人間は多様性に満ち、色んな考えや、喜びがある。
当然ですが他人の喜びは中々理解できない。
また、苛立ちも同じく、人により違う。
何気ない幸せの中に、苛立ちや迷いが出てくる。
人々が一様に同じ喜びと悲しみを持つ事はありえないし、そんな世界は喜びも色あせ消えてしまう。
多彩な感情の世界の中で、ある人は喜び、ある人は悲しみの中に居る。
ある人は生まれ、ある人は殺される。ある人は奪い、ある人は奪われる。
多彩な感情がその状況を作り上げてる。
私はそんなことを考えながら、第三者のように世界を見ている。
そんな世界の一構成員であるというのに。
出来れば人並みの喜びに向かいたいと想うのですが、感情がそうはさせない。
苛立ちを私に与える。
何かが不足していると心が催促するように。
外から問題が突然やってきたりもする。
周りを見渡せば、完全失業者がいるかと思えば、案外羽振りのいい人もいる。
失業者もその日暮らしは出来ている、また、羽振りのいい人も、人生の勝利者のように振舞っている。
よく言われる事は、世間の陰謀とか資本主義の矛盾とか、結局は自己の人生のいい訳を考えているから、そんなところに目がいくのだと。
その通りであり、否定する気はない。
ただ、否定しているだけではなく、新しい社会を見出したいと想うだけです。
私は軍国主義も、共産主義も、資本主義も、時の流れとして認めるのです。
がしかし、今は頂けない。
人々に一瞬の喜びはあるのだが、瞬時で終わっている喜びしかなく、瞬時の喜びを手当たり次第求めているだけ。
成し遂げる喜びがなく、世の中が混沌としてる。
政治も経済も、向かう道を見失い、ただ元に戻ろうと多くが人が考えている。
それは叶わない事をうすうす感じながら。
少し未来に希望と目標を持ってみませんか?
時代を利用しながら。
消費社会は生産性の飛躍的な向上と設備過剰により、労働者のいく場がなくなっている。
金利を貰わない投資は無いと、銀行はおっしゃるので、金融業だけが乱高する金融商品市場に資本を向かわせてる。
多くの人を必要としない仕事場だけが動き、既得権に群がる業種だけが、何もないように毎日を過ごしている。
本当にこのままでは世界の労働者が、二分され、行き場を失いというのに。
アジアに活路を見出す?
私は歴史の流れだが、上手くいかないと考えます。
中国は先進国と途上国を包括した国家です。
経済融合すると日本も同じようになり、支配者と被支配者に完全に別れる。
では米は?米国も同じ方向に向かっている。
私はこの国内で生活を賄える事を信じています。
その事が私の心に不足しているものであるから、何をしてもどこかで苛立ちを感じているのかもしれません。
国を変えたいと想う心は、先の選挙でも人々が感じている事だと想います。
しかし、それは立て直してなく、立替のお役であると、見えてしまうのは私だけでしょうか?
そしたら、何処に立替の心はあるのでしょう?
神の国の足場は何処にあるのでしょうか?
一人一人が立ち上がらないと、ないかも知れませんね。

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