三、日本と西洋の違い
日本は、基本的には、アニミズム、シャマニズムを含む「祖先崇拝」に基づく多神教文化であり、西洋は、基本的には、一神教文化であることは衆目の一致するところであろう。ここで、多神教文化を、前稿で述べたような原始宗教、近代宗教という形で捉えること自体が大きな間違いであることに気付く必要がある。
筆者が提唱する「日本文化の心理学と家族療法」では、「神」なるものを次のように定義している。すなわち、神とは、その存在無しには人類が生存できないほどに絶大な影響力を有する生物もしくは非生物(天地万物)、と。大自然などがこれに相当することは言を待たないだろう。しかし、これでは、キリスト、仏陀、アラーといったそれぞれの宗教で神と位置付けられるものを含まないので、次のように、もう少し条件を緩める必要がある。神とは、それ無しでは、人類が平穏な心を維持することができないほどに強大な影響力を有する生物もしくは非生物(天地万物)、と。これだと、殆んど全てを含むことができる。
さて、日本文化では、天・地・海の大自然をはじめとして、子供(童神)、母・主婦(山ノ神)、…といった身近なものを「神(学術的にはカミと表記した方が良いが)」として考えるので、数多くの神々が存在することとなる。「八百万(やおよろず)の神々」とされるものだ。この考え方は、現代の神道に受け継がれている。
日本文化における「神々」と我々人間の関係は次のようである。神々が存在するおかげでもって、我々人間は生存することができ、かつ平穏な心を維持することができるのであるから、それらの存在を「大切にする」ことが肝要なのであるとされる。一般には「感謝する」ということが言われているようであるが、「大切にする」ということの方がより適切であると考えられる。
これに対して、西洋の一神教の神は、人智を超越した絶対的存在である。であるがゆえに、我々人間は、神を崇め、その教えを学び、戒律を遵守し、といった関係を持つ必要がある。その道に外れると、破門ということになったりする。
以上のように、日本の神々と西洋の神は、我々人間との関係においては、全く異なるものである。全く異なるがゆえに、原始的とか、近代的とか、区別ひいては差別することはナンセンスなのである。この違いは、一言で言えば、西洋では、神を介して人間関係が営まれるが、日本では、相手の存在そのものが神のひとつであるので、お互いに「大切にする」ということが基本となっている。両者の違いを心理学的な視点から見れば、西洋の文化では、対人関係における「甘え」というものが欠落することが読み取れる。
四、西洋化によって失うもの
日本文化と西洋文化の決定的な違いは「甘え」の有無である。土居健郎・元東京大学教授が指摘したように、「甘え」という単語すら無いのである。「いや、dependencyという語があるではないか」という向きもあろう。しかし、よしんばそれを認めても、「甘える」ことは自立しておらず、良くないことだと考えるようなのだ。たとえば、アメリカで道を尋ねようと人の屋敷に入れば、撃ち殺されても文句は言えないわけだ。実際、そのような裁判事例がある。こんなことは、日本では考えられない。子育てにおいても、日本では「童神」として、子供を七歳前後までは自由にさせる慣習がある。これに対して西洋では、小さいうちに厳しく躾ける、というのが一般的なようだ。このような違いは、次の諺を比較しても明らかだろう。
西洋…神は自らを助くる者を助く
日本…旅は道連れ、世は情け。渡る世間に
鬼は無し(最近はそうも言えないこ
とが多いようだが)
要は、日本と西洋の文化の決定的な違いは、甘えることが許容されるか否かである。甘えることが許容されるか否かは、人間関係において、決定的な違いをもたらす。
人間、誰しもが甘えたくなるときはあるものだ。そんな時、気持ちを理解して甘えさせてくれるものが現れると、どんな気持ちになるだろうか。甘えさせてくれるものに対して、信頼の心意が沸き起こるであろう。その関係が続けば、相手に対して忠誠心が沸き起こるであろう。このように、相互に甘え、甘えさせることができれば(これは、お互いを大切にするということである)、お互いに信頼と忠誠の心意を介した人間関係が構築される。
一方、「甘え」が欠落すると、人間関係は「権利」と「義務」を介して持たれることとなる。権利を主張することが甘えることに相当し、義務を履行することが甘えさせることに相当するだろう。双方が権利と義務を適切に遂行できれば、そこには、やはり信頼関係は生まれるではあろう。しかし、ギスギスした人間関係であることは否めないだろう。
西洋化によって失われるものは「甘え」に基づく人間関係である。代わりに、権利と義務による人間関係になる。そこでは、「甘える」ことは許されないので、訴訟が横行するようになったりする。親でも他人でも訴訟の対象になるようなアメリカの現状と我が国とを比較すればよく分かるであろう。
実は、「甘え」が失われるということは、家庭内はおろか、社会治安の悪化をもたらすという、政治的にもきわめて重要な問題がある。それを次稿に述べよう。

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