『チェチェン』(パトリック・ブリュノー/ヴィアチェスラフ・ヴュツキー著、萩谷良訳、白水社)
いやあ、ややこしい。入り組みすぎている。チェチェン問題という奴は。とにかく、ロシアが絡むと世界中どこでも粗くたい話になる。肉体言語(暴力)がデフォルト。そこに、近年では石油を基礎とした利権が絡むし、石油以前でもロシアにとって戦略的に死活(東西の交通の要衡)問題に係わるところ。
確かに、ML主義者の言うように、レーニンの言葉を借りて「抑圧民族は被抑圧民族に譲歩し過ぎてし過ぎることはない」と言うだけなら楽。しかしなあ。周辺のほかの民族との関係もあるし。で、ドゥダエフからして、ロシアに利用されているんだもんなあ。罪深いぞ、ロシア。しかし、チェチェンの各潮流がロシア(モスクワ)を利用しようとしていたことも事実。それはそれで共産主義のシステムを少しは知っている人間としては、仕方ないと思うところもある。
この本の肝と思われるところを若干加筆しつつ引用して、おしまいにしよう。チェチェンの悲惨な歴史はこれに集約されていると思うから。(p137〜)何だかんだ言って、日本は平和で優しいわ。その周囲も(除ロシア)。と、祖国を思うのであった。
一九九一年八月十九日〜二十一日のソ連保守派クーデタの動きは、ゴルバチョフの立場を弱め、エリツィンに勝利をもたらし、グロズヌイではチェチェン最高会議議長ザウガエフ――ゴルバチョフの支持のもとでチェチェンを連邦構成共和国、すなわちロシアと対等な共和国に格上げしようとしていた人――の失脚につながった。エリツィンの支持を受けたドゥダエフとチェチェン民族国民会議の活動家らは、ザウガエフが反エリツィン・クーデターを支持したと非難し――政治的にはザウガエフがプーゴの反革命クーデターを支持することはありえない、悪質なデマと思う――、辞任と最高会議の解散を迫った。
八月二十三日、モスクワのエリツィンが、ザウガエフを切って、ドゥダエフとその支持者に公然の支持を与えようと代表団をグロズヌイに送り込んだ。
ドゥダエフの民族親衛隊は、共和国最高会議の会議中に、議場を襲った。第一書記は殺された。こうやって最高会議は破壊され、臨時最高会議がモスクワの肝煎りで設立された。ただ、ドゥダエフの配下は4人に過ぎず、野党が多数派だったが一枚岩ではなかった。そこにスーフィー教徒の新たなる反ドゥダエフ派が登場した。
一〇月二七日、ドゥダエフは選挙を強行した。投票率は一〇〜一二%と推定されるもので、臨時最高会議は正統性がないと宣言し、別の選挙を十一月十七日に実施することとした。しかし、臨時最高会議はロシア/モスクワの肝煎りなので、大衆は形式的な選挙よりも、独裁的なドゥダエフを良しとしたようだ。また、エリツィンとしてもゴルバチョフがまだ権力を保持している段階で、彼の意向(民主的・平和的解決)を無視してコトを進めることはできなかった。
十一月二十七日、チェチェン最高会議は、チェチェンの独立を宣言する。それは、モスクワの指導者間の矛盾の帰結であった。
ロシアの指導部は、チェチェン共和国のほとんど全面的な封鎖につながる平和的解決を選んだ。チェチェンはロシア連邦から独立して生きることを決定したが、その財政的手段もなく、カフカスの山のなかの孤立した陸封国のため、外部世界への出口もない。
その中で、貴重な石油を巡る抗争が起きる。ドゥダエフは個人独裁で危機を突破しようとし、チェチェン議会は罷免で応える。二重権力。そして内戦。ロシアの事情も事情で、ハスブラトフが権力を握り始めると、エリツィンは叫んだ。
「チェチェン人はマフィアで犯罪者だ。ハスブラトフはチェチェン人だ。ゆえに彼はマフィアだ。」
――かような差別排外主義的言辞を日本の首相が、例えばチェチェン人を朝鮮人に喩えたなら、日本の政界では永久追放であろう、しかし、かような言辞を吐く奴が生きていけるのがロシアの政界なのだ、そのことを日本人は見ておいたほうがいい――
そしてロシア議会は解散され、ハスブラトフは追放され、チェチェンに凱旋した。しかし、ドゥダエフは共和国内居住権を他の野党の指導者とともに剥奪した。体制が極端に排除に走るときには、選択できることは、もう、暴力しかない。内戦が激しさを加えた。民主主義という擬制の限界である。
エリツィンは、法的手段でもって解決をしようとした。一九九四年十二月一日、彼は刀狩の大統領令を出し、七日には、その保障としてロシア安全保障会議が武力行使を決定した。しかし、こういう決定は何を意味するか? 誰も刀狩に応じない、ということを意味する。ロシアとチェチェンの戦争が始まった。
この本は、中・上級者向けの辞書代わりの本としては良いかも知れないが、小生のような初心者には難しかった。で、注文。もう少し詳しい地図と年表は、欲しい。ネットでゲットしたものを見ながら読み進めた。

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