中間管理職をしていた頃は
「安定感のある働き」が社会人としての常識だと思っていた。
当日突然休んだり、遅刻したりするのは最低ラインにも達していないと。
しかし、今では平気で当日欠勤をする。
前から書いているとおり、今だウツが癒えないからだ。
「人にはそれぞれの事情がある」
アタリマエの事だけど、根性論で仕事をしていたワタシには馴染まなかった。
今ですら。
努力し、効率のいい仕事をしてゆけば肩書きも収入も右肩上がりになった。
会社にとって都合のいい人材になること。
それが有能な人間である証左であって、ワタシのある程度の誇りを支えていた。
今では天気の悪い日には朝目覚めるのもおぼつかない。
ザラザラと薬を大量に流し込んでもほぼ定時の仕事しかできない。
まだしばらくはリスクや責任を伴う業務はできないだろう。
「いわゆる」スローライフの価値観にシフトしてゆけば楽だろう。
だけど、今まで自分を支えてきた物の見方を脱ぐのは困難だ。
ソレはワタシにとってヒジョーに不道徳で退廃的に思えてしまうからだ。
明らかに自分のためになることであるにもかかわらず。
そして話は少々ズレる。
マイノリティがマジョリティに価値観の転換を提示するのは良くあることだ。
しかし、根がらみしがらみ、絡みついた価値観をほぐすのは容易ではない。
自分の利益に明確につながらないことならナオサラだ。
ワタシはレイシズム、エイジズムについて真剣に考えたことがあるだろうか。
日本に土着の民族として居住していれば人種の問題にはうとくなる。
人生93年を標榜しているワタシには「老い」はまだ遠い。
「政治的な正しさ」のみがより所の活動というのは広がりに欠けてしまう。
「ヒトゴトではない」という近しさが価値観をゆるめるのだろう。
「ヒトゴトではなく利益のあること」であっても、
「ソレは正しくない」と長年思い込んでいたらアタマを柔らかくするのは難しい。

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