橦木倶楽部の西側、マンションを挟んで2軒目に江口邸がある。ここがかっての矢田績の屋敷である。矢田績は、慶応義塾卒業後、複数の企業を経て、三井銀行に入社した。神戸をはじめ各地の支店長歴任後、1905年(明治38)、営業不振の名古屋支店の建て直しのため、名古屋に派遣されてきた。支店長として名古屋支店の経営を軌道に乗せた矢田績は、のちに「中部財界のご意見番」と呼ばれるようになる。その間、自動織機の豊田佐吉など将来性を見込んだ人物・企業への投資を惜しまなかった。慶應義塾の後輩である福沢桃助を名古屋電灯に誘ったのも矢田績である。銀行退職後の1922年(大正11)、彼は名古屋の地に永住を決意し、経済人・文化人が自由に話をする場所として自宅開放し、これが“橦木町倶楽部”と呼ばれたのである。また1925(大正14)、自費を投じて東区武平町に名古屋公衆図書館を設立した。この図書館は1939年(昭和14)名古屋市に寄付され、1952年(昭和27)、名古屋市栄図書館と改称。1965年(昭和40)には名古屋市西図書館として生まれ変わり今日に至っている。矢田績は、1940年(昭和15)80歳で没しているが、まさに「名古屋経済の基礎を築いた経済人」であり、「名古屋に知的文化を根付かせた知識人」という評価ができる。

矢田績邸(現江口邸)

名古屋西図書館の2F広場の矢田績像。彼が当初寄付した蔵書は,現在、鶴舞図書館に所蔵されている。

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