は瞬間的に重力制御ユニットのパワーを開放した。それと同時にフューチャー美夏の身体はまるで瞬間移動でもしたかのような加速で奈里佳とおにゃんこナースに追いつくと、そのまま2人の足を掴んだのだった。
「は、離すにゃ〜ッ!」
 慌てたおにゃんこナースは、パニックを起こして叫びだす。しかし奈里佳はなぜか落ち着いた様子を崩さない。想定の範囲とでもいうのだろうか。
「お望み通り離してあげるわよ。そ〜らッ!」
 パワードスーツでもあるナノマシンスーツが生み出す強大な握力で奈里佳とおにゃんこナースの足を握りしめたまま、2人をぐるぐると振りまわす。そして勢いをつけると迫り来るミサイルに向けて、フューチャー美夏は2人を放り投げた。
「にゃ、にゃぁーーーッ!」
「きゃーーーッ♪」
 勢い良く放り投げられて、それぞれ悲鳴を上げる2人だったが、本当に悲鳴を上げているおにゃんこナースに対して、奈里佳の悲鳴はなんだか楽しそうな悲鳴だ。セリフの最後に『♪』がついてるし。
 そしてそれぞれ異なる感情から発せられた悲鳴を上げつつ、しっかりとおにゃんこナースを抱き抱えた状態の奈里佳は、不敵な笑みをその顔に浮かべながら、猫耳ナースッ娘軍団が発射した162,720発ものミサイルの群れとぶつかりあったのだった。次々と爆発するミサイル達。連続して発生する爆発音と炎が2人を包み込む。
 次々とミサイルは2人に命中したが、本来のターゲットはフューチャー美夏である。奈里佳とおにゃんこナースへの命中を回避出来るだけの機動が出来たミサイルは、爆発と炎の饗宴の場をすり抜けてフューチャー美夏へと突進する。
「ふんッ! たわいもない」
 しかし迫り来るミサイルを見ても、フューチャー美夏は回避行動をする気配をまったく見せず、微動だにしない。空中に咲いた炎の花から落ちていく奈里佳とおにゃんこナースを見ているだけだ。
 そして瞬く間もなく、残されたミサイルの全てがフューチャー美夏を襲ったのだった。本来ならおにゃんこナースによる最終的な制御を受けてミサイルは各個それぞれが芸術的な機動を見せて、逃げ場が無いように前後左右、そして上下からフューチャー美夏を襲うはずだった。しかしミサイルは統制をまったく欠いた状態でフューチャー美夏のナノマシンスーツ表面を被うフィールドバリアに衝突した。

「ふ〜む。やっぱり、遠距離魔法攻撃はまったく効果無しか。やっかいよね。自意識を持った機械ってのは」
 自分達で放ったミサイルの直撃を受けて地面に落下していく奈里佳とおにゃんこナース。どちらかと言えば本気でパニクっているおにゃんこナースに対して、奈里佳はあくまでも冷静だ。残りのミサイルが見事フューチャー美夏に命中するも爆発することなく消滅していくのを見て、感心したようにつぶやいている。
(フューチャー美夏が着ているナノマシンスーツは、魔法の力をキャンセルする力があるものね。でもまあこれくらいのほうが面白いってものよ。それよりもそろそろ良いんじゃない?)
 奈里佳2号からは不敵な雰囲気が伝わってくる。身体は無くとも血沸き肉踊るのだろう。
「そうね。ここまでしてフューチャー美夏を猫耳ナースッ娘軍団の中心点に誘いこんだんだから、攻撃しなきゃバチが当たるわよ。さあ、おにゃんこナースッ! 猫の手の威力を見せてあげなさいッ!!」
 奈里佳2号に同意すると、奈里佳はおにゃんこナースのほっぺたをやや強く叩いて正気を取り戻させると、攻撃開始を命令した。
「はッ!? そ、そうにゃ。攻撃にゃ。全員、猫の手にゃ〜〜ッ!!」
 地面に激突する寸前のタイミングで、おにゃんこナースは猫耳ナースッ娘達に命令を下す。それを確認した奈里佳は、もう遠慮はいらないとばかりにやられたふりをするのをやめて落下を制御し、ふわりと地面に着地した。するとそこは猫耳ナースッ娘達が、ほぼ真上に位置するフューチャー美夏をじっと見つめながら妙なポーズを取っていた。
「はいにゃ〜♪」
「猫の手にゃ〜」
「任せて下さいにゃ〜ッ!」
 おにゃんこナースが発した命令に対してにゃんにゃんと返事を返しながら、猫耳ナースッ娘達はひざをほんのわずか曲げつつ腰をかがめ、ひじを曲げた右手と左手を少々ずらして身体の前で上げている。
「みんなッ! 私の動きに合わせるにゃッ!」
 まわりの猫耳ナースッ娘達と同じポーズを取ると、おにゃんこナースは真の攻撃を開始した。

(しまったッ! 空間歪曲、局所的な重力異常発生ッ! 緊急離脱するッ!!)
 ミサイルに気を取られるあまり、フューチャー美夏はいつの間にか猫耳ナースッ娘達が集結する中心域上空に誘い込まれていたのだった。珍しく慌てた様子の声でユニ君が叫んだのだが、しかし時は既に遅かった。

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第15章 猫の手は招く……


「キャーーーッ!」
 フューチャー美夏の叫び声が響く。おにゃんこナースおよび猫耳ナースッ娘軍団の攻撃は確実にフューチャー美夏を捕らえ、その身体を直径60メートル程度の空域の中で前後左右上下と、ぐるぐると激しく動かし、もてあそんでいる。
(通常状態での離脱不能。パワー不足だ。現在コンデンサーに電力を蓄積中。離脱が可能になるだけのパワーがたまるまで何とか耐えてくれ)
 現空域からの緊急離脱を試みたユニ君だったが、それが無理だと判断するとすぐに冷静な態度に戻り、次善の策を取るのだった。
「ユ、ユニ君ッ! いったいこれは、ど、どうなってるの!? 早く何とかしてーーーッ!!」
 何とかする為にユニ君は出来る限りエネルギーの消費を押さえてパワーを蓄積しているのだが、そんな理屈が分かるような状態では無かった。フューチャー美夏は見えない手によってもみくちゃにされて、冷静さを欠いていたのだ。ちなみにいつもならそういう状態になったフューチャー美夏の精神状態をこっそりと制御していたユニ君なのだが、今回はその為に要するエネルギーすら節約してパワーをためているのだった。まあ、徹底しているということなのだろう。
(対処はちゃんとしているからしばらくは今の状態で耐えてくれ。なに、死にはしない程度には重力制御をして慣性を打ち消しているから安心してくれ)
 なだめているようで、微妙に不安を煽っているようなことを言うユニ君。
「し、死にはしないってッ! だからこれは何なのよ。何が起きてるのーーーッ!?」
 ジェットコースターがゆりかごに思えるほどの激しい動きを外部から強制されているフューチャー美夏は、とにかく叫ぶ。
(大規模な重力制御によって我々を含む空間が歪曲され、結果的に我々は一定範囲内の空間に閉じこめられたということだな。ついでに振り回されているが、これもまた重力制御によるものだ。攻撃力としてみた場合、特にどうというものでもない)
 どこかめんどくさそうな言い方のユニ君。実際にはそんなことは無いのだが、冷静というその一点だけで、この状況ではそのように感じられてもしょうがないかもしれない。
「特にどうというものでもないのなら、早く何とかしてよッ!」
 怒っているのか泣いているのか何だかよく分からないような口調になっている。
(既にやっている。この状態を抜け出す為には、一時的にも相手のパワーを上回る出力を実現する必要がある。その為に現在は可能な限りエネルギー消費を押さえて電力をコンデンサーに蓄積しているところだ)
 淡々と説明するユニ君。ついでにフューチャー美夏の視界には、エネルギー消費量と蓄積量を表すグラフが映し出されたが、その背景の視界がめまぐるしく流れていくので、見ているだけで気持ち悪くなってくる。
「分かった。分かったから、とにかく早く何とかしてーーーッ!」
 限られた空間をぐるぐるとランダムに振りまわされて、さすがのフューチャー美夏も目を回しながら叫ぶのだった。

「あはッ♪ 効いてる効いてる。魔法そのものでの攻撃は効かなくても、魔法で起こした物理現象でならダメージを与えられることは調査済みよ」
 おにゃんこナースと猫耳ナースッ娘軍団に攻撃を任せ、奈里佳はのんびりと高みの見物である。
(う〜ん、まあ大規模な攻撃ではあるけど、効果はいまいちよね。この程度じゃフューチャー美夏に致命傷なんか与えられないし、そもそも華がないわ)
 うきうきしている奈里佳に対して出番が無くてちょっと面白くない奈里佳2号。華がないという文句をつけるあたり、ほとんどいちゃもんである。
「華は後から咲くものよ♪ ま、とにかく攻撃続行よ。おにゃんこナース」
 何が言いたいのか良く分からないが、奈里佳の態度に変化はない。
「うにゃ? よく分からにゃいけど分かったにゃ。みんなーーーッ! あと少しがんばるにゃ〜!!」
 おにゃんこナースは、まわりに集結している猫耳ナースッ娘達に呼びかけた。
「は〜い、右手を上げて『くいくいっ』とにゃ〜♪」
 自分の声に合わせて招き猫のように手首をちょいと曲げつつ上空のフューチャー美夏に向けて右手を上げて、くいくいっと小刻みに動かすおにゃんこナース。
「くいくいっとにゃ〜♪」
「……くいくいっとにゃ〜♪」
「…………くいくいっとにゃ〜♪」
「………………くいくいっとにゃ〜♪」
「……………………くいくいっとにゃ〜♪」
 奈里佳とおにゃんこナースが立つ位置から波紋が広がるように、猫耳ナースッ娘達の声が響く。しかし統制が取れていてもその距離の違い等から、完全に同一の歩調で魔法を発動させることは出来ないので、どうしても微妙なずれが生じてしまう。もっともそれだからこそ魔法による重力制御にランダムなずれが生じ、フューチャー美夏に対する攻撃がより激しいものとなっているのは皮肉である。
「右だにゃ〜♪ 左だにゃ〜♪」
「……右だにゃ〜♪ 左だにゃ〜♪」
「…………右だにゃ〜♪ 左だにゃ〜♪」
「………………右だにゃ〜♪ 左だにゃ〜♪」
「……………………右だにゃ〜♪ 左だにゃ〜♪」
 おにゃんこナースと猫耳ナースッ娘は、踊りを踊るような動きをしつつ攻撃を続ける。そしてそのはやし声にあわせて上空のフューチャー美夏は、生身のままでは気を失うどころか永久に目が覚めない状態になってもおかしくないほどにもみくちゃにされている。
「ふ〜む、そろそろ動きがある頃ね」
 右手を目の上に当ててひさしを作り、上を見上げる奈里佳。西暦91世紀の未来技術によって作られたナノマシンスーツを身につけているフューチャー美夏が、この程度の攻撃ではやられはしないということは分かり切っている。そんな奈里佳の感想であった。
(まあ、この程度でダウンしちゃうような相手じゃないものね。でも、どんな手を使ってくるのかしら?)
 奈里佳2号も同意見らしい。
「それは分からないわ。前回は物体をコピーするような機械を出して来たけど、あれを越えるような武器ってそうはないんじゃないかと思うわよ」
 奈里佳は前回のバトルにおいて、フューチャー美夏が披露(ひろう)した量子技術の結晶である物質波レーザーのことを思い出していた。
(そうかもしれないけど、どんな物質だって複製出来るなら、使いようによってはあの武器は無敵よ。気をつけなくちゃ)
 いつになく慎重な奈里佳2号。相手の力を認めているからこそ、フューチャー美夏を侮るようなことはしない。
「そうね。気をつけることにするわ」
 同じく、おちゃらけた様子を微塵も感じさせない奈里佳。なんのかんの言っても、やるときはやるのである。しかし口の端をちょっと上につり上げて笑うその姿が悪役にしか見えないというのは、いかがなものであろうか?
「よぉ〜し、仕上げにもっと上に上げてから一気に地面まで落とすにゃ♪」
 奈里佳と奈里佳2号がちょっとだけシリアスになっている間にも、おにゃんこナース達の攻撃は続き、それは最終段階を迎えようとしていた。空中でもみくちゃにするだけでは無く、一気に地面に叩きつけようというのだ。
「上げてから〜、落とすにゃッ!!」
「……上げてから〜、落とすにゃッ!!」
「…………上げてから〜、落とすにゃッ!!」
「………………上げてから〜、落とすにゃッ!!」
「……………………上げてから〜、落とすにゃッ!!」
 そのかけ声とともにフューチャー美夏はぐんぐんと上昇した。そしていったんそこで停止すると、今度は地面に叩きつけられるような勢いで急降下を始めたのだった。いや、まあ、おにゃんこナース達は本当に地面に叩きつけるつもりなのだが。
 そしてその少し前……。

(エネルギーの蓄積が最大容量に達した。いつでも脱出が可能だ)
 もみくちゃにされるフューチャー美夏が気を失うかどうかという状態になる寸前、ふと身体の移動に伴う加速度感が消えた。どうやら必要なパワーの蓄積が終わったので、最低限のパワーに押さえていた重力制御による慣性の打ち消しがフルパワーに戻ったらしい。
「もうッ! 遅いッ!!」
 ユニ君に対して文句を言うフューチャー美夏。まだ目は回っているが、フューチャー美夏の脳に融合しているユニ君を構成するナノマシンが感覚を補正し始めたので、急速にその状態はおさまりつつある。
(これ以上早くは出来ないほどのスピードで現在の状況から脱出する為のパワーを蓄積したのだが、何か問題があったかね?)
 静かにそう言いながら、フューチャー美夏の脳に微弱な電気信号を送るユニ君。そしてその信号を送られたフューチャー美夏の意識からはユニ君に対する非難の気持ちが消えた。
「OK、確かに何も問題はないわね。それよりも脱出するのは良いとして、その後に何か策は有るの?」
 意識を操作されたことにすら気づくことなく、フューチャー美夏は答えるのだった。その間にも目に映る景色はめまぐるしく揺れていたが、身体に対する影響は全てうち消されていた。
(特に策はない)
 とにかく現状から脱出することだけに全力を傾注していたユニ君は、あっさりとそう答えた。
「しょうがないわね。ねえ、ひとつ聞くけど、前のバトルで使った物質波レーザーって、あれを使えばどんな物質でも出せるの?」
 何か策が有るのか、フューチャー美夏はキラリと目を光らせた。
(複製したい物質のデータもしくはサンプルさえ有れば、どんなものでも複製出来るが、何をどうしようというのかね?)  
 代案が何も無い状態なので、ユニ君としてもフューチャー美夏のアイディアに乗ってみる気になったようだ。
「じゃあ、私に策があるわ。この攻撃から脱出したら、私の指示するところまで飛んでちょうだい」
 そこまで言うとフューチャー美夏は後のことは言葉には出さず、イメージだけでユニ君に自分の考えを示すのだった。
(そのような手がうまくいくとも思えないが、うまくいったときの効果は絶大だな。なるほど、賭けてみるだけのものはありそうだ。)
 そしてフューチャー美夏とユニ君の打ち合わせが全て終わったとき、おにゃんこナース達の攻撃は最終段階を迎えていた。フューチャー美夏の身体はそれまでのランダムな揺さぶりによるもみくちゃ状態から、振動はあるもののほぼまっすぐ上にぐんっと持ち上げられ、一瞬の静止の後に地面に向けて叩きつけられるように急激な落下をし始めたのだった。 

「上げてから〜、落とすにゃッ!!」

 直下から聞こえてくる猫耳ナース達の声。その可愛らしい声こそ、重力制御を行って自分に攻撃をしかけてきているパワーを持つものだということは、既にフューチャー美夏も理解している。奈里佳が主張しているような【魔法】という概念は信じがたいものの、パワーがあること自体は認めなくては話にならないからだ。
(敵は、既に我々がコントロールを取り戻していることを知らない。虚をつく為にも、地面に激突する直前に落下のベクトルを変えてペットショップに直行する。なに、この位置からならわずか数秒の距離だ)
 頭から落下しているフューチャー美夏の眼前に、ぐんぐんと地面が迫ってくる。
「了解。まずはあの猫耳ッ娘達を何とかしないとね。……それにしても奈里佳はどこに行ったのかしら?」
 既に地面は目の前だ。直下には胸と腰を黒い毛皮に被われた猫耳ナースッ娘と、同じく白い毛皮に被われた猫耳ナースッ娘が見える。
 しかしフューチャー美夏、ここまで来ても黒毛皮の猫耳ナースッ娘が奈里佳の変身した姿だということに気がついていなかったのか。にぶいやつ……。

ドーーーンッ!!

 地面にぶつかる寸前、というかほとんど接地しているかもしれない状態で、ユニ君は貯め込んだパワーを全て解放して重力制御システムを作動させた。その瞬間フューチャー美夏の身体は、はじかれるようにその場を後にして飛び去ってしまった。しかも一気に音速を超えたスピードを出した為に衝撃波が発生したようだ。

「あいたたた……。大丈夫? おにゃんこナース」
 突然に発生した衝撃波によって、その場にいた奈里佳やおにゃんこナースを始めとする猫耳ナースッ娘達は、その大半が転んでしまっていた。奈里佳は身体のあちこちを押さえながら立ち上がる。
「だ、大丈夫ですにゃ。でも、フューチャー美夏に逃げられてしまったにゃ。申し訳ないにゃ」
 攻撃の成功間違いなしと思っていたのに寸前でそれをかわされ、予期せぬ反撃すら受けてしまったとあって、おにゃんこナースは泣きそうな顔をしている。
「そう、良かった。周りの猫耳ッ娘たちも単に転んでいるだけみたいね」
 まず奈里佳は現状を確認する為に周辺を見渡したが、あちこちでのそのそと起き出す猫耳ナースッ娘達が見える。怪我をした者は誰もいないようだ。
「はいですにゃ。それにしてもフューチャー美夏はどこへ行ったんですかにゃ?」
 小首を傾げるおにゃんこナース。そしてふと上空を見上げた目に、なにかが降ってくるのが見えたのだった。
「なんか、降ってくるにゃッ! あわ、あわわわわッ!!」
 フューチャー美夏が発生させた衝撃波により建物のガラスが割れたり、ゴミが散乱している中、何が降ってくるのかが分からないうちから大慌てのおにゃんこナース。さすがに元が元だけのことはある。
「おちついて。特に害があるものでもなさそうよ」
 パラパラと落ちてくる何かの植物を乾燥させたようなものを拾ってしげしげと見つめる奈里佳。なんの変哲も無いその物体がいったい何の攻撃になるのだろうと、頭の中が疑問符でいっぱいになる。しかしその疑問は、すぐさま解消されることになった。
「うにゃ〜ん♪ いい気持ちだにゃ〜ん。にゃごろ〜ん」
「き、きもちいいにゃ……。いっちゃいそうだにゃ……」
「うにゃ、うにゃ、うにゃ、うにゃ、うにゃにゃにゃにゃ〜ん」
「あはははっ♪ ピンクの象さんが踊ってるにゃ〜」 
 見るとおにゃんこナースをはじめ見渡す限りの猫耳ナースッ娘達が、あちこちでうにゃうにゃごろごろと唸り、踊るような歩きでのたくたしている。
「これはもしかしてマタタビ!?」
 手にしたものをもう一度しげしげと見直す奈里佳。とはいっても今までにマタタビを見たことが無いので、見直してもあまり意味は無いのであるが。
(もしかしなくてもマタタビのようね。しかしいくら猫耳少女だからって、マタタビに反応しちゃう?)
 緊張感を漂わせながらも、ちょっとあきれた様子の奈里佳2号。
(マタタビって何ですか?)
 そこにクルルからの会話が割り込んでくる。
「マタタビっていうのは猫にあげると酔ったようになっちゃう、猫にとっての【クスリ】のようなものよ」
 ちょっとばかりぼかして説明をする奈里佳。そうしている間にも、まわりに降ってくるマタタビの量はさらに増え、猫耳ナースッ娘達の酔いはさらにその度合いを深めていく。
(ま、いわゆる【クスリ】ってやつよね。習慣性はないみたいだけど)
 奈里佳2号も適当に答える。
(なるほど。それにしてもフューチャー美夏も良い攻撃をしてきますね。まさか猫耳ナースッ娘達にこんな弱点があっただなんて知りませんでしたよ)
 感心しきりのクルル。そう言えば猫のぬいぐるみのような姿をしているクルルにマタタビは効くのだろうか?
「ま、でもなんとかなるでしょ♪ 単独で戦っても実力は私の方がフューチャー美夏よりも上だし」
 前回のバトルにおける勝利の記憶からか、自信満々で胸を張る奈里佳。突きだす胸がこぼれそうだ。奈里佳は、にゃんにゃんと幸せそうにのたくっているおにゃんこナース以下の猫耳少女達の真ん中で、鼻を鳴らすのだった。

「こんなにも効果てきめんだなんて、予想以上ね♪」
 その頃、フューチャー美夏は飛びこんだペットショップの前で、お得意の物質波レーザーを構えて喜んでいた。ちなみにペットショップではマタタビのサンプルを手に入れたのだが、当然にお金は払っていない。なぜなら正義を実現する為には犠牲(?)がつきものだからだ。
(ともかくこれで猫耳少女達の集団攻撃は封じることが出来たわけだ。あとはどこかにいる奈里佳を見つけ出すだけだな)
 そう答えるユニ君だったが、まさかユニ君まで黒い猫耳ナースッ娘が奈里佳の変身した姿だということに気がついてなかったのか……。2人そろって間抜けなやつである。
「そうよ。まったく奈里佳はどこにいるのかしら?」
 ナノマシンスーツの左肩から連続して存在している物質波レーザー装置を、元のスーツの一部に戻しながら、フューチャー美夏は空を見上げる。
 ちなみにスーツは先ほどまでの緑色ではなく、黄色に光っていた。空に向けて同心円状に物質波レーザーを照射してマタタビを広範囲に物質化させた為、フューチャー美夏のナノマシンスーツが装備している冷却レーザーシステムが出力を上げているという証拠である。
(ともかく先ほどの攻撃の中心にいた白黒2人の猫耳少女のところに戻ってみよう。あの2人を問い詰めれば、奈里佳の居場所が分かるかもしれない)
 そのままユニ君はフューチャー美夏の返事を待たずに重力制御システムを作動させると空を飛び、そうとは知らずに奈里佳の元へと向かうのだった。
「了解。奈里佳のほうからしかけてくるかと思っていたけど、来ないとあっちゃ、とりあえずそれしかなさそうね」
 流れる景色を見ながら、フューチャー美夏も同意する。そしてその同意を受けてユニ君は自分を構成するナノマシンの一部を移動させ再構成し、フューチャー美夏の右手にビームガン、左手にビームサーベルを出現させた。
(攻撃準備完了)
 ユニ君がそう報告した瞬間、前方の地面に倒れてにゃごにゃごと幸せそうにのたくっているおにゃんこナースと、すっくと直立してこちらを見ている猫耳ナースッ娘モードの奈里佳が現れた。この2人の猫耳少女は背中に羽が生えているので、他の猫耳少女と区別するのは簡単だ。
「おにゃんこナースと猫耳ナースッ娘軍団をすべて戦闘不能状態にするだなんて、さすがね。フュチャー美夏ッ!」
 左手を腰に当て、右手をまっすぐフューチャー美夏に向けて指を指す奈里佳。ものすごく偉そうな態度である。
「まさかマタタビが効かない猫耳少女がいるとは思わなかったわ。雑魚のくせに……。答えなさいッ! 奈里佳はどこッ!? 隠れていないで出てくるように言いなさいッ!!」
 奈里佳の正面に着地すると、こちらもまた十二分に偉そうな態度で詰問をするフューチャー美夏。手にしているビームサーベルの柄からは光の剣が伸びており、有無を言わせぬ雰囲気をかもし出している。
「はぁ? なに言ってるの。私が奈里佳に決まってるじゃないの。あんたバカ?」
 まさかフューチャー美夏ともあろう者が、自分のことを奈里佳だと分かっていないとは想像もしていないので、奈里佳はからかわれたとでも思ったようである。
「嘘を言わないでッ! どう見てもあなたの姿は奈里佳には見えないじゃないの」
 ビームサーベルに続き、ビームガンも奈里佳に向けて構えるフューチャー美夏。その構えはいつでも遠慮なく発射する構えだ。ユニ君による精神操作の影響からか、好戦的になっているようだ。
「本当に分からないの? じゃあ、大サービスよ♪」
 奈里佳としては、バトルをする上で特に猫耳ナースッ娘モードでいる必然性を感じていない。単純に変身した時の姿をデジカメで撮影しておくという約束を父親としていたから、猫耳ナースッ娘に変身していただけなのだ。というわで奈里佳はその姿を本来(?)の姿へと戻すのだった。
 まずは胸と腰を覆う黒く輝く毛並みの良い猫毛皮から毛が引っ込むと、それはいつも通りの黒いレザースーツへと変貌した。次にスカートからのぞく猫尻尾がしゅるしゅると短くなると見えなくなってしまった。同じく背中の黒い翼も霧に消えるように薄れて空中に消えてしまうと同時に、着ぐるみの手袋をはめたような猫手と、同じく猫足も消えていく。
「ま、まさか、あなた本当に奈里佳なのッ!?」
 攻撃するのも忘れて、わなわなと叫ぶフューチャー美夏。黒い猫耳ナースッ娘の正体が奈里佳だということに気づかなかったことが、相当ショックらしい。
(そう言えば前回のバトルの時も、奈里佳は人魚の姿に変身していたな。奈里佳がいつも同じ姿であらわれるとは限らないということか)
 一方、ユニ君は新たな事実を、文字通り機械的に受け入れたようだ。
(もう、そういうことは早く言ってよね。奈里佳を相手に恥をかいちゃったじゃないッ!)
 頭の中でユニ君に対して文句をいうフューチャー美夏。やつ当たりである。
 そうこうしている間にも、奈里佳の頭からとびだしていた猫耳も小さくなり髪の毛の間に隠れてしまった。もはや先ほどまでの猫耳ナースッ娘だった面影は微塵も無い。
「じゃ〜んッ! というわけでブラックおにゃんこナースの正体は私なのでした〜ッ!! ……ていうか本当に気がつかなかったの? もしかしなくてもあんたってバカ?」
 フューチャー美夏の神経を逆なでする奈里佳の口調。右手を軽く口に当て、吹き出しそうになっているのを抑えている。 
「誰がバカよッ! あんたこそ恥ずかしくないの。な〜にが、『ブラックおにゃんこナース』よ。あんたこそバカまるだしじゃないッ!!」
 痛いところを突かれて逆ギレしたフューチャー美夏は、そう言うと同時にビームガンを連射しながら地面の上を滑るような勢いで突っ込んできた。しかし正確な射撃のビームは奈里佳に命中するものの、全て結界に阻まれ、あるいは受け流されてしまっている。
「そんな攻撃なんか効かないもんねぇ〜♪ へへん、悔しかったらここまでおいでぇ〜」
 ビーム攻撃を完全に防御しつつ、急速に迫ってくるフューチャー美夏をバカにしつづける奈里佳。
「その余裕がいつまで続くかしらねッ!」
 あっという間に十数メートルの距離にまで近づくフューチャー美夏。するとナノマシンスーツの右手の甲の部分に一体化していたビームガンが分離独立し、奈里佳を挟んでフューチャー美夏とは反対側へと勢いよく飛んで行く。
「えッ!?」
 ほんのわずかな隙が出来たその一瞬、既にフューチャー美夏は奈里佳に対して手が届く距離にまで肉薄していた。すさまじいまでのスピードなのであろうか? 奈里佳はその場を1歩も動けない。
「くらえッ!」
 気合のこもった声とともに左手によって振り降ろされるビームサーベル。同時に奈里佳の背後にまわっていたビームガンが火を吹く。前面からはビームサーベル。後背からはビームガンの挟み撃ちだ。
「このくらいの攻撃、何でもないわッ!」
 微動だにせず、身体のまわりに張った結界のみで前後からの攻撃をはね返す奈里佳。しかしフューチャー美夏、正確には彼女が着ているナノマシンスーツが接近したことにより、若干とはいえ奈里佳の魔法にも影響が出ているのだろうか? ビームによる攻撃を受けている結界の部分がなにやら不規則な発光をしている。
「そうかもね。では、これならどう?」
 顔の上半分を覆うヘルメットの下でにやりと笑うと、フューチャー美夏は空いてるほうの右手で奈里佳のみぞおちにアッパーを打ち込む。スーツの倍力機構により何倍にも強化されたフューチャー美夏のこぶしがそのままねじり込まれると、奈里佳は上半身を折るようにして前にかがみ込んだ。
「ぐ、かはっ……」
 声にならない空気が漏れる。
「ふふ、勝負あったわね」
 勝利を確信するフューチャー美夏。しかしそれは一瞬の勝利だった。
「……電撃」
 ぼそりとつぶやくような奈里佳の声が聞こえると同時に、フューチャー美夏の身体には大電流が流れたのだった。

ちゅどーーーーんッ!!

 地上0メートルで発生する雷があったとしたら、これではないのかと思える状況が発生する。奈里佳とフューチャー美夏を中心としてわずか半径1.5メートル程度の範囲に限定された落雷。その衝撃によりフューチャー美夏は動きを止める。
「どうやら勝利の女神は私のほうに微笑んだようね。ダイレクトに電撃を叩き込む為にわざとあなたの直接攻撃を受けたのよ。あなたが電撃に弱いというのは前回のバトルで分かっていたしね。ま、未来技術のナノマシンスーツといえどしょせんは機械。電撃には弱いのは当然よね〜。というわけで奈里佳の勝っちぃ〜〜〜ッ♪」
 直前にフューチャー美夏の強烈なアッパーをくらった様子など少しも感じさせることなく右手を高くあげて勝利のポーズをとる奈里佳。どうやら、フューチャー美夏の直接攻撃をわざと受けたというのは嘘ではないらしい。
「弱い、弱いわねえ、フューチャー美夏。じゃ、今後もせいぜい精進することね」
 くずおれて動かないフューチャー美夏を見下ろしてそう言うと奈里佳はくるりと背を向けて、まだにゃごにゃごとしているおにゃんこナースの元へと歩き出したのだが……。
「はぁーーーーッ! ふんッ!!」
 背後から迫る猛烈な気合いにふと振り返った奈里佳は、次の瞬間、顔面への強烈なパンチを受けたのだった。吹き飛ばされる奈里佳。道路には奈里佳の身体が削った溝が出来、衝突したビルの壁には大きな穴が穿たれる。
「はあ、はあ……。私があなたの電撃に対して何の対処もしていなかったとでも思ったの? 甘い、甘いわよ、奈里佳ッ!!」
 ビルの壁を破壊した際のがれきの中から立ち上がろうとする奈里佳に対して、フューチャー美夏が叫ぶ。そのナノマシンスーツは内部で発生した膨大な熱を処理する為に冷却レーザーシステムが全力で稼働しているのか、白く輝いている。腰のまわりには白く輝く実体の無い光のスカートがゆらめき、頭にかぶったヘルメットさえ無ければまるでバレリーナのような姿である。
「痛たたた……。前のバトルの時以上のパワーの電撃だったはずなのにそれが効かないだなんて。なるほど、ちょっとは出来るようになったみたいね」
 とっさに体表面を結界で覆ったものの、さすがにフルパワーで繰り出されたフューチャー美夏のパンチによるダメージは隠せない。奈里佳は口からわずかに血を流しながらよろめきつつ立ちあがる。
「素直に負けを認めたらどう? 少なくともパワーでは私に勝てないわよ」
 ナノマシンスーツの倍力機構を限界まで酷使した攻撃ではあったが、確かにパワーでは奈里佳よりもフューチャー美夏のほうが遥かに上であった。
 不敵に笑うフューチャー美夏に対して、闘志を燃やして舌なめずりする奈里佳。口の端から流れる赤い血の筋を、それに負けず劣らず赤い舌がゆっくりとなめる。

(ユニ君、システムの状態はどう? まだやれる?)
 余裕たっぷりの表情で奈里佳を無言のままにらみつけるフューチャー美夏だったが、頭の中ではけっこう焦っていた。先ほどの電撃を防御したこととパワーをふり絞った為に、システムが過負荷状態になりかけていたのだ。具体的にはナノマシンスーツから発生する熱量が冷却レーザーシステムの能力を越え、システムが通常の状態であるなら感じるはずがない暑さをフューチャー美夏は感じ始めていたのだ。
(大丈夫だ。前回の経験から、対電撃防御用の絶縁処理がほどこしてはあるのに加えてフィールドバリアによる防御もあるので、今の電撃の数倍程度までならなんとか耐えられる。そのかわり電撃を防御した直後に今のようなフルパワー攻撃をしかけると、システムが過負荷状態になるかもしれないので注意してくれ)
 フューチャー美夏の視界にナノマシンスーツの稼動状態を知らせるモニター画面が浮かび上がる。見たところ自己修復機能による修理が開始されている個所もあるようだが、致命的なダメージはなさそうだ。
(了解、とりあえずパワーとスピードの接近戦に持ちこむわよ。その間にもさっき分離したビームガンに続いてビームサーベルも分離。そっちのコントロールは任せるから援護をお願いね)
 すぐさまフューチャー美夏の左手からビームサーベルが飛びだしていく。空飛ぶビームガンとビームサーベルによる援護を受けつつ、接近格闘戦をしかける覚悟らしい。
(物質波レーザーはどうする?)
 フューチャー美夏が装備する最強の武器をどう使うのかと尋ねるユニ君。
(とりあえず有効な使用方法を思いつかないから、物質波レーザーに使うエネルギーとナノマシンをすべてスーツの倍力機構に回して。……行くわよッ!!)
 声に出さないおたけびを上げて、フューチャー美夏は奈里佳に突進するのだった。

 一方その間に、奈里佳も脳内会議を開いていた。
(あの電撃を防御されちゃったらどうしようもないわね。特に私ひとりだけじゃね♪)
 弱音を吐いているようで、その口調には困惑した様子はまったくない。むしろ楽しんでいるようだ。
(まあ、私が手助けするなら何とかなるかもね。少なくとも魔法による攻撃力は単純に考えても2倍。上手く相乗させれば更に何倍にも効果は上がるはずよ。理論的にはね……)
 舌なめずりするような奈里佳2号の声が応える。
(じゃあ、私がフューチャー美夏に接近戦をしかけるから、あなたはフルパワーで電撃をしかけられるように準備しておいてね。それでいい?)
 レザースーツについた埃を払いつつ、完全に立ち上がる奈里佳。パワーをためているのか金色の髪の毛がわずかに逆立ち、そのボリュームを増している。
(このお礼は高いわよ)
 こちらも戦闘準備完了という雰囲気全開の奈里佳2号。
(上等ッ! レディ、Go!!)
 こうして奈里佳もまたフューチャー美夏に対してまっしぐらに突進した。

ドーーーンッ!!

 魔法のパワーを身体中に込めた奈里佳と、ナノマシンスーツの倍力機構と重力制御システムのパワーを全開にしたフューチャー美夏が接触した瞬間、あまりにも大きなパワーがぶつかりあったその場を中心に衝撃波が発生する。ちょっとした突風が吹いたかのようにゴミが舞い、街路樹の枝が震える。
「パワーでならは負けないわ。観念するのね。時間犯罪者奈里佳ッ!!」
 ナノマシンスーツの倍力機構の能力に若干の余裕を残しつつ、フューチャー美夏は正面から奈里佳と両手で組み合っている。
「……パワーだけが勝敗を左右すると考えてるだなんて、お気楽な頭をしているのね」
 対する奈里佳は、一見するとフューチャー美夏と互角の闘いをしているように見える。しかしパワーでは完全に負けている。なんとか魔法による補助を得て体勢を維持してはいるが、それも限界に近い。なにせフューチャー美夏が着ているナノマシンスーツが魔法を妨害しているので、接近格闘戦では思うようにパワーを上乗せすることができないのだ。
「負け惜しみを……。ハッ!」
 ギリギリと組み合ったままの体勢から、フュチャー美夏は右足を上げて奈里佳の腹部をまったくの遠慮も無しに蹴り飛ばした。
「ぐはッ!」
 血の混じった胃液を逆流させながら、奈里佳はよろめいたかのように後方へと1歩下がる。その間にもフューチャー美夏の位置は変わらず手も組み合ったままなので、必然的に奈里佳の上半身は前かがみの状態になる。しかしそのままくず折れてしまうのかと思いきや、組み合ったままの手にグイっと力を入れ、なおかつ前に曲げた腰を後ろにそらすようにして、フュチャー美夏を物理的にはありえないような力で引っ張り、自分の後方へと投げ飛ばしたのだった。
「ふんッ!! はあ、はあ、はあ」
 その後しばし息を整える為か、フューチャー美夏を投げ飛ばしたあともそのままの姿勢をとる奈里佳。
 一方、投げ飛ばされ空中を舞うフューチャー美夏は、そのままビルに激突するかに見えたが、華麗な身のこなしを空中で見せると、ビルの壁面を力強く蹴ってそのまま奈里佳のいる場所めがけて戻ってきた。
 単なる重力任せではなく、重力制御システムも使ったすさまじい勢いを伴ったフューチャー美夏が繰り出すドロップキック。フューチャー美夏の両足のかかとが地面に触れるや否や、それまで奈里佳が立っていた場所に大きな穴が空く。
 更に、もうもうと舞う砂埃が消える間もなく、かろうじて身をかわした奈里佳に対して、ユニ君が操作するビームガンと空中を飛びながら襲い来るビームサーベルによる攻撃が連続する。もちろんその程度の攻撃では奈里佳が張る結界が破れることはない。しかし、ほんのわずかの隙を作るには十分だった。
 空飛ぶビームサーベルの攻撃をよけて身体をねじったその体勢の顔の位置にビームガンによるピンポイント攻撃を受けた奈里佳は、思わず目を閉じてしまったのだ。
 その隙に自分が穿った穴の中からコマが回転するかのような動きで出てくるフューチャー美夏。よくもまあそんなにも回転が出来るものだと感心してしまうほどの高速でくるくると回りながら奈里佳のもとまでやってくると、その回転による遠心力をめいっぱい乗せたキックを奈里佳のボディへと炸裂させる。
 とうとうたまらず地面に倒れる奈里佳。表面だけを見ているとフューチャー美夏の圧勝に見える。

(はあ、はあ、はあ……。さ、さすがに奈里佳もダウンしたみたいね)
 ゆっくりと回転を落として静止すると、地面にうつぶせになっている奈里佳を見下ろすフューチャー美夏。息があがっているところをみると、近接格闘戦はフューチャー美夏にとっても決して楽な闘い方ではないようだ。
(油断するなよ。生命反応は弱っているが、脳波はむしろ活動的になっている。何かしかける為に考えを巡らせているかもしれない。奈里佳はまだ自分の負けを認めていない。いやむしろ勝つ気でいるようだ)
 どのようなからくりがそのようなことを知らしめているのか分からないが、ユニ君は奈里佳の状態を正確に分析した。
(いまさら何を考えたって無駄よ。それよりも奈里佳を捕らえるんでしょ? さあ、どうすれば良いの?)
 バトルによるアドレナリンの分泌が限界を超えたのか、ユニ君による精神操作も既に不調が出始めているようだ。フューチャー美夏の態度と口調がそれとはなく威圧的になってきていることからもそれがうかがえる。
(そうだな。とりあえず奈里佳の正体を知るために、DNAデータから骨格データ、果てはその記憶データまでも採取させてもらうとするか。しかしやはり一番重要なのは記憶データだな。前頭葉に近い額の部分に私を接触させてくれないか?)
 ユニ君のその言葉を受けてフューチャー美夏は、地面に倒れた奈里佳の顔をこっちに向けて額を見ようと、その手を奈里佳の髪の毛を掴む為に近づけた。
 しかし奈里佳の髪の毛にフューチャー美夏の手が触れようとしたとき、そこから小さな光のボールが飛び出したのだった。
(注意しろッ! 量子反応レベル急速に増大ッ! 奈里佳は何かをしかけるつもりだッ!!)
 慌ててフューチャー美夏に警告を発するユニ君。
(了解ッ!!)
 そしてあわてて奈里佳から離れるフューチャー美夏だったが、結果的にはそれがあだとなった。むしろ奈里佳に密着すべきだったのだ。
 後ろ飛びに奈里佳から離れるフューチャー美夏を追って、無数の小さな光のボールが移動する。よく見るとそのボールは小さくパチパチと放電していることからして、球状の雷、球雷とでも呼ぶべきものであることがわかる。
 その球雷が逃げ場をふさぐように自分のまわりを取り囲んだ時、フューチャー美夏は自分が罠に落ちたことを理解した。
(ユニ君、あの光るボールを出来る限り打ち落としてッ! 早くッ!!)
 声無き叫び声をあげるフューチャー美夏。その叫びに呼応して、フューチャー美夏を取り囲んだ球雷を外部から打ち落とすユニ君。空中を移動しながらビームガンが吠え、ビームサーベルが球雷の群れに切りかかっていく。
 ビームガンに撃たれ、あるいはビームサーベルに切り裂かれた球雷は、その場でバチッという音を立てて放電する。ひとつひとつの球雷の威力は強くない。むしろナノマシンスーツの防御力を考えたら微弱と言っても良い。しかしとにもかくにも数が多すぎた。
「ユニ君どうなのッ? これが全部一度にぶつかってこられても耐えられるのッ!?」
 足元を除いて、視界の全てが球雷に覆われている中、とうとうフューチャー美夏は頭の中ではなく、実際に叫ぶのだった。

「ううう、私だけが痛いなんて不公平過ぎる」
 フューチャー美夏を何重にも取り囲み、その姿を覆い尽くしている球雷の群れを見ながら、奈里佳がゆっくりと立ちあがる。
(じゃあ、私に身体の主導権を渡してくれる? それだったらその身体の痛みも引き受けてあげるわよ)
 奈里佳2号が冗談っぽく提案する。その口調からは、その提案が受け入れられることは無いと思っていることがうかがえる。ようするに奈里佳をからかって遊んでいる口調だ。
「痛みだけを引きうけて欲しいんだけど……。まあいいわ。そんなことより急がないとね、早くしないとあそこでがんばっているビームガンとビームサーベル? あれに球雷の全てを消されちゃわないとも限らないし」
 返事を期待した発言ではなかったのか、奈里佳はそのまま精神を集中させると自らの身体から電気を発生させた。身体の中に収まりきらない電気が奈里佳の身体の表面をパリパリと走る。やがて限界に達したそのパワーは奈里佳の左右の手のひらに集まり、そこから勢いよくほとばしった。
「雷撃陣ッ!!」

キュドーーーーンッ!! バリバリバリバリ…… ズドドドドドド……

 左右の両手のひらからそれぞれ放たれた雷撃は、絡み合い螺旋を描くように伸びて行き、奈里佳2号が作った球雷で作られた檻を直撃する。それにより開放された球雷のエネルギーは中心部に閉じ込められていたフューチャー美夏を襲っている、……はずだ。電撃が炸裂している中心部はいまだに激しい放電が続き、内部の状態がどうなっているのかをうかがい知ることができないのだ。
「どうやら終わったみたいね」
 疲れ切った顔ながらもやることをやった満足感に溢れた様子で奈里佳がつぶやく。
(当たり前じゃない。私が手助けしたのよ。この攻撃が決まらないはずはないじゃない♪)
 一方の奈里佳2号は疲れを感じていないからか、浮き浮きと完全にお楽しみモードである。
「あとは、おにゃんこナースと猫耳ナースッ娘達を起こして、結晶化の解除のために適当にあれこれすれば終わりね」
 このような状況でもまだマタタビに酔ってにゃごにゃごしている猫耳少女達に呆れつつ、奈里佳はおにゃんこナースのもとへと歩き出したのであるが……。
「ハアアアッ! トオッ!!」
 放電が続く球雷の群れの中からフューチャー美夏が勢いよく飛び出してきて、奈里佳に激しい蹴りを入れたのだった。
「キャーーーッ!」
 蹴り飛ばされた奈里佳は、そのまま街路樹にぶつかると幹ごとそれを折り、ビルの1階に入っているショーウィンドウのガラスを割ってアパレルショップの中へと飛び込んでいった。
「うう、まさか……。あれだけの電撃をくらっても平気なの?」
 全身に強い痛みを感じながら、奈里佳はよろよろと立ちあがった。幸いにも巻き添えを食って怪我をしたような人はいないようだが、アパレルショップの店内はめちゃくちゃになっている。
「残念だったわね、奈里佳。あの程度の攻撃では私を倒すことなんかできないわ。さあ、分かったならおとなしく私に逮捕されなさいッ! これに従わないなら命の保障は出来ないわよ」
 ナノマシンスーツの冷却レーザーシステムが全力運転をしているのだろう。フューチャー美夏はまばゆいばかりの光に包まれながら、奈里佳が倒れている場所に向かってゆっくりと歩きはじめた。
(まずいわね。今の電撃はまったくの手加減抜きのフルパワーだったのよ。これが効かないんじゃ手の打ちようがないわ。で、奈里佳1号としてはどうするつもりなの?)
 この世界を含む全てのパラレルワールド全体で構成されるという時空球を、結晶化と崩壊の危機から救うという自分の使命の重さを思い出すと、ここで負けるつもりはさらさらない。しかしではどうすれば良いのかという具体策を何も思いつかない奈里佳2号だった。
(……おにゃんこナースと、猫耳ナースッ娘たちを起こす。力を合わせれば何とかなるかもしれない)
 どこか悲痛な響きを感じさせる奈里佳の返事だが、妙に芝居がかっているのがおかしい。
(もしもそれでダメだったら?)
 一方の奈里佳2号の声は意外なほど明るい。これまた妙だ。
(逃げるッ!)
 即答する奈里佳。精神的なガッツポーズを取っているかのようだ。いいのかね、それで?
(ま、当然よね。別に私達の使命ってフューチャー美夏を倒すことじゃないし♪)
 そうなのだ。くりかえすが、未来の魔法世界ネビルからやってきたクルルによって与えられた奈里佳の使命は、この世界の結晶化を防いで、ひいては全てのパラレルワールドで構成された時空球を崩壊の危機から救うというものなのである。
 さまざまなパラレルワールドの結晶化と崩壊の原因を作っている未来世界ディルムンからやってきたと思われるフューチャー美夏を排除すること自体に、実はさほどの意味はないのだ。
(ま、逃げるのは最後の手段ということで、まずはおにゃんこナースたちを起こしてみましょう。逃げるにしてもやれることは全てやってからにしたいわ)
 こういう律儀なところが、どこか克哉な奈里佳だった。
(じゃ、とりあえず私がマタタビを消すから、目覚まし時計係をお願いね。どうせなら私も負けて逃げるだなんてことはしたくないし)
 奈里佳2号も、思いは同じらしい。というか同一人物(?)なんだから思いが同じで当たり前なのか。ともかくその瞬間、おにゃんこナースと猫耳ナースッ娘たちの周辺からマタタビが全て消滅した。奈里佳2号が召喚魔法の応用で、マタタビをどこか遠くに転送したのだ。……いったいどこに転送したのかは知らないが。
 そして次の瞬間、奈里佳は普通の人間にはどうがんばっても無理な大音量の声を張り上げたのだった。

「いつまでもマタタビに酔ってないで、起きなさぁーーーいッ! ナースコールが鳴ってるわよぉーーーッ!!」

 同時にどこからともなく鳴り響くブザー音。その音を聞いた猫耳ナースッ娘たちは、さすがに猫耳とはいえナース属性を持つ存在である。おにゃんこナースをはじめとして、まわり中の猫耳ナースッ娘達が寝ぼけまなこをこすりながらもぞもぞごそごそと起きだしたのだった。
「頭がぼーっとするにゃ。まだ眠いにゃ」
「でも、どこかでナースコールが鳴ってるにゃ。患者さんが呼んでるんだにゃ」
「っていうか、これだけ猫耳ナースッ娘がいれば、私ひとりくらいまだ寝てても大丈夫かもしれにゃいにゃ? うん、きっと大丈夫だにゃ♪」
「そうにゃ、そうにゃ♪ また寝するにゃ。ふにゃ〜」
 起き出したと思ったら、すぐにまた寝ようとする猫耳ナースッ娘たちを見て、奈里佳もさすがに頭を抱えてしまった。

「寝るんじゃないッ! さっさと起きるッ! ほら、おにゃんこナースもみんなも早く顔を洗って目を覚ましなさいッ!」

 奈里佳の気迫のこもった怒声を受けて、猫耳ナースッ娘たちは毛を逆立てて驚いた。
「み、みんなッ! 早く顔を洗うにゃッ! 顔を洗って目を覚ますにゃッ!!」
 もちろん特に驚いたのは、おにゃんこナースである。おにゃんこナースは自らも慌てて顔を洗いながら、まわりの猫耳ナースッ娘達にそう言うのだった。
「無駄よッ! 数だけそろっていてもあなた達なんか私の敵じゃないわッ!!」
 猫耳ナースッ娘達が一斉に顔を洗い出す姿を見ても、フューチャー美夏はまったく動じない。また物質波レーザーでマタタビを出せば良いと思っているらしく、余裕たっぷりだ。
「急ぐにゃッ! みんな早く顔を洗うんだにゃッ!!」
 おにゃんこナース自身も左右の猫手を舌でなめて湿らすと、こぶしを軽くにぎったままのその手を顔にこすりつけて、猫式の洗顔をする。もちろんまわりの猫耳ナースッ娘たちもそのような方法で顔を洗っている。

ゴロゴロゴロゴロゴロ……

 するとどうしたことか一転にわかにかき曇り、空はどんよりとした黒雲に覆われた。すぐさまポツポツと雨が降り出し、なおかつゴロゴロと雷が鳴る音が低く響く。
「なんだか強い魔力が解放されているけど……」
 奈里佳は空を見上げてつぶやく。
(そうね、これはおにゃんこナース達の仕業ね。といっても意識的にやってるわけじゃなさそうだけど)
 奈里佳2号も魔力が解放されている様子を感じて、奈里佳の感覚を肯定する。
「そうかッ! 昔から、『猫が顔を洗うと雨が降る』って言うけどッ!!」
 今起きている事態を完全に理解した奈里佳は、驚きの声を上げた。
(そのとおりッ! ごく普通の猫が顔を洗っても雨が降るのに、魔力を持った猫耳ナースッ娘達がいっせいに顔を洗えば……)
「……雨が降るどころか、雷が落ちるぐらいは必然ッ! なるほど、これはチャンスだわッ!!」
 そこまで言うと奈里佳は、棚が破壊されて商品が散乱するアパレルショップの店内から勢い良く飛びだすと、目の前のフューチャー美夏に対して見得を切るのだった。
「覚悟しなさいッ! フューチャー美夏ッ!! 全ての人々が持っている自由な未来を否定して、たったひとつの未来と歴史しか認めないだなんて許せないッ!」
 右手をまっすぐに伸ばし人差し指でフューチャー美夏を指さす奈里佳。
「時間犯罪者が何を言うッ! 歴史をお前なんかの勝手にさせるものかッ!!」
 対するフューチャー美夏も奈里佳に向かって叫ぶ。そのフューチャー美夏に向かって、先ほど分離したビームガンとビームサーベルが飛んで来て、ナノマシンスーツに一体化する。フューチャー美夏も退く気はまったくない。
「おにゃんこナースッ! こっちに来て私の手をにぎってッ!!」
 目はフューチャー美夏を見据えたまま、奈里佳が叫ぶ。
「は、はいにゃッ!」
 転びそうな勢いでおにゃんこナースは駆けて来ると、奈里佳の左手をしっかりとにぎった。
「魔法少女の底力を見せてあげる♪ 天空に満ちる雷の気よ。私の願いに従い、降り来たれッ!」
 猫耳ナースッ娘たちの魔力が、おにゃんこナースを通じて奈里佳に流れる。奈里佳はその膨大な魔力を利用して、雷雲に蓄積された電気エネルギーを雷の形で誘導し、一点に向かって落雷させようとしていたのだ。……フューチャー美夏に向かって。
「無駄だと言ってるでしょッ!」
 量子反応からみて、上空の雷雲は奈里佳が発生させているとフューチャー美夏は看破した。そしてそのままビームガンを最大出力で雷雲に向かって発射する。ビームの収束率を低めに設定してあるのか、発射されたビームは広く拡散しつつ雷雲に伸びて行く。どうやら雷雲そのものを蒸発させようという考えらしい。
「遅いッ!! マジカルサンダーーーッ!!!」
 ビームが雷雲を吹き飛ばす寸前、奈里佳の気合とともに雷雲から稲妻が伸びた。
 そして、おにゃんこナースと猫耳ナースッ娘たち全員の魔力によって作られた雷雲に存在した膨大な電気エネルギーが奈里佳の魔法により制御され、見事にフューチャー美夏を直撃した。

バァ―ーーンッ!!

 奈里佳が自身の魔法により発生させた先ほどの電撃など比較にならない。生身の身体であれば確実に死に到る落雷を受け、フューチャー美夏のナノマシンスーツは全ての能力を電気エネルギーに対する防御に回すのだった。
 システムに異常をきたしながらも何とか最後の力をふり絞り、【フューチャー美夏 =夏美】の生命を守るユニ君。フューチャー美夏のナノマシンスーツは、しばらくめまぐるしく虹色に発光したかと思うと、ふっとその光を消した。そのままフューチャー美夏は声を出す間もなく気絶し、力なく地面に倒れたのだった。

「勝った……。ふふふ、ほほほ、おーっ、ほっ、ほっ、ほっ!」

 勝利の高笑いをする奈里佳。世界を結晶化と崩壊の危機から救う正義の魔法少女のはずなのに、その姿は悪の魔法少女にしか見えなかったのは気のせいではない。


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エピローグ


「さてと。とりあえず邪魔者はやっつけたし、本来の目的をちゃっちゃと済ませちゃいましょうか?」
 フューチャー美夏が単に気絶しているだけであることを確認すると、奈里佳はそのままフューチャー美夏を放置することにした。自分の使命は人々の結晶化とそれに伴う世界の結晶化と崩壊を防ぐことであり、守るべき対象にはフューチャー美夏ですら含まれるのだ。彼女を排除したり、ましてや命を奪ったりすることは奈里佳の本意ではない。
「フューチャー美夏の正体を調べなくてもいいのですかにゃ?」
 不思議そうに聞き返すおにゃんこナース。猫尻尾がくねくねと動いている。
「どうせ未来世界ディルムンのタイムパトロールだってことは分かってるんだから、それでいいわよ。それよりもおにゃんこナースはみんなを猫の手にしてから、その猫の手なナースッ娘たちに、病人や怪我人を看護させたかったんでしょ?」
 いまだ結晶化が解除されていないのか、おにゃんこナースの変身が解ける様子はない。
「はッ、そうだったにゃ! 猫の手でドジだって、一生懸命努力することが良いことだということをみんなに実感してもらうんだったにゃ!!
 こうしておにゃんこナースと猫耳ナースッ娘たちは、看護すべき病人や怪我人を探しに街中に散っていったのだった。なお本日看護された怪我人の大半は、奈里佳とフューチャー美夏のバトルの巻き添えを食った人達であったことは言うまでもないことである。
 こうして病人や怪我人を看護をするにはかなり不適当な、ぬいぐるみのグローブのような猫の手をした猫耳ナースッ娘たちは、ドジな失敗を大量にしながらも一生懸命な看護をしたのだった。
「ドジだっていいにゃ♪ 失敗したっていいにゃ♪ とにかく一生懸命やることが大事なんだにゃ♪」
 猫耳ナースッ娘たちの活躍(?)を見ながら、おにゃんこナースは悦に入るのだったが、どこか心に隙間風が吹くような感覚を味わっていたのも確かだった。
 ともかくやりたい放題、し放題の限りをつくしてようやく結晶化が解除されたおにゃんこナース、いや津谷美根子は、自分の職場である中津木総合病院へと戻ったのだった。

「あ、美根子先輩、いったい今までどこに行っていたんですか? こっちはもう大変だったんですよッ!」
 病院に着いた美根子が見たもの。それは大小様々な怪我をした患者さん達の群れと、そのまわりで右往左往する医者や看護婦の群れだった。
「あの、何があったの?」
 半ば思考が停止しかけた美根子は、遠子にそう聞くのが精一杯だった。
「何があったの? じゃありませんよッ! 街中のみんなが突然猫耳ナースなんかになっちゃうものだから、あちこちで交通事故とか起きちゃうし、爆発が起きたり、大きな落雷があったりで、もう本当に緊急事態の連続だったんですからね」
 遠子のその言葉を聞いて、美根子は身体中の血液が音をたてて退いていくのを感じてしまった。おにゃんこナースに変身した際の記憶は完全に残っているのだ。美根子としては青ざめるしかない。
「そ、それで大丈夫だったの? ……あの、その、病院のみんなも猫耳ナースになってたんでしょ?」
 もしも死人でも出ていたら自分も死ぬしかない。思いつめる美根子だった。自分のせいで怪我人が大量に出たということにショックを隠せない。
 緊急な手術が必要な患者さんがいたとしても、病院内の大半の医者や看護婦が猫耳ナースッ娘に変身して猫の手になっていたはずである。そんな手でまともな手術など出来ようはずもないからだ。
「なんとか大丈夫でした。それに院長先生ががんばってくれましたから」
 遠子の言葉を信じるなら、幸いにも亡くなった方はいなかったらしい。まずは、ほっと胸をなでおろす美根子だった。まともになでおろすには出っ張りの大きすぎる胸だったが……。
「院長先生が?」
 美根子はそのまま聞き返す。確か院長は猫耳ナースッ娘には変身しなかったものの、注射器ミサイルが頬をかすめたせいで、中途半端に手だけが猫の手に変身したはずである。その院長に何ができたというのだろう。美根子には何がどうなったのか、まったく想像できなかった。
「ええ、院長先生ったらすごかったですよ。猫の手ナースになっちゃった他の先生や看護婦は、気は焦っても猫の手ですからまともな治療行為が出来なかったんですけど、院長先生は猫の手になっていたにも関わらず完璧に的確な処置をすることが出来たんですから。やっぱり普段から言うだけはありますね。まさに神技でしたよ」
 いかに院長のメスさばきがすごかったかとか、遠子の話はまだまだ続いたのであるが、美根子はもうその話の中身は聞いてはいなかった。美根子はその時、心地よいまでの敗北感を覚えていたのである。
(猫の手で失敗ばかりしても、一生懸命努力していればそれで良いじゃないと思っていたけれど、私、勘違いしていたのね。どんなに一生懸命努力しても、結果が悪かったらダメなんだわ。患者さんの大事な命を預かる仕事なんだもの……)
 美根子は、今までの院長の冷たい仕打ちや言葉が、深くそして厳しい愛情に裏打ちされていたことを知ったのだった。

「どうやら、彼女が結晶化することは2度となさそうね」
 中津木総合病院の屋上では、奈里佳が美根子の様子を遠隔視しながら満足そうにつぶやいた。
(ええ、私もそう思うわ。とりあえず今回の作戦は無事終了ってところよね。……まわりに与えた被害も大きかったみたいだけど)
 奈里佳2号の言う通り、病院の屋上から眺めた街の風景は、あちこちで煙が上がってたり、崩れた建物があったりと、奈里佳たちとフューチャー美夏のバトルに巻きこまれた跡がありありと見てとれる。まったく、これで1人も死人が出なかったというのだから奇跡である。
「じゃ、そろそろ帰りましょうか。奈里佳ちゃんの魔力もあとそう長くはもたないでしょうから、今のうちに家まで瞬間移動しておくと楽ですよ」
 デジカメを入れてあるカバンを引きずりながら、クルルが奈里佳の側にやってきた。
「そうね、じゃあそうしますか♪」
 その言葉とともに奈里佳とクルルは自宅の自分の部屋へと瞬間移動した。わずかに揺らめく空気だけが、ついさっきまでそこに奈里佳達が居た唯一の証拠だった。







「うう、やっぱりいいなあ♪ 立っておしっこをするのは♪」
 魔力を使いきり本来の完全な男の子の姿に戻った克哉は、数日ぶりの立ち小便に感激していた。おチンチンの先端から放物線を描くように伸びて行く黄色い液体を見ながら、男であることの喜びを思いっきりかみしめる克哉だったのだ。
(……そうかしらね? 私はやっぱりちゃんと座ってしたほうが落ち着いて良いと思うけどな)
 突然、頭の中に奈里佳2号の声が響いたかと思うと、きれいな放物線を描いていた液体はその姿を消し、克哉がはいているズボンと下着の中に放出され、足を伝ってトイレの床を濡らすのだった。
「あわわ、わわッ! え、ええ〜ッ!?」
 驚き慌てる克哉。なんとまたしても克哉はアソコだけが女の子になってしまったのだ。しかも放尿している途中で。もうムチャクチャである。
(女の子なら、ちゃんと座ってしなくっちゃね♪ もう克哉ちゃんったら学習能力がないんだから♪)
 克哉を非難するセリフの内容と、楽しみまくっている声の調子がまったく合ってない奈里佳2号であった。完全に克哉をおもちゃにして遊んでいるのがまる分かりだ。
「ああああ、もうこんな生活いや〜〜〜ッ!!」
 状況を完全に理解した克哉の叫び声が、トイレの中でこだまする。がんばれ克哉、負けるな克哉ッ! 君の苦難はまだまだ始まったばかりだぞッと♪

次回に続く




予告編


 連敗に次ぐ連敗を重ねるフューチャー美夏ッ! 1対1で戦えば、奈里佳を圧倒するパワーとスピード、そして防御力を持っているのに何故勝てないのだろうかッ!? そこでフューチャー美夏は気づいたのである。私には仲間(兵隊)がいないッ!! 1対多の戦いのままでは圧倒的に不利であると……。
 というわけでフューチャー美夏は新たな作戦を遂行するのだった。次回、『マリオネット作戦ッ! 操りたいの♪』 ご期待下さい。……まだ題名しか決まってないけど。


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< あ・と・が・き >

 少年少女文庫にて第2話を発表してから、既に4年。まるでオリンピック並みの間隔で、『魔法少女♪奈里佳第3話』をここにお届けいたします。第4話はいつになるのかまったく分かりませんが、今後も気長にお待ち下さい。
 さて、今後の私の執筆予定ですが、現在は『妖精的日常生活第15話』のプロットを作成中です。それが出来上がったらしばらく寝かして発酵させた段階で 15話の執筆に入りたいと思います。何とか年内に仕上がれば上出来。もしかしたら年明けかも? というペースですが、執筆を辞めることはたぶん無いのでご安心下さい。ちょっと疲れちゃうことはありますけどね。
 それでは皆様、また次の作品でお会い出来ることを楽しみにしています。それではまた。 



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