僕の心の隙間を抜けていく風は薄い灰色をしていました
そんな乾いた風の寂しくなる音を聞く度、僕の心の隙間は少しずつ大きくなっていきました
けれども、無力な僕にその風を止める術や隙間を埋める手段などあるわけもなく
ただただ、僕は薄ら寒い風を浴び続けるしかないのでしょうか
ボクがまだ小さかった頃
透き通った青空に真っ白な入道雲が立ち、セミの鳴き声が響き渡っていた、あの夏の日に新八少年は買って貰ったばかりの自転車のペダルを全力で回していた。
ある日、ふと思ったんだ、どこへ行くにも一緒だった、あのお気に入りの青い自転車にのりながら
新八少年の眼前に広がっているのは果ての見えない『道』
「一度もうしろをふりむかずに」
新八少年は自分の空想で胸が高鳴っていくのを感じた。
「ボクはどこまで走れるだろう」
大人になってしまった新八は公園の大木の下で涼を取りながら、帽子も被らずに全力で遊んでいる子供達の元気な姿を見ながら回想に浸ってしまう。
今でも時々、思い出すんだ
あの時、ボクが試したかったのは、いったい何だったんだろう
大学に戻って銀時の部屋の扉を勢い良く開けて見せた新八の顔は晴れ渡っていた。
「今回もダメでした――――――っっっ」
いや、私の勘違い、新八のそれは空元気のヤケクソだ。
余りにも痛々しすぎる新八の虚勢に銀時は同情の念を覚えて、どんな言葉をかけて良いのか、迷っているようだ。
「おう、新八・・・・・・そうか・・・ダメだったか」
「・・・・・・・・・」
たまたま居合わせた来客の銀時が淹れた茶の入った湯飲みを持ちながら唖然としている顔に新八は「しまった」と急いで頭を下げて出て行こうとした。
「あ、すいません。お客さんですか?」
「ああ・・・いいんだよ、客じゃねぇんだ」
「ボク、ここの卒業生なんだ、小西っていいます」
「あ、初めまして、志村です」
互いに自己紹介を終えて仕事を再開しようと腰を上げた小西の肩を銀時は力を入れるように叩いた。小西が袖を通しているシャツの背には「TEAM 小西」と言う文字がプリントされていた。新八は彼はただならないイチモツを隠している、と直感した。
「さて・・・と、ほんじゃ、続きやろうかな・・・・・・」
「ああ、よろしく」
首を小さく傾げた新八に銀時は小西が来た理由を教える。
「回転棚を頼んだんだよ。
こいつ、オーダー家具の事務所の社長なんだわ、これでも」
「なんですか、先生。これでもって、しっけいな。どんだけ〜〜〜」
小西は銀時の台詞に眉を寄せる。が、銀時のからかい口調に慣れているのだろう、あまり怒っているようには思えなかった。
数十分後、新八は小西が棚と棚の間にすっぽりとはまり込むように作った逸品に、思わず感嘆の声を上げてしまった。
「うわー、よく入りましたね、こんな狭いスキマに」
「さすがオーダーだよな。
これで、やっとスプレー缶なだれから救われるよ。
いやー、たすかったぜ。で、いくら?」
「ハハハ、五〇万」
愛おしそうに棚を撫でていた銀時は安堵感で緩ませていた表情を小西が笑顔で表示した金額に引き攣らせる。
「高っ」
「じゃ、二万」
「今度は安っっ」
新八は純朴な瞳をキラキラと輝かせながら棚を回して、心酔しきった呟きを漏らす。
「え〜〜〜と、材料ヒと設計、搬入と設置で―――と・・・
!! 何で、俺が計算しなきゃならねぇんだよ!!」
自分に代わって料金を計算している銀時から、そんな新八へ視線を移した小西。
「新八、ちっと手伝ってくれるか?」
「はい、いいですよ」
「梱包まとめてしばってくれるか?」
と、銀時は作業を始めようとした新八を止める。
「あ、ちょっと待て。いっちょうらが汚れちまうな。俺の上着、貸すぞ?」
「あ、すいません」
高杉のお下がりのスーツの上に銀時から借りた白衣を着た新八は手馴れた手つきでダンボールをまとめていく。途中で出たゴミもそのままにしないで、ちゃんと分別していた。
「ついでに残りの缶も入れちゃいますね」
気の利く新八は散らばったままだったスプレー缶を回転棚に解りやすく、なおかつ取りやすいように陳列していく。
「・・・・・・・・・」
そんな地味だが真面目ぶりが目立つ仕事をする新八をじっと見つめていた小西は感心したようだ。
「いいですね、彼」
「だろ?」
秘蔵っ子の新八を褒められ、銀時も嬉しそうだ。
「いくらですか?」
「へ?」
「ええっ!? そんな気さくに? まるで野菜でも買うように?」
小西の口から飛び出た言葉に銀時も新八も驚きを露わにする。
それでも渋々、銀時は電卓を叩き始める。
「えーと、一応、週五日と交通費と、っていうか、小西よぉ、今、ヒト増やして大丈夫なのか? 給料、払っていけんのかよ?」
すると、小西は胸を張った。
「ボクの給料を減らせば・・・」
「ダメじゃねぇか」
「じゃあ、太田と木村の給料、カットで」
「もっとダメだってば。
しかも、木村なんて嫁さん、もらったばかりだぞ!?」
しかし、逸材を見つけた小西の耳には銀時の正論なんて半分も入っていかないらしい。
「志村君だっけか? ウチこない?」
「小西、だから、てめぇは気さくすぎ・・・・・・
まずはだな、会社と仕事内容の説明をキチンと!!
新八、あせって返事しなくていいからな」
しかし、銀時の制止は一拍遅かった。
就職浪人ロード一直線になりかけた新八は目の前にぶら下げられた、美味そうなニンジンに迷わず齧り付いてしまった。
「お願いします、やとってください」
「ええ!?」
翌日の夜、レギュラーメンバーは銀時の自宅にお呼ばれされた。
勿論、新八を祝うためだ。口上を垂れる銀時の後ろには神楽とまた子が大急ぎで作った「新八、就職おめでとう」とデカデカと書かれた垂れ幕が用意されていた。
「―――っつーわけで、まぁ、色々とあったわけだが、無事に内定となりました新八の前途を祝して」
「カンパ――――――イ」
仲間が自分の就職祝いに何をおいても駆けつけてくれて感涙している新八。感動的な光景なのだろうが、主役が三角帽子+ヒゲメガネを装備させられているからか、どうにも笑いが漏れ出てしまう。
「みなさん・・・ホントに色々、ご心配おかけしましたっ。
えっと・・・オーダー家具とかリフォームの会社なんですけど、木をさわるのは好きなのでうれしいです・・・
えっと、精一杯がんばります」
主役の挨拶を述べた新八に感激に咽び泣いている高杉が酌をしてやる。新八の隣ではまるで自分の事のように嬉しそうなまた子もいた。
「いやー、決まる時ってホントあっさり決まるんだよな。
やっぱ、こーゆーのって縁だよなぁ。
いや―――、もう一時はどうなることかと・・・」
「高杉先輩、ホントにいろいろ、ありがとうございます」
「よかったっすねぇ、新八っっ」
肩の荷が軽くなって、銀時も朗らかな表情を浮かべている。
「ま、小西のとこは浜美卒の仲間で作った、小せぇ会社だけどな。
小西がちっとばかし変わったヤツだから、面白ぇ仕事も多いし、新八も楽しくやれるんじゃねぇか?」
本当に銀時は嬉しそうだ。
「こないだもよ、どっかの金持ちの別荘をやったとかいってたぞ、忍者屋敷風だってよ。
えれぇこった巨大別荘でよ、庭に巨大迷路とか作らされたぞ、山の中によ」
と、甲高いコール音が鳴り、浮かれまくりの銀時に代わって神楽が電話に出る。
「銀ちゃーん、お電話ヨ―――、小西さんだって」
「おっと、ウワサをすりゃあ」
銀時は可笑しそうに席を立つと弾みきった声で電話に出る。まさか、それが暗黒よりも濃い絶望に満ちる疫病神からの連絡からとも知らずに・・・
「やあ、はいはい。
おぉ、今、みんなで新八のお祝いしてるとこでよ・・・・・・
え!? そんな・・・・・・だって、おめぇ・・・」
電話でも重い空気と言うのは嫌が応にも伝わってしまうものだ。
歓談が不自然なまでに一瞬で凍りつき、皆は聞き耳を立ててしまう。
「え? 例の金持ちが夜逃げ!?
忍者屋敷が差し押さえ!?
入金が無くなった!?
4200万がパァ!?」
銀時のあまりの動揺と驚愕で抑えきれない声は面々の顔から色を失わせていく。
「え、あ・・・おぉ・・・おぉ、で、おめぇの会社は? え!?」
銀時は静かに電話を切った、切るしか出来なかった。
最悪にも程がありすぎる想像を浮かべてしまっているメンバーは皆、身を小刻みに震わせ、無言になってしまっていた。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
さすがの銀時も、こんな空気でおちゃらけた陽気さなど振り撒ける筈もない。
「お・・・お楽しみの途中で、た・・・大変、恐縮でありますが、実は・・・・・・皆さん、大変、残念なお知らせが・・・」
「先生」
銀時の思いやりを肌で感じた新八はそっと手を上げて、銀時が続けようとした言葉を自衛の意味も含めて遮った。
「それ以上は・・・・・・もう。
もう充分、わかりましたから・・・・・・」
わずか一分の間に三十年は一気に老け込んだしまったような新八。肌からは張りと潤いが奪われ、黒く艶のあった髪はくすんだ白髪と変わり果て、目は光など無く涙だけが今にも零れそうなほどに満ちていた。
「今日は楽しく・・・・・・飲みましょう。
せっかく久しぶりに、みんな、こうやって集まったんですから」
――――――後に、新八はこの晩の事を、こう語っている
『瞬殺』という言葉の意味を、その時、僕は身をもって知りました・・・・・・
―――青春という名の大鍾乳洞〈志村新八自伝より〉
自分が瀕死にもかかわらず、自分たちの事を労われる新八の『器』の大きさに皆は感激する。
「カ・・・カンパーイ」
「新八にっっっ」
「新八に!!」
垂れ幕は急遽、『志村新八を励ます会』に書き直された。
翌日、新八は魂がすっかりと抜けきって、見た目だけでなく中身まで死人と化していた。
そんな新八を窓から遠目に眺めることしか出来ない銀時は大きな溜息を漏らしてしまう。
「・・・・・・・・・ダメだな・・・最後の何かが折れちまったらしいな・・・」
銀時は頭を抱える。
「何か、こう・・・元気、出させてやる事はできねぇもんかねぇ」
「う〜〜〜〜〜〜〜ん」
銀時の傍らで土を練っていたまた子は唸っていたが、不意に顔の横にピカッと光る電球を顕現させた。
「あ、そうっす」
手の土を落としたまた子は鞄の中を探り始める。
「じゃん♪ っす」
また子が手にしていたのは一枚のチラシ。
それはまた子の幼馴染である山崎が経営しているパン屋で、どうやら6月15日の『父の日』に父親そっくりのパンを作るらしく、それの予約受付けのものらしい。
「本当にいいの? 助かるよー、注文来すぎちゃってさ」
「まかせてっす」
「造形ならとくいアル」
早速、駆けつけてくれたまた子と神楽、そして新八に予約殺到で嬉しい悲鳴を上げていた山崎はホッと安堵の表情を浮かべたが、女子二人に両側から支えられてもなおふらついている新八に眉を顰めた。
「なんか、一人死んでるけど大丈夫?」
とは言え、この忙しい最中に一人を気遣う余裕も無い、山崎は三人に説明を始める。
「写真を見ながら特徴を強調するカンジで・・・」
山崎は自分が作ってみたパンを披露する。二次元から三次元、しかもパンで作っているために完璧とまでは行かないが、かなり特徴を掴んでいるように思えた。その証拠にまた子達は感嘆の声を上げた。
「わ、山崎さん、上手っすねぇ」
また子に褒められた山崎は嬉しそうに頬を緩ませて、材料の説明を始めた。
「目がレーズンで、あとはチェリーとかチョコスプレーとか。
口はカスタードを絞って描いてね」
「は―――いっす(アル)」
そこへ、何の前触れも無く、気配も悟らせないで登場したのは沖田。
「甘いねぃ」
沖田は依頼用の写真と出来上がった山崎作のパンを見比べて、上から目線の溜息をつく。
まるで、空間移動(テレポート)をしてきたような沖田にまた子と神楽はドキィとさせられる。
「沖田さん、何でいるっすかぁ!? かくしてたのに・・・(ちらかしそうっすから)」
どうやら、沖田は彼女達の後を尾行けてきたらしい。
いそいそとエプロンを新八から強奪して袖を通した沖田はパン生地をこね始める。
「もう少し似せられやすぜ、そう・・・ほんの少しの手間でねぃ☆」
沖田はパン作りも極めているのか、やけに慣れた手つきだった。
「『なんとなく似てる』だけじゃあ注文したガキ共がガッカリするだろぃ?」
また子は沖田の作った焼成前のパンを見て驚きの声を上げてしまう。
「ああっ、ホントに似たっすよ!!
ちょっと立体的にしただけなのに!?
おおっ、すごいっすよ」
沖田はたちまち「天狗」になった。
「いやぁ〜、まいりやしたねぃ☆
ま、ミーにまかせりゃあ、こんなもんでさぁ」
驕る沖田は神楽の作った、彼の作品と比べると平面さが目立ってしまうパンを鼻で笑い飛ばす。
「ミーなら、平面処理でお茶をにごすような『逃げ』はうちやせんからねぃ」
そんな喧嘩を売ってきた沖田の発言に神楽の額に女子らしからぬ太い青筋がビキッと音を上げて浮かんだ。
神楽の両手が高速で踊る。
「か・・・・・・神楽!?」
そうして、また子はまたもや、仰天させられる。
「ああっ、今度は辰巳さんのお父さんが立ち上がった!?」
立体だ、文句なしに。
「・・・・・・・・・・・・プッ」
自分の縦幅がある作品を前にした神楽は沖田の平らな作品をチラリと横目で見やって失笑を零す。
それで沖田が鬼と化さない訳が無い。
最早、二人は本質など宇宙の果てへと蹴り飛ばして野獣と化す。
本気の造形勝負に突入してしまった二人にまた子は絶叫してしまう。
「ひぃぃぃぃ。
だから、こーなるってわかってたっすから、沖田さんにはだまってたんすよぉぉぉぉ」
そうして、オーブンの焼成完了のベルが鳴る。
「さーて、どれどれ焼けたかな?」
予約消化をまた子達に任せて、自分は明日の仕込を隣の作業場していた山崎はパンを取り出すべく厚手の手袋を両手にはめる。
彼はまた子が浮かない顔をしているのに気付き、彼女が焦げている事を心配しているのかな、と適当な当たりをつけて励ますように笑う。
「おや? どーしたんだい? また子。うかないカオして・・・・・・
ハハハ、大丈夫だよ、このオーブンは焼きかげんを入力してあるから」
しかし、山崎は次の瞬間、絹を裂いたような女々しい悲鳴を上げてしまう。
「ヒッッ」
まぁ、鉄板の上に、イイ感じに焼き目のついた『生首』二つが転がっていたら、誰だって悲鳴を上げるだろう。それか、即失神だ。
「ヒィィィィィィ―――――――ッッ」
「作り直せですって〜〜〜
何ででぃ!? こんなにも似てるじゃないですかぃ〜〜〜〜
芸術に対するだんあつでさぁ〜〜〜」
頬を膨らませる沖田だったが、普段は温厚な山崎もコレには激怒する。
「似過ぎてるからヤバイっつーの。
これじゃあ、もうすでに『お父さんの似顔パン』じゃなくて『お父さんの焼けこげた頭部★』だよっ」
山崎はビニール袋に入れた沖田の作品を突き返す。
「こんなん家族に渡せるか―――!!
父の日だぞ!? やり直しだ!!」
「ふんぬぁ―――――――――」
沖田は抗議の声を頬を膨らませて叫んだが、結果は変わらない、決して。
後日
「―――で、コレが山下さん家の親父さんで、こっちが田中さん家の親父さん・・・と」
神楽が持って帰ってきた「パン」を見た銀時の顔は半ば青白くなっている。
「どーやって食うんだよ、こんなよぉ・・・リアルな・・・・・・よそさまの親父さんをよぉ・・・・・・?」
「みんなで分けましょうっすかねぇ。
けっこうでかいし、ちょっと固いんすよねぇ」
また子は頭頂部に微塵の躊躇もしないで包丁の刃を落としたものだから、銀時は気が遠くなりかける。
「あ☆ 美味しいっすね。
あれ、先生、たべないっすか?」
「お・・・おめぇらでわけてくれたまへ」
見かけによらないのか、それとも似合っているのか、内部が繊細な銀時は真っ二つにされたパンと、それを美味しそうに頬張っているまた子と神楽にショックを受けてしまったようだ。
ちなみに、同じ頃、新八はきようさを買われて、校舎の隅に置かれているチャボの小屋の修理のバイトを請け負っていた。
しかし、未だに彼の両目には生気の光が完全には戻り切ってはおらず、トンカチを振るう手はいやに機械的だった。
ただただ寂しい、「カン、カン」と言う音だけが響いていた。
一台のタクシーが一棟のマンションの前に着けられ、中からピンヒールが地面に下ろされる。
扉が荒々しく開けられた音にソファに長躯を横たわらせていた一人の男、阿音雄は虚ろ気な声を紫煙と一緒に吐き出した。
「なぁに・・・そうぞうしい・・・
デザイン画ならまだよぉ、講演もみんな断って頂戴」
またもや紫煙を憂い気に細く吐き出した彼は小さく振り向く。
「とてもじゃないけど・・・そんな気分じゃないのよ・・・・・・
わかるでしょ? おねがい、独りにして・・・・・・・!?」
しかし、彼は入り口に立っている者の顔を見て、ハッと大きな黒目を更に大きくする。
「あ・・・阿音雄・・・・・・」
そこに立っていたのは仲違いをした末にここを飛び出していった弟だった。
「も・・・萌音雄・・・!?」
「おお・・・阿音雄・・・貴方にほんの少しでも慈悲の心があるのなら聞いてちょうだい・・・・・・この馬鹿な女(おとうと)の告白を」
しかし、一度はここを出て行った者の言葉に耳を貸すわけにはいかぬ、とばかりに阿音雄は萌音雄から視線を力づくで外した。
「NON・・・・・・聞かないわ・・・」
「阿音雄っっっ」
萌音雄は物憂げな音を響かせて、頑なな態度を崩さない阿音雄に近づく。
「ああ、お願いよ、阿音雄・・・・・・
後生だから聞いてちょうだいっ。
飛び出したりして、アタシ、本当に馬鹿だった・・・・・・っっ。
あれから、アタシ、どんなに後悔して・・・」
「聞かないと言ったでしょう!?」
萌音雄の涙ぐんだ鼻声に阿音雄は遮った、力強い愛に溢れる抱擁によって。
「さあっ、その口を閉じなさい・・・・・・・・・つまらないお喋りはお終いよ。
――――――もっとよく顔を見せて? アタシの可愛いおチビちゃん」
「おおっ、阿音雄」
「馬鹿ね・・・・・・こんなに痩せて・・・・・・・・・」
170cmの兄が169cmの弟を見下ろして、「アタシのかわいいおチビちゃん」と呼ぶ光景はそれなりに異色を放っていた。二人が本家並みに高身長だったなら、表現の仕様がないだろう。
BGMに『宇宙のファンタジー』を流しながら、阿音雄と萌音雄は濡れた言葉を紡ぎあう。
「アタシ・・・アタシ、どんなにアナタに逢いたかったか・・・」
「しっ・・・もう、何も言わないで・・・全てわかっているわ。
・・・・・そう・・・FU・TA・GOと書いて」
『一心同体・・・・・・』
だが、社長室の外には嵐が来ていた、鳥取からの猛講義(クレーム)の電話が。
「・・・・・・マ・・・マジでござるか?」
これには鉄面皮の万斉の額にも青筋が浮かび上がる。
「はいっ、はいっ、大変申し訳ございません!!」
桂は電話を幾つも耳に当てて、必死に頭を下げ続けている。
「ああああああんの社長【弟】、鳥取で受けた仕事全部、ほっぽり出して戻ってきたのね」
さすがの幾松も、この事態には毅然としていられず、頭を抱えて呪詛の唸りを漏らすしかない。
(幾松さん、しっかりっっ)
初めて見る沈んだ幾松にリーダーは驚きながらも、背骨を立て直すべく励ましにかかる。
社員総出でクレーム対応に追われて、やっとのことで収集の目処が付き始めた三人は小休止に入れるが、それでも表情は晴れない。
「―――で? 途中で投げ出した仕事が、個人住宅3件、保育園改築1件、飲食系はイタリアン・フレンチ・アフリカ料理」
幾松がまとめた資料の厚さに渋面を濃くする万斉と桂。
「鳥取でござるかぁ・・・何でござるかな? らっきょうに梨でござるかね?」
「あ、イカに・・・・・・ズワイガニ!?」
「ズワイは冬でござろう、今は六月でござる」
「いや・・・・・・最悪、食える季節までかかったりね・・・」
的中率が恐ろしさを覚えるほどに高すぎる幾松の『予想』に万斉は乾いた笑みを零す。
「うわ―――ーうれしいでござるな」
ふざけるのはここまで、と万斉は咥えたままで上下に揺らしていた煙草の先端にようやく火を点ける。
「さて・・・と、どーするでござるか? 桂」
「お前こそどうする、万斉」
桂の問いに万斉は無表情で遠くを見据えると、紫煙と一緒に重々しい言葉を吐き出した。
「・・・・・・行っとくでござるか、ズワイを喰いに」
大人だからこそ、グダグダ悩んでも最後は潔く決断する、それが万斉と言ふ漢であった。
「―――と言う訳で、はい」
出発当日、一時的な転居の手続きをあらかた終えた万斉は自宅の鍵束を幾松の手に平に落とした。
「新聞と郵便は停めたんでござるが、まちがって何か届いていたら、あれでござるから」
リーダーとの別離を惜しんでいる万斉から手渡された鍵を見やって、幾松は微苦笑を浮かべた。
「いいけど・・・・・・色気ないわねぇ。
留守をあずかってくれる女の子とかいないわけ?」
ふと、幾松は黒い笑みを浮かべ、万斉は冷たい汗が一筋、背中に流れ落ちるのを感じた。
「まぁ・・・いすぎて、カギの争奪杯が開催されてた頃よりはマシかぁ・・・★ フフフ」
「ハハハ、イヤな事を覚えてるでござるなぁ・・・」
そうして、幾松は心の奥底を覗き込んでくるような、意地の悪い微笑を見せる。
「あの娘にあずかってもらえばいいのに」
ここで、幾松のかけてくる圧力に屈しないのが万斉の持つ『大人』としての余裕なのだろう。とは言え、ギリギリの攻防なのだが。
「部屋、奈良漬くさくされると困るでござるから」
わずかに頬を赤らめながら可愛げのない答えを返してきた万斉に幾松は肩を竦め、リーダーの鼻先をむんずと掴んでしまう。
「ですってー、くさくしてもらえばいーじゃないのねーぇ。日本酒、スキなくせにね?」
と、そこへ震える声で幾松の名を呼ぶ男が一人。
「あ、あの〜〜〜〜〜〜幾っ松どのっっ」
素っ頓狂な響きの声に幾松がリーダーを抱え直しながら振り返って見れば、そこには声に似合って奇妙奇天烈な動きをしている、頬の赤い桂がいた。
「あ、あの、そのっ、お・・・おれのカギもあ、あずかって欲しいかな――――――と☆」
必死に自分を奮い立たせながら、言葉をたどたどしく紡ぐ桂を幾松はじっと見つめている。
「よ、よ、よかったら、部屋の方、好きに使ってくれても全然オッケーゆえ!!
っというか、それ、合カギなので、な・・・なんなら、いっそオレが戻って来てからも、そのまま持っててくれていても」
(がんばれっ、桂)
急遽、押し寄せた仕事の処理に追われながらも、面々は恋心がだだ漏れすぎる桂へ心の内でエールを送っていた。
(しっかり、桂・・・・・・)
「い・・・いいかな―――なんてな☆」
鍵を受け取った幾松が何の反応もしてくれないので、桂は涙を呑んでお茶を濁そうとしたが、彼女は不意に頬を緩ませた。
「えっ、ホント? いいの?」
当然、桂は心臓が飛び出そうになるほど驚いたが、すぐに激しく首を縦に振り続ける。
「えっ、えっ、あ、あぁ!! もちろんだとも!!」
「やった――――――っっ
よかったわねぇ☆ リーダー」
満面の笑みを浮かべた幾松は何故か、リーダーと熱い握手を交わした。
「リーダーに別荘ができたわよぅ?」
(わぁ、ステキなひびきですねぇ)
「へ?」
幾松の言葉に桂は目を丸くしてしまう。
「あああああ、あのぅ・・・・・・幾松どの・・・・・・」
しかし、泣きが入ってしまいそうな桂の言葉ではなく、幾松が耳を貸したのはリーダーからの内緒話だった。
「ほほぅ、何ですって!?
ええっ!? 物件はまた貸しして家賃収入を!?
そして、そのお金で、わたくしと週に三回、特上サーロインステーキを!?
さすが、リーダー」
憐憫を浮かべた万斉は無言で太幅の涙を流している桂の肩へ優しく手を置いた。
「桂・・・・・・気を落とすなでござるよ・・・・・・」
「サーロインッ、サーロインッ」
リーダーを高く担ぎ上げて、甲高い声を発してはしゃいでいる幾松を振り返る万斉。
「わかっていると思うでござるが、幾松殿は美人上司の皮をかぶったおやっさんなんでござる・・・・・・
心の底から、小銭と肉が大好きなだけで、けっして悪気があるって訳では・・・」
万斉の慰めの言葉に次から次へ目の縁から溢れ続ける涙を拭った桂は彼に尋ねる。
「・・・・・・・・・なぁ、万斉・・・・・・人生って何なんだろうな・・・」
桂からの深みのある質問に万斉は真面目くさった渋い顔で答えた。
「・・・そーでござるなぁ・・・
わかったら、まず、まっ先にお主に教えるでござるよ・・・・・・・・・」
「あっ、万斉さん」
段ボール箱を抱えたまた子はビルの玄関から出てきた万斉に気付いて、少し複雑な表情を浮かべてしまった。
「お出かけっすか?
お皿と椀のサンプル出来たんでもってきたんすけど・・・・・・」
段ボール箱に目を落として、自分と自然を装って目を合わせないまた子に口元をわずかに歪めてしまう万斉。
「丁度、良かったでござる」
肩を竦めた万斉は優しげな微笑を浮かべて、事務所を細い指先で示した。
「今、行くと餡泥牝堕のマルチーズケーキがいるでござるよ」
「えっ、本当っすか?」
最近、巷で話題になっている洋菓子にまた子の瞳は輝く。
「じゃ、いただいていくっすね。お疲れ様でしたっすっっ」
また子の底抜けに明るい笑顔に万斉は自身の心の端々にこびり付いていた苦々しいストレスは一気に洗い流されるような気分だった。
自然と口元には爽やかな微笑を浮かべてしまう万斉を桂が呼ぶ。
「おーい、万斉!」
道中で必要と思われる物を買い終えた桂は「やりきった」表情をしている。
「旅のおともをゲットしたぞー」
「さーてっ、走るでござるよっ!!
とりあえず、海老名まで拙者が運転するでござるから、そこから先はジャンケンでござるぞ!?」
縮まりきっていた背中を思いっきり伸ばした万斉は桂が抱えているブツに目を剥く。
「うおっ!? 何でござる、お主、串カツを容器ごと買ったんござるか!?」
万斉のその反応は予想済みだったのか、桂は長髪をかき上げるとニヤッと口の右端だけを吊り上げた。
「すこんぶとホームランバーとポテチも買ったぞ☆」
「遠足でござるか!?」
「こんにちはっす、サンプルもって来ましたっす」
事務所にやってきたまた子にお茶の用意をしていた幾松は破顔する。
「あらっ、丁度よかった。下で万斉たちに会えた?
今、出てったのよ、鳥取」
また子は幾松の言葉に目を丸くしてしまう。
「へ? 鳥取っすか?」
「万斉、鳥取に行くのよ、半年コースで。あら、きいてなかった?」
小首を傾げた幾松の言葉に、ケーキを受け取ったまた子は首を横にも振れず、つい今しがた見た万斉の「いつも通り」だった涼しげな微笑を思い出していた。
床板を軋ませながら、自室に戻った新八は窮屈な感じを未だに脱し切れていないスーツの袖から腕を抜く。
「今日も収穫はなし、と。
のどが渇いたな」
新八は冷蔵庫のドアを開けて中を確かめるが、冷蔵庫の中はライトに煌々と照らされているだけで喉を潤おせそうな物は何も入っていなかった。
「・・・・・・・・・なんも無し」
新八はじっと空の冷蔵庫を見つめた。
無機質で寂しげなモーター音が傷だらけの彼の心を容赦なく掻き毟る。
「・・・・・・・・・・・・空っぽだ」
小さい頃
財布を尻のポケットに突っ込んでアパートを出た新八は土手を自転車で走っていた。彼方からの遠雷が彼の鼓膜を打つ。
買ったばかりの青い自転車にのって、ある日、一度も後ろを振り返らずに、どこまでまっすぐ走れるか試した
自分の町がどんどん遠くへ流れ去っていくのを背中で感じながら、真っ白になりそうなアタマで一心にペダルをこいだ
自分の心ぞうの音だけが、やけにバクバク耳にひびいた
今でも時々思い出す
あの時、自分が試したかったのは、いったい何だったんだろう・・・・・・
遠くで唸っている雷獣の喉が鳴る音を聞きながら、新八は自分の心から潤いが奪われていく感覚を静かに覚えていた。
・・・・・・ダメだ、なんでだ、頭がぼっとする
周囲から色も、音も、温度も、香りが消えていった。
さっきから、ずっといやな音が頭にこびりついていて
不意に風が轟いた。
なんなんだ、この音
風の中で暴れる犬に似た姿をした灰色の獣が新八のちっぽけな背中に牙を容赦なく突き立てる。
ああ、そうだ
新八は自覚してしまった、皮肉にも気がついてしまった。
これは からっぽの音だ
バケツを引っくり返したような、とんでもない雨が町の『綺麗』も『汚い』も一緒に洗い流す。
「おーい、志村、雨もりしてねぇか?」
水の滴る音に気付いた高杉が新八の部屋を覗くと、主の姿は何処にも見えず、ただ天井から一定の間隔で水滴が畳へ落ちていた。
「あっ」
怖い外見に似合わず、後輩の面倒見のいい高杉は応急手当を施してやる。
イラつきを滲ませた表情で高杉は腕組みをして天井を睨む。
「―――ったくよぉ、どこ行ってんだ? この雨の中よぉ」
雨は夜半近くに激しさをました 「・・・・・・・・・・・・志村?」
激しく降りしきる雨の音に不意な寂寥感に襲われた高杉は窓の外へ不安げな視線を向けてしまう。
まるで、彼のすがたをかき消すように


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