著者によれば今言われる民主主義の理念を一言で言うと「人民の、人民による、人民のための政治」である。スローガンは「自由、平等、博愛」(博愛は同胞愛である;よって、同胞たらざれば殺すのも可、という恐ろしい思想だと小生は思う)。
「人民による」「人民のため」は、封建時代でも色々と為政者の能力や徳で実現されていた。「人民による」は適材適所で。ところで、「人民の」で上手くいってるのか?と。気分だけで言っているんじゃないか、と。小生がもっと突っ込めば「人民の」で様々な欺瞞をして、ヨリ肝心な「人民による」「人民のため」を糊塗してんじゃあないか、と。
民主主義の公理は虚構性を有する。
次にこれはどっちかってえと自由主義に関するお話。言論の自由というものがある。対国家を主眼とした権利意識。で、その内実は、何のことはない、「寛容」ということだ。封建倫理で言う“徳”の一つだ。さように、自由主義や民主主義やらの原理の多くは、封建的遺制からの「積極的側面」の密輸入に頼らなければならないのだ・・・って、ネットじゃあ10年前に議論したなあ。「革命後は封建社会主義でなければならない」とか。USAのリベリアの民主主義による奴隷輸出の話は改めて笑った。
さて、そもそも漫画評論家である著者は、ある漫画の偽装された封建主義を通じて、封建主義に目覚めたらしい。主人公が封建的でけしからんと言われた漫画が、著者によると実に民主主義だと。真に封建的な漁師ならば分限を弁え、漁について熱く語り、それ以外は言うべきでないのだが、日本人だから亭主関白だとか抜かしやがる。そんなことを言うようになったのは(いや、言わざるを得なくなったのは と小生は思う)民主主義だからだろ、と。
こうして、私は、民主主義者によって陰画としてしか扱われなかった封建主義が、ポジティブな主張のある主義として、有効な現状批評をなしうる可能性を発見したのだ。(p63)
また、西洋(思想)の行き詰まりで東洋(思想)が流行しているが、分節困難な(完成度の高い)儒教は無視されている。しかし、これこそが東洋(思想)の核ではないか! 三民主義の孫文が依拠したのは儒教ではないのか。(例えば社会主義思想を「大同」と述べている。)
こうして著者は封建主義に目覚めた。
ここからは封建主義のイロハの概説。「・」ごとに。
・「孝」は親孝行のことではない。個と全体(ヘーゲル的に言うと“類”か?)の連なりの確認作業である。だから、封建思想には個は存在するのだ。
・民主主義者は「遅れたシステム、思想」ということで直線史観から他をサベツするのだ。
・西欧列強の「自由・民主主義」と激しく戦った朝鮮人=崔益鉉(チェ・イクチョン)のラディカルな見地は、断固たる封建主義である。「節を失うくらいなら餓死するほうがましだ」として、日本に捉えられ、対馬に幽閉された彼は餓死した。なお、彼の遺した文章にはオルテガを彷彿とさせるものがある。
・人類の夢、無政府共産。封建にもある。最もラディカルな形で。「鼓腹撃壌」。堯帝という最良の統治者が天下太平の国を行脚。農民が言う。帝力于我何有哉(帝の力、そんなの関係ねえ!)。堯帝は心から喜んだ。理想的な形で、政治の力は脱臼〜中吊りされ、無化されるのだ。これこそ政治の理想である。
・個に全てを帰着させる民主主義思想こそが貞淑なる概念を産み、処女性に代表される「純粋性」を尊び、それが人間を抑圧した。
・封建制のもとでは職業(生産点)における緊張感が社会にみなぎり、家庭(生活点)にも入る。生産と消費の分裂による、「権利ばかり主張する消費者(←置き換え可能);緊張感を喪失した生活者」なんて不可能なのだ。だから、かような疎外がない。封建主義者を自覚するもののみが、資本制の分裂を捉えることが出来るので、マルクスの遺産を活用できる。
・「男女七歳にして席を同じうせず」の解釈。封建思想=遅れた思想では、男女サベツである。しかし、本義は「男女7歳にして同衾するな」らしい。極端な早婚がかつてあった。それを思えば、これは当時の進歩思想である。小生はもう一歩すすめて、「男女」=「人々」と考えて、人の道は7つにして分かれていくものだ、と読んだが、これはダメかな? cf.『学校の先生』(坂上二郎)
・春画は極端にいやらしいから、素晴らしい。いや、キリスト教文化圏の「神の絵画」も実はそうなんだが、この本では触れられていないのは残念だ。まあ、こういうエロエロは“悪所”“辺界”に押しとどめて自由にやってくれ、というのが封建思想の寛容だ。民主主義者の「悪書追放」のような排除の論理は取らない。そして、鬩ぎ合いがダイナミズムを生む。お互いの差別のし合いを包摂する。(「傾き者」vs「野暮助」)差別は民主主義のような上下や排除にはならない。
・(p161のローレンツ短縮の式は間違っている。まあ、本論とは関係ない)
・民主主義教育の欺瞞は、それで育ったワシらが良く知っているので割愛。封建主義者による寺子屋のほうが良かろう。年齢も関係ないし。
封建主義の教育、天の命と人の性をしっかりと、かつ柔軟に見すえ、学ぶべき者が学ぶべきことを学ぶように学ぶ(p170)
・正義は士大夫が語る。よって、民衆よりもエライとされる。そして、士大夫は正義に疲れたら前衛を辞めてもOK! 復帰してもOK! 民主主義の一つの産物である共産党(員)とどっちがいい?
・国は小さいほうがいい。(公孫丑下篇;孟子) テーコク主義的膨張なんて愚の骨頂。
・で、実に「現代的」認識。
開国・倒幕・明治維新は、たかが現行憲法の押しつけどころではない、もっと巨大な押しつけである。何故、これに反対しないのか。アメリカの押しつけによる開国・維新反対。明治以降の政体打倒! 江戸幕府再興! と、何故、言わないのか。
(p192)
いや、ミクシーにそういうのありますけど。まあ、暴力は理念よりも強い、ということで。
・これは実に素晴らしい文章だと思った。
何故、「おい、メクラ」という言い方がなかったのか。
それは、礼に反するからである! 礼に反することはいけないからである!
(中略:計量という合理主義が盲人を救えなかったというお話から、言葉狩りというセンチメンタル・ファシズムが噴出したという話になり、)
礼。ただ一言、礼と言えばすんだのだ。
だが、礼なんて、権利・義務という思考様式とはなじまない。経済に換算しようもない。だから、そんなものはない、ないのだから無視する。――こういう西欧的・近代的思考が仕返しを受け始めているのだ。
取りこぼしの残余は無視小ではない。現代思想の本をパラ読みすると、そういう叫びが聞こえてきそうである。
・酒をおごって貰った貧乏人が、売れもしないかわらけを割る話(ポトラッチ)は、バタイユ、あるいはラカン的だ。そもそもは微笑ましい話なんだが、商品経済の発達とともに愚行の話となる。封建時代に既に資本主義を支えた勤労・効率観が出てきていたということだと思う。この価値体系が我らを支配する限り、「聖職」「勤勉」を資本の側に押し付けられたとき、有効な反撃は不可能なのだ。そういう次第で、封建思想はマルクス主義を再生する(笑)。
・(東洋の)封建主義は世襲制を主張しない。うん、マルクスのあの文章とは違うな(マルクスは西洋だからね!)。第一原則は天分による継承である。これを「禅譲」という。先ほどの堯は舜に譲った。舜は禹に。三帝の時代を儒者たちが聖なる時代というのも分かる。
・大工さんが良いことをすると大工「さん」と報道されるが、悪いことをすると大工(呼び捨て)で報道される。じゃあ、弁護士は? 才能や職業は平等と言いなながら、実はサベツを生む。分際を知るほうがいい。
(続)

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