TAMO2ちんの日常

思想の嵐 猛(たけ)るとも 正しき道を いざ進め 

 

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投稿者:伊賀篤
(承前)

> ただ社会全体がネット社会に移行したこともあり、私の行動は結果として党の死亡を早めただけかもしれません。

このままでは、何もしなくても衰退していく事には変わりありませんから、キンピーさんが気に病む必要は無いと思います。

> と、いいつつも諦めたわけではなく、どこかで限界が来てコロっと変革しちゃうかもしれないと思っています(笑

その為に私も、ろくに異なる立場や思想の人とは「対話」すらも出来ない軟弱に過ぎる我が党員への啓発も兼ねて、下記みたいに「対話」に勤しみ、少し手も「啓発」できれば…と拙いながら思っています。(笑)

http://gold.ap.teacup.com/multitud0/628.html#comment

今後とも宜しく御願いします。では…
投稿者:伊賀篤
キンピーさん。お返事ありがとうございます。

> 私も愛想尽かさずに除名処分の撤回を訴えているのですが(苦笑

キリスト教の聖書の中に「持てる者が天国に入るのはラクダが針の穴を通るよりも難しい」という言葉が有ります。

この場合「持てる者」とは、党内の中間組織の在るか無しかの小さな「権力」だったり、狭い自己の経験の中だけの善悪の「基準」だったりし、「天国に入る」とは自己の誤りを認める事だったりするのですが、一般論としては難しい事ですが、私も似た様に、党中央に変化を求めるという意味では、一種のドンキ・ホーテですから、お互い頑張りましょう。

> さて、量子に当てはめると私の行動は普遍的な価値へ向かおうという運動の「些細な現象」だろうと思います。
> しかし私の目的意識はそういう大局的なところには無くて、当時はあくまで内向きだったと思いますが、優秀な方が自分の力を発揮できるような風通しの良い組織でなければ、党はゆっくり死んでいくだけだろうということで、稚拙なやり方ですが問題提起したつもりです。

もしもキンピーさんの言う「内向き」というのが、生きた民衆という「現実」の歴史の大きな動きの中で、たかが一政党に過ぎない日本共産党という組織を改善する事を意味するのならば、きっと今は視野を広げられて、左右に関係なく地域や職場などで「対話」を広げられていると、同世代を生きる者として、私も(といっても恐らく少し年長の43歳ですが)心強く思います。

11年程前には、私はもっと「内向き」で「稚拙」な事をやってましたから…(苦笑)
(下記リンク先の、拙ブログの「自己紹介」を参照)

http://blue.ap.teacup.com/nozomi/


誰であれ一歩を踏み出す時は「稚拙」であり、面従腹背で組織内の出世を果して権力を得て「上から」変え様などというのが、もしも既存の政治の世界では「稚拙」でないなどというのであれば、そんなものは「率直」と御見受けするキンピーさんだけでなく(少なくとも)私にも向いていませんし、人は置かれた場所で与えられた条件の中でベストを尽くせば良いと思います。

(続く)
投稿者:キンピー
伊賀さん

はじめまして。
こちらこそよろしくお願いいたします。
私も愛想尽かさずに除名処分の撤回を訴えているのですが(苦笑

さて、量子に当てはめると私の行動は普遍的な価値へ向かおうという運動の「些細な現象」だろうと思います。
しかし私の目的意識はそういう大局的なところには無くて、当時はあくまで内向きだったと思いますが、優秀な方が自分の力を発揮できるような風通しの良い組織でなければ、党はゆっくり死んでいくだけだろうということで、稚拙なやり方ですが問題提起したつもりです。
ただ社会全体がネット社会に移行したこともあり、私の行動は結果として党の死亡を早めただけかもしれません。

と、いいつつも諦めたわけではなく、どこかで限界が来てコロっと変革しちゃうかもしれないと思っています(笑
前略

キンピーさん。始めまして。一度挨拶をしたいと思ってました。宜しく御願い致します。

私は、しぶとくも現役で愛想も尽かさずに日本共産党内に居る、浜松の伊賀篤という言う者です。

キンピーさんがネットを通じ有名になった過程は、少し遅れてですが、私も一応は知ってます。TAMO2さん風に言えば「量子」の一人として御自身の信念に従ってやられた事として、私は個人的にですが敬意を持っています。

私の友人の国忠さんの場合もそうですが、これも古き「大きな物語」に囚われた憐れな「善人」←悪人を自覚しない人の意味…の起した事と、もし出来れば憐れんで下さい。

本当の「真実」は生きた現場にこそあるというのは、全くその通りだと私も思っています。

今の私の心境の全てを話すには、紙幅がありませんので、下記の拙日記でも見て藁ってやって下さい。(↓)

草々

http://6560.teacup.com/nozomi/bbs
投稿者:キンピー
もののあわれも自然法爾も同根の世界観だろうと思っているのですが、それらと量子(もちろん私は専門外ですが)の発見と発展も相通ずるものがあるなぁという印象です。
っで、マルクスは確かにプロレタリアートを発見した。
しかし後世のマルクス主義者はマルクスの曖昧な発見を曖昧なまま受け入れ発展させるのではなく、贅肉をそぎ落とし定義付に躍起になった。
そしてついにプロレタリアートは「すい・へー・りー・べー・・・ぷろ」と、ただの記号になってしまったとさ。。。
確かに記号化されたプロレタリアートは分かりやすくて良い。
しかしそんなプロレタリアートなんて存在するのか?
日本共産党が拠って立つ国民の立場ってどこにあるのか?

ま、左右関係なく全ての社会運動にいえることかも知れませんけど、このエントリーを読んでそんなことを考えました。
投稿者:伊賀篤
あと「量子共産主義」というのは、総論賛成です。

「もののあわれ」を理解できるのは、科学ではなく個人ですから…(笑)
投稿者:伊賀篤
↓のリンク先のコメントですが、少しは「お笑い」が取れるでしょうか?(苦笑)

よければ採点下さい。(ガクガクブルブル)

http://gold.ap.teacup.com/multitud0/628.html#comment
投稿者:伊賀篤
(承前)

しかし現代では、それだけでは実質的な「生存権」が保障されない現代での格差という「現実」から出発して、ロールズ・ドォーキン・センなどは、格差原理(最も不遇な人の状態改善に寄与する限りでのみ格差を許容)や、責任原理(本人の責任に帰す事の不可能な結果的不遇は許容しない)や、「潜在的能力開花の機会平等」などの、新たな【公理】を追加する事で論理体系を組み替え、やはり同じ様に科学的(形式論理学的な)演繹と帰納によって、現代の【マルクス系以外の】社会科学は発展してきました。

こうした形式論理学的な方法が、数学や数理的な経済学と親和性が高い事は、ジョン・E・ローマーの「分配的正義の理論―経済学と倫理学の対話(木鐸社・2001/03) 」という著書でも有名です。

マルクス「主義」者は、【無知の知】と対等平等の【対話法】という「科学の原点」とも言える所に回帰すべきと考えます。
(マルクス自身が、自分は「マルクス主義者」では無いと言ったのにね)

誤解の無い様に付言すると、私は科学万能「主義」者ではなく、謙虚さや人情といった人の美徳と同じく科学的態度もあるだろうという事を述べるのみです。
投稿者:伊賀篤
TAMO2さん。こんにちは。

私は、その疎外されドグマ化された「大きな物語」を生んだ元凶を、ソクラテス的な【無知の知】と、対等平等の【対話法】という原点から離れて、イデオロギー化される事で疎外された「弁証法=現実よりも結論先にありき」にこそ、有るのではないかと愚考の末に「ほぼ」結論するに到りました。

拙ないアジにすると、私曰く…

【政治理論からの弁証法の放逐と、形式論理を尽くした対話法の復権を!】

…です。

しかし、典型的な弁証法の物語の【信者】は、例えば「人が人を殺していけない理由」などは、科学では説明できないなどと言います。

しかし、まっとうな(=普通の)社会「科学」の歴史を知っている者であれば、以下の様な形式論理的な論証が為されて来た事は周知だと思われます。

ロックやルソーという啓蒙思想家の場合、最初に【公理】として、万人に与えられた「自然権」を仮定して、そこから科学的(形式論理学的な)演繹と帰納を繰り返して…なんびとも自己の持つ権利と同等な他者の権利を侵してはならない…という社会科学的な「規範論理」を生み出しました。

それは彼らの自己形成の過程で恐らく歴史的状況や周囲の現実に基づく【対話法】を通じて得られたもので、カントのア・プリオリな「定言命法」とは異なります。

(続く)

http://blue.ap.teacup.com/nozomi/
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