「やさしい古事記講座(39) イザナギ・イザナミの国生み16, 大八島国と、四つの国」
革命の古代史、宇摩説
長い本州の名は、亦も、古事記を解く鍵を残していました。これによって、先に宇摩説として解いた、高天原は宇摩に在り、宇摩志神の宇摩や、豊受山、「津根・常」などの、解明も補足出来るものでした。
大倭豊秋津島の後に続いて、「故、因此八島先所生、謂大八島国」とあります。
通説解釈
直訳、
「故(かれ)、この八島を先に生めるによりて、大八島国と謂う」。
語句解釈
「八」は元来聖数で、多数を表したが、ここでは実数である。
「大八島国」は、天皇の統治する国土全域を現す呼称としてもちいられた。また、我が国の古い呼び名の一つであるが、対内的に用いられた呼称。(対外的には「日本」の文字が用いられた)。
以上のような解説がある。文字通りの意味であるが、この部分は、朝廷の思惑も含んでいるようだ。
宇摩説の解釈
確かに、ここまでの国の数は八になるのだろうが、ここで区切る意味が良く判らない。意図的な感じである。この前後の話を見ても、出雲神話、大和神話などの舞台となる地が、余りにも、無縁の話である。
宇摩説の立場は、「日本の大八島の記録は、古事記成立頃に迷彩に作られた」ものとする。例えば、古代の日本(高天原)の日本認識は先に、「東・西・南・北」の海の道で示しておいた。
つまり、最初に解いた、「天之御中主神」に残された瀬戸内海の中心が高天原であり、国々は、この海の東西南北にあると認識されていた。この東西南北国が、日本であり、四つの認識だった。
天皇家の大和地域成立で、高天原の認識だった四つの国の認識を変えたい。また、海の東西南北では、表現できない地域だった。また、高天原は天上の国にしたかったなど、理由から、四つの倍、八にしたのであろう。
だから、この「大八島」は、朝廷を中心にした行事に使われることになった。そして、戦前まで活躍した言葉である。
四つの国は、本当は三つだった四国に使っている。これは、四つの認識を広めた国が四国にあり、四つと四国が結びついた伝承が多かったことも影響したのは無いだろうか。九州も、四つにしているが、元々四つだったようだ。
古事記は日本書紀の下敷きであり、対外的な側面も附加されている。
四つの国より、八つの大きな島の方が、見栄が晴れると言う事だろう。高天原が認識していた日本は、東西南北の四地域の国だった。これは、先にも書いたが、伊勢神宮に多用される唐花(花菱)でも、明確である。
花菱は、中心の高天原と、東西南北の国々を現した、当時の日本地図とも言えるものだ。
上の写真が、伊勢神宮の高欄の飾り部分の大写しである。突き出た端の飾りに、「花菱(唐花」が見える。この他、宮から突き出た部分(目立つ部分)には、同じ紋が使われていて、花菱が一番多く使われている。
下の写真は、全体だが、桁行きの側である。ここでは軒下の、野地にも使われていることが判る。なお、実物は「金色」に輝いている。多分金が使われているのだろう。
これは、天照大神の時代は、東西南北の四つで国を認識していた証拠である。
このように、高天原の日本認識は、「四つ」であった。
以上のようなわけで、「大屋島」の記録は、イザナギ・イザナミ時代は、四つの認識だった。朝廷は、古事記を編纂する時に、大きくしたかったことと、もとの伝承を消したかった為に、作られた話であろう。

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