一日千秋のプロレタリアート客人のご紹介
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で、「うわぁ、サヨク丸出し」と思ったのだった。サヨクってのは、なんだかんだ言って物凄い国家「主義」者――ここでは支配階級が理念として大衆に押し付けようとする国家主義のことではなく、国家の機能にややこしいことを全て押し付けて問題解決を図ろうとする性向を有する者のこと――なのだ。
前に書いたとおり、蒟蒻畑みたいに もう、アホほど危険が報道されているものについては、危ないから幼児の手に届かないところに置けばいいだけの話なのだ。私的に気をつければ済む話を、それが不十分かもしれないと言って、国家権力にお願いするのは、少なくとも左翼ではない。
で、関連する話。京都では「15の春を泣かせるな」と言う言葉があった。高校入試の激烈さを緩和し、全入に向けた取り組みで出た言葉だと思う。だが、京都の某おっさんは言った。「18の春は泣きまくり。」そりゃあそうだ、厳しさ排除の上ではどこかでツケが来るというもの。この場合は、大学入試だね。
小生が軽蔑して止まないサヨクというものは、かのレーニン様が常に意識したような「全体性」を捨象し、自分にとって都合の良い部分を取り出し、その中だけの解決というキレイゴトを言う。それは結局、当事者を泣かせる結果に帰着するだけなのだ。それを庶民は分かっているから、サヨクの言うことを聞かないのだ。サヨクが思うほど、庶民は馬鹿じゃない、ってか、サヨクよりは賢い。それは社会に出て思い知らされたことだ。
で、どうするか。サヨクは全体を意識し、己の主張を言うことだ。そして、どこまで可能で、どういう結果が出るかを予測することだ。それをしないことには、庶民の信頼なんぞ勝ち取ることは不可能であろう。
今、学力試験の結果の公開云々が言われている。「地域間の競争を生むから反対」とか。おためごかし言わないでも、大阪でも青森でも愛媛でもとっくの昔から起こっている。隠蔽されたことがあからさまになることがそんなに恐ろしいか。そんな連中に、何が変革できるというのか? 実際問題、大学入試なんかは恐ろしい競争原理が働くのだ。ここをどう考えるか、どうするかを捨象して、「競争を生むから反対」なんて、馬鹿馬鹿しくて聞く気になれない。 どうせなら、競争そのもの自体を問えっての。