『マンガで読破 罪と罰』(ドストイエフスキー原作、イーストプレス社)
天才は世の中のために悪者を殺す権利があるのか? テロの時代のロシアらしいテーマからはじまって、聖とは何か?(穢とは何か?)、貧困、若者の全能感、サスペンス、理性の限界、様々なものがてんこ盛りになった名作。って、ありきたり。コトバの羅列をしておこう。
マルメラードフの「素寒貧の貧乏は犯罪だ」という言葉、不幸を忘れるための飲酒(依存症)、善良なリザヴェーダが殺される理不尽、若い日は己のなすべきことで悩み時として暴走する、聖なる娼婦ソーニャ、彼女は悪人正機を諭す親鸞のよう、ソーニャへ大金を渡すのは実にロシア的な精神である、判事ポリフィーリの切れ者ぶり、スヴィドリガイロフは目的のために手段を選ばない男だったが、隠されたところにある純情ゆえにそれが拒否されたときに死を選んだ、最後の最後に我らが(爆)ラスコーリニコフは自首した。
で、やっぱり、ドストイエフスキーは神様を信じていたかどうかはともかくとして、人間を信じていたんじゃないのかなあ。ラスコーリニコフが一生、良心の呵責に苦しむよりも、自首するところを描いているところなんか。
トロツキーの言葉「歴史によって浮かび上がる人間もいれば、沈む人間もいる」というのを補助線として考えると、天才なんてのは、歴史によって作られるんだと思う。本当の天才はそんなこと(自分か天才かどうか)なんて考えない希ガス。
にしても、ニーチェの超人思想の先駆に挙げられるところ、「自分が」とかを考えている時点で、ニーチェ的じゃないなあ。ニーチェの超人は、人間を問題にしていないんだから。
それはともかくとして、法措定的暴力を行使できる人間のことを天才と言うのかな。
ソーニャの「私は祈るだけ みんな苦しみを背負って生きているから」には全世界が泣いた。ラスコーリニコフも。これが自首の決め手。その後のソーニャの靴への接吻は、ルーシへの接吻。
ここまで書いてお腹一杯。最後はイスラム原理主義者、ジョージ・ブッシュを絵にした有名な「繊毛虫」を引用しておこう。ググったら、過去に引用しているぞ? まあ、いいや。
http://red.ap.teacup.com/tamo2/604.html
新世界だ! 間違いない…… やはり俺は選ばれた人間 ついに新世界に辿り着いたぞ やった!
……しかしこの世界には恐ろしい疫病が蔓延していた。自分だけが正しいと思い込む病い――… すべての人々は他人の考えを軽んじ 互いに相手が理解できず 自分だけが真理を知っていると勘違いして つまらない恨みで互いを殴りはじめ互いに殺し合った。これほど自分だけが絶対と信じる人々はかつていなかった。すべての人々が罪のなすり合いを始めてついに何もかも滅びてしまったのだ。
……これが俺の望んだ新世界…? これが天才のすることか? 何もない 誰もいない! 誰か……助け…て
この悪夢を見たラスコーリニコフの傍らにはソーニャがいた。
この物語はここで終わるが 再生の物語は 始まったばかりである…
以下、物凄い嫌味。近代こそが、ラスコーリニコフの苦悩(繊毛虫)を産み、ソーニャの救いを必要とした。で、近代って、基督教の産物じゃねえの? マッチポ(以下自粛
勿論、キリストがそういう傲慢を憐れむであろうことは分かっているのだが。で、黙示録って、どうよ? 144000人。はあ?