数理科学と日本古代史のブログ

 

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投稿者:Stromdorf
 だいぶ前にコメントをいただいてそのままにしていたことをお詫びします。
 さて、まず「都府楼」という名称についてですが、「都」という字が含まれているから王朝の都だったのではないか、という趣旨でしょうか?
 一般に地名というのはなかなか語源が判明しないのが普通で、この場合、なぜ「都府楼」と呼ばれるのかについて定説は無いようですね。
 ちなみに古田さん自身、「都府楼」の「都府」は「都督府」の略じゃないかとおっしゃっておられるようですが、その可能性もあると思います。しかし「都督府」というのは、「都」の字が含まれていますが、「都(みやこ)」とは関係ないですよね。
 実際、白村江の戦いで百済が唐に滅ぼされたとき、唐が百済に「熊津都督府」ほか複数の都市に都督府を設置したりしてますから。ですから、「都府楼」という地名をここに王朝の都があった証拠ではないかと言われても、それは根拠にならないと思うのです。
 また、大宰府は何といっても九州西海道を治める拠点だったのですから、重要な役割を示す遺跡は出てきて当然と思います。

 また、条坊や礎石については、大宰府のそれは、確認された条坊や礎石は、時代が相当に下りますよね。また科学的年代測定国際基準のC14については、ネットで検索しても「古田説シンパ」のサイトしかヒットせず、肝心の基礎データが入手できないので、確認の手立てがありません。ちゃんとデータの補正などが行われた議論なのかどうかを確かめないと何とも言えないと思います。何しろ、

http://dazaifu.mma.co.jp/fureai/iseki_dayori/top.html

の45に至る連載で解説されているようなオフィシャルの発掘現場情報からすると、そんなに古いものだという話と全く繋がらないので…。
投稿者:通りすがり
太宰府だけでなく・・・
都府楼という地名やら蔵司地区官衙や条坊に伴って重要な役割を示す遺跡が出ていることはどう思われているのでしょうか?
また奈良明日香には条坊も無く礎石も無い建物の遺跡しか出ないこと。科学的年代測定国際基準のC14では九州の遺物から軒並み畿内より古い数値が測定されている事実にも目を向けてはどうでしょうか。
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