成長ありきの経済が極まり、競争が競争を呼び、富は何れ資本家に集中して分配されず、社会は崩壊してゆく。
焼け野原で物資無く、外資のお陰で成長し始め、富が集約されてきた時期にその都度搾取され、続いて、外に富が自動的に流れる仕組を外圧により内政干渉(年次改革要望書)され、国内は立ち行かなくなってしまった日本。
この内政干渉にて資本家に奪われた富は、削減された改革前の労働賃金に等しい事を忘れては成らない。
改革が成長を促すとは資本家の富の集約のことであり、社会が崩壊するのは当然ではないかと想います。
アメリカ型社会を受け入れるから、同じように社会の貧困が蔓延しているのです。
アメリカの社会はテレビで見る社会は一部の地域でしかない。
地域通貨という考え方がよく聞かれます、視点を変えれば内需型であり保護主義です。
しかし、資源を持たない国は外需もある程度必要です。
通貨の二分化は必要であると考えます。
規制規制で動けない官僚立国日本は、通貨の二重化は無理でしょうから、交換リング仕組を、お札(ふだ)のような物で労働価値を記載して、これらのコミニュティ−を連結して行けばいいかと想います。
考えれば、失業者が町に溢れいても、清掃業でないと清掃できない訳ではありません。
労働価値はお互いが決め交換し合えればいいのです。
マイナスからの労働価値の交換もいいでしょう。労働価値による投資です。
恵むのではなく投資なら人は蔑まれないで済むはずです。
様は人を生かすことです。お金で無いと出来ない事はありません。
生きる事は共存です、意志や労働(得意分野)の交流です。
みんなで考える時期では無いかと想います。
「頂く事は捧げる事」出来ないこと(無い物)の交換で世は繋がってゆくと考えるべきと想います。
利益に拘るから捨てる生産物が出来るのです。価格になるから調整が必要です。
すると労働を捨てていることと同じです。
その捨てる分を誰かがマイナス労働価値として受け取り、加工等をして他の労働価値と交換したり、生産者に返したりすれば労働価値が捨てられる事はありません。
すべてをお金で見るから、過剰生産物は死んでしまうのです。
それは労働価値の廃棄ととなり、生産者も社会にもマイナスなのです。
人の労働を生かすこと、労働価値をバンク(マイナス交換)しても生かすことです。
あなたの周りで人の手を借りなくて、存在するものは何もありません。
すべては労働の証なのです。
お金を使うから利子が生まれ、その分の労働が増え、社会全体が利子の為に忙しくなり、何れ破綻していきます、
労働に成長など無いからです、人の労働は増えてゆきません。
過労死になるのは当たり前です。
労働をしない人々が膨大に搾取しているのですから。
土地にしても価値はありません、開墾して、耕し、宅地なら造成して、宅地を作ります。
何を隠そう労働価値しか土地には存在しません。
働かない資本家の労働分を乗せられて居るから、価格が上がるのです。
価格とは元は労働価値です。
交換リングは利子を生みません、労働の交換だけです。
労働価値を記載して社会全体(コミニュティ−)に寄与するのです、この仕組なら人はどれだけ時間が余るのでしょうか?
また、交換リングが成熟してゆくと、人は考え、得意分野を見つけ出します。
そうすると社会が人がぴたりぴたりと社会を補ってゆきます。
自分の不得意な物を補ってくれるのが社会です。国家とはそのようなものであり、統治者は国の生命そのものであり、人ではありません。
国全体が民の一人一人の労働で成り立つのですから、統治者がいるはずも無いのです。
人は生命の宿る入れ物です、生命とは生きることであり、生かされること、また生かすことでもあります。
私たちの体も同じです。体で機能してくれないところがあっては生命は存続が難しくなってゆきます。
私たちは国の生命を支えている細胞であり、生命の子です。
考え方を経済やお金から離れ、生かすこと、生かされること、そして生きることを考えてください。
もう、外国では徐々に始めています。
生命の営みに外国も日本もあるはずが無い。
岩戸開ければ何もかも解るとは、認知および理解するということです。
神示の書く外国とは、外道の生命ということです。
人が社会の上に立たなければ納まらないのが外道の政治です。
欲であり、支配であり、強制であり、搾取です。
外には国の建て直しはありません、個々の内に存在しています。
新しい価値観であり、心であり、思想であり、全体への愛です。
そこには宗教も無く、法律も無く、差別はありません、区別ある平等だけです。
そこには古神道も無く、皇族も居ません。
独楽には中心が要りますが、鳴門の渦の中心には何も無いのです。
先ず、お金が無いと出来ないとは嘘です。心と意思と労働で社会は変わります。
物は人の手で創られ、運ばれ、あなたの元に届くからです。

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