「卑弥呼の作った太鼓台3 女神は代わるが背景変らず」
早判り、宇摩説
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はじめに
最初に不躾ですが、事実なので書いておきます。
「太鼓台を卑弥呼が創始した」と言えるのは、宇摩郡を中心にした神輿太鼓(太鼓台)でなければ証明できません。そして、その中心部の宇摩平野・三島地区の太鼓台を省いては、説明できないものです。
二年前の太鼓台の記述の後、燧灘以外の地区で、幾つかのブログで、「太鼓台は弥生時代の発生」などと書いているものを見ました。はっきり言って、その地域の太鼓台からは、卑弥呼に結びつく材料がありません。
私の説を読んで頂き、賛同、利用して頂くのは良いのですが、「太鼓台は卑弥呼の創始」と説明できる宇摩説と、卑弥呼の創始を解いた話もしてください。でないと、西日本各地の状況では、説明が不可能なので、法螺吹きと思われるのが落ちです。
太鼓台を卑弥呼の創始(弥生時代)という解明は、宇摩説以外ではありません。単純に結びつければよいというものでもありません。宇摩説は30年の研究によって生まれたものです。そして、宇摩説と関連した解明が太鼓台の卑弥呼の創始なのです。
卑弥呼の創始した神輿太鼓
太鼓台を余り書いてなかった事と、プロフィールに使った写真の説明もかねて、簡単に、卑弥呼と太鼓台を書こうと始めたのですが、書き始めると、説明が大変なことが判りました。
今回で、しばらく、このシリーズを止めようと思います。神輿太鼓の解明は多くの説明が必要であり、単純に書くのは不可能だったのです。
昨日紹介した、女神(女性)と龍の組合せは、愛媛県の西条市から、香川県の観音寺市までの間の太鼓台には、同じポーズで描かれています。これは、他の部分が全て異なるのに、海女のポーズが一致する不思議があります。
この同じポーズの写真を幾つか載せようと思ったのですが、このためには、写真の取り込みが必要です。そうなると、この海女だけを取り込んでも、何れは、他の写真も必要になります。
つまり、太鼓台の各地の全体写真から、飾りの図柄、伝承などがある中で、その一部分のみの利用となって、効率が悪すぎるのです。このために、今回は取り込まず、海女と龍の写真は、先に使ったものにしています。
現在の「やさしい古事記講座」が、進んでいる間に、太鼓台の大まかな構想をして、合わせて、写真の選別などもした後で、じっくり、太鼓台を書いて、これも本にしようと思っています。
女神と龍の図柄変化3
今日は、もう少し書くつもりでしたが、書くほどに、広がるので、省略して、海女と龍の写真を載せます。
<例によって、コピーなので画像がでません。このサイトを見ると、太鼓台の飾り幕の海女の物が一つありました。参考に、載せておきます。話の宮殿・龍などは横になっています>なお、この文の写真は何時もの「建国と今」などで、よろしく>

尼になっていますが、横が龍です。この龍は海女の右側の幕でしょう。
上は宇摩平野中心部の寒川町江之元の船神輿の飾り幕です。
この図にも、中国の旗を立て宮殿と、門が見えます。
太鼓台の飾り幕の絵を、縦に置き換えた図柄になっています。
上は、宇摩平野の西に位置する土居町の船神輿の飾り幕です。
ここにも、中国を思わせる三角の旗が立っています。
上の写真は真ん中の飾りの先代で、地域の神社に奉納されています。このように赤い下地に、金糸の刺繍が有ったのが、元の姿でしょう。神事に関する物だから、江戸時代までは、伝統の図柄を守ってきたものと思います。
江戸時代の作かと思われます。ここでは、岩礁(島)の図案があります。中国人が日本を図にすると、岩礁のような山の国ということでしょう。東海の島の国ですから、、。
この中で、女性が海女に変わっています。天津神のアマを海女に置き換えて、江戸時代に、このポーズの海女を強制した物と見ています。しかし、住民はその他の図柄を残しました。
これが時代の変化であり、権力者(現在では各種組織、団体)が不都合なことを抹殺するのです。しかし、唯はありません。日本は和の国だか話し合いになります。この為に、一番不都合なものを変えていったのです。
ここに載せた海女は、先に船神輿の説明に使ったので、船神輿の飾りばかりですが、太鼓台にも、海女の絵は多く残っています。これらは、次回の本格的な記述に載せようと思います。
今回の女神と龍の組合せが、宇摩説によって、「皇帝が卑弥呼に贈った錦」の一つの絵柄だと、解明されました。つまり、最初に紹介した宮殿・門・龍・女神(卑弥呼)であったと、太鼓台の図柄から判明したのです。
なお、どの地域でも、現在は本当の伝承は消えています。だから、地域ごとに、様々な話があります。これらは図柄の一部を説明しますが、全体的説明は不可能です。相対的に知るには、各地の調査が必要です。
以上で、太鼓台の女神の説明を終わります。
もう一つのプロフィールの、「豊受山と太鼓台」の写真は、卑弥呼の作った太鼓台と、伊勢神宮外宮の豊受大神の名を持つ豊受山の写真であり、宇摩説の象徴のよな物です。豊受山については、「やさしい古事記講座」の最初の方に出ています。
これで、今回の「卑弥呼の創始、太鼓台」は3で終わります。
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