2012/12/1

太宰治記念館 「斜陽館」  

太宰治記念館 「斜陽館」(だざいおさむきねんかん「しゃようかん」)は、青森県五所川原市金木町にある小説家太宰治の生家。現在は太宰の文学記念館になっている。また、近代和風住宅の代表例として2004年(平成16年)国の重要文化財に指定されている。
建物は1907年に太宰の父で衆議院議員であった津島源右衛門によって立てられたもの。当時の住所は青森県北津軽郡金木村。
太宰が中学進学に伴い1923年に青森市へ転居するまでこの家で暮らした。東京へ出た後、共産党の非合法活動に協力したり、何度か心中を繰り返したため郷里から勘当された。勘気を許されてこの家に戻る事が許されたのは1942年に太宰の母タネが亡くなった後である。その後1945年太宰は戦況悪化に伴い妻子を連れて疎開。翌年までこの地にとどまり、文筆活動を続ける。小説『思ひ出』や『津軽』等には太宰がこの家に対して抱いたイメージが記されている。
太宰の死後1950年に津島家はこの家を売却。町内の旅館経営者が買収し太宰治文学記念館を併設した旅館として改装され太宰の小説『斜陽』から「斜陽館」と命名された。1950年(昭和25年)から営業をはじめた旅館「斜陽館」は太宰ファンが多く宿泊に訪れており、中には喫茶店も併設されていた。また文学記念館は宿泊者以外にも公開され、多くの太宰ファンでにぎわった。
その後旅館の経営が悪化し経営者が手放す旨を発表した。これに対して、1996年(平成8年)金木町(当時)は経営者から斜陽館を買い取り、町営の文学記念館として再出発することになった。こうして1998年(平成10年)、名称が現在の《太宰治記念館 「斜陽館」》と改められて改装オープンした。新しく改装された斜陽館では従来のような宿泊は出来なくなったもの太宰の文学資料、また昭和初期の大地主であった津島家の貴重な資料を展示する資料館として多くの観光客、太宰ファンが訪れている。
当館は木造2階建てで、青森県産材であるヒバをふんだんに使用し、階下11室278坪、2階8室116坪、付属建物や泉水を配した庭園など合わせて宅地約680坪の規模を有する大地主の豪邸である。外観は和風住宅であり、間取りも大規模ではあるものの津軽地方の町屋の間取りを踏襲したものとなっているが、内部には洋風の旧銀行店舗部分や階段室、応接間等があり、また屋根構造は和小屋組ではなくトラス構造となっているなど、和洋折衷建築となっている。向かいに青森銀行金木支店があるが、偶然向かい合っているのではなく、明治時代に津島家が営んでいた銀行業務が青森銀行に引き継がれているからである。「斜陽館」は明治時代の地方の銀行建築でもあり、主屋をはじめ文庫蔵・中の蔵・米蔵等の大型の土蔵や敷地周囲の長大な煉瓦塀といった屋敷構え全体がほぼ当時のまま保存されている。小説家太宰治の生家としての記念的建造物であるとともに、近代和風建築や大地主の屋敷構えの貴重な遺構となっており、付属建物や土地を含めて国の重要文化財に指定されている。なお、建築工事の依頼を受けたのは、弘前市を中心に近代建築を後世に残している堀江佐吉で、設計も佐吉によると思われるが、本人は完成を見ることなく亡くなっており、棟梁を四男の斉藤伊三郎がつとめて完成させた。
nursenanaco
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2012/11/24

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