「人と出会えば、それだけ悲しみが増えますから」
そう云って山中に隠遁する女性、確か山岸涼子の漫画だった。
「新しい喜びは、新しい苦痛をもたらす」
モーツァルトの言葉。スカトロジストのくせにいいこと云うぜ。
だが、上等だ。ただの悲しみじゃ俺は砕けないからね。
なんて赤裸々思弁的更新を酔いに任せて綴るマカロニ探偵事務所ANNEX。そのせいか「カウント・ダウン開始からアクセス数激減」というたいそう面白い事態を招いているわけで。
なんで?ふつう逆じゃね?
面白い現象だ。平成仮面ライダーなら「最終3部作」なんて最高に盛り上がるところなのに。なんか、いかにも俺だなぁ。がははは。
閑話休題。
さて、人は独りでは生きられない。社会的にはもちろんだが、そうじゃない部分でもそうだ。
誰も居ないところで感じる孤独はやり過ごせても、集団の中で感じる孤独に耐えられる奴はそう多くない。居たとしても「とんでもなくタフな逸材」か「心を殺してしまった奴」だ。
かつての俺は後者だったわけだが、生きているのが辛くて仕方なかった。だからせめて、そういう人がもしここに来てくれてるならアドバイスを。
まず、都市部で普通に暮らしているなら、人間ってのは周囲との関係性が無ければ「自分がどういうアレなのか」を把握できない。だから俺は長いこと歪んだ価値観で生きてきた。今でも、時々その後遺症が出たりする。
さて、孤独で乾いた日々の果て、俺はひとつ賭けに出た。どうにも寂しくて、誰かと話がしたかったのだ。
舞台は当時のバイト先、大阪南港KRC物流部大別、のるかそるか乾坤一擲のバクチだ。みんなが黙ってお中元の熨斗紙を折り折りしている、そんな空気の中、俺はおもむろに口を開いた。
俺「あの、ちょっといいですか?」
顔を上げた全員の視線。突き刺さる圧力を感じる前にセリフを、昨日寝ないで考えてきたセリフを。
俺「...給食費、盗んだことあります?」
間。
直後、1人が大受けしてくれた。割と柔らかい感じのA氏。
A「なに?お前やったことあんの?」
俺「いや、無いんですけど、誰か居るかなーって」
A「居るかぃ!なんでやねん!」
俺「たまに無かったですか?それ絡みの連帯取調べ」
B「あー、俺ンとこ週1ペースやった」
C「多い!それは多い!」
俺「その度に全員で目ぇつぶらされて?」
B「いや、机に上半身を伏せた状態」
なんて会話が転がり、俺に新しい居場所が出来た。
これがスベってたらどんな展開になってたのか判らないが、それでも悪くはなっていなかったと思う。上から云うつもりはないが、経てきた者として“とにかくやってみる”というのは、シンプルだが難しい行為。しかし価値のある行為だと俺は実感している。
当たっても外しても、やった事実は大きく力になる。人間の本質は「覚悟の量」が決めるんだから、力にならないわけがない。
でもまぁ、引っ込み思案だったり自己評価が低い人種(当時の俺が、まさにそう。今でも高くはないが)にはハードルが高いかもしれない。
そこでアルチュール・ランボーの言葉を。
「貴様がもともと屍体なら、その上殺そうとする奴もあるまい」
失うモンなんざ無いんだ、なら突っ走っていけないわけがない。
やるだけやって、それでも駄目なら?
なら俺んとこに来い。天満か新世界あたりでさ、サシで呑もうぜ。

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