今日、隣の会社の人とオートバイの話をしていて思い出したのだが、その昔に僕と兄貴は大阪の近畿自動車道という高速道路で最高速チャレンジをした事がある。
たしか時代は1989年くらいで、正月の2日に決行した。
兄貴は88年型スズキ GSX−R750R。油冷エンジンを持つ、当時としては最高のスペックを持つバイクだ。
かたや僕は、同じく88年型だが排気量は250CCの、ホンダNSR250R。
峠とサーキットでは、最速の名を欲しいままにしたモデルだが、如何せん、こと最高速に関しては排気量750CCのGSX−Rにかなう訳はない。
別に勝負をする訳ではなく、ただ単にどちらもどこまでスピードを出せるのか、おもしろいから試してみようぜと言った具合で、この企画はスタートした。
早朝、まだ夜も明けきらぬうちに、近畿自動車道入り口で僕らは缶コーヒー片手に、夜が明けるのを待っていた。
さすがに時速200Kmオーバーをする事は確実だったので、明るくなるのを待ってのチャレンジだ。
冬の寒い朝、自販機の灯りに照らされたバイクを2人で眺めていると、なんとも言えない高揚感が襲ってくる。
自分のバイクを眺めながら、缶コーヒー片手にくだらない話をするのは、バイクがバイク(自転車の事をヨーロッパではバイクという)に変わっても、楽しい事は変わらない。
世界が日の光に満たされて来た頃、いよいよ兄弟での最高速チャレンジの開始だ。
この最高速チャレンジに際して、兄貴は証拠を残したら面白いと言う事で、カメラを持参していた。
当時はデジタルカメラなどもないので、フィルム式のシャッターボタンを押すだけの、バカチョンカメラだ。
どうやって証拠を残すんだという僕の質問に兄貴は“1速から6速まで各ギヤでの最高速を示しているスピードメーターを撮る”と答えた。
事も無げに答えてくれたが、実際は僕がするとなったら命がけの行為だ。
なんせカメラのシャッターボタンを押すと言う事は、片手を離さないといけない事なのだ。
幸いオートバイは、車とはクラッチの構造が違うので、シフトアップに関してはちょっとアクセルを戻しタイミングよくギヤを変えれば、クラッチを使用する必要はない。
しかし、それでもGSX−R750Rは、僕も乗っていたが3速で180Km位のスピードが、軽くでてしまうのだ。
その速度以上での片手走行&撮影・・・。
“大丈夫か”?と思ったが、僕はこの兄貴に関しては、絶大な信頼を置いている。
最近は歳とったので、そうでない事もあるが、兄貴が出来る、やると言った事は、それはもう絶対に出来る事になっているのだ。
で、微塵も不安を感じないまま、最高速チャレンジはスタートした。
ご存知の方もいると思うが、近畿自動車道は全線がほぼストレートになっているが、何箇所かは緩い、ゆる〜いカーブの箇所がある。
南からいくと八尾南料金所手前のゆる〜い右カーブだ。
時速160Km位までなら、ほぼ直線に感じるこのカーブも200Km近い速度だと、恐怖を感じる。
兄貴の乗る、GSX−Rは後から蹴飛ばされるがごとく加速で、あっという間に僕を置いてけぼりにして行った。
こちらも120Kmくらいはスピード出てたのに、それでもギヤチェンジする毎に、まるで漫画の様に加速していった。
あとは吹田の出口までは、僕の一人旅。
NSR250Rはメーター読みで、190Kmまではかなりの加速をしてくれたが、そこから200Kmを越えるまでは、スピードメーターの針は本当に、ジリジリとしか上がらず、空気抵抗を減らすため必死でカクリングの中に身を潜め、吹田までは速かったが、なんとも退屈な旅だった。
当然、吹田の出口では兄貴が、待ちくたびれた感じで座り込んでいた。
デジカメではないので、スピードメーターの写真は現像してみないと上手く撮れたかわからない。
結構、振動が激しかったので、各ギヤごとの写真を何回か撮影したらしい。
それは写真屋に出してからのお楽しみという事で、帰路につこうとしたら僕のNSRのエンジンから異音がでていた。
どうもエンジン内部が焼け付きそうな音だったので、このままでは帰りにエンジンが焼け付いて事故するかもしれないから、上の兄貴に正月早々、車で向かえに来て貰った。
正月2日の早朝に、吹田くんだりまで呼び出された上の兄貴は、えらく不機嫌そうな顔をしていた。
それは当然だわな。
さて、写真の方は、ブレながらもなんとかスピードメーターの針が、何キロを指しているのか証明できるほどの移り具合だった。
何枚かは酷くぶれて、判読出来ないほどだったが、それを考慮して何回か撮っていたので、きちんと各ギヤ毎の写真が撮れていた。
6速ギヤでの写真はスピードメーターの針は、ほぼ一周近く回った位置になっていた。
その速度がどの位かは、僕の口からは言えない。
恐るべし、わが兄貴なのだ。

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