僕が横文字職業から転業し、畑違いの分野に入って、最初に関わった当時の"京セラ”という会社は、今から思えば、"従来の企業概念を乗り越えよう"という、稲盛和夫氏の独特の思い入れが色濃く出ていて、面白い会社だった。
京都で開かれたソーラー部門の代理店会は、いきなりあの”地球交響曲=ガイアシンフォニー”のダライ-ラマ編の放映から始まった。
ダライ-ラマが語り続けるシーンが、ひたすら流れるだけなのに、宇宙の中で、いろんな命が精一杯輝いている、その壮大な空間の中で、小さな自分が生かされている、というイメージがとてつもなく大きく広がり、”その命のシンフォニーの一員として精一杯生きなさい”という啓示ともいうべきものに感動し、目頭が熱くなった。
ふと、隣をみると、いかにも”売ってなんぼ、儲けてなんぼ”というセールスの猛者みたいな、人相のあまりよくなさそうな人がいたが、なんとその彼も、目にいっぱいの涙をためて、ダライーラマのメッセージに抱擁されていた。
※ ※ ※
京セラ創業者の稲盛会長(当時)は、鹿児島生まれで、あの西郷隆盛にかなり傾倒していたらしく、西郷さんの座右の銘というべき”敬天愛人”を社是にかかげ、企業でありながら、ことあるごとに”真、善、美”の追求を社員に問いかけていた。
なんどか京セラの研修を受けたが、営業研修というより、人間修行というべき空間だった。
へんなプライドとか先入観を捨て、真っ白な素直な心で、人間本来の感性を解き放てば、見えないものが見え、聞こえないものが聞こえ、しまいこんでる潜在能力が解き放たれいい仕事ができるとか。
人生の成果=能力×仕事量×熱意(うろおぼえなんで違う表現かもしれないが)という公式の、能力と仕事量の変数は1から∞でだが、熱意は−∞から+∞で、マイナスの熱意をもつと、能力があり、かつ努力をしても、大きなマイナスの成果しか生まない。だから、たゆまない”真、善、美”の追求が必要だとか。
*皮肉なことに、その後の京セラは創業精神が薄れ”真、善、美”の追求より、販売力のある悪質業者への商品供給、政治ルートを使ったODA販路開拓など、手っ取り早い成果を優先させたためなのか、ソーラー分野では一時的に大きく後退してしまったが、、、、
今思うと、稲盛さんは、理想的な社会追求を、企業経営を通して手繰り寄せよう、という夢を持っていたんじゃないかという気がする。
※ ※
京セラが経営分析的に語られる時、必ず、独自の”アメーバ経営”が語られる。社内を小集団にわけ、その集団ごとに損益を追求させるというものだが、その小集団も、固定化されたものではなく、アメーバのように臨機応変に分裂、合体、変形するという東洋思想の体現というべき、柔軟なものだったと記憶している。
当時の僕は、アメーバ経営というものを、経営合理性という面でしか捉えられなかった。だが、今にして思えば、理想的な社会というものまで想定していたのでないかという気がしている。
家族主義的な日本型経営というものが、もたれあい、ぶらさがり、の蔓延で、本来のプラス面より、活力低下というマイナス面が際立ってきた中にあって、"日本的な経営のプラス面を保ちつつ、活力をたえず持ち続ける方策"としての”京セラのアメーバ方式”があった。
だが、驚くことに、そのモデルが、生活者であり、同時に生活防衛の戦闘者であった、中世武士団にあったということに、最近になって気がついた。
徳川時代の飼いならされた”侍”ではなく、自立した精神を持ち、”常に、生活者であるとともに、戦闘者でもありつづける”という両面の緊張感を持ちつづけ、同時に、その意思を共有する共同体の”義”を守るためには”死地”に立つ気概にあふれた、本当の”サムライ”の集団。それを再現しようとしたのでないかと思っている。
活力あふれた”個”と”公”を、主体的に保ち続ける最小単位の個の有機的結合体。時の要請に応じて離合集散しつつ、一定のベクトルを共有して総合力を発揮していく。
西郷の描いた理想を、稲盛さんは自らの会社で実現し、ひいては日本社会再生の起爆剤としようとしたのでないか。
フォーディズムでもない、日本型家族経営でもない、第三の道として、構成員にその主体性をつねに問いつづける、自立した”サムライ”集団の総和として,日本精神を体現した企業体を志向した、稲盛イズムの壮大さを最近よく思いうかべる。
残念ながら、稲盛さんの意思を、社員が共有していたのは、第二電電創設以前までのような気がする。
いまでは無縁なところに存在している僕にとって、最近の事情はわからない。せいぜい、”稲盛さんが出家した”というニュースに、稲盛イズムの一時的挫折を感じ取った程度だ。
しかし、稲盛さんの目指した、思想性の明確な”サムライ”集団の総和としての企業つくりの模索は、今後の日本の希望にもつながる、という思いがある。
現在のマネーゲーム主体の経済の中で、株主の顔色を伺い、貢ぎマシーンの構成部品として、人間が疎外されていく状況は、好ましいものではない。
新時代の日本は、稲盛さんが目指したような、明確な思想を持った、”サムライ”共同体=主体的経営参加型企業によって牽引されるべきだと思う。そのときこそ、陽はまた昇る、と確信する。
京セラアメーバ経営のマネーの壁
マネーの壁の超克
人気blogランキングへ

2