毎回覗いてくれていた方、どうもおまたせしました。久しぶりに新しい連載ネタが見つかったので再開します。
昔から、基礎物理学の分野において、古典力学、量子力学、電磁気学、相対性理論、場の量子論、流体力学などは、さすがに理論的基礎のしっかりした「学問」だなあという印象を持っていたのですが、同じ基礎物理学の中で、こと「熱力学」だけは、どうにも胡散臭い、とても「まともな」理論的学問とは思えないな、という気がしていて、この違和感は学生時代からずーっと消えませんでした。
熱力学のどこが「胡散臭い」と思ったのかというと、他の理論では当然に存在している、いわゆる「基礎方程式」のようなものが存在しない、という点でした。
例えば古典力学ならニュートンの運動方程式、電磁気学ならマクスウェルの方程式、量子力学ならシュレーディンガーあるいはディラック方程式、相対性理論なら測地線で記述された運動方程式やアインシュタイン方程式、場の量子論ならファインマン積分による定式化など、初心者向けということを気にせずに記述してよいとしたら、理論の出発点となる純粋に数学で記述された基礎方程式がとにかく存在するというのに、熱力学だけはそうではなく、「クラウジウスの原理」あるいは「ケルビンの原理」のような「〜を満たすように〜することはできない」というような、まるで哲学か倫理か何かの原理のような「経験則」(しかも数式で記述されているのではない!)が出発点になっていることにものすごい違和感を感じていました。
そして、この“経験則”から「カルノーの定理」を経てエントロピーという「不思議な状態変数」が存在していることが導かれる、という風に議論が進んでいくわけです。
こう言うと、「相対性理論だって、“経験則”ではないけれど『等価原理』のような“思考実験による指導原理”から出発しているではないか」という人がいるかもしれませんが、実際は相対性理論は『等価原理』だけから純粋に数学的に理論展開できるわけではなく、その理論展開をよく見れば、「古典力学の方程式を、等価原理を指導原理にしながら帰納的に修正して基礎方程式を設定している」だけであり、『等価原理』は単に理論の“発見的考察”として用いられているだけであることがわかります。
また、電磁気学について言えば、クーロンの法則やアンペールの法則といった“経験則”を微分方程式の形に書き直し、マクスウェルが導入した電束電流を追加してマクスウェル方程式を導入するといった説明が電磁気学の教科書としては標準的ですが、これだって電束電流の導入は純粋に演繹的な議論ではなく、帰納が入っていますから、これはやはり初心者向けにわかりやすく解説するための方便として、発見的考察を利用して電磁気の理論を説明しているに過ぎません。実際、電磁気学では、純粋に演繹的に理論展開する方法がちゃんと存在していて、それはマクスウェル方程式を出発点にして純粋に数学的に演繹的に理論展開することが可能です。
ところがこれらに対し、熱力学の理論展開はそうではありません。「クラウジウスの原理」から「エントロピーの存在」を導くのは、決して数学的にムツカしい本来の理論展開を避けて初心者向けの方便として「発見的考察」を述べているのではなく、本当にこの方法が「本来の理論」なのです。
もちろん、こうした理論展開の“胡散臭さ”を避けるために、統計力学の議論を持ち出してエントロピーを構築するという理論を展開している教科書もありますが、本来の熱力学は、こうした「ミクロの力学」を前提にして理論構築されるものではなく、こうしたミクロの物理学とは独立した理論体系として展開されるはずのものなので、このような理論展開もやはり何か“本質を避けている”ように感じられ、別の意味でやはり胡散臭さがあります。
ちなみに熱力学の邦書の解説書としては、田崎晴明先生の有名な教科書があります。この本は確かによくできた本だと思いますが、この本の理論展開は、本質的に「クラウジウスの原理からエントロピーの存在を導く」という本質は変えないで、ただその導出プロセスを数学的に厳密にしたもの、という印象を持ちました。
もちろんこのような数学的フォローは大切で、同著を読むと、通常の教科書の「クラウジウスの原理からエントロピーを導出する」議論がいかに数学的に穴が多いかとか、無意識に暗黙の前提をいくつか利用してしまっている事実とかがよくわかり、その点では目から鱗が落ちたすばらしい名著であることは間違いないのですが、それでも読後にスッキリ感は得られませんでした。
その理由を考えてみると、結局以下の理由に尽きるのではないかと思えてきたのです。
古典力学や電磁気学や量子力学などの議論には、いずれも「一見何を意味しているのかはよくわからないが、とにかく形式が美しい数式で表現された基礎方程式」を出発点にして、数学的に演繹的に、そこから「経験則」が“導出”できる、という感動があります。物理の本を読んでいて何か楽しいかとつらつら考えてみると、この事実に感動するのが楽しいわけです。
従って、熱力学の体系だけが、一人「経験則から出発する」という理論展開を正式の理論展開に持つということは、この物理理論が持つ一番「楽しい」部分を最初から放棄しているわけですから、不愉快に感じるのも当然だったわけです。
こうした思いから、熱力学の理論構築自体を自分の満足する形に再構成する、すなわち「数学的な基礎方程式」から出発して「経験則を導出する」形に書き直す、そしてその際、統計力学のようなミクロの物理学の結果を利用しない、という理論が構築できないものかといろいろ考えてようやくたどり着いたのが、私のサイトの「熱・統計力学」の第0節から第5節までで展開している議論なのです。
ただし、そこで展開されているのは数学的厳密性を最優先した決して読みやすくない内容なので、本連載では、その意図しているところを、数式にあまり頼らずに解説してみたいと思います。

1